結局、マリアの命がかかっているということで、お胸を触診することに……。
彼女と言えば、ベンチに座って、身体を俺へと向ける。
両手は膝の上に置いて、姿勢をピンと真っすぐ伸ばしていた。
そうすることで、改めてマリアの小さな胸が強調される。
思わず、生唾を飲み込む。
合意の元とはいえ、両手でパイ揉みとは、初めての経験だからな。
「じゃあ、いくぞ……」
「うん」
この時ばかりは、マリアも視線を地面に落とし、頬を赤くする。
ゆっくりと、両手を彼女の胸元へと近づける。
大きな白いリボンが邪魔だったから、手で払い、そして低い2つの山へ到着。
お山のふもとから、てっぺんまで優しく押し込む。
いや、感触を楽しんでいるに過ぎないのだが……。
「あんっ……」
甲高い声で反応するマリア。
妙に色っぽい。
そりゃ、そうだよな。
ラブホの前で、触診とはいえ、めっちゃ揉んでいるのだから。
だが、俺は至って冷静だった。
それは乳がんという、疑いがあるから……ではなく。
違和感を感じていたからだ。
「んんっ!?」
思わず、声が出てしまうほど。
“変化”に驚きを隠せない。
それもそのはず、秋ごろに帰国したマリアの胸を事故とはいえ、ダイレクトに揉みまくった時とは、大きな違いがあったからだ。
無い物がある……。
以前の彼女は、付けていなかったはずだ。
ブラジャーを。
ノーブラで柔らかい胸を揉み揉みさせて頂いたから、あの気持ち良さはしっかりと覚えている。
しかし、この感触は……。
硬すぎる。ブラジャーをしていても、肉感が皆無だ。
下着のワイヤーもあるだろうが、それよりも全体的にカチカチ。
パッドで少し膨らみはあるけど……無いに等しい。
これは女性の胸ではない。
「お、お前! 本当にマリアか!?」
驚いた俺は、咄嗟に胸から手を離そうとしたが、両腕を掴まれて動けない。
視線を上にあげると、ニッコリと優しく微笑んでいる彼女の姿が。
「やっと、汚れが落ちたね☆」
喋り方が急に変わった。
「え? ま、まさか……」
「バァ! アンナだよ☆」
「うそでしょ……どこから?」
※
俺の脳内は大パニックを起こしていた。
一体、いつから、アンナだったんだ?
確かに最初、電話で取材を申し込んできたのは、間違いなく女のマリアだった。
喋り方も何1つ違和感のない自然な彼女のまま。
あの強気で上から目線なマリアを演技だけで、今まで騙していたというのか……。
信じられん。
仮に演じていたとしても、中身はおバカなミハイルだ。
頭の良い帰国子女、マリアをあそこまで完コピできるか?
「な、なぁ……今日の取材って、俺はアンナとデートしていたのか?」
「そうだよ☆ 最初からね」
「えぇ……」
血の気が引き、脇から汗が滲み出るのを感じた。
怖い。どこまでやるんだ、この人。
頭が痛くて寝込んでいたんじゃないのか?
両手で頭を抱え、考え込む俺を無視して、アンナは嬉しそうに微笑む。
「タッくん。マリアちゃんなんて、最初からいなかったんだよ☆」
「え? それ、本当か……」
「うんうん☆ 全部、アンナがやっていた偽りの女の子だよ☆ 見ててね」
そう言うと、瞳に人差し指を当てて、何やら小さなレンズを取り外す。
ブルーのコンタクトレンズだ。
両方外せば、エメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝き始める。
「慣れないカラコンだから、目がゴワゴワしちゃった☆」
「……」
俺は一体、どうしちまったんだ……。
彼女の言う通り、マリアという幼馴染は、この世には存在しない人物なのだろうか。
それとも、催眠にでもかけられているのだろうか……分からない。
困惑する俺とは対称的に、ずっと笑顔でこちらを見つめるアンナ。
「タッくんはアンナとじゃないと、取材にならないよ☆」
「はぁ……」
放心状態で、彼女のグリーンアイズを見つめる。
なんだか、瞳の奥へと吸い込まれそうだ……。
もう、このままアンナと二人で、川を越えて、どこまでも。
その時だった。
背後から、叫び声が上がったのは。
「待ちなさい! タクト!」
振り返ると、そこには身なりの汚い少女が一人立っていた。
見覚えのある子だが、着ているワンピースがボロボロだ。
襟もとは伸びてしまって、所々破れている。
金色の美しい髪も、バサバサに乱れまくっていた。
一歩、間違えれば、ホームレスかと思ってしまう。
それぐらい汚い女の子だった。
だが1つだけ、キレイな箇所と言えば、その瞳だ。
