つい先ほどコミカライズ版を全てお買い上げしたくせに、また戻って来てラノベ版を全部買ってしまったアンナ。
一体、何がしたいんだ?
そんなにまで、俺のサインを独占したいのだろうか。
わからん。
「タクト。もう小説は全部売れたのよね?」
不服そうに財布をしまう彼女。
「ああ、お前のおかげで完売だ。今日の仕事はこれで終わりだな」
「そう……なら、この後付き合ってもらえないかしら? 話したいことがあるのだけど」
と頬を赤らめる。
「構わんが」
「じゃあ、カナルシティの裏にある“はかた川”で待ってるから……」
そう言って足早に去っていく。
もちろん、大量の小説が入った紙袋を両手に持って。
なんか、様子がおかしいな。アンナのやつ。
まるで人が変わったようだ。
喋り方もえらく上品だし、いつものように積極的なアピールもない。
どちらかと言うと、ツンツン系な女の子の設定だ。
うーん……これも小説のためにと考えたヒロインの一人か?
※
「あぁ~ すっげぇのが出ましたよ~ DOセンセイ……尻から火が吹いちゃうぐらいのが♪ おかげでスッキリしたんですけどねぇ」
びしょ濡れになったハンカチを持って、ステージに戻ってきた白金。
誰がそんな汚い表現をしろと言った。
仮にもお前は女だろ。
「白金……いちいち、お手洗いで何が起きたか言わなくていい」
「え? 男の子ってこういうの好きなんでしょ? スカ●ロでしたっけ」
俺はあいにく、そんな性癖はないし、あったとしても、お前のは聞きたくない。
「もうこの話はやめてくれ……」
「そうですか。ていうか、私がいない間に全部売り切れじゃないですか!? すごい! 大勢のファンの人が買いに来たんですか!?」
「いや……たった一人の客だけだ」
正確には、二人か? 多重人格ヒロインだからな。
「ひょえ~! DOセンセイにはやはりコアなファンの方がいるんですね! この調子で“気にヤン”を流行らせましょう!」
流行らないだろう……だって、60冊を一人が独占しただけじゃん。
その後、俺はようやくサイン会から解放された。
白金は後片付けがあるから、カナルシティに残るらしい。
「DOセンセイ、今日はお疲れ様でした! また編集部でお会いしましょうね~」
「ああ。じゃあな」
そう言って背を向けたら、後ろから声をかけられる。
「しっかり休養取ってくださいねぇ~ 私もこのあとイッシーとチゲ鍋食べに行くんですよ。ハイボール飲み放題付きで♪」
こいつ。そんな不摂生ばかりしてるから、腹を壊すんだろ。
俺はとりあえず、カナルシティを裏口から出て、はかた川を目指した。
もう既に空は、オレンジ色に染まりつつある。
そう言えば……アンナと例の“契約”を交わしたのもこんな時だったな。
あれから、もう半年近く経ったか。
色々なことがあったな。
良いことも悪いことも……。
数々の取材を思い出しながら、交差点を渡り、階段を昇る。
河辺には何人かのカップルが肩を並べて座っていた。
目の前がラブホ街だから、このあとイッちゃうのだろうか。
「タクト……懐かしいわね。約束の場所だもの」
ベンチに座る一人の少女が俺に気がついたようで、声をかけてきた。
背はこちらに向けたまま、顔だけ振り向く。
「ああ、覚えているさ。お前とここで契約したんだものな」
俺も彼女の隣りに座り込む。
「ええ。早いものね。10年前の出来事だと言うのに……昨日のように思い出すわ。あなたとの契りを」
「そうそう。お前が急に取材のために……って、10年前ぇ!?」
俺って今、異世界とかに転移してないよね。
「10年前……一体、なにを言っているんだ? アンナ」
あれぇ? 俺ってこいつとそんな長い間柄だったけ。
首を傾げていると、彼女は肩をすくめて、ため息をつく。
「やっぱり忘れているんじゃない。あれだけ、格好つけておいて……もう、私あなたの口癖は信用しないわ。『認識した』っていうセリフ」
俺は酷く動揺していた。
目の前にいるこの金髪の美少女がアンナじゃなければ、誰だというんだ?
