気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 11月も終わりに入る頃。
 そろそろ、一ツ橋高校のスクリーングも後半に入った。
 俺の記憶が正しければ、あと3回ほどで秋学期も終業だ。

 まあ期末試験も控えてはいるが、相変わらずバカな幼稚園レベルだから、この天才ならば、余裕だろう。
 来年に入れば、次の学期までゆっくりと休んでいられると思うと、気が楽になるな。

 なんて、自室で考え込んでいると……。
 学習デスクの上に置いてあったスマホが鳴り出す。
 着信名は、珍しい名前だ。
『一ツ橋高校 事務所』
 以前、宗像先生から電話がかかってきた時に、登録しておいた。

「もしもし?」
『あぁ……新宮かぁ~』
 ろれつの回らない女性。
 その一声で、担任の宗像(むなかた) (らん)先生だと、判明する。
「宗像先生? どうしたんですか?」
『はぁ~ あのなぁ……明日のなぁ……ぐかぁーー』
 会話の途中だと言うのに、寝やがった。
 これ以上、話しても埒が明かないと思った俺は、電話を切る。

 酔いがさめる頃に、またかけてくるだろう……と思って。

 机の上に再度、スマホを置こうと思った瞬間。
 またアイドル声優のYUIKAちゃんの歌声が聞こえてきた。
「チッ……」
 どうせ、また酔っぱらってかけてきたんだろうと、苛立つ。

「もしもしぃ!? 何なんすか!?」
 面倒くさい宗像先生だと思い込んでいたので、口調が荒くなってしまう。
『あ……タッくん。ごめん。忙しかった?』
 電話の向こう側から、YUIKAちゃんに負けないぐらいの可愛らしい声が聞こえたきたので、ビックリした。
 スマホを耳から離して、画面を確認すると、アンナだった。
「わ、悪い! アンナだとは思わなかった……すまん」
『いいよ☆ 誰にだって、間違いはあるもん☆』
「そうか……。で、要件はなんだ?」
『あのね。明日、取材に行かない?』
「え? 取材……?」

 部屋の壁に貼ってあるカレンダーを確認する。
 だが、明日は日曜日。スクリーングだ。
 アンナ自身も、それは知っていると思うのだが……。

「悪いが、明日は高校のスクリーングがあるんだ。別の日じゃダメか?」
『え? ミーシャちゃんから聞いたけど、明日は高校が休みになったって……』
「噓だろ……マジか?」
『マジだよ☆ 担任の先生がギャンブルに負けて、ショックでお酒を飲み過ぎたから、立てないらしいよ☆』
「……」

 だから、泥酔していたのか。
 生徒が一番だったんじゃないの? 宗像先生……。


『だから、取材に行こうよ☆』
「まあ、そういう事なら、構わんが……今回はどこに?」
『アンナね。ずっと考えていたの。タッくんのお父さんが言っていたことを……』
「え? 親父?」
『うん。アンナとタッくんの間に産まれる、赤ちゃんのことを☆』
「へ?」

 俺は聞きなれない言葉を聞いて、頭が真っ白になる。
 一体、何を言っているんだ……アンナは。
 こいつは男だし、俺と“そういうこと”はしてないよ?
 精々がキスとか。パイ揉みぐらいじゃん。


 言葉を失う俺とは対照的に、アンナは嬉しそうに話し続ける。
 
『今度の取材は、赤ちゃんだよ☆ タッくんとアンナの間に生まれる可愛い子ども☆』
「すまん……意味が分からないのだが」
『そこへ行けば、タッくんにも分かるよ☆ 頑張ってね、パパ☆』
「え……」

 脳内がバグりそう。
 俺、なんか新手の詐欺にでもあってない?
 悪い事はしてないと思うけど……。

 アンナに指定された場所は、もうお馴染の博多駅。中央広場にある黒田節の像だ。
 今回の取材は……なんと、赤ちゃん。
 彼女と電話を終えた後、俺はしばらく考えてみたが。
 思いつく所と言えば、産婦人科とか、保育園ぐらい。
 一体、アンナは何を考えているんだ?

 母里《ぼり》太兵衛(たへえ)という、難しい顔をしたおじ様の下で、俺は一人考えこむ。
 アンナが想像妊娠でもしたのかと……。
 じっと地面を見つめていると、目の前に白く細い脚が2つ並ぶ。

「ごめん、遅くなったね☆ お待たせ☆」

 視線を上にやると、そこには今日の取材対象である美少女が立っていた。

「ああ……久しぶりだな。アンナ」
 俺がそう言うと、彼女は必死に小さな胸を抑えて、息を整える。
「ハァハァ、うん☆ タッくん☆」
 どうやら急いで走って来たようだ。
 額にも少し、汗が滲んでいる。
 そんなに待ったわけじゃないから、焦らなくても良かったのに……。


 今日のファッションと言えば、これまたガーリーに仕上げている。
 トップスはピンクのフリルケープ。胸元には、彼女らしい大きなリボンがついている。
 そしてボトムスも、ケープに合わせたような同系色のプリーツが入ったミニスカート。

 その姿に見惚れてしまいそうだが……。
 周りを歩いていた男たちが、振り返ってまで、彼女の顔を確かめてしまう可愛さだ。
 思わず「俺の女だ!」と叫びたくなる。
 って、違う違う。こいつは男だ。
 雑念を振り払うように、頭を左右に振る。