宝石のような2つのブルーサファイアを輝かせて、こちらをじっと見つめている。
いや、睨んでいるが正解か。
「お前……マリアか?」
「当たり前でしょ! そのブリブリ女が偽物よっ!」
犯人はお前だ的な感じで、人差し指を隣りの少女に突き刺す。
「えぇ、なにこの子。怖~い!」
そう言って、俺の背中に隠れるアンナちゃん。
当然、マリアは小さな肩を震わせて、怒りを露わにする。
「あなたねぇ! 映画館のトイレで私を襲ったくせに、よくもまあ!」
飛び掛かってきた彼女を、俺は必死に抑える。
「ちょ、ちょっと待て……マリア! 堪えてくれ!」
「なによ! タクト、このブリブリアンナの肩を持つ気? トイレで待ち伏せしていたような、狡猾な女よ!」
えぇ……。
もう犯罪とか、ストーカーってレベルじゃないよ。
このあと、マリアを落ち着かせるのに、1時間はかかった。
※
マリアから現在に至るまでの経緯を聞いて、俺は驚きを隠せずにいた。
どうやら、彼女は映画館のトイレで待ち伏せていたアンナに襲われ。
今まで、個室の中で荒縄により縛られ、閉じ込められていたらしい……。
つまり痴漢を殴っていたマリアは、既にもうすり替わっていたということだ。
あれは、正真正銘、女装したアンナが演じていた事に、開いた口が塞がらない。
ファッションもマリアに似せて、コーディネートしている。
まだ1回しか、会ったことがないのに、よくもここまでトレースできたものだ。
「ねぇ、初めてまして……と言いたいところだけど。アンナ! あなた、こんなことをやっても良いと思っているの?」
ドスの聞いた声で睨むマリアを目の前にしても、アンナは余裕たっぷりでニコニコと笑っている。
「え? なんのことかな☆」
全然、悪びれる様子がない。
ここまで来たら、サイコパスだ。
「あなたねぇ……私とタクトの大事なデートを、取材をなんだと思っているのよ!」
「アンナ、分かんないな。だって、タッくんの初めてを奪ったのは、マリアちゃんだったけ? そっちの方でしょ☆」
そう言って、優しく笑いかける余裕っぷりが、更にマリアの怒りを助長させる。
「初めて……って一体なんのことよ! それを婚約者である私がタクトと経験することが、何が悪いの!?」
「悪いよ☆ だって、タッくんが優しいことを良いことに、胸を触らせたもん☆」
「なっ!? あなた……それを根に持って、ここまでの悪行を平気でやったと言うの?」
異常なまでのアンナの『初めて』への執着心に絶句するマリア。
だが、両者一歩も譲ることはない。
怒りをむき出しにするマリアに対し、ニコニコと優しく微笑むアンナ。
カオスな状況に、俺は沈黙を貫いた。
怖すぎるからだ。
この二人の間に俺が入れば、殺される……間違いなく。
マリアは鼻息を荒くして、宿敵であるアンナへ激しく問い詰める。
「いい機会だから、ここでハッキリさせてあげる! 私はタクトの婚約者なの! あなたって、小説のために契約したビジネスパートナーみたいなものでしょ!?」
「違うよ☆ タッくんとは運命的な出会いをした契約関係だよ☆」
なにそれ……その表現だと、俺がパパ活している親父みたいじゃん。
「運命的な出会い? じゃ、じゃあ……恋愛関係に発展する可能性があるってこと!?」
「どうだろね☆」
マリアは僅かだが、動揺していた。
対するアンナと言えば、俺の手を自身の胸で浄化させたという……自身の欲求が満たされた事によって、安心したようだ。
終始、ニコニコ笑ってマリアに対応する余裕っぷり。
「な、なんなのよ! その、タクトの全てを知り尽くしたような態度は……。ま、まさか! あなた達って……」
碧い瞳を大きく見開き、アンナの顔を指差して震え出す。
「ん? タッくんとアンナがどうしたの?」
「き……キ、キッスをした関係じゃないわよね!?」
それまで黙って、見ていた俺だが、思わず空中へと大量の唾を吹き出す。
「ブフーーーッ!」
だって、ついこの前、ミハイルモードとはいえ、ガッツリとファーストキスを交わしてしまったからだ。
マリアの勘だろうが……的をしっかり射抜かれた気分だ。
胸が痛む。そして、息苦しい。
気がつくと、俺の人差し指は自身の唇を撫でていた。
一瞬だったが、あの時の感触を思い出したから。
頬は一気に熱を帯びて、燃え上がる。
心臓を打つ音がドクッドクッとうるさい。
ふと、隣りに立っていたアンナに目をやると……。
同様の仕草を取っていた。
顔を真っ赤にさせて、小さなピンク色の唇を細い指で触っている。
