『さっきからガタガタうるせーんだよ!』
『なんだとバカヤロー!』
 背広姿のおっさん同士でキスする寸前まで、互いに睨みあう。
 一人の男は、金髪の中年。黒いスーツに白シャツでネクタイはしていない。
 この事から金髪は、いわゆるサラリーマンとは言えない。
 ヤクザのそれに近い。
 対するもう一人の男は少し若く、黒髪で、身なりが金髪の男よりきれいだ。


『だから、さっきからいってんだろー!』
『なにがだよ? 言えよ!』
 金髪がピストルを右手に構え、黒髪のアゴにつきつける。
『俺の歯をさっさと治療しろって言ってんだよ、バカヤロー!』
『やるから銃をどけろよ、バカヤロー!』
 どうやら黒髪は歯医者さんのようだ。
 ドリル。エアタービンが「キィーーーン」という不快な音がこちらにも聞こえてきた。
『いってぇな! バカヤロー!』
『じっとしてろよ! 動くなバカヤロー!』
 
 バン!

『いてぇって言っただろが……バカヤロ……』
 血が飛びちる。
 金髪の男は治療途中だというのに、その場を去っていった。

 世界のタケちゃんが主演、監督、制作をしている、全く新しいヤクザ映画『ヤクザレイジ』のワンシーンである。


「おお! さすがタケちゃん、初回からフルスロットルではないか!」
「キャッ!」
 俺の左腕に抱き着くアンナ。
 目をつぶり、必死にしがみついている。
「どうした? アンナ?」
「私……こういう怖い映画、はじめて」
 涙目で俺を見つめるアンナ。
 その距離、僅か10センチほど。
 このままキスしてもいいという、フラグでしょうか?

「そ、そうか……見るのやめるか?」
 絶対にやめたくない! 今日はタケちゃんの封切り日だというのに!
「ううん……タクトくんの好きな映画だからがんばる!」
 足ガクガクしてるやん……。
 ホラーじゃないからね! タケちゃんの映画は暴力描写が激しいだけだよ? 芸術だよ?
 なんてたって、世界のタケちゃんなんだから!
「ま、まあ無理はするな、アンナ。気分が悪ければ、いつでも俺に言え」
「やさしいんだね……タクトくん」
 モゾモゾしおってから、聖水ならさっさと行ってきなさい!

 ~30分後~

『撃てよ! 早く撃てよ!』
 鬼気迫るタケちゃん。
『やってやるよ、バカヤロー』
 
 カキーン!

『ヘッ、ファールじゃねぇか』
『うるせー、バカヤロー』
 どうやら、盃を交わした男兄弟とバッティングセンターで戯れているらしい。
 こういうお茶目なところも、タケちゃんの良さである。


「さすがだぜ! タケちゃんはヤクザ映画でもギャグを忘れてないな!」
 俺が拳を握り、固唾をガブ飲みしていると……。
「タ、タクトくん……わたし……」
「どうした? アンナ」
 隣りを見れば、顔面蒼白の彼女がいた。
「そんなに怖いか?」
「ううん、そうじゃなくて……お腹痛いの」
「ふむ。ならば、トイレに行くか?」
「ごめん、あとで戻ってくるから……」
 そう言うと、アンナは顔色悪く、スクリーンから去っていった。

 そんなに腹が痛むとは、昨日、激辛カレーでも食ったのか?
 まあ俺は、ぼっちでもタケちゃんと一緒なら、映画館を楽しめるけどな!


 ~30分後~

 バン! バン! バン!

『オヤジ……ゆるぢてください……』
 眼鏡の優男が血だらけになりながら懇願する。
『てめぇが絵図を書いたんだろうが! バカヤロー!』
『お、俺がなにをしたっていうんすか……』
 
 バン!

 優男が頭から血を吹き出す。
 目を見開いたまま、床にバタンQだ。

『誰がもういっぺん歯医者いくっつったんだ! バカヤロー!』

 ~FIN~


「壮絶なバトルだったぜ……」
 ん? そう言えば、アンナのやつ。
 まだトイレから戻ってこないな……もう終わってしまったぞ、映画。
 もったいない!

 俺は少々苛立っていた。
 なぜならば、ミハイルことアンナから、一日遊ぼうと提案したくせに……。
 あの世界のタケちゃんの映画を初見とはいえ、ラストを堪能しなかったことが許せなかった。
 これはお説教しなければな!

 アンナの飲みかけの飲み物を手に取る。
 ストローに目をやれば、彼女の口紅がついていた。
 ゴクッ!

