気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


「うまい……」

 新年初めて、口にしたのは暖かい汁。
 ミハイルが作ってくれたお雑煮だ。

 魚のかつおなど一切、入っておらず。
 彼が熱弁していたものは、福岡県の特産野菜で。
 かつお菜という、緑色の小松菜みたいなものだ。

 ひと口食べてみたが、特に辛くもないし、苦くもない。
 だが、風味というか……だしとして、良い野菜だと感じる。

 気がつくと、頬から涙が溢れ出る。

「こんな……優しい料理は、久しぶりだ」

 愛情たっぷりのお雑煮と豪勢なおせち料理が、とても嬉しかった。
 作ってくれたのは、男だけど。
 それでも、こんなに愛を感じる食事は、生まれて初めてだ……。


 正月といえば、家族でおせち料理を囲み、みんなで仲良く喋りながら、ゆっくり過ごす。
 そんなドラマみたいなお正月は、我が家にはない。

 リビングで一人、ミハイルが用意してくれたお雑煮を暖めて、静かに食べる。
 そばには、誰もいない。

 妹のかなでは、受験勉強でダウン中。
 久しぶりに帰ってきた親父だが……。

 廊下の奥にある書斎で、一晩中『母さんの相手』をしている。
 もう朝の10時だってのに、終わる気配がない。
 こっちにまで、聞こえてくる始末。


「琴音ちゃん! 今年もよろしくぅ!」
「あああっ! あけおめっ、ことよろ~!」
 なんて酷い新年の挨拶をしているんだ。この夫婦は……。
「最高だよ、琴音ちゃん! 18年前を思い出しちまうよ!」
 子供を使って、興奮するとか最低な親父だ。
「六さん、私。もう……壊れちゃうぅぅぅ!」
 とっくの昔に、壊れてるだろ。


 この叫び声と激しい振動で、俺はろくに眠れなかった。
 かなでも、うなされていたから、親父と母さんのせいだろう。

「あほらし……」

 餅を咥えて、箸で伸ばしてみる。
 久しぶりに食う雑煮だから、喉に詰まらせないよう、慎重に食べていたら。
 テーブルの上に置いていたスマホが鳴る。

 甲高い声で歌を唄うのは、アイドル声優のYUIKAちゃんだ。
 年末に発売した新曲、『ピーカブースタイル』。
 今回の曲は、なんとYUIKAちゃんがラップにチャレンジしている。
 最高かよ。

 と曲を楽しんでいる場合ではない。
 着信名は、アンナだ。

「もしもし?」
『あ、タッくん! あけましておめでとう☆』
「おお……そうだったな。おめでとう。今年もよろしく」
 我が家では、こんな新年の挨拶もしないので、動揺してしまう。
『うん、よろしくね☆ ところで、タッくんは今日、家族と過ごす感じ?』
「え、俺が家族と?」
『だってお正月だからさ。普通はみんなで一緒に初詣とか』
「ああ……そういう話か……」

 アンナに指摘されるまで、全然思いつかなかった。
 そうだよな。
 普通の家族なら、みんなで初詣とかするもんね。
 俺ん家が、おかしいんだよ。

 赤ん坊の頃から、コミケに連れて行くような家庭だ。
 1歳になった時。“選び取り”をさせられたらしいが。
 普通は、そろばんとお金か、筆を選ばせるのに……。
 お袋とばーちゃんのいたずらで、百合とBLの同人誌を並べられ。
 見事、BLを掴んだという、写真を見せられた時は絶句した。


『もしもし、タッくん? 大丈夫、なんか息が荒い気するけど……』
 電話の向こうで心配しているアンナが、想像できた。
「はぁはぁ……すまん。嫌な過去を思い出してしまったんだ」
『え? お正月にあまり良い思い出がないの?』
「ま、まあな。うちはちょっと変わっているから」
『ならさ。アンナと今日、いい思い出を作ろうよ☆』
「へ?」
『初詣に行こうよ☆』
「あぁ……初詣か。そうだな、行ってみるか」
 俺がそう答えると、アンナは嬉しそうに笑う。

『やったぁ~☆ タッくんと初詣だぁ。お母さん達とどこかに行くんじゃないかって、不安だったから、嬉しいな☆』
「そんな気を使うなよ。アンナの頼みなら、いつでも大丈夫だ」

 だって、うちの親だよ?
 未だに廊下の奥から、喘ぎ声が止まらないんだ。
 むしろ、すぐにでも家から飛び出たい。

 正月からJRを使うのか……。
 なんとも不思議な感覚だ。

 ここ数年は、家にこもりきりで。
 寝正月ばかりだった。

 そんな俺が博多行きの列車に、乗り込むとはね。
 地元の真島(まじま)駅は普段と違い、とても静かだった。

 平日なら、サラリーマンやOL。それから学生が多く。
 通勤や通学に使われる。
 しかし、今日はお正月だ。
 みんな休み。だから、そんな暗いスーツや制服は着ていない。

 むしろ、煌びやかな振り袖や、気合の入ったミニスカの女子が多い。
 男子も普段と違う。
 なんていうか、お洒落しているんだけど……。
 利用している店が同じところだからだろう。みんな同じ服装に見える。
 量産型男子……。
 男はつらいね。選択肢が少なくて。


 その点、俺は違う。
 初詣に行くと、母さんに言ったら「じゃあこれを着て行きなさい」と着物を渡された。
 話を聞けば、昔親父が着ていたものらしい。

 紺色のウール製で、冬用だ。
 羽織もセットでついており、なかなか暖かい。
 足もとは、下駄。

 これぞ、日本の男だ。と胸を張りたいところだが……。
 実は今着ている着物は、俺のばーちゃんがデザインしたもので。
 羽織の裏地に全裸の男たちが、汗だくになっているBLイラストが、プリントされている。
 そして、羽織を脱いで背中を見せれば、絶頂している男子が……。
 ああ……おぞましい。

 だから絶対に、俺は家に帰るまで、この羽織を脱ぐことが出来ない。

  ※

 ホームで列車を待っていると。
 やはり、俺と同様にみんな初詣に行くようで。似たような格好ばかり。
 振り袖を着ているのは、当然女の子たち。
 しかし羨ましい。
 だって、裏地に痛いBLがプリントされてないんでしょ?
 うちがおかしいんだよな……。

 そうこうしていると、列車が到着し。
 プシューという音を立てて、自動ドアが開く。
 中は思った通り、多くの人でごった返していた。

 この中から、アンナを探すのかと迷っていたら。

「タッくん~! こっち、こっち~☆」

 と一人の少女が手を振っていた。
 アンナだ。
 しかし、彼女の周りだけ、人が少ない。なぜだろう……。
 
 あ、思い出した。
 夏に花火大会へ行った時、アンナが乗客の大半を、馬鹿力でホームに押し出したから。
 他の客が、避けているんだろう……。
 少し離れたところで、ヒソヒソと耳打ちをしているカップルがいた。

(あの子、見た目あんなんだけど、マジでやばいよ。友達が夏に膝を怪我させられたの)
(マジかよ? 普通に可愛い女の子なのに)
(ホントだって! 膝の皮がめくれて、肉が見えてたんだよ!)