色んなカワイイ女の子を見てきた俺だが、彼女……いや、ミハイルほどのルックスの持ち主はいないはず。
沈黙が続く。
どう会話を切り出したらいいのか、分からない。
脳内の記憶を検索しまくる……だが、10年前なんて昔の映像は蘇らない。
しばらく考えこんでいると、痺れを切らした彼女が俺の手を握りしめる。
「タクト。ここを触って。それで思い出すはずよ」
そう言って、俺の右手を自身の胸元に当てる。
「なっ!?」
その行動に驚いた俺は手を離そうとするが、彼女が許してくれない。
華奢な体つきの割にかなり強い力だ。
「ほら……聞こえるでしょ。私の鼓動が」
視線を彼女に合わせると、薄っすら涙を浮かべていた。
確かに心臓の音は手を通じて、伝わってくる。
だからといって、なにがわかるんだ。
そりゃ生きているんだから、当然だろうに。
「すまんが、手を離してもいいか? お前の言いたいことがさっぱりわからん」
俺がそう言うと、彼女は頬を膨らませて、不機嫌そうにする。
「これでも思い出せないの? いいわ……じゃあ、これならどう?」
ススッと、心臓から少し下に手をおろす。
そして何を思ったのか、俺の右手を介して、自身の胸を揉み始める。
「お、おい! なにをする!?」
慌てる俺を見ても、彼女は特に驚くことはない。
人目も気にせず、自身の片乳を揉ませる。
「ほら……あの時の約束でしょ? 私の胸が貧乳だったら、結婚するって」
それを聞いた俺は、バカみたいに大きな声で叫ぶ。
「け、け、結婚だと!? お、お前は何を言って……」
だが、そんなリアクションとはお構いなしに、胸を揉ませられること、数分間。
確かに俺好みの貧乳だ。
瞼を閉じてみる。
どうやら、過去の俺はこの子の胸を揉んだことがあるらしい。
しばらく感触を味わっていたら、思い出すかもしれん。
自由に触って良い機会なんて、中々ないしな。
プニプニしている……柔らかい。
小ぶりでちょうど良いサイズ。
素晴らしい。
しかし、服の上からとはいえ、あまりにも柔らかすぎる。
なぜだ?
この感触は……そうか。ブラジャーをしていないんだ。
だからか。
ってあれ? 以前、アンナとプールでおっぱいを触ってしまった時は、もっとこうなんというか、人工的な柔らかさ。シリコンみたいな感じだったよな。
それにアンナはカチカチってぐらいの絶壁……。
その瞬間、目を見開く。
確信したからだ。
「お前! 女だろ!」
言った後で、自分でもアホな発言だと思った。
「え? 当たり前でしょ?」
すごくバカにした目で睨まれてしまう。
「違う! 俺が言いたいのは……」
待てよ。こいつの目。おかしい。
夕陽に照らされて輝く2つのブルーアイズ。
グリーンじゃない!?
激しい頭痛が俺を襲う。
頭の中がバチバチと激しい閃光が走る。
けたたましい雷が鳴り響くような。
体感にして、1時間ぐらい起こった気がする。
それらが治まった後……1つの言葉が、自然と口から出てきた。
「マ……リア。お前、マリアか?」
「やっと思い出せたのね。タクト、ただいま」
彼女は優しく微笑む。
まあ、この間もおっぱいは揉みしだいているのだが……。
金髪、貧乳、色白で華奢な体型のハーフ美少女。
あの時……確かに俺は、この世に一人しか存在しない可愛い女の子だと思った。
そうだ。半年前、一ツ橋高校で。
だが、目の前にもう一人いるじゃないか。
完璧な美少女が。
あいつは不必要なモノがついている……男の子。
2つのブルーアイズをキラキラと輝かせる彼女の名は、マリア。
「タクト、ただいま。10年ぶりね!」
そう言って、俺に抱きつく。
「お、おかえり……」
ていうか、誰ぇ!?
名前はなんとなく思い出せたけど、それ以外の記憶がなにも出てこないよ~
グリグリとノーブラの生乳を俺の身体に擦り付ける。
「わ、私……ちゃんとここに、福岡に帰って来られたのよ。あなたと約束したから、手術も成功したの。タクトが結婚の約束をしてくれたからよ」
と涙を流すマリア。
「結婚? 手術?」
俺は新手の詐欺にでもあっているのだろうか。
彼女の言っていることが、さっぱりわからん。
「そうよ。10年前、この博多川で私と約束をしてくれたじゃない!」
やっと俺から身を離すマリア。
そして、目の前に流れる河川を指差す。
※
マリアの青い瞳は涙で溢れていたが、宝石のように輝いて美しい。
「青い…目」
気がつくと呟いていた。
俺は、マリアの美しい瞳に、どんどんと吸い込まれていく。
どこからか、幼い声が聞こえてきた……。
『私、怖いの。生きて戻って来られるかわからなくて……』
『心臓の手術だったか?』
『ええ。成功できる確率は半々と言ったところかしら』
『そうか。ならば、賭けようじゃないか。お前は手術。俺は小説家としてデビューすることを』
思い出した。
あの時のことだったのか……。
ガキの頃だったし、もう正直会うこともないと思ってなかったから、すっかり忘れていた。
彼女を見た俺は激しく動揺していた。
心臓がバクバクとうるさい。
過去に重大な約束をしていたこと、こんな可愛い女の子と仲が良かったこと。
だが、それよりも一番驚いているのは、あいつに似ていることだ。
目の前にいるこのマリアが……。
なんで、アンナ……いや、ミハイルに。
胸が痛む。まるで大きな穴が空いたようだ。
ポッカリと何かが抜けてしまった、そんな喪失感が残る。
これはショックを受けているのか?
