酔っぱらった勢いで、また宗像先生の下らないゲームへ参加することになった。
ミハイルが作った豪華なメニューは、既に品切れ状態。
大人気で30分もしないうちに、みんなが食べてしまった。
俺ですら、あまり口に出来なかったぜ……クソがっ。
もう中央に設置したテーブルは使わないだろう、と宗像先生がテーブルクロスを外した。
2つの机を少し間隔をあけて並べる。
そこへイスを4つほど持って来て、向かい合わせに置いた。
どうやら、これが試合会場のようだ。
「これでよし。じゃあ、今から『聖夜の相手は誰だ!? びしょ濡れアームレスリング大会』を始めるぞ!」
酷い名前の大会だ……。
ドン引きする俺とは違い、ミハイルとマリアはやる気マンマンのようだ。
「オレが絶対、優勝してクリスマスはアンナとデートさせるからな!」
「ふん。いい度胸ね。10年分の想いの差を見せつけてあげるわ」
話が勝手に進んでいるが……ちょっと待てよ。
最近、俺もミハイルが可愛すぎて、女扱いしているけど。
男子と女子は戦ったら、ダメなんじゃないのか?
マリアも男に負けないぐらいの馬鹿力を持ってはいるが。
さすがに今回は……。そう思った俺は、壇上に立つ宗像先生の元へ向かう。
「宗像先生。今回の大会って男女は戦ったらダメですよね?」
「そりゃそうだろな。ゴリラみたいな女でも、性別が違うからな」
しれっと酷いこと言うなぁ。
「じゃあ、ミハイルとマリアは戦ったら、良くないでしょ? あの2人、試合する気マンマンですよ」
俺がそう言うと、先生はしばらく考え込んだ後、こう答えた。
「ふむ……あの2人か。確かに双子ってぐらい似たような顔だし、それに体格も同じ。なら、良いんじゃないのか?」
「へ?」
「古賀は尻を叩いたら、女みたいなカワイイ声で叫ぶから、女子部門にさせよう! 面白そうだしな♪」
「えぇ……」
※
結局、宗像先生の思いつきで、ミハイルだけは女子部門へ参加することに。
アームレスリング大会については、強制ではない。あくまでも、任意だ。
だから、消極的な真面目生徒たちは、やりたがらなかった。
男子部門からは、リキと一だけ……では盛り上がらないと、宗像先生が怒り出し。
俺とおかっぱ頭の双子、日田兄弟の片割れを無理やり参加させた。
1回戦はリキと日田 真二。弟の方だ。
兄は身体が弱いため、彼が参加したらしい。
結果は、瞬殺。
ほのかと聖夜を楽しみたいリキが、開始の合図と共に、腕をへし折るように机へ叩きつけた。
悲鳴を上げて、机から転げ落ちる日田。
かわいそう……。
次は俺の番だ。
机に座り、右腕を差し出すと相手選手が優しく俺の手を握りしめる。
とても柔らかい。
「あ、あの……新宮さん。あまり痛くしないでくださいね」
視線を上げて、相手の顔をよく見る。
そこには、頬を赤くしたサキュバスがいた。
「一か。まあゲームだからな、適当にやろうな」
「はい、クリスマス会ですもんね。楽しくしましょう」
と優しく微笑んでくれたのだが……。
宗像先生が俺たちの拳に手を当てて、「それでは2回戦、はじめっ!」と叫んだ瞬間。
可愛らしいサキュバスの表情は失せ、鬼のような形相になる。
眉をひそめて、俺の手をぐしゃっと握り潰す。
その痛みに耐えられず、俺は力を緩めてしまう。
「フンッ!」
普段はそんな低い声を出さないのに、この時ばかりは漢だった。
それも戦に出るような、侍。
反対方向に叩きつけられた俺の腕は、感覚が麻痺していた。
これ……折れてるよね?
「勝者! 住吉 一! 決勝戦は、千鳥と住吉で決まりだ!」
宗像先生が一の手を取り、試合の終わりを告げる。
「やったぁ~♪ リキ様と戦えるぅ~」
可愛らしくその場で、ぴょんぴょんと跳ねてみせるサキュバス。
だが、そんなことよりも見てよ。
俺の右腕……ぶら~んとして、全然力が入らないの。
痛みすら感じない。
どうやったら、治るの?
ねぇ、サンタさんたら……。
反対側に曲がってしまった俺の右腕だが……。
宗像先生が強引に元の形に戻してくれた。
やっと腕に力が入るようになったのだが、肌の色が真っ青なんだよね。
しかも、妙に冷たい……壊死じゃないよね?
男子の決勝戦は、リキと一。
お互い、テーブルに肘をつけると、相手の手をがっしり握る。
最初に口を開いたのは、リキの方だ。
「なぁ、一。悪いけど、俺は本気なんだ。負けても泣かないでくれよ」
「え、えぇ……僕なんかじゃ、リキ様の相手になりませんよ……」
そう言いながら、頬を赤くする。
「なら全力で行くぜ?」
「は、はい!」
そこへ宗像先生が現れて、2人の拳に手をのせる。
「よぉし! これが男子の最終決戦だ! 勝った奴がイブを過ごす相手を選べるからな。出し惜しみするなよ!」
まだ言っているのか。そんな権限ないくせに。
「始めぃ!」
~10分後~
「くぅぅ……」
「……」
苦悶の表情をするのは……一ではなく、リキの方だ。
スキンヘッドは、汗でびしょ濡れ。
顔を真っ赤にして、一の腕を倒そうと必死だ。
しかし、彼の華奢な細い腕は、ビクともしない。
むしろ余裕すら、感じる。
その証拠に、もう片方の腕で頬杖をついている。
頬を赤くして、潤んだ瞳でリキを見つめる。
「はぁ……」
とため息をつく。
だが、試合に疲れているからではないようだ。
多分……愛しのリキ様に見惚れているから。
リキはそんなことも知らず……というより、相手の顔を見る余裕がない。
瞼をぎゅっと閉じて、一を倒すことで精一杯のようだ。
「くっ、強えぇな……一」
「……」
うっとりとした目でリキを見つめる一。
左の小指を噛みながら、呟く。
「はぁ……このたくましい手で、僕は……」
先ほどの“情事”を思い出しているのだろうか。
なんだかこの2人の周りだけ、ピンク色に見えてきたよ。
~更に10分後~
「ぐあああ!」
「……」
アームレスリングの試合を良いことに、愛しのリキをたっぷり堪能する一。
しかし、このままでは、あまりにもリキが可哀そうだ。
遊ばれているだけだからな。
試合中だが、俺は一の方へ静かに近寄る。
そして、彼に小さな声で耳打ちを始めた。
「おい、一。そろそろ、決めてやれよ。勝つのか、負けるか……」
俺がそう言うと、ようやく我に返ったようで、いつもの彼に戻る。
ビクッと震えて慌て出す。
「ひぃっ! し、新宮さん!? どうして、隣りに?」
「お前がさっさと試合を決めないからだろ……もう30分近くも戦っているぞ? リキを想うなら、真面目に戦ってやれ」
「あ……ごめんなさい」
正気に戻ったことを確認した俺は、自分の席に戻ろうと、彼に背中を向ける。
次の瞬間だった。
「勝者! 千鳥 力! 優勝は、千鳥だっ!」
振り返ると、汗だくになったリキが、自身の拳を高々と天井に突き上げていた。
一はと言えば、わざとらしく自身の腕を痛そうにさすっている。
なんだっんだ、この茶番は?