「……」
 よく訴えなかったな。
 とりあえず、アンナのそばに近寄ってみる。

「よ、よう……」
「タッくん☆ 良かった。一緒の列車で☆ あ、タッくんも和服なんだね☆」
「まあな……母さんが貸してくれたんだ。そういうアンナこそ、似合っているじゃないか?」
 言いながら、彼女の着物を指差す。
「え、ホント?」
 緑の瞳を輝かせて、微笑む。
 
 
 今日のアンナは、普段と全然違う。
 ガーリーなファッションを好む彼女だが、お正月だから和服。

 鮮やかな赤の振り袖で、白い梅の花びらがたくさん描かれている。
 長い金色の髪は、頭の上で纏めており。お団子頭ってやつだ。
 足もとは、白い足袋と草履。
 
 いつもミニスカートを履いているから、今日は露出度が少ない。
 精々がうなじぐらいだ。
 しかし、その見えない所が色っぽく感じる。

 正直、後ろから襲いたいぐらいだ。
 あ~れ~! って腰の帯を回してみたいのが、男ってもんだ。
 
 俺が彼女の着物姿に、見惚れていると……。
「タッくん? どうしたの?」
「あ、悪い……その着物って、ひょっとして……」
「そうだよ、タッくんのおばあちゃんから頂いたもの☆ すごく可愛いよね?」
「うん……着物は可愛いし、似合っているんだけど」
 1つだけ、違和感を感じさせるオプションがついていた。
 彼女が手に持つ、小さなバッグ。

 俺が隠している羽織の裏地と同じく、裸体の男たちが激しい絡みを、繰り広げていたからだ。
 ばーちゃん、なにしてくれてるんだよ!
 人の女に変なものを、送りつけやがって……。

「そのバックは……」
「あ。これ、すごく便利なの~☆ 着物に合わせるバッグが無くて、タッくんのおばあちゃんに相談したら。すぐに送ってくれたのぉ~」
 俺のばーちゃんに、相談したらダメだよ。
「そ、そうなんだ……」
「スマホもお財布も入って、着物に似合うし。ホントにいいおばあちゃん☆」
「……」

 あのババア。アンナも沼に落とす気じゃないだろうな?
 よし、初詣の願い。決まったぜ。

『早くばーちゃんも、枯れますように』

 これだな。

 『次は、箱崎(はこざき)~ 箱崎駅です』

 車内からアナウンスが流れ、目的地へ着いたことに気がつく。
 乗客の大半が、初詣だったようだ。
 それもそのはず。俺たちも筥崎宮(はこざきぐう)を目指しているからだ。


 福岡県における三社参り。
 学問の神様で全国的にも有名な太宰府(だざいふ)天満宮(てんまんぐう)

 それから、近年若者から人気を得ている、宮地嶽(みやじだけ)神社がある。
 なぜ、若者から人気かというと……。
 国民的なアイドルグループが、ここでCMを撮影した際。
 その日は天気が悪かったにも関わらず。5人のメンバーが神社の参道を歩いた瞬間。
 
 近隣の海岸から、眩い光りが差し込み。
 ちょうど神社までの一本道を、神秘的な光景に変えてしまった。という伝説がある。
 そのため、CMを見たファンや若者が殺到し、お正月とか関係なく。
 平日でも多くの人で、賑わっている。
 またパワースポットとしても、人気だ。

 だから、宮地嶽神社と迷ったが、三つ目の筥崎宮(はこざきぐう)を選んだ。
 博多に近く、駅からも近い。
 あと、出店が多いことも、狙いの一つだ。
 大食いのアンナには、嬉しいことだろう。


 と、駅から降りて、アンナに三社参りの意味や、神社の情報を説明したが。
 聞いている本人はチンプンカンプンのようだ。

「えっと……今から行くのは、太宰府?」
「違うよ。筥崎宮」
「アンナ、違いがわかんない~ 福岡の歴史って、難しい~」

 散々、かつお菜のことで、熱く語ったくせに。
 興味がないものは、全然知識に入れないのか。

  ※

 駅から10分ほど、歩いたところで目的地へたどり着く。
 筥崎宮だ。

 幼い頃に母さんと何回か来たことはあったが……。
 元旦に来たことはない。

 大勢の人々で、賑わっており。
 境内に入ってみたが、どこも行列ばかりで、全然前へ進む気配がない。
 たぶんアルバイトの神子さんだと思うが、プラカードを持って立っている。

『本殿に着くまで、約45分』


「マジかよ……そんなに待たないと行けないのか」
 お賽銭して、お祈りするだけだってのに、1時間も拘束されるのかよ。
 長すぎだろ。
 
 深いため息をつくと、隣りに立つアンナが優しく俺の手を掴んだ。

「タッくん☆ 初詣、楽しみだね☆」
 テンションの低い俺とは違い、アンナは笑顔だった。
「え?」
「だって……今年初めてを、タッくんと迎えられたんだよ? これ以上、嬉しいことはないと思うな☆」
「そ、そうだが……1時間も立って待つんだぞ? 苦じゃないのか?」
「全然、嫌じゃないよ☆ どんなところでも、タッくんと一緒にいることが大切だよ☆ それにその1時間は、こうやって手を繋ごうよ☆ 恋人ぽいでしょ?」
 そう言って、繋いだ手を宙に浮かせてみる。
「ま、まあ……そうだな……」