「無理して急がなくても良かったんだぞ?」
「嫌だよ……アンナのせいで、タッくんとのデートの時間が削られたら、悲しいもん」
 と、頬を膨らませる女装男子。
 まあ、可愛いけど。
「そうか。しかし、何かあったのか? そんなに焦るアンナは珍しく感じる」
 俺がそう言うと彼女は頬を赤らめて、俯いてしまった。
「さ、寒くなってきたから、その……初めて履いてみたの。慣れないから、時間かかっちゃった」
 そう言って、彼女は足もとを指差す。
「へ?」

 アンナ自慢の美脚はいつも通り、頬ずりしたくなりそうだが……。
 何か違和感を感じる。
 そうだ、素足じゃない。
 白いストッキングを履いている。

「これは!?」
 驚きのあまり、思わず口から出してしまった。
 アンナと言えば、今までミニ丈でも、必ず素足。
 それはそれで、最高だったのだが……。

 しかし、薄いデニールのストッキングを履いていただけで、なんだこの背徳感は?
 アンナの細くて長い脚を、白のパンストで覆ってしまったというのに……。
 逆に新鮮で、興奮してしまう!

 これは、アレだ。
 制服フェチに近い。
 典型的な看護婦さん。ピンクのナース服に、白ストッキング……。
 なんてこった。
 股間が暴走しまくりじゃないか。


 前かがみになりながら、アンナの服装を褒める。
「きょ、今日のアンナ……すごく可愛いと思うぞ」
「ホント!? 自信なかったから、嬉しい~☆」
 僕も非常に嬉しいです。
 ただ、あまり挑戦的なファッションは、やめて頂きたい。
 歩けなくなるから……。

  ※

「ところで、今日の取材……赤ちゃんだっけか? 一体、そんなもん。どこでするんだ?」
「ああ、アンナとタッくんの赤ちゃんだよね☆ それだったら、博多からバスに乗ったら、会えるよ☆」
「は?」

 いつ、生まれたの?
 俺たちの子供って……。

 アンナが言うには、筑紫口からバスに乗って、目的地へと向かうらしい。
 今、俺たちが立っている博多口とは、反対方向だ。
 一旦、駅舎のあるJR博多シティの中を通らないと行けない。

 説明不十分だが、とりあえず、アンナに手を引っ張られて、JR博多シティのビル内へと入る。
 アンナが「早くはやく」と急かすせいか、俺の手を掴む力が強まる。

「いてててっ!」

 余りの痛さだったので、手を振りほどこうとした瞬間。
 アンナの足もとに違和感を感じた。
 左脚の太ももに、縦の線が見える。

「アンナ! なんか、太ももにキズができていないか?」
 俺がそう言うと、彼女は振り返って、目を丸くする。
「え? キズ……?」
「うん。ほれ、太ももに何か白い線が出ているが、これはケガしたんじゃないのか?」
 彼女の太ももを指差すと、ようやく立ち止まる。
 俺から見て、目立つ線と言うことは、彼女からすれば、太ももの裏側だ。
 大胆にもスカートの裾を上げて、太ももを確認するアンナ。
 パンツ、見えそう……ラッキー。

「あ!? 伝線してるぅ!」

 その線を見つけた瞬間、アンナの顔は一気に青ざめる。
 小さな唇を大きく開いて。

「で、電線? ビルの中には電柱なんて、ないぞ?」
「違うよ! ストッキングが伝線したの!」
「はぁ?」
 意味が分からない俺は、アホな声が出てしまう。

 でんせんって、なんだ……?
 新型のウイルスが伝染でもしたのかな。

 ストッキングが伝線したことで、アンナは顔を真っ赤にして、恥ずかしがる。
「も~う、買ったばかりなのにぃ~! 最悪ぅ!」
 伝線というのは、ストッキングに穴が開き、上下に広がってしまう状態……らしい。
 初めて知った。

 しかし、分からないのが、そんな穴が開いたぐらいで、恥ずかしがることだ。
 靴下に穴が開いた程度だろ。一日ぐらい、放っておいても良いだろうに。

「アンナ。別にそれぐらい、良くないか? 早く取材に行こう」
 俺がそう言うと、彼女は頬を膨らませる。
「イヤ! 恥ずかしいもん!」
「じゃあ、どうするんだ?」
「うーん……そうだ。博多駅の地下に、下着屋さんが何件かあるから、そこへ買いに行ってもいいかな?」
「まあ、いいけど」

  ※

 伝線したストッキングで歩くのは、恥ずかしくてたまらないと言われたので、仕方なくJR博多シティの地下一階。
 『イミュプラザ』内へと向かった。
 主にレディースファッションを取り扱った専門店街だ。

 アンナが言ったように、女性服やスケスケなブラジャーやおパンツを飾っている……男子禁制の店が多く感じた。
 隣りを歩いているアンナがいなければ、俺一人じゃ歩けない。
 だって、全てがスケベな商品に見えてくるから!

