「……」
無言でその場に立ち尽くすメイドさん。
やはり、プライドの高いマリアでは、コスプレパーティーは無理だったようだ。
アンナを越える記憶はきっと、作れないだろう……。
黙り込む彼女を見て、そう考えていると。
どうやら、俺の視線に気がついたようで、眉間にしわを寄せる。
こちらをギロっと睨み、叫ぶ。
「つ、次よ! 確か小説では、お風呂に入っていたわよね!?」
「ああ……アンナの時は、あそこのジャグジーへ一緒に入ったな」
俺がそう言うと、マリアの整った顔がグシャっと歪む。
「アンナの時は……ですって!? まるで、あの女が上みたいな言い方ね!」
まずい。墓穴を掘ってしまった。
「いや、そういう訳じゃなくて……」
「フンッ! 私だってタクトを興奮させられるわ! 見てなさい!」
なんで、俺が年がら年中、発情期の動物みたいな扱いになってんの……。
※
小説というか……実際に昨年、起きた出来事を忠実に再現するため。
マリアは、奥にある更衣室へと向い、メイド服を脱ぐことに。
中に着ている、スクール水着になるようだ。
俺はと言えば、部屋の中央に向かって、ジャグジーの前へ立ち。
全ての服を脱ぐ。
生まれたばかりの姿ってやつだ。
これは、あの時。アンナがお風呂に入ろうと誘ってくれて。
俺が水着を持ってないから「バスタオルで腰を隠したら?」と言われたからだ。
当時のように、近くにあったタオルを手に取り、腰に巻いてみる。
良い感じで、股間を隠せたと思い。
可愛らしいハート型のジャグジーへと、お先に浸かってみる。
ジャグジーの裏には、ガラス越しに中庭が見える。
緑と花々が堪能でき、この中に入ったカップルは、そのまま……。
といきたいところだが、今回は無理だ。
相手は男……はっ!? 違う。アンナにそっくりだから、勘違いしていた。
マリアは正真正銘の女子だ。
そう思うと、なんだか緊張してきた。
~10分後~
「お、お待たせ……」
頬を赤くした金髪の美少女が、目の前に立っている。
今は、廃止されたスクール水着。1990年代初期のタイプ。
「ああ……」
その姿に、俺は言葉を失っていた。
透き通るような白い肌。細くて長い脚。
金色の長い髪は、お湯に浸からないよう、頭の上で一つに纏めている。
「私も入っていい?」
「もちろんだ」
少し身体をずらし、マリアが入りやすいように、余裕をあける。
すると、彼女の太ももが目の前を通り過ぎていく。
横から見ただけだが……。生まれて初めて、女の子の股間を直視したような気がする。
意外と、ふっくらしているんだな。
ちょっと待てよ!?
アンナがスク水を着た時は、かなりお股に食い込んでいたのに、ツルペタだったぞ!
男なのに……。
だが、女のマリアがふっくらしているだと。
何故だ……取材だからと、ヌードになってもらい、確認するのは、無理だ。
「う~む」
ひとり、唸りながら、考え込んでいると。
お湯に浸かったマリアが、自身の胸を手で隠していた。
そして、眉間にしわを寄せる。
「ねぇ、さっきからずっと、視線が怖いのだけど? 私の大事なところばかり見てない?」
「あ、いや……そのキレイな肌だなと思って」
笑ってごまかそうとしたが、鋭いマリアには感づかれてしまう。
「タクト。ひょっとして……アンナと比較してるの?」
「そ、それは……」
ここで嘘をつけば、絶対あとでブーメランが返ってくる。
本当に思ったことだけを、言葉にしよう。
俺は人差し指を立てて、豪快に叫んだ。
「マリアのお股って……けっこう膨らんでいるんだな!」
これなら、褒めていることになるだろう。
「……タクト。極めて、不快なのだけど。じゃあ、なに。私がデリケートゾーンに、気を使っていない女子だと言いたいの?」
怒らせてしまった。
「す、すまん」
「フンッ!」
どれが、正解だったんだろう。
にしても、なぜアンナのお股は、ツルペタだったんだ?
わからん……まさか、マリアの方が男なのかな。
※
最初こそ、会話というか。口ゲンカをしていたが。
しばらくすると、マリアは黙り込み、視線を合わせてくれなくなった。
俺は怒っているからだと、思っていたが。
全然、目を合わせてくれない彼女に、もう一度謝罪を試みる。
「なあ。マリア悪かったよ……そろそろ仲直りしてくれないか?」
「……」
視線は、ずっと湯船の中。
顔を赤くして、返事もない。
「おい、どうしたんだ? 風呂の湯加減が悪いのか?」
「……」
全然話してくれないので、俺は敢えて彼女に身を寄せ、顔を覗き込む。
すると、マリアは何を思ったのか、自身の顔を両手で隠してしまった。
「こ、こっちへ来ないで!」
強気な彼女にしては、随分と弱々しい声だった。
「へ?」
「わ、悪気はないのよ……でも、どうしても無理なの!」
「なにがだ?」
「タクトのお股!」
「え……」
彼女に言われて、自分の股間を確認したが。
タオルはちゃんと腰に巻かれている。
はみ出ていない。
なのに、マリアはこれに拒絶反応を起こしている。
「マリア。どういうことだ?」
「わ、私……パパの股間すら、あまり見たことがないの! だから、いくらタオル越しとはいえ。タクトのお股があると思うと……恥ずかしくて、直視できないわ!」
「そうなんだ……」
普段から積極的な彼女だから、もっとグイグイ来るのかと思ったが。
中身はめっちゃピュアな女子だった。
この反応が普通なんだろうな。
アンナは、あくまでも女装男子だから……。
去年、一緒にアイツと仲良くお風呂へ入ったけど。
あの時はめっちゃ楽しくて、興奮できたな。
俺がバグっているのかな……。
ラブホテルまで、俺を連れ込んだマリアだったが……。
肝心のドキドキさせる映像は、見せられずにいた。
むしろ、ピュアで奥手な女の子と感じる。
まあ俺的には、好感を持てるタイプだけど。
マリア自身は己の不甲斐なさに、憤りを感じているようだ。
肩を小刻みに震わせて、碧い瞳に涙を浮かべている。
「……ぐすん。せっかくタクトと二人きりなのに、何も出来ていないわ。記憶の改ざんが……」
まだこだわっているのか?
確かに、アンナのコスプレパーティーを越える記憶は、作れていないが。
童貞の俺が、ラブホテルへ3回も来ている時点で、充分レアな思い出だと思うけど?
