気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 無事にというか、今回は男子が優遇されて筆記試験は終了。
 お昼ごはんの時間になった。

 千鳥や花鶴は弁当を持ってきていないので、学校近くの飲食店までバイクに乗って向かうらしい。
 それを走って追っかける一匹の豚じゃなかったトマトさん。
 文字通り、花鶴の尻をエサにしてブヒブヒ言いながら、喜んでいた。


 教室に残った男子は俺とミハイルのみ。
 他には北神 ほのかなどの大人しい女子たちが弁当を各々机の上に取り出す。
 もちろん、俺もミハイルも弁当のフタを開ける。

「いただきますっ」
 手を合わせて、お百姓様に感謝する。

 そこを白い華奢な細い手が止めに入った。
 ミハイルだ。

「ちょっと待って!」
 頬を膨らませて、睨んでいる。
「どうした?」
「お弁当、交換する約束じゃん!」
「え……」
「前はしただろ。オレ、タクトのためにちゃんと弁当作ったんだから! こう・かん!」
 子供のようにすねる。
 交換ていうか、ほぼ強要だよね。
 お目当ては俺のたまご焼きだろう、どうせ。
「わかったわかった、ほれ……」
 言われて仕方なく互いの弁当を交換する。


 ミハイルが用意してくれた弁当を手に持つと、ずっしりと重みを感じる。
「な、なにが入ってんだ……」
 恐る恐る弁当箱のフタを開いてみると、そこには色とりどりの旨そうなおかずがぎっしり。
 巨大なハートの形をしたハンバーグ、星の形をしたポテト、スパゲッティ、タコさんウインナー、そして白飯が詰められていたのだが、桜でんぶで文字が書かれており……。
『せかいで一人だけのダチへ☆』
 なにこれ……。
 俺って、生涯でミハイルしかダチを作っちゃいけないってこと?

 ふと、隣りを見れば、俺が焼いたたまご焼きを嬉しそうに頬張るミハイルが。
「んぐっ……んぐっ……ぷっはぁ……はぁ、おいし☆」
 相変わらずのエロい咀嚼音だ。
 ま、いっかととりあえず、俺も彼の作った愛妻弁当ならぬマブダチ弁当を頂くのであった。


   ※

 昼食を終え、午後の体育まで少し時間が余った。
 俺とミハイルが、何気ない話で時間を潰していると、急に教室の扉が勢いよく開いた。
 弁当を持参してくる連中は俺たち以外、みんな大人しい。
 だから、全員ビクっとした。

「おぉ? なんだっ、こんだけかよぉ」

 目に入ったのはその奇抜なファッションだった。
 レザーベストを素肌に着て、両腕には龍と虎のタトゥー。
 それから髑髏の刺繍が入ったハーフパンツにサンダル。
 頭はストライプ状に刈りあげた坊主。
 酷くやつれていて、目の下には大きなクマ。
 ギラギラした目つきで、見るからにヤバそうな人間だと、俺でもわかる。
 こいつはきっと薬中だ……。
 いかん、ミハイルを守らないと!

「ちっ、これじゃ。あんまり売れないねぇなぁ……」

 やはりシャブを売る気だな。
 俺は机の上で小さく拳を作った。

「ねぇ、琢人くん」
 ほのかが俺に耳打ちする。
「どうした、ほのか……あいつを知っているのか?」
「噂だけど……なんか最近まで留置場に入っていた夜臼(やうす)先輩じゃないかな」
 なん、だと!?
「つまり犯罪を犯して、お巡りさんのお世話になっていたというのか?」
 一ツ橋高校は確かにヤンキーみたいな連中が多いが、ここまでヤバい人、しかもムショあがりのヤツなんて聞いたことない。
「あくまでも噂だけどね。『夜臼先輩だけはヤバい』って千鳥くんも言ってたよ」
「あの千鳥がビビるような相手か?」
「うん……目を合わせないほうがいいかも」
「そうだな」
 俺とほのかは、互いに頷きあい、夜臼先輩から視線をそらす。


「お~い、てめぇら。俺りゃあよ、夜臼 太一(やうす たいち)ってもんだけどよぉ……」
 自己紹介を始めたよ……早く教室から出ていけ。

「へぇ、太一ってんだ。オレはミハイル。よろしくな☆」
 机の上で、顎に手をつきながら、フランクに話しかけるミハイルちゃん。
 怖いもの知らずだな。
「おう、ミハイルってのか……へへん、良い態度じゃねーか」
 不敵な笑みを浮かべる夜臼先輩。

「ちょっ! ミハイル、やめとけ!」
 俺は必死に彼をとめようとするが、当の本人は「なんのこと?」と言って悪びれることもしない。
 むしろ夜臼先輩に興味津々のようだ。

「こらぁ! てめぇ……なにコソコソ喋ってやがんだ、オイッ!」
 そう言って俺を睨めつける。
 気がつけば、舌をなめまわしながら、こっちにグイグイ近寄ってきた。

「お、俺のことですか?」
 恐怖から背筋がピンとなる。
 ヤベェよ、薬中とか急に包丁とか出してくるんじゃないか?
 死にたくない。
「おめぇ……名前なんてーんだよ?」
 喋りたくねぇ。
 俺が躊躇していると、隣りにいたミハイルが勝手に紹介し始めた。
「太一、こいつはオレのマブダチでタクトっていうんだよ☆」
 こんな時でさえ、ミハイルは満面の笑顔で応対。
「へぇ……琢人っていうのか。教えてくれてありがとよ、ミハイル」
「別にいーって、太一もこの学校の生徒なんだろ? 気にすんなよ」
 だからなんでそんなに社交的なの?
 怖くないの?
 どう見ても、年上に見えるよ。

 怖くなって、ほのかの方を見たが、彼女は他人のふりをしていた。


「なぁ、琢人。おめぇよ、いいもん買わねーか?」
 キタキタ! これ、絶対白い粉のやつだ。
「な、な、なにを買うんですか……」
 生きた心地がしない。
「何をって、おめぇ、野暮なこと聞くんじゃねーよ。そいつを一回でも味わってみろ。もう病みつきだ。そのせいで、俺りゃあよ、この前サツにパクられちまって大変だったぜ。ま、蘭ちゃんがサツにかけあってくれたから、早めにシャバに出れたけどよ」
 超ヤバいやつじゃん。しかもよく見ると、夜臼先輩の首筋や腕には、紫色の小さなアザみたいプツプツが、そこらじゅうにある。
 重症のジャンキー野郎だ……。
 生唾を飲み込む。


「ら、蘭ちゃんって……宗像先生と年が近いんすか?」
 恐る恐る聞いてみた。
「バカ野郎、俺りゃあ、もう今年で36だぞ。蘭ちゃんの方が年下だよ。いい女だよな、あの先生」
 めっちゃ笑ってる。
 下から見てるせいか、超悪い顔に見える。
 ヤベッ、宗像先生がヤラれちゃうかも……。
「そうだったんすね……」
「まあな、つまらねー話だよ。俺りゃあこの商売でしか生きていけないんだからさ。しみったれた話は終わりにしてよ、今日は極上のブツを手に入れたんだ……なあ、琢人。おめぇになら、初回のみタダで味わせてやるぜ? ヘヘヘッ……ま、蘭ちゃんには内緒でよ」
 俺をシャブ中にする気か!
 嫌だ、それだけは断固として断る!
 そんなアングラ取材は、某闇金マンガで勉強しているので、間に合ってます。

「いや、いらないっす……」
 震えた声でそう言うと、夜臼先輩は顔を真っ赤にして激怒した。
「んだと! 琢人、てめぇ……俺りゃあの好意を受け取れねーってか? 今回だけ、タダにしてやるってのによ!」
「……」
 なにも言い返せなかった。怖すぎて。

「タクトが嫌がってんじゃん。もうやめてやれよ、太一」
 怖がる素振りも見せず、逆に腰に手をやって怒ってみせるミハイル。
「だってよ、琢人が俺りゃあのアイスを食わないっていうからよぉ……」
 アイスだと? やはり覚醒剤じゃないか!
 噂では、売人たちはシャブをアイスと言う聞く……。

「え、アイス? 美味しそう!」
 乗っかるミハイル。
 意味をわかってないんだ。
「おっ! ミハイルは食ってくれるのか? 俺りゃあの極上アイス。天国にブッ飛んじまうぜ?」
「食べる食べる☆ デザートに美味しそう!」
 違う意味の天国だって!

「おい、ミハイルやめとけ。夜臼先輩の言っているアイスは、お前の知っているアイスじゃないんだ」
「え? なんのこと?」
 首をかしげるミハイル。


 そうこうしていると、夜臼先輩がどこからか、大きな肩掛けボックスを持ってきた。

「もう持ってきちまったよぉ、遅かったな琢人。残念だが、ミハイルにはこのブツの良さがわかるのさ。同じヤンキーだからなぁ、クッククク……」
 こんの野郎。俺のマブダチを闇落ちさせる気だな。
「ほれ、ミハイル。これが俺りゃあの自信作だっ!」
 ボックスを机の上にドシンッ! と乗せた。
 そして、ゆっくりと蓋が開かれる……。
 中から禍々しい白の煙が漏れ出た。

「さあ好きなのを選びな……」
 くっ! もう手遅れなのか。
 俺は悔しさから瞼を閉じる。
 ミハイルを守れなかったたことが辛くて……。

「うわぁ☆ 美味しそう! じゃあ、オレこのチョコアイスが良い!」
 えっ?
「いい目してんじゃねーか。俺りゃあが作った自信作だからよぉ。トッピングするか?」
「うん☆ じゃあバナナとナッツをお願い☆ ホントにタダでいいの?」
「おおよ、今日だけだからなぁ。ヒヒヒッ、このことは蘭ちゃんには内緒な」

