試合開始から、約30分が経とうとしていた。
両者一向に引けを取らない。
全てが互角だった。
あの馬鹿力のミハイルと、同等に戦える人間……いや、女がこの世にいたとは。
宗像先生はカウントしてない。あれは中身がオッサンだから。
「んぐぐぐっ……」
ミハイルの額からは、たくさんの汗が流れ出る。
それだけ、彼が本気だってことだ。
対するマリアも同様だ。
顔を真っ赤にして、相手の腕を倒すことに、全神経を集中させている。
「強いわね……」
このままでは勝負が終わることがない……そう思っていた。
だって、体格も力も全てが同じならば、引き分けしかない。
持久戦だとして、スタミナでさえ互角なら、どちらも勝てるとは思えない。
参ったなぁ、と後ろからミハイルを眺めていると……。
マリアが苦しそうに話し始めた。
「あのね……良いことを、教えてあげるわ」
「は? 試合中だゾ……」
「あなた、あのブリブリ女のいとこでしょ? タクトの……小説で。あれが初めてのデートと、書いてあったけど。本当は違うわよ」
「なっ!?」
マリアの言葉に一瞬だが、力を緩めてしまうミハイル。
「ど、どういうことだよ!?」
「本当の初めては……私よ」
口角を上げて、怪しく微笑むマリア。
そうか、マリアのやつ。
力では勝てないと踏んで、心理戦に持ち込むつもりか。
『初めて』を重んじるミハイルにとっては、辛いだろうな。
「はぁ!? タクトはアンナと初めて『しろだぶし節』の像で、待ち合わせて。それからカナルシティで映画を観て。“キャンディーズ”バーガーで食べた後、博多川でカノジョ候補になったんだゾ!」
大きな声で過去を遡るのは、やめてくれるかな?
クラスメイト全員が、聞いているんだよ。
あと君は、いい加減に『黒田節の像』と覚えなさい。
「それ、全部。10年前にタクトが私へしたことよ? 小説の中でアンナは初めてだとか、喜んでいたからね……いとこに伝えておいて。『あなたは2番目よ』ってね」
と意地悪くウインクしてみせるマリア。
「こ、このっ!?」
怒りの余り、ミハイルは席から立ち上がりそうになる。
しかし、試合中だということを思い出し、腰を下ろす。
この間、彼の体勢は大きく崩れ、隙が生まれてしまう。
マリアはこれを狙っていたのだろう。
だが、まだミハイルに勝つには、更なる追い打ちが必要なようだ。
「あの作品でタクトが行ったデートのルートはね。私たちの定番だったわ。彼は、私という記憶を封印していたから、無意識のうちにやっていたみたいね」
「う、ウソだっ!」
「本当よ。疑うなら、タクトに聞いてごらんなさい。それとも、これから彼が描く『過去』を読んでみることね。そうすれば、真実だと分かるわ」
「そんな……」
マリアのやり方は、汚い……だが、事実だ。
逃れられない過去。
10年前はミハイルやアンナなんて、いなかったから、ただの友達として付き合っているつもりだった。
彼女からすれば、そういう風に見られても仕方ない。
それに……マリアの言う通り、俺は無意識のうちに昔のデートをアンナにさせていたんだ。
黒田節の像、カナルシティ、ハンバーガーショップ、博多川。
全て、子供のころにマリアと初めて体験した場所。
思い出だ。
多分、マリアに出会っていなかったら、俺はあの場所へアンナを、連れて行くことはない。
というより、そんな発想すら思いつかないだろう。
対戦しているミハイルは、きっと大ダメージなのだろう……。
だが、離れて見ている俺も何故か、心がえぐられるような胸の痛みを感じる。
これは罪悪感……なのか。
「タクトは許してあげて。私以外、女の子との交流経験がないから。それで、私と似ているアンナを代用したのかも……ね。10年間、私を死んだと思っていたみたいだから」
そうマリアが言い終える頃。ミハイルは項垂れて、黙り込んでいた。
腕に力を入れるどころか、座っているのもやっと……というぐらい憔悴しきっていた。
「アンナは……おまえの、マリアの代わり?」
「そればかりは、彼に聞かないとわからないけど……。私からすると、そう見えるわね。もう私が日本へ戻ってきたのだし、代わりは要らないと思うのだけど?」
「いらない?」
「ええ、そうよ。もう私の代わりはいらないはず。だって、ちゃんと帰ってきたのだから、本当のメインヒロインがね」
「そ、そんな……アンナが。おまえの代わりだったのか……?」
気がつくと、ミハイルの瞳からは、大きな涙がポロポロと零れ落ちていた。
そして、試合中だというのに、視線をこちらに向けて、唇をパクパクと動かす。
何かを俺に伝えたいようだ。
しかし、ショックが大きすぎて、ちゃんと喋ることができない……。
「た、タクト……ウソでしょ?」
子供のように顔をくしゃくしゃにして、泣き出すミハイル。
俺はそんな彼を見て、胸に大きな矢が突き刺さったような激痛を感じた。
「ミハイル……すまん、本当のことだ」
観客席から覇気のない小さな声で呟いた。
正直、周りの生徒たちの耳にも聞こえたか、分からないほど。
それでも、ミハイルは俺の表情を見て、なにかを悟ったようだ。
「アンナは……代わりだったの?」
その時だった。バタンと何かが倒れる音がしたのは。
マリアがついにミハイルの腕を、机へ叩き落としたのだ。
時間はかかったが、心理戦は効果てきめんのようで、大ダメージを食らった。
「勝者、冷泉マリア! 女子部門の優勝者は冷泉だ!」
宗像先生が試合終了の合図を叫んでいたが、俺とミハイルだけはずっと固まっていた。
試合の結果に落ち込んでいるわけじゃない。
俺たちの……アンナとの初デートが、2番目だったということが……。
ショックだったんだ。お互いに。
アームレスリングの優勝者が決まり、クリスマス会も終わりを迎えようとしていた。
最後にみんなで黒板の前に立ち、集合写真を撮ろうと宗像先生が提案する。
各自、まとまりの悪い集まり方で……。
先生に言われた通り、真面目に黒板の前に立つ者もいれば、床の上であぐらをかく者もいる。
こういうところが全日制コースと違い、集団行動が苦手と分かる。
宗像先生が今時、なかなかお目にかかることがない、インスタントカメラを持ってきた。
一生懸命フレームに収まるよう、撮影に必死だ。
ガニ股になってまで、位置を測っているから、紫のレースパンティが丸見え。
一応、先生も頑張っているので「しんどっ……」とは、言えなかった。
それよりも、今の俺にとって……一番辛いのは、隣りに立っているマブダチのことだ。
涙こそ枯れたものの、マリアの語った過去を未だに引きずっている。
