気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


「……」

 無言でその場に立ち尽くすメイドさん。
 やはり、プライドの高いマリアでは、コスプレパーティーは無理だったようだ。
 アンナを越える記憶はきっと、作れないだろう……。

 黙り込む彼女を見て、そう考えていると。
 どうやら、俺の視線に気がついたようで、眉間にしわを寄せる。
 こちらをギロっと睨み、叫ぶ。

「つ、次よ! 確か小説では、お風呂に入っていたわよね!?」
「ああ……アンナの時は、あそこのジャグジーへ一緒に入ったな」
 俺がそう言うと、マリアの整った顔がグシャっと歪む。
「アンナの時は……ですって!? まるで、あの女が上みたいな言い方ね!」
 まずい。墓穴を掘ってしまった。
「いや、そういう訳じゃなくて……」
「フンッ! 私だってタクトを興奮させられるわ! 見てなさい!」

 なんで、俺が年がら年中、発情期の動物みたいな扱いになってんの……。

  ※

 小説というか……実際に昨年、起きた出来事を忠実に再現するため。
 マリアは、奥にある更衣室へと向い、メイド服を脱ぐことに。
 中に着ている、スクール水着になるようだ。

 俺はと言えば、部屋の中央に向かって、ジャグジーの前へ立ち。
 全ての服を脱ぐ。
 生まれたばかりの姿ってやつだ。

 これは、あの時。アンナがお風呂に入ろうと誘ってくれて。
 俺が水着を持ってないから「バスタオルで腰を隠したら?」と言われたからだ。
 当時のように、近くにあったタオルを手に取り、腰に巻いてみる。
 良い感じで、股間を隠せたと思い。

 可愛らしいハート型のジャグジーへと、お先に浸かってみる。
 ジャグジーの裏には、ガラス越しに中庭が見える。
 緑と花々が堪能でき、この中に入ったカップルは、そのまま……。

 といきたいところだが、今回は無理だ。
 相手は男……はっ!? 違う。アンナにそっくりだから、勘違いしていた。
 マリアは正真正銘の女子だ。

 そう思うと、なんだか緊張してきた。

 ~10分後~

「お、お待たせ……」
 頬を赤くした金髪の美少女が、目の前に立っている。
 今は、廃止されたスクール水着。1990年代初期のタイプ。
「ああ……」

 その姿に、俺は言葉を失っていた。
 透き通るような白い肌。細くて長い脚。
 金色の長い髪は、お湯に浸からないよう、頭の上で一つに纏めている。

「私も入っていい?」
「もちろんだ」
 
 少し身体をずらし、マリアが入りやすいように、余裕をあける。
 すると、彼女の太ももが目の前を通り過ぎていく。
 横から見ただけだが……。生まれて初めて、女の子の股間を直視したような気がする。
 意外と、ふっくらしているんだな。
 
 ちょっと待てよ!?
 アンナがスク水を着た時は、かなりお股に食い込んでいたのに、ツルペタだったぞ!
 男なのに……。

 だが、女のマリアがふっくらしているだと。
 何故だ……取材だからと、ヌードになってもらい、確認するのは、無理だ。

「う~む」

 ひとり、唸りながら、考え込んでいると。
 お湯に浸かったマリアが、自身の胸を手で隠していた。
 そして、眉間にしわを寄せる。

「ねぇ、さっきからずっと、視線が怖いのだけど? 私の大事なところばかり見てない?」
「あ、いや……そのキレイな肌だなと思って」
 笑ってごまかそうとしたが、鋭いマリアには感づかれてしまう。
「タクト。ひょっとして……アンナと比較してるの?」
「そ、それは……」
 ここで嘘をつけば、絶対あとでブーメランが返ってくる。
 本当に思ったことだけを、言葉にしよう。

 俺は人差し指を立てて、豪快に叫んだ。
「マリアのお股って……けっこう膨らんでいるんだな!」
 これなら、褒めていることになるだろう。

「……タクト。極めて、不快なのだけど。じゃあ、なに。私がデリケートゾーンに、気を使っていない女子だと言いたいの?」
 怒らせてしまった。
「す、すまん」
「フンッ!」

 どれが、正解だったんだろう。
 にしても、なぜアンナのお股は、ツルペタだったんだ?
 わからん……まさか、マリアの方が男なのかな。

  ※

 最初こそ、会話というか。口ゲンカをしていたが。
 しばらくすると、マリアは黙り込み、視線を合わせてくれなくなった。
 俺は怒っているからだと、思っていたが。

 全然、目を合わせてくれない彼女に、もう一度謝罪を試みる。

「なあ。マリア悪かったよ……そろそろ仲直りしてくれないか?」
「……」
 視線は、ずっと湯船の中。
 顔を赤くして、返事もない。
「おい、どうしたんだ? 風呂の湯加減が悪いのか?」
「……」
 全然話してくれないので、俺は敢えて彼女に身を寄せ、顔を覗き込む。
 すると、マリアは何を思ったのか、自身の顔を両手で隠してしまった。

「こ、こっちへ来ないで!」
 強気な彼女にしては、随分と弱々しい声だった。
「へ?」
「わ、悪気はないのよ……でも、どうしても無理なの!」
「なにがだ?」
「タクトのお股!」
「え……」

 彼女に言われて、自分の股間を確認したが。
 タオルはちゃんと腰に巻かれている。
 はみ出ていない。

 なのに、マリアはこれに拒絶反応を起こしている。

「マリア。どういうことだ?」
「わ、私……パパの股間すら、あまり見たことがないの! だから、いくらタオル越しとはいえ。タクトのお股があると思うと……恥ずかしくて、直視できないわ!」
「そうなんだ……」

 普段から積極的な彼女だから、もっとグイグイ来るのかと思ったが。
 中身はめっちゃピュアな女子だった。
 
 この反応が普通なんだろうな。
 アンナは、あくまでも女装男子だから……。
 去年、一緒にアイツと仲良くお風呂へ入ったけど。
 あの時はめっちゃ楽しくて、興奮できたな。
 
 俺がバグっているのかな……。

 ラブホテルまで、俺を連れ込んだマリアだったが……。
 肝心のドキドキさせる映像は、見せられずにいた。

 むしろ、ピュアで奥手な女の子と感じる。
 まあ俺的には、好感を持てるタイプだけど。

 マリア自身は己の不甲斐なさに、憤りを感じているようだ。
 肩を小刻みに震わせて、碧い瞳に涙を浮かべている。

「……ぐすん。せっかくタクトと二人きりなのに、何も出来ていないわ。記憶の改ざんが……」

 まだこだわっているのか?
 確かに、アンナのコスプレパーティーを越える記憶は、作れていないが。
 童貞の俺が、ラブホテルへ3回も来ている時点で、充分レアな思い出だと思うけど?