俺と目が合った瞬間に、酷く動揺した様子で、目がぐるぐると泳いでしまう。
お互い、思うことは一致していたいようだ。
すぐにまた視線を逸らして、地面を見つめたが……。
俺たちの不自然な態度を、見逃さないマリアではなかった。
「な、なによ! その反応は!? まさか、もうキッスをした関係だっていうの!? 付き合ってもないのに?」
ド正論だった。
すかさず、俺が弁明に入る。
「いや……あの時のは、事故で……」
しどろもどろに言い訳するから、更に墓穴を掘ってしまう。
「事故でも、キスはキスよ!」
「そ、そうじゃないんだ……。アンナとじゃなくて……ダチとしたって、こと?」
自分で説明していてるくせに、なぜか疑問形。
もちろん、そんな話じゃ納得してくれないマリアさん。
「意味が分からないのだけど? 全く不快だわ、あなた達の関係性が。ハッキリしなさいよ! 聞いているの? アンナ!」
ビシッと人差し指を突き付けられたが、当の本人は“キス”という言葉に動揺しており、余裕が一切なくなってしまった。
顔を真っ赤にさせて、地面をじーっと見つめる。
この恥ずかしがる態度は、ミハイルに近い。
「え……? な、なんだっけ? マリアちゃん……」
「あなたに聞いているのよ! タクトとの関係性! キスまでしておいて、付き合ってないってどういうこと!? 遊びなら、タクトと別れて!」
泣きながら怒るマリア。
よっぽど、ファーストキスを奪われたのが、悲しかったのだろう。
相手は男だから、カウントしなくてもいいのに。
アンナと言えば、ずっと上の空だ。
「はぁ……。マリアちゃんは、アンナに一体なにをして欲しいの?」
「あなたに気安く、名前を呼ばれたくないわ。そうね……関係をハッキリして欲しいのよ。恋愛関係を望んでいるわけでもないくせに。私の婚約者をたぶらかす淫乱ブリブリ女!」
酷い言い様だ。
だが、ここまで人格を攻撃されても、アンナはポカーンと小さな口を開いていた。
頭の中がキッスでいっぱいだからだろう。
「うん……だから、なにをハッキリするの?」
「あぁ! 本当に腹の立つ女ね! じゃあ、言うわよ。あなたとタクトは、あそこに並ぶラブホテルへ行きたいかって事よ! それぐらい彼を愛してるかってこと!」
言われて、また俺とアンナは視線を合わせて、黙り込む。
何故なら“一度”だが、行ったことはある、からだ。
コスプレパーティーをしただけだが……。
「「……」」
謎の沈黙が続く。
それを見たマリアの怒りは、頂点に達した。
「なによ……なんで黙るの……。まさか! あなた達! 付き合ってもないくせに、ラブホテルへ行ったとでも言うの!?」
「「……」」
これ以上、墓穴を掘りたくなかったので、俺たちは何も答えることはせず、沈黙を選んだ。
「さっきから二人とも、なんで黙っているのよ! 本当にラブホテルへ行く関係だとでも言いたいわけ? 聞いているの、タクト!」
アンナが黙っているせいで、怒りの矛先が俺に向けられた。
「いや……本当にそういう関係じゃないんだ。俺とアンナは小説のために、取材をするだけの仲であって……。つまり、ラブホテルは取材目的で行ったに過ぎない」
間違いは言ってない。
少しでも嘘を付けば、勘の良いマリアにはバレてしまうからな。
「ラブホテルに取材? それ、必要なことなの……。じゃあ、若い男女がそういうホテルへ入ったのに、何にもしなかったとでも言いたいの!?」
それに対して、俺は即答する。真顔で。
「ああ。そういうことだ」
「なっ!?」
俺の回答に驚きを隠せないマリア。
「信じてもらえないかもしれないが……。俺たちはホテルへ行ったが、何もしてない。これだけはハッキリ言わせてもらう」
「そ、そんな……健全な男女がラブホテルに入って、何もしない事なんてあるの!? あそこには大人の関係になりたくて、入る以外……使用する意味あるの!?」
「いや、それは一概には言えないんじゃないか、多分……」
だって、ピンク系のサービスを受ける殿方もいるだろうし。
経験が無いから知らんけど……。
「タクト! あなたはさっきから、そう言うけどね! この前は『ラブホテルへ行ったことない』って私にウソをついて……。それにあなたはなんで、ずっと股間が……え、エレクトしているのよ!」
「へ……?」
マリアに指摘されて、俺は恐る恐る視線を股間に下ろす。
すると、彼女の言うように、ガチンゴチンに硬くなってしまった息子くんが目に入る。