※
男子部門が終わったところで、次は女子だ。
女子の第1回戦は、マリア対ほのか。
どう考えても、マリアに武があるのだが……。
ハイスペックな彼女でも、苦手なものはあるようで。
怪しく眼鏡を光らせた腐女子のほのかを見て、顔を引きつらせていた。
「よ、よろしく。私はマリアよ……」
そう言って、対戦相手に手を差し出す。
「うひょおー! 本物の金髪美少女やん! めっちゃ可愛い! ペロペロしたくなるわ!」
机に大量の鼻血を垂らす変態。
よっぽど、マリアのルックスが気に入ったようだ。
「あ、あなた。大丈夫なの? 鼻から血が出ているわよ?」
「気にしないでぇ! これは癖みたいなものだから……それより、ミハイルくんにそっくりだね。もしかして、双子とか?」
鼻息を荒くして、身を乗り出すほのか。
これには、さすがのマリアもドン引きだ。
「い、いえ。彼とは……他人よ?」
「ハァハァ……今日は大量の素材を手に入れたわ。一くんはBLに使えそうだけど、あなたは完璧に百合ね!」
真面目な帰国子女には、理解できない世界のようだ。
困惑した様子で、ほのかを見つめている。
「ゆ、ゆり? なんのこと? あなたはお花が好きなの?」
「ええ! もちろんよ! マリアちゃんみたいなお華を、びしょ濡れにさせて、咲かせまくるのが大好きなの!」
「え……もしかして、あなたレズビアン?」
とこちらに視線を向けてきたから、俺はそっぽを向いた。
あんまり関わりたくないから……。
「ハァハァ……マリアたん。早く絡めたいわ……」
鼻息を荒くして、自前の制服。白いブラウスは、血で赤く染まる。
ただし、ケガによるものではなく、彼女が興奮しているからだ。
対戦相手のマリアは、試合が開始したにも関わらず、硬直していた。
きっと、どう接していいか、分からないのだろう……キモすぎて。
「あ、あの……ほのかさんだったかしら? もう始めてもいいの?」
「もちろんよ! まずはそっくりなミハイルくんを女体化させて……それから、マリアちゃんとベッドインさせましょ!」
「え……?」
ほのかの脳内は、既に自身の創作でいっぱいのようだ。
アームレスリングなど、どうでも良いのだろう。
目の前にいる金髪ハーフの美少女を、如何にして、作品で絡めるか……そればかり考えている。
全く持って、迷惑な生き物だ。
マリアは困惑した様子で、ずっとほのかを見つめている。
「私、海外にいたから、そういう恋愛感情とか差別する気はないのだけど……。でも試合だから、倒すわね?」
なんか、幼児に話しかける保育士さんみたいだ。
「うひょお~ 女体化したミハイルくんをベッドに押し倒すですって!? マリアちゃんは、攻めだったのねぇ!」
暴走するほのかを見て、悲鳴をあげるマリア。
「ひぃっ! ごめんなさい!」
そう言うと瞼を閉じて、ほのかの腕を倒した。
しかし、負けた彼女は嘆くことなどない。
眼鏡を光らせて、怪しく微笑んでいる……むしろ嬉しそう。
「うへぇ~、そのブルーサファイア。キレイだわぁ。ペロペロしたい♪」
「あ、あの……試合は終わったのだけど?」
ほのかは倒されても、マリアの手をずっと離さなかった。
白く透明感のある美しい肌を、スリスリと撫で回す腐女子。
確かに、無知なマリアじゃなくても、恐怖を覚える。
そこへ、宗像先生が間に入ってきて、ほのかの手を引き離す。
「勝者! 冷泉 マリア!」
宗像先生はマリアの腕を上げて、笑っていたが。
肝心のマリアは、全然喜んでいない。
真っ青な顔で俯いている。
なにやら、一人でブツブツと呟く。
「試合は勝ったのに……なぜか、あの子に負けた気がするのだけど」
そりゃ、あの変態女先生に勝てる人間なんていないだろ。
創作においてだが……。
いや違うな。正しくは人間を辞めているから。
※
女子部門の2回戦は、宗像先生とミハイルだ。
腐女子が多いとはいえ、みんな根はまじめ……というか、基本陰キャばかりだ。
だから、こういう時。自ら挙手するような女の子は少ない。
仕方なく、ミハイルの相手は、宗像先生がすることに。
ミニスカのサンタコスをしていると言うのに、机に肘をつくとガニ股になる宗像先生。
試合を観戦している俺からすると、紫のレースパンティが丸見えだ。
汚いので、早く股を閉じて欲しいものだ。
「よいしょっと☆」
その汚物を隠してくれたのは、俺の嫁……じゃなかったダチのミハイル。
