結局、なぜミハイルがバイトを始めたのかは聞きだせなかった。
とりあえず、ホームルームを終えて、初めての期末試験が始まる。
午前中の4時限目まで全部ペーパーテスト。
午後からは音楽の試験があるらしい。内容は担当の光野先生しか知らないのだとか。
チャイムの音が鳴り、各々が選択している科目の教室に散らばっていく。
一ツ橋高校は単位制なので、全日制の高校を中退したり、編入してきた生徒たちがいるため、全員が全員、同じ科目を受けるとは限らない。
といっても、俺たち00生はみなほぼ同期なので、自ずと固定されたメンバーだ。
教室に残ったのは、いつも通り、俺とミハイル、北神 ほのか。
千鳥 力に花鶴 ここあ。それに日田の双子。
そんなもんか。
一時限目のテストは現代社会。
例によって、オタクっぽいもっさりとした、無精ひげの若い男性教師が「ふぅふぅ」と言いながら、プリントを持って教室に入ってくる。
しばらく見ない間に、長髪になっていた。
髭もネクタイまで伸びていて、どこかの尊師みたいだ。
眼鏡が曇っていて、不審者にしか見えない。
「それじゃ、プリント配るから後ろに回してね」
そう言うと、一番前の机に用紙を置いていく。
受け取った生徒が次々に後ろの席へと渡していった。
俺もそれを受け取ると、振り返って次の生徒に渡そうとする。
だが、相手はいびきをかいて眠っていた。
ギャルの花鶴 ここあだ。
机に足をのせて、股をおっ開けている。
つまりパンティどころの話ではない。
「お、おい! 花鶴! テスト始まるぞ!」
一応、彼女の足をつかんで揺さぶる。
「ふががっ……」
口を大きく開いて涎を垂らしていた。しかも白目向いて寝てやがる。
なんて下品な女だ。
「起きろって!」
ペシンと彼女の脚を叩く。
「ふごっ! ん? なぁに……オタッキーってば?」
「なにって……ほら。テストだよ。お前の分をとって後ろに回せよ」
「ハイッハイッ…」
そう言って、プリントを受け取り、雑に後ろへと回す。
一連の行動を終えると、あろうことか、テストを机に置いてまた眠りに入る。
「ふごごごっ」
なんてやる気のないやつだ。
もう、花鶴は単位取れないな。
心配になって、右隣りのミハイルに目をやる。
俺の不安をよそに彼は本気のようだ。
しっかり筆箱を用意して、真剣な目つきでプリントと睨めっこ。
ほう、やる気のようだな。
そして、教師が「では始め」と合図を出す。
一斉に鉛筆の「カッカッ!」という音が教室中を駆け巡る。
もちろん、俺もそのうちの一人だ。
試験の内容は、宗像先生の予告通り、レポートの復習だった。
暗記するまでもない。
俺はスラスラと空欄を埋めていく。
気がつけば、10分で書き終えていた。
内容も酷いが、レポートさえあれば、こんなの楽勝じゃないか。
鼻で笑うと、俺はプリントを裏返して、教室の時計に目をやる。
それに気がついた教師が俺に声をかける。
「あ、もう終わっちゃった? 悪いけどみんなが終わるまで待っててね」
「はぁ……」
別にカンニングするつもりはないが、暇だったので、クラスの中をグルッと一望する。
俺みたいにさっさと終わっちまう生徒はごくわずかだ。
日田の兄弟は余裕だったようで、テストそっちのけで、アイドルの話をしている。
「兄者、今期のあすかちゃんのライブはどうなされますか?」
「ふむ。10万は課金しよう」
あんな奴にそんな大金を貢ぐのかよ……。
左隣りに座っている北神 ほのかは、かなり苦戦しているようだった。
「ん~っと……これなんだっけ。徹夜でネーム書いてたから、覚えてないよぉ」
そんなことしてりゃ、覚えるわけないだろ。
俺が呆れていると、以外なことに助け舟が渡ってくる。
現代社会の尊師だ。
試験に不正行為がないか、教室をウロチョロしていた。
時折、立ち止まっては、生徒の書いているプリントを覗き込む。
ただし、女子のみだ。
男子はガン無視。
息を荒立てて、「はぁはぁ……」上から女生徒の胸元をのぞくように、見張っている。
キモッ。
ほのかの席の前に立つと、じーっと彼女を見つめる。
隣りから見ていると、彼女のふくよかな胸を眺めているようにしか、感じない。
しばらく黙ってほのかを監視していたと思っていたら、急に尊師の手がサッと動く。
彼女の指を自身の手でどかして、「これ違うよ」と言う。
「えっ……」
俺は思わず声に出していた。
次の瞬間、尊師は小声でほのかにささやく。
「この問題は三択だよね。答えはB。あと、こっちの問題も間違ってるよ? これはね……」
おいおい、なに言いだしてんの? この先生……。
不正どころか、答えを教えてやがる。
今日って期末試験だよね?
