気がつくと俺は浮かんでいた。水の上で。
 目の前には、真っ暗な夜空。そして、月と小さな星々。
「お、目が覚めたか?」
 首をゆっくり左に動かすと、宗像先生が笑っていた。
 もう裸ではなかった。競泳水着を着てくれている。
 俺の左手を優しく掴み、大の字で水中にぷかぷかと浮かんでいる。
「あ……ちょっと、エグいものを見せられたせいで……」
「ちっ! なんだと千手観音様ぐらい尊いものを見せてやったのに」
 なら、とっとと出家してこい!

 
 先生が言うには、夏の暑い日、このプールでいつもこうやって、水面で浮かびながら、夜空を見上げるのが、日々の疲れを癒す場所らしい。
 確かに幻想的な夜景ではある。
 手を繋いだまま、俺達は黙って星を眺める。
 先生は視線はこちらを向けずに、話し出した。

「ところで、新宮」
「え?」
「あのさ……今日のブリブリ女、アンナだっけ?」
「はい。それがどうしたんですか?」
「古賀はなんで女みたいな格好してたんだ? 今日は若者の間で仮装パーティーのイベントでもあったのか?」
 ファッ!? ば、バレた!
 一番面倒くさいやつに。

 俺は水中の床に足を下ろして、先生に向かって叫ぶ。
「なんでわかったんですか!?」
 動揺する俺を見て、先生は声色変えず、真顔で答える。
「は? あんなの見れば一発で分かるわ。教師を何年やっていると思ってんだよ? 女としておかしいだろ。男に媚びまくったブリブリ女がこの世に存在すると思うのか。そんな幻想は捨てろ。童貞たちは女に夢を見すぎなんだよ。古賀がやっていることは、その願望をそのまま叶えてあげた可哀そうな子って感じだな。女に嫌われること、間違いなし!」
 ひでっ!
 なんでうちのメインヒロイン、毎回女性に会う度にここまで酷評されるんですか。
 ヤンキーの男の子が頑張って化粧して、可愛く女装してくれるのに……。

 バレてしまったら、仕方ない。
 俺はなぜこんなことになってしまったのか……今まで起きたこと、それからミハイルが女装している理由を先生に告白した。

「なっ! それ、マジか! だぁはははっははは!」
 腹を抱えて笑っている。
 人が真剣に悩んでることを。

「先生、俺。結構真面目に相談したんですけど」
「悪い悪い……いい年こいた男たちがそんな下らないことで、女装ごっこしてるとか。ヤベッ、超面白れぇ! 腹が痛い! やっぱお前ら今年一番のルーキー達だわ」

   ※

 先生が笑いを堪えながら、一旦プールを出ようと提案した。
 脚だけ水につけ、二人して肩を並べてプールサイドに座る。

「で、新宮。お前は告白を断った古賀に対し、未だに女装しているとはいえ、何故おままごとみたいな恋愛ごっこを続けているんだ?」
 いつもふざけた宗像先生の目が、ギロっと鋭い目つきに変わる。
「そ、それは……俺の、性格の問題です。物事を白黒ハッキリつけないとダメな性格だから……。だから、男のミハイルを断ったのに、あいつに『女の子として生まれ変わったら付き合う』なんて言っちゃったから……あいつ、真に受けて。そしたら、なんか普通にデートを楽しむ自分もいて。俺、なにが好きで楽しいのか、境界線がわからなくなってきて……。相手は男だってわかっているのに……」
「ちゃんと自分と向き合っているんだな。良い子だ、新宮」
 そう言うと俺の肩を引き寄せ、抱きしめる。
 ふくよかな胸に優しく包まれる。先生の鼓動が聞こえてくる。
「お、俺。どうしたらいいんですか? なんで男が男に好意を持つんですか? おかしいでしょ?」
 すると先生は俺の頭を優しく撫でる。
「考えすぎだ。人間なんだから、いつ誰を好きになってもおかしくない。ただ、このままダラダラと女装ごっこをしていると、お前たちの関係が終わってしまう可能性があるな。だったら、お前もいつか、しっかりと古賀の誠意に答えるべきだ。あいつの好意を受け止めるか、再度拒絶するか。決めるのは誰でもない。お前だ」
 重たすぎる言葉、選択肢だった。
 突きつけられる現実。
 考えたくもなかったミハイルとアンナの消失。
 嫌だ。想像するだけで、胸が痛む。
 やっと出来た唯一のダチなのに……。


「なあ、新宮。一つ昔話をしてやろう。ひとりの可憐な美少女がおりましたとさ」
 なんか嫌な予感。とりあえず、黙って話を聞く。膝枕状態で。
「その子はとてもグレていました。ケンカに明け暮れる毎日。大根を担いでかじって、暴走族をやっていました」
 どこが可憐だ! ただのヤンキーだろ!
「ある日、とあるおっさんが少女に声をかけました。『うちの学校に来ないか?』と。そんなことを急に言われた美少女ちゃんは『ぶち殺すぞ、このクソオヤジ!』なんて可愛らしく断りました」
 全然可愛くない、憎たらしい。
「ですが、そのおっさんは諦めません。毎日毎日、来る日も来る日も美少女ちゃんを説得し、どうにか学校へと入学させました。そして、美少女ちゃんは誰もが振り返るJKとなったのです」
 あの、さっきからちょいちょい要らない情報あるんですけど?

「そして、ヴィクトリアとかいう外タレと日葵という貧乳と、三人でお茶目に暴走通学していました。心を閉ざしていた美少女ちゃんですが、おっさん先生に勉学を習ううちに、仲良くなっていき……次第にある一つの感情が湧き上がってきたのです」
 それまで黙っていたが、つい俺は口に出してしまった。
「ま、まさか!?」
 すると先生は上から俺の頭を撫でながら笑う。
「スキになったのです」

   ※

「つまり、初恋だったと?」
「ああ、そうだ。相手は妻帯者、可愛らしいお子さんも二人もいてな。家にまで招待してくれて……本当にいい先生。大人だったよ。でも、その美少女ちゃんはスキになったよな? だからといって、大好きな人の幸せを奪ったり、破壊したいと思うか?」
「そ、それは……できないかもしれません」
「良識のある女だったらな……でも、私は初恋とは思っていない。未だにスキのままだ。絶賛片思い中の28歳でーす!」
 なんて笑顔でピースしやがる。
 しんどっ!

「それって、何年前の話ですか?」
「えっと、12年ぐらい?」
「先生……かわいそうです……」
 俺は涙が止まらなかった。
「ハァッ!? 別に可哀そうじゃないわ! たまにこの夜空の星を見ていると、ニューヨークにいるあのおっさんも同じ星を見上げていると思うと、胸がドキドキしちゃうしな!」
 めっちゃ乙女やん! 純情すぎる。
「ニューヨーク?」
「ああ、私もおっさん目指して教師になって、隣りにいたいからって、この高校に戻ってきたのに、あいつ海外に行きたいとか言いやがって……。大学でも何人かの男と付き合ってみたけど。ダメだったな。みんなガキっぽくてさ。だから、あのおっさんが日本に帰ってくるまで、この蘭ちゃんがあいつの代わりをしてやってんのさ!」
 ニカッと歯を見せて笑う、片思いをこじらせた28歳。

「え、先生……せっかく語ってくれたのは、ありがたいんですけど。正直、重いです」
「……」