 ベッドの上で、バスローブを纏ったマリアが座っている。
 かなり落ち込んでいるようだ。
 俺は少し距離を取り、近くの冷蔵庫からブラックコーヒーを取り出して、喉を潤わせる。

 何とも気まずい空間だ。
 これが、あと半日以上あると思うと、苦でしかない。
 別に俺が、マリアを無理やり襲ったわけでもないのに……なぜか罪悪感が残る。

  ※

 コーヒーを飲み終え、ゴミ箱へ空き缶を持って行こうとしたら、急にマリアが顔を上げる。
 
「そうだ! タクト、あれならできるわよ!」
 と自身の胸を叩くマリア。
「アレ? なんのことだ?」
「ふふん。きっとこのテクニックは、ブリブリアンナじゃ出来ないわよ」
 妙に自信があるな。
 まあ、元気が出たことは良い事か。
「なにをするんだ?」
「それはね……抜くのよ! タクトの太いのを、思い切り!」
 俺は、マリアがラブホテルへ来て、頭がおかしくなったのかと思った。

「抜くって……お前。まさか……」
「そのまさかよ! 私の指ってすごいんだから! 必ずタクトを抜きまくって、気持ち良くさせてあげるわ!」
「ウソ……」
 急に下ネタ全開になったマリアを見て、言葉を失ってしまう。
 俺とは対照的に、彼女は興奮気味に語り始める。

「タクトって最近、抜いてないでしょ?」
「あ、いや……人並みには……」
「ウソよ♪ 顔を見たら分かるわ。そういうことは、女の子に任せるものよ♪」

 初めて聞いたんですけど。
 自家発電は、己が手でするから、って意味だと思うんだけど。
 女の子がしてくれるものなの?

「そ、それはダメだ……俺たち、まだそういう関係じゃ……」
 優しく断ろうとしたが、マリアは首を横に振る。
「いいえ! 絶対に抜かせて。大丈夫、痛くしないわ! 私、こう見えてたくさんの人を、抜きまくっているのよ」
 まさかのビッチ発言である。
「なんで……?」
「パパがよく言うのよ。『マリア。そろそろ抜いてくれ』って。だから、私が毎晩抜いてあげているの♪」
「……」

 俺以上に、ヤバい家庭がいた!?

 ~20分後~

「どう? タクト。気持ち良いでしょ?」
「あ、ああ……」
 確かにマリアのテクニックは、最高だった。
 ベッドの上で、膝枕をしてくれる神対応。
 そして、銀色の道具を手に持ち、俺の額に触れる。

 ブツン……と何かが引きちぎれる、音がした。

 最初は痛かったけど、しばらくすると、気持ち良く感じられるようになった。
 なんだか、眠たくなってくる。
 確かに、これは昇天すると言っても、過言ではない。

「もう~ タクトったら、相当溜めてたわねぇ? 抜きがいがあるってもんだわ♪」
 そう言って、ピンセットで俺の眉毛を抜く。

 彼女が表現する「抜く」とは、毛を抜くことだ。
 俺が想像していたような、卑猥な行為はなにもない。
 マリアのパパさんが、夜な夜な抜いてほしいと、リクエストするのも分からんでもない。
 だって、気持ちが良いもの。

「ねぇ、タクトって眉毛を抜くの、初めてでしょ~」
「ああ……こんなに気持ちが良いなんて……うっ!」

 最初こそ、チクッと痛みが走るけど。
 その後の快感ったら、やめられない。

「ほぉら、見てごらんなさい。こんなに溜めていたのよ♪」
 そう言って、手の甲を見せてくれる。
 彼女の白い手に、たくさん並ぶ眉毛たち。
 黒い毛虫みたいで、気持ちが悪い。
「うわっ……」
「男の人って、眉毛あまりいじらないものね。今度から定期的に、私がメンテしてあげるわ♪」
「ああ……」

 この時、俺は半分以上、意識がなかった。
 眠たくて仕方がなかった。瞼が重たい。
 気がつけば、夢の中へと入っていた。


『あはは☆ タクト~ こっちだって~☆』

 お花畑の前をミハイルが走っている。
 デニムのショートパンツを履いていた。今日もその小尻がたまらない。
 俺は一生懸命、彼の元へ追いつこうと必死だ。

『ま、待てよ。ミハイル!』
『嫌だよー! だって、タクトが悪いことしてるもん!』
『悪いことってなんだよ?』
 
 急に立ち止まるミハイル。
 俺はやっとのことで、彼の元へたどり着く。
 そして、ミハイルの肩を掴んだ瞬間。
 彼の姿が、一瞬にして変わってしまう。

『タッくん……なんでラブホテルへ、マリアちゃんと行ったの?』
 女装したアンナに変身していた。
 顔色が悪く、自慢のエメラルドグリーンは輝きを失せている。

『そ、それは……』
『なんで、アンナとミーシャちゃんを裏切ったの?』
『違うんだ……聞いてくれ!』
 必死に弁解しようとするが、アンナは静かに首を横に振る。
 そして、幽霊のように、ゆっくりとその姿が透明になり、消えて行く。
『待ってくれ! アンナ!』
 俺が止めても、彼女は黙って背中を見せる。

 最後に一言だけ、アンナはこう呟いた。

『ごめん。もう無理かも……』


「待てっ! アンナ!」

 宙に手の平を伸ばし、彼女を引き留めようとした。
 しかし、目の前にあるのは、見慣れない天井。
 そうだ……今は、マリアとラブホテルへ来ていたんだ。
 眠っていたのか?

 とりあえず、身体を起こそうとしたその時。違和感を感じる。
 両腕がベッドの柵に、縛られていたからだ。
 それもドラマで見るような、銀色の手錠。

「誰がアンナですって?」
 声の方向に視線を合わせると、鬼の形相でこちらを睨んでいるマリアがいた。
 しかも、俺の股間の上にまたがっている。
 完全にマウントを取られていた。

「えっと……これは、なんのプレイ?」

 一体、このあと。俺はどうなるんだ。
 処女の次は、童貞を奪われるのか……。

「タクト……あなたったら、いつもいつも。アンナのことしか、考えていないの!?」

 文字通り、俺にマウントを取ったマリアが、上から睨みつける。
 逃げたいところだが、両手が手錠で拘束されているため、身動きがとれない。
 脚は、自由に動かせるようだが……。
 この手錠を外さないと、どうにもならない。

「ま、マリア……この手錠を外してくれないか? なんで、こんなことをするんだ?」
「絶対に嫌よ! あなたが……あなたが悪いんじゃない! う、うわぁん!」

 怒ったと思ったら、急に泣き出した。
 一体、どうしたんだ?
 普段から強気の彼女にしては、珍しい。

「ヒック……」
「泣いているのか?」
「私だって……女の子なのよ……」

 そう言うと、マリアは俺の胸に飛び込む。
 きっと泣いている顔を、見せたくないからだろう。

「マリア。すまんが泣いている……傷ついた理由を教えてくれないか? 説明してくれないと分からん」
「ばかっ! 気がついてよ。私の気持ちに……」

 そんなエスパーじゃないんだから。
 分かるかよ……。

  ※

 しばらく、俺の胸で泣き続けるマリアだったが。
 落ち着きを取り戻したようで、顔を上げると、枕の上にあったティッシュボックスを手に取る。
 鼻をチーンとかみ、涙も拭く。
 まるで、子供のようだな。