 とにかく早めに着替えたいアンナは、出来るだけ安価で可愛いストッキングを取り扱う店を探す。
 一軒の店で、ようやく彼女のお目にかなう商品があったようだ。
 全国チェーン店の『チュチュ、チュチュッチュ』
 主に女性ものの靴下やパジャマ、ランジェリーを扱っている人気店。

 早速、アンナがストッキングを買いに行こうと、俺の手を引っ張ったが、それはやめてくれ」と断った。
 彼女は不思議な顔をしていたが……。
 店の中にいた女性陣が、俺を睨みつけていたからだ。
 だって、普通にブラとか、パンティーを選んでいるもん。
 男の俺がいたら、不快だってことだろう。

 俺は黙って、店から少し離れた壁にもたれ掛かって、アンナを待つ。

 ~30分後~

「まだなのか……」

 高々、ストッキング如きで、どれぐらい迷っているんだ?
 もう立ち疲れたよ……。


「ごめ~ん。可愛いのが多くて、迷っちゃったよぉ☆」
 申し訳なそうに言ってはいるが、めっちゃ嬉しそうに笑うアンナ。
「一体、何個買ったんだ……?」
「それがね。1足なら390円だけど、3足買うと1000円になるの☆ だから、残りの2足が迷っちゃってぇ☆」
 すぐに着替えたかったんじゃないのか?
 1つで妥協しろよ。
「そういう事ならな……。で、どこで着替えるんだ?」
「外だから、お手洗いで着替えてくるね☆」
 そう言うと、俺に背中を向けて、イミュプラザの一番奥にある女子トイレへ向かう。
「あ……」
 その後ろ姿を見て、気がついた。
 あいつ、男じゃん。
 なんで下着コーナーも、女子トイレも余裕で顔パスなの?
 犯罪じゃね。

  ※

 新しいストッキングに着替えてきたアンナは、これまた可愛くなっていた。
 今度のホワイトストッキングには、たくさんのハートが散りばめられていたから。
 彼女曰く、ハート柄だそうだ。

「どうかな? 変じゃない?」
 と上目遣いで、自身の細い脚を俺に近づける。
 見て欲しいってことだろう。
「おお。さっきよりも可愛くなったと思うぞ」
 俺がそう言うと、手を叩いて喜ぶ。
「良かったぁ☆ タッくんに褒められるのが、一番嬉しい!」
「あ、そうなの……」
 ごめん。超絶、どうでもいい。


「タッくん。ごめんだけど、ちょっとゴミ箱を探していい?」
「え? いいけど。どうしてだ?」
「破れたストッキングを捨てたいの。トイレで捨てたかったけど、ゴミ箱がなかったの」
 と恥ずかしそうに、ビニール袋を取り出す。
 それを目にした瞬間、俺は閃いた。
「まさか!?」
 この中には、アンナが先ほどまで履いていた……ホカホカなストッキングが、入っているというのか!
 そんな宝石より、貴重なサンプル……いや、アーティファクトを放棄するだと!?
 断じて、許せん!


 ゴミ箱を探しているアンナを呼び止める。

「アンナ! ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「え?」
「そのビニール袋を、俺に貸してくれないか!?」
 彼女は目を丸くする。
「どうして? 貸してもいいけど、何に使うの?」
「そ、それは……大事な取材協力者の私物をだな……。責任持って、作者である、俺が捨てたいからだ!」
「タッくん。何を言っているの? これ、破れたアンナの汚いストッキングだよ?」
 だからこそ、欲しいとはいえない。
 しかし今を逃したら、パンストは手に入らない。
 屈するものか。

「アンナ。頼む! そのストッキングは、パートナーである俺に託してくれ! 責任を持って廃棄するから!」
 噓だけど。
「わ、分かった……」
 彼女は俺の熱意に負けたようで、小さなビニール袋を差し出す。
 
 それからの俺は、素早かった。
 近くの100円ショップに入り、ファスナー点きのプラスチックバッグと小型のプラケース。そして、エアークッションにプロトテクトケースを購入。
 アンナには、イミュプラザの廊下で待つように指示。

 男子トイレへ突入すると、個室に入り込んで、鍵を閉める。
 ビニール袋から取り出したホワイトストッキングはまだ、暖かい。
 思わず生唾を飲み込む。

「こ、このパンストが先ほどまで、アンナのお尻を守っていたのか!?」

 試しにストッキングを鼻に当ててみる。

「ぐはっ!」

 なんて甘い香りだ。アンナのヒップはこんなにも愛らしいのか?
 病みつきになりそうだ……。
 しかし、どっちが前か後ろか、分からん。
 もしかして、ふぐりの方だったら、どうしよう。
 そっちに興奮する俺って……。
 でも、やめられん!

「すぅ~ はぁ~! すぅ~ はぁ~!」

 
 30分ほど、パンストの香りを堪能した後。
 アンナは使い道がないとは言っていたストッキングだが、これは俺に取って、大事なコレクションだ!
 このまま、穴が広がる前に、アーティファクトを死守するんだ。
 先ほど100円ショップで購入したグッズを使い、“五行(ごぎょう)封印”の儀を行う。
 ガチガチにプロテクトレベルを上げたパンストを俺はそっとリュックサックの中にしまった。

 もう、今日の取材はこれで大満足だから、帰ってもいいよね。

 30分間もトイレの外で待たせてしまったので……。
 アンナはすごく心配していた。

「タッくん。大丈夫? すごく長いトイレだったけど?」
「あ、ああ……ちょっと、腹を痛めてな」
 本当は、君のパンストをクンカクンカしていたから、遅くなったとは言えないからな。
「そうなの? お腹痛いなら、アンナが手でさすろうか?」
「いや……大丈夫だ。さ、取材へ行こう」
 どうせなら、その可愛い手で股間を解放して欲しいものだ……。