授業じゃないよな……。
「あっ、そっかぁ。ありがとうございますぅ~」
すんなり受け入れるほのか。
尊師は別に悪びれる様子もなく、「うん、いいよ。また分からないとこあったら声をかけて」なんてほざきやがる。
どういうことだってばよ?
その後も尊師は、教室中の生徒に声をかけては次々と答えを言ってしまう。
だが、助言するのは女子のみだ……。
なぜか、男子には声をかけない。
意味がわからん。
俺は初めて見るその光景に、呆然としていた。
「うーん……これって、えっとぉ……あっ! そっか、思い出したぞ☆」
ふとミハイルに目をやる。
必死になって、答えを思い出しているようだ。
対して北神 ほのかや他の女子生徒たちは楽して、試験を終えていく。
「はぁ~ 書けてよかったぁ!」
そう言って背伸びをするほのか。
ブラウスのボタンがはじけそうなぐらい胸が前にのめりだす。
「えっと……これはなんだっけ? 思い出さなきゃ、タクトから借りたレポートを……」
額に尋常ないぐらいの汗をかいて、答えを絞り出すミハイル。
健気だ。
あのおバカなヤンキーがここまで、真面目に勉強しているなんて……。
よっぽど、俺と一緒に卒業したいらしい。
しかし、なんだ。
わかりやすいほどに、男女差別が激しいな。
ミハイルは天使のような可愛さだというの、男だってだけで、教師は答えを教えてくれないだもんな。
だが、こればっかりは努力でどうにか這い上がってもらうしかない。
不正行為は良くないし。
がんばれ、ミハイル!
俺は両手を合わせて、祈りを捧げる。
無神論者なくせに、こういうときだけ人間ってのは、信心深くなるんだな……。
どうか、ミハイルが合格できますように。
目をつぶって、そう願掛けをしている最中だった。
背後から声が聞こえてくる。
「ねぇねぇ、キミ」
尊師の野太い声だった。
俺を呼んだと思って振り返る。
すると予想は外れていて、教師が声をかけたのは、未だに夢の中の花鶴 ここあだった。
「ほがっ! ん……なに? しんしぇ?」
相変わらず涎を垂らして、アホ面でそう答える。
「テスト中だよ。ちゃんと書いて」
答えを教えまわるお前には言われたくないけど。
「えぇ……めんどくさいっしょ~」
「キミねぇ、ちゃんと卒業したいんでしょ? 僕が今から答えを言うから……」
教えるんかい!
「わーったよ。なんであーしが、こんなの書かなきゃいけないっしょ」
そうブツブツ言いながら、尊師お言葉に沿って、空欄を埋めていく花鶴。
一方で、俺の隣りにいるミハイルは、眉間に皺を寄せて、奮闘していた。
「あともう一問……んっと、タクトはなんて書いてたっけ……」
泣けてきた。俺の書いた字を思い出しているんだな。
偉いぞ、ミハイル。
そしてくたばれ、このクソ差別教師がっ!
