次の日、アンナに指示された時刻の博多行き列車に乗り込む。
 指定されたのは三両目の車内だ。
 彼女は小倉よりの席内駅から乗っているので、既に車内でこちらに手を振っていた。
 満面の笑みで。

 女装しているアンナは相変わらず、本物の女よりも女らしく、周りの男たちが皆振りかってしまうほどの可愛さだ。
 今日のファッションも一段と気合が入っている。
 ピンク地のブラウスを着ていて、胸元には大きな白いリボン。
 また袖が肩からシースルーになっていて、彼女の素肌が拝める。
 ボトムスもいつもより丈がかなり短いプリーツの入ったミニスカート。
 足もとは真夏仕様となっていて、ヒールの高いリボンがついたサンダル。

 くっ! 水着を着る前に俺を殺す気かっ!

 頬が熱くなるのを感じると、なんとなく咳払いをする。

「おっ、おほん! よう、アンナ」
「おはよう☆ タッくん!」

 車内に乗車していた男子が一斉に俺を睨んだ。

「んだよ、あいつが彼氏とかマジねーわ!」
「クソッ! 暑い日にイチャつくなよ……」
「やだぁ、ボクはあの子のお尻とってもキュートに感じちゃう♪」

 え……? 俺のこと?


 ま、こいつらアンナの正体を知ったら、みんな怖がったり、逃げ去ったりするんだろ?
 悪いが、彼女は俺の大事な取材対象だ。
 お前らにはやらんよ。
 あれ、ちょっとリア充を楽しめてないか? 俺って……。
 いやいや、アンナは男だぞ。ノーカウントだ、琢人。

「どうしたの、タッくん☆」
 気がつけば俺の懐に入り、上目遣いで攻撃してきやがる。
 キラキラと輝くグリーンアイズがまぶしい。
「あ、いや……今日の服も似合っているな」
 なんとなく、視線を逸らす。
 俺が女装男子にベタ惚れしている……とか、見透かされている気がして。
「ホント? うれしぃ☆ 今日のために水着と一緒に買っておいたんだ☆」
「そう、なのか?」
 確かに言われたら、こいつ。毎回取材の時の服が違うよな。
 気になったので、質問してみた。

「なあ、いつもどこで買っているんだ?」
「えっとね……アンナはだいたいネットで買うかな。ポチポチって……スマホで☆」
 だよな。ミハイルくんがレディースファッション店にウキウキショッピングして、試着室に入る度胸ないよね。
「なるほどな……」
「でも、今日着る水着はちゃんとお店に行って買ったよ☆ だって水着だもん☆」
 ファッ!?
「えぇ……つ、つまり試着したのか?」
「うん、もちろんだよ☆」
 女の子たちと一緒に? ヤバくない?
 犯罪でしょ。
 だが、彼女は悪びれる様子もない。

「ネットで良くないか?」
「ダメだよぉ。水着は服と違うから、ちゃんとバストとかヒップとか、ジャストサイズじゃないとイヤ。それにパッドも合うやつ使わないと可愛くなれないもん」
 なに、本気出してんのさ。
「まあ男の俺にはよくわからんな……」
 ってあなたも男だろ!

 怖くなったので、この話はこれで終わりにしておいた。
 

   ※

 俺たちが向かう海の中道海浜公園は、地元の真島より二駅、博多よりの梶木駅で一旦降りる。
 そして、ホームを移動して、『海の中道線』というローカル線に乗り換えた。
 線路は単線で、車窓から見える風景も都心部から田舎へとガラッと変わってしまう。
 
 心なしか、先ほどまで乗っていた鹿児島線の車両より、揺れが強く感じる。
 経営が逼迫しているのでは? と心配になるが、そうでもない。
 車内は若者でごった返している。
 みんな軽装に、ビニールバッグを手にしているから、プール開きが目的なのだろう。

「楽しみだね、タッくん☆」
「ああ、プールなんて10年ぶりぐらいかな……」
「そうなの?」
「うむ、俺は親父にレスキュー活動の練習とこじつけされては、深い大人用のプールにぶちこまれていたからな。それ以来、ちょっとプールがトラウマなんだ」
 マジで水怖い時ある。
「そうなんだ……じゃあ、嫌だった? 今日のこと」
 涙を浮かべるアンナ。
「いや、今日は違うよ。純粋に楽しみにしていたさ」
 なんてたって、初めての水着姿を拝めるんだから。
 スマホの容量もしっかり空けておいたし、防水ケースもネットで購入。
 ついでに、三脚付きの自撮り棒まで買っておいたから、水中でアンナの色んなポーズを資料用として保管可能だぜ。