レザーのショートパンツが、イスの隙間からはみ出る。
ぷにんとして、柔らかそうだ。
何かまた怒りが込み上げてきた……“あれ”が触れなかったことを。
宗像先生が自身の口から試合の始まりを告げる。
「いくぞ、古賀!」
「オレ、負けたくない! 絶対に!」
~10分後~
「クッソ~! 強いよぉ~ 宗像センセー!」
「あ、あああ」
お互い、プロレスラー並みの馬鹿力を所持しているため、なかなか試合が決まらない。
五分五分と言ったところか。
だが、宗像先生の様子が少しおかしい。
唇をかみしめて、何かを我慢しているように見える。
「あああ……ヤバいぃ! 漏れるぅ!」
これには、周りにいた生徒たちみんな、一斉に声を揃えた。
「「「え!?」」」
「だはぁ! ハイボールを飲み過ぎたぁ! もうダメ! おしっこが漏れちゃうよぉ!」
アラサー教師がお漏らし発言とか……、しんど。
結局、宗像先生がトイレに行かないと、自習室の床がびしょ濡れになる恐れがあったので、ミハイルの勝利となった。
自ずと女子部門の決勝戦は、マリア対ミハイルに。
両者、向かい合うと、お互いを睨みつける。
双子ってぐらいそっくりの2人だが、やはりこうして並んでみると、違和感を感じる。
ファッションの好みに、違いもあるのだろうが……。
一番はその美しい瞳だ。
特にマリアのブルーサファイアからは、持ち前の性格が現れている。
決して目つきが悪いとかではなく、瞳が大きいので、目力がある。
それに「この勝負に勝ちたい」という気持ちが強いからだろう。
机の上に肘を載せて、ミハイルを待つ。
「さぁ、早く始めましょう?」
と怪しく微笑む。
余裕すら感じるマリアに、ミハイルは動揺していた。
「わかってるよ! おまえなんか、すぐに倒しちゃうゾ!」
「フフフ……面白いわ。あなたを見ていると、あのブリブリ女を思い出すの。男の子なんだから、全力でいいわよね?」
マリアのやつ。アンナのことで、ミハイルに八つ当たりしているな。
ていうか、張本人だから別にいいか。
ミハイルは顔を真っ赤にして、安い挑発にのってしまう。
「アンナのことをバカにするな! タクトの大事なカノジョ候補なんだ!」
「フン。あんな地雷系の痛い女が? 笑わせるわね……」
腕相撲の前に、取っ組み合いの喧嘩が始まらないか、ヒヤヒヤしていたが。
おしっこから戻ってきた……宗像先生が2人の元へ近寄り、試合開始を告げた。
「女子の決勝戦! 始めぃ!」
自習室は独特の緊張感が漂っていた。
みんな、2人のピリッとした空気にやられているようで、静まり返る。
俺もこの試合で、クリスマスイブが決まる……かもしれないので、一応気にはなる。
ていうか、俺にイブの選択肢はないんですか?
試合開始から、約30分が経とうとしていた。
両者一向に引けを取らない。
全てが互角だった。
あの馬鹿力のミハイルと、同等に戦える人間……いや、女がこの世にいたとは。
宗像先生はカウントしてない。あれは中身がオッサンだから。
「んぐぐぐっ……」
ミハイルの額からは、たくさんの汗が流れ出る。
それだけ、彼が本気だってことだ。
対するマリアも同様だ。
顔を真っ赤にして、相手の腕を倒すことに、全神経を集中させている。
「強いわね……」
このままでは勝負が終わることがない……そう思っていた。
だって、体格も力も全てが同じならば、引き分けしかない。
持久戦だとして、スタミナでさえ互角なら、どちらも勝てるとは思えない。
参ったなぁ、と後ろからミハイルを眺めていると……。
マリアが苦しそうに話し始めた。
「あのね……良いことを、教えてあげるわ」
「は? 試合中だゾ……」
「あなた、あのブリブリ女のいとこでしょ? タクトの……小説で。あれが初めてのデートと、書いてあったけど。本当は違うわよ」
「なっ!?」
マリアの言葉に一瞬だが、力を緩めてしまうミハイル。
「ど、どういうことだよ!?」
「本当の初めては……私よ」
口角を上げて、怪しく微笑むマリア。
そうか、マリアのやつ。
力では勝てないと踏んで、心理戦に持ち込むつもりか。
『初めて』を重んじるミハイルにとっては、辛いだろうな。
「はぁ!? タクトはアンナと初めて『しろだぶし節』の像で、待ち合わせて。それからカナルシティで映画を観て。“キャンディーズ”バーガーで食べた後、博多川でカノジョ候補になったんだゾ!」
大きな声で過去を遡るのは、やめてくれるかな?