膨らみ過ぎて、チャックが僅かに開いてしまうほど、元気になっていた……。
そうか、マリアだと思っていた相手が、アンナだと知ったことにより、無意識のうちに興奮してしまったんだ。
正面から、両手でパイ揉みをしたし、この前、ミハイルとはいえ、ファーストキスを交わした……。
つまり、恋愛における『AからB』を一気に経験してしまったのか。
大人の階段、昇っちゃったの? 男で……ないだろ。
だが、身体はしっかりと反応している。
全身の血流が全て、一か所に集い、パンパンに膨れ上がる。
股間が沈静化することは、難しい。
「ま、マリア……これは、違くて……」
「ナニが違うのよ! 最低っ、そんなに私とデートをしたくなかったの? こんな屈辱は初めてよ……どうせ、今からそのアンナとキスでもして、この川を越えるつもりだったんでしょ!?」
涙目で怒るマリア。
ていうか、よくそこまで想像できたな……。
誤解だって言うのに。
「ちょっと待ってくれ! そんな気はなくて……。おい、アンナもなにか言ってやってくれよ」
隣りにいたアンナへ助けを求めるが、未だに彼女は黙りこくっていた。
頬を赤くして、チラチラとある所を見つめる……。
俺の股間だ。
「……」
黙るなよ、否定してくれ。
しかも、その反応。更に誤解を生むんじゃうよ。
「もう、いいわ! あなた達、本当に最低で卑猥よ! 不快で仕方ないのだけど!」
ヤバい、更に火をつけちゃった……。
「マリア……本当に違うんだ、これは……」
そう言って、彼女の元へ数歩を脚を進めると、「近寄らないで!」と怒鳴られた。
「さっきからエレクトしっぱなしのタクトに触られたくない!」
あ、忘れていた。
常時、卍解している俺の股間を。
顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、碧い瞳は涙でいっぱい。
冷静沈着な彼女が、こんなに感情的になるのは初めてだ。
よっぽど、屈辱的な出来事だったらしい。
「も、もう……いい。私、今日は帰るっ!」
そう言うと、マリアは俺たちに背を向けて、カナルシティの方向へと走り去ってしまう。
良かったのだろうか、これで。
実質、初めてのデートだったろうに。
走り去っていくマリアの後ろ姿を見て、俺は胸が締め付けられる思いだった。
もう追いかけても、間に合わないと思ったが……。
「マリア、待ってくれ! もう少し話を聞いてくれ!」
声だけが虚しく、カナルシティに響き渡る。
その時だった。俺の肩を優しく触れられたのは。
振り返ると、ニッコリと微笑むアンナの姿が。
「タッくん。そっとしてあげた方がいいと思うな☆」
どの口が言うんだ……。
「いや、しかしだな。マリアのやつ、泣いてたし……」
「ううん。タッくんは男の子だから分からないと思うけど。女の子ってこういう時は、ひとりでいたいって思うの」
なんて、知ったよう口ぶりで語りやがる。
お前は男だろがっ!
結局、アンナに止められた俺は、可哀そうだがマリアは放っておくことにした。
後日埋め合わせをすれば、どうにかなるだろうと……。
「ところで、タッくん☆」
「え?」
「アンナね。お昼から何も食べてないの……どこかで食べて帰ろうよ☆」
この人は……他人のデートを奪っておいて、自分はガッツリ楽しむつもりか。
深いため息をついたあと、俺はこう提案してみた。
「じゃあ……いつものラーメン屋、博多亭でどうだ?」
「うん☆ あのラーメン屋さん、大好き☆」
エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせて、嬉しそうに笑うその顔を見ると、なんでか許しちゃうんだよなぁ。
※
ラーメン屋までは、はかた駅前通りを歩くのだが。
空も暗くなってきたので、かなり冷えてきた。
タケちゃんのTシャツにジャケットを羽織っているが、さすがに夜は寒い。
「結構、冷えるな……」
「うん。アンナも冷え性だから、困るかなぁ……あ、あれを使おうよ☆」
「へ?」
彼女が大きな紙袋から取り出したのは、ザンリオショップで購入したイヤーマフだ。
もちろん、普通のマフとは違い、ピンクのもふもふ生地で、フリルとリボンがふんだんに使われたガーリーなデザイン。
主に可愛らしい女の子が好んで、着用する代物だ。
「アンナは女の子だから、“マイミロディ”を使うね☆ タッくんは男の子だから、黒の“グロミ”ちゃんを使えばいいよ、はい☆」
とイヤーマフを渡された。
これをつけろってか?