ベッドの上で、バスローブを纏ったマリアが座っている。
かなり落ち込んでいるようだ。
俺は少し距離を取り、近くの冷蔵庫からブラックコーヒーを取り出して、喉を潤わせる。
何とも気まずい空間だ。
これが、あと半日以上あると思うと、苦でしかない。
別に俺が、マリアを無理やり襲ったわけでもないのに……なぜか罪悪感が残る。
※
コーヒーを飲み終え、ゴミ箱へ空き缶を持って行こうとしたら、急にマリアが顔を上げる。
「そうだ! タクト、あれならできるわよ!」
と自身の胸を叩くマリア。
「アレ? なんのことだ?」
「ふふん。きっとこのテクニックは、ブリブリアンナじゃ出来ないわよ」
妙に自信があるな。
まあ、元気が出たことは良い事か。
「なにをするんだ?」
「それはね……抜くのよ! タクトの太いのを、思い切り!」
俺は、マリアがラブホテルへ来て、頭がおかしくなったのかと思った。
「抜くって……お前。まさか……」
「そのまさかよ! 私の指ってすごいんだから! 必ずタクトを抜きまくって、気持ち良くさせてあげるわ!」
「ウソ……」
急に下ネタ全開になったマリアを見て、言葉を失ってしまう。
俺とは対照的に、彼女は興奮気味に語り始める。
「タクトって最近、抜いてないでしょ?」
「あ、いや……人並みには……」
「ウソよ♪ 顔を見たら分かるわ。そういうことは、女の子に任せるものよ♪」
初めて聞いたんですけど。
自家発電は、己が手でするから、って意味だと思うんだけど。
女の子がしてくれるものなの?
「そ、それはダメだ……俺たち、まだそういう関係じゃ……」
優しく断ろうとしたが、マリアは首を横に振る。
「いいえ! 絶対に抜かせて。大丈夫、痛くしないわ! 私、こう見えてたくさんの人を、抜きまくっているのよ」
まさかのビッチ発言である。
「なんで……?」
「パパがよく言うのよ。『マリア。そろそろ抜いてくれ』って。だから、私が毎晩抜いてあげているの♪」
「……」
俺以上に、ヤバい家庭がいた!?
~20分後~
「どう? タクト。気持ち良いでしょ?」
「あ、ああ……」
確かにマリアのテクニックは、最高だった。
ベッドの上で、膝枕をしてくれる神対応。
そして、銀色の道具を手に持ち、俺の額に触れる。
ブツン……と何かが引きちぎれる、音がした。
最初は痛かったけど、しばらくすると、気持ち良く感じられるようになった。
なんだか、眠たくなってくる。
確かに、これは昇天すると言っても、過言ではない。
「もう~ タクトったら、相当溜めてたわねぇ? 抜きがいがあるってもんだわ♪」
そう言って、ピンセットで俺の眉毛を抜く。
彼女が表現する「抜く」とは、毛を抜くことだ。
俺が想像していたような、卑猥な行為はなにもない。
マリアのパパさんが、夜な夜な抜いてほしいと、リクエストするのも分からんでもない。
だって、気持ちが良いもの。
「ねぇ、タクトって眉毛を抜くの、初めてでしょ~」
「ああ……こんなに気持ちが良いなんて……うっ!」
最初こそ、チクッと痛みが走るけど。
その後の快感ったら、やめられない。
「ほぉら、見てごらんなさい。こんなに溜めていたのよ♪」
そう言って、手の甲を見せてくれる。
彼女の白い手に、たくさん並ぶ眉毛たち。
黒い毛虫みたいで、気持ちが悪い。
「うわっ……」
「男の人って、眉毛あまりいじらないものね。今度から定期的に、私がメンテしてあげるわ♪」
「ああ……」
この時、俺は半分以上、意識がなかった。
眠たくて仕方がなかった。瞼が重たい。
気がつけば、夢の中へと入っていた。
『あはは☆ タクト~ こっちだって~☆』
お花畑の前をミハイルが走っている。
デニムのショートパンツを履いていた。今日もその小尻がたまらない。
俺は一生懸命、彼の元へ追いつこうと必死だ。
『ま、待てよ。ミハイル!』
『嫌だよー! だって、タクトが悪いことしてるもん!』
『悪いことってなんだよ?』
急に立ち止まるミハイル。
俺はやっとのことで、彼の元へたどり着く。
そして、ミハイルの肩を掴んだ瞬間。
彼の姿が、一瞬にして変わってしまう。
『タッくん……なんでラブホテルへ、マリアちゃんと行ったの?』
女装したアンナに変身していた。
顔色が悪く、自慢のエメラルドグリーンは輝きを失せている。
『そ、それは……』
『なんで、アンナとミーシャちゃんを裏切ったの?』
『違うんだ……聞いてくれ!』
必死に弁解しようとするが、アンナは静かに首を横に振る。
そして、幽霊のように、ゆっくりとその姿が透明になり、消えて行く。
『待ってくれ! アンナ!』
俺が止めても、彼女は黙って背中を見せる。
最後に一言だけ、アンナはこう呟いた。
『ごめん。もう無理かも……』
「待てっ! アンナ!」
宙に手の平を伸ばし、彼女を引き留めようとした。
しかし、目の前にあるのは、見慣れない天井。
そうだ……今は、マリアとラブホテルへ来ていたんだ。
眠っていたのか?
とりあえず、身体を起こそうとしたその時。違和感を感じる。
両腕がベッドの柵に、縛られていたからだ。
それもドラマで見るような、銀色の手錠。
「誰がアンナですって?」
声の方向に視線を合わせると、鬼の形相でこちらを睨んでいるマリアがいた。
しかも、俺の股間の上にまたがっている。
完全にマウントを取られていた。
「えっと……これは、なんのプレイ?」
一体、このあと。俺はどうなるんだ。
処女の次は、童貞を奪われるのか……。
「タクト……あなたったら、いつもいつも。アンナのことしか、考えていないの!?」
文字通り、俺にマウントを取ったマリアが、上から睨みつける。
逃げたいところだが、両手が手錠で拘束されているため、身動きがとれない。
脚は、自由に動かせるようだが……。
この手錠を外さないと、どうにもならない。
「ま、マリア……この手錠を外してくれないか? なんで、こんなことをするんだ?」
「絶対に嫌よ! あなたが……あなたが悪いんじゃない! う、うわぁん!」
怒ったと思ったら、急に泣き出した。
一体、どうしたんだ?