 俺は手錠をかけられているから、一切手を貸せないが。

 丸めたティッシュをゴミ箱に投げ捨てると、マリアは再び、俺の元へ戻ってきた。
 俺の腹に跨り、ゆっくりと腰を曲げる。

「タクト。私、正直悔しいの」
「へ?」

 優しく俺の頬に触れるマリア。
 両手で大事そうに撫でる彼女は、とても穏やかな顔つきだ。

「あの女。アンナよ。私だって、あなたに認めてもらうため。手術だって、美容だって……それこそ、ペドフィリア体型を維持するのには、苦労したわ」
「……」
 まだその体型を維持しているのか。
 あんまり無理すんなよ。

「帰国してタクトが小説家として、デビューしたから。すぐ結婚できると思ったのに。気がついたら、私そっくりのヒロインがあなたを奪った……」
「いや、アンナは、ちょっと違う理由で……」
 と言いかけている最中に、マリアが叫ぶ。

「それよ! どう考えてもタクトの中で、特別な存在になっているもの!」
「……」
 しまった。ここは黙って彼女の考えを聞くべきか。

「悔しい……。うらやましいとも思っているわ。だって……どんなに頑張ってもあんなこと、私にはできないもの」
 そう言って、指をさした方向には、先ほどまで着ていたメイド服とスクール水着が。
 まあ……マリアの性格じゃ、無理だろうね。

「私だって、アンナみたいに素直な性格だったら……きっとタクトを夢中にできるんでしょうね」

 気がつくと、マリアは自身の額を、俺の額に重ねていた。
 彼女のおでこから、熱を感じる。きっと泣いたからだろう。

 目の前に二つ並ぶ、ブルーサファイア。
 なんてキレイな瞳だろう。

「絶対、あなたを奪われたくない……私にとって、タクトはヒーローだもの……」

 と言いかけたところで、瞼を閉じるマリア。

「おい。マリア?」
「……すーすー」

 寝ちゃったよ。
 ていうか、このあと俺は一体どうしたらいいの?
 手錠があるし、マウントを取られた状態なんだけど。

 ~3時間後~

 あれから、マリアはすぐ俺から離れてくれた。
 いや正しくは、転げ落ちたと言うべきか。

 なぜならば、マリアの寝相は相当に酷かった。
 今も俺の隣りで、ゴロゴロとベッドの上で運動会を繰り広げている。
 左右に行ったり来たり。

「ぐはっ!」

 真ん中で寝ている俺の身体目掛けて、全身でタックルされる。
 ミハイルと同等の馬鹿力だから、既に俺の身体は青あざでいっぱい。
 その痛みに耐えるのも、怖いが。

 彼女の寝顔も呪いがかかったようで、恐怖しかない。
 白目をむいて、口を大きく開けている。
 起きているわけじゃないのに、瞼が全開でホラー映画のようだ。

「すーすー……」

 寝息が聞こえてくるので、やはり夢の中だろう。
 マジで怖いよ。マリアの寝顔。

  ※

 一睡も出来なかった。
 マリアの寝相によるタックルも痛かったが、何回か脚をバタバタとさせて、かかと落としを食らったから……。
 寝ているからわざとじゃないが、股間ばかり狙われた。
 あまりの激痛に、泡を吹き出すところだったぜ。

 ラブホテルでは、プライバシーを守るため? なのか。窓は全て謎の板で覆われている。
 そのため、外の景色は確認することができない。
 だが、きっと夜は明けているだろう。
 外から、ゴミ収集車の「グイーン」という機械音と、作業員の声が聞こえてきた。

 隣りで白目を向いているマリアに声をかける。

「おい、マリア! いい加減、起きろ! もう朝だぞ!」

 何度か彼女に声をかけたが……なかなか起きてくれなかった。
 憶測だが、マリアも一応、社長だ。
 また徹夜で仕事を頑張っていたのかもしれない。

「……う、うぅん」
 ようやく気がついたようだ。
 しかし、まだ瞼は全開で、白目。
 怖すぎ!
「マリア。朝だぞ。そろそろ起きて手錠を外してくれ! トイレにも行きたいし」
「あ、タクト……ごめんなさい。私ったら、寝ていたのね」
 ここで、白目がぐりんとブルーサファイアへと入れ替わる。

 意識を取り戻したマリアだったが、昨晩、取り乱したことを今更になって、恥ずかしくなったようだ。
 頬を赤くしたと思ったら、枕を抱えて、顔を隠してしまう。

「た、タクト。私の寝顔とか見た? よだれとか垂らしてない?」
 そんな可愛らしい女の子じゃなかったよ。
 ホラー映画を見ているようだ……とは言えんな。
「ああ……よだれなんか、垂らしていなかったぞ」
 俺がそう言うと、ホッとしたようで、嬉しそうに微笑む。
「良かったぁ。タクトにそんな恥ずかしいところを見られていたら、お嫁にいけないもの」
「……」

 結構すごいものを見せてくれたよね。
 じゃあ、もうお嫁に行けなくていいのかな?

 マリアが俺にかけた手錠だが、どうやら前のお客さんが忘れていった物らしい。
 ハードなプレイがお好みのカップル……。置いていくなよ。
 おかげで、ドМプレイを体験してしまった。
 仕方ないから、俺がフロントに電話して、手錠のことを伝える。
 
「ごめんなさい……タクト。どうしても、あなたが遠くに行ってしまいそうで。怖かったの……」
 かなり罪悪感を、感じているようだ。
 しゅんとしているマリアは、なんだか愛らしい。
「気にするな。別にケガをしたわけじゃないからな」
 それよりも、寝相の悪さをどうにかして欲しい。
「あ、ありがと……タクト。優しいのね。大好き♪」
 
 好きなら、もうちょっと優しくしてね……。

  ※
 
 別に悪いことはしていないが、俺とマリアは身なりを整えると。
 急いで、ラブホテルから出ることにした。
 早朝の方が、近隣を歩く人が少ないと思ったからだ。


 ホテルから出たその時だった。
 近くの電柱から、人影を感じる。
 視線はずっとこちらに向けられている……気がした。

 ラブホテルから、出てきた俺たちだ。
 自意識過剰だとは、思うが……。
 しかし、突き刺すような視線だと感じてしまう。

 ひょっとして、アンナかと思ったが。
 違う。
 間違いない。
 女装したり、色々と器用な彼だが、体型までは変えられない。
 
 相手は40代ぐらいの中年男性。
 ぽっちゃりしたおじさん。
 サングラスに、白いマスクをつけている。
 明らかに不審な男。

 もしかして、以前カナルシティで出会った痴漢か?
 アンナやマリアに、固執していた変態だもんな。
 ここは、俺が注意すべきだろうか。

 ふと目と目が合う。
「ひっ!?」
 相手は俺の顔を見て、怯んでしまい、慌てて逃げ去ってしまう。
「なんだ、あいつ……」

 俺がその場に立ち尽くしていると、マリアが袖を引っ張る。

「タクト。早くここから離れましょうよ! やっぱり……恥ずかしいわ」
 頬を赤くして、俯くマリア。
 可愛らしいところもあるんだと思った。
「そうだな……」


 3回目のラブホテルへ行ったわけだが、今回も何事もなく終わってしまう。
 ただ、今回の宿泊代は、マリアが払ってくれた。
 彼女の個人的な理由で、利用したから……だそうだ。
 せめて半分ぐらい支払わせて欲しいと言ってみたが、彼女は頑なに断った。

 たぶん俺を無理やり連れて行った割には、何も出来なかったことが悔しいのだろう。
 どうでもいいけど、何もしないのにラブホテルをご利用って、金がもったないよね?