 頬が熱くなるのを感じた。
 アンナの言う通りかもしれない。
 この待機時間こそ、恋人同士の甘いひととき……かも。

 ~約1時間後~

 やっと、俺たちの番になった。
 とりあえず、千円札を取り出し、賽銭箱へ投げ込む。
 そして、鈴を鳴らしてみる。
 しばらく来ていないから、祈り方を忘れてしまった。
 周りの人を見ながら、真似てみる。
 
 ふと、アンナの方を見てみたが。既に瞼を閉じ、手を合わせていた。
 ハーフの美少女が、和服姿なので、自然と絵になる……。

 見惚れている場合ではなかった。
 俺も瞼を閉じて、お祈りを始める。

「……」

 願い。
 今の俺には、そんなもの見当たらない。
 ミハイルとアンナのおかげで、書籍化やコミカライズも出来たし。
 一ツ橋高校に入学して、色んな奴らとダチになれた。
 これ以上、俺が望むものなど……。

 いや、一つだけあるか。
 それは、今が無くなってしまうことだ。

『今年も一年間。ミハイルとアンナがずっと隣りに、居てくれますように……』

 心の中で、そう願いを呟いた。
 しかし、神様からの返答はなし。

 ま、そりゃそうだろな。
 と瞼を開くと、目の前に大きな緑の瞳が、じっととこちらを覗き込んでいた。

「うわっ!?」
「タッくん。お祈りが長かったね? そんなにたくさんあったの?」
 どうやら、アンナの方が先に済ませたらしい。
「いや……俺の願い事は一つだけだよ」
 そう答えると、アンナはパーッと顔を明るくさせる。
「え? 一つだけなのに、ずっとお祈りしてたの? じゃあ、それだけ大きな願い事なんだよね? なに? 教えて☆」
 見透かされているような気がした。
 恥ずかしさから、俺は拒絶する。

「ダメだ! こういうのは、人に言ってしまうと願いが叶わないって、聞いたぞ」
「そうなんだぁ……タッくんのお願い。知りたかったなぁ」
 唇を尖がらせるアンナ。

 別に教える必要ないだろ。
 俺はただ……今を失いたくないだけだ。
 去年のクリスマス会。
 泣きながら会場を抜け出したあいつの顔。
 もう、あの時みたいな痛みは、ごめんだ。

 お祈りも済んだことだし、あとは絵馬とか、おみくじをするぐらいだ。
 しかし、どこも人が多く……。
 1つのことをやるために、数十分も消費するのは、ちょっと面倒。
 だから本殿から出て、出店を回ることにした。
 ちょうど、腹も減ってきたし。

 その提案に、アンナは手を叩いて喜ぶ。

「お正月の屋台って食べたことないの~ 楽しみぃ~☆」
「そうか。まあお正月だからって、特別じゃないぞ? 夏祭りと変わらないんじゃないか?」
 俺がそう言うと、アンナは俯いてしまう。
「アンナ……あんまりお祭りとか行ったことないから……毎年、ミーシャちゃんと一緒にお店の手伝いしていたから」
 いかん、墓穴を掘ってしまったようだ。
「そ、そうか。まあ、俺もここ10年以上は経験してないから、安心しろ。ほれ、あのデカい綿あめが見えるか?」

 と1つの屋台を指差してみる。
 子供向けに販売している、綿あめ屋。
 今、放送している幼児向けのアニメや特撮のキャラが、ビニールにプリントされた大きな綿あめ。
 その中には、アンナが大好きなボリキュアもいた。

「あ、ボリキュアだぁ!」
「そうだ。こういうのは、昔からあってだな……」

 言いかけて、俺は思い出してしまった。
 忘れていた……辛い過去の記憶を。

『おかあたん。綿あめが欲しい~』
『タクくん。あれより、もっと良い綿あめをお母さんが作ってあげるわよ』
『ホント!? わぁい~!』

 そして、帰宅後。
 母さんが持ってきたのは、巨大な綿あめだったが……。
 裸体のリーマンが、びしょ濡れにされていた卑猥なもの。
 しかし、無知だった俺は「おいしい」と喜び。
 母さんに「嬉しい! おかあたん、大好き!」と抱きついていた。


「はぁはぁ……なにが『大好きだ』……我が子を洗脳しやがって」
 激しいフラッシュバックで、我を忘れ、拳に力が入る。
「タッくん? どうしたの? なにか綿あめで、嫌な思い出でもあったの?」

 心配して俺に身を寄せるアンナ。
 振り袖姿の彼女を目にしたことで、理性を戻せた。
 過去におきた出来事へ、怒りを向けることなど、ナンセンスだ。
 今を楽しもう。

「す、すまんな。俺も正月なんて随分、楽しめていなかったからさ」
「そうなんだ……じゃあ、今年からアンナとお正月を楽しもうね☆」
 ニコッと微笑み、緑の瞳を輝かせる。
 彼女さえ、俺の隣りにいてくれるなら、汚れた過去など乗り越えて見せるぜ。

  ※

 早速、綿あめ屋さんで、ボリキュアをゲットしたアンナは、嬉しそうに笑う。
「大きい~ 白い~☆」
 人目など気にせず、その場でビニール袋から、綿あめを手で掴み。食べ始める。
「あま~い☆ あ、タッくんも食べる?」
「いや……俺は」
 
 気を使ってくれているのは、わかるのだが。
 素手で食べているから、彼女の手や口元は、汚れていた。
 後々が面倒だからと断ろうとしたら、怒られてしまう。

「ダメだよ! ちゃんとお正月らしいことをしようよ!」
「悪い……じゃあ、頂くよ」
「はい☆ 半分こね☆」

 アンナは手を袋に入れると、しっかり半分になるよう、綿あめを分けてくれた。
 こんなに食えないよ。
「ありがとな……」
 胃が痛くなりそう。

  ※

 その後、アンナと色んな屋台を回った。

 じゃがバターに大きなイカ焼き。
 焼きそばに、たこ焼き。
 フランクフルト。回転焼きなど……。

 彼女の腹を満たすまで、1時間以上かかった。

「あ~ 美味しかった☆ デザートが無くて寂しいけど……」
 
 えぇ……。綿あめと回転焼きはデザートとして、カウントされないの?
 相変わらずの暴食ぶりにドン引きしていたら、アンナの身体に異変が起きた。

「へっちゅん!」

 随分と控えめで、可愛いくしゃみだと思った。

「どうした? 風邪でも引いたのか?」
「ううん……きっと、外でずっと立ち食いしちゃったからだと思う。身体が冷えちゃって」
 言いながら、自身の肩をさするアンナ。
 これは見ていて、さすがにかわいそうだと思ったので。
 俺は着ていた羽織を脱ぎ、彼女の肩に着せてあげる。