  ※

 博多駅の筑紫口から、バスに乗り、20分ほど経つと。
 巨大なロボット……いや、モビルスーツが見えてきた。
 窓に顔を張り付けて、思わず叫び声を上げる。

「あれは、おニューなモビルスーツ!」

 ようやく、今回の取材地が判明した。
 最近、福岡市に建設された大型の商業施設『れれぽーと 福岡』だ。
 男の子が憧れるモビルスーツが、実物大で展示されているため、インパクト大だ。
 そして、「こいつ、動くぞぉ!」という名セリフを皆で叫べる。
 噂では一時間ごとに、ショーが開催されるのだとか。

 バスを降りて、すぐにモビルスーツの足もとまで向かおうとした瞬間。
 アンナが俺の肩に触れて、こう言った。

「タッくん☆ どこへ行くの?」
「え? そりゃ、れれぽーとに来たからには、ちゃんとあの顔を見ておかないとだな……」
 しかし、アンナは笑顔のまま、首を左右に振る。
「ダ~メ☆ 今日の取材は、アンナとタッくんの大事な大事な、赤ちゃんだよ☆ ロボットなんていつでも見られるでしょ?」
「そ、そんな……マジで見ちゃダメなの? ほんのちょっと。写真ぐらいなら……」
「こぉら☆ パパは赤ちゃんを一番にしないとダメだよ☆」
「はい……」

 結局、俺はこの後もモビルスーツに近づくことは許されなかった。
 クソがっ!
 1回ぐらい、「ファンネル!」って言いたかった……。

  ※

 アンナのお目当ては、れれぽーとではなかった。
 れれぽーと本館に隣接している『ラッザニア』という子供向けの職業体験テーマパーク。
 早い話が、幼稚園児から小学生ぐらいまでのお子ちゃまを、対象とした遊園地みたいなものだ。
 入口には既にたくさんの親子連れで、行列が出来ていた。
 主に未就学児が多く感じる。
 俺たち、カップルが入って良い施設なのか?

「なあ、アンナ。このラッザニアってのは、小学生までが対象じゃないのか?」
「ううん。違うよ☆」
 その答えに俺は、ホッとする。
「つまり大人でも遊べるってことだな? それなら、安心……」
 と言いかけたところで、アンナが即座に否定する。
「大人はダメだよ☆」
「え……?」
「ラッザニアには、中学生までだよ☆」
「は? じゃ、俺たちは無理じゃないか」
 しかし、アンナは特に悪びれることもなく、ニコニコ笑って、チケットを二枚取り出す。
「大丈夫だよ☆ ちゃんとネットで予約しておいたから。タッくんは中学3年生の15才。アンナは2歳下の13才で、1年生って登録したんだ☆」
「ま、マジ……?」
 思い切り、犯罪だろ。
 一気に血の気が引いたわ。
 ていうか、俺が中学生の設定とか、無理があるだろ。
 もう18才で、成人だぜ。

「だから、タッくんは今日、一日。地元の真島(まじま)中学の3年生って言ってね☆」
 ファッ!?
 とっくの昔に卒業したのに。
「りょ、了解……」
「アンナは席内(むしろうち)中学校の1年生なの☆」

 学生手帳を出せって言われたら、どうする気なんだ。この人。


 入口はなんでか、大きなジェット機が飾られていて、空港みたいなゲートになっていた。
 そこで、アンナがスチュワーデス姿のお姉さんにチケットを渡す。
 特に何も言われなかったが、チケットと引き換えにフリーパスを渡してくれた時。
 名前と年齢を見たお姉さんが、俺の顔をじっと見つめる。

「えっと、新宮くんでいいのかな? 中学生……なんか大人びてるね」
「あ、よく言われます……」

 どうにか、疑われずに済んだ。
 騙して、ごめんなさい……。

「タッくん! 早くはやくぅ~ 遅れちゃうってば!」
 そう言って、俺の手を強引に引っ張るアンナ。
 相変わらずの馬鹿力だから、腕が引きちぎれそう……。
「いって……アンナ、そんな急がなくても、良いんじゃないのか? 時間はたっぷりあるし」

 入場ゲートをくぐると、そこには小さな街があった。
 子供のお仕事体験とはいえ、かなり本格的な店や工場が並んでいる。
 他にも、警察や消防署まで。
 そしてこのラッザニア福岡へ、一度足を踏み入れると。子供たちは“大人”として扱われる。
 限られた時間だが、本当に雇用された成人になるからだ。
 あくまで、館内のみで使える紙幣だが、お給料まで貰える待遇。


 しかし、この中にアンナが言う……俺たちの赤ちゃん。
 そんな仕事体験は、見当たらない。


 館内の一番奥まで来ると、アンナが脚を止めた。
 やっと俺から手を離してくれたが、肌の色が紫に変色していた……。
 これ、折れてないよね?

