俺の股間はなんとか沈静化できた。
プールサイドにあった時計を見ると、昼の12時を越えていた。
腹が減るわけだ。
「そろそろ昼メシにするか?」
「うん☆ なにを食べよっか」
流れるプールから少し離れたところに、フードコートがあった。
ラーメン屋、タコス屋、お好み焼き屋。それから、海ノ中道海浜公園が運営している売店。
「さて、なにを食うか……アンナはなにがいい?」
「うーん。えっと、とんこつラーメンとフライドポテトと……」
「王道だな。俺もラーメンにするか」
店員に声をかける。
「すいません。ラーメン二つとポテトを一つ」
「ありがとうございます! 合計で2000円になります!」
たっか! ま、いっか。経費で落ちるし。
と思って、防水ケースから少し濡れたお札を取り出す。
それをアンナが止めに入る。
「待ってタッくん。まだ追加したい」
「え……」
「あとは、カツカレー、唐揚げ、たこ焼き、焼きそば、フランクフルトを一つずつください☆」
「かしこまりました! 合計で5000円になります!」
二人分の食事代じゃねぇ!
忘れてた胃袋は、健康な男の子だったね。
多めにお金持ってきていてよかった……。
※
「ふぅ~ お腹いっぱい~☆」
そうは言うが、相変わらずアンナの腹はほっそいまま。
全然、腹が出ないところが、怖い。
この子の胃袋は、四次元ポケットに繋がってやせんか?
「ねぇ、タッくん。デザートにかき氷でも食べない?」
目をキラキラと輝かせる大食い女王。
まだ食うのかよ。
「構わんが……俺はラーメンだけだったのに、アンナはたくさん食べたろ? まだ腹に入るのか?」
俺がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にして怒る。
「デザートは別腹っていうでしょ!?」
あなたの身体ってホントにどうなってんの……。
「了解した。じゃあ買うか」
「うん☆」
再度、売店に戻り、かき氷の種類を眺める。
かなりの種類がある。
「ん……あれは」
一つ気になった味がある。
それはブラックコーヒーかき氷。
コーヒー好きとしては、これは試してみたいな。
「俺はコーヒー味にしてみるよ」
「ん~ アンナは定番のイチゴ味かな☆」
「ま、それならハズレはないな」
店員を呼んで、注文する。
「あ、コーヒー味はミルクかけますか?」
「いや、そのままで」
コーヒー好きとしては、素材そのままの味を楽しみたいのだ。
「イチゴ味は、練乳かけますか?」
「いっぱい、かけてください☆」
なんか言い方が卑猥に聞こえるのは、俺だけでしょうか?
天使スマイルのアンナのお願いに応える店員。
「じゃあカノジョさんには、ピンクのシロップが隠れるぐらい、真っ白になるまでぶっ掛けてやりますね!」
「うれしい~☆」
いや、喜ぶなよ。アンナ。
できたてのかき氷を持って、テーブルに向かう。
座って、いざ実食。
真っ黒に染まった氷をスプーンですくう。
それを口に運ぶ。
「ん……ぶふっ!」
あまりのまずさに、地面に吐き出してしまった。
肝心のコーヒーが不味すぎる。
味が薄いし、コーヒーとはいえるものではない。
なんというか、駄菓子の味に近い。
注文したことを後悔した。
仕方ないので、氷が溶けるのを待って、液体にしてから一気に飲むことにした。
溶けるのを待っている間、向かい側に座っているアンナに目をやる。
俺とはちがい、嬉しそうにかき氷を食べている。
「あま~い☆ おいし~☆」
頬をさすって喜んでいる。
ま、この笑顔を見れただけでも、買った甲斐があったってもんか。
※
かき氷を食べ終わると、急に激しい腹痛を起こす。
どうやら、あのコーヒーかき氷が悪さしたようだ。
トイレに行きたくなった俺は、彼女を一人プールサイドで待つように伝える。
「うん、わかった☆ このヤシの木の下で待ってるね☆」
「すまんな」
ちくしょう。
もう二度とあのかき氷は頼まんぞ。
しばらく便器と戦いを繰り広げる。
体重2キロぐらい落ちたんじゃないだろうか?
手を洗うと、鏡の前にゲッソリした自分を確認できた。
腹をさすりながら、トイレを出る。
アンナが待つヤシの木に向かう。
すると、なにやら甲高い女の悲鳴が聞こえてきた。
「や、やめて!」
声の方向を見ると、アンナが二人の男に囲まれていた。
「いいじゃん、お姉ちゃん。一緒に泳ごうよ」
「その髪、天然? 外国人なの? 観光なら俺たちが福岡を案内してあげる」
見るからにチャラ男って感じの輩たちだった。
初対面のアンナの髪を、汚い手で触りやがる。
怒りがこみあげてくる。
「い、いや!」
男の手を振りほどこうとするが、ナンパ男たちはしつこい。
「なんだよ? 別になにもしないって。ただ、俺たち連れがいないから寂しいだけだって」
そう言いながらも、アンナの前に立ちはだかる。
彼女は何度も逃げようとするが、男たちは先回りして、動きを止めようとする。
見ていてイライラする。
中身はあの伝説のヤンキー、ミハイルなのに。
なぜ女装すると、か弱い女の子として設定を貫こうとするのか?
前も映画見ている時、知らない男に触られても、結果的にそれを許していた。
殴ってやればいいのに。
あ~ 腹が立つ。
今もずっと二の腕を触られるが、困った顔していて、抵抗しない。
美しい金色の長い髪を、知らない野郎に触らせやがって!
そこまで、俺に正体をバレるのが嫌なのか……。
ブチンッ!
何かが頭の中で切れた音がした。
考えるより、身体が動く。
「おい、お前ら。その子を離せ」
ナンパ男の背後に立ち、冷えきった声で呟く。
「うわっ! なんなんだよ、お前!」
「タッくん!」
涙目のアンナが、俺を見つけて安堵する。
そして、俺の背中に逃げ込んだ。
「大事ないか? アンナ」
「うん……でも、この人たちがしつこくて」
怒りを抑えるために、拳を作る。
「お前ら、連れになにしてくれてんだ?」
睨みをきかせる。
だが、男たちもひるまない。
「なっ! 急に出てきてなんだよ、お前!」
「そうだよ! その子は俺たちと遊びたいんだよ!」
どこまでも身勝手な奴らだ。
しかし、こいつらアンナの股間に、おてんおてんがあると知ったら……いや、これはやめておいてあげよう。
「あのな、この子は俺と一緒に、取材……つまりデートをしているんだ。お前らとは遊ばないぞ。どこか、他の女の子を口説け」
あれ? 言っていて違和感を覚える。
そっか、アンナを女の子として表現しているせいか。
「はぁ!? じゃあ、なにかよ! お前みたいな根暗で童貞でオタクで、声豚みたいなやつとそのパツキンちゃんは付き合ってるとでも言いたいのかよ!」
おいっ! 言い過ぎだ!
見た目だけで、よくそこまで考察できたな。
「ああ……だよな、アンナ」
ウインクして彼女に話を合わせるように伝える。
「う、うん。タッくんとアンナは……つ、付き合ってるもん!」
顔を真っ赤にして、恥ずかしがるアンナ。
俺もなんだか恥ずかしくなってきた。
ナンパ男たちは顔を見合わせてこう言う。
「信じられるか? こんなイカくさそうな男とこの天然パツキン美少女が?」
「いーや、ないな。根暗なオタクがこんな超絶美少女と付き合えるなんて状況……ありえねーよ」
ちょっと待って。さっきからなんで俺だけそんなにディスられるの?
傷つくんですけど。
しばらく、俺とアンナを交互に眺める男たち。
まだ納得できないようだ。
「なら証拠を見せてくれよ」
「そうだよ、カップルならやることやったんだろ?」
「なっ、ナニを言っているんだ! お前ら!?」
予想外の言葉に激しく動揺する。
「証拠を見せてくれたらあきらめるぜ?」
「ああ、ラブラブなところを見せてくれや」
いやらしくニヤニヤと笑みを浮かべる。
クソがっ! こいつら、どうしても俺たちの関係を引き裂きたいのか!