「あの……早くどいてくれませんか?」
 近くに座っていたカップルの彼氏が「キモッ」て顔で俺を見る。
 べ、別に飲もうなんて思ってないんだからね!
「すまない」
 俺はカップルに促され、そそくさとアンナの飲み物と自分のゴミを持って、その場から去る。
 階段を降りると、スクリーン下で待っていたスタッフにゴミを手渡した。
 そのまま、スタッフが足元の業務用のゴミ箱に捨ててくれるのだ。


「アンナのやつ、まだトイレか?」
 廊下を歩き、館内の一番奥に向かう。
 
 トイレにつくと、男子たちが女子トイレ付近でスマホをいじって立っている。
 これは、いわゆる『待機彼氏』というやつだ。
 つまり彼女たちが、聖水をしたあとにメイクと言う名の洗礼を受けている最中なのだよ。
 彼氏たちは暇だからスマホがお友達なのさ。
 ま、俺には無関係なことだが……。


「い、いや……」
 か細い女の声が聞こえた。
「いいじゃないか……」
「イヤです! 私、お友達と一緒だし……」
 なにやら言い争っている。
「可愛いね、ハーフでしょ? キミ」
 視線をやれば、スーツ姿のチビ、ハゲ、デブの中年オヤジが、可憐な女子を無理やり捕まえている。
 キモッ! とJKたちが一斉に阿鼻叫喚しそうな男だ。

「イヤッ! 放して!」
「はぁはぁ……おじさん、もう我慢できないよ。早く一緒にいこう」
 どこに行く気だよ。
 言い寄られている女性に目をやれば、見覚えのある姿。
 古賀 アンナ……。
 
 おいおい、まさかのナンパされてはるの? ミハイルさん。
 いや、アンナちゃん。


「その子をはなせ!」
 俺は怒っていた。

「タクトくん!」
 それまで、変態オヤジのいいなりになっていたアンナだったが、俺を見た途端にオヤジをぶっ飛ばす。
 腕力が女じゃねぇ!
 周りにいた待機彼氏たちも、固唾をガブ飲みしていた。

「アンナ、すまない! なにかされたのか!?」
 俺は感情をあまり顔に出すタイプではない。いわゆるポーカーフェイスというやつだ。
 だが、この時ばかりは俺も男なのだと思い知った。
「あのね……おじさんが私の……」
 そう言うと、アンナは泣き出した。
「なにをされた? ゆっくりで良いから、教えてくれ」
「私の脚をずっと映画館で触ってきてたの……だからトイレに逃げたのに追っかけてきて……」
「それは本当か!?」
 口調が荒々しくなる。
「うん……嫌だったけど、タクトくんに伝えるのが恥ずかしくて……」
 その場でしくしくと涙を流すアンナ。
 しかし、そこまで『設定』を貫き通すのか、アンナちゃん。

「彼氏がいたのか……じゃ、僕はこれで……」
 変態チビハゲデブオヤジがその場を去ろうとした。
「おい、おっさん!」
「うっ! なんだね! 僕はこれから、取引先と大事な打ち合わせがあるんだよ!?」
 これが世にいう、逆ギレというやつか。
 みっともない大人だ。こうはなりたくないものだな。

「おっさん、よくも俺の『連れ』に手を出してくれたなぁ!」
 気がつけば、『待機彼氏』たちも円陣を組んでおっさんを逃げられなくしていた。
 ナイスだ、彼氏たち。

「そ、そんな! 知らなかったんだよ……ハーフが大好きなんだよ、ぼかぁ」
 俺もです!
「だからといって、痴漢行為が許されると思っているのか! 同じ男として、恥ずかしいぞ!」
「ち、痴漢だなんて! ちょっとキレイで可愛い脚だからツンツンしてただけだよ……」
 おっさんの発言に呆れるギャラリー。


「ふっざけんなよ! 相手は女の子だぜ?」
「ツンツンじゃねーよ。絶対にさわさわ、もみもみしたんだぜ!」
「ちきしょう! 俺もあんなハーフの子の隣りの席に座りたかった!(泣)」
 ん? 最後のやつおかしくね?


「おっさん。アンナに手を出した代償は大きいぞ」
 指をポキポキとならす俺氏。
「ひ、ひえぇ! 暴力はやめたまえ!」
「タクトくん、殴っちゃダメだよ」
「安心しろ、アンナ。俺はこう見えて紳士でな」
 親指を立てて、アンナに見せる。

「おっさん、お前に一つ言いたいことがある!」
「な、なんだね……」
「お前は、さっき『世界のタケちゃん』の映画を観たのか?」

 一斉にずっこける待機彼氏たち。

「いや、僕はハーフのアンナちゃんがいたから、同じ映画を選んだにすぎないよ……」
「なん……だと?」
 俺は怒りが頂点に達していた。
 あの世界のタケちゃんの映画を、女の子と同席したいがために選んだだと!
 許せん!

「じゃあ、お前は2時間もの貴重な時間をなにをしていた?」
「アンナちゃんを見つめて、それから触っちゃいました……」
 拳をどうにか緩めると、スマホを取り出す。

「もしもし、博多警察ですか?」
『緊急ですか』
「めっちゃ緊急です。痴漢の現行犯です。カナルシティの映画館」
『了解でーす。今から現場にいきまーす』

 五分後、中年オヤジは、あおーいあおーい制服警察官に手錠をかけられ、連行されていった。

 俺とアンナは30分ほどその場で事情聴取を受けて、解放されたのだった。

「アンナ、すまない。傷つけてしまった」
「だい……じょぶ。でも、罪滅ぼししてくれる?」
「なんでもする」
「じゃあ……一緒にプリクラ撮って☆」
 
 やっす!