「さ、タッくん☆ アンナたちの赤ちゃんとご対面だよ☆」
 と近くにあった看板を指差す。
「へ?」
 見上げると、『新生児室』というプレートが天井にぶら下がっていた。

 辺りをよく見回す。
 そこだけ一面、真っ白な建物だ。
 新生児室があれば、手術室。それに小型だが、救急車まで近くの道路に配備してある。
 本当の病院じゃないか……。

「アンナ。今回の取材って……この新生児室。看護師体験なのか?」
「うん☆ だから、赤ちゃんの取材だよ☆」
「ああ、そうなんだ……」

 ガラス窓の向こうで、幼女が嬉しそうに赤ちゃんをお風呂に入れたり、オムツを履かせたりしている。
 だが注意すべきなのは、本物じゃないってことだ。
 常時、瞼を開きっぱなしのお人形。

 これが、俺たちの子供だってか?
 はぁ……心配した俺がバカだったよ。

  ※

 俺たちより先にお仕事を終えた先輩たちが、新生児室から出てくる。
 主に6歳から8歳ぐらいの幼女さん。

「ふぃ~ ちかれたぁ~」
「パパぁ! のどかわいたぁ~! おちゃ!」
「助産師はこんなにも賃金が少ないのですか。そりゃ、人出が足りないですよね」

 え、最後の眼鏡っ子。
 めっちゃ、大人びてる……。

 先ほどまで幼女が着ていた看護服を、次の番である俺たちにスタッフのお姉さんが配り始める。
 今回、新生児室に参加したメンバーは、俺とアンナ以外、みんな幼稚園児だ。
 しかも全員、女の子。
 そして、窓にベッタリとくっついてビデオカメラを向けるのは、パパとママさん達だ。
 なんだ、この場違い感。
 気が狂いそう。

 華奢な体型のアンナは、幼女のサイズでも難なく着ることが出来た。
 しかし、俺はそうもいかず。
 スタッフのお姉さんが新しいサイズを持って来てくれた。

 胸につけた名札を見ながら、お姉さんが眉をひそめる。

「新宮くん……だよね? きみ、中学生にしては、なんか老けてない?」
 ギクッ! 嘘を押し通さないと。
「あ、よく言われます……」
「ふ~ん。じゃあ、今からみんなに説明と、自己紹介をしてもらうから、一列に並んでね」
「了解です!」
 クソ。なんで、俺がこんなことをしないといけないんだ。

  ※

「じゃあ、説明の前に、みんな自己紹介してもらうね。一番大きな新宮くんから!」
「いっ!?」
 俺が最初かよ。
 嘘はつきたくないが、ここはアンナの作った設定を守ろう。
 気のせいか、親御さんの視線が鋭く感じる。

「あの子、デカすぎじゃない?」
「まあでも、最近の子って発育良いし」

 重くのしかかる罪悪感。
 しかし、演じきるのだ、琢人よ。

 少し声のトーンを高くしてから。
「あ、ぼくのなまえは、新宮 琢人ですぅ! 真島中学の3年生でちゅ!」
 こんなもんだろ……。
 だが、俺の隣りに立っているツインテールの幼女が、下からジッと睨んでいた。
「しんぎゅーくんって、ちゅー学生なの?」
「う、うん」
「そうなんだ。あたちはね。えりり、5歳。保育園にいってるよ。すごいでしょ?」
 ガチのロリっ娘と一緒に仕事すんのか……。
 辛い。
「シンプルにすごいと思います。リスペクトできます……」
 
 早くこの地獄から、抜け出したい!

 自己紹介が終わったところで。
 スタッフのお姉さんが、順番に赤ちゃんが眠っているベッドへと案内してくれた。
 本来なら、一人につき赤ちゃんもひとりなのだが……。
 どうしても、アンナが俺と二人ペアでやりたいと言うので、仕方なく一緒に赤ちゃんの面倒をみることになった。

 俺たちが担当する赤ちゃんの性別は……女の子。

「ほう。女の赤ちゃんか……アンナもこの子が良いだろ? 同性の方が……」
 言いかけている最中だが、彼女の顔を見た瞬間。言葉を失う。
 鋭い目つきで我が子を睨んでいたからだ。
「イヤ……タッくんに女の子の裸を見て欲しくない!」
 えぇ。これ、人形なんだけど。

  ※

 鬼のような顔で可愛らしい赤ん坊を睨みつけるから、産まれてくる性別をチェンジしてもらうことに……。
 酷いママさん。

 スタッフのお姉さんが苦笑いして、新しい赤ちゃんを連れて来た。
 今度の赤ちゃんは、正真正銘のオス。
 その子を優しく抱きしめるアンナの顔は、なんとも嬉しそう。

「カワイイ~☆ タッくんとの間に出来た赤ちゃんだよぉ☆」
 と微笑むのだが、見ているこっちからすると、なんか病んだ人に感じる……。
 だって、人形だもん。
「そ、そうか……良かったな」
「うん☆ さ、パパ。この子に名前をつけて☆」
 ファッ!?
 そんなことまで、しないといけないのか。

 なかなか、赤ちゃんの世話を始めない俺たちを見兼ねたのか、5才児のえりり先輩が声をかけてきた。

「おそいよ。しんぎゅーくん」
「す、すいません……えりり先輩」
「名前ぐらい、早くつけてやりなちゃい」
「はい……」


 ニコニコ笑って、赤ちゃんを抱っこするアンナの顔を見つめる。
 彼女の名前から引用すべきか?
 しかし、外国の名前だものな……分からん。
 もう適当でいいや。

「YUIKAちゃんで、どうだ?」
 推しのアイドルの名前を発した途端、アンナの顔が強張る。
「この子は、男の子だよ?」
 ドスの聞いた声だ。
 絶対、怒ってるな……仕方ない。
 ゆいかを少し変えて、これならどうだろう。