クラスメイト全員が、聞いているんだよ。
あと君は、いい加減に『黒田節の像』と覚えなさい。
「それ、全部。10年前にタクトが私へしたことよ? 小説の中でアンナは初めてだとか、喜んでいたからね……いとこに伝えておいて。『あなたは2番目よ』ってね」
と意地悪くウインクしてみせるマリア。
「こ、このっ!?」
怒りの余り、ミハイルは席から立ち上がりそうになる。
しかし、試合中だということを思い出し、腰を下ろす。
この間、彼の体勢は大きく崩れ、隙が生まれてしまう。
マリアはこれを狙っていたのだろう。
だが、まだミハイルに勝つには、更なる追い打ちが必要なようだ。
「あの作品でタクトが行ったデートのルートはね。私たちの定番だったわ。彼は、私という記憶を封印していたから、無意識のうちにやっていたみたいね」
「う、ウソだっ!」
「本当よ。疑うなら、タクトに聞いてごらんなさい。それとも、これから彼が描く『過去』を読んでみることね。そうすれば、真実だと分かるわ」
「そんな……」
マリアのやり方は、汚い……だが、事実だ。
逃れられない過去。
10年前はミハイルやアンナなんて、いなかったから、ただの友達として付き合っているつもりだった。
彼女からすれば、そういう風に見られても仕方ない。
それに……マリアの言う通り、俺は無意識のうちに昔のデートをアンナにさせていたんだ。
黒田節の像、カナルシティ、ハンバーガーショップ、博多川。
全て、子供のころにマリアと初めて体験した場所。
思い出だ。
多分、マリアに出会っていなかったら、俺はあの場所へアンナを、連れて行くことはない。
というより、そんな発想すら思いつかないだろう。
対戦しているミハイルは、きっと大ダメージなのだろう……。
だが、離れて見ている俺も何故か、心がえぐられるような胸の痛みを感じる。
これは罪悪感……なのか。
「タクトは許してあげて。私以外、女の子との交流経験がないから。それで、私と似ているアンナを代用したのかも……ね。10年間、私を死んだと思っていたみたいだから」
そうマリアが言い終える頃。ミハイルは項垂れて、黙り込んでいた。
腕に力を入れるどころか、座っているのもやっと……というぐらい憔悴しきっていた。
「アンナは……おまえの、マリアの代わり?」
「そればかりは、彼に聞かないとわからないけど……。私からすると、そう見えるわね。もう私が日本へ戻ってきたのだし、代わりは要らないと思うのだけど?」
「いらない?」
「ええ、そうよ。もう私の代わりはいらないはず。だって、ちゃんと帰ってきたのだから、本当のメインヒロインがね」
「そ、そんな……アンナが。おまえの代わりだったのか……?」
気がつくと、ミハイルの瞳からは、大きな涙がポロポロと零れ落ちていた。
そして、試合中だというのに、視線をこちらに向けて、唇をパクパクと動かす。
何かを俺に伝えたいようだ。
しかし、ショックが大きすぎて、ちゃんと喋ることができない……。
「た、タクト……ウソでしょ?」
子供のように顔をくしゃくしゃにして、泣き出すミハイル。
俺はそんな彼を見て、胸に大きな矢が突き刺さったような激痛を感じた。
「ミハイル……すまん、本当のことだ」
観客席から覇気のない小さな声で呟いた。
正直、周りの生徒たちの耳にも聞こえたか、分からないほど。
それでも、ミハイルは俺の表情を見て、なにかを悟ったようだ。
「アンナは……代わりだったの?」
その時だった。バタンと何かが倒れる音がしたのは。
マリアがついにミハイルの腕を、机へ叩き落としたのだ。
時間はかかったが、心理戦は効果てきめんのようで、大ダメージを食らった。
「勝者、冷泉マリア! 女子部門の優勝者は冷泉だ!」
宗像先生が試合終了の合図を叫んでいたが、俺とミハイルだけはずっと固まっていた。
試合の結果に落ち込んでいるわけじゃない。
俺たちの……アンナとの初デートが、2番目だったということが……。
ショックだったんだ。お互いに。
アームレスリングの優勝者が決まり、クリスマス会も終わりを迎えようとしていた。
最後にみんなで黒板の前に立ち、集合写真を撮ろうと宗像先生が提案する。
各自、まとまりの悪い集まり方で……。
先生に言われた通り、真面目に黒板の前に立つ者もいれば、床の上であぐらをかく者もいる。
こういうところが全日制コースと違い、集団行動が苦手と分かる。
宗像先生が今時、なかなかお目にかかることがない、インスタントカメラを持ってきた。
一生懸命フレームに収まるよう、撮影に必死だ。
ガニ股になってまで、位置を測っているから、紫のレースパンティが丸見え。
一応、先生も頑張っているので「しんどっ……」とは、言えなかった。
それよりも、今の俺にとって……一番辛いのは、隣りに立っているマブダチのことだ。
涙こそ枯れたものの、マリアの語った過去を未だに引きずっている。
そして、彼の心理ダメージは、計り知れない。
黙り込んで俯いているミハイルを見て、心配になり声をかける。
「なあミハイル……だ、大丈夫か?」
しかし、彼は何も答えてくれない。
というより、喋る気力がないように見える。
「……」
これはかなりの重傷だ。
そう思っている間に、集合写真の撮影は終わってしまったようだ。
俺もそうだが、ミハイルも目線は、きっとカメラに向けられなかっただろう……。
だが、これでようやくクリスマス会も終わりだ。
この後、一緒に電車でミハイルと帰れる。
2人きりになれば、話題を変えて彼をフォローできるかもしれない。
しかし、次の瞬間。
宗像先生から衝撃の一言が発せられた。
「よし。じゃあ、先ほどのアームレスリング大会で、優勝した千鳥と冷泉は前に出ろ。お互い、イブを過ごしたい相手を指名してな」
「えっ……」
忘れていた。
優勝した選手は、クリスマス・イブを一緒に過ごせる権利がもらえるんだった。
これには、俯いていたミハイルも反応し、顔を上げる。
「クリスマス……イブ……」
なんて、悲しい顔だ。
長い付き合いだが、ここまで落ち込んだ顔は初めてだ。
俺は……ミハイルの震える小さな肩を優しく掴むことすら、できないのか。
※
サンタさんとトナカイが描かれた黒板の前に、宗像先生がイスを2つ並べて置く。
まず、男子部門の優勝者であるリキが座り、インタビュー形式で、先生が彼に尋ねる。
「千鳥。イブを一緒に過ごしたい奴は、この教室の中にいるか?」
「はい! い、いますっ!」
リキにしては珍しく、動揺していた。
「よぉし。じゃあその名前を叫べっ! そしたら、この蘭ちゃんサンタさんが叶えやろう!」
またノリで無責任なことを言ってから……真に受けるじゃん。生徒たちが。
その証拠に、リキはかなり緊張していた。
まるで、告白する時みたいに。
「あ、あの……俺はクリスマス・イブを北神 ほのかちゃんと過ごしたいっす!」
男らしく潔い告白……ではなく、公開処刑だと思った。
夏休みに振られたのに、あいつ……。