「じゃあ、今日がタッくんのほぼ‟初めて”のプールになるのかな?」
「ふむ。まあそうじゃないか? 親父たちと行っても遊んでた記憶ないから」
 トラウマだからね。
「アンナとのプールが初めてなんだ。うれしい……」
 頬を赤くして、今日はローカル車両の床ちゃんがお友達か。
 ところで、なにがうれしいの?


   ※

 電車が海の中道駅に着く。
 すると、若者は一斉に電車を飛び降りて、走り去っていく。
 ギャーギャー騒ぎながら、日差しの強いアスファルトを元気に飛び跳ねていた。
 なぜ人は海やプールが近いとこんなにもテンションが上がるというか、バカになるのだろうか?
 そう思いながら、ため息をもらす。

 駅を出ると、すぐに海の中道海浜公園の入口だ。JRと直結している。
 公園のスタッフが立っていて、声をかけられる。

「プールですか?」
「あ、はい。そうっす」
「じゃあ、こちらで料金いただきますね。公園は使用されませんよね?」
「はい、プールのみです」
 こんな暑い日に、誰がだだっ広いお花畑を見に行くというのか……。
「学生さんですか?」
「あ、高校生とむしょ……じゃなかった大人がひとりっす」
 俺がそう伝えると、アンナは少し落ち込んでいた。
 いや、もちろんアンナの中身は高校生で間違っていないのだが、彼女が最初に無職と設定してしまったので、嘘を貫き通すしかないのである。
 高い嘘になってしまうな。

 チケットをもらうと、近くにバスが待機していた。

 黒く焼けた中年のおじさんが、手を振る。

「アインアインプールをご利用の方はこちらにお乗りくださーい! お金は取りません。プールのチケット代に含まれております」

 海の中道海浜公園は、260ヘクタール以上もある巨大な国営公園である。
 そのため、アインアインプールに移動するのに、炎天下の中、歩いて向かうのは、地獄だ。
 熱中症で倒れないようにと、園の粋な計らいだ。
 エアコン付きのバスは最高だからな。

 バスに入ると、既に何人かの若者は、浮き輪を膨らませていた。
 気が早いな。

 それを見たアンナが俺に言う。
「あ、アンナもバナナの浮き輪持ってきたの☆ 今のうちに膨らませおこ☆」
 彼女はかごバッグから、ビニール製の浮き輪を取り出した。
 かなり大きい。
「ふぅ~ ふぅ~」
 顔を真っ赤にして、透明の空気栓に小さな唇を当てる。
「はぁはぁ……けっこう、おっきいもんねぇ。このバナナ……」
 火照った顔で息を荒くする。細い首からは一粒の汗のしずくが流れた。
 どこか、色っぽく感じる。
 だが見ていて、かなりしんどそうだ。
 ここは男の俺が、手を貸してあげよう。

「貸してみろ。一人じゃ無理だろう」
「うん☆ こういうのは男の子が得意だもんね☆」
 あれ? 僕も君も男だったよね……?


 浮き輪を渡されて、あることに気がついた。
 空気栓にベッタリと残されたアンナの口紅。
「ごくり……」
 こ、これは、いわゆる間接キッスというやつでは?
 しかもよく見れば、彼女の残した唾液がキラリと光って見える。
 ディープ間接キッスだ!

「どうしたの、タッくん? ひょっとして、喘息持ちとか?」
「いや、違う。任せろ、俺は至って健康体だ。肺活量も自信がある」

 俺は深く息を吸うと、赤く染まった空気栓に口づけ。
 浮き輪の中に、空気を入れると見せかけて、ついでにアンナの唾液も口紅もゲットだぜ!

 その後、俺は同様の行為をバスがプールにたどり着くまで、何度も何度も繰り返した。
 いや、楽しんだというべきか……。
 終わるころには、チアノーゼを発症しており、意識が遠のいてしまうほどである。
 だが、それぐらい甘くていい香りを堪能できたので、これはこれで最高でした。

「さ、タッくん。プールに入ろ☆」
「ああ……」

 俺は今日、酸欠で死んでしまうかもな。