チーン! とエレベーターのチャイムが目的地に着いたことをお知らせ。
俺は心臓がバクバク。
だって、これからアンナちゃんの自室へとお邪魔するから。
そんなことを知ってか知らずか。
当の本人は鼻歌交じりに俺の手を掴み、廊下を歩き出す。
「タッくん。アンナの部屋は一番奥だよ☆」
なんて優しく微笑むから、俺は期待しちゃう。
いや、しちゃダメだろ!
しっかりするんだ、俺の理性くん!
相手は男だ、ミハイルだ、ヤンキー野郎……と思いながらも、彼女の横顔を見つめると。
「どうしたの? タッくん。あ、そうだ! 部屋に入ったら、気持ちいいことしてあげよっか?」
「えぇ!? キモチイイことぉ!?」
思わず、声が裏返る。
「うん。とっても気持ちいいこと☆ アンナ、最近色々勉強しててね。タッくんのために☆」
とウインクされてしまった。
その勉強ってまさか……。
生唾ゴックン!
長い廊下を二人で歩いていると、夜も遅いせいか、周りの部屋から宿泊客の声がドアの奥から漏れてきた。
「あぁ! 温泉でもシタくせにぃ~ 元気ぃ~」
「ハァハァ……この日のため一ヶ月は禁欲していたんだ。寝かせないぜ!」
ん? あれ、さっきスパで見かけたカップルか?
生々しい!
と腸が煮えくり返っていると……。
「Yes~! come on~! Ran! You are the best whore!」(いい~! 来てぇ、蘭! 君は最高の娼婦だ!)
英語?
「ハハハッ! この白ブタが! もっと欲しいか!? なら私の名前を呼びな!」
「Ran! Pay for money! Give it to me more!」(蘭! 金なら払うよ! もっと欲しい!)
「なんだとコノヤロ~! だから日本語で話せってんだろが! バカヤロ~!」
気になった客室の前で、立ち止まる。
偶然にも、ドアは少しだけ隙間が開いていた。
俺は好奇心から、覗いてしまう。
部屋の中には、ブラジャーとパンティ姿の娼婦……じゃなかった宗像先生。
なぜかハイヒールでベッドに立っている。
手には男性もののベルト。
ベッドには、白人の外人男性が仰向けに寝かせられている。パンツ一丁で。
なぜか腕と足は荒紐で動けないように縛りあげられていた。
宗像先生がベルトをムチのようにして、彼の腹に振り降ろす。
パーン! と音を立てる。聞いているだけでも、痛そう。
「ハハハッ! これがいいのか? 変態野郎が!」
という先生もなんだか嬉しそうだ。
「I'm a pervert!」(僕は変態です!)
相手も相手で、痛そうにしているけど、めっちゃ笑っている。
ベッドの近くにあったテーブルには、福沢諭吉が三人も並べられていた。
多分、チップなんだろう。
宗像先生って、もうガチのビッチに転職してしまったのか……。
良かった良かった、教師よりこっちの方が向いていると思う。
ドアを覗きながら黙って頷く。
すると、アンナが背後から声をかけてきた。
「なにやってんの、タッくん? 早くアンナの部屋に行こうよ?」
「ああ……そうだったな」
ヤベッ、俺もこのあと、なんかすごく気持ちいいことされるんだったね。
とりあえず、シャワーは浴びておかないと。
あ、パンツ。宗像先生のレースパンティのままだったよ……。
ガチャンと音を立てて、扉がゆっくり開く。
俺は心臓が破裂しそうなぐらい、ドキドキしている。
アンナは特にいつもと変わらない様子で、
「さ、タッくん入って」
と部屋へ誘う。
「あぁ……本当にいいのか?」
「なにが? アンナが良いって言うんだから、いいんだよ☆ 今から気持ち良くしてあげるからベッドに横になってみて☆」
「りょ、了解した……」
ぎこちなく、部屋の中に入る。
テーブルの上には、アンナが利用していると思われるコスメグッズやアクセサリーなどが並べられていた。
うわぁい! 女の子の部屋だぁ~ 生まれて初めてぇ~
と思ったが、男だった……。
浴衣姿のまま、ダブルベッドにゆっくりと腰を下ろす。
ふとアンナを見れば、「フンフン~」と鼻歌を口ずさみ、金色の長い髪をシュシュで纏めていた。
うなじがとても色っぽく感じる。
そうか、ついに時が来たのか。
俺、童貞卒業できるんだ。
覚悟を決めて、腰の帯をするりと外し、浴衣を床に投げ捨てる。
パンツはもうパンパンだ。
よし、ドンと来い! と、ベッドに大の字になって寝転ぶ。
するとそれを見たアンナが悲鳴をあげる。
「タッくん!? なんで裸になっているの?」
「え?」
「浴衣のままでいいって! なに考えているの!」
「だって気持ちいいことするんじゃ……ないのか?」
「マッサージは別に裸じゃなくても、できるでしょ! タッくんったらなにを勘違いしてたの?」
と可愛く頬を膨らませる。
ただのマッサージなんかい!
クソが!