「え、タッくんが寒いでしょ? いいよ、気にしなくて」
 断ろうとするアンナを、俺はきつく注意する。
「ダメだ。ちゃんと着ておけ。俺なら大丈夫だ。この着物はウール製だから、そんなに寒くない」
「そ、そっか……なら甘えちゃおうかな」

 頬を赤くし、俺の着ていた羽織りを大事そうに両手で抑える。

「タッくんの匂いがする。暖かい☆」
 え? そんなに臭かったかな?
「嫌じゃないのか」
「うん☆ タッくんのお家って感じがする☆」
「……」

 なんか、それ。
 うちがBLまみれで臭そうって、思われているような。

 だが、俺はこの時。大事なことを忘れていた。
 すれ違う人々の声で、それに気がつく。

「おい。あれってさ。BLだろ?」
「なんで、男が背中にイッてるイラストをのっけているんだよ……キモすぎ」
「あの子。なんなのよ! めっちゃ神がかっているじゃん! どこで売っているのあれ?」

 最後、ただの腐女子じゃねーか。
 それから、俺はずっと我慢するのみであった。
 可愛いアンナを暖めるため、自分の羞恥心など無視しなければ。

 お正月から、最悪な展開だよ!
 やっぱうちの環境だと、こういうのからは、逃れられないのかな……。

 ばーちゃんがデザインしたBLイラストのせいで、辺りにちょっとしたギャラリーが出来てしまった。
 俺を見ているわけではない。
 あくまでも、俺の背中。
 着物の中でイカされた漢に、注目が集まっている。

 その人だかりを見て、アンナも驚いていた。
「え? なにこれ……みんながこっちを見てる」
「すまん。どうやら、俺の着物が気になるようだ。ほら、背中にばーちゃんが、イラストを刺しゅうしたからさ……」
 彼女に背中を見せてやると、「あぁ~」と納得していた。
「タッくんのおばあちゃんって器用だもんねぇ。すごいよ~ マネできな~い☆」
 あなたは真似しなくていいです。絶対に。

 
 最初の頃は、ノンケじゃなかった……一般の人々。
 耐性のない人たちが、それを見て言葉を失ったり。吐き気を催すこともあった。
 しかし、噂を聞きつけた一部の女性陣が、スマホを持って撮影会を始めやがる。

「すごい! 神絵師!」
「これ……どこかで見たことなかったけ?」
「Oh my God!! Isn't that a phoenix?」
(なんてことだ! あれはフェニックスじゃないのか?)


 ん? 最後の人って、外国人か?
 あ、そうか。きっと遠い国から、日本へ旅行に来たというのに……。
 お正月から汚いものを見せられて、ショックを受けたんだろう。

 悪いことをしたなと、振り返ってみると……。

 背の高い白人男性がこちらを指差して、口を大きく開いていた。
 かなり驚いている様子で、隣りにいたパートナーの女性の肩を激しく揺さぶる。

 何が起きた分からない金髪の女性が、男性の指さす方向に視線を合わせると。

「It's God……」
(神だ……)

 二人して、手で口を塞ぎ。お互いの顔を確かめている。


 一体、何が起きたんだ……と思っていたら。
 白人の男性が、こちらに近づいてくる。

「あの……チョット。良いデスか?」
 カタコトだが、日本語を話せるようだ。
「はい? なんでしょう?」
「そ、その……着物デスが。どこで買ったのデスか?」
「へ?」
「ワタシたちは、アメリカから旅行に来ました。クリスマスをコミケで祝おうとしたからデス」
「はぁ……」
 なんだよ。アメリカからやって来たオタクくんじゃん。
 ったく、ビビらせんなよ……。
 
「あなたの着物。フェニックスのデスよね?」
「え、フェニックス……?」

 それを聞いて、すぐに察した。
 ばーちゃんの和服って、海外のお客さんにも売っているんだった!
 店の名前も『腐死鳥(フェニックス)』だし……。

  ※

 白人男性の彼から、ばーちゃんのブランドが、母国で大人気だと教えてもらった。
 粋な着物に卑猥なイラストが、プリントされているのが斬新で。バカ売れしているらしい。
 それで、彼の隣りに立っている女性は、アメリカの腐女子らしく。
 コミケのあと、初詣に筥崎宮へ来たら、俺の着物に目がいったそうだ。

 やっぱアメリカにもいるのか……腐女子って。

「それで、どこに行けば。買えますデスか?」
 彼氏の方は日本語を話せるようだが、彼女さんは無理みたいだ。
 ニコニコと笑ってはいるが、俺の答えを黙って待っている。
「あ、えっとですね……」
 俺が孫だということは伏せて、説明を始める。

 中洲(なかす)川端(かわばた)の商店街に行けば、ど真ん中にあるし。
 看板も派手に『腐死鳥』と書いてあるから、間違えることはない。と伝えた。

 それを教えると、彼氏さんは大喜び。
「ありがと、ございます! あなたはホントーに優しいデスね! わたしたち、ついてます! BL界のシテンノウがひとり。”キクのモンドコロ”に会えるのデスから!」
 それを聞いた俺は、頭が真っ白になる。
「え……あの、今BL界の四天王って言いました?」
「ハイ! アメリカでも有名なインフルエンサーなのデェス! BLグッズを作らせたら、世界一の人デス!」
「……」

 BL界の四天王。
 もう一人は、うちのばーちゃんだった……。

 聞いてもいないのに、彼氏さんはスマホを取り出し、自身のフォローしているインスタを見せてくれた。
 確かに『腐死鳥 phoenix』という名前で活動している。

 しかしだ……四天王の名前だよ。
 娘がケツ穴 裂子。
 母親が、菊の紋所って酷すぎだろ。

 ただの下ネタじゃねーか!