ぐぬぬっ……と、歯ぎしりをする。
言い返す言葉がない。
なぜなら、彼らが言う証拠ってやつを提示できないからだ。
「アンナ。もういいよ、こんな奴らに付き合う必要はないぞ」
彼女は黙って俯いている。
「ほーら、彼氏じゃないのにブッてんじゃねーよ」
「できねーなら、彼氏失格だな」
俺を指差して嘲笑う。
その言葉を聞いて、アンナが急に首を上げる。
「あの……証拠見せます!」
「え?」
「タッくん、さっきのもう一回、しよ?」
「さっきの?」
「その……アンナを抱っこして」
「あ、あれを今ここでやるのか!?」
「うん……」
頬を赤くして、アンナが俺に抱きつく。
そして、俺は彼女を持ち上げて、ペッティング。
胸と胸、股間と股間、鼻と鼻、密接に繋がる。
それを見た男たちが、逆に悲鳴を上げる。
「キャーッ! なんてハレンチなの、あんたたち!」
「ヤるなら他でやりさないよ!」
そう叫んで、逃げていく。
勝ったな……。
だが、同時になにかを失くした気がする。
その証拠に、周りにはたくさんのギャラリーが出来ていた。
「タッくん。無理やりさせてごめんね。あんな風にタッくんが悪く言われるのが許せなかったから」
「いや、俺は構わんが……」
それより早く降りてくれない?
せっかく、沈静化した俺の股間が、また暴走しそうなんだが。
例のナンパ男たちに絡まれた事により、アンナはすっかり元気をなくしていた。
いや、恥じているという表現の方が、正しいかもしれない。
頬を赤く染めて、黙って俯く。
俺を養護するための“パフォーマンス”だったとはいえ、中々に破廉恥な行為だったからな。
あとになって、恥ずかしさがこみあげてきたのだろう。
その後、何度かプールで泳いだりしたが、全然楽しそうじゃない。
なんだか、悪いことをした気分だ。
やり方はどうあれ、俺を守ろうとしたのは事実じゃないか。
仮とはいえ、彼氏役の俺がしっかりアフターケアしてやらんとな。
水面が夕陽でオレンジ色に輝きだした。
時計を見れば、もう夕方の4時半近く。
このプールは5時で閉園だ。
今日の取材が、こんな風に終わるのはなんともかわいそすぎる。
なにかアンナが元気になることはないだろうか?
そう頭を悩ませていると、どこからか、歓声が湧き上がる。
「なんだ?」
フードコートの横に大きなステージが設置されており、そこにたくさんの人だかりができていた。
なにやらイベントをやっているらしい。
スピーカーからアニメ声が聞こえてきた。
「許さないわよ! イケメンガー!」
ん? 聞いたことのある名前だ。
「ぐわっははは! また会ったな、ボリキュアども! 今度こそ駆逐してやるぅ!」
あ……これだ!
俺はすぐにアンナへと伝える。
「アンナ、あっちでボリキュアショーってやってみるたいだぞ!」
するとアンナは、ピョコンと首をまっすぐ立てる。
そして、「え、どこどこ?」と辺りを見渡す。
「あそこだよ。せっかくだから、見ていくか?」
「うん☆」
彼女に笑みが戻る。
良かった、おこちゃまなやつで。
※
俺たちは、急遽ボリキュアショーを観覧することになった。
前回、かじきかえんで観た時より、出演しているキャラは少ない。
今期のボリキュア『ロケッとボリキュア』から、ボリエール、ボリアンジュ、ボリエトワールの3人。
それから、今年は生誕15周年ということもあってか、初代の『ふたりはボリキュア』からボリブラックとボリホワイトが参戦。
いつもながら、敵役はイケメンガーひとりのみ。
5人対1人っていじめだよね……。
必殺技を連発するボリキュアたちだったが、毎度の展開で、イケメンガーがチート並みのスキルで、全員をブッ倒す。
というか……ボリキュアが勝手にずっこけた演出なのだけど。
気がつけば、意気消沈していたアンナはどこにいったのやら。
近くにいた幼いキッズたちと叫んでいた。
「ボリキュア、がんばれ~! イケメンガーに負けちゃいや~!」
元気になったのは嬉しいのだけど、ねぇ……。
金髪のハーフ美少女がさ。一番前で、ステージに向かって大声で叫ぶんだぜ?
彼氏役は辛いよ。
どこからか、キッズたちのパパさんママさんが失笑していた。
うちの彼女役。しんどいです。
アンナに目をつけたイケメンガーが、指をさす。
「ほほう~ アインアインプールにも『アクダマン』になりそうな、いい子供たちがいるなぁ~」
あれ、この流れ。前にもあったような。
「イヤァ~! またアンナたち良い子をさらう気ねぇ!」
迫真の演技でまんまと乗っかる女装男子、15歳。
「フッハハハッ! その通りだよぉ、お嬢さん。君をアクダマンにしてやろう」
そう言い放つと、イケメンガーは舞台から降りて、俺の隣りにいたアンナと近くに座っていた女児を数人に連れて行く。
もちろん、合意の元でだ。
だって、このあとボリキュアたちが勝利して、写真を撮れる特典つきだからな。
みんなこぞって、参加したがる。
「キャ~! タッくん、助けてぇ~」
自分からステージに上がりやがるくせに、わざとらしく叫ぶアンナ。
俺に手をさし伸ばしてはいるが、脚はしっかり後ろへ進む。
周りにいたママさんパパさんが、それを見て笑い出した。
「可愛らしい二人ね」
「おもしろいカップルだ」
「むむむっ! あの女史は以前、かじきかえんで出会った同志では!?」
左を見ると、真っ黒に焼けた男がいた。
望遠レンズ付きの高そうなカメラを首からかけている。
頭には、プラスチック製のピンク色のカチューシャ。
そしてフリルがついたワンピースタイプの水着を着ていた。サイズはきっと子供用なのだろう。
ピチピチで、もう生地が破れてしまいそう。
エグすぎる大友くんだ!
類は友を呼ぶ……か。
博多って変態が多い街なんですね。もう引っ越そうかな。
その光景に俺が絶句していると、ステージでは物語が進行していく。
倒れたボリキュア戦士たちに向かって必死にエールを送るアンナ。
「ボリキュア、がんばれぇ~」
あなたが一番目立ってどうすんのよ。
「フハハハハ! この子たちを全員アクダマンにして、アインアインプール。いや……海ノ中道海浜公園を征服してくれるわぁ!」
スケールちっちぇ!
不穏なBGMが流れだした、その時だった。
「いいえ、そんなことはさせないわ……」
よろよろと立ち上がるボリブラック。
「そうよ。こんなときこそ、力を合わせて良い子たちのために戦うの!」
ブラックから手を借りて、起き上がるボリホワイト。
「「「先輩たちの言う通りよ!」」」
声を合わせて叫ぶのは、今期のボリキュア戦士。
その後は、テンプレ通りの展開だ。
各戦士たちによって、フルボッコにされるイケメンガー。
捨て台詞を吐くと、優しくアンナや女児たちを解放する。
気づかい半端ないっす。
「アインアインプールも海ノ中道も私たちがいる限り、悪い子の好きなようにさせないわ!」
夕陽にむかって、高々と拳を突き上げる。
ボリブラック。
だから、なんで海ノ中道だけ限定なの?