俺は憤りを隠せずにいた。
そ、そりゃあ、勘違いした俺が悪いけどさ。
気持ちいいことをするって、ベッドに寝て、とか言われたら、ピンクなこと考えちゃうじゃん。
ぴえん。
浴衣をもう一度着なおすと。
アンナに「うつ伏せになって寝て」と言われた。
俺は言われるがまま、枕に顔を埋める。
確かに最近タイピングで肩がコリコリだから、マッサージもいいもんだな。
しっかりとサービスを堪能させてもらおう。
「よいしょっと!」
アンナが俺の腰に乗っかる。
「重くない?」
「ああ、軽すぎるぐらいだ」
「ふふ、じゃあ始めるね☆」
そう言うと、彼女はまず首、肩から優しくほぐし始めた。
「気持ちいい?」
「ああ……最高だ」
今日は馬鹿力をセーブできてるんですね。
「じゃあ次は腰だね」
アンナがマッサージをするたびに、俺の浴衣が自然とはだけていく。
徐々に上とあがり、素肌が露になってしまう。
彼女はおかまいなしに、もみほぐす。
俺の腰を小さな指で押すのに夢中。
ここで気がつく。
あれ? 今のアンナってスカートだよな?
ていうことは、この背中に当たっているものは……。
サテン生地の気持ちいい肌ざわり。
ま、まさか! アンナのパンティ!?
当の本人は気がつくこともなく、身体の向きを後ろに変えて、俺の太ももをほぐしまくる。
「どう? アンナ、タッくんのために通信教育で勉強してたんだよ☆」
「すごく……いいです」(パンティが)
「ふふ、変なタッくん☆ 今度は足つぼもしてあげる☆」
となると、自然とアンナは俺の太ももにまたがる。
あぁ! 太ももにゴリゴリ股を押し付けられる!
なのに、あるはずのおてんてんが感じられない。
ただ、ツルツルのパンティが最っ高です!
もう……俺死にそう。
なにがって、かれこれ30分間も太ももの上に、アンナちゃんの股間を押し付けられているからね。
「足つぼで体調とか分かるんだよ~☆ タッくんはやっぱり肩が調子悪いみたいだね。ガチゴチに固まっているのかなぁ? 執筆偉いね☆」
「……」
固まっているのは、ベッドに深くブッ刺さった俺のナニかだよ。
「調子悪いなら、また肩をマッサージしようか?」
そう言って態勢を前に戻す。
くっ! もう少し、太ももでパンティを味わいたかったぜ!
「って……あれ? タッくん、なんかケガしてる?」
「ん、ケガだと?」
「なんかシミが……」
俺はずっと枕に顔を埋めているから、彼女の顔をは見えない。
どうやら、俺の浴衣に指で触れて、確かめているようだ。
「これ……血じゃない!?」
「え?」
思わず振り返ってみると……。
確かに腰のあたりに赤いシミが、浮かんでいた。
「大変! タッくん! ケガなら手当しないと! 早く浴衣脱いで!」
「あ、いや……」
まずい。宗像先生の紫パンティ履いたまま、なんだよな。
でも、ミハイルの時に「それでいいじゃん」的な発言頂いているし、構わないか。
「じゃあアンナが手当するから、タッくんはじっとしてて☆」
そう言って、ゆっくりと優しく脱がせてくれた。
しかし、ケガだと?
覚えがないな。
パンツ一丁になったところで、アンナは黙り込んでしまった。
「……」
沈黙が不安で俺は彼女に声をかける。
「どうした、アンナ?」
冷えきった声で囁く。
「本当に履いちゃったんだ……タクト。宗像センセーのパンツ……」
み、ミハイルが出現しちゃったよ!
めっちゃ怒ってるじゃん。話が違うよ。
その後、軽く舌打ちしたあと、パンティーの紐をギュッと掴むと、勢いよく腰からかかとまで、素早く脱がせられた。いや、奪われたのだ。
俺の大事なものまで引きちぎられそうなぐらいの素早さ、剛力で。
「いって!」
手で股間を抑えながら、振り返って見ると。
宗像先生のパンティーを右手でギュッと握りしめるアンナさんが目に入る。
優しく微笑んではいるが、目が笑ってない。
下から見ると悪魔のようだ。緑の瞳がギラッと光る。
「タッくん? 他の女の子のパンツは履いちゃダメでしょ?」
「は、はい……」
「じゃあこれはいらないよね? アンナがあとでトイレのゴミ箱に捨てておくから、タッくんは気にしないでね☆」
ひ、酷い! 借りものなのに。
「いや、しかし。それは俺の担任教師の私物で……それに俺ノーパンになっちゃうぞ?」
「だから?」
ニッコリ笑ってみせるアンナ様。
これは反論すると、痛い目にあう。
「あ、ノーパンで帰ります……」
「いい子だね、タッくん☆ でも安心してね、アンナがあとで代わりのものを用意してあげる☆」
「は?」
ミハイルのパンツでも出すのか?