 俺は机から転び落ちて、床に頭を強くぶつけた。
 モノホンのアイスだったんか……。

「なんだ? 琢人も食いたくなったか? しょうがねーヤツだ。今日だけだぞ? 他の子たちも今日だけサービスしてやる。俺りゃあのアイスはオーガニックで身体にいいし、トッピングも豊富だぜぇ、ヒッヒヒ……」
 
 それを聞いて今まで脅えていたクラス中の女子たちが、夜臼先輩の元にむらがる。

「ヒッヒヒ、これだからアイスの売人はやめられねぇーな。琢人、お前はなんのアイスが良いんだよ?」
「じゃあ……バニラで……」

 あとで話を聞くと、夜臼先輩は校舎で無断でアイスを販売していた為、三ツ橋高校に通報されて捕まったらしい。
 妻子持ちの善良な福岡市民でした。


 午後のチャイムが鳴り、俺とミハイルは武道館に向かった。
 地下にある更衣室に入ると、ロッカーにリュックサックをなおす。
 俺はリュックの中から以前三ツ橋から拝借した体操服を取り出した。
 元々、俺は中学生時代の体操服を持っていたから、正直いらなかったんだけどなぁ……。
 なんとなく、罪悪感を感じながら、着替える。

 ふと、隣りを見るとミハイルがショートパンツのボタンを外そうとしていた。
 思わず生唾を飲み込む。

「よいっしょっと……」

 チャックを下ろすと、紺色のブルマが垣間見える。
 裾をすぅーっとゆっくり太ももまで脱ぐ。
 すると、白く美しい細い脚が露わになり、ブルマが股間にぴったりとが食い込んでいるのがわかる。
 ぷりんとした丸くて小さな桃のような可愛らしいお尻。

 犯罪級な可愛さとエロさを兼ね備えているぞ! こいつっ!

「ふぅ……ねぇ、タクト! どうどう? タクトってこのブルマってやつが大好きなんだろ?」
 目をキラキラと輝かせて、下から俺の顔を覗き込む。
 だが、言っていることは俺が変態としか受け取れない……。
「あ、ああ……似合っていると思うぞ……」
 いかんいかん、ミハイルモードの時は防御力がゼロに等しいというか、男として振舞っているから、対応に困る。
「そっか☆ ならいいや☆ でも、このブルマってすごく履き心地がいいんだぁ☆ お尻のところがキュッてしていて、動きやすいし……家用にもう一枚買おうかな?」
 そう言って、俺に尻を突き出して見せる。
 
 り、理性がブッ飛びそうだ……。
 このままじゃ、ミハイルのブルマ尻に触れてしまいそうになる。
 それだけはダメだ、琢人よ。彼はダチだ。決して俺は彼の『タチ』ではない。

「おっほん、まあ動きやすいことに越したことはないな……とりあえず、武道館に行こう」
 咳払いして、話題を変えようとするが、俺の心臓はバクバクだ。
 なんだったら、俺の股間琢人が爆発して、ミハイルを『ネコ』化させ、あわよくば更衣室でニャンニャンしてしまいそうだ。
「そだな☆ 早く行こうぜ☆」
「う、うむ……」
 君と二人きりだと、まだ見ぬ境界線を飛び越えてしまいそうだから、早く行こう……。


   ※

 体操服に着替えた俺たちは、武道館に向かう。
 すると、何人かの生徒が言い合いになっていた。
 よく見れば、一ツ橋の生徒だけではなく、全日制コースの三ツ橋の生徒が混じっている。

「だからよぉ、今日は俺りゃあたちの体育だってつんだろが!」
 ブチギレている人がひとり、先ほどまでアイスを売っていた優しいおじさん、夜臼先輩だ。
 両腕のタトゥーこそ目立っているが、しっかり体操服を着用し、頭には赤白帽まで被っている善良な生徒。
 いや、下手する大人の映画に出演しているエキストラみたい……。

 それに対応しているのは、バスケットのユニフォームを来た若い青年たち。
「僕たちだってちゃんと許可得てますよ! 急遽、対抗戦が決まったんだから仕方ないですよ。そもそも、この武道館は僕たち、三ツ橋高校の利用が優先だって知らないんすか?」
 丁寧な口調で答えてはいるが、相手も夜臼先輩の見た目に負けじと応戦している。
「あぁ? てんめぇ……俺りゃあだって学費払ってんだ! てめぇらにガタガタ言われる筋合いはねーぞ、オラァ!」
 相手を睨んで凄む夜臼先輩。
 見た目だけは確かに怖い。
 でも中身は、ただのアイスクリームおじさんって、俺はもう知っているから怖くない。

「そうですけど……僕たちだって全国戦が控えているんです。部活だって本気っすよ!」
「んなら、あれか? てめぇは一ツ橋のガキどもが体育できなくて、泣いてもいいのか?」
「え……」
 俺もポカーンとしてしまった。
 別に体育できないからって、ガキじゃないから泣くことはない。

 だが、夜臼先輩はヒートアップしていく。
「てめぇらはいいよな。屋根のある武道館で試合できるからよ……今、何月だと思ってんだ、ゴラァ!」
「え、6月っすね……」
「だよな! するてぇっとよ……もう夏だよなぁ! 日差しが強くて、紫外線でお肌が焼けたり、シミとかできたら、ガキどもがかわいそうだって思わないのか! あぁん?」
「そ、それは、普通なのでは……」
「バカ野郎! お日様なめんじゃねぇ!」
 なにを怒っているんだ、このおっさんは……。


 しばらく言い合いになっていると、人だかりが出来上がる。
 三ツ橋高校の生徒や関係者、それに他校から来たバスケ部の選手たち。
 対して、我が一ツ橋高校の面々もぞろぞろと集まりだす。

 騒ぎを聞きつけてか、宗像先生が現れた。

「なーにを騒いでおるか!」

 体操服とブルマ姿で仁王立ち。
 上半身の体操服は多分中学生時代のものだから、バストのサイズがあってない。
 パツパツになっていて、胸の形が良く見える。
 下半身のブルマはもちろん、はみパンしていた。
 ウオェッ!

「おお、蘭ちゃん先生……」
「なんだ、夜臼じゃないか。やっとシャバに出れたんだな」
 ニコッと笑って見せる宗像先生。
「へぇ。これも蘭ちゃん先生がサツにかけあってくれたおかげっすよ、ヘヘヘッ」
 笑い方がヤバい。薬中の目に見える。
 まあ俺は夜臼先輩の正体を知っているから、なんとも思わないんだけど。
 知らない人たちからはかなり誤解されそうな会話だ。

「そうかそうか、よかったな。夜臼も奥さんや子供もいるんだから。もうあの白くて冷たいヤツはもう無断で売るなよ?」
 言い方よ、そこはちゃんとアイスクリームにせえや。
「ヘヘヘッ。なかなかやめれなくていけねぇや。そうだ、蘭ちゃん先生。これ、前に頼まれてたヤツっす。使ったら感想聞かせてくださいや」
 夜臼先輩はズボンのポケットから小さなパケ袋を取り出した。
 中には白い粉が見える。
「おお、こりゃあ夜が楽しみだなぁ……夜臼、また頼むよ。この前のブツも中々良かったぞ。まるで天国のような快感だったな」
「さすが、蘭ちゃん先生だ。疲れがブッ飛ぶでしょ、ヘヘヘッ……」
 いつの間にか、辺りは静まり返っていた。
 宗像先生と夜臼先輩のやり取りを見ていて、顔を真っ青にして震えている。

「やべぇよ。一ツ橋ってマジもんの人がいたんだ……」
「ヤンキーが多いとは聞いていたけど、前科もんとか、同じ学園のやつとは思えないぜ」
「俺たち殺されるんじゃないか!?」

 いやいや、気持ちはわかるけど、そこまで酷くないから。
 大丈夫だって、みんな同じ学園のお友達だろ? 仲良くしようぜ!


 バスケ部員は怖がっているようで、膝をガクガクさせながら、夜臼先輩に話しかける。
「あのぅ……僕たち、外で試合しましょうか?」
「バカ野郎! さっきも言っただろが! お日様なめんじゃねー! てめぇも肌が焼けてボロボロになっちまうぞ!」
 夜臼先輩の怒りの沸点がわからない。

「まあまあ、夜臼。確かにお前の言い分もわかるが、今日は我が校が引くとしよう」
 宗像先生が割って入る。
「ですが、蘭ちゃん先生! ガキどもがお日様にヤラれちまうのは、俺りゃあ、黙って見てらんねぇんだよ!」
 黙って見ていて大丈夫です。
「夜臼。お前はそんなんだから、アラフォーのくせして、未だに売人なんだ……。頭を使え。前に作ったリキッドタイプがあるだろ?」
 ニヤッと怪しく笑ってみせる宗像先生。
 その一言で、なにかを理解したのか、夜臼先輩が口角をあげる。
「ヘヘヘッ、蘭ちゃん先生も人が悪いぜ……例のブツか。じゃあ今からガキどもにブチこんでやりますぜ。あれさえあれば、丸一日、いや徹夜で体育しても、疲れることはねーっすからね」


   ※

 その後、夜臼先輩は俺たちに小さなボトルを配り、肌につけるよう説明した。
「こいつはよ、赤ちゃんの肌でも使えるような極上のブツだ。高級品だから、落としたら許さねぇからな!」
 要はただの日焼け止めである。
 夜臼先輩の気づかいにより、俺たち一ツ橋高校は武道館をあきらめて、テニスコートに向かうのであった。

 俺は宗像先生がもらったパケ袋が気になったので、移動中に夜臼先輩に声をかける。

「先輩、宗像先生に渡したあの袋って中身なんですか?」
「ヘヘヘッ、琢人。てめぇもアレをキメたいのか……ありゃあな、肩こりや腰痛に効く入浴剤よ……。わざわざ下呂《げろ》まで仕入れにいったのさ」
 この人、めっちゃ人相悪いけど、中身すごく優しいおじさんだなぁ……。