そして、彼の心理ダメージは、計り知れない。
黙り込んで俯いているミハイルを見て、心配になり声をかける。
「なあミハイル……だ、大丈夫か?」
しかし、彼は何も答えてくれない。
というより、喋る気力がないように見える。
「……」
これはかなりの重傷だ。
そう思っている間に、集合写真の撮影は終わってしまったようだ。
俺もそうだが、ミハイルも目線は、きっとカメラに向けられなかっただろう……。
だが、これでようやくクリスマス会も終わりだ。
この後、一緒に電車でミハイルと帰れる。
2人きりになれば、話題を変えて彼をフォローできるかもしれない。
しかし、次の瞬間。
宗像先生から衝撃の一言が発せられた。
「よし。じゃあ、先ほどのアームレスリング大会で、優勝した千鳥と冷泉は前に出ろ。お互い、イブを過ごしたい相手を指名してな」
「えっ……」
忘れていた。
優勝した選手は、クリスマス・イブを一緒に過ごせる権利がもらえるんだった。
これには、俯いていたミハイルも反応し、顔を上げる。
「クリスマス……イブ……」
なんて、悲しい顔だ。
長い付き合いだが、ここまで落ち込んだ顔は初めてだ。
俺は……ミハイルの震える小さな肩を優しく掴むことすら、できないのか。
※
サンタさんとトナカイが描かれた黒板の前に、宗像先生がイスを2つ並べて置く。
まず、男子部門の優勝者であるリキが座り、インタビュー形式で、先生が彼に尋ねる。
「千鳥。イブを一緒に過ごしたい奴は、この教室の中にいるか?」
「はい! い、いますっ!」
リキにしては珍しく、動揺していた。
「よぉし。じゃあその名前を叫べっ! そしたら、この蘭ちゃんサンタさんが叶えやろう!」
またノリで無責任なことを言ってから……真に受けるじゃん。生徒たちが。
その証拠に、リキはかなり緊張していた。
まるで、告白する時みたいに。
「あ、あの……俺はクリスマス・イブを北神 ほのかちゃんと過ごしたいっす!」
男らしく潔い告白……ではなく、公開処刑だと思った。
夏休みに振られたのに、あいつ……。
リキはほのかへの想いは変わらず、むしろ以前より大きくなっているように感じる。
ま、俺からしたら「何がいいんだ?」って思う。
ただの腐女子じゃないか。
リキの告白により、静まり返る教室。
みんなの視線は一斉に、ひとりの眼鏡女子。北神 ほのかへと向けられた。
自身の名前を呼ばれたほのかは、黙り込んでいた。
俯いて、肩を落としている。
その姿を見た俺は、咄嗟に半年前の出来事を思い出す。
『私は……今。夢で忙しいの! 絡めることしか、考えてないの!』
別府温泉でほのかが、リキを振った時の言葉だ……。
またあんな風に、断られる。
そう感じた。
でも、俺には何も出来ない。
特に今は……隣りに立っているミハイルが心配だ。
「おぉい! 北神ぃ! どうなんだ? 24日を千鳥と過ごす気はないか!?」
デリカシーのない宗像先生が、追い打ちをかけるように、大きな声でほのかに返答を迫る。
先生の大声でようやく、視線を上げるほのか。
虚ろな目でリキを見つめる。
この感じじゃ、また振られるだろう……そう思ったのだが。
彼女の口から発せられた言葉は、意外なものであった。
「えっ? 24日……ですか!? あ、行きます。是非ともリキくんと一緒に行きたいです!」
これには、告白した本人も大喜び。
イスから立ち上がって、ガッツポーズを決める。
「よっしゃー! ほのかちゃんとイブを過ごせるなんて! 俺……諦めなくてよかった」
余りの嬉しさに泣いているよ……。
でも、なんか俺まで泣きそう。
だって、これまでリキは、体当たりの取材をやってきたからな。
まさかの「YES」をもらえたことにより、リキは喜んでほのかを迎えに行く。
黒板の前に設置された撮影ブースへ連れて行くためだ。
ハゲた王子さまと、腐った眼鏡のお姫さま。
「素敵よっ!」と心の中では叫びたかった……が。
ほのかがイスに座った瞬間、現実へと突き落とされた。
「いやぁ。私も24日は絶対に外せない予定があってさ。まさかリキくんも行きたいとは思わなかったよ♪」
俺は彼女の言う『予定』で、すぐに思い出した。
そうだ。
12月24日は、クリスマス・イブでもあるが……コミケも開催されるんだった。
冬のやつ……。
だが、そのことはリキに一切伝わっていない。
「そうなの? じゃあ、俺も一緒に連れていってくれる?」
「もちろんだよ~ 絶景の撮影スポットもあるから、楽しみにしていね♪」
と親指を立てて笑う、ほのか。
絶景ね……どうせ二次創作の裸体パレードだろ。男だらけの。
お互い、意思疎通は取れていないが、まあイブを2人で過ごせることには違いないから……。
良かったね、リキ先輩。
リキと腐女子のほのかが、無事にイブをカップル? として過ごすことになり、会場は大いに盛り上がった。
というか、他の腐女子たちも、24日がコミケの日だと思い出して、推しのサークルが出展するかスマホで検索しだす。
そして、卑猥なサキュバスのコスを着た少年。一も2人に便乗する始末。
「あ、あの……24日っていうと、『あそこ』ですよね? 僕も参加するので良かったら、声を掛けてもいいですか?」
ともじもじしながら、無知なリキへ問いかける。
「ん? ああ、そんなに福岡じゃ有名なスポットなんだな。いいぜ!」
ニカッと白い歯を見せて、親指を立てるリキ。
その姿を見て、一の顔はパーッと明るくなった。
「本当ですか!? じゃあ、お二人の邪魔にならないようにしますので!」
いや、邪魔する気マンマンだろ、こいつ。
本当にリキの恋愛って、苦難しかないな……。
※
最後に女子部門の優勝者、マリアの番となった。
宗像先生に呼ばれると、すぐさま黒板の前に置かれた片方のイスに座る。
脚を組んで、両手を膝の上に載せる。
正に、勝者の顔だ。
先生がイブの相手を聞く前に、自身の口からその名を発する。
「私は新宮 琢人を指名するわ。婚約者だから、イブを過ごすのは当然なのだけど」
俺の顔に目掛けて、ビシッと人差し指をさす。
それを見た宗像先生は「ふむ」と頷いた。
「なるほど。じゃあ、ほれ。新宮、呼ばれたぞ? 優勝者の言うことはちゃんと聞けよ」
「そ、そんな……俺の意思は……」
どうにかして、時間稼ぎでもしようかと試みたが、宗像の機嫌を損ねるだけだった。
「あぁん!? 私が決めたルールだぞ! さっさと行って来い!」
「はい……」
これ以上、逆らったら殴られそう……と、思った俺は渋々マリアの方へと向かう。