あいつのサイズじゃ、俺はきつそうだが。
「まあこの汚物は捨てておくとして……。タッくんのケガしたところ、どこかな?」
やっといつもの優しいアンナちゃんに戻ってくれた。
「た、確かに……痛みは感じないのだが」
二人して、キョロキョロと腰のあたりを探してみる。
「あ……タッくん。お尻から血が出てるよ」
口に手を当てて絶句してしまうアンナ。
言われて、臀部に触れてみると。
ヌルッとした暖かい液体が……。
ふと身体をベッドから、少し浮かせてみる。
シーツが真っ赤になっていた。
股間あたりから。
「……」
一瞬にして、記憶が蘇る。
そうだ。俺はうなぎ並みのごんぶとをリキの兄貴に、事故とはいえ、さきっちょをブチ込まれたんだった。
「タッくんって、痔持ちだったの?」
「いや……これは違うんだ」
一筋の涙が頬を伝う。
「泣いているの? タッくん? 痛い?」
心配して身を寄せてくるアンナ。
だが、今はその優しさが、辛すぎる。
「すまん! ちょっと、ウォシュレットで洗ってくる!」
「あっ! 待ってよ、タッくんたら!」
彼女を部屋に置いて、俺は泣きながらトイレへと走り去る。
ドアの鍵を閉め、便座に腰を降ろして、ウォシュレットで洗い流す。
「俺……童貞捨てる前に……ううっ、処女を捧げちまったんだなぁ」
トイレから出てくるまで、1時間を要した。
お尻処女が逝ってしまったことに対し、俺は便座の上で手と手を合わせて黙とう……もちろん、号泣して。
しばらくすると、扉がノックされた。
「タッくん? 大丈夫? そんなに痛いの?」
アンナが心配そうに声をかけてくる。
「ふぅ……」
よし気持ちの切り替えOK!
張り切っていこう!
便座から立ち上がって、扉越しに返事をしてみる。
「ああ。痛くないぞ。ちょっと驚いただけだ。問題ない」
本当は大有りなんだけどね。
「そっか☆ じゃあ、代わりの着替えを渡したいから、ドアの鍵開けてくれる? 今のタッくんは……裸だろうから、アンナは目を瞑るね?」
そう言えば、尻へのダメージばかり考慮していて、自分の身なりを気にしていなかった。
まだ生まれたばかりの姿じゃないか。
「すまんな。今開けるよ」
鍵を外しゆっくり扉を開く。
アンナが廊下に立っていた。
いつもキラキラと輝くグリーンアイズは、ぎゅっと瞼で閉じてしまっている。
そんなに俺の裸が嫌なのか?
小さな両手には白いバスローブと……ん?
ピンクのなにか、小さく丸く折りたたんでいるハンカチ?
「タッくん、これ使って。浴衣はもうシミが取れなかったし」
「ああ……じゃあ、トイレの中で着て来るよ」
「うん。その、渡したのって……まだ一回ぐらいしか、使ってないやつだし。洗濯もしているキレイなやつだから、気にしないでね。アンナだって、タッくんに他の女の子のを履かれたくないから……。仕方ないから、今回だけ特別だよ? 福岡に帰ったら、ソレ捨てていいから」
「ん?」
頬を赤くしている。
その姿からして、恥ずかしがっているのか?
要領を得られないでいた俺は、首を傾げながら、とりあえず差し出された物を受け取り、再び扉を閉めた。
ホテルのトイレはユニットバス式だったから、隣りにシャワールームがある。
小さなカゴがあって、そこにアンナから受け取った物を置き、着替えを始めた。
まずはバスローブを羽織ってみる。
ノーパンで過ごせってことか……。
まあ仕方ないか、なんてローブの紐を結ぼうとした瞬間。
あるものに気がつく。
もう一つの物体だ。
ピンクの小さな丸くて柔らかい生地の……。
カゴから手に取って、広げてみる。
「こ、これは!?」
ピンクの可愛らしいリボン付き、正真正銘女の子のパンティーじゃあないか!
アンナが頬を赤くしていた理由は、このことだったのか……。
た、確かに、これは素晴らしい提案、いやカノジョ役には辛いことをさせてしまったな。
しかし、ノーパンで福岡に帰るよりはマシだろう。
「よし、やるか」
深呼吸した後、ゆっくりとうら若き女子のおパンツを足先からすぅーっと太ももまであげてみる。
き、きつい……宗像先生の汚パンツとは違って、細すぎるウエストに、小桃サイズのヒップ。
男の俺からしたら、ギチギチだ。
腰まで全部履き終えると、なんとも言えない高揚感が湧き上がってくる。
見慣れないリボンが股間の上にあり、下の生地はスイートピーがキレイに刺繍されている。
男もののパンツなら、前面は余裕があるはずだが、これは締め付けられるぐらいのデザイン。
痛い。だが、それも含んで、アンナに包まれているような優しさを感じてしまう。
ふと、自身の尻を撫で回してみた。
後ろの生地は前面と違い、サテンのようなツルツルとした生地で、なんとも肌触りが良く、とある誤解を生んでしまう。
それは……。
「あれ。俺って今、間接的にアンナの尻を撫で回しているのでは?」
そう思うと、胸がバクバクとうるさく高鳴る。
鼻息が荒くなり、理性がブッ飛ぶ。
自然と俺の股間がパンパンに膨れ上がろうとしたその瞬間、ギチィ~ッとアンナのパンティーがそれを強制的に抑え込む。
『いやぁ! タッくんたら、ダメェ~!』
なんておパンツちゃんが叫んでいるようだった。
「ふぅ」
さ、部屋に戻ろう。
福岡に帰るのが楽しみだ。これは小説の取材した結果だ。
資料としてちゃんと保管しておこう。
アンラッキー? なことに、俺はまたしても女物の下着を履くことになった。
とりあえず、アンナが心配していたので、トイレからベッドに戻る。
俺が「悪かったな、下着」と言うと、彼女は頬を赤らめて、視線を落とす。
「こ、今回だけだからね……帰ったら捨ててよね、絶対」
「了解した」
絶対永久保存しとく。
彼女は俺のことをすごく心配していたようで、とりあえず、尻はなにかぶつけたことにしておいた。
そう説明すると安心して、またマッサージを続けたいと言われた。
今度は仰向けに寝て、腕や脚を揉みほぐされる。
手のひらのつぼや、指を一本ずつ関節ごとに優しく押してくれる。
「あぁ~」
思わず、声がもれる。
気持ち良すぎる。
「ふふ☆ タッくん気持ちいい?」
「アンナ、本当にうまいなぁ……」
急に眠気が襲ってくる。
ウトウトし始めること数分で、俺は寝落ちしてしまった。
~数時間後~
スマホのアラームで目が覚める。
「しまった!」
咄嗟に身を起すと、部屋には誰もいなかった。
ベッドから立ち上がり、彼女の姿を探してみる。
近くのローテーブルに一枚のメモが置いてあった。
可愛らしいネッキーがプリントされたメモ紙。
『タッくんへ。気持ち良そうに寝ていたから、起さないでおくね。アンナは先に福岡に帰ってるよ☆ また取材しようね☆』
「そうか……悪い事したな」
あれだけ長時間マッサージまでしてくれたというのに。
別れも告げられなかったのか。
ん? ということは、本体のミハイルはどこにいるんだ?