 夜臼先輩が日焼け止めクリームを塗ってくれたことで、俺たちは紫外線を気にせず、外のテニスコートに移動できた。

 今回、武道館利用の件で全日制コースの立場がかなり上だと再認識できた。
 確かにバスケットボールの試合は武道館でしか出来ないのだから、仕方ないのだけども、
いきなり変更とか……確かに夜臼先輩が怒るのもよくわかる。

 まあ結局あれだろう。
 毎日通学して、学費も高い全日制の三ツ橋生徒はお得意様で、たまにしか学校に来ない俺たちは、二の次ってやつだ。
 部活なんて趣味レベルだろうし、なにをそんなにやる気がマンマンになるのだろうか?
 きっと彼らは己の性欲を、全て運動の汗によって発散しているのでは……。

 そう思っていると、コートのフェンスに大きな横断幕が見えた。

『祝 三ツ橋高校テニス部全国優勝おめでとう!』
『本校卒業生、丸井くんプロデビューおめでとう!』
『丸井くん、グランドスラム達成おめでとう!』


「え……丸井くんって誰?」
 三ツ橋高校からそんな名選手を送り出したってのか。
 そう言えば、前に噂で聞いたな。
 部活に力を入れてるって……。
 だが、そこまですごいプレイヤーを生み出す学校だったとは。

 
 テニスコートで一人ポカーンと口を開けていた。
 すると、誰かが俺の袖を掴む。
 隣りを見ると、ブルマ姿の天使……いや、ミハイルが頬を膨らませていた。

「なぁ、タクト。なにやってんの? もう体育の授業始まるゾ!」
「おお……悪い悪い」


   ※

 急遽変更した授業なので、わかりきっていたことだが、もちろん今日の体育はテニス……の練習である。

 宗像先生が素振りを簡単に説明し、その後は各生徒がコンビを組んでバラバラに散る。
 二つしかコートがないので、実質的にダブルスで4人ずつしか試合ができない。

 その間、俺たちは隅で体操座りして、他の生徒の試合をただ傍観するのみ。
 お世辞にも上手いとはいえず、サーブすらろくに打てない生徒も多い。

 みんなヘラヘラ笑いながら、「やっだぁ」とか「うてねぇ、ウケるわ」とか、真剣にやってない。

 指導役である宗像先生と言えば、審判台に座って、ハイボールを飲んでいる。

「ふぅ~ こんな真夏の日曜日ときたら、酒でも飲んでないと教師なんてやってられないからなぁ」
 もう教師をやめてください。
 これ以上、被害者を増やさないでください。


 それにしても、暑い。
 宗像先生じゃないが、確かに喉が渇く。
 俺も冷たいアイスコーヒーでも飲みたいもんだぜ……。

 突如、隣りのコートから歓声が上がる。
 振り返ると、一人の女子生徒に目が行く。
 みんな宗像先生の指示通り、体操服を着用しているのに、その生徒だけはピンクのシャツとスコートを履いていて、軽快な音でボールを弾き返している。
 様になっているなと思った。

 俺はその子のテニスが上手いから、みんな騒いでるのだろうと思っていたが、それは違った。
 なぜならば、みんなスマホを片手に、その女子生徒の下半身ばかり狙って盗撮していたからだ。
 
「おふぅ、あすかたんの見せパンゲットなり~!」
「あすかちゃん、カワイイよぉ~ スコート姿の下半身~ 胸~」
「推しの汗を飲みたい……」

 なんだ、変態ばかりじゃないか。

 あすか? 誰だっけ?
 どこかで聞いたような名前だったな……うーん、あ、自称芸能人の長浜 あすかさんか。
 存在が空気すぎて、忘れていた。

 俺の認知度とは差があるようで、フェンスの裏にある部室から何十人も三ツ橋の男たちがギャーギャー騒いで、長浜を眺めている。
 練習なんかそっちのけで。

「なあ、あの子。可愛くね? なんだっけ、テレビで見たことあるような……」
「アレじゃん、深夜のローカルに出てるあすかちゃん」
「ああ。だからか。見たことあるなって思ってたんだよ。俺、この前あの子のグラビアでつかっ……」

 そんなことを大声で叫ぶなっ!
 どこか隠れてヒソヒソやれ、生々しいんじゃ!

 しかし、まあなんだかんだ福岡市民から愛されているんだな、長浜のやつ。
 こりゃ、芸能人として化けるかもしらん。
 俺も作家として負けてらんねぇわ。

 そう意気込んで拳を作る。
 すると、誰かが俺の肩に触れた。

「タクト☆ オレと組もうぜ」
 見上げると、ブルマ姿のミハイルきゅん。
 ニッコニコ笑って、ラケットを二つも抱えてやがる。
「ああ、構わんが俺は上手くないぞ?」
「いいよいいよ☆ オレだってルールとか全然わかんないし☆」
 なら、なぜ俺を誘った?


   ※

 俺とミハイルがテニスコートに入る。
 相手チームは、日田兄弟の片割れとなぜか体験入学中のトマトさん。
 トマトさんの汗はいつも以上にダラダラと流れており、もう少し脱水症状を起して倒れそう……。

 試合が始まりはするが、案の定、トマトさんが暑さにやられて、退場。
 残った日田も一人じゃ試合が続行できないから、困っている。

「参ったな……。日田っ! もう試合棄権するか?」
 どうせ単位はもらえるんだから、やめればいいんだよ。
 こんな授業に意味はないのだから。
「しかし……それでは、筑前殿の無念を晴らすことができませぬ」
 いや、ただの運動不足で倒れただけやん。

 参ったなと困っていたその時だった。
 
「おいおい、見ろよ。一ツ橋の奴ら試合もろくにできないぜ」
「テニスなんてやらせる意味ないんだよ、バカなヤンキーとキモいオタクしかいない高校だろ。邪魔だから早く終わらせろよって感じじゃね? 俺らも練習したいのにさ」
「でもさ、あすかちゃんとテニスするなら俺も一ツ橋に編入してみたいわ。一日だけな」

「「「ハハハッ」」」

 言わせておけば……。
 確かにトマトさんは、犯罪者予備軍に近いキモオタだが、そこまで言われる筋合いはない。
 ミハイルや花鶴、千鳥だってバカだけど、こいつらも学費を納めてんだ。
 授業を受ける権利はしっかりとあるはずだ!

 腹が立った俺は、フェンス外で笑っていた三ツ橋の生徒たちを睨みつける。
 それに気がついた相手生徒たちが、嘲笑う。

「よぉ、あのオタク。こっち睨んでね?」
「マジかよ。しかも、オタクの隣りに立ってるやつ。男のくせして、細い体つきでナヨくね? あんなやつ俺が試合したら、一発で倒せるわ」
 ミハイルのことを言っているのか?
「それに見ろよ。男なのに、女子のブルマ着てるぞ。あいつ……おかしくね?」
 あ、それは本当におかしいと思います。
 僕の趣味に、彼が付き合ってくれているだけなので、責めないであげてください。


 一連のヤジを聞いていた宗像先生が、審判台から叫んだ。

「おぉい! お前らっ! 聞こえてるぞ! 文句があるなら、うちのエース、新宮と試合しろ! 勝ったら何でもしてやる、ご褒美がないとなぁ」

 おいおい、勝手になに煽ってんの?
 しかも、俺はエースじゃないって。

 それを聞いた三ツ橋生徒たちが、騒ぎ出す。
「よぉ、褒美だって。どうする?」
「あすかちゃんと写真とか握手とか、できるならやってもいいかもな」
「俺は勝ったら、この昨日『使用した』右手で握手してもらう」
 福岡って本当に変態が多いですね。
 どっかの調べで、ピンク系の犯罪率が全国でワースト1だって聞いたことあります。


 宗像先生の思いつきで、無惨にも日田は強制退場され、代わりにヤジを飛ばしていた三ツ橋高校から何人もテニスコートに入場する。
 だが、入ってきたのは男だけだ。
 どうやら、芸能人の長浜 あすかにしか興味がないらしい。


「タクト、このボールってどこに投げたらいいの?」
 上目遣いで、目を輝かせるミハイル。
「ああ、とりあえず、相手のコートにこのラケットでボールを打てばいい」
「線がいっぱいあるじゃん。どこの線に向けたらいいの?」
「俺も詳しくはルールは知らん。まあゲームとかで見るのは、だいたい相手選手のラインに向かって打つよな」
「わかった☆ じゃあ、このボールを相手のヤツに飛ばせばいいんだな☆」
「そうだけど……」

 俺はこの時、彼に軽く返事してしまったことを、後々後悔する。

 なぜならば、その後が地獄だったから。
『相手に向けてボールをラケットで打つ』という俺の指示を忠実に守ったミハイル。
 忘れていたんだ、俺は。
 彼の華奢な体つきと女みたいなルックスに反して、その力はプロレスラー並みの破壊力を持っていたことを……。

 
 審判の宗像先生が、笛を鳴らす。

 相手選手はニヤニヤ笑いながら、ラケットを構えていた。
 女みたいな見た目のミハイルだから、余裕で勝てると思っていたのだろう。
 だが、その予想は大きく裏切られる。

 ミハイルがサーブを打つと、風を切ってボールは一瞬で、相手選手を襲う。
 直撃したのは、股間だった。

「うぐっ……」

 泡を吐いて、その男の子は倒れてしまった。
 コンビを組んでいた隣りの選手は、ミハイルの豪速球を見て、震えあがっていた。

「チッ、倒れたのか。おい、次のやつ、入れ。お前ら一ツ橋にケンカ売ったんだ。全員、新宮と試合しろ」
 宗像先生はそう吐き捨てて、新しいハイボールをプシュッと開ける。

「勝った勝った☆ やったよ、タクト☆」
 その場で飛び跳ねて、天使のような優しい笑顔を見せてくれるミハイル。
 対して、担架で運ばれる『玉』を潰された男子。
「……」
 俺は同じ男として、涙を流した。

 震えあがる三ツ橋高校の生徒たちを見て、宗像先生が怒鳴り散らす。

「早くせんか! 授業が終わるまでお前ら全員帰るなよ!」

 そうして、健康な男子たちの股間が、次々と砕け散っていくのであった。
 全てミハイルの手により……。



  
 
 色々とあったが、無事に期末試験は終了した。
 暗記に苦戦していたミハイルもちゃんとテストを書けたようだし、まあ後は結果を待つのみだ。
 
 試験の答案用紙は来月の終業式で返却されるらしい。
 だが、宗像先生が言うには、「基本、点数じゃない」「単位取得の条件はその生徒の誠実さ」だとか……。
 意味がさっぱりわからん。
 結局は、先生たちの選り好みで単位が決まるのだろう。
 真面目に頑張っている俺たちって、果たして高校通ってる意味あるんだろうか?