リキはほのかへの想いは変わらず、むしろ以前より大きくなっているように感じる。
ま、俺からしたら「何がいいんだ?」って思う。
ただの腐女子じゃないか。
リキの告白により、静まり返る教室。
みんなの視線は一斉に、ひとりの眼鏡女子。北神 ほのかへと向けられた。
自身の名前を呼ばれたほのかは、黙り込んでいた。
俯いて、肩を落としている。
その姿を見た俺は、咄嗟に半年前の出来事を思い出す。
『私は……今。夢で忙しいの! 絡めることしか、考えてないの!』
別府温泉でほのかが、リキを振った時の言葉だ……。
またあんな風に、断られる。
そう感じた。
でも、俺には何も出来ない。
特に今は……隣りに立っているミハイルが心配だ。
「おぉい! 北神ぃ! どうなんだ? 24日を千鳥と過ごす気はないか!?」
デリカシーのない宗像先生が、追い打ちをかけるように、大きな声でほのかに返答を迫る。
先生の大声でようやく、視線を上げるほのか。
虚ろな目でリキを見つめる。
この感じじゃ、また振られるだろう……そう思ったのだが。
彼女の口から発せられた言葉は、意外なものであった。
「えっ? 24日……ですか!? あ、行きます。是非ともリキくんと一緒に行きたいです!」
これには、告白した本人も大喜び。
イスから立ち上がって、ガッツポーズを決める。
「よっしゃー! ほのかちゃんとイブを過ごせるなんて! 俺……諦めなくてよかった」
余りの嬉しさに泣いているよ……。
でも、なんか俺まで泣きそう。
だって、これまでリキは、体当たりの取材をやってきたからな。
まさかの「YES」をもらえたことにより、リキは喜んでほのかを迎えに行く。
黒板の前に設置された撮影ブースへ連れて行くためだ。
ハゲた王子さまと、腐った眼鏡のお姫さま。
「素敵よっ!」と心の中では叫びたかった……が。
ほのかがイスに座った瞬間、現実へと突き落とされた。
「いやぁ。私も24日は絶対に外せない予定があってさ。まさかリキくんも行きたいとは思わなかったよ♪」
俺は彼女の言う『予定』で、すぐに思い出した。
そうだ。
12月24日は、クリスマス・イブでもあるが……コミケも開催されるんだった。
冬のやつ……。
だが、そのことはリキに一切伝わっていない。
「そうなの? じゃあ、俺も一緒に連れていってくれる?」
「もちろんだよ~ 絶景の撮影スポットもあるから、楽しみにしていね♪」
と親指を立てて笑う、ほのか。
絶景ね……どうせ二次創作の裸体パレードだろ。男だらけの。
お互い、意思疎通は取れていないが、まあイブを2人で過ごせることには違いないから……。
良かったね、リキ先輩。
リキと腐女子のほのかが、無事にイブをカップル? として過ごすことになり、会場は大いに盛り上がった。
というか、他の腐女子たちも、24日がコミケの日だと思い出して、推しのサークルが出展するかスマホで検索しだす。
そして、卑猥なサキュバスのコスを着た少年。一も2人に便乗する始末。
「あ、あの……24日っていうと、『あそこ』ですよね? 僕も参加するので良かったら、声を掛けてもいいですか?」
ともじもじしながら、無知なリキへ問いかける。
「ん? ああ、そんなに福岡じゃ有名なスポットなんだな。いいぜ!」
ニカッと白い歯を見せて、親指を立てるリキ。
その姿を見て、一の顔はパーッと明るくなった。
「本当ですか!? じゃあ、お二人の邪魔にならないようにしますので!」
いや、邪魔する気マンマンだろ、こいつ。
本当にリキの恋愛って、苦難しかないな……。
※
最後に女子部門の優勝者、マリアの番となった。
宗像先生に呼ばれると、すぐさま黒板の前に置かれた片方のイスに座る。
脚を組んで、両手を膝の上に載せる。
正に、勝者の顔だ。
先生がイブの相手を聞く前に、自身の口からその名を発する。
「私は新宮 琢人を指名するわ。婚約者だから、イブを過ごすのは当然なのだけど」
俺の顔に目掛けて、ビシッと人差し指をさす。
それを見た宗像先生は「ふむ」と頷いた。
「なるほど。じゃあ、ほれ。新宮、呼ばれたぞ? 優勝者の言うことはちゃんと聞けよ」
「そ、そんな……俺の意思は……」
どうにかして、時間稼ぎでもしようかと試みたが、宗像の機嫌を損ねるだけだった。
「あぁん!? 私が決めたルールだぞ! さっさと行って来い!」
「はい……」
これ以上、逆らったら殴られそう……と、思った俺は渋々マリアの方へと向かう。
途中でミハイルのことが気になり、振り返って見たが。
「……」
黙り込んで、固まっている。
マリアが語った過去のショックが大きすぎて、呆然としているようだ。
まあ、写真さえ撮ることが出来たら、あとで2人になれるだろうから……。
もう少しの辛抱だ。
※
とりあえず、素直にマリアの隣りに座ってみる。
腰を下ろした瞬間、彼女はずいっと身を寄せてきた。
そして当たりた前のように、俺の左腕を掴んで、自身の胸を押し付ける。
相変わらずのノーブラだったので、生乳がとても柔らかく……俺好みのサイズ。
嬉しい誤算だったが、それよりも遠くから、こちらを眺めている『彼』のことが、気になる。
「お、おい……みんなの前だろ?」
一応、注意してみたが、マリアは悪びれる様子もなく。
肩をすくめる。
「それがどうしたの? 別にいいじゃない。婚約者なのだし」
「しかしだな……」
「優勝したのは私なのだから、これぐらい良いでしょ? 日本に帰って来て、まだタクトと恋人らしいこと。ちゃんと出来ていないもの」
「そ、それは……」
確かにそう言われたら、マリアとはちゃんとデートしたことがない。
成長してカナルシティで再会した時ぐらいだろう……。
あとは、映画を観に行ったけど。半分はアンナが化けていたから。
「それじゃ、一枚目撮るぞぉ~!」
宗像先生がインスタントカメラをこちらに向ける。
スマホやデジタルカメラじゃないので、撮影してもすぐに確認できないのが、デメリットだ。
しかし、失敗できないからこそ、一枚一枚を大切に撮れる代物。
それを察してか、マリアもニッコリと優しく微笑み、俺の肩に顎を乗せる。
俺は緊張から、身体がカチコチに固まってしまう。
他の生徒たちの視線をずっと感じるし、恥ずかしくて仕方ない。
「よぉし、もう一枚。ラストいってみるか! 瞼を閉じるなよぉ~!」
シャッターの音に気がつかなかった。
でも、これで最後だ。
ふとミハイルの方に、目をやると……。
この世の終わりみたいな表情で、こちらを眺めていた。
早く声をかけてやりたいが、撮影がまだ終わらない。
もう少し、待っていてくれ……。
「いくぞぉ~ はい、チーズ!」
今度はシャッターの音が、しっかりと耳にまで響いてきた。
しかし、それと同時に辺りから、悲鳴があがる。
何事かと、教室内を見回すが、特に何もない。
女子生徒たちが、俺の顔を指差して、大きく口を開けている。
ズボンのチャックが、開いた状態なのだろうか?