「じゃあ。ゆう……ゆう君でどうだ?」
「カワイイ~☆ それで良いよね? ゆうくぅ~ん☆」
 と動かない赤ん坊の手に触れる。
『ありがと~ パパ~ ママ~』
 喋り出したよ、ゆう君が。アンナの腹話術によって。

  ※

 名前が決まったことで、ようやく赤ちゃんのお世話を始める。

 まず、ゆう君のおくるみを脱がせ、身長と体重を計る。
 そして、熱など無いはずなのに、体温計で異常がないか、チェック。

 健康な赤ちゃんであることが分かったところで、次はすっぽんぽんのまま、お風呂へ連れて行く。
 沐浴(もくよく)ってやつだ。

 俺たちの赤ちゃんである、ゆう君。
 正直、可愛くない……。むしろ、怖い。
 何が怖いかって、瞼を閉じないところだ。
 ずっとこっちをガン見しているから、呪いでもかけられそう。

 お風呂の中に、ゆう君を入れてみる。
 俺が沐浴にチャレンジしている最中、アンナは隣りでニコニコ笑って見ていた。
 彼女が言うには、いつか赤ちゃんが産まれてくる時のために、練習して欲しかったようだ。
 一生、産まれてくることはないと思うのだが……。
 文字通り、パパ活をする俺氏。

 しかし、人形といっても、重さは本物と同じように設計されており。
 結構、重たい。
 身体を水で洗っている最中、手がすべって、湯船に落っこちてしまう。

「あ、ヤベ……」

 湯船の上で尻を向け、プカプカと浮かぶゆう君。
 どうしていいか、分からず、その場で固まっていると。
 アンナが大きな声で叫ぶ。

「タッくん! ゆうくんが、死んじゃう! 早く助けて!」
「え……? なんで?」
 人形だから、死なんだろ。
「早く起こして! アンナ達の赤ちゃんだよ!」
「ああ……すまん」

 びしょ濡れになったゆう君を助け出し、タオルで拭いてあげる。
 もちろん、頭から足先までしっかりと丁寧に。
 小さいけど、おてんてんも。

 前面が終わったと思ったので、そのままゆう君をひっくり返す。
 そして、背中を拭こうとした瞬間。近くにいたえりり先輩から怒鳴られる。

「しんぎゅーくん! うつ伏せになってるでちょ! ゆう君が息できない! 死んじゃうよ!」
「あ、すいません……えりり先輩」
「気をつけてよね。えりりはこのしんせーじしつ、毎日やっているから。ぜん~ぶ知っているの!」
「さすがです……」

 5才児に怒られちゃったよ。
 なんなの、この取材。

 初めてのパパ活……ならぬ赤ちゃんのお世話は無事に終了した。
 最後に、スタッフのお姉さんが記念撮影を個別に撮ってくれると言う。
 今回、参加した子供たち全員に。
 ま、俺たちもその中に入る大きな子供なんですけどね……。

 フリーパスで何回も新生児室を体験している5才児、えりり先輩は慣れた様子で、赤ちゃんを抱え、ピース。
 そして、去り際に俺へ向かって一言。
「しんぎゅーくん。良いパパになるんでちゅよ」
「あ、はい……頑張ります」
 一生、なれないと思うけど。

 最後に、俺とアンナの番だ。
 ペアでの参加だったから、2人で仲良く撮影タイムに入る。
 あ、違った。
 正しくは、俺たちの赤ちゃん。ゆう君も間に入っているから、3人での親子撮影だ。

 お姉さんがカメラを構える。
「それじゃ、パパさん。ママさん。赤ちゃんと一緒にもっとくっついて~」
 まだ結婚もしてねーわ!

 しかし、アンナはとても嬉しそうだ。
「ほら。パパ☆ ちゃんと、ゆう君を抱っこして☆ みんなで、にぃ~ って笑おうねぇ」
「……にーっ」
 無理やり、笑顔を作る。
 肝心のゆう君と言えば、終始ピクリともせず、無表情だ。

 何枚か、撮影を繰り返して、お仕事体験は終わりを迎えた。

 看護服を脱いで、お姉さんに返す。
 新生児室から出ると、俺は入口で渡されたマップを確認した。

「さて、次はどの職場体験にするかな……」
 そう呟くと、アンナがグイッと俺の手を掴む。
「何言っているの? もう帰るよ」
「え?」
「今日の取材は、あくまでもタッくんとアンナの赤ちゃんでしょ? それ以外は取材する必要ないよ」
「そ、そんな……」

 結局、初めて、れれぽーとに来たというのに、本館を一切見ることなく帰ることになった……。
 もちろん、あのモビルスーツも見られず。
 
 今日の取材って、マジなんだったの!?