 試験が終わったことで、レポートもないし、ラジオの通信授業もお休み。
 終業式こそ、来週に控えているが、もうほとんど夏休みといっても過言ではない。
 それぐらい毎日、暇を持て余していた。

 もちろん、新聞配達は休みがほぼないので、忙しいといえばそうなのだが……。
 仕事のときだけ、外に出て、人と必要最低限の話をする。
 家に帰っても、母さんや妹がいるけど、特に話すこともない。だって変態だから住んでいる次元が違いすぎる。

 執筆の方もだいぶ前に書き上げたから、特に今は書くこともない。
 毎日、ポカーンと口をだらしなく開いては、大好きなアイドル声優のYUIKAちゃんのPVプレイリストをただ見つめる。

「ハァ……」

 PVで歌っているYUIKAちゃんは、元気よく浜辺で踊っている。
 海かぁ、ぼっちの俺からしたら程遠い場所だな。

 そうため息を漏らしたその時だった。
 スマホのブザーが鳴る。
 着信名は『アンナ』

「おっ!」

 思わず声に出てしまう。
 
『もしもし、タッくん? 今、ちょっといいかな』
 相変わらずの優しい口調だ。
 テンションが上がる。
「おぉ、久しぶりだな。こっちは大丈夫だ。どうしたんだ?」
『あのね、急で悪いんだけど……明日取材しない?』
 妙に甘えた声だな。
「取材か。俺の方は構わん」
 ていうか、待ってましたと言わんばかりに、前のめりになる。
 拳もグッと握って、勝利宣言。

『良かったぁ☆』
「で、今回の取材はどこにする?」
『あのね、ミーシャちゃんからプールの割引券をもらったの。場所は海の中道で……』
 ちょっと待て。それ自分でゲットしたってことだろ。
 いちいち、別の人格を使って誘うなよ。
「プールか……」
 余り良い思い出がない。
 小さい頃、クソ親父の六弦に、まだ幼い俺を災害救助の練習と称しては、深い大人用のプールに投げ込まれた覚えがある。
 それが海の中道っていう印象。


 海の中道ってのは、福岡市と志賀島を繋いでいる砂州のことだ。
 名前通り、海と海に囲まれた街で、主にリゾート地として栄えている。

 またアンナが言っているプールってのも、恐らく国営の海の中道海浜公園の一部。
『アインアインプール』のことだ。
 今は6月も終わりに近い。
 プール開きということか。

 気乗りしないな。
 暑いし、俺はあまり泳ぐの好きじゃないし……。

 俺が黙りこんでしまうと、アンナが受話器の向こう側で心配していた。

『タッくん? 嫌なの? プール……』
「あ、ちょっと苦手なんだ……」
『そうなんだ……じゃあ変えようか。アンナ、水着買ったけど……』
「えっ!?」
 思わず、大声で叫んでしまった。

 アンナの水着姿だと!?
 そんなこと言われたら、絶対に見たいに決まってるじゃないか!
 一瞬にして、気分が上昇。

「待った。やっぱり行くわ」
『ホント? 苦手だったんじゃないの?』
「ごほん、あれだ。俺は作家だろ。ここ数年、プールも行ってないし、ちゃんとそういう景色とか、人たちをこの目で焼きつけないと、取材にならないと思ってな……」
 理由を正当化しておいた。
『そっかぁ☆ なら良かった! じゃあ明日の10時ごろに、博多行きの電車で待ち合わせしよ☆』
「了解だ」

 電話を切った瞬間、俺はその場で飛び跳ねた。

「アンナの初水着キターーーッ!!!」

 前回はラブホのスク水。あくまでも、コスプレだったからな。
 あれはアレで好きだったし、今でもスマホからPCに転送して、毎日楽しんでいるのだが、また良き思い出が増えるんだな……。
 なんてたって、今回は本物の水着だ。
 ビキニか、ハイレグか、それともティーバック!? か……夢が広がるなぁ。

 よし、スマホのSDカードの空き容量をちゃんと確認しておこっと。

 次の日、アンナに指示された時刻の博多行き列車に乗り込む。
 指定されたのは三両目の車内だ。
 彼女は小倉よりの席内駅から乗っているので、既に車内でこちらに手を振っていた。
 満面の笑みで。

 女装しているアンナは相変わらず、本物の女よりも女らしく、周りの男たちが皆振りかってしまうほどの可愛さだ。
 今日のファッションも一段と気合が入っている。
 ピンク地のブラウスを着ていて、胸元には大きな白いリボン。
 また袖が肩からシースルーになっていて、彼女の素肌が拝める。
 ボトムスもいつもより丈がかなり短いプリーツの入ったミニスカート。
 足もとは真夏仕様となっていて、ヒールの高いリボンがついたサンダル。

 くっ! 水着を着る前に俺を殺す気かっ!

 頬が熱くなるのを感じると、なんとなく咳払いをする。

「おっ、おほん! よう、アンナ」
「おはよう☆ タッくん!」

 車内に乗車していた男子が一斉に俺を睨んだ。

「んだよ、あいつが彼氏とかマジねーわ!」
「クソッ! 暑い日にイチャつくなよ……」
「やだぁ、ボクはあの子のお尻とってもキュートに感じちゃう♪」

 え……? 俺のこと?


 ま、こいつらアンナの正体を知ったら、みんな怖がったり、逃げ去ったりするんだろ?
 悪いが、彼女は俺の大事な取材対象だ。
 お前らにはやらんよ。
 あれ、ちょっとリア充を楽しめてないか? 俺って……。
 いやいや、アンナは男だぞ。ノーカウントだ、琢人。

「どうしたの、タッくん☆」
 気がつけば俺の懐に入り、上目遣いで攻撃してきやがる。
 キラキラと輝くグリーンアイズがまぶしい。
「あ、いや……今日の服も似合っているな」
 なんとなく、視線を逸らす。
 俺が女装男子にベタ惚れしている……とか、見透かされている気がして。
「ホント? うれしぃ☆ 今日のために水着と一緒に買っておいたんだ☆」
「そう、なのか?」
 確かに言われたら、こいつ。毎回取材の時の服が違うよな。
 気になったので、質問してみた。

「なあ、いつもどこで買っているんだ?」
「えっとね……アンナはだいたいネットで買うかな。ポチポチって……スマホで☆」
 だよな。ミハイルくんがレディースファッション店にウキウキショッピングして、試着室に入る度胸ないよね。
「なるほどな……」
「でも、今日着る水着はちゃんとお店に行って買ったよ☆ だって水着だもん☆」
 ファッ!?
「えぇ……つ、つまり試着したのか?」
「うん、もちろんだよ☆」
 女の子たちと一緒に? ヤバくない?
 犯罪でしょ。
 だが、彼女は悪びれる様子もない。

「ネットで良くないか?」
「ダメだよぉ。水着は服と違うから、ちゃんとバストとかヒップとか、ジャストサイズじゃないとイヤ。それにパッドも合うやつ使わないと可愛くなれないもん」
 なに、本気出してんのさ。
「まあ男の俺にはよくわからんな……」
 ってあなたも男だろ!

 怖くなったので、この話はこれで終わりにしておいた。
 

   ※

 俺たちが向かう海の中道海浜公園は、地元の真島より二駅、博多よりの梶木駅で一旦降りる。
 そして、ホームを移動して、『海の中道線』というローカル線に乗り換えた。
 線路は単線で、車窓から見える風景も都心部から田舎へとガラッと変わってしまう。
 
 心なしか、先ほどまで乗っていた鹿児島線の車両より、揺れが強く感じる。
 経営が逼迫しているのでは? と心配になるが、そうでもない。
 車内は若者でごった返している。
 みんな軽装に、ビニールバッグを手にしているから、プール開きが目的なのだろう。

「楽しみだね、タッくん☆」
「ああ、プールなんて10年ぶりぐらいかな……」
「そうなの?」
「うむ、俺は親父にレスキュー活動の練習とこじつけされては、深い大人用のプールにぶちこまれていたからな。それ以来、ちょっとプールがトラウマなんだ」
 マジで水怖い時ある。
「そうなんだ……じゃあ、嫌だった? 今日のこと」
 涙を浮かべるアンナ。
「いや、今日は違うよ。純粋に楽しみにしていたさ」
 なんてたって、初めての水着姿を拝めるんだから。
 スマホの容量もしっかり空けておいたし、防水ケースもネットで購入。
 ついでに、三脚付きの自撮り棒まで買っておいたから、水中でアンナの色んなポーズを資料用として保管可能だぜ。

「じゃあ、今日がタッくんのほぼ‟初めて”のプールになるのかな?」
「ふむ。まあそうじゃないか? 親父たちと行っても遊んでた記憶ないから」
 トラウマだからね。
「アンナとのプールが初めてなんだ。うれしい……」
 頬を赤くして、今日はローカル車両の床ちゃんがお友達か。
 ところで、なにがうれしいの?