あいつが“初めて”じゃなかったことを。
幼い頃に出会ったマリアが可愛くて、無意識のうちに重ねてしまっていた自分に。
何故、今なんだ。
ミハイルやアンナになんて言ったらいいのだろう。
罪悪感で、押しつぶされそうだ。
10年前。
俺が小学生の頃。
3年生ぐらいだったか。
俺はクラスで浮いていた。
曲がったことが大嫌いな俺は、間違ったことを正論のように語る奴を見ると、すぐケンカを売っていた。
「お前は間違っている!」と。
もちろん、ケンカと言っても、理詰めの口ゲンカばかり。
だから嫌われていた。
「新宮は弱いくせに、うるさい」て。
次第に仲の良かった友達も俺から離れて行き、いつも一人ぼっちだった。
だから、学校なんてつまらないところ。早いうちに見切りをつけてやると、不登校を自ら選んだ。
家には新しい妹とか言う、クソキモい生命体を親父が連れて来たっけな。
幼女のくせして、乳がデカくて、キモいったらありゃしない。
やたらと俺になついてくるから、ウザく感じた俺は、よく映画館に足を運んでいた。
色んな映画を見た。
上映中の作品は全て見尽くすほど。
洋画が好きだったのだが、観る映画がもう無くなってしまった頃。
俺はシネコンてやつは苦手だったが、唯一観賞してない作品を上映中のカナルシティ博多に向かった。
そこで、初めて出会ったのが、タケちゃんの映画だった。
今でも覚えている。
確か、作品名は『打ち上げ花火』
当時名誉ある海外の最優秀賞を取り、話題になっていた。
俺はタケちゃんと言えば、芸人というイメージが強く、別に好きでも嫌いでもなかった。
お茶の間の人気者。
どうせ、映画監督なんて趣味レベルでやっているのだろうと、少しバカにしながらチケットを購入し、劇場に向かう。
だが、上映開始のベルが鳴るや否や、その先入観は全て消え失せる。
圧倒的な映像美。独特なセリフ回し。目を覆いたくなるような暴力描写。
「すごい!」
素直にそう思えた。
たった1時間30分だったが、俺には30年分ぐらいの半生を見せられているように感じた。
映画が終わっても、まだ胸がドキドキしていた。
「カーッ! 超すげぇ! 決めたぞ、俺はタケちゃんファンになるぞ!」
なんて拳を作って、席から立ち上がる。
よし、パンフレットを買って帰ろうとしたその時だった。
隣りの席に座っている一人の少女が邪魔で、スクリーンから出られない。
「おい、女。映画終わったぞ」
「……」
ひじ掛けに肘をつき、手のひらに小さな顎をのせている。
長い金色の髪で顔が隠れていて、どんな奴かはわからないが、どブスのヤンキーだろう。
「聞こえてないのか? 早くどいてくれ!」
人がさっさとパンフレットを買いたいというのに。
「……すぅすぅ」
「こ、こいつ」
寝てやがる。
俺は無性に腹が立った。
早くパンフレットを買いたいという気持ちもあるが、なによりも先ほどまで上映していた崇高な作品『打ち上げ花火』をちゃんと観賞せず、眠っていることにだ。
普段なら、無視するところだが、今日から俺はタケちゃんの推し!
アンチ許すまじ。
「女。起きろ!」
小さな彼女の肩を激しく揺さぶる。
「な、なによ……うるさいわね」
「女! お前、この映画を見ていなかっただろ! 眠っていたな!」
ビシッと指差してやる。
「ああ……やっと終わったのね。この退屈な映画」
「なんだと!? 貴様、もう一辺言ってみろ!」
彼女は深いため息をつくと、長い金色の髪をかき上げて、視線を俺に合わせる。
その瞳を見て、一瞬で俺は言葉を失った。
宝石のようにキラキラと輝く青い瞳。
こいつ。外人か?