 ツボッターで検索したら、すぐにヒットした。
 フォロワーも500万人を超える、世界的な有名人。
 我が家から、どんだけの恥部を晒す気なんだ……。
 これ以上、デジタルタトゥーばかり、生み出すのは止めて欲しい。
 
「はぁ……」
 うなだれる俺とは対照的に、アンナは嬉しそうだ。
「タッくんのおばあちゃん。有名人なんだね☆ なんだか自分のように嬉しいな☆」
「ははは……そ、そうだね……」

 アンナの前では、気丈に振舞っていたが。
 どうしても、気持ちの整理がつかず。
 彼女に一言。「トイレに行きたい」と伝えて、その場を離れる。

 トイレの個室に駆け込むと、ひとりで壁を殴りながら、泣き叫ぶ。

「クソがぁっ! なんで、俺ばかりこんな目にっ!」

 このあと、落ち着くために、30分を要した。

 色々と問題はあったが……。
 アンナとの初詣は、どうにか無事に終わりを迎えた。
 故郷である真島駅へ列車がつくと、和服姿の彼女に手を振る。

「またな、アンナ」
「うん☆ 今日すごく楽しかったよ。改めて、今年もよろしくね☆」
「ああ、また今年もたくさん取材しような」

 バイバイとは言わず、お互い笑顔で手を振る。
 別れが惜しいけど……少しぐらいは我慢しないとな。

 彼女が乗る列車は発車し、その姿が小さくなるまで、手を振り続けた。

「さ、俺もそろそろ帰るか」

 ここでアンナとの余韻を、楽しむつもりだったが……。
 我が家へ帰るってことはまだ親父がいるんだ。
 もう夕方だし、さすがに夫婦の時間。終わってるよね?

  ※

 自宅の裏側に回り込み、玄関のドアに手をやる。
 恐る恐るドアノブを回すと、中から男の声が聞こえて来た。

「あぁ~ いいよぉ~ 琴音ちゃん!」

 親父の声だ……まさか、商売道具である美容院を使って、プレイ中なのか?

「やっぱりの琴音ちゃんが一番だわ~」
「もう六さんたら、いつもそう言ってくれるけど。他の人に浮気してないの?」
「するわけないだろ……こんなテクは琴音ちゃんだけなんだから、ああっ!」

 親父の喘ぎ声を聞いた俺は、即座に店の中へと駆け込む。
 そこは腐っても、普段お客さんが、母さんに髪を整えてもらう場所だから。

「おい! あんたら、いい加減にしろよ!」

 威勢よく、怒鳴り込んだのは良かったが。
 俺が目にした光景は、予想していたものとは全然違う。
 母さんが痛いBLエプロンを着て、親父の長い髪をハサミで切っていたから……。

「おう、タク。おかえり。アンナちゃんだっけ? 初詣どうだった?」
 ケロっとした顔で、そう言う親父。
「ああ……うん。楽しかったよ」
「そうか。なら良かったぜ。俺の着物も似合ってんじゃねーか。へへへ、初孫を期待してっからな!」
 このクソ親父。
 アンナとは、お孫さんを作れません。


 そのあと、母さんから事情を聞くと。
 どうやら親父は、普段髪を切らないらしい。
 ヒーロー業が忙しく。金もないため。
 長い髪は放置して、ああなったようだ。

 そして、もう一つ。
 夫婦の間にルールがあるようで、母さん以外の美容師には、髪を切らせないそうだ。
 だから、たまに帰って来た時。
 母さんがしっかり短く整えるのだとか。
 でも、また帰ってくるころには、肩まで伸びているだろう。

 変わった夫婦だな。

  ※

 部屋に戻り、着物を脱いで、部屋着に着替える。
 パソコンを起動し、今日収穫した和服アンナの写真を整理する。

「またフォルダが、一つ増えてしまったな……」

 これで脳内における「あ~れ~」劇場が楽しめるというものだ。
 そう思うと、笑いが止まらない。

 鼻息を荒くしながら、モニターを眺めていると、机の上に置いていたスマホが鳴り始める。
 相手がアンナだと思い込んでいた俺は、名前も確認せず、電話に出る。

「もしもし? アンナか? 今日は楽しかったな」
『……』
 ん? どうしたんだ。黙り込んでいる。
「おい、アンナ。どうした? やはり身体を冷やしたのか?」
『身体を冷やしたですって……?』
 普段、優しく話してくれる、愛らしいアンナの声ではなかった。
 今にも凍てついてしまいそうな、冷えきった声。

「え……アンナじゃないのか?」
 恐る恐る、スマホを耳から離し、画面を確認したら。
 着信名はマリアだった。
 気がついた時には、もう既に遅かった。

『身体を冷やしたって……タクト。あなた、まさか元旦から、ラブホテルへ行っていたの!?』
 酷い誤解をされてしまったようだ。
「ち、違うぞ! 断じて、そんなことはしていない! その……アンナとは、初詣に行っていただけだ」
『初詣ですって? どうせ、あのブリブリアンナだから、露出度の高いミニスカとかで行ったんでしょ?』
 アンナに対するイメージって、そんなにアホっぽいの?
 ちゃんと、和服を着ていたけどなぁ……。

 
「と、ところでマリア。一体、何の用だ?」
 俺がそう問うと、彼女は怒りを露わにする。
『なにがですって!? それは、タクト。あなたがやった大罪のことに決まってるでしょ!』
 随分、興奮しているようだ。声が震えている。
「え? 俺がマリアに? なにかしたのか?」
『とぼけないで、ちょうだい!』
「いや……本当に言っている意味が、わからないのだが」

 マリアの怒っている理由がわからないので、謝罪するにもできない。
 その態度が、更に彼女を興奮させてしまう。

『まだわからないの!? あなた、去年ラブホテルに2回も行ったそうじゃない!?』
「え!? なんで……そのことを」
『全部、タクトの小説に書いてあったわよ! 忘れたの!?』
「あ……」
 
 ヤベッ、去年に同時発売された”気にヤン”の2巻と3巻のことだ。
 3巻はただの腐女子が成り上がるだけだから、放っておいて……。

 問題は、2巻だ。
 2巻の内容は、サブヒロインである赤坂 ひなたをメインキャラとして、登場させた。
 見せ場として俺が、三ツ橋高校の福間 相馬から、彼女を助け出し。
 事故とはいえ、ラブホテルに入るというシーンがある。
 まあ、ラストにアンナと一緒にコスプレパーティーをするのだが……。