せめて福岡市ぐらい守れるでしょ。ヒーローなんだから。
閉幕と同時に、撮影会が始まる。
捕らわれたアンナと女児たちはVIP待遇だ。
ボリキュアの5人が、周りを囲んで撮影タイム、スタート。
アインアインプールのスタッフがポライドカメラで、無料で撮ってくれた。
それをもらったアンナは、満足そうに舞台から降りてきた。
「タッくん! 見てみてぇ! ボリキュアと写真撮れちゃった☆」
「ハハ……良かったな、アンナ」
俺は既に呆れていた。
「これもタッくんのおかげだよ☆ ありがと、タッくん☆」
いや、それは違うと思う。
あなたの演技力が素晴らしかったんじゃないんですか、知らんけど。
※
「写真も撮れたし、そろそろ帰るか?」
「うん☆ 楽しかったね、初めてのプール☆」
「ああ、そうだな……」
互いに見つめあって笑い合うと、二人で仲良く更衣室に向かう。
歩いていると、とあるカップルに声をかけられた。
「あの、すみません。良かったら写真撮ってくれませんか?」
いかにもリア充って感じの好青年だ。
どうやら、彼女とのツーショットが欲しいらしい。
「いいですよ」
俺は快くそれを引き受ける。
何枚か撮り終えると、スマホを相手に見せて確認させた。
青年が「ありがとうございます」と頭を垂れたので、俺は「いえ、気になさらずに」と背を向けた。
だが、ガシッと強い力で肩を掴まれる。
振り返ると、青年がニカッと笑っていた。
「お返しにカノジョさんとの、写真撮りますよ」
言われてすごく困った。
俺たちは確かにカップルぽく振舞ってはいるが、実際は違う。
そう思って、断ろうとしたら、アンナが代わりに答えてしまう。
「いいんですか!? じゃあ、タッくん。撮ってもらおう☆」
「え……ああ」
流れで、俺たちまでツーショットを撮ってもらうことになってしまった。
アンナはどこか嬉しそうにしている。
俺の左腕に、小ぶりの胸を押し付けて「ハイ、チーズ」と一枚撮られた。
もちろん、彼氏役の俺はガチガチに固まってしまう。
「もう一枚、撮っておきましょう!」
青年がいらぬ気づかいをする。
すると、アンナが俺にしか聞こえないぐらいの小さな声で囁いた。
(来年の夏も絶対に来ようね……)
え? 俺たちの取材っていつ終わるんですか。
アンナとの、初めてのプールデートは無事に終了した。
とても楽しかったです……なぜならば、可愛いアンナちゃんのビキニ姿を3000枚ほど、保存できましたので。
毎晩、自室で1人、パソコンで写真を各フォルダに分別する。
『使えそう』
『可愛い』
『ブレてるが消したくない』
そんな風に名前をつけて、しっかり番号を振り分けていく。
ああ、この作業たまらなく楽しいぜ。
早く次のプール取材、来ないかな。
連日、徹夜でそんなことを繰り返していると、すぐに一週間が経った。
※
スマホのベルで目が覚めた。
着信名を見ると、ミハイル。
「ふぁ……もしもし」
『タクト? おはよ☆』
「ああ、おはよう。今何時だ?」
『え、朝の4時半☆』
朝じゃねーだろ。夜明けだ。
「んで、何の用だ?」
『今日さ、終業式じゃん』
「そうだったな。明日から夏休みってわけだ」
やっとバカな高校から解放される至福の時。
『それでさ。タクトはちゃんと今日の準備した?』
「準備? 登校に必要な物ならちゃんとリュックサックに入れてあるぞ」
『さすが、タクトだな☆ じゃあ、あとでいつもの電車でな☆』
「おおう……」
準備ってなんだ?
しかも、ミハイルのやつ。なんだかテンションが高い声だった。
夏休みになるから、毎日遊べるってことで嬉しいのか?
ま、家を出るまでしばらく、また仮眠を取ろう。
※
朝食をとったあと、いつもどおり、小倉行きの電車に乗る。
二駅過ぎて、席内駅に止まる。
ホームの上で、一人の小さな少年が手を振っていた。
古賀 ミハイルだ。
迷彩柄のタンクトップに、薄色のデニムショートパンツ。
そして、なぜか背には大き目のリュックサックを背負っていた。
珍しい。
「おはよ☆ タクト!」
当然のように、俺の隣りに座る。
細くて白い脚をピッタリとくっけて。
思わず、ドキッとしてしまう。
「お、おはよう」
「今日の学校。楽しみだよな☆」
「え? なにがだ? ただの終業式だろ」
「宗像センセが言ってたゾ。一ツ橋高校だけだって。あんな特別な終業式はって」
「はぁ……」
なんのこっちゃ。
あれか、ヤンキーばっかりが通っている高校だから、殴り合いでもするんだろうか?
いやいや、さすがにそれはないよな。
ガチンコでも、俺はファイトできないひ弱な一般学生。
おてんてんで戦うってなら、まあ話は別だが……。
妙に上機嫌なミハイルが気にはなるが、登校に前向きなことは良い心がけというものだ。
鼻歌交じりの彼と共に、赤井駅で降りて、一ツ橋高校へ向かった。
校舎に着くと、なにやら騒がしい。
駐車場に大きなバスが一台、止まっている。
そこに生徒たちがたくさん集まっていた。
皆が皆、大きなカバンやトランクなどを抱えて。
「ん? どういうことだ……今日は終業式だろ?」
「そうだよ。だから、バスに乗って行くんじゃん」
ミハイルが目を丸くして言う。
俺が首を傾げていると、そこへ宗像先生が現れた。
「よぉ! 新宮に古賀も来たのか! えらいえらいっ!」
今日も酒くさい。
アル中が移るから、どっかにいってください。
しかし、今日の宗像先生は、装いがいつもと違う。
いや、確かに淫乱教師であることは知っているのだが、なんか違和感を感じる。
スカートはいつものように、超ミニ丈のタイトスカートに黒のストッキングとピンヒール。
問題は上半身だ。
頭に小さな帽子を被り、ふくよかな胸はジャケットで隠してある。
おかしい。
この破廉恥バカは、だいたい露出を好む。
ならば、汚いデカチチは放り出しているはずなのに……。
俺が怪訝そうに、先生を見つめていると、口を大きく開いて、下品な声で笑い出す。
「だぁはははっははは!」
相変わらず、うるせぇ!
そして、のどちんこが丸見えだ。
中身、ほんとただのおっさんだろ。
「どーした、新宮? そんなに今日の私のファッションが気になるのかぁ~」
嫌らしくニヤニヤ笑いやがる。
「違いますよ……」
「じゃあ、どうしてだ? この私で使いたいのか? 写真を撮ってもいいぞ」
誰が撮るか!
それを鵜呑みにしてか、隣りにいたミハイルがブチギレる。
「タクトっ!? 宗像センセの写真なんか撮って、何に使うんだよ!?」
「いや、撮らないし、使うこともないから……」
アンナモードで、たくさん撮らせておいてよく言うぜ。
いつも、お世話になってます。
ムキーッと猿のように、怒るミハイルを一旦放置して、話題を変える。
「宗像先生、一体どういうことですか? 先生、いつもの服装じゃないし、あのバスはなんですか?」
そう問うと、宗像先生はキョトンとした顔で返事をする。
「え、新宮……まさか、手紙読んでないのか?」
「手紙? なんのことです?」
すると、宗像先生はその場で「あちゃ~」と頭を抱えた。
それを聞いてミハイルも驚く。
「タクト! じゃあ、ちゃんと準備してないの!?」
「は? 準備って終業式のだろ」
あれ、俺がなにか間違ってる?
「だから、オレが朝、ちゃんと電話で聞いたのに!」
なぜか悔しそうに歯を食いしばるミハイル。
「どういうことだ……俺には全然わからんのだが」
状況が把握できず、混乱していると、ミハイルが半泣き状態で叫んだ。
「今日は終業式だから、バスでみんなで別府温泉に行くのっ!?」
「ハァッ!?」
ちょっと、言ってる意味がわからない。
何故、終業式なのに、旅行するんだ?
「よくわからないのだが……それって泊まりなのか?」
「そうだよ!」
めっちゃキレてるよ、ミハイルママ。
泣いてるし……。
俺たちが言い合いをしていると、宗像先生が間に入る。
「悪い悪い。どうやら、新宮のことだけ、手紙を出し忘れてたみたいだ、てへぺろ♪」
舌を出して、笑ってごまかす。
お前の凡ミスじゃねーか。
ブチ殺すぞ、コノヤロー!
「え~ じゃあセンセ……タクトは着替えとかどうするんすか?」
「まあ……あれだ。私の下着でも使えばいいじゃないか。Tバックだから、お尻が楽だぞ~」
「そっか。なら、大丈夫っすね☆」
全然、良くない。
女もんのパンティーで、しかもTバックとか。
「しかし、宗像先生。なぜ、終業式だというのに旅行するんですか?」
「ああ……それはだな。本校特有の事情があってな。うちの高校は通信制だし単位制だろ。だから、今期で卒業する生徒もいるんだ。ごく僅かだがな。だから、卒業旅行も兼ねて、終業式は毎回、旅行をするようにしているんだ」
なにその終業式。
「じゃあ会場はどこでやるんですか?」
「昔はちゃんと、会館借りてやってたけど、もうめんどくせーだろ? だから、バスの中で今期は終業ってことにした。司会役の私はバスガイドさんも兼ねてる♪」
めっちゃ笑顔で酷いこと言っているんすけど。
「はぁ……じゃあ、今からバスに乗って、別府まで行くんすね……」
俺だけ知らされていない孤独さよ。
「とりあえず、早くバスに乗れ! 三ツ橋高校の校長に見つかったらヤバいからな」
「え、どういう意味です……」
なんか嫌な予感。
「野暮なこと聞くなよ。このバスは、全日制コースの部活で使うやつだ。遠征とかでな」
「それを無断で拝借したってことですか」
「新宮、パクったみたいな言い方するなよ。バレなきゃいいんだよ。こういうのは」
ふと、運転席に目をやると、ガタガタ震えた一ツ橋高校の男性教師が見えた。
確か現代社会の先生だ。
なぜ彼が、ハンドルを握っているんだ?