「退屈な映画だから、眠ってしまったことが何が悪いの?」
それがマリアと初めて出会った日の出来事だ。
なんて、ふてぶてしい女だと思った。
ギロッと俺を睨むその鋭い目つき。大きな2つのブルーアイズ。
小さな体つきのくせして、圧倒的な存在感がある。
思わず、後退りしてしまうほどだ。
「くっ……この映画に対して失礼だと思わないのかっ!?」
俺も負けじと反論する。
「こっちはお金を払ったのだから、観ようが寝ようが客の勝手じゃない。ニュースで海外の賞を総なめにしたから観に来たけど、本当に退屈な映画だったわ……」
とため息をつく。
その言葉に俺はカチンときた。
確かに、彼女の言うように最初は俺もタケちゃんの映画を少し小バカにしていたが。
今日初めて観たその瞬間から、一目惚れした。
それぐらいインパクトの強い作品だったし、人生を変えてもらった。
なんだったら、毎日観に来たいぐらいだ。
だから、心底腹が立つ。
この女に。
「おい、女! お前、タケちゃんの悪口はそこまでにしろ!」
「はぁ? 別にこの製作者に対して、何か悪いことを言ったつもりはないわ。ただ退屈だって、率直な感想を言っただけなのだけど?」
「それが悪口だって言うんだよ、チビ女!」
よく見れば、かなり幼いぞ。こいつ。
「さっきから女って、失礼ね。私にはちゃんとした名前があるのよ?」
「フンッ! じゃあ名乗れよ。俺は天才の新宮 琢人だ」
そう自己紹介をすると、彼女は鼻で笑う。
「あなた。自分で天才ってバカじゃない? まあ、いいわ。私はマリア。冷泉 マリアよ」
腕組みしてドッシリとシートに座り込む。
なんて生意気な女だ。
「冷泉か。認識した」
※
その後、映画館のスタッフがスクリーンに掃除をしに来た。
入れ替え制だから、「早く出てくれ」と怒られてしまう。
渋々、俺と冷泉は映画館を後にした。
二人並んでエスカレーターに乗り込む。
降りながら、俺たちはずっと口論していた。
「退屈な映画というのを撤回しろ!」
「嫌よ。決めるのは私じゃない。価値観を押し付けないでくれる?」
「押し付けじゃない! 人の好きなものをバカにされたから、怒っているんだ!」
「なら謝るわよ。でもね……私って曲がったことが大嫌いなの。物事を白黒ハッキリさせないと気が済まないのよ」
彼女の口からそれを聞いた俺は、言葉を失った。
「……」
「な、なによ? 悪い?」
下から、上目遣いで俺の顔を覗き込む。
頬を少し赤らめて。
こいつ……同じだ。
俺と同じ性格だと思った。
だからか……こんなに本音で言い争いをしているのは。
案外、悪い奴じゃないのかもしれない。
エスカレーターを降りたと途端、冷泉の小さな腹からグゥーと大きな音が鳴る。
それを聞いた俺は、鼻で笑う。
「なんだ? 大食い女なのか?」
「し、失礼ね! 私はあんまり福岡に詳しくないのよ! カナルシティも初めてだから、迷ってご飯食べられなかったのよ」
なんて恥ずかしがる姿はちょっと可愛らしいなと初めて思えた。
「そうか。なら、俺の行きつけのハンバーガー屋がある。そこで映画の話でもするか?」
「美味しいの? そ、そのハンバーガーショップって……」
急にもじもじする冷泉。
「ああ。カナルシティなら、あそこが一番だ」
「じゃ、じゃあ。連れていって……」
カナルシティの一階。
噴水ショーが行われるサンプラザステージの前にあるハンバーガーショップ。
キャンディーズバーガーに入る。
いつも俺が頼む、BBQバーガーをセットで2つ注文した。
初めて訪れた冷泉が「私は分からないから」と困っていたので、同じものを頼んだ。
二人がけのテーブルで、向かい合わせに座り込む。
ハンバーガーを頬張りながら、また先ほどの口論を再開。
「だから言っているだろ。あのセリフの少なさが良いところであって……むしゃむしゃ」
「それが観客に優しくない映画だと言っているのよ……もしゃもしゃ、美味しいわね。これ」
なんだかんだ言って、美味そうに食べる冷泉。
「じゃあ、お前が今まで観てきた映画で一番良い作品を教えてみろ……じゅるじゅる」
「あのね……私、あまり邦画は好きじゃないの。どちらかと言えば、洋画が好きなの……ちゅるちゅる」
話せば、どうも俺と趣味が合う女だと思った。
「それは俺も同じだ。だが、タケちゃんの映画だけは違う。他の邦画にはない良さがある……ゲップ」
「汚いわね。私は元々、映像よりも活字が好きなのよ。今日だって学校を休んだから、たまたま観ていたに過ぎないわ……うっぷ」
2人同時に完食。ゲップも息がピッタリ。