 ~それから1週間後~

 今回のラブホテルで起きた出来事は、ネタとしては使わないと考えていた。
 経費で落ちていないし。
 なんかマリアのことが、かわいそうで……。


 特に何もない日常を送っていると。
 今年、初めてのスクーリングが近づいてきた。
 ただの授業じゃない。期末試験だ。
 それが連続で、2回も行われる。

 アホなミハイルからしたら、苦行だろう。
 今もきっと自宅で、試験勉強をしているに違いない。
 去年も俺と進級したいがために、必死に頑張っていたものな。

 その点、俺は勉強なんて必要ない。
 前期も何もせず、オール満点だったしな。
 ま、あの学校が幼稚園児レベルだからね……。

 ただ試験当日になるまで、毎日ダラダラ過ごしていれば良いのだ。
 その日も、学習デスクの上に置いてある、PCモニターを眺めていた。
 去年から撮りためていたアンナのパンチラ写真。
 ウインドウを10個も並べて表示させ、アンナを堪能する。

「ふぅ……」

 最近、アンナの新しい写真。特に露出度の高いラッキースケベが起こらないから。
 なかなか新鮮なネタが、手に入らないな……。
 早く次の取材が来ないかな。と思っていた最中。
 机の上に置いてあるスマホが、鳴り始めた。

 彼女だと思い込み、急いでスマホを手に取る。

「もしもし?」
『あ、タクト……もう例の記事を見たかしら?』
 その大人びた話し方で、すぐに相手が彼女じゃないと分かる。
 電話をかけてきたのはマリアだ。
「マリア。記事って……なんのことだ?」
 俺が首を傾げると、マリアは深いため息をつく。
『まだ見ていないのね……本当にごめんなさい。私のミスだわ』
「は?」
『この前、二人でラブホテルへ行ったじゃない? あの時に記者が近くにいて、写真を撮られたのよ……』
「え!? なんで俺たちを撮るんだよ。ただの一般人だろ」
『私がモデルだからよ。こう見えて女性に人気なの。詳しくはインターネットを見ればわかると思うわ……本当にごめんなさい。でも嘘は何も言ってないから』
「マジかよ……」

 それからすぐに電話を切って、俺はウェブブラウザで検索をしてみることに。
 彼女の名前で調べたら、すぐにヒットした。

 見出しはこうだ。
 
『人気モデル、MALIA。帰国してすぐにラブホテルでドッキング!』

「ブフーーッ!!!」

 思わず、大量の唾をモニターへぶっかけてしまった。

『お相手は、2歳年上の自称作家。DO・助兵衛氏、18歳。一般人のため、顔は隠させていただいております』

 と記事には書いてあった。
 肝心の写真は、ラブホテルから出て来たマリアと俺。
 誰にも見られたくない……とキョロキョロしている二人だから、妙に怪しく感じる。
 一応、俺だけ目元を黒塗りにされていた。
 でも俺を知っている人なら、すぐに分かるだろう……。

 ていうか、なんで自称作家になってんだよ! 俺はプロだ!

 記事を読み進めていくと。
 後日、記者がマリアへ直撃インタビューを行ったようで。
 その際の質疑応答が、載っていた。

 記者。
「ラブホテルで一泊を過ごしたということは、DO氏とお付き合いしているのですか?」
 
 マリア氏。
「いいえ。本気で婚約しております。10年前から」
 とカメラに向かって、婚約宣言を発表するマリアさん。

 記者。
「では、結婚を約束しているのなら、ラブホテルでそういう行為をされたと認めるのですね?」

 マリア氏。
「それは断じて認められません。私たちは婚約しておりますが、淫らな行為は何一つしておりません。これだけは言わせてください。一線は越えていません!」
 と言い訳するマリアさん。
 それを聞いていた記者は、信じられないと耳を疑ったそうな……。

 一連の記事を読み終えた俺は、動揺から右手がガタガタ震え出す。
 マウスカーソルがモニターの中で、左右に踊りまくっていた。
 
「な、なんじゃこりゃ!」

 ほぼ認めている回答じゃねーか!?
 クソ……俺と一緒で、マリアも嘘をつくのが苦手だった。
 もうすぐ試験だというのに。

 ミハイルに、この記事を知られたら……。
 俺はどうなるんだ。

 マリアとのラブホテル密会が報道されて、数日が経った。
 正直、ミハイルにいつバレるか、ずっと不安で生きた心地がしない。
 あとで知ったことだが、色んなニュースサイトに取り上げられているほど、マリアは有名人だった。

 一部のテレビ局でも、今回の報道が流れているらしく。
 DO・助兵衛という作家は、ラノベ業界に限らず、一般人の間でも話題にあがっているそうだ。
 編集部の白金が、興奮気味に電話で教えてくれた。

 もう俺には、後がない。
 ここは潔く彼に謝罪すべきだろう……と腹を括った。

 あいつに会ったら、すぐに頭を下げよう。
 下手な嘘は使わず……正直に起きた出来事を説明すれば、きっと今まで通り許してくれる。
 だって、俺たちはマブダチだし。
 1年間も一緒に同じ高校へ通っている仲だ。
 俺のために女装までしてくれる……ミハイルなら、きっと。


 朝食を済ませると、リュックサックを背負って、地元の真島(まじま)駅へと向かう。
 いつも通り、小倉行きの列車に乗り込んで、彼を待つことにした。
 二駅進んだ先の、席内(むしろうち)駅に着く。

 自動ドアがプシューッと音を立てて開く。

「タクト~☆ おっはよ~☆」

 といつもなら、元気よく笑顔のミハイルが現れるのだが。
 一向に姿を見せない。

 俺が席を立ち、キョロキョロと辺りを見渡すが、誰も乗ってこない。
 遅刻したのだろうか?
 いや、ミハイルはアホだが、根は真面目だ。
 特に俺と一緒に、行動することにこだわる人間。
 ありえない。

  ※

 目的地の赤井(あかい)駅について、しばらくホームで次の列車を待っても、やはり彼は来ない。
 心配になった俺は、スマホを取り出し、電話をかけてみることにした。

『おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』

 何度かけても、同じ答えだった。
 一体どうしたと言うんだ?
 やっぱり、あの記事を知ったから、落ちこんでしまったのか。
 それなら俺が謝らないと……。

 不安で仕方なかった俺は、彼の実家へ電話することにした。
 以前、姉のヴィッキーちゃんが、外泊した時にかけてきたから、アドレス帳へ登録しておいたのだ。

『ご連絡いただき、誠にありがとうございます♪ パティスリーKOGAです♪』
 ビジネスモードのヴィッキーちゃんが出た。
「あ、俺です。ミハイルの同級生の新宮です」
 そう言うと、態度を一変させるねーちゃん。
『チッ! 坊主か……なんだ?』
「あの……ミハイルは、まだ家にいるんですか?」
 恐る恐る聞いてみたが、意外な答えが返ってきた。
『は? ミーシャなら、朝早くに学校へ行ったぞ? 会ってないのか?』
「はい……。会えなかったので、身体でも壊したかと」
『あはは! 全然、あいつならピンピンしてるよ。早く学校で会ってやれ。きっと喜ぶから』
 ヴィッキーちゃんにそう言われて、やっと安心できた。
「ありがとうございます。じゃあまた……」
『おう! またな』