「宗像先生。運転席に現代社会の先生がいるんですけど……」
「あいつか、あのバカは知ってると思うが、本校の卒業生でな。私が雇ってやったからさ。こういう時使えるんだな、ハハハッ!」
そう言えば、バーベキュー大会の時も良いように使われていたな。
かわいそうに……。
バスの中に入ると、普段なかなか登校しない奴らがたくさんいた。
遅刻が多い、千鳥 力と花鶴 ここあも既にシートの上で、ゲラゲラ笑っている。
もちろん、変態女先生こと北神 ほのかや自称芸能人の長浜 あすかまで。
ほのかは別として、他の奴らは真面目にスクリーングしてないだろ。
遊びの時だけ、本気になるなんて……。
俺がそう呆れていると、近くの席から声をかけられた。
「よう~ 琢人じゃねぇか」
柄の悪いおっさん……じゃなかった、無駄に健康オタクな夜臼先輩じゃないですか。
「あ、夜臼先輩も旅行に参加されるんすか?」
この人、確か今36歳だったよな。
10代の若者と旅行とか、抵抗ないの。
「おうよ! 別府でなら俺りゃあのアイスも売れるかもしれないだろぉ~」
そう言って、クーラーボックスを取り出す。
「そ、そうですか。売れるといいですね……あの、気になったんですけど、ひょっとして、夜臼先輩って、今期で卒業されるんですか?」
だって36歳だよ? もう良くない?
「バカ野郎! 俺りゃあ、まだ単位10ぐらいしか、取れてねーよ。恥ずかしいこと言わせんなよ」
えぇ……。
確か、一ツ橋高校を卒業する必須単位は最低でも60単位ぐらい必要だった気が。
新入生の俺ですら、今期で20単位ぐらい取得する予定なのに。
「夜臼先輩って入学して何年目っすか?」
「俺りゃあか? へへへ、5年目だよ。けどよ、一回退学してっから、まあ合計すると13年目かな。まあ売人しかできねーからさ。カミさんが卒業しろってうるせーんだよ」
ファッ!?
13年生の高校生なんて、初耳だ!
「ちょ、ちょっと待ってください。退学って宗像先生にされたんですか?」
「バーカ、蘭ちゃんは優しいからそんなことしねーよ。それに蘭ちゃんとは先輩、後輩の仲だったんだぜ? 俺りゃあがバカだからよ。8年経っても単位が取れなくて、一回てめぇから退学をして、再入学したのよ」
泣けてきた……。
後輩だった宗像先生が、今では教える側になっちゃったのか……。
てか、この人生きていくスキル持ってんだから、もう中卒でいいだろ。
「おい、なーに湿っぽい話をしているんだ? 新宮!」
振り返ると、バスガイドのコスプレをした宗像先生がニッコリ笑っていた。
「あぁ、夜臼先輩の経歴を聞いてました……」
聞いちゃいけないことだったのかな。
「だぁはははっははは!」
なにがおかしい! 人の不幸を笑うな!
「うっひゃひゃ! マジウケるよな! 蘭ちゃんが先生で、俺りゃあが生徒でよ」
あなた、もうこの高校やめろよ。
「あー、おかしい! 私が一ツ橋高校に教師として赴任して来た時、夜臼がまだいやがって、クッソ笑ったわ!」
「だよな、蘭ちゃん先生」
あんたら、そんなんでいいの?
「ま、そんなことより、今から終業式を始めるぞ! 席につけ、新宮!」
「あ、はい……」
俺が立ち去ろうとした際、夜臼先輩が「琢人、あとで上物の“野菜”をやるからな」と囁く。
周辺にいた生徒が野菜という言葉を隠語として、捉えたようで、震えあがっていた。
俺の座った席は、後ろから二番目のシート。
窓側には既にミハイルが座っていて、「こっちこっち」と座席をポンポンと叩き、促す。
※
バスが出発し、しばらく国道を走った後、高速道路に入る。
そこで、宗像先生が立ち上がって、マイクを手にする。
「あーあー、テステス。これより、春期終業式を始める。この前の試験とレポート。それからスクリーングの出席回数を見合わせて、単位を与えている。テストの答案用紙と一緒に取得単位結果表を配布するから、各自席で待っていろ」
そう言って、前から順番に書類をひとりひとり、渡し始める。
だが、宗像先生は生徒に渡す際、一声かける。
「おし、夜臼は今期もてんでダメだな。取得できた単位はたったの3だ」
「あちゃ~」
夜臼先輩をこれ以上いじめないであげてください。
もちろん、マイクで話しているから、スピーカーから丸聞こえ。
その後も次々、生徒の欠点ばかり言いやがるから、落ち込む奴らが大半だった。
最後の方で、俺とミハイルの番になった。
「うむ。新宮はパーフェクトだ。テストも満点だし、単位も全単位取得できた。さすがはこの私が見こんだルーキーだな!」
そう言って、書類を受け取ったが、何も嬉しくない。
このレベルで、満点とか逆にディスられた気分。
「あ、あざっす……」
「そして、最後は古賀だな。ちょっとレポートの答えが意味不明なことばかり書いてあって、『マジこいつバカだわ』と感じたが……」
ひでっ!
「ご、ごめんなさい……」
泣き出すミハイル。
「だが、しかしだ! 後半からほ~んのちょっとだが、成績もあがってきた。この前の期末試験もまあ酷いもんだったが、がんばったから、新宮と同じく全単位取得だ! よくがんばったな、古賀!」
ニカッと歯を見せて笑う宗像先生。
それを見て、パァーっと顔が明るくなるミハイル。
「宗像センセ! ありがとう!」
喜びのあまり、宗像先生に抱きつく。
泣きながら、「ホントーにありがと~」と感謝していた。
対して、宗像先生は、彼の頭を撫で回す。
「よしよし、古賀は男のくせに可愛いし、ちっこい尻を叩くのも先生は大好きだからな! この調子で卒業までがんばれよ! お前は新宮と同じく私が見込んだ、期待のスパンキングボーイ……じゃなかった。ルーキーだ! 多分」
絞め殺すぞ、こいつ!
えこひいきじゃねーか。
しかも、俺の大事なダチを、性のはけ口にしやがって!
だが、ミハイルはそんなことお構いなしで、泣いて喜ぶ。
「うん☆ オレ、宗像センセについてく!」
「よし! 私に任せろ! さ、くっだらねぇ終業式はもう終わりだ。高速に入ったし、別府に着くまで、ハイボールをキメるか!」
もうお前、教師やめちまえ!