途中でミハイルのことが気になり、振り返って見たが。
「……」
黙り込んで、固まっている。
マリアが語った過去のショックが大きすぎて、呆然としているようだ。
まあ、写真さえ撮ることが出来たら、あとで2人になれるだろうから……。
もう少しの辛抱だ。
※
とりあえず、素直にマリアの隣りに座ってみる。
腰を下ろした瞬間、彼女はずいっと身を寄せてきた。
そして当たりた前のように、俺の左腕を掴んで、自身の胸を押し付ける。
相変わらずのノーブラだったので、生乳がとても柔らかく……俺好みのサイズ。
嬉しい誤算だったが、それよりも遠くから、こちらを眺めている『彼』のことが、気になる。
「お、おい……みんなの前だろ?」
一応、注意してみたが、マリアは悪びれる様子もなく。
肩をすくめる。
「それがどうしたの? 別にいいじゃない。婚約者なのだし」
「しかしだな……」
「優勝したのは私なのだから、これぐらい良いでしょ? 日本に帰って来て、まだタクトと恋人らしいこと。ちゃんと出来ていないもの」
「そ、それは……」
確かにそう言われたら、マリアとはちゃんとデートしたことがない。
成長してカナルシティで再会した時ぐらいだろう……。
あとは、映画を観に行ったけど。半分はアンナが化けていたから。
「それじゃ、一枚目撮るぞぉ~!」
宗像先生がインスタントカメラをこちらに向ける。
スマホやデジタルカメラじゃないので、撮影してもすぐに確認できないのが、デメリットだ。
しかし、失敗できないからこそ、一枚一枚を大切に撮れる代物。
それを察してか、マリアもニッコリと優しく微笑み、俺の肩に顎を乗せる。
俺は緊張から、身体がカチコチに固まってしまう。
他の生徒たちの視線をずっと感じるし、恥ずかしくて仕方ない。
「よぉし、もう一枚。ラストいってみるか! 瞼を閉じるなよぉ~!」
シャッターの音に気がつかなかった。
でも、これで最後だ。
ふとミハイルの方に、目をやると……。
この世の終わりみたいな表情で、こちらを眺めていた。
早く声をかけてやりたいが、撮影がまだ終わらない。
もう少し、待っていてくれ……。
「いくぞぉ~ はい、チーズ!」
今度はシャッターの音が、しっかりと耳にまで響いてきた。
しかし、それと同時に辺りから、悲鳴があがる。
何事かと、教室内を見回すが、特に何もない。
女子生徒たちが、俺の顔を指差して、大きく口を開けている。
ズボンのチャックが、開いた状態なのだろうか?
と、下半身をチェックしても、問題なし。
そうなると、あとは……。
「んふっ……」
耳元がくすぐったいな。
マリアの声か。
しかし、なんだ。この頬に伝わる柔らかい感触は?
小さいがプルプルしていて、とても気持ちが良い。
暖かく癒される……って、まさか!?
そーっと視線を隣りに向けると、瞼を閉じたマリアがいた。
普段、強気な彼女からは、想像も出来ないぐらい優しい顔。
頬を赤くして、俺の頬に口づけしている。
「んんっ……タクト。好きよ」
一ツ橋高校の生徒、教師。全員の前で告白されてしまった。
しかも、ほっぺチューされながら……。
「や、やめろよ。マリア……こんなところで」
うろたえる俺に対して、マリアはゆっくりと瞼を開く。
キラキラと輝く碧い瞳が、いつもより綺麗に見える。
唇を頬から離してはくれたが、両手はずっと俺の肩を掴んでいて、逃げられない。
「これぐらい。海外では挨拶レベルじゃない?」
「そ、それは……でも、ここは日本だ。こういうのは、恋人同士がするものだ」
「フフ。本当にうぶなのね、タクトったら。やっぱり小説に必要ね。私というヒロインが」
「ま、マリア……」
積極的な彼女を見て、俺が固まっていると……。
一連の行為を遠くから眺めていた彼が、叫び声をあげる。
「ふざけんな! 10年とか関係ない! 勝手にオレのダチで遊ぶなっ!」
久しぶりにキレたミハイルを見た。
だが、その言葉とは裏腹に、身体は小刻みに震えて、どこか弱々しい。
エメラルドグリーンの瞳は輝きを失せ、涙でいっぱいだ。
「ミハイル……」
彼に手を差し伸べてあげたかったが、マリアの腕がそれを邪魔する。
「もう……もう、知らない! オレ、帰る!」
そう吐き捨てると、彼は背中を向けて、教室から走り去ってしまう。
俺が呼び止める前に、一瞬で彼は自習室から消えた。
せっかくのクリスマス会。
朝早くから、料理やデザートまで作ってくれたのに。
俺は……結局、このあとミハイルと一緒に帰ることは出来なかった。
放心状態のまま、マリアと電車に乗ったが、そこからの記憶が曖昧だ。
あれから、2週間近く経とうとしていた。
今年最後のスクリーングだっていうのに、最悪な終わり方。
別に会おうと思えば、いつでも会える関係性だが……。
どうも俺からは、ミハイルに声をかけることは恥ずかしいというか……申し訳ない思いで連絡さえ出来ずにいた。
勉強もないし、小説もしばらく書かなくて良い。
そうなると、新聞配達以外は特に何もせず、一日をダラダラと過ごすだけ。
俺自身、クリスマス・イブは……特別な日だと思っていたから。
今年はアンナと一緒に過ごすものだと、勝手に思い込んでいた。
でも、口約束とはいえ。マリアとイブを共にすることになった。
嫌ではないけど……。
あのミハイルの泣き顔を見て、素直に喜べない。
自室の二段ベッドの上にあがり、寝そべる。
通知なんて何もないのに、スマホの画面と睨めっこ。
もしかしたら……そんな思いで、俺はずっと着信を期待していた。
無意味な行為だが。
その時だった。
永遠の推し、アイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が、スマホから流れ出す。
着信名なんて、確認せず。電話に出る。
「もっ、もしもし!?」
しばらく、誰とも口を聞いてないので、痰がらみの声になってしまった。
『あ、DOセンセイですか?』
思っていた相手と違い、俺は一気に落ち込む。
「なんだ……白金か」
『いや、失礼じゃないですか? 私だとなんか都合が悪いんですか? 仕事の話なんですけど』
深くため息をついた後、白金の『仕事』という言葉に気持ちを切り替える。
「仕事? 原稿ならもう書き終わっただろ?」
『それは、来年発売のマリアちゃん回。4巻のことでしょ? 今週、発売された2巻と3巻の話ですよ』
「ああ……そう言えば、発売日だったか」
すっかり忘れていた。
『そうなんですよぉ~ めっちゃ発売前から人気でぇ~ もう重版決まってですね。編集部は大忙し♪ 私のお給料も右肩上がりで……』