 おかしい……。
 そんなに朝早く家を出たのなら、俺と一緒の電車に乗ってもいいじゃないか。

  ※

 とりあえず、一ツ橋高校へ向かうことにした。
 ヴィッキーちゃんの言うことが本当なら、彼は校舎にいるはずだ。
 ひとりで、心臓破りの長い坂道を登っていく。
 いつもなら、二人で仲良く駄弁りながら、歩いているから、こんなにキツいと思わなかった……。

 武道館が見えてきたころ、一人の女性が校門の前で、仁王立ちしていた。
 真っ赤なチャイナドレスを着た淫乱おばさん。
 ものすごいミニ丈だから、下から見上げる俺は、パンツが丸見えだ。吐きそう。
 頭には、シニヨンキャップを左右につけて、お団子にしている。

「あちょ~! 新宮、新年から気合が入っているな! ほあっちゃ~!」
 と叫びながら、構えをとる宗像先生。
 格闘ゲームの新作が発売されたから、その影響か?
 アホ丸出しだな。
「おはようございます……先生」
「なんだ。元気ないな?」
「その……ミハイル。古賀は、もう来ていますか?」
「ん? お前ら一緒に来てないのか? 仲が良いお前らだから、新年も二人で来ていると思ってたけど」

 きょとんとした顔で、宗像先生は俺を見つめる。
 この感じ、嘘は言っていない。
 ということは……ミハイルが、ヴィッキーちゃんに嘘をついたんだ。

 真実を知った俺は、うなだれてしまう。

「そうですか……じゃあ帰ります……」
 あいつがいないなら、意味がない。
 そう思ったら、自然と身体が元の道へと向きを変える。
 それを見た宗像先生が慌てて、止めに入る。
「っておい! なにも古賀が来てないからって、お前まで帰らんでいいだろ! それに今日は試験だ。単位がかかっているぞ? 第一、あとで古賀が来るかもしれんだろ!」
「はぁ……」
 ミハイルの性格上、ありえない。
「新宮。お前、何かしたのか? ケンカしたなら、ちゃんと古賀に謝れよ?」
「わかってます……」

 俺だって、謝れるもんなら、さっさとしたいよ。
 ミハイル……今、どこにいるんだ。

 宗像先生はああ言ってたけど……。
 ミハイルが、教室の扉を開くことはなかった。

 朝のホームルームが始まり、今日が期末試験だと先生が説明を始める。
 しかし俺はそんなこと、どうでも良かった。
 彼が今どこでなにをやっているか……そればかり考えていた。

 上の空で、試験を受ける。
 天才の俺からすれば、こんな動物園のテストなど、お茶の子さいさい……。
 と思って数時間、試験を受けていると。宗像先生に呼び出されてしまう。

「おい。新宮! ちょっと来い」
 休み時間に入ったところで、廊下へ連れ出された。
「なんですか……」
 かすれた声で答える。
「何って……お前、真面目に試験を受けているのか?」
「受けてますけど。何か問題でも?」
 俺がそう言うと、宗像先生は頭を抱えて、ため息をつく。

「お前なぁ……他の先生からも、苦情が相次いでいるんだよ。この答案用紙、ふざけているのか?」
「え……?」
「前期に満点を取った新宮とは、思えん回答だよ」

 宗像先生が俺の顔面に突き付けたのは、先ほどまで書いていた答案用紙たち。
 英語、国語、現代社会。
 しかし、俺の書いた答えは、教科関係なく、同じことばかりを書いていた。

『ミハイル。ミハイル。ミハイル……』

 自分の名前まで、古賀 ミハイルと書くほど、重症だった。

「これを、俺が書いたんですか?」
「当たり前だろ! 新宮、体調が悪いなら、別日に試験を受けるか? 今日のお前はおかしいぞ! 期待のルーキーなのに!」
「すみません……」

 いつもなら言い返すところだが、そんな元気も出ない。

  ※

 結局、そんな調子で試験を受けていたから、全ての答案用紙に、ミハイルという名前を書きまくったらしい。
 俺としては、無意識のうちにやっていたことだから、悪気はない。
 
 気がつけば、昼休みに入った。
 午前の試験が終わったことにより、みんなホッとしたようで、顔が明るくなっていた。
 あとは体育を2時間受ければ、単位が貰えるから。
 
 近くにいたリキと、腐女子のほのかが談笑していた。

「去年のクリスマス。マジで楽しかったよね。ほのかちゃん」
「うん。また来年も一緒に過ごそうよ~ リキくんって、ノンケぽいのに。男レイヤーにモテるからさ~ 私的にもラッキーみたいな♪」
「そんな褒められると、恥ずかしいよぉ」

 褒めてないだろ……。
 でも、なんか良い感じになっていて、安心したよ。
 理由がどうあれ、このまま行けば。二人は付き合えるかもしれん。

 みんな教室の中で、弁当を広げて、昼食を楽しむ。
 去年より、生徒たちが仲良さげに感じた。
 入学して1年も経つのだから、コミュニティが出来上がって、当然か。

 突然、教室の扉が勢いよく開いた。
 僅かな希望を胸に、入って来る人間を待っていると……。

「おっはにょ~♪」
 アホそうな声が、教室中に響き渡る。すぐに誰か判明した。
 ミハイルの幼馴染でもあり、ギャルのここあ。
「もうお昼ですよ。ぶひっ、ここあさん」
 と金魚のフンみたいにくっつくのは豚……じゃなかった。
 俺の専属絵師、トマトさんだ。

 こいつらも見ない間に、偉く距離感が縮まっているな。
 
「てかさ。冬休みに行った温泉、超楽しかったしょ♪」
 え……ウソでしょ?
 ここあがトマトさんと温泉旅行に。
「た、楽しかったでしゅ! 家族風呂でしたから、水着で一緒に入れましたもんねぇ」
「ねぇ~♪ 夜もバイキングをたくさん食べて、リフレッシュできたし~ ベッドもふかふかでぇ」

 まさかの一泊旅行かよ。
 こいつら、もうヤッちゃったのかな?
 たった一か月で、こんなにも仲良くなるもんなのか。

 俺だけが置いてかれたような、気がする……。

  ※

 両カップルが、お互いのイチャ自慢をし始めた。俺は蚊帳の外。
 というか、たぶんだけど。視界に入っていない。
 ミハイルという存在が、隣りにいないせいだろう。
 空気のような扱いだ。

 耐えきれなくなった俺は、教室を出て廊下を歩くことにした。
 別に意味はない。
 ただ、ひとりになりたかった。

 あいつらがカップルとして、仲良くなったことに対して。
 嫉妬なんて気持ちは、抱いていない。
 むしろ、喜ばしいことだと感じている。
 一応、ダチだから。

 それよりもミハイルが、この場にいないことが何よりも辛い。
 まさかと思うが、あの報道により、自殺なんてしないよな?

