「さあタクト! この婚姻届にあなたの名前を書いて! それで今すぐ夫婦になりましょ。約束でしょ」
何故、俺は人生で初めて婚姻届なる用紙を見せつけられているのでしょうか?
「あ、いや……マリア。そんなことをいきなり言われても」
「どうして? 10年前に約束したじゃない! あなた好みの女にもなったわ。タクトも小説家になれたし、他に何の問題があるっていうの?」
なんて顔を真っ赤にして興奮するマリア。
ヤバい。言い訳しようものなら、訴えられそうだ。
「問題は……」
どうにかして、この場をしのがないと。
何かないのか。彼女を納得させられるようなことは……。
一人その場で唸っていると、頭に真っ先に浮かんだのは、ミハイルとアンナの2人だった。
そうだ。あいつらを悲しませることはしたくない。
俺が今、このままマリアと結婚という選択をしてしまえば、ショックで死んでしまうかも……。
そんなバッドエンド、ごめんだ。
「実は……問題があるんだ! マリア」
「え?」
「だって俺たちはまだ学生だろ? それに未成年だ。小説家としてデビューはしたが、まだちゃんと食っていけるほどの収入がない」
これなら、納得できるだろうと思ったが、それを聞いたマリアは「なに、そんなこと?」と笑う。
「私はもう16歳だから、日本なら親の同意があれば結婚できるわ。タクトも18歳だし。それにアメリカで飛び級したから、ついこの前ハーバード大学を卒業したもの。あと在学中にファッションブランドを起業したから、肩書としては社長をやってるの」
「えぇ……」
なんて完璧すぎる女の子。
「それにタクトも18歳なんでしょ? えっと……日本じゃハイスクールの3年生よね。じゃあ半年で卒業でしょ? 待つわよ、それぐらい」
「すまん、マリア。俺、今まだ高校1年生なんだ」
それを聞いた彼女は顔を真っ青にして、口元に手を当てる。
「こいつそんなにバカだったの?」みたいな顔で。
俺はその後、現在に至るまでの過程を彼女に説明した。
不登校が悪化し、中学もろくに登校せず、新聞配達と売れない作家の二足の草鞋生活。
今の担当編集に言われて、一ツ橋高校に取材として二年遅れで入学したこと。
ラブコメの取材として、高校に通学しているから、3年間はこの生活を維持しないと無理だと弁解した。
それを聞いたマリアは、大きなため息をつく。
「ハァ……あなたって本当に最低な男ね。私がアメリカで10年間、死に物狂いで頑張っていたのに、タクトはそんな生活だったなんて」
「す、すいません」
本当に申し訳ないと縮こまる。
だって相手は命がけで俺のために生きてきたから。
「まあ、いいわ。結果的には全ての条件をクリアできそうだもの。今回のラブコメ……なんだったかしら? “気にヤン”だったわね。あの作品が売れているらしいから。デビュー作“ヤクザの華”が打ち切りになった時はショックだったけど」
「え? マリアは俺の処女作を知っていたのか?」
「当たり前でしょ。だって、タクトがオンライン小説で活動している時もずっと読んでいたのよ。絶対最強戦士、ダークナイトの頃から」
「……」
もう、そのペンネーム聞きたくない!
※
「でも、マリア。なんで俺の住所を教えたのに、一通も手紙をくれなかったんだ?」
そう尋ねると、彼女は婚姻届とは違う、もう一枚の用紙を差し出した。
「あのね……こんなアホな住所で分かるわけないでしょ?」
「え?」
彼女からそれを受け取り、じっと見つめる。
子供の汚い字で書かれた地図みたいなものだ。
『真島駅→真島商店街→俺ん家』
「なんだ? この酷いイラストは?」
「10年前、あなたが書いた住所でしょ!?」
めっちゃ怒られてしまった。
「あの、なんか色々すいません……」
また縮こまってしまう。
「もう、いいわよ。信じた私がバカだったわ。グーグルマップでどうにか住所を特定したから」
え、この少ない情報量で?
怖い。特定班じゃん。
「真島で『新宮』と検索したら、あなたのお母さんが世界的にも有名な人だから、すぐにわかったわ。ツボッターでも“ケツ穴裂子”は100万人フォロワーがいるインフルエンサーだったのね、さすがタクトのお母さんだわ」
ファッ!?
世界中に恥部を晒している気分。
「そ、そうだったのか……」
「まあ。それがきっかけで、タクトの小説を博多社に推薦できたのだけどね」
「え……?」
「だから、私が博多社のゲゲゲ文庫に電話して、あなたの小説を出版できないかって、お願いしたのよ。数年前に」
「えええっ!?」
俺の実力じゃなかったのか……今だけは泣いてもいいですか。