普段から強気の彼女にしては、珍しい。
「ヒック……」
「泣いているのか?」
「私だって……女の子なのよ……」
そう言うと、マリアは俺の胸に飛び込む。
きっと泣いている顔を、見せたくないからだろう。
「マリア。すまんが泣いている……傷ついた理由を教えてくれないか? 説明してくれないと分からん」
「ばかっ! 気がついてよ。私の気持ちに……」
そんなエスパーじゃないんだから。
分かるかよ……。
※
しばらく、俺の胸で泣き続けるマリアだったが。
落ち着きを取り戻したようで、顔を上げると、枕の上にあったティッシュボックスを手に取る。
鼻をチーンとかみ、涙も拭く。
まるで、子供のようだな。
俺は手錠をかけられているから、一切手を貸せないが。
丸めたティッシュをゴミ箱に投げ捨てると、マリアは再び、俺の元へ戻ってきた。
俺の腹に跨り、ゆっくりと腰を曲げる。
「タクト。私、正直悔しいの」
「へ?」
優しく俺の頬に触れるマリア。
両手で大事そうに撫でる彼女は、とても穏やかな顔つきだ。
「あの女。アンナよ。私だって、あなたに認めてもらうため。手術だって、美容だって……それこそ、ペドフィリア体型を維持するのには、苦労したわ」
「……」
まだその体型を維持しているのか。
あんまり無理すんなよ。
「帰国してタクトが小説家として、デビューしたから。すぐ結婚できると思ったのに。気がついたら、私そっくりのヒロインがあなたを奪った……」
「いや、アンナは、ちょっと違う理由で……」
と言いかけている最中に、マリアが叫ぶ。
「それよ! どう考えてもタクトの中で、特別な存在になっているもの!」
「……」
しまった。ここは黙って彼女の考えを聞くべきか。
「悔しい……。うらやましいとも思っているわ。だって……どんなに頑張ってもあんなこと、私にはできないもの」
そう言って、指をさした方向には、先ほどまで着ていたメイド服とスクール水着が。
まあ……マリアの性格じゃ、無理だろうね。
「私だって、アンナみたいに素直な性格だったら……きっとタクトを夢中にできるんでしょうね」
気がつくと、マリアは自身の額を、俺の額に重ねていた。
彼女のおでこから、熱を感じる。きっと泣いたからだろう。
目の前に二つ並ぶ、ブルーサファイア。
なんてキレイな瞳だろう。
「絶対、あなたを奪われたくない……私にとって、タクトはヒーローだもの……」
と言いかけたところで、瞼を閉じるマリア。
「おい。マリア?」
「……すーすー」
寝ちゃったよ。
ていうか、このあと俺は一体どうしたらいいの?
手錠があるし、マウントを取られた状態なんだけど。
~3時間後~
あれから、マリアはすぐ俺から離れてくれた。
いや正しくは、転げ落ちたと言うべきか。
なぜならば、マリアの寝相は相当に酷かった。
今も俺の隣りで、ゴロゴロとベッドの上で運動会を繰り広げている。
左右に行ったり来たり。
「ぐはっ!」
真ん中で寝ている俺の身体目掛けて、全身でタックルされる。
ミハイルと同等の馬鹿力だから、既に俺の身体は青あざでいっぱい。
その痛みに耐えるのも、怖いが。
彼女の寝顔も呪いがかかったようで、恐怖しかない。
白目をむいて、口を大きく開けている。
起きているわけじゃないのに、瞼が全開でホラー映画のようだ。
「すーすー……」
寝息が聞こえてくるので、やはり夢の中だろう。
マジで怖いよ。マリアの寝顔。
※
一睡も出来なかった。
マリアの寝相によるタックルも痛かったが、何回か脚をバタバタとさせて、かかと落としを食らったから……。
寝ているからわざとじゃないが、股間ばかり狙われた。
あまりの激痛に、泡を吹き出すところだったぜ。
ラブホテルでは、プライバシーを守るため? なのか。窓は全て謎の板で覆われている。
そのため、外の景色は確認することができない。
だが、きっと夜は明けているだろう。
外から、ゴミ収集車の「グイーン」という機械音と、作業員の声が聞こえてきた。
隣りで白目を向いているマリアに声をかける。
「おい、マリア! いい加減、起きろ! もう朝だぞ!」
何度か彼女に声をかけたが……なかなか起きてくれなかった。
憶測だが、マリアも一応、社長だ。
また徹夜で仕事を頑張っていたのかもしれない。
「……う、うぅん」
ようやく気がついたようだ。
しかし、まだ瞼は全開で、白目。
怖すぎ!
「マリア。朝だぞ。そろそろ起きて手錠を外してくれ! トイレにも行きたいし」
「あ、タクト……ごめんなさい。私ったら、寝ていたのね」
ここで、白目がぐりんとブルーサファイアへと入れ替わる。
意識を取り戻したマリアだったが、昨晩、取り乱したことを今更になって、恥ずかしくなったようだ。
頬を赤くしたと思ったら、枕を抱えて、顔を隠してしまう。
「た、タクト。私の寝顔とか見た? よだれとか垂らしてない?」
そんな可愛らしい女の子じゃなかったよ。
ホラー映画を見ているようだ……とは言えんな。
「ああ……よだれなんか、垂らしていなかったぞ」
俺がそう言うと、ホッとしたようで、嬉しそうに微笑む。
「良かったぁ。タクトにそんな恥ずかしいところを見られていたら、お嫁にいけないもの」
「……」
結構すごいものを見せてくれたよね。
じゃあ、もうお嫁に行けなくていいのかな?
マリアが俺にかけた手錠だが、どうやら前のお客さんが忘れていった物らしい。
ハードなプレイがお好みのカップル……。置いていくなよ。
おかげで、ドМプレイを体験してしまった。
仕方ないから、俺がフロントに電話して、手錠のことを伝える。
「ごめんなさい……タクト。どうしても、あなたが遠くに行ってしまいそうで。怖かったの……」
かなり罪悪感を、感じているようだ。
しゅんとしているマリアは、なんだか愛らしい。
「気にするな。別にケガをしたわけじゃないからな」
それよりも、寝相の悪さをどうにかして欲しい。
「あ、ありがと……タクト。優しいのね。大好き♪」
好きなら、もうちょっと優しくしてね……。
※
別に悪いことはしていないが、俺とマリアは身なりを整えると。
急いで、ラブホテルから出ることにした。
早朝の方が、近隣を歩く人が少ないと思ったからだ。
ホテルから出たその時だった。
近くの電柱から、人影を感じる。
視線はずっとこちらに向けられている……気がした。
ラブホテルから、出てきた俺たちだ。
自意識過剰だとは、思うが……。
しかし、突き刺すような視線だと感じてしまう。
ひょっとして、アンナかと思ったが。
違う。
間違いない。
女装したり、色々と器用な彼だが、体型までは変えられない。
相手は40代ぐらいの中年男性。
ぽっちゃりしたおじさん。
サングラスに、白いマスクをつけている。
明らかに不審な男。
もしかして、以前カナルシティで出会った痴漢か?
アンナやマリアに、固執していた変態だもんな。
ここは、俺が注意すべきだろうか。
ふと目と目が合う。
「ひっ!?」
相手は俺の顔を見て、怯んでしまい、慌てて逃げ去ってしまう。
「なんだ、あいつ……」
俺がその場に立ち尽くしていると、マリアが袖を引っ張る。
「タクト。早くここから離れましょうよ! やっぱり……恥ずかしいわ」
頬を赤くして、俯くマリア。
可愛らしいところもあるんだと思った。
「そうだな……」
3回目のラブホテルへ行ったわけだが、今回も何事もなく終わってしまう。
ただ、今回の宿泊代は、マリアが払ってくれた。
彼女の個人的な理由で、利用したから……だそうだ。
せめて半分ぐらい支払わせて欲しいと言ってみたが、彼女は頑なに断った。
たぶん俺を無理やり連れて行った割には、何も出来なかったことが悔しいのだろう。
どうでもいいけど、何もしないのにラブホテルをご利用って、金がもったないよね?