聞けば、冷泉も現在不登校らしい。
ハーフであることで悪目立ちしているらしく。
また俺みたいに曲がったことが大嫌いな性格だから、すぐ級友に突っかかっては口論となり、クラスで浮いた存在らしい。
俺より二歳年下の6歳。
小学1年生にしては、随分大人びた女の子だと感じた。
「活字……だとか言ったか? つまり漫画が好きなのか?」
俺がそう尋ねると、冷泉は鼻で笑う。
「そんなわけないでしょ。小説よ。文字だけの本が好きなの」
「ほう。文字だけとか何が面白いんだ?」
「あのね。小説っていうのは既に作り上げられた世界、映像、イラストとは違った楽しみがあるの。文章から自分の頭の中で文字を映像に変換するのが楽しいんじゃない」
と小バカにされてしまった。
年下のくせして、本当にムカつく。
「それ、面白いのか? 映画の方がよっぽど楽しいだろ。俺は今日見たタケちゃんの映画を見て感動した。なんだったら、俺がああいう映画を将来撮ってみたいもんだ」
そう言うと、冷泉は大きなため息をつく。
「あなたね……撮るっていうけど、そのためには原作が必要でしょ?」
「そう言えば、そうだな」
「ものづくりには“最初”が必ずあるはずでしょ? 何でもゼロから作るのが基本よ。それが小説よ」
クソ。1年生の小便臭いガキに、ことごとく論破されてしまう。
「だ、だったら脚本を書けばいいであって……」
「それも小説と似たようなものでしょ? 文字じゃない」
なんて呆れた顔をする。
こいつ、バカだわ~ って感じで。
言い返せない。
確かに冷泉が言っていることは、ほぼ的を得ている。
もし将来、俺が映画監督を目指そうと夢見ても、一人じゃ作れない。
必ず原作が必要になる。
「お、俺もタケちゃんみたいな映画を作ってみたい……」
気がつけば、年下の女に弱音を吐く始末。
しかし、冷泉はそんな俺を見て笑うことはなく、真顔でこう言った。
「じゃあ作ればいいじゃない」
「え?」
「今あるものであなたが作ればいいのよ。タクトだったかしら? タクトみたいな子供じゃ、ビデオカメラとか使えないだろうから……そうね。私だったら文字で書いてみるかしら」
「俺が文字を?」
「ええ。ノートとペンぐらい持っているのでしょ? それならタダじゃない。今日観た映画は覚えているかしら?」
言われて俺は自信たっぷりに胸を叩いて見せる。
「それなら、ちゃんと脳内にしっかりと映像は残っているとも!」
「じゃあ今日の映画をノートに文字で描いてみたらどう?」
この一言が、俺が小説を書くきっかけとなった。
冷泉 マリアから提案された映画制作への第一歩。
それが小説というものらしい。
俺は生まれてこの方、文字だけの本なんて読んだことがない。
書きたくもないし、読みたくもない。
だが、彼女が言った『ものづくりの最初』であることは事実だ。
今日映画館で観たタケちゃんが創り上げたような世界を、俺も……いつかこの手で。
そうなれば、話は早い。
冷泉の言う通り、自宅にはペンとノートぐらいあるはずだ。
書くだけなら、タダでできる。
やってみるか……。
※
ハンバーガーを食べ終えた俺と冷泉はカナルシティを出て、博多駅と向かう。
はかた駅前通りを二人で歩きながら、また映画の話で口論になっていた。
「冷泉。そんなにタケちゃんの映画をディスるなら、お前が観てきた作品で一番おすすめを教えろ」
「別にディスったわけじゃないって言っているでしょ? ただ私には合わなかっただけ。ま、まあ……タクトがそんなに私の好きな映画を観たいなら、教えてあげてもいいのだけど」
なんて頬を赤らめる。
「いや。別に観たいわけじゃない。お前がタケちゃんの映画が退屈だとぬかしやがるから、お前の好きな映画がどんなにクソか知りたいだけだ」
「なんですって! ハァ……最低な男。まあいいわ。それなら、明日またカナルシティで会わない? どうせ、タクトも学校休むんでしょ?」
「まあな」
成り行きでまた明日も会うことになってしまった。
「私の好きなDVDを持ってくるから」
「なるほど。なら期待して待ってやろう。どんなクソ映画か、楽しみだ」
「あなたねぇ……本当に最低」
気がつけば、博多駅の中央広場に着いていた。
そこで、ふと思う。
この女の住所も連絡先も知らない。
広大な敷地のカナルシティで落ち合うのは、ちょっと難しい。
人も多いだろうから、もっと分かりやすい場所。目印になるところが良い気がする。
「うーむ……」
辺りを見渡してみた。
右手に交番が見える……その奥に小さな銅像が。
確か、黒田節の像だったか?