答えを教えて、ワンチャンJKとお近づきにでもなりたいんだろ。
「ここはね、こうだよ」
「あーマジ? 先生って頭いーね♪」
「ハハハッ! 僕は教師だからさ……」
わからんが、この胸に沸々と湧き出る感情は、殺意ってやつか……。
だが、一方でイレギュラーは存在するものだ。
花鶴の隣りに、一匹の赤いタコがいる。
「クッソ~! わかんねぇ!」
ハゲの千鳥 力だ。
うん、君は自分でがんばりましょう。
見た目おっさんだし、可愛くないから、俺もスルーで……。
午前のペーパーテストは全て終了した。
と言っても、一時限目の現代社会の教師と同じく、試験中にも関わらず、先生が筆記している生徒に答えを教えてしまうというチート行為。
だが、女子に限る。
そのため、ミハイルはかなり苦戦していた。
お昼休みに入ると、食事を取るのも忘れて、机に伏せてしまった。
慣れないバイトや試験勉強で、空腹より睡眠を欲していたらしい。
俺のお手製卵焼きを食べることなく、夢の中だ……。
かわいそうに。
※
午後になり、音楽を選択していた俺は今日のスクリーング予定表に目をやる。
『音楽の試験会場は追って報告する』
とある。
もう授業が始まるのだが……。
習字を選択していた千鳥と日田の兄弟は、先に教室を移動していった。
残されたのは、俺とミハイル。それに花鶴 ここあと北神 ほのか。
主に女子が多い。
シーンとした教室に、ツカツカと足音が近づいて来る。
その正体は、音楽担当の光野先生ではなく、宗像先生……。
「よぉ~し、音楽の試験を受けるやつはこれだけだな」
腕を組んで、一人納得する宗像先生。
すかさず、俺がツッコミをいれる。
「宗像先生。なんで先生がいるんです? 音楽担当じゃないでしょ……」
俺がそうぼやくと、宗像先生はアゴ外れぐらい大きく口を開いて、笑いだす。
「だぁはははっははは!」
ノドチンコが丸見えだ。そんな下品な笑い方だから、嫁の貰い手がないんだよ。
「光野先生は、急遽お休みになられたそうだ! だからこの美人教師、蘭ちゃんが代わりに試験官になってやる!」
ファッ!?
お前に音を楽しむことなんて、教えられないだろうが……。
想像しただけで、寒気を感じる。
俺が黙りこくっていると、宗像先生がそれを見て、自身のふくよかな胸をボインと叩いて見せる。
「新宮。この私じゃ、音楽を教えられないとでも言いたげだな……だが、しかぁし! こんなこともあろうかと、秘策を用意しておいたから安心しろ!」
「秘策ですか……」
「うむ! では、部活棟にある音楽室に移動するぞ!」
「は、はぁ……」
とりあえず、俺はまだ眠っているミハイルを起すことにした。
「ムニャムニャ……いらっひゃいませ…」
寝言か、しかし夢の中でなにをしているんだ?
バイトの夢か……。
「ほら、起きろ。ミハイル」
彼の細い腕を掴むと、「キャッ!」と甲高い声をあげて飛び上がる。
「しゅ、すいません! お客様!」
立ち上がって、頭を垂れるミハイル。
「え?」
「あ……タクト…」
やはり夢の中で仕事をしていたようで、俺を客と勘違いしていたようだ。
目と目があい、夢から覚めたミハイルは顔を真っ赤にしている。
「あ、あの……違うから。これは違うんだよ?」
なんか必死に訴えているが、小動物みたいで仕草が愛らしい。
「気にするな。仕事ってのは大変だからな。とりあえず、教室を移動しよう」
「う、うん……」
久々に、ミハイルの親友『床ちゃん』とにらめっこか……。
元気してた?
※
宗像先生によって、集められた生徒一同。
音楽室に入ると、前回とは違い、吹奏楽部の連中は一人もいなかった。
円を描くようにパイプイスが並べられ、部屋の真ん中に大きな機械が立っていた。
古いカラオケボックスだ。
「さ、好きなところに座れ! あと出席カードをちゃんと取っておけよ」
ニッコリと笑って見せる宗像先生。
いや、これのどこが試験?
「せ、先生? カラオケでなにするんですか?」
「なにってお前……そりゃ歌うんだろ」
「……」
少しでもこのバカ教師に期待した俺が、アホだった。
仕方なく、カードを取り、イスに腰をかける。
ミハイルも俺の右隣りに座った。
「オレ、カラオケって初めてなんだ☆ 楽しそう☆」
「え……ウソだろ?」
なに、この子。超かわいそう。
「ねーちゃんがカラオケは危ないところだって、行かせてくれなかったんだ」
「危ない?」
「うん、なんかね。オフ……なんだっけ? パ……」
と言いかけたところで、俺は彼の小さな唇に手を当てる。
「ふごごっ」
「それ以上は言わなくていい……」
あ、察し……。
確かにヴィッキーちゃんの危険性も考慮すべきかもな。
ミハイルがカワイイから……。
※
みんなパイプイスに並んで座ったところで、宗像先生がマイクを片手に説明を始める。
「え~ 今日は音楽担当の光野先生が不在で誠に申し訳ない。光野先生は全日制コースの吹奏楽部がコンクールに出場するため、私が代理で本試験を担当することになったので、よろしく♪」
よろしくじゃねぇー!