男の俺が……無理無理。
「悪いがやめておくよ。こういうのって、女の子がつけるもんだろ?」
そう言うと、アンナは頬を膨らませる。
「つけたほうがいいって! 風邪引くよ!」
これをつけて、博多を歩くぐらいなら、風邪を引いた方がマシ……。
「そう言う意味じゃなくてだな……俺は男だから、つけるのに抵抗があるんだよ」
「あぁ。そういうこと。でも、大丈夫だよ☆ グロミちゃんは色が黒だから、男の子カラーだよ☆」
「え……マジ?」
※
結局、俺は半ば強制的にグロミちゃんのイヤーマフを頭につけられ、仲良く博多を歩くことになってしまった。
すれ違いざま、その姿を見た人々は「ブフッ」と吹き出す始末。
なんて、罰ゲームだ。
しかも成り行きとはいえ、ペアルックだもの。
「ちょ、あれ見てよ。今時ペアルックだなんて」
「いいんじゃない? 若いんだし」
「時代は多様性だから、認めてあげないと」
最後の人、別に俺は認めなくていいです!
狙ってペアルックにさせたのかは、分からないがアンナは終始、嬉しそうに隣りを歩いていた。
ラーメン屋について、店の引き戸を開いた瞬間、顔なじみの大将がお出迎え。
「らっしゃい! あら……琢人くんと隣りの子はアンナちゃんかい?」
「ああ、大将。ラーメンを2つ、バリカタでお願い」
俺とアンナはカウンター席に座って、麺が茹で上がるのを待つ。
大将が厨房で麺を湯切りしながら、俺とアンナの顔を交互に見つめる。
「なんか、今日のアンナちゃん。感じが違うなぁと思ったけど、コスプレでもしているのかい? 頭もペアルックしちゃって。二人はもう、そこまで仲良くなったんだねぇ」
勘違いされてしまった……。
しかし、指摘された当の本人は、嫌がる素振りなどない。
「嫌だぁ~ 大将ったら☆ これは寒いから、つけているんですよぉ☆」
「へぇ、今時の子たちは寒いと、そんな可愛いものを彼氏につけるんだねぇ。二人とも可愛いから餃子をサービスしてあげるよ」
「やったぁ☆ 良かったね、タッくん☆」
クソがっ!
こんな恥を晒せば、俺でも餃子が無料になるのかよ。
あれから一週間が経とうとしていた。
初めてのマリアとのデートは……メインヒロインであるアンナにより、大失敗となってしまう。
正直、彼女への罪悪感で胸が締め付けられる。
さすがにまずいと思ったから、毎日マリアへ電話をかけたが、不在ばかり。
全然、電話に出てくれない。
何度もかけたが、きっと無視されているのだと思う。
メールにて謝罪の文章を送ったが……これも反応無し。
完璧に怒っているな、これは。
毎朝、スマホをチェックしているが、特に通知はない。
仕方ないから、朝食を軽く済ませて、俺は地元の真島駅へと向かった。
今日が一ツ橋高校のスクリーング日だからだ。
小倉行きのホームで列車を待っていると、ジーパンの右ポケットに入れていたスマホが振動し始める。
急いで、スマホを取り出して着信名を確認する。
しかし名前を見て、ため息が漏れてしまう。
「チッ……もしもし」
『ちょっと! DOセンセイ、なにイラついてんですか? 出てすぐに舌打ちとか……』
相手が担当編集の白金だったから、ムカついてしまった。
「すまん。ちょっと相手がお前だったから、ガッカリしただけだ」
『え、フォローになってないんですけど……。まあ、いいや。今日はスクリーングの日でしょ?』
「ああ」
『学校前に悪いんですけど。お仕事の話、いいですか?』
「数分ならいいぞ」
『良かったぁ~ 実は、今度“気にヤン”の2巻と3巻が来月に同時発売が決定しまして……』
それを聞いた俺はすかさず、ツッコミを入れる。
「はぁ!? 早すぎだろ! 入稿したの、ついこの前だろが!」
『いやぁ、編集長がアホみたいに売れているから、ブームに便乗しろってうるさいんですよぉ』
クソが……俺の他作品はそんな扱いしなかったくせに。
「わかったよ……。で、俺への要件ってなんだ?」
『DOセンセイに直接のお仕事ってわけじゃないんですけど。ご協力をお願いしたいんです』
「協力?」
『ええ。今回のヒロインとなる現役JKである、ひなたちゃん。それから、腐女子のほのかちゃんの写真を提供して欲しいんです。イラストのモデルとして必要でして……』
「なるほど」
絵師であるトマトさんが必要としているということか。
メインヒロインであるアンナは、正体を隠しているから、モデルはギャルのここあに差し替えられてしまったが……。
『やっぱりダメですかね? DOセンセイのカノジョ候補になる大切な女の子たちですから……』
俺はそれを聞いて、即答した。
「いいぞ。何枚いるんだ?」
『は、早っ! アンナちゃんの時はあんなに嫌がったくせに……。腐女子のほのかちゃんなら、まだしも……。ひなたちゃんの写真をトマトさんに貸すの、ためらいとかないんですか? おかずにされるかもですよ!』
トマトさんってそんなに信頼できない男なのか?