 廊下の床は寒さにより、上靴を履いていても、足もとが冷えきってしまう。
 ふと窓を開けて、外の景色を眺める。
 目の前の駐車場を、一人の少年が歩いていた。

 こんな中途半端な時間に、誰だろう?
 全日制コースの連中は、制服を着ているから、一発で分かる。
 しかし、この少年は違う。私服だ。

 ショートダウンを羽織って、デニムのショートパンツを履いている。
 フードで頭を隠しているため、顔は確認できない。

 気がつけば、一ツ橋高校の入口へと向かっていく。
 なるほど……俺たちと同じ通信制コースのヤンキーか。
 試験だってのに、やる気がないやつだ。
 全くヤンキーという生き物は、理解できないな。
 単位が欲しいんじゃないのか?

 階段を上る音が聞こえてきた。
 きっと、先ほどのヤンキーだろう。
 二階に上がって、教室へ向かってくるだろう……そう思っていたら、違った。

 宗像先生がいる事務所の方から、バタンという音がした。
 ひょっとして、今の時期だから新年度の入学希望者かな?

 一人で妄想を膨らませていると。
 事務所から、叫び声が聞こえてきた。
 宗像先生の声だ。

「おい、待て! 話は終わってないぞ! 戻ってこい!」

 普段からテキトーな先生にしては、えらく必死な声だと感じた。
 それだけ、相手を引き留めたいのだろう。

 気になった俺は、事務所の方へと足を進める。
 すると、一人の少年が、階段を駆け下りていく。
 先ほどとは違い、フードを外している。
 だから横顔を、確認することが出来た。

 宝石のような美しい瞳。エメラルドグリーンには、涙を浮かべている。
 小さな唇をグッとかみしめ、何かを我慢しているように見えた。
 金色の髪は、首元でバッサリ切られたハンサムショート。
 前髪は左右に分けている。

 ずっと一緒にいたから、その違いが分からなかった。
 あいつは、いつもポニーテールを揺らせて、元気な笑顔を見せてくれる……。
 そんな……かけがえのない存在。

「み、ミハイル!?」

 やっと正体が分かったところで、俺はその名を叫んでいた。
 彼は一瞬だけ、身体の動きを止めたが、振り返ることもなく。
 その場から、走り去ってしまう。

「そんな……」

 小さくなっていく彼の後ろ姿を、俺はただ見つめることしか、出来なかった。
 俺のせいだと、思ったから……。

 気がついた時には、ミハイルはもう校舎から出て行ってしまった。
 その場に立ち尽くす俺。

 美しく長い髪を、ショートカットにばっさりと切っていた……。
 彼と言えば、ポニーテールが象徴みたいなものだったから。
 その変貌ぶりに、衝撃を受ける。
 だが、それよりも……。
 俺が声をかけたのに、振り返ることなく、走り去ってしまったことだ。

 そんなに、俺が嫌いになったのかよ。


「おい、新宮! なにをやっておるか! 早く古賀を追いかけろ!」
 宗像先生に肩を掴まれるまで、我を忘れていた。
「え……追いかける?」
「当たり前だ! 古賀がこのまま、退学してもいいのか!?」
「た、退学!?」
 その言葉に、驚きを隠せない。
「ああ、古賀のやつ。いきなり事務所に現れたと思ったら、こんなもんを私に突きつけたんだ!」
 そう言うと、先生は1枚の封筒を差し出す。

『たい学とどけ 古賀 ミハイル』

 なんて、アホな退学届だ。
 しかも封筒は、スタジオデブリのボニョがプリントされた可愛らしいもの。

「先生……これって」
「そうだ。古賀のやつ。いきなり私に退学を申し出て。止めようとしたら、逃げやがったんだ!」
「ミハイルが退学。そ、そんな……」
 俺が情けない声を出すと、宗像先生は鬼のような形相で睨みつける。
「バカ野郎! 新宮、お前はダチなんだろ!? 早く追いかけて、止めてやれ!」
 先生がそう言ってくれなかったら、俺は彼を追いかけることは出来なかっただろう。
「は、はい。俺、行ってきます!」
 
 絶対に止めてみせる。
 俺は上靴を履いたまま、校舎を飛び出た。
 少しでも、アイツに追いつくように。

  ※

 全力で、長い下り坂を駆け下りる。
 高校から出ても、まだミハイルの姿を見つけることは出来なかった。
 国道に出ると、あとは近くの駅。赤井駅まで一直線の道だ。

 この道を走っていれば、必ず彼がいるはず。
 呼吸は乱れ、汗が吹き出る。全身が燃え上がるように熱い。
 普段からスポーツなんて、やってないから、筋肉が悲鳴をあげる。

 どれぐらい走っただろう。
 数時間、フルマラソンを走ったような感覚だ。
 もうすぐ、終点の赤井駅が見えてきたころ。
 ようやくその姿が、目に映る。

 信号が赤だったから、アイツも青に変わるのを待っていた。
 どことなく、寂しそうな背中だと感じる。

 ぜーはー言いながら、その肩に触れる。

「み、ミハイル……ま、待ってくれ」
 俺がそう言うと、ようやく振り返ってくれた。
 しかし、いつものような優しい笑顔はない。
 鋭い目つきで俺を睨む。

「……っ! オレに触るな!」
 そう叫ぶと、俺の手を振り払う。
「なっ、どうして……?」
「タクトには関係ないだろ!」
 心底、俺を憎んでいるような気がした。

 沈黙が続く中、目の前の信号が青に変わる。
 すれ違う人々が、俺たちを不思議そうに見つめていた。
 信号が変わっても、その場で固まっていたから、悪目立ちしている。

 お互いの顔をじっと見つめあう。
 彼の方は、睨んでいるが……。

 だが、俺も屈してはいられない。
 ここでミハイルを、引き留めることができなければ。一生、後悔するだろう。
 興奮しているようだから、とりあえず、場所を変えようと提案してみる。


「なあ……退学の話って本当か? ちょっと話をしないか?」
「タクトには、関係ないじゃん!」
「でも、理由ぐらい聞かせてくれても良いだろ?」
「……」

 沈黙を同意と見なした俺は、信号を渡った先にある小さな公園へ行こうと誘った。
 ミハイルは、その提案に渋々のってくれた。

  ※

 公園と言っても小さなところで、砂場やブランコがあるぐらいの低年齢向け。
 そんな場所に、10代後半の少年が二人で立っている。

 向かい合って、今から殴り合いの喧嘩でも始めそうな……そんな険悪なムードだった。
 まずは、俺から話を切り出す。

「退学って、いつ決めたんだ?」
「この前」
 俺とは視線を合わせず、ずっと地面を見つめるミハイル。
「どうしてなんだ? 俺と一緒に、一ツ橋高校を卒業したいんじゃなかったのか?」
 その問いに、彼が答えることはなく。
 顔を上げると、俺を睨みつけた。
「それはこっちのセリフだよっ!」
 瞳に涙をいっぱい浮かべて、叫ぶ。
「え……」
「タクトが悪いんじゃん! マリアと……ラブホテルへ行って、アンナを泣かせたからっ!」
 やはり、あの報道を知って傷ついたのか。
 それで……髪を切ったというのか?