~それから1週間後~
今回のラブホテルで起きた出来事は、ネタとしては使わないと考えていた。
経費で落ちていないし。
なんかマリアのことが、かわいそうで……。
特に何もない日常を送っていると。
今年、初めてのスクーリングが近づいてきた。
ただの授業じゃない。期末試験だ。
それが連続で、2回も行われる。
アホなミハイルからしたら、苦行だろう。
今もきっと自宅で、試験勉強をしているに違いない。
去年も俺と進級したいがために、必死に頑張っていたものな。
その点、俺は勉強なんて必要ない。
前期も何もせず、オール満点だったしな。
ま、あの学校が幼稚園児レベルだからね……。
ただ試験当日になるまで、毎日ダラダラ過ごしていれば良いのだ。
その日も、学習デスクの上に置いてある、PCモニターを眺めていた。
去年から撮りためていたアンナのパンチラ写真。
ウインドウを10個も並べて表示させ、アンナを堪能する。
「ふぅ……」
最近、アンナの新しい写真。特に露出度の高いラッキースケベが起こらないから。
なかなか新鮮なネタが、手に入らないな……。
早く次の取材が来ないかな。と思っていた最中。
机の上に置いてあるスマホが、鳴り始めた。
彼女だと思い込み、急いでスマホを手に取る。
「もしもし?」
『あ、タクト……もう例の記事を見たかしら?』
その大人びた話し方で、すぐに相手が彼女じゃないと分かる。
電話をかけてきたのはマリアだ。
「マリア。記事って……なんのことだ?」
俺が首を傾げると、マリアは深いため息をつく。
『まだ見ていないのね……本当にごめんなさい。私のミスだわ』
「は?」
『この前、二人でラブホテルへ行ったじゃない? あの時に記者が近くにいて、写真を撮られたのよ……』
「え!? なんで俺たちを撮るんだよ。ただの一般人だろ」
『私がモデルだからよ。こう見えて女性に人気なの。詳しくはインターネットを見ればわかると思うわ……本当にごめんなさい。でも嘘は何も言ってないから』
「マジかよ……」
それからすぐに電話を切って、俺はウェブブラウザで検索をしてみることに。
彼女の名前で調べたら、すぐにヒットした。
見出しはこうだ。
『人気モデル、MALIA。帰国してすぐにラブホテルでドッキング!』
「ブフーーッ!!!」
思わず、大量の唾をモニターへぶっかけてしまった。
『お相手は、2歳年上の自称作家。DO・助兵衛氏、18歳。一般人のため、顔は隠させていただいております』
と記事には書いてあった。
肝心の写真は、ラブホテルから出て来たマリアと俺。
誰にも見られたくない……とキョロキョロしている二人だから、妙に怪しく感じる。
一応、俺だけ目元を黒塗りにされていた。
でも俺を知っている人なら、すぐに分かるだろう……。
ていうか、なんで自称作家になってんだよ! 俺はプロだ!
記事を読み進めていくと。
後日、記者がマリアへ直撃インタビューを行ったようで。
その際の質疑応答が、載っていた。
記者。
「ラブホテルで一泊を過ごしたということは、DO氏とお付き合いしているのですか?」
マリア氏。
「いいえ。本気で婚約しております。10年前から」
とカメラに向かって、婚約宣言を発表するマリアさん。
記者。
「では、結婚を約束しているのなら、ラブホテルでそういう行為をされたと認めるのですね?」
マリア氏。
「それは断じて認められません。私たちは婚約しておりますが、淫らな行為は何一つしておりません。これだけは言わせてください。一線は越えていません!」
と言い訳するマリアさん。
それを聞いていた記者は、信じられないと耳を疑ったそうな……。
一連の記事を読み終えた俺は、動揺から右手がガタガタ震え出す。
マウスカーソルがモニターの中で、左右に踊りまくっていた。
「な、なんじゃこりゃ!」
ほぼ認めている回答じゃねーか!?
クソ……俺と一緒で、マリアも嘘をつくのが苦手だった。
もうすぐ試験だというのに。
ミハイルに、この記事を知られたら……。
俺はどうなるんだ。
マリアとのラブホテル密会が報道されて、数日が経った。
正直、ミハイルにいつバレるか、ずっと不安で生きた心地がしない。
あとで知ったことだが、色んなニュースサイトに取り上げられているほど、マリアは有名人だった。
一部のテレビ局でも、今回の報道が流れているらしく。
DO・助兵衛という作家は、ラノベ業界に限らず、一般人の間でも話題にあがっているそうだ。
編集部の白金が、興奮気味に電話で教えてくれた。
もう俺には、後がない。
ここは潔く彼に謝罪すべきだろう……と腹を括った。
あいつに会ったら、すぐに頭を下げよう。
下手な嘘は使わず……正直に起きた出来事を説明すれば、きっと今まで通り許してくれる。
だって、俺たちはマブダチだし。
1年間も一緒に同じ高校へ通っている仲だ。
俺のために女装までしてくれる……ミハイルなら、きっと。
朝食を済ませると、リュックサックを背負って、地元の真島駅へと向かう。
いつも通り、小倉行きの列車に乗り込んで、彼を待つことにした。
二駅進んだ先の、席内駅に着く。
自動ドアがプシューッと音を立てて開く。
「タクト~☆ おっはよ~☆」
といつもなら、元気よく笑顔のミハイルが現れるのだが。
一向に姿を見せない。
俺が席を立ち、キョロキョロと辺りを見渡すが、誰も乗ってこない。
遅刻したのだろうか?
いや、ミハイルはアホだが、根は真面目だ。
特に俺と一緒に、行動することにこだわる人間。
ありえない。
※
目的地の赤井駅について、しばらくホームで次の列車を待っても、やはり彼は来ない。
心配になった俺は、スマホを取り出し、電話をかけてみることにした。
『おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』
何度かけても、同じ答えだった。
一体どうしたと言うんだ?