  ※

 バスに乗り、博多駅まで直帰する。
 アンナが言うに、今回の取材は、俺の親父が関係していて。
 ゴールデンウィークの時、親父と会った際、「俺の子供を期待している」と言われたから、鵜吞みにしたようだ。
 いつか俺たちの間に、赤ちゃんが産まれた時、ちゃんとパパとして、活躍できるように練習させたかったらしい。

 マジ、今回の取材だけはないわ……。

 でもアンナは、ずっとニコニコ笑っていた。
 最後に、新生児室で撮影した親子写真を眺めながら。
「ゆう君。いつかアンナ達の前に来てね☆」
 だから、一生来てくれないって……。
 もう病んだ人みたい。


 れれぽーとで取材こそしたが、あまりにも早く博多に戻ってきたので、時間がかなり余っている。
 それに、腹が減った。

 仕方ないから、アンナにいつも行くラーメン屋、“博多亭”で昼食を提案すると、快く承諾してくれた。
 ていうか、れれぽーとにも新しい店があっただろうから、そこで食いたかったわ。

  ※

 店の引き戸を開くと、お馴染の大将がお出迎え。
「らっしゃい! お、琢人くんにアンナちゃんじゃない。今日もデートかな?」
 大将がそう言うとアンナは嬉しそうに答える。
「はい☆ 今日は二人の赤ちゃんと会ってきて~☆」
 誤解が生まれるから、やめてほしい。
「え!? 赤ちゃん!? アンナちゃんと琢人くんは、もう結婚してたのかい!?」
 驚く大将。
 そりゃ、その反応になるわな。
 しかしアンナは、構わず話を続ける。

「結婚はまだしてません。赤ちゃんが欲しいって、言われたから……」
 頬を赤くして、俯いてしまうアンナ。
 ていうか、俺は別に赤ちゃんが欲しいなんて言ってないよ?
 親父だからね。

 その発言を聞いた大将は、俺をギロッと睨みつける。
「琢人くん! そういうの最低だよ! ちゃんと責任を持たないとダメだよ。おいちゃん、怒ってるからね。出禁にしちゃうよ!」
「いや、大将……そういうんじゃ……」
「目の前のホテルへ行ってたんでしょ! もうアンナちゃんと、すぐにでも結婚しなさい! 今日のラーメンは奢ってあげるから!」
「えぇ……」

 もう嫌だ。
 俺、なにも悪い事してないのに……。

「よし、ついに完成したぞ……ここまで来るのに、苦労したな」
 
 自室で一人、学習デスクの上に置いたあるモノを、下から覗き込む。
 前回のデートにて、手に入れたアンナのホカホカなパンスト。
 伝線こそ、しているものの。
 完全に破れた訳ではない……。

 ならば、このアーティファクトをこのまま封印するのは勿体ない。
 そう思った俺は、様々な商品をショッピングサイトで、注文しまくった。
 
 まず、レディース向けのマネキン。
 ランジェリーショップなどで使われる下半身のマネキンだ。太ももまでのやつ。
 しかも、リアルな肌色。
 
 そこに以前、別府温泉でアンナがくれたピンクのおパンティーを履かせる。
 まあ、アンナはヒップが小桃サイズだから、マネキンでもギチギチだが……。
 しかし……そこがまた興奮する。

 お次は、今回の純白ストッキングを装着。
 仕上げだが……これには、天才の俺でも頭を悩ませたぜ。
 だって、アンナが普段、着ているミニ丈のスカートなんて、ブランドも知らないからな。

 なるだけ、彼女のファッションに近い女性ものの、スカートを検索しまくって、どうにか入手することに成功。
 チェックのプリーツが入ったミニスカートだ。

 そのマネキンを学習デスクの上に飾って、俺は床に腰を下ろす。
 あら不思議、アンナちゃんたら、パンツが丸見えだよ☆

 ローアングルで、スカートの中をガン見できるこの喜びよ……。
 生きていて良かった。

 
 おまけに、12月だというのに、うちわなんか持ち出しちゃって。
 下からパタパタと扇いでみる。
 すると、ふわりとめくれるスカート。
 白いパンストに覆われたピンクのパンティーが、露わになる。

「キャー! タクトさんのエッチ~☆」

 と、どこからか、アンナの声が聞こえてきそうだ。
 ふっ……我ながら、何という最終兵器を開発してしまったのやら。
 これを世に放てば、俺はノーベル化学賞を獲得してしまうな。


 そんなことを毎日やっていると、次のスクリーングが近づいてきた。
 もう、今年のスクリーングは、明日で最後らしい。

 ふと、カレンダーを眺めていると、机の棚から何がポトッと床に落ちた。
 拾ってみると、小さなフェルト生地のキーホルダーだ。
 少し埃かぶっている。

「これは……」

 ちょうど今から一年前、クリスマスイブの日に、白金から呼び出しを食らい。
 俺が天神の渡辺通りを歩いていたら、中学生たちが募金をしていた。
 その際、俺が担任教師と揉め、嫌味のつもりで1万円を中学生に渡したら、お返しにとくれたサンタクロースの人形。

 あの時これを渡してくれた女子中学生は、確かこう言っていた。

『きっと、あなたにもいつか……クリスマスを一緒に過ごせるひとが現れると思います』

 思い出して、急に頬が熱くなる。
 アンナの笑顔が、頭に浮かんだから。
 そして、同時に頬を赤くしたミハイルも……。

「もうあれから、一年か……」

 ずっと、机の上で埃かぶるまで、放置していて、なんだか悪い気がする。
 今からでも、リュックサックにつけてみるか。
 そしていつか……俺が誰かと、イブを一緒に過ごせる時が来れば……。