落ち込んでいたので、白金には申し訳ないが、電話を黙って切ろうかと思った。
「……」
『あれ? DOセンセイ? 聞いてます?』
「聞いてるよ……」
『元気ないですねぇ~ ラノベ業界って2巻で打ち切りが多いのに、“気にヤン”は久しぶりの大ヒットなんですよ?』
「うん……」
正直、答えるのもしんどかった。
胸に大きな穴が、空いているようで……。
※
俺のテンションが低すぎる……というか、声が死んでいたので。
さすがの白金も心配してくれた。
何があったのか、事情を聞かれる。
白金も宗像先生みたいにデリカシーのない大人だから、答えたくなかったが。
なんか今の気分だと、こいつでもいいかと思えた。
クリスマス・イブをアンナではなく、マリアと過ごすことになったこと。
それを決めたのは、遊びとはいえ、宗像先生。
俺がそれらを説明すると、白金は受話器の向こう側でゲラゲラと笑い始めた。
『なんだぁ、そんなことですか?』
「お前……なんだとは、何だ! こっちは真面目に悩んでいるのに……」
『怒らないで下さいよ~ まあ蘭ちゃんが悪いとしてですねぇ……今年のイブがマリアちゃんになっただけでしょ?』
「は? アンナはどうするんだ? イブってのは女子にとって大事なもんだろう」
言いながら、あいつは男だと思い出す。
『そうですけどね。忘れたんですか? アンナちゃんにはプレゼントがあるでしょ?』
「あ……」
クリスマス・イブに先約を入れられたことで、すっかり忘れていた。
アンナの誕生日を。
そうだ。あいつの誕生日は12月23日じゃないか。
だからプレゼントも、しっかり用意していたんだ。
『ね? マリアちゃんはイブを過ごすけど、プレゼントはなし。取材感覚で会えば良いんですよ♪』
「はぁ……」
『ですので、しっかりと相手の好みも考えて、用意したアンナちゃんは本命と言えるでしょう!』
「つまり?」
『夜景が見えるレストランで、ディナーを楽しめば、イブとか関係なし! その後、酒でも飲ませて酔っぱらったら、ラブホテルへ連れ込めば良いんですよぉ~♪』
「……」
とりあえず、電話は雑に切ってやった。
しかし白金が言うことは、間違っていない。
イブも大事な日だが、誕生日を一緒に祝う方が大切かもしれない。
クズみたいな編集だが、ようやく元気が湧いてきた。
いや、違う。
正しくは勇気だ。
これで、ようやく彼に連絡が出来る。
俺はスマホのアドレス帳を開き、古賀 ミハイルの電話番号へ電話をかけることにした。
『トゥルル……おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』
「またか」
ミハイルに電話する勇気が出たのは良い事だ。
しかし、肝心の本人が電話に出てくれない。
「やはり、怒っているのか……」
この前のスクリーング。
クリスマス会での、アームレスリングにおいて、マリアが語った過去。
アンナとした初デートが、実はマリアとの定番デートだったこと……。
その事実にミハイルは動揺し、完敗。
更に追い打ちをかけるように、マリアがほっぺチュー事件を起こしてしまう。
嫌なことが重なり。彼は現在……心を完全に塞いでいるのかもしれない。
だが、それじゃダメだ。
クリスマス・イブのデートは、一緒に過ごせない。
それでも、俺はあいつを……アンナを祝いたいんだ!
ちょっと意地の悪いやり方だが、こうなれば、方法は選んでいられない。
仕方ないので、『もう1人』に連絡をすることにした。
唯一、俺がL●NEでやり取りをしているあの子。
ミハイルとは別人格だから、取材相手として、連絡がとれるかもしれない。
とりあえず、メッセージを使って、軽く挨拶をしてみる。
『アンナ。久しぶりだな。良ければ23日に取材をしてくれないか?』
すぐに既読マークがついたが、スルーされたようだ。
クソッ……これでもダメなのか。
だが、俺も後には引けない。
『すまない。取材というのは、噓……いや、照れだ。アンナの誕生日を祝いたいんだ。頼む』
彼女に無視されたくない一心で、包み隠さず本音で伝えてみた。
すると……。
既読マークがついた途端、スマホから着信音が流れ出す。
相手は、アンナ。
『タッくん☆ 久しぶり~☆ メッセージ見たけど、ホントなの!?』
めっちゃテンション高いですやん。
なら、さっさと電話に出ろよ。
「ああ。前々から考えていたことだ。その……ミハイルからクリスマス・イブのことは、聞いているか?」
『う、うん……なんか罰ゲームで、マリアちゃんと一緒に過ごすんでしょ』
誰も罰とは言ってないのに。
「そうだ。でも、それは取材だ。仕事にすぎん」
言っていて、苦しい言い訳だと思う。
『おしごと?』
「ああ、今年のクリスマス・イブは仕事で埋まってしまった。しかし、23日はお前の誕生日だ。その日は完全にオフ。俺が純粋にアンナを祝いたいから、やる。つまり特別な日にしたい……」
『特別……アンナの誕生日が?』
「そうだ。半年前、俺へしてくれたように……」
しばしの沈黙のあと、彼女は照れくさそうに答える。
『タッくん……嬉しい。イブを一緒に過ごせないのは、残念だけど。誕生日を2人で過ごせるなら、アンナは大丈夫☆』
「ほ、本当か!?」
『うん☆ 元気が出てきた☆ 今から何を着るか、楽しみぃ~☆』
良かった。だいぶ声が明るくなった気がする。
「ああ。待ち合わせはいつも通り、“黒田節の像”でいいか?」
『いいよ☆』
「じゃあ、またな」
彼女の声を聞けたことで、ようやく穴が塞がった気がする。
胸にぽっかりと空いてしまった大きな穴……。
※
アンナの誕生日、当日。
俺は博多駅の中央広場にある黒田節の像の下で、彼女を待つ。
もうあと一週間ほどで、今年も終わる。
博多駅の前には、明日のクリスマスを祝うために、巨大なツリーが建設されていた。
行き交う人々もどこか忙しい。
空を見上げれば、どこか暗く曇っていた。
ひょっとしたら雪が降るのかもな。
正直言ってかなり寒い。
ダッフルコートを着ていても、ぴゅーぴゅーと横風が身体の中を通り抜けて行く。
でも、なんか今年は、不思議と胸のあたりが暖かく感じる。
何故だろう……。
「タッくん~! お待たせ~☆」
そう言って、目の前に現れたのは、金髪の美少女。
アンナだ。
今日のファッションは、至ってシンプル。
全身真っ白のファーコート。衿には大きなパールがデザインされているものの。
気温が低いせいか、ボタンは全部しっかりと留めている。
これではコートの中が見えない。