「なら、オレが作ってきたジャーマンポテトでも食べるっすか☆」
リュックサックからネッキーがプリントされたタッパーを持ち出す。
「おお、こいつは酒が進みそうだ。古賀はいい婿さんになるなぁ~ ヴィッキーのやつ、こんな洒落たつまみで、晩酌してやがるのか……」
「ハイ☆ ねーちゃんはあんまり料理しないんで☆」
虐待だよ、それ。
※
高速で走ること、二時間ぐらい。福岡県を抜けて大分県の別府温泉にたどり着いた。
俺たちが泊まるホテルは、松乃井ホテル。
高い山の上に高層ビルがいくつも連なって出来た温泉ホテルだ。
バスから降りると、ロビーに集まり、部屋割りをすることになった。
俺は千鳥と一緒の部屋になった。
「タクオ! 今夜はよろしくな!」
えぇ……ミハイルの方が良かったよ。
「ああ、よろしくな」
続々とペアが決まっていく中、ミハイルだけが一人残された。
「よし、じゃあ、これで部屋割りは決まったな。各自、好きに遊んでいいぞ。夕方の6時になったら食堂に集まれ! それまで解散!」
みんな歓声を上げて、散り散りに去っていく。
「ちょ、ちょっと! 宗像先生!」
エレベーターに向おうとする先生の腕を掴んで、止めに入る。
「なんだ、新宮? 私と同室して童貞を捨てたいのか?」
「違いますよ! どうしてミハイルだけ、1人なんすか!」
フロアで1人ぽつんと立つ彼を指差す。
頬を赤くして、どこか恥ずかしげにしている。
「ああん? 古賀のことか。あいつは家族と一緒に泊まるって言うから、事前に部屋を決めておいたぞ」
「家族……?」
「まあそういうことだから、心配すんな」
先生はそう言うと、ハイボール片手にエレベーターに乗って、どこかに行ってしまった。
「タクオ、ミハイルなら大丈夫だろ」
笑顔を見せるハゲ。
「うーむ。まあ本人の望みなら仕方ないな……とりあえず、部屋に荷物を置きに行くか」
「おお! プールがあるから、そこで遊ぼうぜ!」
「了解した」
去り際、ミハイルに声をかける。
「またあとでな。ミハイル」
俺がそう言うと、なぜかビクッとして、顔を真っ赤にする。
「え!? う、うん。プールでね……」
なんか様子がおかしいな。
エレベーターのドアが閉まる際、彼は床をじーっと見つめていた。
別府にまで来て、床ちゃんを友達に追加するとはな。
千鳥が8階のボタンを押すと、こう言った。
「そう言えば、タクオって着替えとか持ってきてないんだろ? 水着どーすんだ?」
「あ……」
「しゃーねから、ブリーフで泳げよ」
絶対に嫌です。
同室になった千鳥と俺は、一旦部屋に荷物を置きに行く。
部屋は8階の一番奥。
エレベーターからは、かなり遠いが、窓から見える景色は最高だ。
洋室で大きなベッドが二つ。小さなテーブルがあった。
事前に用意していた千鳥は、バッグから水着や浮き輪などを取り出す。
俺と言えば、なにも所持していない。
だって、旅行なんて聞いていなかったんだからね……。
持参したものといえば、簡単な筆記用具といつもの相棒、ノートPCぐらいだ。
このままでは、本当に千鳥が言うように、ブリーフでプールを泳ぐことになるのだろうか。
頭を抱えていると、千鳥がテーブルの上にあるパンフレットを俺に見せつける。
「なぁ、タクオ。ここのプールってレンタルの水着あるらしいぜ?」
「ま、マジか!?」
「ああ、有料だけどな」
「助かったぁ……」
俺が胸をなでおろしていると、千鳥がこう言う。
「でもよ、服はどうすんだ? 下着がないじゃん」
「う……」
「俺のはサイズがデカいからタクオには履けないぜ? 宗像先生からパンティーでも借りろよな」
えぇ……だってレースのTバックだろ……。
もう俺はお嫁にいけないかも。
※
支度を終えると、俺たちは再び、ロビーに降りた。
ホテルの玄関外には、常に移動用のバスが待機している。
ここ、松乃井ホテルは巨大な敷地と急斜面の長い坂に建てられている。
だから、各施設に移動する際は、バスを使った方が良いと職員に促された。
バスはもちろん無料。
俺と千鳥が車内に入ると、見慣れた顔ぶれが揃っていた。
宗像先生、日田の双子、北神 ほのか、長浜 あすか。
「おう、新宮たちもプールに行くのか!? 乗ってけ乗ってけ!」
言いながら、ハイボールをがぶ飲みする宗像先生。
足もとに、空き缶の山が出来ていた。
こいつ、もう死ぬな。
「あれ、ミハイルはいないな……」
あいつのことだから、すぐにバスに乗っているかと思ったが。
「古賀か? あいつなら、花鶴と前のバスに乗ってたなぁ~」
豪かいにげっぷをする独身女性、宗像 蘭さん。
「そ、そうっすか……」
プールに着くと、俺はすぐに男性用の水着をレンタルした。
金はもちろん、自腹。
精算を済ませていると、宗像先生があるものを俺に渡す。
「ほれ。着替えがないんだろ? 下着ぐらい替えないとダメだぞ♪」
そう言って何か丸いものを、俺の手に残し、去っていく。
広げて見れば、紫のレースパンティー。Tバック……。
レジのお姉さんが、「うわっ」とドン引きしていた。
クソがっ!?
二階に上がって男子の更衣室へ入る。
中はかなり広い。
この前、アンナと海ノ中道のアインアインプールに行ったが、規模が違う。
数百人は入れそう。
着替えを済ませると、誰かが俺の背中をポンポンと叩いた。
振り返ると、そこには男子更衣室に似合わない可愛らしい女の子……ではなく、ただのミハイルきゅん。
「おっせーぞ、タクト!」
既に水着に着替えていた。
俺はまじまじと彼をながめる。上から下まで。
何故かって?
アンナモードとの比較をしておかねば!
男装時なんだから、お乳首を隠す必要はないはずだ。
それがすごく気になる。
俺はプロの作家だ。
そう、これは取材。ヒロインの特徴を把握しておかないと作品に還元できない。
「……」
黙って彼を見つめる。
ボトムスは黄色でドット柄のボクサータイプ。
かなりタイトなデザインだ。彼の小さな桃尻がプリッと目立っている。
肝心の胸部は……なっ!?
「なぜ着ているっ!?」
思わず声に出してしまう。
激しく動揺した俺は、彼の胸元を指差した。
「な、なぜって……胸は隠すに決まってんじゃん! バカなの、タクト!?」
おいおい、おバカなミハイルくんに、馬鹿呼ばわりされちゃったよ。
てか、男は普通、胸は出すもんだ。
チッ! 見れるかと思ったのに……。
ちょっと、すねてみる。
「オレの今日の水着、そんなに不満?」
頬を膨らませて、上目遣い。
「いや、似合っているよ……」
「じゃあなんで、そんな怒ってんの?」
「怒ってないさ」
確かにカワイイ。似合っている。
トップスは同系色のタンクトップタイプ。
ボーイッシュな感じで、すごく好きです。
でも、僕は中身が見たかった!
「なぁ。タクトってば、なんで泣いているの?」
「いや、目にゴミが入っただけさ……」
「それってヤバいじゃん。目薬貸そうか?」
「だ、大丈夫だもん……」
「変なタクト」
更衣室を出て、とぼとぼと歩く。
俺は肩を落とし、目の前の小尻を眺める。
「タクトぉ~ 早く早くぅ~☆」
振り返る天使(♂)
だが……、なぜ上半身を裸体にしない!?
残念だが今日はおケツを堪能するしかないのだな。
「ああ……今行くよ」
覇気のない声で返事をしたせいか、ミハイルが立ち止まって、俺の胸を指で小突く。
「ねぇ、タクト? なんでそんな顔してんの?」
上目遣いで、グリグリと指を回す。
「あ、ああ……」
どうせ回すなら、もうちょっと左がいいです。乳首があるので……。
「ひょっとして、オレの水着のせい?」
頬を膨らませて、不服そうだ。
「いや、断じて違う。個人的な……そう小説のことを考えていた」
ちゃんと作品に、ヒロインの乳首の色を書かないとダメだもんね♪
「しょーせつ? あ、そっか。今日の旅行も取材なんだな☆」
急に態度を変え、目をキラキラと輝かせる。
「そ、その通りだ」
ヒロインの乳首を見たいという、ただの欲望だが。
「なら、オレも手伝うよ☆」
じゃあ、今すぐ裸になれ!