やっぱり、あの記事を知ったから、落ちこんでしまったのか。
それなら俺が謝らないと……。
不安で仕方なかった俺は、彼の実家へ電話することにした。
以前、姉のヴィッキーちゃんが、外泊した時にかけてきたから、アドレス帳へ登録しておいたのだ。
『ご連絡いただき、誠にありがとうございます♪ パティスリーKOGAです♪』
ビジネスモードのヴィッキーちゃんが出た。
「あ、俺です。ミハイルの同級生の新宮です」
そう言うと、態度を一変させるねーちゃん。
『チッ! 坊主か……なんだ?』
「あの……ミハイルは、まだ家にいるんですか?」
恐る恐る聞いてみたが、意外な答えが返ってきた。
『は? ミーシャなら、朝早くに学校へ行ったぞ? 会ってないのか?』
「はい……。会えなかったので、身体でも壊したかと」
『あはは! 全然、あいつならピンピンしてるよ。早く学校で会ってやれ。きっと喜ぶから』
ヴィッキーちゃんにそう言われて、やっと安心できた。
「ありがとうございます。じゃあまた……」
『おう! またな』
おかしい……。
そんなに朝早く家を出たのなら、俺と一緒の電車に乗ってもいいじゃないか。
※
とりあえず、一ツ橋高校へ向かうことにした。
ヴィッキーちゃんの言うことが本当なら、彼は校舎にいるはずだ。
ひとりで、心臓破りの長い坂道を登っていく。
いつもなら、二人で仲良く駄弁りながら、歩いているから、こんなにキツいと思わなかった……。
武道館が見えてきたころ、一人の女性が校門の前で、仁王立ちしていた。
真っ赤なチャイナドレスを着た淫乱おばさん。
ものすごいミニ丈だから、下から見上げる俺は、パンツが丸見えだ。吐きそう。
頭には、シニヨンキャップを左右につけて、お団子にしている。
「あちょ~! 新宮、新年から気合が入っているな! ほあっちゃ~!」
と叫びながら、構えをとる宗像先生。
格闘ゲームの新作が発売されたから、その影響か?
アホ丸出しだな。
「おはようございます……先生」
「なんだ。元気ないな?」
「その……ミハイル。古賀は、もう来ていますか?」
「ん? お前ら一緒に来てないのか? 仲が良いお前らだから、新年も二人で来ていると思ってたけど」
きょとんとした顔で、宗像先生は俺を見つめる。
この感じ、嘘は言っていない。
ということは……ミハイルが、ヴィッキーちゃんに嘘をついたんだ。
真実を知った俺は、うなだれてしまう。
「そうですか……じゃあ帰ります……」
あいつがいないなら、意味がない。
そう思ったら、自然と身体が元の道へと向きを変える。
それを見た宗像先生が慌てて、止めに入る。
「っておい! なにも古賀が来てないからって、お前まで帰らんでいいだろ! それに今日は試験だ。単位がかかっているぞ? 第一、あとで古賀が来るかもしれんだろ!」
「はぁ……」
ミハイルの性格上、ありえない。
「新宮。お前、何かしたのか? ケンカしたなら、ちゃんと古賀に謝れよ?」
「わかってます……」
俺だって、謝れるもんなら、さっさとしたいよ。
ミハイル……今、どこにいるんだ。
宗像先生はああ言ってたけど……。
ミハイルが、教室の扉を開くことはなかった。
朝のホームルームが始まり、今日が期末試験だと先生が説明を始める。
しかし俺はそんなこと、どうでも良かった。
彼が今どこでなにをやっているか……そればかり考えていた。
上の空で、試験を受ける。
天才の俺からすれば、こんな動物園のテストなど、お茶の子さいさい……。
と思って数時間、試験を受けていると。宗像先生に呼び出されてしまう。
「おい。新宮! ちょっと来い」
休み時間に入ったところで、廊下へ連れ出された。
「なんですか……」
かすれた声で答える。
「何って……お前、真面目に試験を受けているのか?」
「受けてますけど。何か問題でも?」
俺がそう言うと、宗像先生は頭を抱えて、ため息をつく。
「お前なぁ……他の先生からも、苦情が相次いでいるんだよ。この答案用紙、ふざけているのか?」
「え……?」
「前期に満点を取った新宮とは、思えん回答だよ」
宗像先生が俺の顔面に突き付けたのは、先ほどまで書いていた答案用紙たち。
英語、国語、現代社会。
しかし、俺の書いた答えは、教科関係なく、同じことばかりを書いていた。
『ミハイル。ミハイル。ミハイル……』
自分の名前まで、古賀 ミハイルと書くほど、重症だった。
「これを、俺が書いたんですか?」
「当たり前だろ! 新宮、体調が悪いなら、別日に試験を受けるか? 今日のお前はおかしいぞ! 期待のルーキーなのに!」
「すみません……」
いつもなら言い返すところだが、そんな元気も出ない。
※
結局、そんな調子で試験を受けていたから、全ての答案用紙に、ミハイルという名前を書きまくったらしい。
俺としては、無意識のうちにやっていたことだから、悪気はない。
気がつけば、昼休みに入った。
午前の試験が終わったことにより、みんなホッとしたようで、顔が明るくなっていた。
あとは体育を2時間受ければ、単位が貰えるから。
近くにいたリキと、腐女子のほのかが談笑していた。
「去年のクリスマス。マジで楽しかったよね。ほのかちゃん」
「うん。また来年も一緒に過ごそうよ~ リキくんって、ノンケぽいのに。男レイヤーにモテるからさ~ 私的にもラッキーみたいな♪」
「そんな褒められると、恥ずかしいよぉ」
褒めてないだろ……。
でも、なんか良い感じになっていて、安心したよ。
理由がどうあれ、このまま行けば。二人は付き合えるかもしれん。
みんな教室の中で、弁当を広げて、昼食を楽しむ。
去年より、生徒たちが仲良さげに感じた。
入学して1年も経つのだから、コミュニティが出来上がって、当然か。
突然、教室の扉が勢いよく開いた。
僅かな希望を胸に、入って来る人間を待っていると……。
「おっはにょ~♪」
アホそうな声が、教室中に響き渡る。すぐに誰か判明した。
ミハイルの幼馴染でもあり、ギャルのここあ。
「もうお昼ですよ。ぶひっ、ここあさん」
と金魚のフンみたいにくっつくのは豚……じゃなかった。
俺の専属絵師、トマトさんだ。
こいつらも見ない間に、偉く距離感が縮まっているな。
「てかさ。冬休みに行った温泉、超楽しかったしょ♪」
え……ウソでしょ?
ここあがトマトさんと温泉旅行に。
「た、楽しかったでしゅ! 家族風呂でしたから、水着で一緒に入れましたもんねぇ」
「ねぇ~♪ 夜もバイキングをたくさん食べて、リフレッシュできたし~ ベッドもふかふかでぇ」
まさかの一泊旅行かよ。
こいつら、もうヤッちゃったのかな?
たった一か月で、こんなにも仲良くなるもんなのか。
俺だけが置いてかれたような、気がする……。
※
両カップルが、お互いのイチャ自慢をし始めた。俺は蚊帳の外。
というか、たぶんだけど。視界に入っていない。
ミハイルという存在が、隣りにいないせいだろう。
空気のような扱いだ。
耐えきれなくなった俺は、教室を出て廊下を歩くことにした。
別に意味はない。
ただ、ひとりになりたかった。
あいつらがカップルとして、仲良くなったことに対して。
嫉妬なんて気持ちは、抱いていない。
むしろ、喜ばしいことだと感じている。
一応、ダチだから。
それよりもミハイルが、この場にいないことが何よりも辛い。
まさかと思うが、あの報道により、自殺なんてしないよな?
廊下の床は寒さにより、上靴を履いていても、足もとが冷えきってしまう。
ふと窓を開けて、外の景色を眺める。
目の前の駐車場を、一人の少年が歩いていた。
こんな中途半端な時間に、誰だろう?