まあ、丈の短いデザインだから、相変わらずその細く美しい脚は拝めるのだけど……。
なんというか、いつも露出してくれているありがたみが、再確認できた。
「お、おお……久しぶりだな」
アンナは俺の顔を見て、すぐになにかを察したようだ。
頬を膨らませ、上目遣いで俺を睨む。
「タッくん。今日のファッション。つまんないんでしょ?」
「いや……そういうわけじゃ」
「アンナだって、こんなに寒くなかったら、コート脱げるよ」
そう言って、大きな緑の瞳を潤わせる。
参ったな……見透かされていたのか。
「すまん。俺も女の子と冬を過ごすのは初めてでな。あ、でも頭につけている髪飾りか? コートと同じなんだな」
どうにか話題を変えようと、頭につけているカチューシャを指差してみる。
「あ、わかった? これ、コートと同じでパールなの。あとね、手袋とバッグもお揃いでぇ……」
聞いてもないのに、ベラベラと喋り出したよ。
ま、いっか。
「しかし、今日は冷えるなぁ。雪が降るかもしれん」
「うん。ホント、寒いねぇ~ こんな日に生まれてごめんね☆ もっと暖かい日に生まれたら、コートもいらないのに」
とウインクしてみせる。
いや、生まれて来てくれてありがとう。
というか、暖かいホテルに連れて行けば、コートも脱げるよね?
俺は事前に、今日のデートプランを考えていた。
クリスマス会での事件。彼女……いやミハイルは深く傷ついている。
だから、少しでも忘れて欲しくて。
インターネットを使い、色んなデートスポットを検索。
そりゃ、欲を言えば、夜景の見えるレストランで、ワイン片手に乾杯。
盛り上がったところで、予約していたホテルへと連れて行き……。
なんて、テンプレみたいなデートも考えてみたが。
俺たちはまだ未成年だ。
酒も飲めないし、お泊りっていう行為も許されないだろう。
あくまでも、健全な10代のデートで、一番最高な場所。
童貞の俺が考えに考え抜いた上で、たどり着いた目的地は……。
「きゃあああ! 寒いぃぃぃ!」
予想以上にクッソ寒い場所だった。
「ま、マジで寒すぎるな……」
以前、ゴールデンウィークの時に取材として、来たことがあるところだ。
博多駅からバスに乗って、数十分。
博多ドームの最寄りにある海水浴場。
百道浜だ。
普段なら、観光客がたくさんいるのだが、12月も終わりを迎えようとしているこの時期、誰もいない。
極寒だし風も強いので、正直吹き飛ばされそう。
「いやぁ! スカートがめくれちゃいそう」
「え?」
砂浜で一生懸命、スカートの裾を抑えているアンナをじっと眺める。
パンツが見えるなら、ここに連れてきて正解だったかも?
「タッくん。ここ、寒すぎるよぉ! どこにあるの? 景色がいい所って」
「すまん……海も見たいかなって思ってな。連れて来たが……この天気じゃな」
今度、強風の時。また、百道浜に連れてこよっと。
カメラを持って!
※
あまりの寒さと強風に、歩くことも難しかったため、俺たちはすぐに海水浴場を退散する。
そしてすぐ裏にある巨大な建物へと向かう。
近くにある博多ドームが横に広いとするならば、このタワーは縦に長い。
アンナの誕生日を祝うデートスポットとして、俺が選んだのは……。
「ここなの? タッくん☆」
「ああ。そうだ……」
2人で目の前にそびえ立つガラス張りの建物を眺める。
ただし、海からの潮風をバシバシと直撃している状態で。
アンナなんか、長く美しい金色の髪が乱れまくりだ。
顔が見えないほど、暴れまくっている。
メデューサみたい……。
「と、とりあえず、中に入ろう」
「うん☆ 寒いもんね……」
誕生日だってのに、なんだか可哀想だ。
※
入口の自動ドアが開く。
タワー内部は、暖房が効いていて、とても暖かく、また静かでもあった。
建物の作りとしては、至ってシンプル。
逆三角形の形をしている。
入って左側が入場券売り場。
右側がお土産などを販売しているアンテナショップ。
久しぶりに来たこともあってか、記憶が曖昧だ。
建物の中はこんなのだったか……?
もうかれこれ、10年以上来たことがない。
まだ幼かった俺は、母さんに手を引っ張られて、2人でタワーへと昇った。
別に母さんは博多タワーから観られる景色を、俺に見せたかったわけじゃない。
あくまでも、コミケの帰り。付近にある博多ドームのついで。
『さあ、タクくん。福岡で一番高い絶景の場所。博多タワーで今日狩った同人本を研究しますよぉ♪』
そう言って、福岡のてっぺんで薄い本をビニールシートの上に、広げていたっけ。
もちろん、他のご家族からは、汚物を見るかのような目つきで睨まれたが……。
まだ善悪の区別ができなかった俺は、母さんのいいなりだった。
『お母たん。こ、これ……“兜”て読むんでしょ?』
『そうよぉ、よく読めたわねぇ。タクくん、まだ3歳なのにねぇ。将来、有望なBL作家になれるわよぉ~』
優しく頭を撫でられて、俺は喜び……。
『か、兜は……合わせるんだよね?』
『天才よ、タクくん!』
今思えば、ただの虐待だった。
急に悪寒が走る。
いかんいかん……今日は、アンナの誕生日。
酷いフラッシュバックで台無しにするところだった。
頭を強く左右に振る。嫌な思い出を忘れるために。
異常に気がついたアンナが、俺の袖をくいっと引っ張る。
「タッくん? どうしたの? 風邪でも引いた」
「いや……つまらん過去だ。忘れていたと思ったのに、な」
「え? まさか、他の女の子とタワーに来たことがあるの?」
不安気に自身の唇を、白い手で抑える。
「正確には、女の子ではない。母さんという化け物だ……」
その答えを聞いたアンナの口元が緩む。
「なんだぁ~ タッくんのお母さんなら、悪い事なんてないじゃん☆」
いいえ。幼少期のトラウマなんですけど。
コミケの度、人様に迷惑をかけまくって、とても辛かったです……。
昔話はさておき、とりあえず、目的地であるタワー上部は、遥か彼方だ。
そして、有料だ。
俺はアンナにエレベーターの前で、待つように頼む。
今日は誕生日だから全部、俺が奢りたい。
彼女に黙って、入場券を2枚購入し、あたかも無料でもらったかのような振る舞いを見せる。
そうでもしないと、アンナは誕生日でもお金を気にするから……。
「待たせたな。実は新聞配達の店長から、2人分の無料チケットをもらっていてな」
しれっと嘘をつく。
大人で上司の店長なら、アンナも逆らえまい。
「そうなの? じゃあ、お返しにお土産を買っていかないとね☆」
「うぅ……」
どうあっても、格好つけさせてくれないのか?