 これをあの子に返したいな。

 リュックサックにキーホルダーをつけていると、自室のドアが開く音が聞こえた。
 妹のかなでだ。

「あ、おにーさま……」
「おう。かなで、受験勉強ははかどってるか?」
「いや……その前に、なんですの? 可愛らしいスカートなんか飾って。女装でも始めるんですの?」
「え?」

 忘れていた。
 人工パンチラ発生器を、机の上に置いたままだったことを。

 このあと、かなでの誤解を解くのに、1時間を要した。

 今年、最後のスクリーングがやってきた。
 まだ12月に入って、一週間ぐらいだが……。
 どうやら、校舎である全日制コースの三ツ橋高校が色々とイベントが多く。
 年末は、スクリーングに教室を使うことが出来ないらしい。

 ま、俺からしたら、やっと終わってくれて、ホッとするけどな。

 そんなことを考えながら、地元の真島駅に向かう。
 今日のミハイルはどんな格好をしているんだろう……なんて、妄想しているとスマホから、着信音が。

「もしもし?」
『あ、タクト☆ 悪いんだけど……今日、オレ一緒の電車には乗れないんだ』
「え……」
 驚きのあまり、その場で立ち止まってしまう。
 バカだけど、いつも一緒に登校しているミハイルが、自らの意思で欠席だなんて。
『ごめんね……タクト。で、でもね! 学校はちゃんと行くから!』
「つまり、遅刻か?」
 そう問いかけたが、受話器の向こう側が何やら騒がしい。

『おい! 古賀! 早くしない……間に合わな……』

 なんか、途切れ途切れに聞こえてくる。聞き覚えのある女の声だ。

『ごめん。タクト、またあとでね!』
「お、おい! 待てよ、ミハイル」
『ツーツー……』

 一体、なんだったんだ?

  ※

 学校に着いて、1階の玄関で上靴に履き替える。
 すると、2階から旨そうな香りが漂ってきた。

 階段を登ったすぐ先、右側のボロいドアから、トントンと一定のリズムで何かを叩く音が聞こえてくる。
 この音は包丁か? ズボラな宗像先生じゃ出来ない業だろう……まさか。
 俺はドアノブを回し、中に入る。
 一ツ橋高校の事務所だ。

 いつもなら、宗像先生が賞味期限の切れたインスタントコーヒーを飲んでいるはずなのだが。
 今日は、なんて煌びやかな空間なんだ!

 受付にアロマが置かれているし、あんなに汚かった事務所が綺麗に片づけられている。
 普段、宗像先生が着用しているキャバ嬢の服は洗濯され、ベランダに干されていた。

 そして、左奥に可愛らしいネッキーのエプロンを着た金髪の美少女が立っていた。
 シンクの上で鼻歌交じりに、ニンジンを切っている。
 ポニーテールを左右に揺らせて……。

「ミハイル……」

 その姿を見た時、自然と口から漏れていた。
 きっと、嬉しかったのだと思う。
 すぐに会えないと思っていたから……。

 俺に気がついたミハイルは、包丁をまな板の上に置き、こちらへと向かってくる。
 受付のカウンター越しに、彼はニッコリと笑って見せる。

「おはよ☆ タクト」
「おお……おはよう」

 会えないと思っていたから、その笑顔に見惚れてしまう。
 相変わらず、2つのエメラルドグリーンがキラキラと輝いて、眩しい。
 吸い込まれそうだ。

 今日は学校だから、アンナの時ほど、可愛くないけど。
 白のパーカーに、フェイクレザーのショートパンツ。

 なんか、彼女の家に遊び行った時。
 ルームウェアを着ている姿を見ているような感覚に陥るな……。

 そして、フェイクレザーだから、いつもよりヒップの形が目立ってしまう。
 目のやり場に困るな。

「ごめんね。今日、実は宗像先生に頼まれて、料理を作ってんの☆」
「は? なんで、生徒のお前が料理を作るんだ?」
 あのバカ教師。人の女……じゃなかったダチに、何させてんだ。
「放課後にね、クリスマス会やるじゃん? それで、料理とかスイーツを作って欲しいんだってさ☆」
「クリスマス会っ!?」
 あまりの幼稚なイベントに、アホな声が出てしまう。
 だが、ミハイルはキョトンとした顔で、頷く。
「うん。聞いてなかったの?」
「ああ……」
 なんで、高校生がクリスマス会なんて、やるんだよ。
 小学生じゃないんだぞ。まあ、サンタさんは信じているけど……。
 
「だから、オレは2時間目ぐらいまで、お料理するから、待っていてね☆」
「分かった……。ところで、お前。いつから、事務所で料理しているんだ?」
「オレ? 朝の5時ぐらいからだよ」
「そんな早くからか?」
「だって、仕込みに時間かかるもん。別に好きでやっているから、気にしないで☆」

 そう言うと、背中を向けて事務所の奥へと去っていく。
 小さな尻をプルプルと振るわせて。

 俺は憤りを隠せずにいた。
 クソ教師めが。
 人の大事な女を、家政婦扱いしやがって……。
 
 一緒に電車に乗れたら、レザーヒップを触れたかもしれないんだぞっ!