※
松乃井ホテルの敷地内になる別館。
通称、『波に乗れビーチ』
売りとしては、屋内に作られた南国風の海水浴場らしい。
二階の更衣室から出ると、ヤシの木に覆われたプールが目に入る。
「うわぁ~ 海みたい~☆」
身を乗り出して、下を眺めるミハイル。
「おい、危ないぞ」
と注意しつつ、俺は桃尻をガン見しているのだが。
一階には、波が出る大きなビーチ。
プールを囲むようにたくさんのデッキチェアが設置された。
まるで、ハワイに来たような感覚を覚える。
俺とミハイルはさっそく、一階に降りようと小走りで向かおうとした……その時だった。
「アアアッ! イッちまうぜ~!」
どこからか、男の叫び声が聞こえてきた。
二階にはフードコートがあるのだが、その隣りに小さなのぼりが立っている。
『ドクターフィッシュ ご利用できます! これであなたも美肌に!』
ビニール製のプールにタトゥー姿の男が、両脚を浸けている。
白目を向いて、口元からは泡を吹き出す。
確かにイッちゃてる……。
「あぁ~ お、俺りゃあの、か、角質が! 皮膚が!」
いや、解説せんでもいいよ。
というか、夜臼先輩がドクターフィッシュでリラクゼーションしているせいか、周りの人たちが怖がって、近づけない。
「パパ、あの人変だよ?」
「見ちゃダメだよ! あの人は絶対危ないお薬に手を出してる悪い人だからね!」
「あなた、早く通報しなさいよ!」
おいおい、人を見た目で判断しちゃダメですよ。
あの人はごく普通の一般市民ですので。
「アアアッ! こいつはキメちまいそうだな……」
彼の言い方はさておき、なんだか気持ちよさそうだ。
「なあ、タクト。太一がやってるのってなあに?」
「あれはドクターフィッシュって言うんだ。魚が人間の悪い所を食べてくれて、綺麗なお肌になれるらしいぞ」
「ホントか!? なら、オレもやってみたい!」
偉く乗り気だな。
「まあ、俺も未体験だし、やってみるか?」
「うん☆」
夜臼先輩の隣りにお邪魔する。
ビニールプールの中には、無数の小さな魚たちがうようよと泳いでいた。
俺たちが足を入れると、すぐに寄ってくる。
そして、小さな口で肌に触れる。
ちょっと、こそばゆいが、なんだか気持ちが良い。
「おう、お前らもコイツらでキメちまう気か?」
「ま、まあ俺たちやったことないんで……」
俺がそう言うと、夜臼先輩は不気味な笑みを浮かべた。
「琢人。コイツらよ。小さいガタイのくせして、ヤルことやっちまう奴らなんだぜ? 俺りゃあよ、アトピーが酷いんだが、コイツらに皮膚を食ってもらって、何度もイッちまったぜ……」
健康的に昇天されて何よりです。
「そ、そうなんですか……あれ、じゃあ夜臼先輩の身体中にある紫色のプツプツって……」
「おうよ! アトピーだ」
症状が良くないから、いつも健康に気を使われてたんですね。
「んっ、んんっ! あ、ああん!」
俺と夜臼先輩が雑談していると、左隣りから何やら女性の喘ぎ声が。
視線を隣りにやると、ミハイルが荒い息遣いで、頬を紅潮させていた。
時折、ビクッビクッと身体を震わせて。
「ミハイル? どうしたんだ?」
そう尋ねると、なにを思ったのか、俺に抱きつく。
「あ、ああん! こ、このお魚ちゃんたちが……はぁはぁ……止まんないよぉ!」
なんて声を出してんだ。
俺の腕にしがみついて、悶えている。
なるほど、ミハイルは感じやすいタイプなのか。
それにしても、エロい。
「ハハハッ! ミハイルも俺りゃあみたいにデリケートな肌なのかもな。たくさん、イッちまえよぉ。ツルツルお肌になれるぜぇ~」
あのさっきから、『イクイク』ってどこに行くんですか。
「大丈夫か、ミハイル? 出るか?」
「イヤッ……ま、まだ、入ってたいかも……く、くすぐったいけど……あああん! なんか、気持ちいい☆」
どうやら、ハマったようだ。
「あああん! す、すごいよぉ、タクト~! オレ、なんか頭が変になっちゃう~!」
たかだか、小魚どもで感じやがって。
ちょっとだけ、嫉妬を覚えちゃう。
「くっ! 俺りゃあもまたイッちまいそうだぜぇ~!」
そう言って、泡を吹くアトピー患者。
「はぁはぁ……すごく、いいよ。これぇ……」
変な声で喘いだり、騒いだりしている人たちに挟まれて、俺は一体どうしたらいいんでしょうか?
「タクトぉ~ この子たち、止まらないよぉ~ 気持ち良すぎるから、どうにかしてぇ~!」
このプールから出ればいいだけだよ。
ドクターフィッシュにより、ミハイルと夜臼先輩はその後も何回も『脳イキ』しまくっていた。
俺は肌がツルツルになって満足。
ミハイルは終わってもまだ、頬が赤い。
「ハァハァ……なんか変な気分だったけど、気持ち良かったぁ☆」
エロい魚だと誤認するなよ。
かわいそうだろう。
夜臼先輩はまだ残ると言っていたので、俺とミハイルは二階から階段で降りて、プールに向かう。
ビーチという表現が正しく、押しては返す白い波が目に入る。
プールサイドで、競泳水着を着たひとりの少女がいた。
巨乳の眼鏡っ子。
北神 ほのかだ。
泳ぐわけでもなく、大きなタブレットを片手に、何やら絵を描いている。
「うひひっ! 尊いでぇ~ ここには素材になるショタも豊富や~ あ、でも、あのキモデブおじさんもヒロインに使えそう~ ひゃっひゃっ!」
と、涎を垂らして、近くにいた親子をガン見している。
右手は、ペンを激しく揺らせて……。
「おい……ほのか、せっかくプールなんだから、泳いだらどうだ?」
すかさず、声をかける。
犯罪になりかねないので。
「あ、琢人くん! こんなにショタがいっぱい見れる機会ないから、これで絡めまくることができるわ!」
目が血走って怖いです。
そこにミハイルが、割って入る。
「ねぇ、ほのか。絡めるってなあに? さっきから、なに書いてんの?」
ミハイルが尋ねると、ほのかはニヤァと怪しく微笑む。
「観たいの~? ミハイルくんも~? 仕方ないなぁ~ 見せてあげるぅ」
頼んでもないのに、液晶画面をこちらに向けた。
「うえっ!」
俺たちのすぐ近くで、ビーチボールを楽しむ親子連れを、エロマンガにしていた。
『おじさん、らめぇ!』
『いいじゃないか……僕は君みたいな少年が大好きでねぇ。もう止まらないよ』
『あぁん! おじさん、好き好き~! もっともっとぉ!』
「どう! 琢人くん!? これ、今度、編集部に持っていこうと思うの! 採用されたら、私もこれで晴れて商業デビューね♪」
悪びれる様子は一切ない。
もうこの人、病院に連れていくべきでは?
「あのな……せめて、帰ってから描けよ。あの親御さんにバレたらどうする気だ?」
「別によくない? だってほら、あの子も作品みたいなこと言っているよ」
ほのかが指差すので、振り返る。
「パパァ~ ボール遊び楽しいねぇ~ パパのこと大好き!」
「そうだなぁ。パパも大好きだよぉ」
「……」
好きの意味が違う!
「頭痛くなってきた……」
俺がそうぼやくと、ミハイルは対照的に、じーっと黙って液晶画面を見つめる。
「うーん、男の子の方は上手く描けてる気がするけどぉ。おっさんの方がなんか、あんまりかな?」
それを聞いて、ほのかが鼻息を荒くする。
「え? どこが!?」
「オレには絵とかよくわかんないけど……ほら、あのモデルになってる人って、もっとすね毛とかヒゲとかさ、毛深いじゃん。ほのかが描いているおっさんは、ちょっとキレイすぎるんじゃない?」
モデルを目の前に、酷いことをサラッと抜かすミハイル編集長。
「なるほど! ヒロインはちゃんと忠実に描かないとね! ありがとう、ミハイルくん!」
「いや、オレなんかで、ほのかの漫画のお手伝いになれるなんて……エヘヘ」
「謙遜は良くないよ、ミハイルくん。フフフ」
全然笑いごとじゃない。
※
変態女先生は、放っておいて、俺たちはさっそくプールに入ることにした。
「キャッ! つめた~い!」
と悲鳴をあげるが、ミハイルの顔は嬉しそうだ。
「確かに冷たいが、楽しいな」
「うん☆ これでもうオレたち二回目のプールだもんな☆」
「え……?」
設定、設定忘れているよ! ミハイルさん!
この前はアンナモードだったじゃん。
「え……あ! い、いや、初めてだったよな☆ なんか、この前アンナがさ。タクトとプール行ったって聞いたから、それで間違えたみたい…ハハハッ」
笑ってごまかす女装癖のヤンキー。
「そ、そうか……まあ、奥まで行ってみようぜ」
「うん☆」
プールの波は一定の間を置いて、発生する。
30分に一回、特に激しい波が押し寄せてくる。
あまりに強い波なので、アナウンスで「小さなお子さんは離れてください」と注意されるぐらいだ。
まあ成長した俺とミハイルなら、大丈夫だろう。
どんどん、奥へ奥へと進む。
次第と波が深くなっていき、水が胸元まで浸かるほどだ。
「うわっ! けっこう、深いじゃん」
俺が胸元まで浸かるぐらいの深さだから、低身長のミハイルは水面から首を出すのがやっとだ。
「あんまり、無茶するなよ。ミハイル」
「大丈夫だよ☆ オレってタクトと違って運動しんけー良いからさ☆」
あーそうですか。
その時だった。
背後から、叫び声が聞こえてくる。
「ヒャッハー! いい波だぜぇ~!」
迫りくる超ど級の巨乳、ブルンブルンと左右に暴れまくっている。
今時珍しいハイレグのビキニを着ているビッチ、宗像 蘭。
サーフィンボードに両脚を乗せ、波の動きに合わせて、上手い事進んでいる。
海にいるヤンキーじゃん。
しかも、片手にハイボール缶を掴んでいた。
「どけどけぇ~ 今日はいい風じゃないかぁ!」
この波、人工で作られているんですけどねぇ。
教師のくせして、プールの禁止事項を全部破っている。
「ヒャッハ~!」
奇声をあげてどこかに行ってしまった。
嵐のようなクソビッチ。
「まったく、宗像先生にも困ったものだな……。なぁ、ミハイル」
隣りを見ると、そこには誰もいなかった。
「ミハイル? どこだ?」
はっ、まさか!