仕方なく、彼女の言う通りにお土産を買って帰ることにした。
無関係の店長じゃなく、母さんと妹のかなでにだが……。
エレベーター前に、スチュワーデスみたいな制服を着たお姉さんが2人立っていた。
俺たちは左側のお姉さんに案内されたので、そちらへと向かう。
先ほど買った入場券を渡すと、ニッコリと笑ってくれた。
「どうぞ、福岡の空をお楽しみください♪」
なんて営業スマイルを見せてくれたが……。
果たして、今日の曇り空で福岡を一望できるのやら。
博多タワーは全長234メートルもある巨大な建物だが。
地上1階から、エレベーターで昇ると、展望部は3階までだ。
高速のエレベーターに乗ることによって、物の数分で目的地に着く。
急激な気圧の変化により、耳が詰まってしまう。
まあ唾を飲み込むことで、不快感はすぐに解消されるのだが。
着いた階層は、展望部の3階。
俺たち民間人からすれば、博多タワーで入れる一番高い場所。
あとは階段を使って、下の階に降りれば、予約しているレストランがある。
ま、ここはとりあえず、福岡を360度の大パラノマを2人で楽しむとしよう。
タワーに来た事がないアンナは、窓に手をつき「うわぁ、すごぉい☆」と驚いていた。
俺も彼女と肩を並べ、久しぶりの福岡を眺める。
「曇っていたから、心配だったが……思ったより綺麗に見えるもんだな」
「うん☆ すごいね! タッくんは、お母さんと来た事があるんでしょ?」
と緑の瞳をキラキラと輝かせる。子供のように。
「ああ……」
「その時も2人で、この風景を楽しんでいたの? タッくんが住んでいる真島はあそこだよね☆」
そう言って、一生懸命アンナは我が故郷を指差してみる。
「うん……間違ってないと思う」
「どうしたの? 何回か、お母さんと来たんでしょ? ひょっとして、もう忘れた?」
「いや、今でも鮮明に覚えているさ」
ここから見える風景よりも、当時、流行っていた二次創作を……。
主に男の裸体ばかりで、汗だくで汁だくのやつ。
俺はこんな観光スポットでさえ、母さんにより、洗脳されていたんだ。
※
展望部を一回りして、福岡の景色を楽しむ。
タワーの中も、今日は客が少なく感じた。
おかげで、アンナとのデートをゆっくりと楽しめるから、良いとは思うが。
一周回ったところで、奥の方に何やら、小さなツリーが飾られていた。
「なんだろね、あれ」
興味を示したアンナが近寄ってみると、制服を着たお姉さんが星の形をした色紙を差し出す。
「ただいま、クリスマスのイベント中でして。お客様もツリーへ願い事を書かれていきませんか?」
ずいっと営業スマイルで迫られた。
笑顔が怖いんだよな。
しかし、アンナはその提案を快く承諾。
というか、ノリノリで2人分の星をお姉さんに要求した。
お姉さんから色紙をもらったアンナは、1枚俺に突き出す。
「タッくん。お願いを書こうよ☆ サンタさんが願いを叶えてくれるかもしれないよ☆」
「ああ……構わんが」
サンタさんって、小さな子供限定じゃないの?
「ううむ……」
ツリーの近くに置かれたデスクの上で、1人唸る。
いきなり願い事と言われても、特にない。
『母さんが早く枯れますように』
一番最初に浮かんだのは、これだが。
しかし、願いではないな。
重たい症例だから、医者が必要として。
『来年もアンナと一緒にいられますように』
これが妥当か……でも、なんかこれにも違和感を感じる。
もうひとり、追加したくなってきた。
その名は……。
「タッくん! 書き終わった!?」
隣りで書いていたアンナが、急に身を乗り出す。
そして、俺の色紙を覗き込んだ。
咄嗟に俺は両手で、願い事を隠す。
「なっ!? こういうのは、勝手に見るもんじゃないぞ!」
焦りから怒鳴る俺を見て、アンナはうろたえる。
「ご、ごめん……どうせツリーに飾るから、見てもいいのかなって……」
と小さな唇を尖らせる。
ま、可愛いから許そう。
咳ばらいをして、話題を変えてみる。
「おっほん! そういうアンナの願いはなんだ?」
「え、アンナのお願い? そんなの聞かなくても、わかるでしょ☆」
「へ?」
「タッくんと、ずぅーーーっと一緒に、何があってもいられますように。だよ☆」
と恥じらうことなく、俺に色紙を見せつける。
マジだ。一言一句、間違っていない。
しかし……アンナが書いた色紙は、1枚だけではない。
追加でお姉さんに、もう1枚貰っていたから。
「なあ、その願いはとても嬉しい。俺も同じ願いだからな」
それを聞いたアンナは、ぱーっと顔を明るくさせる。
「ホント!? タッくんも気持ちが一緒なんだね☆ すごく嬉しい!」
手を叩いて、その場でぴょんぴょんと跳ねてみせる。
「それは同感だ。しかし、アンナのもう1枚ってなんだ? 良かったら見せてくれるか?」
「え、もう1枚? いいよ☆ はい!」
そう言って、アンナはニコニコと笑いながら、俺に色紙を見せてくれた。
『赤坂 ひなた。坊主頭になれ!』
『北神 ほのか。さっさと、リキくんとくっつけ!』
『長浜 あすか。炎上してアイドル廃業。高校からも退学処分』
『冷泉 マリア。シンプルに死ねっ!』
「……」
こんな呪いみたいな願い事を、福岡のてっぺんに飾ってもいいのか?