あれなら、目立つ場所だし、待ち合わせ場所に持ってこいだな。
「おい、冷泉」
「なによ?」
「明日DVDを持ってくるのは構わんが、待ち合わせ場所がカナルシティでは広すぎるし、人も多いから、クソチビなお前を探すのは至難の業だ。そして、迷子になるだろう」
「あなたね……しれっと人の事を悪く言わないでくれる? まあでも一理あるわ」
「だろ? そこでだ。あそこに立っている黒田節の像で待ち合わせしないか? あそこなら、クソチビのお前でも一発で見つけられる」
「わかったわ。ただし、クソは余計よ」
名前以外、特に素性も知らない生意気な女と、明日も遊ぶ約束をしてしまった。
まあ俺も物事を白黒ハッキリさせないと気がすまない性格だ。
この女が勧める映画をクソかウンコか、ちゃんとこの目で判断してやらんと。
明日、俺にディスられて、このクソチビ女が涙目になっている所を想像すると、笑いが止まらんな。
「タクト。なにをニヤニヤしているのよ? 気持ち悪い」
「あ、いや……明日が楽しみでな」
こいつをどん底に突き落とすのが。
「楽しみ……?」
目を丸くして驚く冷泉。
と思ったら、頬を赤くして、もじもじする。
「そりゃあな。博識な冷泉が勧める映画だからな」
俺は嫌味をたっぷり込めて、そう彼女に言ってやった。
「わかったわ……でも、その冷泉っていう呼び方やめてくれる? 不快なのだけど」
「へ?」
低身長だから、どうしても上目遣いになる。
そして、青い瞳を潤ませて、こう呟く。
「私がタクトって呼ぶんだから、あなたもマリアって呼んでよ。不平等じゃない」
なんて言いながら、身体をくねくねさせる。
「不平等? まあ、そうだな。なら俺もお前を今後マリアと呼ばせてもらう。光栄に思え」
「ハァ……タクトって友達いないでしょ?」
いたら、一人で映画なんて観に来るかっ!
「と、友達ぐらい……い、いるとも…たぶん」
痛いところを突かれた。
「奇遇ね。私も友達いないのよ」
ここにぼっちが集ってしまった。
なんて辛い告白なんだ。
マリアは何か重大な決断をしたようで、小さな胸に手を当てて、深く息を吸い込む。
そして、俺の目をじっと見つめる。
「タクト。私と友達にならない?」
そう言うと、小さな手のひらを差し出す。
驚いた。
クソ生意気な年下のくせして、この天才の俺と友達になりたいだと。
だが、不思議と嫌な気にはならない。
「フンッ……仕方ないな。なってやるよ」
俺はマリアと握手を交わした。
その時だった。
生意気で冷徹な表情ばかり見せる彼女の顔に変化が起こったのは。
「ありがとう」
今日初めてみる顔つき。
俺の手を掴み、優しく微笑む。
強い風が俺とマリアの間をと突き抜けていく。
だが、彼女は俺と掴んだ手をぎゅっと握ったまま、離さない。
反対側の手で、長い金色の髪をかき上げて、嬉しそうに笑っていた。
「ふふっ」
ここで俺はあることに気がつく。
マリアは笑うと天使のように可愛いことが。
あの日以来、俺たちは毎日博多で待ち合わせして、互いのおすすめDVDを貸し借りする仲になっていた。
お互いの住所も連絡先も知らないから、待ち合わせの場である黒田節の像と時刻でしか、会う事はできないが。
それでも、毎日俺とマリアは顔を合わせる。
だって、学校に行かない不登校児だから。
家にいても暇で暇で仕方ない。
カナルシティのハンバーガー屋。
キャンディーズショップをマリアが気に入ったらしく、いつもそこで映画の話をしていた。
「ねぇ、タクト。この前貸した映画はどうだったの?」
「ああ……すまん。始まって30分ぐらいで寝てしまってな」
「なんですって! あの名作を、あなたはたった30分で寝落ちしてしまったの!」
「いや、悪い。余りにも退屈な映画でな……」
あれ? なにこのデジャブ。
「退屈だと言ったわね! 私の大好きな映画を!」
怒りからか、小さな肩を震わせている。
「すまん。ラブストーリーは好みじゃないんだ」
「あれはアカデミー賞にも選ばれた名作なのよ! それにただのラブストーリーじゃない。ヒューマンドラマよ!」
「わ、悪いって……」
こいつも、かなりこだわりが強いらしい。
好きな物を否定されるとすぐに怒る。
※
DVDの貸し借りだけじゃなく、色んな映画館を二人で観て回った。
新しく出来た博多駅のシネコンや中洲にある古い映画館。
それから通好みのミニシアター系。
好き嫌いの激しい俺たちは、見終わった後、いつも「クソだ」とか「退屈だったわ」とか、まあ可愛くない子供だったと思う。
そんなことを一ヶ月以上続けた頃。
ある日、マリアに言われた。
「ねぇ。タクト」
「なんだ? またハンバーガーのおかわりでもしたいのか? 相変わらずの大食いだな」
俺がそう決めつけると、顔を真っ赤にして怒り出す。
「違うわよ! 人をなんだと思っているのよ!」
「腹が減ったわけじゃないのか?」
大きくため息をつくマリア。
「本当にデリカシーのない男……私が聞きたいのは、この前の小説のこと」
「ああ……そのことか」
俺はマリアから提案されたその日に、帰宅してすぐ机から学習ノートを開いて、映画を思い出しながら映像を文字にしてみた。