   ※

 電車が海の中道駅に着く。
 すると、若者は一斉に電車を飛び降りて、走り去っていく。
 ギャーギャー騒ぎながら、日差しの強いアスファルトを元気に飛び跳ねていた。
 なぜ人は海やプールが近いとこんなにもテンションが上がるというか、バカになるのだろうか?
 そう思いながら、ため息をもらす。

 駅を出ると、すぐに海の中道海浜公園の入口だ。JRと直結している。
 公園のスタッフが立っていて、声をかけられる。

「プールですか?」
「あ、はい。そうっす」
「じゃあ、こちらで料金いただきますね。公園は使用されませんよね?」
「はい、プールのみです」
 こんな暑い日に、誰がだだっ広いお花畑を見に行くというのか……。
「学生さんですか?」
「あ、高校生とむしょ……じゃなかった大人がひとりっす」
 俺がそう伝えると、アンナは少し落ち込んでいた。
 いや、もちろんアンナの中身は高校生で間違っていないのだが、彼女が最初に無職と設定してしまったので、嘘を貫き通すしかないのである。
 高い嘘になってしまうな。

 チケットをもらうと、近くにバスが待機していた。

 黒く焼けた中年のおじさんが、手を振る。

「アインアインプールをご利用の方はこちらにお乗りくださーい! お金は取りません。プールのチケット代に含まれております」

 海の中道海浜公園は、260ヘクタール以上もある巨大な国営公園である。
 そのため、アインアインプールに移動するのに、炎天下の中、歩いて向かうのは、地獄だ。
 熱中症で倒れないようにと、園の粋な計らいだ。
 エアコン付きのバスは最高だからな。

 バスに入ると、既に何人かの若者は、浮き輪を膨らませていた。
 気が早いな。

 それを見たアンナが俺に言う。
「あ、アンナもバナナの浮き輪持ってきたの☆ 今のうちに膨らませおこ☆」
 彼女はかごバッグから、ビニール製の浮き輪を取り出した。
 かなり大きい。
「ふぅ~ ふぅ~」
 顔を真っ赤にして、透明の空気栓に小さな唇を当てる。
「はぁはぁ……けっこう、おっきいもんねぇ。このバナナ……」
 火照った顔で息を荒くする。細い首からは一粒の汗のしずくが流れた。
 どこか、色っぽく感じる。
 だが見ていて、かなりしんどそうだ。
 ここは男の俺が、手を貸してあげよう。

「貸してみろ。一人じゃ無理だろう」
「うん☆ こういうのは男の子が得意だもんね☆」
 あれ? 僕も君も男だったよね……?


 浮き輪を渡されて、あることに気がついた。
 空気栓にベッタリと残されたアンナの口紅。
「ごくり……」
 こ、これは、いわゆる間接キッスというやつでは?
 しかもよく見れば、彼女の残した唾液がキラリと光って見える。
 ディープ間接キッスだ!

「どうしたの、タッくん? ひょっとして、喘息持ちとか?」
「いや、違う。任せろ、俺は至って健康体だ。肺活量も自信がある」

 俺は深く息を吸うと、赤く染まった空気栓に口づけ。
 浮き輪の中に、空気を入れると見せかけて、ついでにアンナの唾液も口紅もゲットだぜ!

 その後、俺は同様の行為をバスがプールにたどり着くまで、何度も何度も繰り返した。
 いや、楽しんだというべきか……。
 終わるころには、チアノーゼを発症しており、意識が遠のいてしまうほどである。
 だが、それぐらい甘くていい香りを堪能できたので、これはこれで最高でした。

「さ、タッくん。プールに入ろ☆」
「ああ……」

 俺は今日、酸欠で死んでしまうかもな。

 
 


 


 アインアインプールの大きな門をくぐり抜けると、そこには広大な敷地に様々な形のプールがたくさんあった。
 流れるプール、水面に建てられたアスレチック、スライダープール、その他にもいろんな遊べる場所が揃っていた。

「うわぁ☆ 楽しそ~☆」
 横からアンナの瞳を覗くと、真夏の太陽に照らされてか、いつも以上にキラキラと輝いて見える。
「……」
 俺はプールよりもアンナに見とれていた。
 それに気がついたのか、彼女が俺の左腕を引っ張る。

「ねぇ、早く水着に着替えよ☆」
「おぉ……そうだったな……って、え?」

 ちょっと待てよ。
 アンナは今女装しているよな。
 正体は男なんだから、俺と同じ男性の更衣室で着替える気か?
 しかし、そうなると……股間のアンナちゃんじゃなくて、ミハイルくんが丸見えになってしまう。
 一体、どうしたらいいんだ!?
 考えろ、琢人!

 必死に思考を巡らせるが、一向に解決策が浮かばない。

「タッくん? なにやってんの? 早く入るよ!」
「え……一緒に入るのか?」
 思わず、本音が出てしまう。
「はぁ? タッくんは男の子だから、一緒には入れないよ! バカなこと言わないで。まさか、他の女の子の裸とか見たいの!? タッくんのエッチ!」

 ええ……。
 そこまで設定を貫くんすか?
 でも、それはさすがに犯罪なのでは。

「いや……アンナ。断じてそんな意味ではない。その、あれだ。アンナが他の女性と着替えるのに、ためらいはないのか?」
 俺がそう問うと、彼女は真顔で答える。
「当たり前じゃん。アンナは女の子だもん」
 ぷくーっと頬を膨らませて見せる。
 いや、可愛いのはわかるよ。
 けどさ、限度ってもんがあるじゃない。

「だがしかし……」
「もう! タッくんがそんなエッチな人だと思わなかった! アンナ、タッくんが喜ぶと思って、新しい水着を用意してたのに……フン!」
 そう言って、アンナはスタスタと更衣室に入ってしまった。
 もちろん、女性専用のだ。
 女装男子専用は、今のところないからね。

 一人残された俺は、とりあえず、男性の更衣室に入っていったが、アンナの正体が他の女性にバレるのではないか? と不安で頭がいっぱいだった。
「まあ、股間さえ隠せば、大丈夫……か」
 そう自分に言い聞かせて、水着に着替える。
 中学生時代に学校から支給された水着。
『3-1 新宮 琢人』
 と名前がつけられているので、迷子になっても無問題。
 
 ロッカーから財布を取り出し、現金を防水用の首かけポーチに移す。
 そして、防水ケースに入れたスマホと自撮り棒を持って、いざ出陣。
 これはあれだ。
 グラビアアイドルの水着撮影会に参加するガチオタの姿と酷似している。
 だが、それでいい!
 アンナの可愛い水着姿を、脳裏に焼きつけるだけでは足りん!
 しかと、デジタルフォトとして記録しておかねば。
 
「よし!」

 覚悟を決めて、更衣室から出ると、既にプールサイドには、一人の天使が立っていた。

 白のビーチサンダルを履いていて、スラッと伸びた白くて細い脚。
 太ももに深く食い込むピンクのボトムス。フリル付きで、彼女らしい。
 トップスも同様にフリルで覆われており、胸元は控えめなサイズ。
 黄金色の長髪は、頭の真ん中でお団子状に纏められていた。
 
 その子は、俺に気がつくと、笑顔で手を振る。

「タッく~ん☆ こっちこっち!」

 俺は唇を噛みしめて、今まで死ななくて良かったと、心の底からそう思えた。
 母さん、産んでくれてありがとう。教育に関してはクソ親だけど。
 この時のために、俺は生き残ってきたんだな……。
 グッと拳を作って、ガッツポーズ。
 やったぜ!

「ねぇ、タッくん? どうしたの?」

 気がつくと、その水辺の天使は距離を縮め、俺の顔を覗き込む。
 無防備なことに、腰をかがめて、手はお尻の後ろにやる。
 こ、これは……世に聞く伝説のグラビアアイドル『ヒナ』が編み出した『ヒナポーズ』では!?
 だが、ヒナとは違い、胸がぺったんこだ。
 谷間なんて皆無。
 だが、それがいい!

「タッくんってば! 熱でもあるの?」

 人が余韻に浸っていると、更にグイグイと俺に身を寄せる。
 グリーンアイズの瞳が、なんとも綺麗だ。
 小さな唇も、ピンク色の口紅がぬられていて、プルンと柔らかそう。

 いかんいかん!
 首を強く左右に振る。
 このままでは、自然の流れでキッスをしてしまいそうだった。
 取材だ、取材。
 これはラブコメに必要なことだ。
 初心を忘れちゃいけない。

「待たせたか? アンナ」
「ううん☆ タッくんこそ、急がなかった? アンナは前もって家で水着を着てきたから、すぐに出れたけど」
 なるほど。
 だから、他の女性にバレなかったのか。

「さっきのバナナも持ってきたから、あとでプールで遊ぼ☆」
「おおう」
 先ほど、俺が死ぬ思いで膨らませたバナナの浮き輪が地面に置いてあった。
 ん? そう言えば、女装しているから忘れていたが、彼女のバナナが見当たらない。

 ジッとアンナのビキニラインを眺める。
 ちゃんと、おてんおてんのもっこり具合を確かめないと。

「ん~」

 ない。
 以前、ミハイルがブルマを着用していた時は、確かに矮小なふぐりを見ることができた。
 アンナにはそれがない。
 なぜだ?
 確かラブホでスク水のコスプレしてた時も、つるんとした股間だった。
 黙って、彼女の股間を凝視していたら、アンナがボンッと音を立てて、顔を真っ赤にさせる。

「ちょ、ちょっと! タッくんってば、どこ見てんの!」

 ポカポカと、俺の胸板を叩く。
 あ~、彼女の小さな手が当たって、気持ちが良い~

「す、すまん……その水着が似合っていて、ついな……」
 こういう時は褒めて逃げよう。
「え……この色、好き?」
 頬を赤らめて身体をくねくねとする。
 照れているようだ。
「ああ、すごく好きだ。可愛いと思う」
「そ、そっか……良かったぁ☆」
「なあ、一枚写真撮ってもいいか?」
「うん……いい、よ」
 上目遣いで、俺の目を真っすぐ見つめる。


   ※

 その後、アンナを近くのヤシの木に立たせて、写真大会の始まり。
 一枚なんてわけない。
 連写で数千枚は撮った。

「アンナ、次は座って片脚を伸ばしてみてくれ。それから、視線はこちらに」
「えぇ、まだ撮るの? もう、これで30回目じゃない?」
 呆れながらも、しっかり俺のリクエストに応えてくれる。
「いや、これはれっきとした取材なんだ」
 ウソだけど。
「なら仕方ないよね☆」
「うん、仕方ない」(棒読み)

 俺たちは、小一時間、プールサイドで撮影を繰り返した。

 周りの客たちは、俺とアンナのことを芸能人とカメラマンの間柄と錯覚するほどに。

「ねぇねぇ、ママ。あのお姉ちゃん、げいのーじん?」
「しっ! 見ちゃダメよ! あのお姉ちゃんはきっと卑猥な本の撮影しているんだから!」
「パパはあの子のグラビア出たら、買うけどな……」

 売らねーから!
 この撮影は俺専用なの!