水中に潜って見ると、足をバタバタさせて苦しそうにもがく彼の姿を確認できた。
俺はすぐに泳いで、ミハイルを救いに行く。
抱きあげて、水中から出してやると……。
「ぷっは! ハァハァ……ごめん。溺れちゃったみたい」
「いや、俺は構わんが、ミハイルは大丈夫か? 水を飲んだか?」
心配で彼の顔を覗き込む。
水の中で暴れたせいか、結っていた長い髪がほどけている。
濡れた小さな薄い唇、キラキラと輝くエメラルドグリーンの瞳、頬を伝う雫。
どこか色っぽい。
「あ、ありがと……そのちょっとだけ飲んじゃったけど、オレは大丈夫」
頬を赤くする。
「そうか。ここは深いから浅いところまで戻ろう。それまで、俺にしっかり掴まっていろよ」
「う、うん」
俺は男のミハイルをお姫様抱っこで、波と同じ方向にゆっくり歩く。
抱きかかえられた彼は、顔を真っ赤にして黙り込む。
細い両腕を俺の首に回し、俯いている。
当の俺はと言えば、桃のような丸くて小さなお尻を手の甲で楽しむ。
股間がパンパンになり、激痛を覚える。
あれ……なんかデジャブを感じるのは、俺だけでしょうか?
波のプールで溺れたミハイルを、お姫様抱っこしてから、なんかギクシャクしてしまう。
二人して、ビーチの隅で体操座りする。
ボーッと放心状態で、宗像先生や千鳥、花鶴がプールではしゃいでる姿を、眺めていた。
というか、俺の場合は、股間が直立しちゃったから、動けないんだけどね♪
ミハイルといえば、頬を赤らめて、視線を下にやっている。
結局、その後も俺たちはプールで遊ぶことはなく、「そろそろ、あがるか」と更衣室に戻ってしまった。
更衣室の入口付近に、シャワールームが設置されていたので、俺はそのまま、身体を洗うことにした。
ミハイルはなぜか、「オレは自分の部屋で洗うから」と、一人ホテルに戻ってしまった。
なんでだろう? 裸になるのが恥ずかしいのか。
それを言ったら、このあとの温泉とか大浴場はどうする気だ?
身体と頭を洗い終えると、ムキムキのハゲマッチョに声をかけられる。
「タクオ! プール、楽しかったよな!」
「ああ……まあ、それなりに、な……」
股間くんはすごく楽しかったと言っています。
「てかよ、ミハイルと一緒にいたんじゃねーの?」
「さっきまでいたが、なんか先に部屋に戻ると言ってたぞ」
「ふーん。あ、タクオさ、水着は後で使うから、あそこにある脱水機を使って乾かしておけよな」
「何に使うんだ?」
「この『波に乗れビーチ』の上に、混浴温泉『クーパーガーデン』があんだよ」
なん…だと!?
「混浴だってぇ!? そ、それは本当か?」
興奮するあまり、千鳥に迫る。
「お、落ち着けよ。タクオ……混浴っても、水着で入るんだよ。だから、いるんじゃねーか」
チッ、クソみてーな温泉だな。
一気にテンションが下がる俺氏。
「なるほど。了解した。じゃあ、水着は乾かしておこう」
脱水機で、水着を乾かしている間、俺はロッカーを開く。
入れていたタケノブルーのTシャツは汗臭い、ジーパンも湿っている。
せっかく、シャワーで綺麗な身体になったというのに、これをまた着るのは、げんなりするな。
そう思っていると、近くのカウンターで立っていた男性スタッフから声をかけられる。
「あ、お客様! バスタオルと浴衣を無料でお貸しておりますよ」
助かったと俺は安堵する。
スタッフから、Mサイズの浴衣とバスタオルを受け取り、ロッカーで着替えをすます。
と思いたかったが……。
下着が問題だ。
ブリーフも汗まみれ。
ならば、選択は一つしかない。
アラサー痴女教師、宗像 蘭から借りたTバックを履くしかない。
覚悟を決めろ、琢人よ!
紫のレースのパンティーだが、履いてみたら、案外ダンディーな男に見えなくもない……気がする。
宗像先生が普段、履いている下着を広げて、俺の脚に『穴』を通していく。
両方埋まったところで、グイーッと股間にフィットさせる。
ふむ、サイズ的には問題なしだ。
ケツがスースーするが、案外いいもんだな。
一つ、気持ち悪いとするならば、前面から俺のヘアーが、もじゃもじゃとはみ出ているところか。
浴衣で隠せば、問題ない。
「よし、俺もホテルに戻るかぁ……」
なんだか、女の子の気持ちがわかってきちゃったかも。
※
ホテルに戻ると、腹の音が鳴る。
もう夕方の6時だ。
腹も減る頃合いか。
そう言えば、宗像先生が言ってたな。
一階にある食堂に集まれって……。
食堂に向かうと、もう既にみんな集まっていた。
バイキング形式で、好きな食べ物を自分で取って良いようだ。
「これはなかなかに豪勢だな」
ハンバーグ、刺身、ステーキ、天ぷら、カニ、カレー、ピザ……なんでもありだ。
よし、いざ実食!
トレーを持って、料理を取ろうとした瞬間だった。
華奢な白い腕が俺を静止させる。
「待ってたよ☆ タクト!」
浴衣姿のミハイル。
しっかり帯を巻けていないのか、襟元が随分、はだけている。
上から見ると、もうすぐ乳首が見えちゃいそう……。
サイズもあってないようで、かなり大きい浴衣を着ているようだ。
上前と下前が、左右に開けている。
彼が嬉しそうにぴょこぴょこ動く度、グリーンのボクサーブリーフが、チラチラと見えてしまう。
男装時は、防御力が低すぎんだよな……。
生唾を飲み込んでしまう。
「ねぇ、聞いている? タクト?」
潤んだ瞳が、一段と輝いて見えた。
「あぁ……なんだっけ?」
お前の浴衣姿に見惚れていた……なんて、言えるわけないだろう。
「も~う! だから、言ってるじゃん! タクトの夜ご飯は、オレが作ってきたから、バイキングする必要ないよ☆」
「は?」
「バイキングってさ、選んでテーブル戻っての繰り返しじゃん。疲れるじゃん。なら、最初から豪華な料理を、ダチのオレが作ってきたんだ☆ えっへん!」
ない胸をはるな!
そして、俺はそんなこと頼んでもないぞ!
バイキングしたいのに!
「ほら、こっちに来てきて! もうちゃんとテーブルに用意しているから☆」
そう言って、強引に手を引っ張られる。
俺の拒否権はないんですね。
ミハイルに連れてこられたテーブルは、大人が6人ぐらい座れる巨大なテーブル。
「こ、これは……」
見たこともないぐらいの、豪華な料理がずらーっと並んでいた。
伊勢エビのマスタード焼き、鯛の活け造り、ふかひれスープ、極厚ステーキ、フルーツの盛り合わせ、おまけに、パティスリーKOGAの名前が刻まれたケーキが10個以上……。
れ、レベチィ~っ!?