スマホで現在の時刻を見れば、『7:32』
朝食の時間だ。
昨晩食べたレストランで、ビュッフェが用意されていると聞いた。
この部屋にアンナがいないのなら、彼も今頃朝食を取りにいっているのだろう。
「俺もそろそろ飯を食いに行くか」
と部屋を出る前に、尿意を感じた。
トイレに向かう。
「ほわぁ~」
あくびをしながら、ガチャンと扉を開く。
「あ」
目の前にいたのは、ポニーテール姿のミハイル。
便座に座っていた。
俺と目が合うと、
「あぁ……」
と嘆く。
真っ青な顔で。
俺も身動きが取れずにいた。
ドアノブに手を回したまま、硬直している。
当のミハイルと言えば。
左手でトイレットペーパーを手に取り、右手で丸めている最中だった。
いつも履いているショートパンツは、膝あたりまで降ろされている。
もちろん、下着もだ。ライムグリーンのボクサーブリーフ。
しかし、それよりも俺は、とあるものに釘付けになってしまう。
それは彼の股間。
一言で表現するならば、粉雪。
草が一つも生えてない未開拓地。
そこに真っ白な雪が積もり、キラキラと輝く。
小さすぎる……手乗りぞうさん。
15歳にしては、あまりにも矮小な短刀。
か、カワイイ。
気がつくとその言葉が、頭の中に浮かんだ。
俺はノンケだし、バイセクシャルでもない。
なのに、なんだ。この胸の高鳴りは……。
こんなに小さくてパイテンなおてんてん、見たことないよ!
可愛すぎる、ミハイルの!
なにか似ている。
はっ! わかった。
博多銘菓の『白うさぎ』だ!
紅白饅頭で、マシュマロと白あんで作られたうさぎの形の和菓子。
もちろん、白い方だ。
となればどこからか、聞こえてくる。
あのCMの歌が。
『白うさぎ~ 白うさぎ~ あなたのお目めはなぜ青い~?』
とここまでの体感時間、10分ぐらいなのだが。
実際は、お互いに固まっていること、数秒に過ぎない。
ミハイルは俺の顔を見て、咄嗟に太ももを内側に寄せ股間を隠す。
驚きの表情から、顔を真っ赤にさせて、近くにあったものを俺目掛けて投げまくる。
「なに、開けたままにしてんだよ! 早く閉めろよ、タクトのバカバカッ!」
石鹸や歯磨き、シャンプーのボトルなどが、次々と俺の顔面にブチ当たる。
が、俺は未知の小動物を発見してしまったので、身動きが取れない。
「白うさぎ……」
「何言ってんだよ、バカッ! 早く出てけ!」
「ああ、すまん……白うさぎ」
そう言って、トイレのドアを閉めた。
閉めても未だに、扉の向こうからはミハイルの怒号がこちらにまで響き渡っている。
しかし、彼の声が俺の耳に届いてくることはない。
「白うさぎ……白うさぎ」
気がつけば、ずっと連呼していた。
それからの意識は、ない。
後々、ミハイルから聞いたが、俺の状態がおかしくて、ろくに歩けなかったらしい。
朝食も彼に引っ張られて食べに行ったものの、ピクリとも動かないので、彼が献身的に介護したらしい。
「あーん」とスプーンを俺の口に寄せても。
「うさぎだぁ~ うさぎさん~」
と笑っていたらしい。
気がつくと、俺は福岡に帰っていた。
心配したミハイルが自宅まで送ってくれたらしく。
意識を取り戻したのは、次の日の朝だ。
自室の学習デスクに紙袋が一つ置いてあった。
博多銘菓『白うさぎ』
妹のかなでが、俺に向かって訊ねる。
「おにーさま? やっと正気に戻りましたの?」
「はっ!? 俺は一体今までなにを……」
「ミーシャちゃんが心配してましたわよ。別府温泉に行ったのに、わざわざ博多銘菓の『白うさぎ』を買う買うっていう事を聞かなくて、困っていたらしいですわ」
「え、マジ?」
「はいですわ。帰って来てもずぅーっと、あれを食べてましたわね。普段食べないのに。5箱も食べてましたわ……」
「……」
なんだか、急に胃が痛くなってきた。
こうして俺の初めて旅行。
そして、一ツ橋高校一年目の春学期は、無事に終業したのである。
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第二十七章 ひとりぼっちの夏休み ?