「ち、違うんだ! 確かにホテルへは行ったが何もしてない!」
 言っていて、自分でもかなり苦しい言い訳だと感じる。
「そういうところだよ! タクトがアンナを苦しめているの!」
 火に油を注ぐ行為だったようだ。
「……」
「アンナは今まで、ずっとずっと我慢してきたんだよ! でも大好きなタクトのために、目をつぶってきたけど。もう限界なの! 無理なんだよ!」
 気がつけば、ミハイルの顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。
 子供のように泣き叫ぶ。
 よっぽど、辛かったのだろう。
 彼の言うように、限界に達したのかもしれない。

「俺が……俺のせいで、アンナは苦しんでいるのか?」
 目の前に本人がいるが、設定なので、遠回しに聞いてみる。
「そうだよ! 全部タクトが悪いんだ! アンナを泣かせたからっ!」
 彼女が泣いたかどうかは、ミハイルの顔を見ればわかる。

「もう修復は、不可能なのか?」
 僅かな希望だった。
「無理だよ! だって、タクトが裏切ったじゃん! 去年、アンナじゃなくて、男のオレを選んだからっ!」
 耳を疑った。
「え? 男の……? 俺がお前を?」
「そうだよ! 去年の誕生日に、お、オレを抱きしめたり……。キッスまで、しようとしたじゃないかっ!?」

 あれ? そっちに怒ってたの……?

「つまり、男のミハイルを抱きしめたことが嫌だったのか? き、キッスも含めて……」
「嫌だったんじゃない! アンナを選ばなかったことに怒っているの!」
「どういうことだ?」
「オレがこ、告白した時。タクトは『男のお前とは恋愛関係にはなれない』『ミハイルが女だったのなら、絶対に付き合っている』って言ったから、女のアンナを紹介したんじゃん!」
「ああ……」
 今になって巨大なブーメランが返ってきた。

 そうか、女のアンナではなく。男のミハイルを選んだのが、ショックだったのか。
 自業自得だが、色々とややこしい話だ……。

 ミハイルが退学を決めた理由だが……。
 どうやら、俺にあるらしい。
 
 この前スクープされたマリアとのラブホ密会記事。
 報道を知ったことにより、積もりに積もったストレスが爆発したのは、間違いない。
 しかし、彼の中で一番辛かったことは……。

 女に変身したアンナではなく、素のミハイル。
 つまり、俺が男装時の彼を力いっぱい抱きしめ、その場のノリでキッスまでしようとしたから……。

 俺からすれば全部ミハイルだし、アンナでもあるから良いと思うが。
 彼は、酷く傷ついたようだ。

 今も顔をぐしゃぐしゃにして、泣き叫んでいる。

「タクトはさ! 一体、誰が好きなの!? もう、オレ……タクトの気持ちが分からないんだよ!」
 ど直球の質問に、俺は動揺する。
 この場をまたあやふやにすれば、きっと彼を傷つけてしまう。
「俺は……」
「なんなの!? オレを抱きしめて、なんでアンナは抱きしめてくれなかったの! どうして、オレにキスをしようとしたんだよ……」
 自身の唇に触れ、思い出しているようだ。
 
 ミハイルのやつ。俺が抱きしめたことで、混乱しているようだ。
 俺がやったことは、間違いない。
 でも、今決めないとダメなのか……。

「聞いてくれ。俺はアンナを取材対象として、大切にしている。だから、なるべく優しく接するように心掛けている……つもりだ」
「グスンッ。それで?」
「だから、なんていうか。距離感がちょっと違って。その点、ミハイル。お前はマブダチだから、心を許せる存在ていうか……」

 言いかけている最中で、ミハイルの怒鳴り声に遮られる。

「ほらねっ! タクトっていつもそうじゃん! 普段から『物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない』て言うけど……。ここぞって言う時、いつもはぐらかすじゃん!」
「そ、それは……ちゃんと答えるよ」
「じゃあ言ってよ。どうして、誕生日にオレを選んだの?」

 ミハイルは真っ直ぐ、俺を見つめている。
 緑の瞳は涙で潤んでいた。
 俺が出す次の答えで、彼の運命が決まりそうだ。
 でも、今はなにも準備していない。計画も立てていない。そんな俺が言えるのか?

「す、す……」

 喉元まで、その言葉は出てきているのだが……。
 この一言を口から発すれば、今までの関係は終わってしまう。
 それが怖い。
 たった二文字なのに……。
 言ってしまえば、どちらかが傷つく。そんな気がした。

「す、すごく大事なダチだからさ……」

 本当のことが言えなくて、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
 ミハイルの顔を見ることができなくなり、視線は地面へと落ちる。

 俺の答えを聞いたミハイルは、黙り込んでしまった。
 ダチのミハイルも、カノジョ役のアンナも、失いたくない。
 だから、俺は嘘をついてしまった。
 一番嫌いな行為だ。

  ※

 数分間の沈黙が続いた後。
 最初に口を開いたのは、ミハイルだった。

「もう……終わりにしよ」
「え、なにを?」
「オレたちの関係」
「!?」

 俺は恐怖から、両手で頭を抱える。
 聞きたなくなかった。
 このあとの言葉を……。

「タクト。いつになっても白黒ハッキリできないもん。このままじゃ、アンナが泣いてばっかりだよ」
「ま、待ってくれ。もう少し時間はないのか?」
 俺の問いに、彼は首を横に振る。
「もう、遅いよ……だって……決めてくれないんだもん」
「ミハイル、俺は」

 お前のことが……。ここまで、出てきているのに。
 どうしても、言えない。

 何も言えない代わりに、ミハイルが答えてくれた。
 いや、情けない俺を、見ていられなかったのだと思う。
 顔を真っ赤にして、叫んだ。
 
「お前なんか、もうダチじゃない! 絶交だ!」

 彼の小さな唇から発せられた言葉は、巨大な砲弾となり、俺の胸を打ち抜く。
 風穴が開いたんじゃないかってぐらい、デカい穴が出来ちまった。
 あまりの衝撃に、俺はその場で膝をつく。

「そんな……俺たち、マブダチじゃないのか?」
「アンナのことを大事にできないタクトは……もうダチじゃない!」
「待ってくれ。約束……契約はどうなる? これからの取材は?」
「知らないよ! アンナそっくりのマリアとでも、すれば!」
「……」

 そう吐き捨てると、ミハイルは俺に背中を向けた。
 公園を飛び出し、駅へと走り去ってしまう。
 
 一人取り残された俺は、地面に両手をつき、呆然としていた。
 しばらくすると、目からぽつぽつと涙がこぼれ落ちる。

「たった一人のダチなのに……俺はまた失ってしまったのか」

  ※

 数十分ほど経っただろうか?
 誰も遊ばない公園で、四つん這いになっていると……。

 近くのブランコが、ぎーぎーと音を立てて、揺れているのに気がつく。
 
「あ~あ、止められなかったか……新宮なら出来ると思ったんだがな」
 嫌味たっぷりに喋る女性は、チャイナドレスを着た淫乱おばさん。
 宗像先生だ。
 いつから、この場にいたのかは知らないが。
 どうやら一連の出来事を、近くで見ていたらしい。
「先生……」
「そんな顔すんなよ」
 宗像先生はブランコを前後に激しく揺らした後、一番高い位置で飛び降りた。
 キレイに地面へと着地したら、鼻の下を人差し指でこする。
「ヘヘヘ。振られちまったもんは、仕方ないよな! でも、諦めるな。とりあえず、話を聞かせろ。お前たちは二人とも、私の大事な生徒だからな」
「はい……」