しかも、テーブルの上には、ネームプレートが置かれており、
『新宮様、古賀様。貸し切り』
と、予約されていたようだ。
蝶ネクタイをつけた品格のあるウェイターが、俺の前に現れる。
「ご予約されていた新宮様と古賀様ですね……こちらの席へどうぞ」
「は、はい……」
貫禄が違う。
思わず敬語になってしまった。
「タクト。これオレが全部、作ったんだゾ☆ すごいだろ!」
「ああ……」
もう、ドン引きしています。
席に二人して座る。ピッタリ並んで。
すかさず、ウェイターが俺の前にメニューを差し出す。
「新宮様、本日のおすすめは、白ワインの10年ものです……」
「はぁっ!?」
思わず、アホな声が出てしまう。
俺、未成年なんだけど。
「タクト、心配しなくてもオレが用意したノンアルコールのジュースだゾ☆」
「そ、そうか……なら、それをください」
「かしこまりました。少々お待ちください。古賀様も同じものでよろしかったですね?」
「うん、グラスも二つお願いね☆」
「承知いたしました」
一礼すると、ささっと静かに調理場へと戻っていった。
てか、何様なの? ミハイルって。
「なあこの根回しは……ミハイルがしたのか?」
「そうだよ☆ ここのホテルにねーちゃんがケーキとか卸してるから、ゆーづうがきくんだ☆」
ヴィクトリア、強し。
「なるほど……」
「そんなことより、早くオレの作った料理食べてよ☆」
「ああ、いただきます」
「どーぞ☆ 残さないで食べてくれよな☆ 徹夜して作ったんだから☆」
めっちゃ笑顔で俺の顔を覗き込んでいるんだけど。
脅しに聞こえます。
このあと、俺は死ぬ思いで、ミハイルのフルコースを一人で食べることになった。
彼と言えば、ジュース以外はホテルのバイキングを食べていた。
ミハイル曰く、
「タクトのために作った料理だから、オレは食べなくていいよ」
「食べるところとか、味の感想を聞きたい☆」
と言って、一緒に食べてくれなかった。
吐きそう……。
夕食を腹いっぱい食べた……というか、ミハイルに無理やり食わされたのだが。
吐き気を感じながら、一旦、ホテルの部屋に戻ることにした。
エレベーターで、ミハイルと別れを告げて。
部屋には、今晩一緒に過ごすことになっている千鳥 力がいた。
テレビをつけて、ソファーの上でゲラゲラ笑っている。
「よう、タクオ! ホテルのバイキング、超豪華だったよな! 俺なんか、一生分ぐらい食っちまったかもしれんぜ? もう腹がパンパンだ」
そう言って、自身のポッコリと出た腹をさする。
「そ、そうか……よかったな。俺も豪華すぎる料理を死ぬぐらい食べてきたよ……」
これ以上、喋ると吐きそう。
「ふーん。タクオって結構大食いなんだな」
違います。あなたのお友達に、無理やり食べさせられたんです!
※
一時間ほど、ベッドで寝込んでいた。
と言っても何回もトイレを往復していたので、身体は休めていない。
ようやく、身体が身軽になったころ、千鳥が声をかけてきた。
「なぁ、タクオ。ぼちぼち、『クーパーガーデン』に行こうぜ。今夜は花火もあがるらしいぞ♪」
「へ、へぇ……」
力なく答える。
「元気だせよ、混浴温泉だぞ?」
ヘラヘラ笑って、いやらしい。
だが、事前情報として、全員水着着用と知っているので、俺はなんとも思わん。
「さっきの、プールと変わらんだろう」
俺がそう言うと、千鳥は不敵な笑みを浮かべる。
「わかってねぇな。だから、タクオは一生童貞なんだよ」
「は?」
ガチでキレそうになった。
「あのな、夜景のキレイなプールとか、海とかはよ……ヤレちゃうんだぜ?」
ファッ!?
「な、なにを言っているんだ、千鳥?」
「女ってのはさ。星空とか、夜景とか、非日常的な光景に弱いもんなのよ。俺が小学生の頃さ、夜に近所の海岸へ遊びに行ったらさ……真面目そうなカップルが、暗いことをいいことに『アンアン』してたんだよっ!」
鼻息荒くして、俺の両肩を掴み、強く前後に揺さぶる。
「だ、だるほどぉ~」
振動で声が震える。
「だから、俺も今日にかけるぜ! ほのかちゃん、落としたいからよっ!」
そこで、ピタッと動きが止まる。
「え……?」
なんか、今さらっと、大事なお話をされたような気が。
千鳥はキランと輝くスキンヘッドを真っ赤にさせて、人差し指で鼻をこすっている。
「二度も言わせなんよ……俺、ほのかちゃんに告白しようと思っててよ」
俺は耳を疑う。
「なぁ、千鳥。お前、俺をおちょくってんのか? ほのかって、同じクラスの……アレのことか?」
汚物のような表現をしてしまった。
「ほのかちゃんったら、北神 ほのかちゃんしか、いねーだろ!」
胸ぐら掴まれて、睨みつける千鳥。
ん~ 確かに、今の彼は凄みを感じる。ヤンキーとして。
だが、キレている原因が、あの腐女子で変態の北神 ほのかなんだもん。
思わず、失笑してしまう。
「ブフッ!」
俺の唾を真正面から食らう千鳥。
「きったねぇな! 俺、マジなんだぜ……今回の旅行にかけてんだ!」
ハゲのおっさんでも、泣きそうな時ってあるんすね。
なんだか、かわいそうになってきた。
「そ、そうだったのか……てっきり、千鳥は、花鶴と付き合っていると思い込んでいたよ」
いつもバイクで二人乗りしているし、ていうか、基本セットで歩いているから。
俺がそう言うと、また顔を真っ赤にして激怒する。
「んなわけねーだろ! ここあとは、ガキからの腐れ縁で、ああいうビッチな女は苦手だよ……」
おいおい、ダチのくせして、ビッチ呼ばわりかよ。
花鶴、ちょっとかわいそう。
「な、なるほど。ちなみに、興味本位で聞くのだが、ほのかの、どういうところが好きなんだ?」
千鳥は照れくさそうに答える。
「ほのかちゃんってさ。なんか、一見すると、大人しそうな普通の女子高生じゃん? でもさ、時折見せるギャップ萌えってやつ? あれがすごくカワイイんだよ……バカなこと言わすなよ、タクオ」
言いながら、めっちゃ嬉しそう。
そして、自分のことのように、ほのかを絶賛している。
「ギャップて、どういうところだ?」
「なんかさ、ほのかちゃんって……普段、隠しているみたいだけど、本当は芯の強い女の子だと思うんだよ。俺にはまだよくわからないけど、ほのかちゃんの真っすぐな姿勢が見えた時、すげぇなって、感じたりしてて」
ちょっと、俺の脳内がフリーズしている。
わけがわからん。
どうやったら、あの変態が芯の強い女性なのだろうか。
「なあ……千鳥、お前マジで言ってるのか?」
「当たり前だろ! タクオがマブダチだから、相談してんじゃん!」
あ、これ恋愛相談だったんだ……カウンセリングかと思った。
「なるほどなぁ」
いつも、ほのかに優しく接していると思っていたが、まさかこんなにも片思いしちゃってるなんてな。
千鳥には悪いが、めっちゃ草生える。
「マブダチと言ったな? なら、俺も今日からお前への認識を改めよう。ダチの恋愛相談だ。しっかりと俺も応援させてもらうっ!」
この際だから、めんどくさい腐女子のほのかを、千鳥に押しつけよっと♪
「マジかっ!? サンキュな、タクオ」
そう言って、俺の両腕を掴む千鳥。
「ああ、絶対にっ! この恋愛を成就させよう、千鳥! いや、今日からリキと言わせてもらおうっ!」
「タクオ~! お前は今まで出会ったダチの中で、一番いいヤツだぁ!」
何を思ったのか、急に俺を抱きしめるリキ。
痛い痛いっ!
ミハイルに負けず劣らずの馬鹿力だ。
しかも、可愛らしいミハイルとは違い、見た目がゴツいハゲのおっさんに抱きしめられるとか、どんな拷問だよ。
その時だった。
「タクト~☆ なにやってんだよ、ずっと廊下で待ってたの、に……?」
気がつくと目の前に、浴衣姿の天使こと、ミハイルきゅんが立っていた。
太い両腕で背中を抱きしめられる俺を見て、絶句している。
「なに、やってんの……タクト?」
この世の終わりのような、絶望した顔で俺たちを凝視している。
「み、ミハイル。違うぞ? 今、リキの相談を受けていてだな……」
しどろもどろに言い訳をする。
「うわぁん! タクオ、俺さ。お前と今晩、一緒になれたことを……一生の思い出にするぜ!」
号泣して更に俺の身体を引き寄せるリキ。
本人はそんな気はないのだろうが、興奮しているせいか、俺の尻に右手が回っていた。
「リキ……ミハイルの前だ。堪えてくれ」
俺の声は泣き声でかき消される。
「タクオぉ! 好きだ、マジで感謝してるぜ!」
ミハイルは一連の行動を見て、引きつった顔をしている。
「タクトが『リキ』って言ってる……それに、リキもタクトのこと、好きだったの……?」
誤解ってレベルじゃねー!
マジで、俺とリキがホモダチになっちまうよぉ!
「ミハイル? これは違うからな? ダチ同士のスキンシップってやつだ」
「オレとも、したことないのに?」
冷えきった声で、睨みつけてきた。
「いや、それは……」
「タクトのバカッ! アンナに言いつけてやるからな! もう知らない! オレは先に温泉行ってるから。ゆっくり、マ・ブ・ダ・チのリキと来れば!? フンッ!」
バタンッ! と扉を閉める音が、部屋に響き渡る。
「タクトぉ、マジで好きだぜぇ!」
「あ、そう……俺もだよ。ダチとしてな」
こうして、俺と千鳥は兄弟よりも深い絆を結んだのであった。
その代償としてなにかを失った気がする。