ラノベの発売日は、年二回ぐらい
一ツ橋高校が終業して、一週間が経とうとしていた。
今の俺と言えば、暇で暇で仕方ない。
もちろん、仕事はしている。
朝刊と夕刊の配達だけ。小説の方は、最近書いてない。
勉強もない。夏休みの宿題なんて、バカ高校だから論外だ。
入学する前は、あんなに勉強だとか、スクリーングとか、人に振り回されるのを嫌っていたのに。
いざ、自分の時間が出来ると、退屈すぎて死にそうだ。
唯一の楽しみと言えば、アンナやミハイルの写真をパソコンで整理しつつ、別府旅行でゲットしたパンティをクンカクンカすることぐらいだ。
この日も夜な夜な1人で、アンナの香りを楽しんでいると……。
しばらく、うんともすんとも言わなかったスマホが、急に鳴り響く。
「も、もしもし?」
『DOセンセイ! お久しぶりですって……なんか声が変じゃないですか?』
「は、はぁ?」
声が裏返る。
『ひょっとして……自家発電の最中でした?』
「ち、ちげーし! 今小説の大事な資料を確認していただけだし!」
間違ったことは何一つも言ってない。
だって取材対象から提供してもらった資料のピンクパンティなのだから!
『そうですか。まあ童貞のセンセイの私生活とかどうでもいいっすわ。で、仕事の話なんですけどね』
しれっと人格否定すな!
「ああ、この前送った原稿か?」
『はい。朗報ですよ! 編集長にも読んでもらって無事に許可がおり、出版決定となりました! あとは校正とか色々細かいチェック終われば、二か月後の9月ぐらいに書店に並びますよ!』
「えぇ……なんか出版まで早くね?」
俺の他の作品なんて、打ち切りとか何回もボツにされたのに。
『そうなんですよ~ 編集長から私も褒められてましてぇ~』
自分の功績のように嬉しそうに語るな。
俺がどれだけ苦労して取材したと思っているんだ。
「へぇー」
『なんかあんまり嬉しそうじゃないですね?』
「別に……」
なんで他の作品は褒めてくれないんだよぉ~!
『あとコミカライズも同時進行してますよ? 編集長がめっちゃ気に入ってて、ラブホのシーンとか胸キュンが止まらないって♪ もうあれです。“気にヤン”は博多社が総力をあげて宣伝しまくるそうですよ!』
ファッ!?
なんか急に恥ずかしくなってきた。ほぼ私小説だからね。
「そ、そうなの? コミカライズもしちゃうんだ……」
『ええ! 原作もコミックも売れたら、も~う止まりませんよ! アニメ化、ドラマ化も夢じゃありません! ついでにも映画化の話まで出ているんですから!』
「……」
全世界に、俺と女装男子のイチャイチャが晒されるのかよ。
生き恥じゃん。
『ということで、引き続きDOセンセイは取材と執筆を頑張ってください! あとはトマトさんが表紙と挿絵さえ描いたら、発売日を待つだけです!』
「そういえば、そうだったな」
トマトさんがギャルの花鶴 ここあをモデルに、ヒロインのイラストにするとか、言ってたな。
『じゃあセンセイ。取材費なら経費で落としまくってやりますので、せっかくの夏休みなんだし、取材対象の方で、童貞でも捨てて来てくださいね♪』
「おまっ!」
キレようとした瞬間、
「ブチッ!」と一方的に電話を切られてしまった。
「はぁ……」
なんでこんなに私小説の方が人気でるかねぇ。
ため息をつくのも束の間、再度電話が鳴り出す。
着信名はアンナ。
「もしもし?」
『あっ、タッくん☆ 久しぶりだね!』
いや一週間前にパンツくれたじゃん。
「ああ、別府以来だな」
『うん楽しかったね。ホテルの取材☆』
その言い方だと俺と関係持っちゃってるみたいじゃん。
「まあな」
『ところで、タッくん。夏休みだよね? アンナと取材しよ!』
気持ち良すぎるぐらいのグッドタイミングだ。
「おお、ちょうど編集から指示を出されたところだ。どこに行く?」
『ホント? じゃあ来週の大濠( おおほり ) 公園花火大会に取材しよ☆』
「花火大会かぁ……」
子供の時に行ったきりで、最近はニュースでしか、映像を見ない。
リア充どものイベントだと遠ざけていた。
『え、イヤなの?』
受話器の向こう側から、不安そうな声が聞こえてきたので、即座に否定する。
「全然だ! 問題ない! むしろ久しぶりの花火大会にかなり期待しているぞ!」
『良かったぁ~☆ じゃあ来週にね☆』
「ああ約束だ」
電話を切って、ふと気がつく。
左手には未だにアンナのパンティを握っていたことに。
ガチャンと自室の扉が開く音が聞こえた。
妹のかなでが部屋に入ってきたのだ。
「おにーさま……とうとう下着ドロボーをされたんですの?」
「い、いや、これは違うからな? 貰い物だ」
「見損ないましたわ! ミーシャちゃんに告げ口してやりますわ!」
「そ、それは……やめておいたほうがいいと思うぞ……」
だって、マジでくれた本人なのだから。
花火大会、当日。
俺は夕刊配達を終えると、シャワーで汗を流す。
いつも通りの格好。タケノブルーのキマネチTシャツと着慣れたジーパンに着替える。
朝方、アンナからL●NEで連絡があり、
『午後5時の博多行き列車、3両目で待ち合わせよ☆』
と約束した。
地元の真島駅に向かうと、異様な光景が。
カップルばっかり……。
その他にも、女子中学生や女子高生らしき若い女子達が、みな色とりどりの浴衣を着て駅に集まっていた。
「クソッ、リア充共は死ね!」
って毒を吐いてみたが。
あれ? 俺って今年はデートしてない?