と、下半身をチェックしても、問題なし。
そうなると、あとは……。
「んふっ……」
耳元がくすぐったいな。
マリアの声か。
しかし、なんだ。この頬に伝わる柔らかい感触は?
小さいがプルプルしていて、とても気持ちが良い。
暖かく癒される……って、まさか!?
そーっと視線を隣りに向けると、瞼を閉じたマリアがいた。
普段、強気な彼女からは、想像も出来ないぐらい優しい顔。
頬を赤くして、俺の頬に口づけしている。
「んんっ……タクト。好きよ」
一ツ橋高校の生徒、教師。全員の前で告白されてしまった。
しかも、ほっぺチューされながら……。
「や、やめろよ。マリア……こんなところで」
うろたえる俺に対して、マリアはゆっくりと瞼を開く。
キラキラと輝く碧い瞳が、いつもより綺麗に見える。
唇を頬から離してはくれたが、両手はずっと俺の肩を掴んでいて、逃げられない。
「これぐらい。海外では挨拶レベルじゃない?」
「そ、それは……でも、ここは日本だ。こういうのは、恋人同士がするものだ」
「フフ。本当にうぶなのね、タクトったら。やっぱり小説に必要ね。私というヒロインが」
「ま、マリア……」
積極的な彼女を見て、俺が固まっていると……。
一連の行為を遠くから眺めていた彼が、叫び声をあげる。
「ふざけんな! 10年とか関係ない! 勝手にオレのダチで遊ぶなっ!」
久しぶりにキレたミハイルを見た。
だが、その言葉とは裏腹に、身体は小刻みに震えて、どこか弱々しい。
エメラルドグリーンの瞳は輝きを失せ、涙でいっぱいだ。
「ミハイル……」
彼に手を差し伸べてあげたかったが、マリアの腕がそれを邪魔する。
「もう……もう、知らない! オレ、帰る!」
そう吐き捨てると、彼は背中を向けて、教室から走り去ってしまう。
俺が呼び止める前に、一瞬で彼は自習室から消えた。
せっかくのクリスマス会。
朝早くから、料理やデザートまで作ってくれたのに。
俺は……結局、このあとミハイルと一緒に帰ることは出来なかった。
放心状態のまま、マリアと電車に乗ったが、そこからの記憶が曖昧だ。
あれから、2週間近く経とうとしていた。
今年最後のスクリーングだっていうのに、最悪な終わり方。
別に会おうと思えば、いつでも会える関係性だが……。
どうも俺からは、ミハイルに声をかけることは恥ずかしいというか……申し訳ない思いで連絡さえ出来ずにいた。
勉強もないし、小説もしばらく書かなくて良い。
そうなると、新聞配達以外は特に何もせず、一日をダラダラと過ごすだけ。
俺自身、クリスマス・イブは……特別な日だと思っていたから。
今年はアンナと一緒に過ごすものだと、勝手に思い込んでいた。
でも、口約束とはいえ。マリアとイブを共にすることになった。
嫌ではないけど……。
あのミハイルの泣き顔を見て、素直に喜べない。
自室の二段ベッドの上にあがり、寝そべる。
通知なんて何もないのに、スマホの画面と睨めっこ。
もしかしたら……そんな思いで、俺はずっと着信を期待していた。
無意味な行為だが。
その時だった。
永遠の推し、アイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が、スマホから流れ出す。
着信名なんて、確認せず。電話に出る。
「もっ、もしもし!?」
しばらく、誰とも口を聞いてないので、痰がらみの声になってしまった。
『あ、DOセンセイですか?』
思っていた相手と違い、俺は一気に落ち込む。
「なんだ……白金か」
『いや、失礼じゃないですか? 私だとなんか都合が悪いんですか? 仕事の話なんですけど』
深くため息をついた後、白金の『仕事』という言葉に気持ちを切り替える。
「仕事? 原稿ならもう書き終わっただろ?」
『それは、来年発売のマリアちゃん回。4巻のことでしょ? 今週、発売された2巻と3巻の話ですよ』
「ああ……そう言えば、発売日だったか」
すっかり忘れていた。
『そうなんですよぉ~ めっちゃ発売前から人気でぇ~ もう重版決まってですね。編集部は大忙し♪ 私のお給料も右肩上がりで……』
落ち込んでいたので、白金には申し訳ないが、電話を黙って切ろうかと思った。
「……」
『あれ? DOセンセイ? 聞いてます?』
「聞いてるよ……」
『元気ないですねぇ~ ラノベ業界って2巻で打ち切りが多いのに、“気にヤン”は久しぶりの大ヒットなんですよ?』
「うん……」
正直、答えるのもしんどかった。
胸に大きな穴が、空いているようで……。
※
俺のテンションが低すぎる……というか、声が死んでいたので。
さすがの白金も心配してくれた。
何があったのか、事情を聞かれる。
白金も宗像先生みたいにデリカシーのない大人だから、答えたくなかったが。
なんか今の気分だと、こいつでもいいかと思えた。
クリスマス・イブをアンナではなく、マリアと過ごすことになったこと。
それを決めたのは、遊びとはいえ、宗像先生。
俺がそれらを説明すると、白金は受話器の向こう側でゲラゲラと笑い始めた。
『なんだぁ、そんなことですか?』
「お前……なんだとは、何だ! こっちは真面目に悩んでいるのに……」
『怒らないで下さいよ~ まあ蘭ちゃんが悪いとしてですねぇ……今年のイブがマリアちゃんになっただけでしょ?』
「は? アンナはどうするんだ? イブってのは女子にとって大事なもんだろう」
言いながら、あいつは男だと思い出す。
『そうですけどね。忘れたんですか? アンナちゃんにはプレゼントがあるでしょ?』
「あ……」
クリスマス・イブに先約を入れられたことで、すっかり忘れていた。
アンナの誕生日を。
そうだ。あいつの誕生日は12月23日じゃないか。
だからプレゼントも、しっかり用意していたんだ。
『ね? マリアちゃんはイブを過ごすけど、プレゼントはなし。取材感覚で会えば良いんですよ♪』
「はぁ……」
『ですので、しっかりと相手の好みも考えて、用意したアンナちゃんは本命と言えるでしょう!』