光野先生って、本当に吹奏楽部のことしか考えてないだろっ!
前の授業も全然勉強させてもらえなくて、2時間もひたすらあのオヤジの生ケツを見せつけられるという苦行だったのに……。
てか、コンクールもあのブーメランパンツで出場するのだろうか。
予選で落ちろ。
俺の憤りをよそに、宗像先生は試験の説明を続ける。
「知っての通り、私は本来、日本史を教えている立場だ。だから、自慢じゃないが音符なんて一つも読めない。なので、こんなときのために、じゃじゃ~ん! カラオケボックス~!」
って、最後に国民的な万能ネコ型ロボットの真似すな!
「ルールは簡単だ。歌って採点の点数がまあ……そうだな。5点を超えてたら合格だ」
ファッ!?
楽勝すぎだろ。落ちるのはどんなジャイ●ンだ。
「じゃ、ここはまず00生の代表ともいえる新宮から歌ってもらおうか」
「え、俺からっすか……」
「ああ。お前が一番でいいだろ。出席番号も一番だし」
そうだった。忘れてた……。
宗像先生に笑顔でマイクを手渡される。
「がんばれ、タクト☆」
小さな胸の前で拳を作るミハイル。
くっ!? こいつの前では格好いいところを見せたいもんだ。
選曲はやはり、あの曲しかあるまい。
俺がこの世で最も尊敬する芸人であり、作家であり、映画監督でもあるタケちゃんの名曲……。
「宗像先生、‟中洲キッド”でお願いします」
この曲なら間違いない。毎日お風呂で歌ってるし。
俺にそう言われて、曲のファイルをめくる先生。
しばらく調べていたが、程なくして顔をしかめる。
「すまん、新宮。その曲、ないわ」
「えぇ……」
俺はあの歌ぐらいしか、知らんぞ。
あとは洋楽しか好まないから、英詩なんて無理だよ。
「そうだなぁ……この機械、昔のだから古い曲しかないんだよ。軍歌とか演歌とかそんなんばっかりだな」
昭和ってレベルじゃねー。
どこの老人ホームだよ。
終戦して何十年経ったと思ってんだ。
「歌う曲がないなら、無理じゃないですか……」
そう肩を落とすと宗像先生が再度ファイルをながめる。
「んん~ あ、これなんかどうだ? 割と最近のやつだし、ヒットしたやつだから新宮でもわかるだろ」
俺の確認も取らず、番号を機械に打ち込んでいく宗像先生。
モニターに映し出されたのは、確かに大ヒットを飛ばした名曲。
『タンゴ四兄弟』
「……」
絶句する俺氏。
「さ、時間も限られてる。もう歌っちまえ、新宮」
ゲラゲラ笑って、腹を抱える宗像先生。
「ガンバッ! タクト☆」
ええい、ままよ!
「箸に突き刺して、ナンボ……ナンボ…」
一本調子で歌い続けた。
採点の結果は、42点……。
なんとも言えない採点に俺は愕然とした。
次にミハイルがマイクを手に取ると、彼は嬉しそうにこう叫ぶ。
「宗像センセッ! オレ、『ボニョ』がいいっす」
「おお、それならあるぞ」
あるんかい!