全日制コースの連中は、制服を着ているから、一発で分かる。
しかし、この少年は違う。私服だ。
ショートダウンを羽織って、デニムのショートパンツを履いている。
フードで頭を隠しているため、顔は確認できない。
気がつけば、一ツ橋高校の入口へと向かっていく。
なるほど……俺たちと同じ通信制コースのヤンキーか。
試験だってのに、やる気がないやつだ。
全くヤンキーという生き物は、理解できないな。
単位が欲しいんじゃないのか?
階段を上る音が聞こえてきた。
きっと、先ほどのヤンキーだろう。
二階に上がって、教室へ向かってくるだろう……そう思っていたら、違った。
宗像先生がいる事務所の方から、バタンという音がした。
ひょっとして、今の時期だから新年度の入学希望者かな?
一人で妄想を膨らませていると。
事務所から、叫び声が聞こえてきた。
宗像先生の声だ。
「おい、待て! 話は終わってないぞ! 戻ってこい!」
普段からテキトーな先生にしては、えらく必死な声だと感じた。
それだけ、相手を引き留めたいのだろう。
気になった俺は、事務所の方へと足を進める。
すると、一人の少年が、階段を駆け下りていく。
先ほどとは違い、フードを外している。
だから横顔を、確認することが出来た。
宝石のような美しい瞳。エメラルドグリーンには、涙を浮かべている。
小さな唇をグッとかみしめ、何かを我慢しているように見えた。
金色の髪は、首元でバッサリ切られたハンサムショート。
前髪は左右に分けている。
ずっと一緒にいたから、その違いが分からなかった。
あいつは、いつもポニーテールを揺らせて、元気な笑顔を見せてくれる……。
そんな……かけがえのない存在。
「み、ミハイル!?」
やっと正体が分かったところで、俺はその名を叫んでいた。
彼は一瞬だけ、身体の動きを止めたが、振り返ることもなく。
その場から、走り去ってしまう。
「そんな……」
小さくなっていく彼の後ろ姿を、俺はただ見つめることしか、出来なかった。
俺のせいだと、思ったから……。
気がついた時には、ミハイルはもう校舎から出て行ってしまった。
その場に立ち尽くす俺。
美しく長い髪を、ショートカットにばっさりと切っていた……。
彼と言えば、ポニーテールが象徴みたいなものだったから。
その変貌ぶりに、衝撃を受ける。
だが、それよりも……。
俺が声をかけたのに、振り返ることなく、走り去ってしまったことだ。
そんなに、俺が嫌いになったのかよ。
「おい、新宮! なにをやっておるか! 早く古賀を追いかけろ!」
宗像先生に肩を掴まれるまで、我を忘れていた。
「え……追いかける?」
「当たり前だ! 古賀がこのまま、退学してもいいのか!?」
「た、退学!?」
その言葉に、驚きを隠せない。
「ああ、古賀のやつ。いきなり事務所に現れたと思ったら、こんなもんを私に突きつけたんだ!」
そう言うと、先生は1枚の封筒を差し出す。
『たい学とどけ 古賀 ミハイル』
なんて、アホな退学届だ。
しかも封筒は、スタジオデブリのボニョがプリントされた可愛らしいもの。
「先生……これって」
「そうだ。古賀のやつ。いきなり私に退学を申し出て。止めようとしたら、逃げやがったんだ!」
「ミハイルが退学。そ、そんな……」
俺が情けない声を出すと、宗像先生は鬼のような形相で睨みつける。
「バカ野郎! 新宮、お前はダチなんだろ!? 早く追いかけて、止めてやれ!」
先生がそう言ってくれなかったら、俺は彼を追いかけることは出来なかっただろう。
「は、はい。俺、行ってきます!」
絶対に止めてみせる。
俺は上靴を履いたまま、校舎を飛び出た。
少しでも、アイツに追いつくように。
※
全力で、長い下り坂を駆け下りる。
高校から出ても、まだミハイルの姿を見つけることは出来なかった。
国道に出ると、あとは近くの駅。赤井駅まで一直線の道だ。
この道を走っていれば、必ず彼がいるはず。
呼吸は乱れ、汗が吹き出る。全身が燃え上がるように熱い。
普段からスポーツなんて、やってないから、筋肉が悲鳴をあげる。
どれぐらい走っただろう。
数時間、フルマラソンを走ったような感覚だ。
もうすぐ、終点の赤井駅が見えてきたころ。
ようやくその姿が、目に映る。
信号が赤だったから、アイツも青に変わるのを待っていた。
どことなく、寂しそうな背中だと感じる。
ぜーはー言いながら、その肩に触れる。
「み、ミハイル……ま、待ってくれ」
俺がそう言うと、ようやく振り返ってくれた。
しかし、いつものような優しい笑顔はない。
鋭い目つきで俺を睨む。
「……っ! オレに触るな!」
そう叫ぶと、俺の手を振り払う。
「なっ、どうして……?」
「タクトには関係ないだろ!」
心底、俺を憎んでいるような気がした。
沈黙が続く中、目の前の信号が青に変わる。
すれ違う人々が、俺たちを不思議そうに見つめていた。
信号が変わっても、その場で固まっていたから、悪目立ちしている。
お互いの顔をじっと見つめあう。
彼の方は、睨んでいるが……。
だが、俺も屈してはいられない。
ここでミハイルを、引き留めることができなければ。一生、後悔するだろう。
興奮しているようだから、とりあえず、場所を変えようと提案してみる。
「なあ……退学の話って本当か? ちょっと話をしないか?」
「タクトには、関係ないじゃん!」
「でも、理由ぐらい聞かせてくれても良いだろ?」
「……」
沈黙を同意と見なした俺は、信号を渡った先にある小さな公園へ行こうと誘った。
ミハイルは、その提案に渋々のってくれた。
※
公園と言っても小さなところで、砂場やブランコがあるぐらいの低年齢向け。
そんな場所に、10代後半の少年が二人で立っている。
向かい合って、今から殴り合いの喧嘩でも始めそうな……そんな険悪なムードだった。
まずは、俺から話を切り出す。
「退学って、いつ決めたんだ?」
「この前」
俺とは視線を合わせず、ずっと地面を見つめるミハイル。
「どうしてなんだ? 俺と一緒に、一ツ橋高校を卒業したいんじゃなかったのか?」
その問いに、彼が答えることはなく。
顔を上げると、俺を睨みつけた。
「それはこっちのセリフだよっ!」
瞳に涙をいっぱい浮かべて、叫ぶ。
「え……」
「タクトが悪いんじゃん! マリアと……ラブホテルへ行って、アンナを泣かせたからっ!」
やはり、あの報道を知って傷ついたのか。
それで……髪を切ったというのか?