と気がつく。
いやいや、相手は女装男子。
まだリア充ではない。
駅のホームも夕方なのに、たくさんの若者でごった返していた。
大半が浴衣女子。
あとはそれにくっつく彼氏達。
あまりの人混みに酔いそうになる。
こんなに花火大会って人気なんだなぁと、初めて痛感した。
しばらくして、博多行きの列車が見えてきた。
だが、なんだか様子がおかしい。
遅い。ホームに到着するからとはいえ、減速ってレベルじゃない。
のろのろと、まるで老人の歩行速度だ。
その原因は列車内の乗客だ。
あまりの人の多さに、本来の列車の速度を出せないでいるようだ。
車体がちょっと斜めに傾いている。
やっとのことで、ホームに到着する。
プシューと自動ドアが開けば、そこには地獄絵図が。
人と人が絡み合うように、一切の隙間が与えず、ぎゅうぎゅう詰め。
こんな満員電車見たことない。
そして、真島駅には誰も降りないから、質が悪い。
「うう……」
「きつい……」
「乗るなら早く乗ってぇ……」
なんてリア充共がほざく。
乗れるのか、これ?
とりあえず脚を進めるのだが、片脚が車内に入っただけで、それ以上は奥へと進めない。
困っていると、後ろにいた浴衣女子たちに寄って、無理やり押し込まれる。
「むおおお!」
首は天井を向き、右手はなぜか真っ直ぐ伸びて固まる。左手は後ろの誰かの尻に当たっている気がする。きっと男だろう。
このまま発車するのか?
と思った瞬間。
「タッくん! そこにいるの?」
どこからか、アンナの声が聞こえてきた。
「ああ! ここだ。今日は仕方ないから、博多駅について落ち合わせよう」
今も顔が変形してしまうぐらい圧迫されて、息苦しい。
いつものように、仲良く二人で電車には乗れそうにない。
だが、アンナはブレなかった。
「そんなのイヤァ! 初めての花火大会なんだから、二人で行くのぉ!」
車内に響き渡るように叫び声をあげる。
その直後、ドドッと人々が波のように倒れてしまった。
もう一つ隣りのドアから、強制的に人々がホームへと叩き出される。
「グヘッ!」
「ぎゃあ!」
「痛い!」
そして、残ったのは、1人の浴衣少女。
長い金髪をお団子頭にして、桜のかんざしをさしている。
紺色の浴衣には、かんざしと同様のピンクの桜が刺繍されていた。
足もとは茶色の下駄。花尾はこれまた可愛らしい桜だ。
「タッくん! みんなが空けてくれたよ☆ こっちにおいでよ☆」
ファッ!?
お前が馬鹿力で叩き出したんだろ!
犯罪だよ!
ホームに倒れ込む人々を見ると、何人かの女子が膝をすりむいて、出血していた。
「えぇ……」
さすがの俺もドン引き。
俺の周りにいた客たちもバイオレンス美少女に震えあがる。
こちら側はまだぎゅうぎゅう詰めだというのに、
「どうぞどうぞ」
と俺をアンナの元へと道を開ける。
いや、恐怖から無理やり押し出された。
「ふふっ、やっと二人になれたね☆」
アンナが優しく微笑むと、プシューとドアが閉まる。
あれだけの満員電車だったというのに、俺たちの空間だけ、ガラガラ。
「アンナ……」
「ん、なに?」
キラキラと輝くグリーンアイズが今日も可愛い。
だが、他人からしたら、恐怖でしかない。
「今度から花火大会に行くときは、タクシーで行こう……」
重量オーバーなこともあり、電車はノロノロ運転で博多へと進んだ。
いつもの倍の時間を要する。
1時間ぐらいかかった。
博多駅に着くと、そこから地下へと降りて、福岡市が運営する地下鉄に乗り込む。
大濠公園駅で降りれば、あとは花火大会の会場まですぐだ。
と、言いたいところだが、そうはいかない。
俺とアンナが大濠公園駅で降りたが、一向に脚を進めることはない。
いや、身動きが取れないのだ。
列車から降りると、大勢の人々で駅から大行列。
地下から出ることができない。
それは他の人間も同様だ。
一歩進んだと思ったら、また立ち止まる。それが延々繰り返される。
地下から地上に出るまで、なんと45分もかかった。
「なんなんだ? 高々、花火ごときでこんなお祭り騒ぎなのか? バカじゃないのか、こいつら……」
あまりにも時間がかかるので、俺はイライラしていた。
それを見たアンナが、俺の肩に優しく触れる。
「タッくん。そんな怖い顔しちゃダメだよ☆ こういうのは、雰囲気を楽しまないと☆」
「楽しむ? これ苦行じゃないのか?」
俺はこういうこと、未経験だから彼女の言う、楽しみ方とやらが理解できない。
行列と言えば、コミケぐらいしか経験ないし。
「じゃあさ、こういうのはどう? 彼氏と彼女は仲良くしていると、どんな所でも二人の世界に入れるっていうの☆」
「は? つまり、どういうことだ?」
「こう、するの☆」
何を思ったのか、アンナは俺の左手を握る。
ただ手を繋ぐわけではない。
互いの指と指を絡み合う手つなぎ。
なっ!? こ、これは俗に言う恋人繋ぎというやつでは!?
