やってしまった。
 勢いとはいえ、初めてスクリーングを自らの意思で休むとは……。

 俺は小倉行きの電車へと乗り込み、ミハイルの住む席内(むしろうち)駅へと向かった。
 彼の住む街に来るのは、随分と久しぶりに感じる。

 急いで商店街を走り抜け、目的地であるパティスリーKOGAの前で立ち止まる。
 まだ朝が早い事もあってか、店内には客が一人もいなかった。
 店の扉を開くと、ベルの音が鳴る。

 その音に気がついた店主が、笑顔でお出迎え。

「いらっしゃいませ~」

 コックコートに身を包んだ一人の女性が、カウンター越しに立っていた。
 長い金色の髪は、首元で1つに結い、左肩に下ろしている。
 2つの瞳はエメラルドグリーン。
 一見すると、ハーフの美人なのだが……。

 客が俺と見るや否や。
「チッ……なんだ、坊主か」
 と吐き捨てる始末。


 いつもなら、その塩対応に困惑するが。
 今はそれどころじゃない。
 早く彼の安否を知りたくて、仕方ないんだ。

「あ、あの! ヴィッキーちゃん! み、ミハイルは……あいつは今どういう状態なんですか! 病院へ連れて行かなくても、大丈夫なんすか!」
 いきなり、マシンガンのように言葉を連発したせいか、ミハイルの姉は驚いていた。
「な、なんだ急に……。ミーシャなら二階で寝てるよ。ていうか、坊主こそ学校はどうした?」
「俺のことなんて、どうでもいいです! 早くミハイルに会わせてください!」
「お、おお……」

 強い俺の想いにヴィクトリアは、圧されてしまったようで。
 自宅である二階へと案内してくれた。

 玄関の鍵を開けたあと、彼女は「まだ店があるから」と仕事に戻っていった。
 別れ際にミハイルの状態を軽く説明されたが。
 
 一週間前ぐらいまえに、一晩中どこかを徘徊したので、きつく説教したら。
 次の日から高熱を出して、寝込むようになったとか。
 病院にも連れていったが医師からは「身体を冷やしすぎただけ」とのこと。

 その説明を聞いて、俺は罪悪感でいっぱいだった。

 だが、自分のことより、早く彼の元へと駆けつけたいという、想いの方が強い。
 心配だし、あいつの顔を見るまで安心できない。

 唾を飲み込んで、決心し、玄関の扉を開く。

 家の中に入ると何故か甘い香りが漂っていた。
 きっと他人の家だから、玄関の芳香剤か、使用している洗剤とかの違いからだろう。
 女子の家って感じ。

 靴を脱いで、ゆっくりと廊下を歩く。
 あまりうるさくすると、彼が起きてしまうと思ったから。
 スタジオデブリやネッキーの可愛らしいポスターで、左右は埋め尽くされている。

 廊下を抜けると広いリビングがあり、左右に部屋がある。
 各部屋の扉には、可愛らしいネームプレートが飾ってあり。
 右側は『ヴィッキーちゃんの部屋』反対側に『ミハイル☆』と書いてある。

 俺は、彼の部屋の前で立ち止まる。
 一応ノックだけはしてみた。

「ミハイル? 俺だ。入ってもいいか?」
「……」

 反応がない。
 やはり寝ているのだろう。

 仕方ないので、ゆっくりとドアノブを回す。

 部屋に入った瞬間、俺は言葉を失った。
 ベッドの上で、一人身体を丸めて、寝込む彼の姿を見たからだ。
 いつもの元気な彼ならば、白くて透き通るような肌を、見せてくれるが……。
 高熱のせいか、赤色に染まっている。
 息は荒く、終始「う~ん」と唸っている。

 その場にリュックサックを投げ捨て、彼の元へと駆けつける。

「み、ミハイル! 大丈夫か!?」
 俺が必死に話しかけても、彼の耳には届かない。
 多分、高熱のせいだ。
「ううん……」
「……ミハイル」

 俺はせめてもの罪滅ぼし。
 いや、自分が安心したかったからか。
 彼の小さな細い手をギュッと掴んで、自分の額に当てた。
 高温だとすぐに分かった。

 気がつくと、目頭が熱くなり、頬を涙が伝うのを感じた。

「わ、悪い……俺のせいで、学校を休ませて。お前にこんな辛い思いさせちまって……」

 自分でも、何故こんなに彼のことを心配するのか、分からなかった。
 高々、学校を休んだぐらい。熱が出たぐらい。
 別にミハイルが死ぬってわけじゃないのに……。
 
 今はとにかく、こいつのそばにいてあげたい。
 それしか、思いつかないんだ。