「ち、違うんだ! 確かにホテルへは行ったが何もしてない!」
言っていて、自分でもかなり苦しい言い訳だと感じる。
「そういうところだよ! タクトがアンナを苦しめているの!」
火に油を注ぐ行為だったようだ。
「……」
「アンナは今まで、ずっとずっと我慢してきたんだよ! でも大好きなタクトのために、目をつぶってきたけど。もう限界なの! 無理なんだよ!」
気がつけば、ミハイルの顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。
子供のように泣き叫ぶ。
よっぽど、辛かったのだろう。
彼の言うように、限界に達したのかもしれない。
「俺が……俺のせいで、アンナは苦しんでいるのか?」
目の前に本人がいるが、設定なので、遠回しに聞いてみる。
「そうだよ! 全部タクトが悪いんだ! アンナを泣かせたからっ!」
彼女が泣いたかどうかは、ミハイルの顔を見ればわかる。
「もう修復は、不可能なのか?」
僅かな希望だった。
「無理だよ! だって、タクトが裏切ったじゃん! 去年、アンナじゃなくて、男のオレを選んだからっ!」
耳を疑った。
「え? 男の……? 俺がお前を?」
「そうだよ! 去年の誕生日に、お、オレを抱きしめたり……。キッスまで、しようとしたじゃないかっ!?」
あれ? そっちに怒ってたの……?
「つまり、男のミハイルを抱きしめたことが嫌だったのか? き、キッスも含めて……」
「嫌だったんじゃない! アンナを選ばなかったことに怒っているの!」
「どういうことだ?」
「オレがこ、告白した時。タクトは『男のお前とは恋愛関係にはなれない』『ミハイルが女だったのなら、絶対に付き合っている』って言ったから、女のアンナを紹介したんじゃん!」
「ああ……」
今になって巨大なブーメランが返ってきた。
そうか、女のアンナではなく。男のミハイルを選んだのが、ショックだったのか。
自業自得だが、色々とややこしい話だ……。
ミハイルが退学を決めた理由だが……。
どうやら、俺にあるらしい。
この前スクープされたマリアとのラブホ密会記事。
報道を知ったことにより、積もりに積もったストレスが爆発したのは、間違いない。
しかし、彼の中で一番辛かったことは……。
女に変身したアンナではなく、素のミハイル。
つまり、俺が男装時の彼を力いっぱい抱きしめ、その場のノリでキッスまでしようとしたから……。
俺からすれば全部ミハイルだし、アンナでもあるから良いと思うが。
彼は、酷く傷ついたようだ。
今も顔をぐしゃぐしゃにして、泣き叫んでいる。
「タクトはさ! 一体、誰が好きなの!? もう、オレ……タクトの気持ちが分からないんだよ!」
ど直球の質問に、俺は動揺する。
この場をまたあやふやにすれば、きっと彼を傷つけてしまう。
「俺は……」
「なんなの!? オレを抱きしめて、なんでアンナは抱きしめてくれなかったの! どうして、オレにキスをしようとしたんだよ……」
自身の唇に触れ、思い出しているようだ。
ミハイルのやつ。俺が抱きしめたことで、混乱しているようだ。
俺がやったことは、間違いない。
でも、今決めないとダメなのか……。
「聞いてくれ。俺はアンナを取材対象として、大切にしている。だから、なるべく優しく接するように心掛けている……つもりだ」
「グスンッ。それで?」
「だから、なんていうか。距離感がちょっと違って。その点、ミハイル。お前はマブダチだから、心を許せる存在ていうか……」
言いかけている最中で、ミハイルの怒鳴り声に遮られる。
「ほらねっ! タクトっていつもそうじゃん! 普段から『物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない』て言うけど……。ここぞって言う時、いつもはぐらかすじゃん!」
「そ、それは……ちゃんと答えるよ」
「じゃあ言ってよ。どうして、誕生日にオレを選んだの?」
ミハイルは真っ直ぐ、俺を見つめている。
緑の瞳は涙で潤んでいた。
俺が出す次の答えで、彼の運命が決まりそうだ。
でも、今はなにも準備していない。計画も立てていない。そんな俺が言えるのか?
「す、す……」
喉元まで、その言葉は出てきているのだが……。
この一言を口から発すれば、今までの関係は終わってしまう。
それが怖い。
たった二文字なのに……。
言ってしまえば、どちらかが傷つく。そんな気がした。
「す、すごく大事なダチだからさ……」
本当のことが言えなくて、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
ミハイルの顔を見ることができなくなり、視線は地面へと落ちる。
俺の答えを聞いたミハイルは、黙り込んでしまった。
ダチのミハイルも、カノジョ役のアンナも、失いたくない。
だから、俺は嘘をついてしまった。
一番嫌いな行為だ。
※
数分間の沈黙が続いた後。
最初に口を開いたのは、ミハイルだった。
「もう……終わりにしよ」
「え、なにを?」
「オレたちの関係」
「!?」
俺は恐怖から、両手で頭を抱える。
聞きたなくなかった。
このあとの言葉を……。
「タクト。いつになっても白黒ハッキリできないもん。このままじゃ、アンナが泣いてばっかりだよ」
「ま、待ってくれ。もう少し時間はないのか?」
俺の問いに、彼は首を横に振る。
「もう、遅いよ……だって……決めてくれないんだもん」
「ミハイル、俺は」
お前のことが……。ここまで、出てきているのに。
どうしても、言えない。
何も言えない代わりに、ミハイルが答えてくれた。
いや、情けない俺を、見ていられなかったのだと思う。
顔を真っ赤にして、叫んだ。
「お前なんか、もうダチじゃない! 絶交だ!」
彼の小さな唇から発せられた言葉は、巨大な砲弾となり、俺の胸を打ち抜く。
風穴が開いたんじゃないかってぐらい、デカい穴が出来ちまった。
あまりの衝撃に、俺はその場で膝をつく。
「そんな……俺たち、マブダチじゃないのか?」
「アンナのことを大事にできないタクトは……もうダチじゃない!」
「待ってくれ。約束……契約はどうなる? これからの取材は?」
「知らないよ! アンナそっくりのマリアとでも、すれば!」
「……」
そう吐き捨てると、ミハイルは俺に背中を向けた。
公園を飛び出し、駅へと走り去ってしまう。
一人取り残された俺は、地面に両手をつき、呆然としていた。
しばらくすると、目からぽつぽつと涙がこぼれ落ちる。
「たった一人のダチなのに……俺はまた失ってしまったのか」
※
数十分ほど経っただろうか?