この作業は意外と難しく、頭に浮かぶ、映像を文章に変換するというのは、学校で習う勉強より面倒くさい。
だが、俺はタケちゃんのような映画を将来撮ってみたい……その一心で、書き続けた。
気がつけば、ノートは5冊も使ってしまう。
この空白を文字で埋めただけの物が小説という代物かは、わからんが。
小説の話に変わると、マリアは目を輝かせて、身を乗り出す。
「それでそれで? 書けたの?」
「ああ、一応な」
「本当に? じゃ、じゃあ……良かったら私に読ませてくれない?」
「別に構わんが。ただ、ストーリーはお前が退屈だと言ったタケちゃんの『打ち上げ花火』を文章にしただけだぞ?」
「それが良いんじゃない!」
「え?」
「私が退屈だと思った映画を、タクトの手で書き上げた世界。どんな風に変換されたのか、知りたいのよ!」
偉く食いつくな。意外だった。
「そうか。マリアの期待に沿える物かは知らないが、今度持ってくるよ」
「嬉しい! タクト、ありがとう」
そう言って嬉しそうに微笑むマリア。
彼女が喜ぶ意味が、俺にはさっぱりわからなかった。
※
後日、俺が書き上げた小説を彼女に読ませてみることに。
「退屈な作品ね」
なんて酷評されると思ったが、マリアの反応は違った。
「タクト……この小説。本当にあなたが書いたの?」
真剣な眼差しで学習ノートを見つめている。
「そりゃそうだろ? ちゃんとノートに『3-1、新宮 琢人』って書いてあるのが読めないのか?」
「ハァ、そう言う意味じゃないわよ」
「どういうことだ?」
「正直驚いているわ。あなたにこんな才能があったなんてね。嫉妬を覚えるわ」
そっとノートを閉じる。
「ん? どうして?」
「文章が綺麗なのよ。いつも悪口ばっかのあなたとは大違い」
あれ? それって俺の人格をディスってない?
驚いたことにマリアは俺が書いてきた小説なるものを絶賛していた。
そして、こうも言う。
「もっと読みたい」と。
だが、俺はそれを断った。
「そんなに描くネタがない」
彼女にそう答えると、マリアは笑ってこう言う。
「バカね。今までなにをしてきたのよ? 私とたくさん映画を観てきたでしょ。それを文字にしてみてよ。退屈だった作品をタクトが面白い世界に変換してよ」
マリアの目はいつになく、キラキラと宝石のように輝いて見えた。
それからか。
映画を観ては文字にしてみる。
そんな単純な作業をこなしては、マリアに読ませる。
活字に貪欲だった彼女は、俺に何度も何度も言う。
「もっと読ませて」と。
正直、俺からしたら何が面白いのか理解できない。
でも……気がついたんだ。
マリアが読み終わったあと、決まって嬉しそうに笑うその顔が見たくて、俺は書き続けていることに。
気がつけば、俺達が博多に集まる理由は変わっていた。
最初はお互いの好きな映画を貸し借りして、感想を相手に伝える……というためだけに、集まっていたのだが。
観た映画を元に俺が小説を書き、それをマリアに読ませる方が優先的になっていた。
だから、小説のネタがなくなると、二人で新作の映画を観に行き「タクトだったらこの映画をどう表現する?」と聞かれる。
正直、マリアは俺を上手いこと煽っていたのだと思う。
「フンッ。俺ならこうするな」
と帰宅して、すぐ文字に変えていく。
勉強はろくにしないくせして、新しい学習ノートだけがどんどん増えていく。
ただ、マリアの喜ぶ姿を見たいから。
俺は書き続けた。
しかし、終わりは突然やってきた。
※
初めてマリアとカナルシティで出会ってから、半年ぐらい経ったころ。
いつものようにキャンディーズショップで、彼女に小説を渡す。
だが、その日のマリアは顔を曇らせていた。
「どうした? なんか昨日悪いもんでも食ったか?」
俺がそう問いかけると、彼女は大きくため息をつく。
「あのね……だから私を大食いだって決めつけないでくれる」
「じゃあ、どうしたっていうんだ? ちゃんと小説を書いてきたぞ。読まないのか?」
「タクトが書いてきてくれたのは嬉しいのだけど……ちょっと悩み事があって」
「悩み? ハンバーガー食べ過ぎて、体重が増えたのか?」
「あなたね……本当にデリカシーのないバカね」
彼女に詳しい話を聞かせてくれと頼んだが、一向に首を縦に振ってくれない。
沈黙だけが続く。
どうやらかなり重たい内容のようだ。
俺は気晴らしにカナルシティ博多の近くにある河川へ行ってみないかと誘ってみた。
そこでようやく彼女は黙って頷く。
カナルシティの裏口から出て、小さな交差点を、二人で渡る。
空はオレンジ色に染まっていた。
川の流れはとても緩やかで、時折、魚がぴちょんと音を立てて跳ねる。
近くにベンチがあったのを見つけた。
そこへ二人して座る。
マリアはまだ元気がない。
俺が書いた小説を大事そうに両手で抱えて。
なにやら酷く脅えているようにも見える。
「……」
未だに何があったのか、教えてくれない。
だから、俺は彼女が自分から話してくれるのを待つことにした。
※
「嫌だって……」
「いいだろ?」
「アンッ。もうホテルが目の前だって言うのに……」
クソがっ!