「つまり?」
『夜景が見えるレストランで、ディナーを楽しめば、イブとか関係なし! その後、酒でも飲ませて酔っぱらったら、ラブホテルへ連れ込めば良いんですよぉ~♪』
「……」
とりあえず、電話は雑に切ってやった。
しかし白金が言うことは、間違っていない。
イブも大事な日だが、誕生日を一緒に祝う方が大切かもしれない。
クズみたいな編集だが、ようやく元気が湧いてきた。
いや、違う。
正しくは勇気だ。
これで、ようやく彼に連絡が出来る。
俺はスマホのアドレス帳を開き、古賀 ミハイルの電話番号へ電話をかけることにした。
『トゥルル……おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』
「またか」
ミハイルに電話する勇気が出たのは良い事だ。
しかし、肝心の本人が電話に出てくれない。
「やはり、怒っているのか……」
この前のスクリーング。
クリスマス会での、アームレスリングにおいて、マリアが語った過去。
アンナとした初デートが、実はマリアとの定番デートだったこと……。
その事実にミハイルは動揺し、完敗。
更に追い打ちをかけるように、マリアがほっぺチュー事件を起こしてしまう。
嫌なことが重なり。彼は現在……心を完全に塞いでいるのかもしれない。
だが、それじゃダメだ。
クリスマス・イブのデートは、一緒に過ごせない。
それでも、俺はあいつを……アンナを祝いたいんだ!
ちょっと意地の悪いやり方だが、こうなれば、方法は選んでいられない。
仕方ないので、『もう1人』に連絡をすることにした。
唯一、俺がL●NEでやり取りをしているあの子。
ミハイルとは別人格だから、取材相手として、連絡がとれるかもしれない。
とりあえず、メッセージを使って、軽く挨拶をしてみる。
『アンナ。久しぶりだな。良ければ23日に取材をしてくれないか?』
すぐに既読マークがついたが、スルーされたようだ。
クソッ……これでもダメなのか。
だが、俺も後には引けない。
『すまない。取材というのは、噓……いや、照れだ。アンナの誕生日を祝いたいんだ。頼む』
彼女に無視されたくない一心で、包み隠さず本音で伝えてみた。
すると……。
既読マークがついた途端、スマホから着信音が流れ出す。
相手は、アンナ。
『タッくん☆ 久しぶり~☆ メッセージ見たけど、ホントなの!?』
めっちゃテンション高いですやん。
なら、さっさと電話に出ろよ。
「ああ。前々から考えていたことだ。その……ミハイルからクリスマス・イブのことは、聞いているか?」
『う、うん……なんか罰ゲームで、マリアちゃんと一緒に過ごすんでしょ』
誰も罰とは言ってないのに。
「そうだ。でも、それは取材だ。仕事にすぎん」
言っていて、苦しい言い訳だと思う。
『おしごと?』
「ああ、今年のクリスマス・イブは仕事で埋まってしまった。しかし、23日はお前の誕生日だ。その日は完全にオフ。俺が純粋にアンナを祝いたいから、やる。つまり特別な日にしたい……」
『特別……アンナの誕生日が?』
「そうだ。半年前、俺へしてくれたように……」
しばしの沈黙のあと、彼女は照れくさそうに答える。
『タッくん……嬉しい。イブを一緒に過ごせないのは、残念だけど。誕生日を2人で過ごせるなら、アンナは大丈夫☆』
「ほ、本当か!?」
『うん☆ 元気が出てきた☆ 今から何を着るか、楽しみぃ~☆』
良かった。だいぶ声が明るくなった気がする。
「ああ。待ち合わせはいつも通り、“黒田節の像”でいいか?」
『いいよ☆』
「じゃあ、またな」
彼女の声を聞けたことで、ようやく穴が塞がった気がする。
胸にぽっかりと空いてしまった大きな穴……。
※
アンナの誕生日、当日。
俺は博多駅の中央広場にある黒田節の像の下で、彼女を待つ。
もうあと一週間ほどで、今年も終わる。
博多駅の前には、明日のクリスマスを祝うために、巨大なツリーが建設されていた。
行き交う人々もどこか忙しい。
空を見上げれば、どこか暗く曇っていた。
ひょっとしたら雪が降るのかもな。
正直言ってかなり寒い。
ダッフルコートを着ていても、ぴゅーぴゅーと横風が身体の中を通り抜けて行く。
でも、なんか今年は、不思議と胸のあたりが暖かく感じる。
何故だろう……。
「タッくん~! お待たせ~☆」
そう言って、目の前に現れたのは、金髪の美少女。
アンナだ。
今日のファッションは、至ってシンプル。
全身真っ白のファーコート。衿には大きなパールがデザインされているものの。
気温が低いせいか、ボタンは全部しっかりと留めている。
これではコートの中が見えない。
まあ、丈の短いデザインだから、相変わらずその細く美しい脚は拝めるのだけど……。
なんというか、いつも露出してくれているありがたみが、再確認できた。
「お、おお……久しぶりだな」
アンナは俺の顔を見て、すぐになにかを察したようだ。
頬を膨らませ、上目遣いで俺を睨む。
「タッくん。今日のファッション。つまんないんでしょ?」
「いや……そういうわけじゃ」
「アンナだって、こんなに寒くなかったら、コート脱げるよ」
そう言って、大きな緑の瞳を潤わせる。
参ったな……見透かされていたのか。
「すまん。俺も女の子と冬を過ごすのは初めてでな。あ、でも頭につけている髪飾りか? コートと同じなんだな」
どうにか話題を変えようと、頭につけているカチューシャを指差してみる。
「あ、わかった? これ、コートと同じでパールなの。あとね、手袋とバッグもお揃いでぇ……」
聞いてもないのに、ベラベラと喋り出したよ。
ま、いっか。
「しかし、今日は冷えるなぁ。雪が降るかもしれん」
「うん。ホント、寒いねぇ~ こんな日に生まれてごめんね☆ もっと暖かい日に生まれたら、コートもいらないのに」
とウインクしてみせる。
いや、生まれて来てくれてありがとう。
というか、暖かいホテルに連れて行けば、コートも脱げるよね?