誰も遊ばない公園で、四つん這いになっていると……。
近くのブランコが、ぎーぎーと音を立てて、揺れているのに気がつく。
「あ~あ、止められなかったか……新宮なら出来ると思ったんだがな」
嫌味たっぷりに喋る女性は、チャイナドレスを着た淫乱おばさん。
宗像先生だ。
いつから、この場にいたのかは知らないが。
どうやら一連の出来事を、近くで見ていたらしい。
「先生……」
「そんな顔すんなよ」
宗像先生はブランコを前後に激しく揺らした後、一番高い位置で飛び降りた。
キレイに地面へと着地したら、鼻の下を人差し指でこする。
「ヘヘヘ。振られちまったもんは、仕方ないよな! でも、諦めるな。とりあえず、話を聞かせろ。お前たちは二人とも、私の大事な生徒だからな」
「はい……」
この時ばかりは、宗像先生を頼るしかないと思った。
ていうか、見ていたなら。助けてよ。
宗像先生に連れられて、駅近くの中華屋さんへと入る。
赤いのれんを嬉しそうにくぐる先生に対し、俺は油っこい匂いで胸やけを起こしそうだ。
別に、この中華屋が悪いんじゃない。
俺の心理状態が、良くないためだ。
今は、なにも口にしたくない……。
ミハイルが開けてしまった巨大な胸の穴。
心臓も一緒に持って行かれた気がする。
彼が叫んだ『絶交だ!』という、強い言葉によって。
そんな傷心中の生徒を無視して、担任教師の宗像先生は、店の大将を呼びつける。
「おっちゃん! とりあえず、ハイボールと餃子2つね」
「おお。蘭ちゃんじゃないか! あいよ」
とハゲの大将が慣れた手つきで注文を取る。
「あとさ。悪いんだけど、おっちゃん。個室にしてくれないかな? ちょっと、こいつ落ち込んでいてさ。静かに話したいんだよ」
「ひょっとして、蘭ちゃんの生徒かい? いいよ、好きに使って」
いつも生徒の意見は無視するのに、今日の宗像先生は優しく感じた。
やっぱり、ミハイルに振られたことを、配慮してくれているのだろうか?
店の一番奥にあるお座敷へと通された。
襖で部屋を覆っているから、人目を気にせず、話せるらしい。
※
「それで、古賀が退学を申し出たり。長い髪を短く切ったことは、新宮。お前に原因があるんだろ?」
既に1杯目のハイボールは飲み干し、ラー油をたっぷりかけた餃子を頬張る宗像先生。
「あの……色々と積み重ねた結果だと思うんですけど。去年、俺がミハイルの誕生日に、抱きしめたから……それが一番の理由だと思います」
先生に話したことで、肩の荷が下りた気がした。
ひとりで抱え込むより、事情を知っている人と共有した方が良い……。
「新宮……お前、その話。本当か!?」
先生は驚きの余り、割りばしを座卓に落としてしまう。
「はい。キッスもしようとしました……」
「そ、そりゃ、ダメだろ!?」
即座に、否定されたことに傷つく。
「やっぱりダメだったんでしょうか? ミハイルは嫌じゃない……って、その場では言ってくれたんですが……」
「だって、お前。あの古賀の可愛らしい小尻を無理やり、お前がぶち込んだのだろ? そりゃ長い髪も切りたくなるし、退学もしたくなるよな」
この人、一体なにを言っているんだ?
なんで俺がミハイルを襲っていることに……。
「先生? 俺はミハイルを抱きしめただけですよ?」
「へ? 抱いたんだろ? 嫌がる古賀を無理やり、潤滑剤も無しに。そりゃ痛いだろ~」
もう酔っぱらっているのか、この教師は。
「……抱いたんじゃなくて、抱きしめたんですよっ!」
「ああ~ そっちか。なんだ、つまんねーの」
他人事だと思って……クソがっ!
話がちゃんと伝わってないようだったので。
俺は再度、宗像先生へ今での経緯を説明する。
去年の春、ミハイルが俺に告白し、振ったことから始まり。
その際、俺は「お前が女だったら付き合える」と言ってしまった。
真に受けたミハイルは、俺の理想通りのカノジョ。アンナを生みだし、完璧に演じることになる。
だが、デートという取材を重ねる度に、俺はアンナにも好意を寄せるが。
素のミハイルを抱きしめてしまった。ついでに、キッスまでしようと。
そこに追い打ちをかけるように、マリアとのラブホ記事……。
宗像先生はミニのチャイナドレスを着ているというのに、あぐらをかき、黙って俺の話を聞く。
その間に、店の大将が次々と中華料理を持ってくる。ハイボールのおかわりと一緒に。
顔を赤くしてはいたが、先生はまだ完全に酔っぱらってはいないようだ。
俺は一切、料理に手をつけなかった。
胸が苦しかったから……。
「なるほどな……。つまり、新宮のために自分を押し殺してまで、演じていたブリブリ女だが。結局、彼氏役であるお前が、男のミハイルを選んでしまった……てことか?」
「ま、まあ……そうだと思います」
「私はノンケだから、古賀の気持ちがよく分からんが。たぶん、女目線で考えると。化粧で綺麗な格好をした時は興奮してくれず、すっぴんでどブスな状態なのに、彼氏が『好きだっ!』ってハグしたもんかな?」
「それは、俺にはわかりかねます……」
例えが酷い。
「しっかし、めんどくさい奴らだなぁ~ 好きならさっさと付き合えよ。いちいち女装して、『タッくん。アンナよ~☆』とかバッカじゃねーの」
いや、アンナはそんな言葉遣い悪くないし、もっと可愛い。
「……でも、俺。ミハイルが頑張って、女装までしてくれて。それなのに、ちゃんと決められなくて。どうしたらいいのか」
気がつくと、涙が目に溢れていた。
そんな情けない俺を見て、先生は鼻で笑う。
「新宮。前にも言ったと思うが、今の生活が当たり前だと思うなよ。古賀がずっとお前の隣りにいるなんて、ありえない。もうすぐお前も二年生だ。ちゃんと相手の想いに、答えるべきなんじゃないのか?」
「分かってます……でも、急に選択を迫られて、俺には無理でした」
「そうか。しかし古賀の中で、心境の変化があったのも事実だろう。もう恋愛ごっこは、終わりなんじゃないのか?」
「……でもミハイルは、俺を捨てることを選びました。二度と会ってくれないと思います」
言い終える頃には、うなだれていた。
自分の口から、終わりを告げたようなものだと。
「バッカモン!」
泣き崩れる俺を見て、宗像先生は怒鳴り声を上げる。
「え?」
「お前がそんなんで、どうする!? まだ諦めるな! 私だって、古賀の教師だ。ちゃんと連れ戻す気だ!」
「ほ、本当ですか!?」
「うむ。知っての通り、我が校の良いところは、サラッと入学して、卒業だ。仮に古賀が退学しても、すぐに編入できる。まあ、今の古賀はかなり興奮しているようだから、説得は無理だろう」
「俺のせいですよね……」
「そうだろな。今回の件は、どう考えても新宮が悪い」
胸に開いた巨大な穴を更に、広げるような発言だった。
「うっ……」
「とりあえず、退学届けは預かっておく。保留ってことにしとくから安心しろ。新宮、お前はちゃんと次回の試験にも来いよ!」
「でも、ミハイルが来ないなら……」
「バカ野郎! お前が学校へちゃんと来たら、古賀が戻って来る可能性が、上がるってもんだ!」
「どういうことですか?」
「お前が一ツ橋高校で、楽しそうにしていたら、きっと古賀も悔しがって、また高校へ来るってことさ♪」
そう言うと、宗像先生は親指を立てて、ニカッと笑う。
俺が楽しそうにしていたら、ミハイルが戻ってくるだと……?
信じられないな。