「その、あれはちょっと色々あってだな……」
『タクト。言ったわよね? ホテルでそういうこと、したことはないって。あれは嘘だったの!?』

 これは、しくじった……。
 作品をリアルに仕上げるため、起きた出来事を細かく書いたつもりだ。
 しかし、それが墓穴を掘ってしまうとはな。
 
 だが、俺はひなたやアンナと、大人の関係に至っていない。
 あくまでも、ラブホテルへ入っただけだ。
 だって、まだ童貞だもん。お尻の処女は、リキに奪われたけど……。

「待ってくれ、マリア。確かにラブホテルへ行ったことを黙っていたが……何もしていない。ひなたは事故で、アンナとは取材だ」
 言っていて、苦しい弁解だと思った。
『ラブホテルへ行って、何もしないカップルなんているの?』
「そ、それは、比較する相手がいないから、分からんが……」
『ふ~ん……』
 電話の向こう側で、眉間にしわをよせるマリアの顔が想像できる。


『まあ、いいわ。なにもしていないようだし……』
「そ、そうか! なら今度、どこかへ取材に……」
 と言いかけたところで、マリアが俺の声を遮る。

『そうね。婚約者である私を差し置いて、ラブホテルへ行ったことは許さないわ。だから、記憶の改ざんをしましょう』
「へ?」
『明日、私とラブホテルへ行きましょう♪』
「ウソでしょ……」

 もちろん、拒否権はなかった。

 まだ”三が日”の二日目だというのに。
 朝早くから、電車に乗りこみ……博多へと向かっている。

 今回の目的は、取材なのだろうか?
 正直、博多にこだわらなくても、良い場所だ。
 だって、ラブホテルだもの。
 田舎でもあるだろうに。

 去年、俺がひなたやアンナとラブホテルへ行った……と作品に書いてしまったため。
 マリアが例の如く。記憶の改ざんを行うため、三度同じホテルへ行くことになった。

 なにが楽しくて、童貞が3回もラブホテルへ行くんだ……。

 そう思いながら博多駅の中央広場へと向かう。
 説明は不要だと思うが、一応……黒田節の像で、待ち合わせすることになっている。

 ジーパンのポケットから、スマホを取り出すと。
 何件かメールが入っていた。
 ミハイルからだ。

『タクト。お正月を楽しんでる? オレはね、今勉強しているの☆ ほら、もうすぐ一ツ橋高校の期末試験じゃん? だから、返却されたレポートを頑張って覚えているの☆』

「ぐっ!?」

 その文章を見た瞬間、胸に激しい痛みを覚える。
 罪悪感からだ。

 アホのミハイルが、お正月だというのに。
 期末試験の勉強だと!?
 昨年と違い、めっちゃ真面目になってる。

 きっと……俺と一緒に卒業したいから、苦手な勉強を頑張っているんだろう。
 まあ、天才である俺は、あんな動物園の試験なんて、予習復習する必要はない。
 しかし、そんな頑張っているミハイルを思うと。
 今から行く場所に、ためらいを感じる。

 とりあえず、ミハイルのメールに返信を送ることにした。
『正月から偉いな。そんなに頑張っているなら、今度の試験は良い結果になるかもな』
 それに対して、すぐに彼から返事が届く。
『ホント!? じゃあ、頑張る☆ タクトはなにしているの? 勉強?』

 いかん、この回答に失敗すれば、ミハイル……いや、アンナがホテルへ襲撃に来るはずだ。
 それだけは阻止せねば……事件になりかねない。
 言葉を選び、慎重にメッセージを打ち込む。

『俺はミハイルが作ったお雑煮とおせち料理で、お腹がいっぱいだ。それでちょっと休んでいる』
 うむ。これならば、彼が不快な思いをしない。
 尚且つ、マリアの存在も隠せる。
『そっか~☆ タクトがひとりで食べちゃったんだぁ☆ じゃあまた来年も作るよ☆ お腹を横にして休んだ方がいいよ。またね、タクト☆』

「よし……今回は大丈夫だ」

 小さく拳を作って、勝利を確信する。
 いや、恐怖が薄れたにすぎない。
 背後からマリアを刺す……恐れがあったからな。

  ※

「ごめんなさい。待たせでしょ?」

 視線を上げると、ひとりの少女が目の前に立っていた。

 金色の長い髪に、宝石のような碧い瞳。
 こちらをじっと見つめて、笑みを浮かべる。
 待っていた人間が、俺だと分かったからだろう。

「いや、そこまで待ってないさ。マリア」
 彼女の名前を口に出すと、嬉しそうにする。
「ふふふ。ごめんなさいね。ちょっと寝ぐせが直らなくて……」
「ほう。俺は別に髪型なんて、気にしないが」
「私が気にするのよ! タクトって本当にデリカシーがないわね!」
 
 笑ったと思ったら、怒ったよ……。
 なんで?


 今日のマリアも、ファッションは普段と変わらず。
 黒を基調としたシンプルなデザインのワンピースを着ている。
 胸元には、白い大きなリボン。
 細くて長い脚は、白のタイツで覆われている。

 まあ真冬なので、上着として、ファーコートを羽織っているが。

 しかし、あれだな。
 アンナとは違い、なんというか色合いがシンプルで、つまらない。
 それでいて、毎度同じ服を着ているような……。

 俺はその疑問をマリアにぶつけてみた。

「なあ……気になることがあるのだが、聞いてもいいか?」
「え? タクトが私に質問なんて……珍しいわね。良いわよ、なんでも聞いて♪」
 そう言って、胸を張るマリア。
 ノーブラだから、トップが透けてしまいそう。
「あのさ。お前ってなんで毎回、同じ服を着ているんだ? 1着しか持ってないのか?」
 俺がそう言った瞬間、整った彼女の顔がグシャっと歪む。
「はぁっ!? 私がそんな貧乏に見えるの!? 失礼ね! こう見えて、アパレルブランドの社長よ! ファッションには気を使っているわ!」
 また怒られてしまった。

「しかしだな……俺から見るに、同じ色のワンピースを、着ているように見えるのだが」
「それは、タクトの目が腐っているからよ! 分かる人には分かるの!」
 確かに俺は、ファッションには疎い。
 でも、素人から見ても、同じ服にしか見えない。