そうして、ミハイルは腰をフリフリしながら、楽しそうにボニョを歌うのであった。
彼の美しく透き通った歌声が、部屋中に響き渡る。
『ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪』
癒されるぅ~
結果は驚異の98点。
ミハイルがこの日、最高の点数を叩き出したのであった。
音楽の試験……というか、ただのカラオケ大会は無事に終了した。
もちろん、宗像先生の言った曲の採点が「5点以上」はみんな余裕でクリア。
全員がホッとしたのであった。
※
帰りのホームルームがはじまる。
「えぇ~ 諸君! これにて本日の試験は終了だ! だが、再来週に二回目の試験が残っているからな。気を抜くなよ。んで、次回の体育の実技なんだが、前に三ツ橋から寄付してもらった体操服を持ってくるように!」
いや、あれパクッたやつじゃねーか。
それを聞いてなぜか隣りで喜ぶミハイル。
「そうだった☆ タクトの好きな服だもんな、ちゃんと着てくるよ☆」
ええ……ブルマで学校に来るの?
ちょっと、さすがにしんどい。
「それはやめておいた方が……」
「え、なんでぇ?」
上目遣いして、緑の瞳を輝かせる。
「ま、まあ、ミハイルがいいなら良いんじゃないか?」
「うんうん☆」
マジでいいの?
もう人格が破綻してない……あなた。
こうして、第一回目の期末試験は終わりを迎えるのであった。
俺はテストの成績に自信があるのだが、ミハイルが心配だ。
音楽の試験に関してはクリアしているけど、ペーパーテストの方がな。
かなり苦戦していたように見える。
試験を終えて、安心しきったのか、ミハイルは帰り道、歩きながらウトウトしていた。
よっぽど疲れているんだな。
帰りの電車内でも、俺の肩の上に寄っかかると、スゥスゥと寝息を立てていた。
ふーむ、一体なんのバイトしてんだろうな。
気にはなるが、本人が内緒にしてほしいみたいだし。
ま、暖かく見守るとしよう。
~次の日~
俺は毎々新聞へと来ていた。
無給なんだけど、店長のこだわりで、仕事に使うバイクを洗車しないといけないからだ。
店長曰く「日頃乗せてもらっているんだから、バイクちゃんにもご褒美をあげないと」らしい。
別にペットじゃねーし、馬でもないのに……。
だが、長年やっていることなので、文句一つ言わず、黙ってバイクちゃんをブラシで磨いていく。
「ほぉ~れ、ピカピカになったぞぉ~ また今週も頼むな」
なんて愛着も湧いていたりする。自ずと名前もつけたりして。
その名も『サイレント・ブラック』
カッコイイ名前だ。バイクの色はブルーなんだけど……。
ブラックの方が様になるだろ?
その時だった。
ズボンのポケットに入っていたスマホが鳴りだす。
お決まりの可愛らしい歌声、アイドル声優のYUIKAちゃん。
着信名は……ミハイルか。
「もしもし」
『あ、タクト! 今、仕事中?』
「ああ、もう少ししたら配達に出るけど……」
『仕事終わってからでいいから……今日会えない?』
「構わんが…」
『よかった☆ じゃあ、オレも仕事に戻るからまたあとでな!』
と言って、一方的に切られてしまった。
電話の向こうで何やらガヤガヤとうるさかったな。
仕事中だと言っていたので、職場か?
まあ、とりあえず、俺も今から配達に行くか。
彼に会えることが嬉しくて、俺は猛スピードでバイクを飛ばした。(もちろん法定速度で)
※
夕陽が落ちだしたところ、俺はミハイルに言われて、彼の地元である席内に来た。
メールでは、以前一緒に行ったことのあるスーパー、ダンリブで待ち合わせだという。
なぜ、彼の自宅ではないのだろうか? と疑念を抱いたが、まあ行ってみるとするか。
ダンリブに入って、しばらく店の中をウロチョロする。
「あいつはまだ来てないのか……」
そう呟いた瞬間だった。
背後から聞きなれた甲高い声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ! またのごりよーお待ちしておりますっ!」
なんだ、このバカそうな店員は。
振り返ると、そこには今まで見たこともないぐらいの美人店員が立っていた。
タンクトップにショートパンツ。
そのうえに『ダンリブ』とプリントされた青いエプロン。
小さな頭を三角巾で覆っている。