しかし、自分でもよく分からないが、何故かアンナ以外の女子なら、情報を差し出すのに抵抗はないんだよなぁ……。
「トマトさんがそんなことするわけないだろ……。あの人、好きな女の子? がいるし」
相手がここあだから、疑問形になってしまった。
『へぇ。そうだったんですか。でも、本当に写真提供、許していいんですか』
「ああ、許可は本人達が決めることだ。俺じゃない。ま、大丈夫だろ。アンナはダメだけどな」
『な~んか、アンナちゃんだけ特別扱いしてません? DOセンセイ』
「いや。それはない。もう電車に乗るから、切るぞ」
話はまだ終わっていなかったが、一方的に電話を切ってしまう。
白金に全てを見透かされているような気がしたからだ……。
「アンナだけ……か」
列車に入ってもしばらく頬が熱く、近くに座っていた女子高生の視線が気になった。
別に嫌らしい目つきではなく、同族……。
片想い同士、共感しているような顔つき。
その証拠に相手も頬が赤い。
違う、俺はノン気だ……。
だから、そんな目をしないでくれ。
『次は席内~ 席内駅でございます~』
車掌のアナウンスで、意中の人物との再会することに気がつく。
彼が住んでいる地元だからだ。
プシューっと音を立てて、自動ドアが左右に開いた。
視線を下にやれば、白く長い美しい脚が二本並んでいる。
「おはよ☆ タクト」
ニカッと白い歯を見せて、元気に笑うミハイル。
前回のスクリーングとは大違いだ。
きっと、マリアのパイ揉み事件を克服したからだろう。
「ああ……おはよう」
ただ挨拶を交わしただけ、だと言うのに……視線を逸らしてしまう。
つい先ほど、白金に女装した彼のことを、特別視していると指摘されたからだと思う。
ずっと頭の中は、アンナでいっぱいだった。
今のこいつ……ミハイルは男だって言うのに、目を合わせれば、頬が熱くなり、緊張してしまう。
違う。
こいつのファッションが悪いんだ。
今日だって、11月に入ったのに。
相変わらず無防備なデニムのショートパンツ。
トップスは肩だしのニットセーターにタンクトップ。
足もとこそ、ボーイッシュなスニーカーだけど……。
金色の長い髪は首元で結い、纏まりきらなかった前髪は左右に分けている。
エメラルドグリーンの大きな瞳を輝かせて、ニコニコ笑うその姿は、どんな女よりも可愛い。
「タクト? どうしたの?」
見入ってしまった俺を不思議に思ったようで、前屈みになり、顔をのぞき込む。
自然と胸元の襟が露わになる。
中にタンクトップを着ているとはいえ、もう少しで彼の大事なモノが見えそうだ。
「な、なんでもない! 早く、隣りに座ったらどうだ!」
つい口調が荒くなってしまう。
照れ隠しのために。
「うん……変なタクト」
※
俺の隣りにピッタリとくっついて、嬉しそうに笑うミハイル。
やはり、この前のデートで自信が回復みたいだな。
まあ……代わりにマリアのダメージがデカく残ってしまったが。
車窓から陽の光りが差し込んでくる度に、ミハイルの耳元がキラッと輝く。
違和感を感じた俺は、彼の小さな耳に触れてみた。
「なんだ、これ?」
親指の腹で感触を確かめてみたが、結構硬い。
よく見れば、反対側の耳にも同様の小さな装飾品が付けられていた。
「ひゃっ!? い、いきなり、なにすんだよ! タクト!」
「あ、すまん……なんか見慣れないものが耳についていたから、“できもの”かと思った」
俺がそう言うと、彼は頬を膨らませる。
「違うよ! これはピアスなの!」
「ピアス? なんでまた、そんなもん付けたんだ? 男なのに……」
その一言で彼の怒りのスイッチが入ってしまう。
「男とか女とか関係ないじゃん! カワイイから付けたかったの!」
「お、おお……確かに性別は関係ないもんな。すまん」
「分かってくれたなら、いいけど……」
しかし、何故今になって彼がピアスを付けたのか、俺には理解できなかった。
別にイヤリングでも、いいんじゃないかと思って。
「なぁ。ピアスを付けてるってことは……耳に穴を開けたってことだろ? そこまでして付ける必要性があったのか?」
俺がそう言うと、彼は急に視線を床に落とし、頬を赤くする。
もじもじして、ボソボソ喋り始めた。
「だ、だって……イヤリングより、ピアスの方がカワイイのいっぱいあるから。それで穴を開けたんだ」
「なるほど。ピアスの方が種類が多いってことか……」
「うん☆ ここあから聞いて、それでアンナと一緒に開けたんだ☆」
言っていて、寂しくない?