「じゃあ……同じように見えても、全然違うファッションなのか?」
「そうよ! こう見えて、私は自分でデザインした服を着ているの。モデルもやっているわ。だから宣伝も兼ねて人気の商品を、自ら着て歩いて回るのよ」
「つまり、今一番人気な商品だから、着ているということか?」
「ええ。今着ている服も全て、売れているベスト5から決めたわ!」
「なるほどな……」

 でも、その考えだと。
 売れ行きによって、自身のコーディネートがランキングで固定されるんだろ?
 じゃあ、変動がない限り、同じ服じゃんか。

 なんか前にもこんな話を、誰かとしたような……。
 あ、退学した制服を大量に購入し、着回している北神 ほのかと話した時か。
 俺は年がら年中、タケノブルーだけ着ているから、関係ないね。
 このブランドだけで良し。俺はマリアと違う。

「また……ここに来てしまったのか」

 思わず、口にしてしまう。
 だって去年から、何回お世話になったことか……。

 俺がいつも食べている、とんこつラーメン屋。博多亭の目の前にあるビル。
 恥ずかしくて、ホテルの名前を確認する余裕はなかったが。
 今日、マリアから教えてもらい、初めてその名を知る。

 ラブホテル、チャンバラごっこ。
 そっち界隈も入室OKということだろうか?

 まだ入口の前だが、もう雰囲気が違う。
 こう、なんというか……ピリっとした空気というか。
 う~ん。この中でカップルが裸同士、ガチンコバトルを繰り広げているからか?

 自動ドアの前に立ったものの、なかなか中に入らない俺を見て、マリアが痺れを切らす。

「タクト? なんで入らないの?」
「いや……この前は偶然とか、事故に近いものだったから……緊張しちゃって」
 俺がそう言うと、彼女は「情けないわね」と首を横に振る。
「今日はもう、私がネットで予約しているから、いいのよ! ほら、早く」
 マリアに手を引っ張られ、ホテルの中へ入ることに。

  ※

 彼女が言った通り、ネット上で部屋を予約しているようで。
 最上階のフロアをほぼ貸し切り状態。
 いわゆるVIPルーム。休憩だけで、1万円もする。
 それでも、マリアは躊躇なく、この部屋を選んだ。
 こだわる理由は、以前俺がアンナと利用したから……。
 
 俺が財布を出す前に、気がつくとマリアは受付に声をかけていた。
「すいません。予約していた冷泉ですが、一泊お願いします」
「かしこまりました。宿泊のご利用ですね?」
「はい」

 受付で支払いを済ませようとするマリアを見て、俺はすかさず止めに入る。
「お、おい! なんで、宿泊するんだ? 休憩で良いだろ?」
「え? なんでよ? ホテルなんだから、一泊するに決まっているじゃない」
「それは普通のホテルだろ……」

 ダメだ、この人。
 ラブホテルというものを理解していない。
 一応、マリアもお嬢様だからな。
 ご休憩て意味を知らないのも、仕方ないか……。


 エレベーターに乗り込み、最上階へと向かう。
 ここまでのマリアは、至って自然体というか、余裕たっぷりといった感じだった。
 しかし、肝心の部屋へたどり着き、ドアノブを回すと、大人の空間が彼女を一気に飲み込んでしまう。

 豪華なシャンデリアに、鏡張りの天井と壁。
 なぜかスロット機が2台。それに大型テレビが1台。
 ベッドの近くには、謎のスイッチがたくさん並び。
 そして、ティッシュと“大事なもの”が置いてある……。

「「……」」

 二人して、部屋の真ん中で固まってしまう。
 アンナの時は、勢いだったからな。

「へ、へぇ~ 大したことないじゃない……ラブホテルと言っても」
 そう強がっているが、声が震えまくっている。
「なあ、マリア。今からでも良いから、やめないか? もっと10代の恋人らしい……初詣とかに変更しないか?」
 俺がそう言うと、彼女の整った顔がグシャっと歪む。
「イヤよ! ここでアンナと遊んだんでしょ? 作品にも書いてあったわ。コスプレとジャグジーが気持ちよかった☆ ってね!」
「あれは……」
「フンッ! 良いわ。あのブリブリ女との違いを見せてあげる!」

 ここは黙って、彼女の言うことを聞こう。

  ~10分後~

「はい、タクト。お口を開けてぇ。あ~ん♪」
「あーん」
「どう? 美味しい?」
「うん……まあまあだね」

 大人のホテルへ来たのだから。
 女のマリアが小さなお口を開けると、思っていたが……。

 彼女が用意してきた弁当のおかずを、無理やり、口の中に放り込まれる。
 白くてやわらかい……目玉焼きだ。

 ベッドの上に二人で仲良く、膝と膝をくっつけ座っている。
 しかし、やっていることと言えば、別にラブホテルで行うことではない。
 公園で良いレベル。

「ほら~ タクト。まだまだ、お代わりがあるからね♪」
「……」

 そのお代わりが問題なんだよ。
 弁当箱にビッシリ詰められた白米……の上には、大きな目玉焼きが、4つ並んでいる。
 他におかずは、何もない。
 黄身以外、全部真っ白。

 マリア曰く、目玉焼きに関してはプロレベルだそうだ。
 作り始めて早10年以上……半熟、完熟。サニーサイドアップやターンオーバー。
 どれも失敗することなく、綺麗に焼き上げることが可能らしい。

 なんだろう……すごいデジャブを感じる。
 あ、俺じゃん。
 俺も玉子焼きしか、作れない。
 似た者同士だ。
 しかし、スペックで言えば、男のミハイルが勝っている。

「なあ、マリア。お前、本当に目玉焼きしか作れないのか?」
「ええ。もちろんよ。勉強や闘病生活で忙しかったから、これしか作れないの」
「そ、そうか……」

 アンナのことは、黙っておこう。
 色々とかわいそうだ。

「タクト。そろそろ飽きてきたでしょ? 味を変える? しょうゆとソース。塩コショウも用意しているわよ♪」
「じゃあ……しょうゆで」
「私と一緒じゃない~ 良かったぁ。白米にはしょうゆが合うわよね♪」
「うん……」