「ねぇ、タッくん。そろそろもう良いかな? 暑いし、まだサンオイルも塗ってないし……」
「すまん、そろそろやめよう」
 ん? 今、サンオイルって単語が出たような。
「背中だけぬってくれる?」
 気がつくと、アンナはビニールシートを広げ、うつ伏せに寝ていた。
 自ずと、桃のような小さなお尻が、目に入る。
 ごくり……生唾を飲み込む。
「俺がぬってもいいのか?」
「うん。だって背中とお尻は自分じゃ無理だから」
 つまり、背中とお尻は俺の手で直接触って良いと、捉えていいですね。

 サンオイルの蓋を開け、ブジュッと音を立ててたっぷり白濁液を、彼女の白い背中に流し落とす。
 冷たかったせいか、アンナは「キャッ」と可愛らしい声をあげた。

 そして、俺はゆっくりゆっくりと、彼女の身体にオイルを伸ばしてあげる。
 特にお尻を重点的に。


 サンオイルをお互い仲良く塗りあった後、しっかり準備運動をする。
 まずは流れるプールに入ることにした。

 アンナはバナナの浮き輪を持って、水の中に浮かばせる。
 そして、ひょいっと浮き輪にまたがる。

「アハハッ! 楽しい~☆」

 お馬さんに乗る幼児のように、はしゃぐ15歳(♂)
 まあ、アンナだから許せる所業か。
 それを下から、俺は眺めて泳ぐ。
 いいアングルだなぁ~
 もちろん、自撮り棒を手に持ち、ローアングルからの動画撮影中だ。
 どんなアンナも見逃すことはできない。

 しばらく、そんなことをして遊んでいると、後ろから若い男たちがキャーキャー騒いで、こっちに近づいて来る。
 水面でボール遊びして、俺たちに気がついていない。

 ドンッ! と大きな音を立てて、アンナの乗ったバナナボートが転覆。

 咄嗟に、俺は自撮り棒を投げ捨て、水中に滑り落ちる彼女を両手でキャッチした。

「キャッ!」
「だ、大丈夫か!?」

 辺りは静まり返る。
 なぜかと言うと、俺の両手にある。
 ムニムニ……その感触を味わう。
 あまりやわらかくない。不自然な感じ。
 そうだ、人工的な肌の感触、シリコンとか……つまり、それを外してしまえば、カッチカチやぞ! てなぐらいにぺったんこ。
 
 事故だが、大事な取材対象の胸を揉んでしまった。
 今も尚、俺の両手はなかなか彼女の小さなおっぱいから、逃れることができずにいる。
 魅力的すぎるのが悪い。
 体感で言えば、5分ぐらい揉んでいたような気がする。

 落ち着け、まず謝ろう。

「す、すまん……」
 ここで、ようやく彼女の身体から手を離す。
 アンナといえば、顔を真っ赤にして俯いていた。
 泣いているのか? と心配した。
「……ううん。アンナこそ、嫌な思いさせなかった?」
「え?」
「アンナっておっぱいないし、ていうか、硬かった……でしょ?」
 頬を赤らめて、恥ずかしそうにしている。
 気にするところ、そこなんだ。
 不慮の事故とは言え、怒っても良そうなもんだが。
「う……まあ、その……別にデカければ良いってもんじゃないだろ」
 俺ん家のかなでみたいに、キモ巨乳だったら、しんどいよ。
「でも、アンナの胸ってぺったんこだし……」

 気がつくと、彼女が乗っていたバナナボートはどこかに流れて行ってしまった。
 俺のスマホも同様に。

 流れるプールだと言うのに、俺とアンナはそこで立ち止まり、流れに反している。
 他の泳いでいた客たちは、その様子を見て、カップルがケンカしているように見えたようだ。

「ヒューヒュー、プールで愛の告白かよ」
「うっわ! こんな暑い日に他人のイチャイチャとか見たくねぇ~」
「彼氏の方、キュートなお尻だわ……」

 え? 俺のこと?
 ガチの人からすると、俺のケツって、モテるんだろうか……。
 尻の力を緩めないでおこう。


「なぁ、アンナ。俺は正直いって、胸の大きな女の子は苦手だ。アンナぐらいの、その……大きさが好きだ。だから、そう落ち込まないでくれるか?」
 あれ? 言ってて、おかしく思った。
 だって、こいつ女の子じゃないよ。男の子じゃん。
「ホント!? タッくんはぺちゃんこが好きなの?」
 大きな声で人の性癖を暴露しないでください。
「う、うむ。まあな……」
「やった☆ なら安心! さ、遊ぼ☆」

 気を取り直したアンナは、俺の腕を力強く掴むと、流れてしまったバナナボートを探しにいくのだった。
 だが、先ほどの二人のやり取りを聞いたママさんたちが、俺を見て睨む。

「ねぇ、あの男。つるぺたが好きなんだって!」
「ゴリゴリのロリコンじゃない!」
「みんな、アイツに子供たちを近づけないようにしましょ! きっとロリもショタもイケるタイプよ!」

 えぇ……俺って、バイセクシャルなの?
 しかも、小児性愛者?
 病院行かなきゃ。


   ※

 バナナボートとスマホは、プールの係員が預かっていてくれたようで、無事に手元に返ってきた。
 その後もしばらく水中で雑談しながら、二人で楽しむ。

 流れるプールは、一番の人気らしく、水が見えなくなるぐらいたくさんの人で埋もれていた。
 家族や友人同士で来ている客もいるが、カップルが多く感じる。
 色んな奴らがいたが、大半は人目もはばからず、イチャイチャしていた。


 気がつけば、俺たちの周りはカップルだらけ。
 彼女が彼氏に抱っこしてもらい、自身の脚を彼の腰にからめる。
 そして、彼氏は満足そうに、そのまま歩き出す。
 コアラかよ。
 だが、そんな愛くるしい動物とは違い、相手は人間同士だ。
 交尾前のオスとメスみたい。
 互いの鼻と鼻をくっつけて、見つめ合い、笑っている。


 そう言えば、アインアインプールがある海ノ中道海浜公園の近くには、リゾートホテルやラブホがたくさんあったな……。
 前戯なら、他でやってくれ。
 小さなお子さんもいるんだから。

 俺は、そいつらを汚物を見るようかのように、見下す。
「はぁ……ここは公共の場だってのに、盛りのついたバカどもは……なぁ、アンナ? 場所変えるか?」
 俺がそう聞くと、彼女は頬を赤くして、黙り込んでしまう。
 ん? アンナモードだから、恥ずかしいのか?
「あの……タッくん……」
 白くて細い首が「ギギッ」と軋んだような音を立てて、横に動く。
「どうした、アンナ」
「あれ、やろっ……か?」
 そう言って、周りのバカップルどもを指差す。
「え?」
「カップルてさ……あーいうのをやるんだよね? フツーの恋人同士なら」
「いや、一概には言えないと思うが……」
「アンナ思ったの。ラブコメの取材には、タッくんが『ドキドキする要素が必要不可欠』だって。だから、しよ?」
 そう言って、上目遣いで、俺を誘う。
「つまり、取材に必要だと?」
 生唾を飲み込む。
「う、うん……タッくんさえ、いいなら」
 頬を赤くして、視線は水面に。
 黙ってはいるが、「早くしよ」と、俺からの返事を待っているように感じた。
「そうだな……なんでも、やってみないことには、始まらないものな。挑戦してみるか」
 アンナは黙って頷く。


   ※

 黙って水中をゆっくり歩く。
 ただ違和感があるとしたら、視界が塞がれている。
 ピンクのフリルがついた可愛らしい水着。
 白くて細いウエストに、小さなおへそ。
 
 彼女の体温が肌を通して、伝わる。
 アンナは俺の腰に脚を回して、腕は背中に回す。
 太陽の光りで、彼女の顔は影になり暗くなっていて、少し分かりづらいが、見たことないぐらい真っ赤になっているのだろう。

「どう? タッくん?」
「な、なにがだ」
「その……ドキドキする?」
 聞かんでもわかるだろ! 心拍数が爆上がりで死にそうだ!
「ああ、これなら間違いなくドキドキしてしまうな」
「そっか……なら、役に立てて嬉しい☆」
 見上げると、ニッコリ笑うアンナの可愛らしい顔が、目の前にある。
 その距離、10センチほどか。
 もうすぐ唇と唇が、くっつきそうなぐらい。
 密接している。

 一体、俺はナニをやっているんだろうか?
 男と男で。
 俺は、彼女の身体を支えるために、細い太ももを両手で掴んでいる。
 別にわざとやっているわけじゃないが、自然と彼女のヒップラインに、指が触れてしまう。
 それだけじゃない。
 大好物の貧乳というか絶壁のちっぱいが、目前にある。
 最後に、俺の股間と彼女の股間がペッティングしちゃってる。

 プールをゆっくりと歩いているはいるが、上下に身体が揺れる。
 その際、互いの股間が擦れて刺激しあう。

 り、理性がブッ飛びそうだ……。

 その時だった。
 プールサイドにあるスピーカーから、
「ブーーーッ!」
 と音が鳴り響く。

『ただいまから5分間の点検作業が始まります。係員が水中を泳いで作業しますので、お客様はプールから出てください!』

 それまでイチャこいていたカップルたちも、一斉にプールから出ていく。
 アンナも俺の身体から降りて、ドキドキタイム終了。
「タッくん、点検だって。休憩でもしよ☆」
 彼女が手のひらを差し出すが、俺は今、それどころではない。

 股間を沈静化しない限り、水面から出てはいけないのだ。
 同じ男だというのに、アンナは特に症状が出ていないように見える。
 俺だけか……。

「あの~! 君、早く出てよ! 作業できないでしょ!」

 近くの係員が、メガホンを使って注意してきた。
 だが、動けん!
 