一人で開けたのに、友達アピールとか……。
「ピアスを開けるって言うと、やっぱりアレか? 耳の裏に消しゴムを置いて、安全ピンでブッ刺して、開けるのか?」
「そんなこと、するわけないじゃん!」
「え? 違うの?」
「ちゃんとした病院で手術したの! タクトみたいなやり方で開けたら、ばい菌とか、化膿とか、色々トラブルが多いんだよ!」
「悪い。知らん」
「だから、麻酔とかしてくれるお医者さんにやってもらった方が安全だし、手術のあと、穴が埋まったりしないし。慎重にしないとね☆」
なんて、ウインクしてみせるミハイル。
ヤンキーのくせして、そういうところは、めっちゃ慎重なんだね。
根性焼きみたいな感じで、グサグサ刺して、開けまくるのかと思ってた。
教室へ入ると、ただならぬ気配を感じた。
ナチュラルショートボブのめがね女子、北神 ほのかが入口の前で立ちふさがっていたからだ。
冬に入り、衣替えってことでいつものファッションはやめたようだ。
といっても、中退した高校の制服だが。
白いブラウスとプリーツが入った紺色のスカートは、そのままで。
グレーのベストに、スカートと同系色であるジャケットを羽織っていた。
本当に年がら年中、制服を使い倒す気なんだな、こいつ。
いつもなら、鼻息を荒くして、BLか百合の話を押し付けてくるのに、今日のほのかはどこか元気がない。
その場で突っ立って、頬を赤くし、俯いている。
妙にしおらしい。
顎に手をやり、チラチラと俺の顔を見つめる。
「お、おはよ。琢人くん……」
「ああ、おはよう。ほのか」
「……」
「?」
謎の沈黙が続く。
そして、彼女から熱い視線をビシビシと感じる。
一体、何がしたいんだ?
ていうか、教室の入口でずっと二人、見つめあっているから、気まずいんだけど。
ミハイルが俺の背中から、顔を出してほのかに声をかける。
「ほのか、おはよう☆ どうしたの? 元気ないな」
「う、うん……」
彼から声をかけられて、返答こそするものの、視線はずっと俺に向けたまま。
「あの……琢人くん。実は……話があるの」
「俺に? なんだ?」
「ここじゃ、言えないよ」
「は?」
「二人きりでしか、話せないことなの……」
と身体をくねくねして、恥じらう腐女子。
後ろで話を聞いていたミハイルが、一連の会話を聞いて身を乗り出す。
「ハァ!? なにそれ、ほのか! もしかして、こ、告白なの!?」
「そう、かも……」
いや。この変態のことだ。
絶対、そんな女らしい発想に至るわけがない。
何か裏があるな……。
とりあえず、告白と勘違いしているミハイルを、俺は落ち着かせる。
一旦、廊下に出て、彼に俺なりの解釈を説明してみた。
「ミハイル。ほのかの言う告白は多分、俺を好きって意味じゃないと思うぞ」
「え、ホント!?」
「ああ。多分、彼女の趣味に関係するものだ」
俺がそう言うと、ミハイルは小さな手のひらをポンッと叩く。
「あ! そうか、例の病気だな!」
「ま、まあ。そういうことだろうな……」
彼の中で、BLという性癖は1つの症例なんだね。
腐女子が可哀そう……。
※
俺とほのかは、三階の教室へと上がった。
スクリーングに使われるのは、二階の教室が主で。
一ツ橋高校は100人にも満たない生徒たちだから、3クラスあれば、事足りる。
日曜日だし、教室棟の3階は今、誰も使用していないということだ。
だから、ここを選んだ。
以前、全日制コースの福間 相馬に言いがかりをつけられたのも、この場所だ。
静まり返る教室の中、お互いの顔を見つめあう。
「……」
やはり、何か今日のほのかは、おかしい。
頬も赤いままだし、仕草が女の子っぽく感じる。
本当に俺のことが好きなのか……?
こいつが真っ当に恋愛できる人間とは思えんが。
「なぁ、そろそろ、話してくれないか? ホームルームもあるし」
「う、うん……。じゃあ言うね。私の本当の気持ちを……」
瞳はどこか潤って、色っぽく感じる。
思わず、俺も生唾を飲み込む。
何を言い出すか、予想がつかないからだ。
「よし。言ってくれ」
「わ、私……実は……。初めて見た時から、琢人くんのこと、ずっと……気になっていたの!」
「え……マジか?」
「本当だよ。一目惚れってやつなのかも。入学式の時に出会って以来、琢人くんのことが頭から離れなくてね……」
「……」
これ、マジの告白なのか。
ウソぉ……困るんだけど。いろんな意味で。
困惑する俺を無視して、ほのかの告白は続く。
「あなたのことがずっと好きだったの! これが私の本当の気持ち!」
「えぇ……」
生まれて初めて? 女の子から告白されたのに、全然嬉しくない。
だって、ゴリゴリの腐女子で変態のほのかだぜ……。
むしろ吐き気を感じてしまった。
生まれて初めて告白された女の子が、腐女子……。
言葉にならなかった。
なんなんだ、これ。
母さんの呪いか?