明日はイブだから、カップルとか家族連れも来るのに……。
アンナは悪びれることもなく、ニコニコと微笑んでいる。
「タッくんの願いもアンナと同じなんでしょ?」
なんか彼女から、すごくプレッシャーを感じる。
「う、うん……ほぼ同じだと思います」
「良かったぁ~☆ タッくんとは嫌いなものが同じで嬉しい☆」
全く一緒ではないってば……。
願い事を一緒にツリーへ飾りつける。
アンナには見せなかったが……俺の本当の願いは。
『来年もアンナと一緒にいられますように』
一見、その文章で終わりに見えるが、続きがある。
本当は「ミハイル」という名前も追加したのだが、恥ずかしくて、下手なイラストで上書きした。
よく見れば、彼の名前だと分かるが……まあ、書いた俺しか、気がつかないだろう。
ツリーに色紙を飾りつけながら、なんだか頬が熱くなる。
なんで、ダチの名前を書いてんだって。
先に飾りつけを終えたアンナが、俺の顔を横から覗き込む。
「タッくん? なんか顔が赤いよ。寒いの?」
「あ、いや……ちょっと、な」
本人が隣りにいるので恥ずかしい。
そして、これを願い事として、たくさんの人々に見られると思うと……。
「ちゃんとお願いが叶うと、いいね☆」
「うん……そうだな」
俺は一体、何を望んでいるんだ?
アンナとミハイルは、同一人物なのに……。
陽が落ちて来た頃、俺はスマホで現在の時刻を確かめる。
『16:40』
「そろそろだな」
1人、呟くとアンナに声をかける。
「アンナ。今日の誕生日を祝う場所なんだが、この下にあってだな」
そう言って、床を指差して見せる。
「え? 博多タワーで祝ってくれるんじゃないの?」
大きな瞳を丸くする。
「まあ、間違ってはないのだが……展望レストランが2階にあるんだ。そこを予約しているんだ」
「展望レストラン!? すごい! 行きたい☆」
どうやら、喜んでくれているようだ。
さっそく俺たちは階段を使って、展望部の2階へと向かう。
階段を降りると、すぐにレストランが見えて来た。
コックコートを着たお姉さんがお出迎え。
俺たちを見るや否や、「いらっしゃいませ」と礼儀正しく頭を下げる。
「あの、予約していた。新宮です」
「新宮様ですね……かしこまりました。奥の席へどうぞ」
俺は予め、席を指定しておいた。
眺めが良く、2人きりの空間を落ち着いて楽しめるカップルシートだ。
タワーの一番隅にある三角コーナー。
真っ白なテーブルクロスをかけたテーブル。
そして、それらを覆うように、半円型の大きなソファーが設置されている。
このシートに入ってしまえば、辺りから俺たちの姿は見ることができない。
ソファーで守られているからだ。
実質、個室とも言える。
何よりも他のレストランと違うのは、この景色だ。
ももち浜の青い海。白い砂浜。それにオレンジがかった夕空。
ちょっと眩しいが……ここは、最高にムードのあるデートスポットではないだろうか?
「すご~い☆ きれい!」
座席に通されても、アンナは興奮が止まないようだ。
視線は窓に向けられたまま、コートを脱ぎ始める。
そこで初めて、今日の彼女の姿を、眺めることが出来た。
ピンクのニットを着ているが、肩の部分だけ、透けている。白いレースだ。
可愛いけど、こりゃコートは脱げないわな。
ハイネックで、首元には彼女のシンボルとも言える、白いリボンが巻かれている。
下半身は、これまた露出度高めで。
千鳥格子柄で、プリーツの入ったミニスカート。
景色に釘付けなアンナを良いことに、下から俺は彼女をガン見する。主にスカートの中。
今日はピンクか……。
思わず、生唾を飲み込む。
やっぱり……ホテルにしておけば良かった。
「タッくん。アンナのために、こんな良いレストランを予約してくれたの!?」
「ああ。女の子の……誕生日を祝うなんて、初めてだからな。色々、探してみて。ここがいいなと思ってな」
毎度のことだが、男だけどね。
そこら辺のイタリアンレストランなんかより、安かったし。
コスパが良かったのが、最大のポイント。
しかし、アンナは感激のあまり、涙を流していた。
「嬉しい……誕生日はミーシャちゃんと2人でネッキーのアニメを見ながら、ケーキを食べる予定だったから」
「そ、そうなの」
自分でケーキを焼いて、自分に祝ってもらうつもりだったのか。
なんだ、同族じゃないか。
※
俺が店側に頼んでいたメニューは、コース料理だ。
『天空のペアディナー』という、ちょっとしゃれたもの。
今回は、白金にも黙ってきた本当のデート。
だから今日のデート代は、経費で落ちない。
それでも俺が本当に祝いたいと思ったから、やっているにすぎない。
アンナは終始、ご機嫌だった。
海を見ながら次々と出されるコース料理。
前菜の盛り合わせに、パスタ。それからステーキまで。
「カワイイ~☆ おいし~☆ 写真撮っちゃお☆」
味も景色も、大満足のようで、セッティングした俺も鼻が高かった。
しかし、俺はと言えば、どれも食った気がしない。
緊張から何を食べても、味がしなかった。
コースもラスト一品になった頃。
俺は頬を軽く叩いて、気合を入れる。
ここからが、本番だ。
近くに待機していた店のお姉さんが、俺のそばへと近寄ってくる。
「新宮様。そろそろ、例の時間になりますが?」
「ああ、頼みます」
「かしこまりました。音楽が始まったら、合図ですので」
「了解です……」
コソコソとお姉さんと話していると、アンナが首を傾げる。
「タッくん。どうしたの?」
聞かれて、俺は激しく動揺する。
「いやいや! なんでもないって、それより今から面白いショーが始まるぞ」
「え、ショー?」
次の瞬間、店の灯りが一気に消えてしまう。
突然、視界が真っ暗になってしまったので、アンナも驚いていたが……。
すぐにその不安はかき消される。
何故なら、どこかの音痴さんが手を叩きながら、歌を歌い始めたから。
「はっぴ~ ばぁ~すでぇ~ とぅゆ~」
今宵のエンターティーナーは、この俺だ。
客はアンナ、1人。
俺のアカペラと共に、店内からBGMが流れ始める。
そしてキッチンの奥から、大勢のスタッフが出てきて、俺と一緒に歌い始めた。
みんな一緒になって、手を叩く。
ちょっとしたオーケストラだ。