思わず頬が熱くなる。
「あ、アンナ!? いいのか、こんなことして?」
「だって、タッくんってさ。ドキドキする体験をしたら小説に使えるかなって☆ これも取材だよ☆」
緑の瞳がキラリと輝く。
繋いだ手をちょっと宙に上げて見せ、「ねっ?」と微笑む。
「ああ……確かに。待ち時間も二人なら楽しめてしまうのか、カップルてやつは」
「ふふ☆ あ、そろそろ公園が見えてきたよ」
※
結局、博多駅を出てから会場に着くまで一時間半もかかった。
で、肝心の会場である大濠公園なのだが。
元々は福岡城の外堀であって、その城跡を再利用し、舞鶴( まいづる ) 公園と大濠( おおほり ) 公園として市民に長年愛されている。
巨大な湖を中心にして、周辺に様々な施設が設置されている。
ちょうど公園を一周すると二キロぐらいあるので、サイクリングやジョキングとしても利用されるし。
春には桜並木が立派に咲き誇る。
他にも池にボート。
また、かの有名なマリリン・モンローが新婚旅行で立ち寄った老舗の高級レストランもあるらしい。
と、ここまでは、歴史ある都市公園なのだが……。
いつもなら、スタスタと中に入って、湖を泳ぐ留鳥や渡り鳥を目にするはずなのに。
「なにも見えん!」
お祭りの醍醐味とも言える屋台ですら、近づけないほど、人混みでなにも見えない。
背伸びしても、公園の内部が確認できない。
「はぁ……これじゃ、花火大会の取材にならんぞ」
俺が愚痴を吐いていると、アンナが苦笑する。
「はは。仕方ないよ。それだけ、みんなこの花火大会が大好きなんだよ……」
「しかし、これじゃ花火を近場で見れんぞ?」
「う~ん……あ、あそこなら見れそうじゃない!」
そう言ってアンナが指差したところは、湖からだいぶ離れた茂み。
正直、暗いし蚊も飛んでいるし、ゴミも地面に転がっているし……。
ムードなんて皆無だ。
しかも、数日前に雨が降ったこともあって、芝生がちょっと濡れている。
「あそこから花火を見るのか?」
「うん☆ ほら、さっきも言ったけど、カップルはどこでも楽しめるでしょ☆」
そう言ってウインクしてみせる。
「まあ、アンナがそう言うなら……」
※
ドーン! と大きな音と共に、夜の空に煌びやかピンクの花が描かれる。
「たまや~ かぎや~」
なんて叫べれるか!
花火が遠すぎる。
これなら、どっか近くの高層レストランで晩飯食ったほうが、キレイに見えるだろ。
「アンナ。なんかショボくないか?」
「ううん☆ そんなことない。大事なのは、タッくんと初めてきたこと。初めて見れたことなんだから」
そう言って、瞼を閉じ、胸の前で手を組んで見せる。
この空間を彼女なりに楽しんでいるようだ。
しかし、かれこれ一時間ぐらい立って、花火を観ている。
ちょっと疲れてきた。
座りたいところだが、地面が汚い。
「お、そうだ」
俺はジーパンの後ろポケットから、タケノブルーのハンカチを取り出し、芝生の上に置いてみる。
そして、アンナに声をかける。
「なあ。疲れたろ? これに座ってくれ」
「え?」
「せっかくの浴衣が汚れちゃ、後味悪いだろ? 俺のハンカチは洗えばいいんだから」
俺がそう言うと、アンナは遠慮がちに腰を下ろす。
だが、その顔はどこか、嬉しそうだ。
「ありがと、タッくんって優しい☆」
「男として当然のことをしたまでだ。アンナは女の子だからな」
しれっと紳士アピールしておく。
って……あれ?
隣りにいる浴衣美少女は、少年だったぁ!
俺ってば、洗脳されてるぅ!
かれこれ、花火を観ること、二時間ほどか。
辺りは蚊が飛び交い、所々にビール缶が捨てられていて、少し酒臭い。
最悪の花火大会じゃん!