 この時ばかりは、宗像先生を頼るしかないと思った。
 ていうか、見ていたなら。助けてよ。

 宗像先生に連れられて、駅近くの中華屋さんへと入る。
 赤いのれんを嬉しそうにくぐる先生に対し、俺は油っこい匂いで胸やけを起こしそうだ。
 
 別に、この中華屋が悪いんじゃない。
 俺の心理状態が、良くないためだ。
 今は、なにも口にしたくない……。

 ミハイルが開けてしまった巨大な胸の穴。
 心臓も一緒に持って行かれた気がする。
 彼が叫んだ『絶交だ!』という、強い言葉によって。

 そんな傷心中の生徒を無視して、担任教師の宗像先生は、店の大将を呼びつける。

「おっちゃん! とりあえず、ハイボールと餃子2つね」
「おお。蘭ちゃんじゃないか! あいよ」

 とハゲの大将が慣れた手つきで注文を取る。

「あとさ。悪いんだけど、おっちゃん。個室にしてくれないかな? ちょっと、こいつ落ち込んでいてさ。静かに話したいんだよ」
「ひょっとして、蘭ちゃんの生徒かい? いいよ、好きに使って」

 いつも生徒の意見は無視するのに、今日の宗像先生は優しく感じた。
 やっぱり、ミハイルに振られたことを、配慮してくれているのだろうか?

 店の一番奥にあるお座敷へと通された。
 襖で部屋を覆っているから、人目を気にせず、話せるらしい。

  ※

「それで、古賀が退学を申し出たり。長い髪を短く切ったことは、新宮。お前に原因があるんだろ?」
 既に1杯目のハイボールは飲み干し、ラー油をたっぷりかけた餃子を頬張る宗像先生。
「あの……色々と積み重ねた結果だと思うんですけど。去年、俺がミハイルの誕生日に、抱きしめたから……それが一番の理由だと思います」

 先生に話したことで、肩の荷が下りた気がした。
 ひとりで抱え込むより、事情を知っている人と共有した方が良い……。

「新宮……お前、その話。本当か!?」
 先生は驚きの余り、割りばしを座卓に落としてしまう。
「はい。キッスもしようとしました……」
「そ、そりゃ、ダメだろ!?」
 即座に、否定されたことに傷つく。
「やっぱりダメだったんでしょうか? ミハイルは嫌じゃない……って、その場では言ってくれたんですが……」
「だって、お前。あの古賀の可愛らしい小尻を無理やり、お前がぶち込んだのだろ? そりゃ長い髪も切りたくなるし、退学もしたくなるよな」

 この人、一体なにを言っているんだ?
 なんで俺がミハイルを襲っていることに……。

「先生? 俺はミハイルを抱きしめただけですよ?」
「へ? 抱いたんだろ? 嫌がる古賀を無理やり、潤滑剤も無しに。そりゃ痛いだろ~」
 もう酔っぱらっているのか、この教師は。
「……抱いたんじゃなくて、抱きしめたんですよっ!」
「ああ~ そっちか。なんだ、つまんねーの」
 
 他人事だと思って……クソがっ!

 話がちゃんと伝わってないようだったので。
 俺は再度、宗像先生へ今での経緯を説明する。

 去年の春、ミハイルが俺に告白し、振ったことから始まり。
 その際、俺は「お前が女だったら付き合える」と言ってしまった。
 真に受けたミハイルは、俺の理想通りのカノジョ。アンナを生みだし、完璧に演じることになる。
 だが、デートという取材を重ねる度に、俺はアンナにも好意を寄せるが。
 素のミハイルを抱きしめてしまった。ついでに、キッスまでしようと。
 そこに追い打ちをかけるように、マリアとのラブホ記事……。


 宗像先生はミニのチャイナドレスを着ているというのに、あぐらをかき、黙って俺の話を聞く。
 その間に、店の大将が次々と中華料理を持ってくる。ハイボールのおかわりと一緒に。
 顔を赤くしてはいたが、先生はまだ完全に酔っぱらってはいないようだ。

 俺は一切、料理に手をつけなかった。
 胸が苦しかったから……。

「なるほどな……。つまり、新宮のために自分を押し殺してまで、演じていたブリブリ女だが。結局、彼氏役であるお前が、男のミハイルを選んでしまった……てことか?」
「ま、まあ……そうだと思います」
「私はノンケだから、古賀の気持ちがよく分からんが。たぶん、女目線で考えると。化粧で綺麗な格好をした時は興奮してくれず、すっぴんでどブスな状態なのに、彼氏が『好きだっ!』ってハグしたもんかな?」
「それは、俺にはわかりかねます……」
 例えが酷い。

「しっかし、めんどくさい奴らだなぁ~ 好きならさっさと付き合えよ。いちいち女装して、『タッくん。アンナよ~☆』とかバッカじゃねーの」
 いや、アンナはそんな言葉遣い悪くないし、もっと可愛い。
「……でも、俺。ミハイルが頑張って、女装までしてくれて。それなのに、ちゃんと決められなくて。どうしたらいいのか」
 気がつくと、涙が目に溢れていた。
 そんな情けない俺を見て、先生は鼻で笑う。

「新宮。前にも言ったと思うが、今の生活が当たり前だと思うなよ。古賀がずっとお前の隣りにいるなんて、ありえない。もうすぐお前も二年生だ。ちゃんと相手の想いに、答えるべきなんじゃないのか?」
「分かってます……でも、急に選択を迫られて、俺には無理でした」
「そうか。しかし古賀の中で、心境の変化があったのも事実だろう。もう恋愛ごっこは、終わりなんじゃないのか?」
「……でもミハイルは、俺を捨てることを選びました。二度と会ってくれないと思います」
 言い終える頃には、うなだれていた。
 自分の口から、終わりを告げたようなものだと。

「バッカモン!」

 泣き崩れる俺を見て、宗像先生は怒鳴り声を上げる。

「え?」
「お前がそんなんで、どうする!? まだ諦めるな! 私だって、古賀の教師だ。ちゃんと連れ戻す気だ!」
「ほ、本当ですか!?」
「うむ。知っての通り、我が校の良いところは、サラッと入学して、卒業だ。仮に古賀が退学しても、すぐに編入できる。まあ、今の古賀はかなり興奮しているようだから、説得は無理だろう」
「俺のせいですよね……」
「そうだろな。今回の件は、どう考えても新宮が悪い」
 胸に開いた巨大な穴を更に、広げるような発言だった。
「うっ……」
「とりあえず、退学届けは預かっておく。保留ってことにしとくから安心しろ。新宮、お前はちゃんと次回の試験にも来いよ!」
「でも、ミハイルが来ないなら……」
「バカ野郎! お前が学校へちゃんと来たら、古賀が戻って来る可能性が、上がるってもんだ!」
「どういうことですか?」
「お前が一ツ橋高校で、楽しそうにしていたら、きっと古賀も悔しがって、また高校へ来るってことさ♪」
 そう言うと、宗像先生は親指を立てて、ニカッと笑う。

 俺が楽しそうにしていたら、ミハイルが戻ってくるだと……?
 信じられないな。