「「「はっぴ~ ばぁ~すでぇ~ でぃあ、アンナちゃ~ん!」」」
祝われているとも知らないアンナは、ただ固まっている。
「え……?」
歌い終える頃、1人のスタッフがケーキをテーブルの上に置いてくれた。
細長いロウソクが、6本載っている。
「アンナ。ろうそくの火を消してくれるか?」
「う、うん! ふぅ~!」
小さな口だから、なかなか火を消せなかった。
それでも一生懸命、息を吹き。全て消すことに成功。
消えたことを確認したスタッフが、再度明かりをつける。
「「「お誕生日おめでとうございます!」」」
拍手喝采を浴びるアンナ。
未だに俺からのサプライズに、気がついていないようだ。
「あ、ありがとうございます……。もしかして、タッくんが用意してくれたの?」
「そうだ。俺からも言わせてくれ。16歳の誕生日。おめでとう」
「タッくん……ありがとう☆」
そう言うとエメラルドグリーンの瞳を潤わせて、ニッコリと優しく微笑んだ。
ああ……やってみて良かった。
この笑顔のためなら、俺の音痴なんて気にしないぜ。
ケーキを食べ終える頃、俺はリュックサックから小さな箱を取り出す。
以前、カナルシティのアクセサリーショップで購入したピアスが、中には入っている。
アンナのために、誕生石を加工して作ってもらった特別なプレゼント。
ただプレゼントを渡すだけなのに、緊張する。
口の中が渇いて、上手く話すことができない。
「あ、アンナ……。これ、誕生日のプレゼントなんだ。受け取ってくれないか?」
なんて格好の悪い渡し方だと思った。
しかし、渡された本人は、緑の瞳をキラキラと輝かせる。
「え!? アンナにくれるの!? 嬉しい! タッくん、ありがとう☆」
プレゼントを大事そうに受け取り、早速「開けていい?」と俺に尋ねる。
もちろんだと、俺が頷くと、丁寧に包装紙を開いていく。
結んでいた紐でさえ、折り畳み、持って帰るようだ。
ギフトボックスをゆっくり開く。
そこには、透き通るような綺麗なブルー。
タンザナイトのピアスが2つ、並んでいた。
開けた瞬間、アンナはその輝きに驚く。
「きれい~ これ、タッくん。高かったんじゃないの?」
喜ぶよりも先に、金額を心配されてしまった。
「ま、まあ……アンナには色々と世話になったしな。取材もいっぱいしてくれただろ? 印税とか入れば、訳ないさ」
半分は合っているが、本当は違う。
純粋にあげたかった……。
「そっかぁ……ごめんね。気を使ってもらって」
ついには顔を曇らせてしまう。
「気は使ってない。俺が祝いたいと思ったから、やったまでだ。アンナにつけて欲しいって……」
言いながら、「これ告ってない?」と自分にツッコミを入れたくなった。
「アンナにつけて欲しいの?」
「ああ。お前の耳に似合いそうだ」
無言でお互いの瞳を見つめあうこと、数秒間。
アンナは黙って、ギフトボックスからピアスを手に取った。
首を左側に向けて、うなじを俺に見せる。
どうやら、今からピアスをつけてくれるようだ。
おそらく手術後にずっとつけていた簡素なファーストピアスを外し、俺が用意したタンザナイトを差し込む。
まだ彼女の穴は小さいようで、なかなか新しいピアスが入らない。
時折、「痛っ」と顔をしかめる。
しかしアンナも諦めたくないようで、頑張って最後まで差し込んだ。
ようやく、両方の耳にピアスが入ったところで、お披露目タイム。
「似合う……かな?」
頬を赤くして、耳たぶに手を当てている。
きっと、ピアスが目立つように、やってくれているんだ。
「可愛い……」
自然と、俺の口からはその言葉が漏れていた。
「あ、ありがとう……タッくん、大事にするね☆」
「ああ。たくさん使ってもらえると、俺も嬉しいよ」
※
気がつけば、窓の外は夕陽から星空へと変わっていた。
冬だから、暗くなるのも早い。
スマホの時刻を確認すれば、『19:03』だ。
中身は男とはいえ、一応女の子だ。
早めに帰さないとな……。
「アンナ、夜になったし。そろそろ帰ろう」
俺がそう言うと、彼女は唇を尖がらせる。
「うん……もう夜だもんね……」
名残惜しいが、ちゃんと帰さないとな。
このまま、ドーム近くのホテルへ連れ込む。っていう強引な手もあるが。
それは俺の紳士道に反する。
大人しく、帰ろう。
レストランを出て、エレベーターに乗り込む。
あんなに高かった展望部だが、降りるのは一瞬だ。
博多タワーを出ると、相変わらず外は強風で吹き飛ばされそう。
再度バスを使って、博多駅へと向かおうとしたその時だった。
タワーの前に人だかりが出来ていた。
「えぇ~ 本日は本当に寒い1日ですね。私もコートの中に、カイロを何個も入れています」
マイクを片手に話しているのは、綺麗な格好をした女子アナ。
そのアナウンサーを囲むように、テレビスタッフが何人も並んで立っている。
「しまった……忘れていた」
気がついた時には、もう遅かった。
カメラはこちらをしっかりと捉えている。
博多タワーの目の前には、テレビ局があったんだ。
福岡ローカルのテレビ局だが。
ちょうど、この時間はタワーを目の前に、天気予報をやっている。
夕方のニュースだと思うが、俺とアンナが福岡中に配信されてしまう。
何も知らないアンナが、女子アナの隣りに立っていた着ぐるみへ手を振った。
「あはは。かわいい☆」
それに気がついた着ぐるみも、アンナに向かって、大きく手を振る。
「ん、どうしたのかな? タマタマくん?」
着ぐるみが生放送中に、カメラへお尻を向けたため、女子アナが声をかける。
すると、タマタマくんは身振り手振りで、俺たちのことを説明し出した。
いらんことすな!
「ほうほう。あそこにいるのは、カップルさんですね! では、せっかくなので一緒にお天気を予想してもらおっか♪ タマタマくん」
ファッ!?
俺がその場から逃げようとした時には、もう遅かった。
タマタマくんが、のしのしと音を立てて、こちらへ向かってくる。
もう覚悟を決めるしかなかった。
「可愛い☆ タマタマくんっていうんだ~」
気がつけば、隣りにいたアンナが、謎の着ぐるみと抱きしめ合っていた。
クソが!
中身、男だったらブチ殺してやりたい。
人の女を勝手に触りやがって……。