気がつけば、俺達が博多に集まる理由は変わっていた。
最初はお互いの好きな映画を貸し借りして、感想を相手に伝える……というためだけに、集まっていたのだが。
観た映画を元に俺が小説を書き、それをマリアに読ませる方が優先的になっていた。
だから、小説のネタがなくなると、二人で新作の映画を観に行き「タクトだったらこの映画をどう表現する?」と聞かれる。
正直、マリアは俺を上手いこと煽っていたのだと思う。
「フンッ。俺ならこうするな」
と帰宅して、すぐ文字に変えていく。
勉強はろくにしないくせして、新しい学習ノートだけがどんどん増えていく。
ただ、マリアの喜ぶ姿を見たいから。
俺は書き続けた。
しかし、終わりは突然やってきた。
※
初めてマリアとカナルシティで出会ってから、半年ぐらい経ったころ。
いつものようにキャンディーズショップで、彼女に小説を渡す。
だが、その日のマリアは顔を曇らせていた。
「どうした? なんか昨日悪いもんでも食ったか?」
俺がそう問いかけると、彼女は大きくため息をつく。
「あのね……だから私を大食いだって決めつけないでくれる」
「じゃあ、どうしたっていうんだ? ちゃんと小説を書いてきたぞ。読まないのか?」
「タクトが書いてきてくれたのは嬉しいのだけど……ちょっと悩み事があって」
「悩み? ハンバーガー食べ過ぎて、体重が増えたのか?」
「あなたね……本当にデリカシーのないバカね」
彼女に詳しい話を聞かせてくれと頼んだが、一向に首を縦に振ってくれない。
沈黙だけが続く。
どうやらかなり重たい内容のようだ。
俺は気晴らしにカナルシティ博多の近くにある河川へ行ってみないかと誘ってみた。
そこでようやく彼女は黙って頷く。
カナルシティの裏口から出て、小さな交差点を、二人で渡る。
空はオレンジ色に染まっていた。
川の流れはとても緩やかで、時折、魚がぴちょんと音を立てて跳ねる。
近くにベンチがあったのを見つけた。
そこへ二人して座る。
マリアはまだ元気がない。
俺が書いた小説を大事そうに両手で抱えて。
なにやら酷く脅えているようにも見える。
「……」
未だに何があったのか、教えてくれない。
だから、俺は彼女が自分から話してくれるのを待つことにした。
※
「嫌だって……」
「いいだろ?」
「アンッ。もうホテルが目の前だって言うのに……」
クソがっ!
重たい話なのに、いつまでたっても始まらないじゃないか!
ラブホが近いんだから、早く行けよ。
子供の目の前で、乳繰り合ってんじゃねー!
案の定、普段冷静沈着なマリアも、その大人の世界に飲み込まれていた。
「ここって……そういうことなのね」
目を泳がせて、ガタガタ震え出した。
あれ? 勘違いしてない。この子。
「おい、マリア。俺はこの川がそういうところだとは知らなかったぞ?」
一応忠告しておく。
「そ、そうよね……バカなタクトが知るわけないわ…」
動揺しているところで、彼女にもう一度話を振ってみる。
「なあ。そろそろ話してくれないか。お前の悩みってやつ」
「う、うん……」
それから彼女は淡々と俺に話し始めた。
「私。実は心臓に重たい病気を抱えているの。治すためには日本じゃなくて、アメリカの有名な教授がいる大学病院に行かないといけなくて。そこで手術をするの」
「……」
俺は言葉を失っていた。
「まだ国内では成功したことなくてね。アメリカでも手術はなかなかやらないの。それだけ珍しい病気らしいわ。だから、タクトの小説はもう読めなくなるの……」
「そ、そんな……」
突然の別れに俺は酷くショックを受けていた。
だが、その悲しみはマリアも同様……いや俺以上だろう。
青い瞳に涙をいっぱい浮かべて、俺をじっと見つめる。
「私、怖いの! 生きて戻って来られるかわからなくて!」
心底、脅えているようだ。
小さな身体を震わせて、泣き叫ぶ彼女は見ていて辛い。
抱きしめてあげたい……だが、俺にそんな資格はない。
なにも出来ないのか。
俺は無力だ。
神ってやつがいるなら、いくらでも祈ってやるが、そんなもんに任せてられない。
考えろ。少しでもマリアが安心できることを……。
俺は彼女の肩を両手で掴み、こう言った。
「心臓の手術だったか?」
「う、うん……成功できる確率は半々だったと思う……」
「じゃ、じゃあ、こうしよう! お前が……マリアが必ず生きて日本に戻ってこれるように、俺と約束をしよう!」
「やくそく?」
「ああ。成功できる確率が半々なんだろ? なら、俺の人生を半分お前にやる!」
「どういうこと?」
「日本に戻って来られたら、この天才の俺と結婚してやるって言ってんだ!」
そう自身の胸を強く叩いて見せる。
精一杯の強がりだった。
「結婚?」
目を丸くするマリア。
驚いて固まってしまった。
だが、しばらくしてから、吹き出してしまう。
「あはは! 馬鹿馬鹿しい子供じみた約束ね!」
「な、なにがおかしい!」
「ふふ……でもタクトらしいわね。曲がったことが大嫌い。物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない。あなたらしい傲慢で極端な約束だわ」
この時にはもう彼女の顔つきが明るくなっていた。
「そうだろう。マリアが命を賭けるんだ。だから俺は人生を賭ける。これでこそ平等と言うものだ」
「じゃあその約束。乗っかっていいかしら?」
そう言って、マリアは小さな小指を差し出す。
「もちろんだ。この約束、忘れはしない。しっかりと認識した」
俺は彼女を安心させてあげたい一心で、指きりを交わした。
無力で幼い子供だったから、これぐらいしかできないと思ったんだ。