それにせっかく屋台もたくさんあるのに、近づくことさえできないでいる。
スマホを見れば、現在『20:04』だ。
いい加減、腹が減ってきた。
アンナと言えば、俺のハンカチの上に小さなお尻をのせて、上空を満足そうに眺めている。
見ていて、なんだか哀れだ。
「あ、アンナ。そう言えば、報告しておきたいことがあるんだ」
「ん? なんのこと?」
「その、おかげさまで単行本の販売が決まったんだ。9月ぐらいに発売されるらしい。今までたくさん取材に付き合ってくれたおかげだ。礼を言う」
一応、頭を軽く下げておく。
すると、彼女は自分のように喜んでくれた。
「ホント!? タッくんと取材した思い出がついに紙の本になるんだね! おめでとう☆ でも、アンナは特になにもしてないよ。書いたのはタッくんでしょ☆」
なんて健気な女の子なんだ……って男の子だった!
「いや、アンナの取材がなければ、ここまで作品を仕上げることはできなかった」
「そ、そう? ふふ……嬉しい」
頬を赤くして視線を落とす。
だが、芝生はめっちゃ汚いけどな。
「なあ。ボチボチ腹が減らないか? 屋台で何か買いたいけど、この人出じゃ無理そうだ。夜もだいぶ遅いし、博多に戻って晩飯でも食わないか?」
もう限界、今すぐ店を探したい!
「そ、そうだね。アンナも少しお腹空いてきたところ……」
かなり我慢していたな。
その証拠に花火の音をかき消すぐらい、腹からグーグー鳴ってうるさい。
「じゃ、行くか」
「うん☆」
※
初めての花火大会はショボくて残念だったが、アンナが楽しそうにしていたから、良しとしよう。
俺たちは足早に会場を跡にした。
まだ会場に人々が残っているせいか、帰りの地下鉄は割と空いていた。
博多駅について、店を探す。
だが、どこも浴衣を着た若者やカップルで、普段ならすぐに入店できるレストランも満席。店の外に並べられたイスも埋っていてるし、その後ろにも行列が……。
一時間以上は待たないと、入れない状態。
こんな博多駅は初めて見た。
どこを回っても、同じ。
その間も、腹が減って仕方ない。
あまりの空腹で頭が回らない。アンナもヘトヘトになっていた。
お互い中身は10代の男子だからな。
「なあ、アンナ。博多駅内じゃ無理そうだ。ちょっと離れてもいいか?」
「う、うん……タッくんに任せるよ」
こりゃ、もうすぐHP尽きそうだな。
俺は近くの『はかた駅前通り』をまっすぐ進み、ちょっと人気のない通りに入り込む。
そうだ。この裏通りは、以前に二人で取材した場所。
例のラブホ通りだ。
だが、今日の目的はホテルじゃない。
俺の行きつけのラーメン屋。博多亭。
ここは地元民でもなかなか発見できない隠れた名店だから、リア充共は寄り付かない。
精々が仕事帰りの中年サラリーマンぐらいだ。
長年の脂で汚れたのれんをくぐって、カウンターに座る。
大将が俺の顔を見て、すぐに声をかけてくる。
「おっ、琢人くん! らっしゃい! 今日もどうせ映画帰りだろ?」
このおっさん。ちょっと殴りたい。
「いや。今日は違うよ。連れと大濠公園の花火大会に行ってきた」
隣りで腹を抱える浴衣美少女を親指で指す。
すると大将は顎が外れるぐらい大きく口を開いた。
「ひぇぇ! 万年童貞、根暗映画オタクの琢人くんが、浴衣美人と花火大会だってぇ!?」
もうこの店、来るのやめようかな。
「大将。前に会っただろ?」
「あ、連れって……あ、あの時の! アンナちゃんかい!」
「そうだよ。めっちゃ腹減ってるから、豚骨ラーメン二つ、バリカタで。あと餃子も」
「あいよ! 餃子はサービスにしておくよ! 美人のアンナちゃんだからね!」
ひでっ。アンナだけ優遇すぎだろ。
※
「スルスル……んぐっ、んぐっ…ゴックン! はぁはぁ、おいし☆ 生き返るぅ」
うん。そのいやらしい咀嚼音は、生き返ったね。
「アンナちゃん、浴衣似合っているね! 今日は替え玉無料にしてあげるよ」
「え、悪いですよ~」
「いいっていいって。ほら、琢人くんとデートしてくれたから。ね、おいちゃんからの感謝だよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
その後も食べる食べる。今4杯目。
俺はさすがに3杯で箸を止めた。
ま、アンナが美味しそうに食べる横顔が見れて、満足かな。
ジーパンのポケットが振動で揺れる。
手を入れて見ると、スマホが鳴っていた。
着信名は、赤坂 ひなた。
だが、ここで電話に出れば、アンナさんがブチギレること必須。
ちょうど大将と談笑しているし、店の外で電話に出ることにした。
「もしもし」
『あ、新宮センパイ! 今、暇でしょ!?』
いきなり失礼な奴だ。
「いや。あいにくだが、博多なう」
『ハァ!? センパイのくせして、こんな時間に?』
どいつもこいつも、俺を何だと思っているんだ。
『ま、どうせセンパイだから映画帰りでしょ。そんなことより、取材しませんか?』
勝手に設定作り上げるな!
「取材だと?」
『はい♪ 水族館“マリンワールド”です! 来週、行きましょ♪』
「水族館か、了解した。予定を空けておこう」
『じゃあ、また連絡しますね♪』
電話を切って、ふと振り返る。
窓から店内を覗くと、こちらを見つめている金髪の美少女が1人。
や、やべっ! 感づかれた!
優しく微笑んでいるけど、目が笑ってない。
急に悪寒が走り出した。