「タッくん? 具合でも悪いの?」
 アンナが首を傾げて、俺を心配そうに見つめる。
 君が提案したのが悪いんだよ。

「ん? そこの君、具合が悪いのか?」
「あ、そう見たいです」
 違うだろ! アンナ!
「よし、医務室に連れて行こう!」
「お願いします。タッくん、プールで身体冷やしちゃったのかな」

 後に、俺は医務室で「至って健康」だと医師に告げられるのであった。




 俺の股間はなんとか沈静化できた。
 プールサイドにあった時計を見ると、昼の12時を越えていた。
 腹が減るわけだ。
 
「そろそろ昼メシにするか?」
「うん☆ なにを食べよっか」

 流れるプールから少し離れたところに、フードコートがあった。

 ラーメン屋、タコス屋、お好み焼き屋。それから、海ノ中道海浜公園が運営している売店。

「さて、なにを食うか……アンナはなにがいい?」
「うーん。えっと、とんこつラーメンとフライドポテトと……」
「王道だな。俺もラーメンにするか」
 店員に声をかける。

「すいません。ラーメン二つとポテトを一つ」
「ありがとうございます! 合計で2000円になります!」
 たっか! ま、いっか。経費で落ちるし。
 と思って、防水ケースから少し濡れたお札を取り出す。
 それをアンナが止めに入る。
「待ってタッくん。まだ追加したい」
「え……」
「あとは、カツカレー、唐揚げ、たこ焼き、焼きそば、フランクフルトを一つずつください☆」
「かしこまりました! 合計で5000円になります!」
 二人分の食事代じゃねぇ!
 忘れてた胃袋は、健康な男の子だったね。
 多めにお金持ってきていてよかった……。


   ※

「ふぅ~ お腹いっぱい~☆」
 そうは言うが、相変わらずアンナの腹はほっそいまま。
 全然、腹が出ないところが、怖い。
 この子の胃袋は、四次元ポケットに繋がってやせんか?

「ねぇ、タッくん。デザートにかき氷でも食べない?」
 目をキラキラと輝かせる大食い女王。
 まだ食うのかよ。
「構わんが……俺はラーメンだけだったのに、アンナはたくさん食べたろ? まだ腹に入るのか?」
 俺がそう言うと、彼女は顔を真っ赤にして怒る。
「デザートは別腹っていうでしょ!?」
 あなたの身体ってホントにどうなってんの……。
「了解した。じゃあ買うか」
「うん☆」


 再度、売店に戻り、かき氷の種類を眺める。
 かなりの種類がある。

「ん……あれは」
 一つ気になった味がある。
 それはブラックコーヒーかき氷。
 コーヒー好きとしては、これは試してみたいな。
「俺はコーヒー味にしてみるよ」
「ん~ アンナは定番のイチゴ味かな☆」
「ま、それならハズレはないな」
 
 店員を呼んで、注文する。

「あ、コーヒー味はミルクかけますか?」
「いや、そのままで」
 コーヒー好きとしては、素材そのままの味を楽しみたいのだ。
「イチゴ味は、練乳かけますか?」
「いっぱい、かけてください☆」
 なんか言い方が卑猥に聞こえるのは、俺だけでしょうか?
 天使スマイルのアンナのお願いに応える店員。
「じゃあカノジョさんには、ピンクのシロップが隠れるぐらい、真っ白になるまでぶっ掛けてやりますね!」
「うれしい~☆」
 いや、喜ぶなよ。アンナ。


 できたてのかき氷を持って、テーブルに向かう。
 座って、いざ実食。
 真っ黒に染まった氷をスプーンですくう。
 それを口に運ぶ。

「ん……ぶふっ!」

 あまりのまずさに、地面に吐き出してしまった。
 肝心のコーヒーが不味すぎる。
 味が薄いし、コーヒーとはいえるものではない。
 なんというか、駄菓子の味に近い。

 注文したことを後悔した。
 仕方ないので、氷が溶けるのを待って、液体にしてから一気に飲むことにした。
 溶けるのを待っている間、向かい側に座っているアンナに目をやる。
 俺とはちがい、嬉しそうにかき氷を食べている。

「あま~い☆ おいし~☆」

 頬をさすって喜んでいる。
 ま、この笑顔を見れただけでも、買った甲斐があったってもんか。
 

   ※

 かき氷を食べ終わると、急に激しい腹痛を起こす。
 どうやら、あのコーヒーかき氷が悪さしたようだ。
 トイレに行きたくなった俺は、彼女を一人プールサイドで待つように伝える。
「うん、わかった☆ このヤシの木の下で待ってるね☆」
「すまんな」

 ちくしょう。
 もう二度とあのかき氷は頼まんぞ。
 しばらく便器と戦いを繰り広げる。
 体重2キロぐらい落ちたんじゃないだろうか?
 手を洗うと、鏡の前にゲッソリした自分を確認できた。

 腹をさすりながら、トイレを出る。
 アンナが待つヤシの木に向かう。

 すると、なにやら甲高い女の悲鳴が聞こえてきた。

「や、やめて!」

 声の方向を見ると、アンナが二人の男に囲まれていた。

「いいじゃん、お姉ちゃん。一緒に泳ごうよ」
「その髪、天然? 外国人なの? 観光なら俺たちが福岡を案内してあげる」
 見るからにチャラ男って感じの輩たちだった。
 初対面のアンナの髪を、汚い手で触りやがる。
 怒りがこみあげてくる。

「い、いや!」
 男の手を振りほどこうとするが、ナンパ男たちはしつこい。
「なんだよ? 別になにもしないって。ただ、俺たち連れがいないから寂しいだけだって」
 そう言いながらも、アンナの前に立ちはだかる。
 彼女は何度も逃げようとするが、男たちは先回りして、動きを止めようとする。

 見ていてイライラする。
 中身はあの伝説のヤンキー、ミハイルなのに。
 なぜ女装すると、か弱い女の子として設定を貫こうとするのか?
 前も映画見ている時、知らない男に触られても、結果的にそれを許していた。
 殴ってやればいいのに。

 あ~ 腹が立つ。
 今もずっと二の腕を触られるが、困った顔していて、抵抗しない。
 美しい金色の長い髪を、知らない野郎に触らせやがって!
 そこまで、俺に正体をバレるのが嫌なのか……。

 ブチンッ!

 何かが頭の中で切れた音がした。

 考えるより、身体が動く。
「おい、お前ら。その子を離せ」
 ナンパ男の背後に立ち、冷えきった声で呟く。
「うわっ! なんなんだよ、お前!」
「タッくん!」
 涙目のアンナが、俺を見つけて安堵する。
 そして、俺の背中に逃げ込んだ。

「大事ないか? アンナ」
「うん……でも、この人たちがしつこくて」
 怒りを抑えるために、拳を作る。
「お前ら、連れになにしてくれてんだ?」
 睨みをきかせる。
 だが、男たちもひるまない。

「なっ! 急に出てきてなんだよ、お前!」
「そうだよ! その子は俺たちと遊びたいんだよ!」

 どこまでも身勝手な奴らだ。
 しかし、こいつらアンナの股間に、おてんおてんがあると知ったら……いや、これはやめておいてあげよう。

「あのな、この子は俺と一緒に、取材……つまりデートをしているんだ。お前らとは遊ばないぞ。どこか、他の女の子を口説け」
 あれ? 言っていて違和感を覚える。
 そっか、アンナを女の子として表現しているせいか。

「はぁ!? じゃあ、なにかよ! お前みたいな根暗で童貞でオタクで、声豚みたいなやつとそのパツキンちゃんは付き合ってるとでも言いたいのかよ!」
 おいっ! 言い過ぎだ!
 見た目だけで、よくそこまで考察できたな。
「ああ……だよな、アンナ」
 ウインクして彼女に話を合わせるように伝える。
「う、うん。タッくんとアンナは……つ、付き合ってるもん!」
 顔を真っ赤にして、恥ずかしがるアンナ。
 俺もなんだか恥ずかしくなってきた。


 ナンパ男たちは顔を見合わせてこう言う。
「信じられるか? こんなイカくさそうな男とこの天然パツキン美少女が?」
「いーや、ないな。根暗なオタクがこんな超絶美少女と付き合えるなんて状況……ありえねーよ」
 ちょっと待って。さっきからなんで俺だけそんなにディスられるの?
 傷つくんですけど。

 しばらく、俺とアンナを交互に眺める男たち。
 まだ納得できないようだ。

「なら証拠を見せてくれよ」
「そうだよ、カップルならやることやったんだろ?」
「なっ、ナニを言っているんだ! お前ら!?」
 予想外の言葉に激しく動揺する。

「証拠を見せてくれたらあきらめるぜ?」
「ああ、ラブラブなところを見せてくれや」
 いやらしくニヤニヤと笑みを浮かべる。
 クソがっ! こいつら、どうしても俺たちの関係を引き裂きたいのか!