 このあと、目玉焼きの食い過ぎで、吐きそうになった。

 マリアによる記憶の改ざん。
 それは俺が体験した過去を、自らの手で変える。
 いや、消してしまいたい……という彼女の願望だ。

 しかし俺という人間は、起きた出来事を、忘れることが出来ない。
 衝撃が強ければ、強いほど永遠に記憶から消すことは、不可能。

 昨年、このラブホテルでアンナと楽しんだコスプレパーティー。
 最高だった……。
 今でも、あの時に撮影した写真や動画は、パソコンで楽しんでいる。

 あれを越える映像は、なかなかお目にかかることはない……。

『だって、どうせそのメイドさんもかなりのミニだからパンツ見えちゃいそうだし……水着なら見えても平気だから……』

 ベッドに腰を下ろし、膝を組むマリア。
 片手には、ついこの前発売した俺の作品。“気にヤン”の2巻を持ち。
 当時のセリフを音読し、再現しようとしている。

『ならば、依頼しよう。俺は見たい』
『じゃ、じゃあちょっと待ってて……』

 俺とアンナの会話を読み上げたところで、マリアの整った顔がグシャっと歪む。

「バッカじゃない! これ、性行為をしていないだけで、ほぼ大人の関係よ! あなたたち、付き合ってもないのに……こんな卑猥な行為をしてたいの!?」
 怒りの矛先は、俺に向けられてしまう。
「ま、まあ……この時はその。あれだ。初めての体験で、どうにかしていた……というか」
「じゃあ、なんで。タクトはのりのりでコスプレを撮影しまくったのよ!? 事実なんでしょ?」
「うん……」

 確かに、彼女の言う通りだ。
 起きた出来事を、ほぼ忠実に小説として発表しているから、嘘偽りはない。

「じゃあ、私もアンナみたいなコスプレをしたら、タクトはドキドキして……。興奮するってわけね!?」
「え?」
「ブリブリ女に興奮できたのだから、婚約者の私がメイドさんになれば、タクトは興奮のあまり、襲い掛かるわ!」
「はぁ……」

 俺ってそんなイメージを持たれているの?
 マリアも何気に酷いな。

  ※

 怒りのあまり、我を忘れるマリア。
 しかし、ここは彼女の言う通りにしないと、満足してくれないだろう。
 とりあえず、以前に利用したコスプレを、フロントに電話して、部屋に持ってくるように頼んだ。

 だが、アンナという存在は、レベルが違う。
 あくまでも、架空の人物であり、俺が理想とする女子……。
 それをミハイルが、完璧に演じている。

 普段から、恥ずかしがる彼が、女装することで。
 積極的な性格になり、俺の望むまま、カノジョとして振る舞う。
 だからこそ、過激なコスプレも着られたのだと思う。

 俺はそれを知っているから、不安に感じ。
 マリアに「無理はしないでくれ」と伝えたが、興奮している彼女には、火に油を注ぐようなものだ。

「大丈夫よ! モデルをやっている私が、着られない服なんてないわ!」

 ~10分後~

 チャイムが鳴り、ドアを開けると、ハンガーを2つ持った陰気なおばさんが立っていた。
「どうぞ……」
 ボソッと呟くと、足早に去っていく。

 ハンガーを受け取った俺は、部屋に戻り、マリアに手渡す。
「これが、アンナが着たコスプレだ」
 ハンガーは2つとも、薄い布で覆われていた。中を確認できない。
 しかし、俺は昨年見ているから、中身を知っている。
「ふ~ん。これがね、ちょっと中を見て良いかしら?」
「ああ……」
 
 マリアは、ハンガーをベッドの上に2つ並べてみる。
 しかし、布を取った瞬間。顔の色が真っ青になってしまう。

「な、なによ。これ……」
「メイドさんと、スクール水着の90年度版だ」
 と俺が説明してみる。
 それを聞いたマリアの肩は、小刻みに震えていた。

「これをアンナが着たの……?」
「ああ。間違いない」
「クッソ、ビッチじゃない!」
「……」

 だってそういうホテルだもの。
 大人の関係になるところだから、興奮を高めるグッズだし。

 プライドの高いマリアだ。
 確かに彼女の言いたいことも分かる。

 メイド服はサテン製で、ピンクのフリフリ。
 かなりのミニ丈だから……履いたら、パンツが見えてしまうだろう。
 それもあって、アンナはスクール水着を、中に着ていたのだ。

「こ、こんな……ミニだと。外を歩けないじゃない!?」
「いや、室内で着るものだから」
 俺の的確なツッコミに怯むマリア。
「じゃあ、どうしたらいいのよ? 結婚前なのに、タクトへ全てを捧げたらいいの?」
 誰もそんなことは、言ってないのだがな……。
 マリアも、想像力が豊かだ。
 
 咳払いをした後、アンナがやったことを説明する。
「あくまでも経験談だが……中にスクール水着を着れば、見えても安心。らしいぞ」
「そ、それをあのブリブリ女が言ったのね……いいわ! 上等よ! 私だって着こなしてみせるわ!」

 そう言うと、マリアは2つのハンガーを持って、奥の更衣室へ向かった。
 マジであれを再現するのか……。

 ~20分後~

「ま、待たせて……ごめんなさい」

 更衣室の扉が、スッと開く。
 そこには、昨年出会った可愛らしいメイドさんが立っていた。
 アンナと瓜二つ。

 頭には、プリム。
 胸元がザックリと開いたミニ丈メイド服。
 太ももを覆うオーバーニーソックス。
 完璧な再現。

 唯一、違うところは瞳の色。
 エメラルドグリーンではなく、ブルーサファイア。

「ど、ど、どう……?」
「ああ。似合っているよ」

 顔を真っ赤にさせて、俯いている。
 視線をこちらに合わせることが、できないようだ。
 よっぽど、恥ずかしいのだろう。

「そ、それで……このあと、どうするの?」
「えっと、俺がスマホで撮影するから、ポーズをとってほしい」
「どういうポーズ?」

 俺が身振り手振りで、アンナがやったポーズを説明する。

 お辞儀をして。
『おかえりなさいませ、旦那様』
 ネコのポーズをして。
『にゃ~ん☆』


「ま、こんな感じだな」
「……」
 俯いたまま、小さな肩を小刻みに震わせるマリア。
「じゃあ、撮影するか。とりあえず、メイドさんから……」
 と言いかけたところで、マリアが頭につけていたプリムを、床に叩きつける。

「バッカじゃないの! こんなアホ丸出しの女を、私がやれるわけないでしょ! 極めて不愉快よ!」
「……」

 じゃあ、昨年の俺たちは、アホだったんでしょうか?