重たい話なのに、いつまでたっても始まらないじゃないか!
ラブホが近いんだから、早く行けよ。
子供の目の前で、乳繰り合ってんじゃねー!
案の定、普段冷静沈着なマリアも、その大人の世界に飲み込まれていた。
「ここって……そういうことなのね」
目を泳がせて、ガタガタ震え出した。
あれ? 勘違いしてない。この子。
「おい、マリア。俺はこの川がそういうところだとは知らなかったぞ?」
一応忠告しておく。
「そ、そうよね……バカなタクトが知るわけないわ…」
動揺しているところで、彼女にもう一度話を振ってみる。
「なあ。そろそろ話してくれないか。お前の悩みってやつ」
「う、うん……」
それから彼女は淡々と俺に話し始めた。
「私。実は心臓に重たい病気を抱えているの。治すためには日本じゃなくて、アメリカの有名な教授がいる大学病院に行かないといけなくて。そこで手術をするの」
「……」
俺は言葉を失っていた。
「まだ国内では成功したことなくてね。アメリカでも手術はなかなかやらないの。それだけ珍しい病気らしいわ。だから、タクトの小説はもう読めなくなるの……」
「そ、そんな……」
突然の別れに俺は酷くショックを受けていた。
だが、その悲しみはマリアも同様……いや俺以上だろう。
青い瞳に涙をいっぱい浮かべて、俺をじっと見つめる。
「私、怖いの! 生きて戻って来られるかわからなくて!」
心底、脅えているようだ。
小さな身体を震わせて、泣き叫ぶ彼女は見ていて辛い。
抱きしめてあげたい……だが、俺にそんな資格はない。
なにも出来ないのか。
俺は無力だ。
神ってやつがいるなら、いくらでも祈ってやるが、そんなもんに任せてられない。
考えろ。少しでもマリアが安心できることを……。
俺は彼女の肩を両手で掴み、こう言った。
「心臓の手術だったか?」
「う、うん……成功できる確率は半々だったと思う……」
「じゃ、じゃあ、こうしよう! お前が……マリアが必ず生きて日本に戻ってこれるように、俺と約束をしよう!」
「やくそく?」
「ああ。成功できる確率が半々なんだろ? なら、俺の人生を半分お前にやる!」
「どういうこと?」
「日本に戻って来られたら、この天才の俺と結婚してやるって言ってんだ!」
そう自身の胸を強く叩いて見せる。
精一杯の強がりだった。
「結婚?」
目を丸くするマリア。
驚いて固まってしまった。
だが、しばらくしてから、吹き出してしまう。
「あはは! 馬鹿馬鹿しい子供じみた約束ね!」
「な、なにがおかしい!」
「ふふ……でもタクトらしいわね。曲がったことが大嫌い。物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない。あなたらしい傲慢で極端な約束だわ」
この時にはもう彼女の顔つきが明るくなっていた。
「そうだろう。マリアが命を賭けるんだ。だから俺は人生を賭ける。これでこそ平等と言うものだ」
「じゃあその約束。乗っかっていいかしら?」
そう言って、マリアは小さな小指を差し出す。
「もちろんだ。この約束、忘れはしない。しっかりと認識した」
俺は彼女を安心させてあげたい一心で、指きりを交わした。
無力で幼い子供だったから、これぐらいしかできないと思ったんだ。