 ぐぬぬっ……と、歯ぎしりをする。
 言い返す言葉がない。
 なぜなら、彼らが言う証拠ってやつを提示できないからだ。
「アンナ。もういいよ、こんな奴らに付き合う必要はないぞ」
 彼女は黙って俯いている。

「ほーら、彼氏じゃないのにブッてんじゃねーよ」
「できねーなら、彼氏失格だな」
 俺を指差して嘲笑う。

 その言葉を聞いて、アンナが急に首を上げる。

「あの……証拠見せます!」
「え?」
「タッくん、さっきのもう一回、しよ?」
「さっきの?」
「その……アンナを抱っこして」
「あ、あれを今ここでやるのか!?」
「うん……」

 頬を赤くして、アンナが俺に抱きつく。
 そして、俺は彼女を持ち上げて、ペッティング。
 胸と胸、股間と股間、鼻と鼻、密接に繋がる。

 それを見た男たちが、逆に悲鳴を上げる。
「キャーッ! なんてハレンチなの、あんたたち!」
「ヤるなら他でやりさないよ!」
 そう叫んで、逃げていく。

 勝ったな……。
 だが、同時になにかを失くした気がする。

 その証拠に、周りにはたくさんのギャラリーが出来ていた。

「タッくん。無理やりさせてごめんね。あんな風にタッくんが悪く言われるのが許せなかったから」
「いや、俺は構わんが……」

 それより早く降りてくれない?
 せっかく、沈静化した俺の股間が、また暴走しそうなんだが。






 


 例のナンパ男たちに絡まれた事により、アンナはすっかり元気をなくしていた。
 いや、恥じているという表現の方が、正しいかもしれない。
 頬を赤く染めて、黙って俯く。
 俺を養護するための“パフォーマンス”だったとはいえ、中々に破廉恥な行為だったからな。
 あとになって、恥ずかしさがこみあげてきたのだろう。

 その後、何度かプールで泳いだりしたが、全然楽しそうじゃない。
 なんだか、悪いことをした気分だ。
 やり方はどうあれ、俺を守ろうとしたのは事実じゃないか。
 仮とはいえ、彼氏役の俺がしっかりアフターケアしてやらんとな。


 水面が夕陽でオレンジ色に輝きだした。
 時計を見れば、もう夕方の4時半近く。
 このプールは5時で閉園だ。
 今日の取材が、こんな風に終わるのはなんともかわいそすぎる。

 なにかアンナが元気になることはないだろうか?
 そう頭を悩ませていると、どこからか、歓声が湧き上がる。

「なんだ?」

 フードコートの横に大きなステージが設置されており、そこにたくさんの人だかりができていた。
 なにやらイベントをやっているらしい。
 スピーカーからアニメ声が聞こえてきた。

「許さないわよ! イケメンガー!」
 ん? 聞いたことのある名前だ。
「ぐわっははは! また会ったな、ボリキュアども! 今度こそ駆逐してやるぅ!」
 あ……これだ!

 俺はすぐにアンナへと伝える。
「アンナ、あっちでボリキュアショーってやってみるたいだぞ!」
 するとアンナは、ピョコンと首をまっすぐ立てる。
 そして、「え、どこどこ?」と辺りを見渡す。
「あそこだよ。せっかくだから、見ていくか?」
「うん☆」
 彼女に笑みが戻る。
 良かった、おこちゃまなやつで。


   ※

 俺たちは、急遽ボリキュアショーを観覧することになった。
 前回、かじきかえんで観た時より、出演しているキャラは少ない。
 今期のボリキュア『ロケッとボリキュア』から、ボリエール、ボリアンジュ、ボリエトワールの3人。
 それから、今年は生誕15周年ということもあってか、初代の『ふたりはボリキュア』からボリブラックとボリホワイトが参戦。

 いつもながら、敵役はイケメンガーひとりのみ。
 5人対1人っていじめだよね……。
 

 必殺技を連発するボリキュアたちだったが、毎度の展開で、イケメンガーがチート並みのスキルで、全員をブッ倒す。
 というか……ボリキュアが勝手にずっこけた演出なのだけど。

 気がつけば、意気消沈していたアンナはどこにいったのやら。
 近くにいた幼いキッズたちと叫んでいた。

「ボリキュア、がんばれ~! イケメンガーに負けちゃいや~!」

 元気になったのは嬉しいのだけど、ねぇ……。
 金髪のハーフ美少女がさ。一番前で、ステージに向かって大声で叫ぶんだぜ?
 彼氏役は辛いよ。

 どこからか、キッズたちのパパさんママさんが失笑していた。
 うちの彼女役。しんどいです。

 アンナに目をつけたイケメンガーが、指をさす。
「ほほう~ アインアインプールにも『アクダマン』になりそうな、いい子供たちがいるなぁ~」
 あれ、この流れ。前にもあったような。
「イヤァ~! またアンナたち良い子をさらう気ねぇ!」
 迫真の演技でまんまと乗っかる女装男子、15歳。
「フッハハハッ! その通りだよぉ、お嬢さん。君をアクダマンにしてやろう」
 そう言い放つと、イケメンガーは舞台から降りて、俺の隣りにいたアンナと近くに座っていた女児を数人に連れて行く。
 もちろん、合意の元でだ。
 だって、このあとボリキュアたちが勝利して、写真を撮れる特典つきだからな。
 みんなこぞって、参加したがる。

「キャ~! タッくん、助けてぇ~」
 自分からステージに上がりやがるくせに、わざとらしく叫ぶアンナ。
 俺に手をさし伸ばしてはいるが、脚はしっかり後ろへ進む。
 周りにいたママさんパパさんが、それを見て笑い出した。

「可愛らしい二人ね」
「おもしろいカップルだ」
「むむむっ! あの女史は以前、かじきかえんで出会った同志では!?」

 左を見ると、真っ黒に焼けた男がいた。
 望遠レンズ付きの高そうなカメラを首からかけている。
 頭には、プラスチック製のピンク色のカチューシャ。
 そしてフリルがついたワンピースタイプの水着を着ていた。サイズはきっと子供用なのだろう。
 ピチピチで、もう生地が破れてしまいそう。
 エグすぎる大友くんだ!

 類は友を呼ぶ……か。
 博多って変態が多い街なんですね。もう引っ越そうかな。

 
 その光景に俺が絶句していると、ステージでは物語が進行していく。
 倒れたボリキュア戦士たちに向かって必死にエールを送るアンナ。
「ボリキュア、がんばれぇ~」
 あなたが一番目立ってどうすんのよ。
「フハハハハ! この子たちを全員アクダマンにして、アインアインプール。いや……海ノ中道海浜公園を征服してくれるわぁ!」
 スケールちっちぇ!

 不穏なBGMが流れだした、その時だった。
「いいえ、そんなことはさせないわ……」
 よろよろと立ち上がるボリブラック。
「そうよ。こんなときこそ、力を合わせて良い子たちのために戦うの!」
 ブラックから手を借りて、起き上がるボリホワイト。

「「「先輩たちの言う通りよ!」」」

 声を合わせて叫ぶのは、今期のボリキュア戦士。

 その後は、テンプレ通りの展開だ。
 各戦士たちによって、フルボッコにされるイケメンガー。
 捨て台詞を吐くと、優しくアンナや女児たちを解放する。
 気づかい半端ないっす。

「アインアインプールも海ノ中道も私たちがいる限り、悪い子の好きなようにさせないわ!」

 夕陽にむかって、高々と拳を突き上げる。
 ボリブラック。

 だから、なんで海ノ中道だけ限定なの?
 せめて福岡市ぐらい守れるでしょ。ヒーローなんだから。

 閉幕と同時に、撮影会が始まる。
 捕らわれたアンナと女児たちはVIP待遇だ。
 ボリキュアの5人が、周りを囲んで撮影タイム、スタート。

 アインアインプールのスタッフがポライドカメラで、無料で撮ってくれた。
 それをもらったアンナは、満足そうに舞台から降りてきた。

「タッくん! 見てみてぇ! ボリキュアと写真撮れちゃった☆」
「ハハ……良かったな、アンナ」
 俺は既に呆れていた。
「これもタッくんのおかげだよ☆ ありがと、タッくん☆」
 いや、それは違うと思う。
 あなたの演技力が素晴らしかったんじゃないんですか、知らんけど。


   ※

「写真も撮れたし、そろそろ帰るか?」
「うん☆ 楽しかったね、初めてのプール☆」
「ああ、そうだな……」
 互いに見つめあって笑い合うと、二人で仲良く更衣室に向かう。
 歩いていると、とあるカップルに声をかけられた。

「あの、すみません。良かったら写真撮ってくれませんか?」
 いかにもリア充って感じの好青年だ。
 どうやら、彼女とのツーショットが欲しいらしい。
「いいですよ」
 俺は快くそれを引き受ける。
 何枚か撮り終えると、スマホを相手に見せて確認させた。
 青年が「ありがとうございます」と頭を垂れたので、俺は「いえ、気になさらずに」と背を向けた。
 だが、ガシッと強い力で肩を掴まれる。

 振り返ると、青年がニカッと笑っていた。
「お返しにカノジョさんとの、写真撮りますよ」
 言われてすごく困った。
 俺たちは確かにカップルぽく振舞ってはいるが、実際は違う。
 そう思って、断ろうとしたら、アンナが代わりに答えてしまう。
「いいんですか!? じゃあ、タッくん。撮ってもらおう☆」
「え……ああ」
 流れで、俺たちまでツーショットを撮ってもらうことになってしまった。

 アンナはどこか嬉しそうにしている。
 俺の左腕に、小ぶりの胸を押し付けて「ハイ、チーズ」と一枚撮られた。
 もちろん、彼氏役の俺はガチガチに固まってしまう。
 
「もう一枚、撮っておきましょう!」
 青年がいらぬ気づかいをする。

 すると、アンナが俺にしか聞こえないぐらいの小さな声で囁いた。

(来年の夏も絶対に来ようね……)

 え? 俺たちの取材っていつ終わるんですか。