好きだと言われて、俺はなんて断れば良いんだ?
わからん……今までほのかが、俺に惚れる要素がどこにあったというのか。
それに、以前こいつの好みを聞いたが、特に当てはまるところは、ないはず。
困惑する俺を無視して、ほのかの告白はまだまだ続く。
「あのね……琢人くん。私ってちょっと変わった女の子じゃない?」
「まあな」
ちょっとどころじゃない、変態さんだけどな。
「実はもう一人、好きな男の子がいるの……」
「え……?」
彼女が「男の子」という言葉を発した瞬間。
一気に血の気が引く。
俺の周り……いや、ほのかの交友関係で、男の子と言える年の若い雄は一人しか、思いつかない。
「み、ミハイルくんのことも出会った時から……ずっと好きだったの。きっと、一目惚れだと思う」
「は……ハァッ!?」
思わず、ブチギレてしまった。
「私って罪深い女よね……同時に二人の男の子を好きになるなんて……」
なんて言いながら、教室の窓に近づき、運動場を眺める。
こいつ、一体なにを考えていやがるんだ。
しかし……それよりも、俺は怒っていた。
別にこいつが誰を好きになろうと構わない。
二股でも自由にしたら良いだろう、知らんけど。
俺が一番、許せないのは……。
気がつくと、俺は叫んでいた。
「ふざけるな! あいつは……俺のミハイルだ! 誰にもやるか!」
あくまでダチって、意味なんだけど。
大事な友人がそんな風に軽々しく想われるのは、嫌だったのだと思う。
「琢人くん……。やっぱり、あなたとミハイルくんって、ただならぬ関係だったのね。私が少しも入れないような……濃密な関係」
「へ?」
怒りも通り越して、アホな声で答えてしまう。
「前々から、思っていたの。二人はいつも一緒だし、出会ってすぐにお弁当とはいえ、“唾液交換”する間柄……だからこそ、好きなの!」
「な、なにが言いたいんだ……ほのか」
そう問いかけると、彼女はふくよかな胸の上に、手をのせて深呼吸する。
大きく息を吐きだしたあと、こう言った。
「ごめんなさい! 尊い二人が好きで、めちゃくそ絡めちゃったの!」
「は……?」
※
ほのかの告白というのは、ただの創作活動における話だった。
つまりBLのことだ。
俺とミハイルが好き……というのは、あくまでも“素材”として。
なんて紛らわしい奴だ。
俺にカミングアウトしたことで、緊張は解け、いつもの彼女に戻る。
鼻息を荒くして、激しく絡み合った表紙のBLコミックを見せつけてきた。
「これこれ、見てよ! 私が描いた作品、ついに商業デビューしたの!」
「え……ほのかって、確かうちの出版社で預かり扱いだったよな?」
「うんうん。それでね、リキくんの取材とかを元に描いたネームを持って行ったら、編集長の倉石さんが出版してくれたの。作画は他の先生だけどね♪」
「そ、そうか。なんか知らんが、良かったな」
半ば強制的に、ほのかの初商業作品を渡されてしまった。
タイトルを見れば……。
『ゲイの国 福岡オムニバスクラブ』
酷い作品名だ。
パラパラとページをめくって見る。
ほのかが隣りで、一々説明してくるのがウザい。
「これねぇ。リキくんと仲の良いおじさんから聞いた体験談なんだ♪」
「……」
確かに言われると、描写が妙に生々しい。
腐女子の妄想だけでは、描けないリアルを感じる。
そして、肝心の俺とミハイルの話まで読み飛ばすと……。
サブタイトルは。
『ヤンキーくんがオタクに恋をした』
まんまだな……。
出会いはほぼ、俺とミハイルの間に起きた出来事を忠実に再現していた。
しかし、違うところがあると言えば、その立場だろう。
『タクトが悪いんだ。オレのことをカワイイとか言うから……』
『だからって、やめてくれ! こ、こんな……』
『いいじゃん。タクトのお尻が良すぎるんだもん。オレ、もう我慢できないよぉ☆』
『あああっ! い、痛いっ! もう12回目だぞ、ミハイルッ!』
「……」
クソがっ!
なんで、俺が受けなんだよ!
百歩譲っても、攻めの方にしろよ……。
しかも、この漫画のミハイル。
おてんてんが、デカすぎる……。
実物はすごく可愛らしいサイズだというのに。妄想だから仕方ないけど。
まあ、本物を知られたら、危険だから、このままにしておこう。