俺は事前に、今日のデートプランを考えていた。
クリスマス会での事件。彼女……いやミハイルは深く傷ついている。
だから、少しでも忘れて欲しくて。
インターネットを使い、色んなデートスポットを検索。
そりゃ、欲を言えば、夜景の見えるレストランで、ワイン片手に乾杯。
盛り上がったところで、予約していたホテルへと連れて行き……。
なんて、テンプレみたいなデートも考えてみたが。
俺たちはまだ未成年だ。
酒も飲めないし、お泊りっていう行為も許されないだろう。
あくまでも、健全な10代のデートで、一番最高な場所。
童貞の俺が考えに考え抜いた上で、たどり着いた目的地は……。
「きゃあああ! 寒いぃぃぃ!」
予想以上にクッソ寒い場所だった。
「ま、マジで寒すぎるな……」
以前、ゴールデンウィークの時に取材として、来たことがあるところだ。
博多駅からバスに乗って、数十分。
博多ドームの最寄りにある海水浴場。
百道浜だ。
普段なら、観光客がたくさんいるのだが、12月も終わりを迎えようとしているこの時期、誰もいない。
極寒だし風も強いので、正直吹き飛ばされそう。
「いやぁ! スカートがめくれちゃいそう」
「え?」
砂浜で一生懸命、スカートの裾を抑えているアンナをじっと眺める。
パンツが見えるなら、ここに連れてきて正解だったかも?
「タッくん。ここ、寒すぎるよぉ! どこにあるの? 景色がいい所って」
「すまん……海も見たいかなって思ってな。連れて来たが……この天気じゃな」
今度、強風の時。また、百道浜に連れてこよっと。
カメラを持って!
※
あまりの寒さと強風に、歩くことも難しかったため、俺たちはすぐに海水浴場を退散する。
そしてすぐ裏にある巨大な建物へと向かう。
近くにある博多ドームが横に広いとするならば、このタワーは縦に長い。
アンナの誕生日を祝うデートスポットとして、俺が選んだのは……。
「ここなの? タッくん☆」
「ああ。そうだ……」
2人で目の前にそびえ立つガラス張りの建物を眺める。
ただし、海からの潮風をバシバシと直撃している状態で。
アンナなんか、長く美しい金色の髪が乱れまくりだ。
顔が見えないほど、暴れまくっている。
メデューサみたい……。
「と、とりあえず、中に入ろう」
「うん☆ 寒いもんね……」
誕生日だってのに、なんだか可哀想だ。
※
入口の自動ドアが開く。
タワー内部は、暖房が効いていて、とても暖かく、また静かでもあった。
建物の作りとしては、至ってシンプル。
逆三角形の形をしている。
入って左側が入場券売り場。
右側がお土産などを販売しているアンテナショップ。
久しぶりに来たこともあってか、記憶が曖昧だ。
建物の中はこんなのだったか……?
もうかれこれ、10年以上来たことがない。
まだ幼かった俺は、母さんに手を引っ張られて、2人でタワーへと昇った。
別に母さんは博多タワーから観られる景色を、俺に見せたかったわけじゃない。
あくまでも、コミケの帰り。付近にある博多ドームのついで。
『さあ、タクくん。福岡で一番高い絶景の場所。博多タワーで今日狩った同人本を研究しますよぉ♪』
そう言って、福岡のてっぺんで薄い本をビニールシートの上に、広げていたっけ。
もちろん、他のご家族からは、汚物を見るかのような目つきで睨まれたが……。
まだ善悪の区別ができなかった俺は、母さんのいいなりだった。
『お母たん。こ、これ……“兜”て読むんでしょ?』
『そうよぉ、よく読めたわねぇ。タクくん、まだ3歳なのにねぇ。将来、有望なBL作家になれるわよぉ~』
優しく頭を撫でられて、俺は喜び……。
『か、兜は……合わせるんだよね?』
『天才よ、タクくん!』
今思えば、ただの虐待だった。
急に悪寒が走る。
いかんいかん……今日は、アンナの誕生日。
酷いフラッシュバックで台無しにするところだった。
頭を強く左右に振る。嫌な思い出を忘れるために。
異常に気がついたアンナが、俺の袖をくいっと引っ張る。
「タッくん? どうしたの? 風邪でも引いた」
「いや……つまらん過去だ。忘れていたと思ったのに、な」
「え? まさか、他の女の子とタワーに来たことがあるの?」
不安気に自身の唇を、白い手で抑える。
「正確には、女の子ではない。母さんという化け物だ……」
その答えを聞いたアンナの口元が緩む。
「なんだぁ~ タッくんのお母さんなら、悪い事なんてないじゃん☆」
いいえ。幼少期のトラウマなんですけど。
コミケの度、人様に迷惑をかけまくって、とても辛かったです……。
昔話はさておき、とりあえず、目的地であるタワー上部は、遥か彼方だ。
そして、有料だ。
俺はアンナにエレベーターの前で、待つように頼む。
今日は誕生日だから全部、俺が奢りたい。
彼女に黙って、入場券を2枚購入し、あたかも無料でもらったかのような振る舞いを見せる。
そうでもしないと、アンナは誕生日でもお金を気にするから……。
「待たせたな。実は新聞配達の店長から、2人分の無料チケットをもらっていてな」
しれっと嘘をつく。
大人で上司の店長なら、アンナも逆らえまい。
「そうなの? じゃあ、お返しにお土産を買っていかないとね☆」
「うぅ……」
どうあっても、格好つけさせてくれないのか?
仕方なく、彼女の言う通りにお土産を買って帰ることにした。
無関係の店長じゃなく、母さんと妹のかなでにだが……。