金色の髪は後ろで一つにまとめていた。
時折、垣間見えるうなじに色気を感じた。
「み、ミハイル?」
そう。あのヤンキーが甲斐甲斐しく働いていやがる。
腰の曲がったおばあさんの客に丁寧に対応。
「あ、ばーちゃん。オレが荷物持つよ☆」
「すまんねぇ……あらぁ、ミーシャちゃんじゃない。ダンリブに就職したの?」
「ううん☆ 短期のバイトだよ☆」
就職したら、この店潰れそう。
だって客にタメ口じゃん。クレームの嵐で店長壊れそう。
ミハイルはおばあさんのカートに乗っていたカゴを、軽々と持ち上げ、レジまで誘導する。
レジ打ちさえしないが、カウンターの中で、他の女性店員と一緒に商品をスキャンしたり、ビニール袋に詰め込む。
そして、客が去る際はしっかりとお辞儀をする。
お客様が見えなくなるまでだ……。
どこの老舗デパートだよ。
ヤンキーのくせして、けっこう真面目なんだな……。
俺がその姿に呆然としていると、彼がこちらに気がつく。
「あっ! タクト☆ 来てくれたんだ!」
そう言って、レジカウンターから出てくる。
太陽のような眩しい笑顔で手を振るというオプション付き。
くっ……なんだか、仕事あがりの嫁を迎えに行っているような錯覚を覚えるぜ。
しかもエプロン姿だもんな。
制服フェチとしては、たまらねぇぜ……。
「ハァハァ……やっと会えたね☆」
そう言って額の汗を拭う。
顔をよく見れば、昨日より目の下のクマが酷くなっている。
「ああ。ミハイルのバイト先ってダンリブだったんだな」
「う、うん……短期だから今日までなんだ☆」
「へぇ」
「それで、その……」
急に顔を赤らめてモジモジし出す。
なんじゃ、聖水か?
お花畑なら店にもあるだろうが。
「どうした?」
「これっ!」
そう言ってエプロンのポケットから小さな箱を渡される。
綺麗に包装されていて、リボンがついていた。
「ん、なんだこれ……」
「いいから受け取って、タクト!」
「はぁ……」
とりあえず、言われるがまま、箱を受け取る。
リボンの紐に何やらカードが挟まっていた。
メッセージが添えられていて、
『タクト、18歳のお誕生日おめでとう☆』
とある。
あ……今日って俺の誕生日だったのか。
万年ぼっちだったから、忘れてた。
「これ……もしかしてプレゼントか?」
「う、うん……」
頬を赤くして、恥ずかしそうにしている。
「開けていいか?」
「いいよ…」
リボンを外し、包装紙を丁寧に開けていく。
箱を開けると中には、キラキラと輝く万年筆が入っていた。
見るからに高そうだ。
「こんな高級なものを俺に?」
「うん……色々考えたけど、タクトは小説家だから。それがいるだろうって思ってさ」
アナログゥ~!
俺ってそんな文豪じゃねーよ。
しかも今時ペンで書くやつなんているか?
だが、こんな高級なもんをもらって、返すわけにも文句を言うわけにもいかんしな。
実はパソコンでタイピングしているなんて、口が裂けてもいえないよ。
「ありがとな……ミハイル」
「ううん。タクトに初めてあげる誕生日プレゼントだから☆」
やっと緊張がほどけて、優しい笑顔に戻る。
ニカッと白い歯を見せて。
クソがッ! 抱きしめてやりたいぜ!
生まれてここまで想われたのは、お前だけだ。男だけど!
「そっか……大事に使わせてもらうよ」
なんだか悪いことをした気分になる。
ていうか、バイトを短期でする意味って……まさかっ!
「ミハイル。もしかして、このプレゼントのために、バイトをしたのか!?」
思わず彼の細い肩をギュッと掴む。
瞬間「キャッ」と可愛く声をあげる。
「う、うん……だって、ちゃんと自分で働いて、自分のお金でタクトに……プレゼントしたかったんだもん」
そう言うと、今度はダンリブの床ちゃんがお友達に追加されてしまった。
ヤバい。泣けてきた……。
ミハイルママが俺のことを思って、夜なべしながら、試験勉強して、朝も早くからスーパーでバイトかよ!
自分がちっぽけに感じる。
「タクト、その万年筆でたっくさん小説書いてくれよな☆」
なんだろう……急にこのプレゼントが重たく感じてきた。
俺は生まれて初めてもらった誕生日プレゼントに感動していた。
いや、家族からもらったことはあるんだけど。
母親からは薄い同人誌、妹からはエロゲ、父親は逆サプライズで金を要求してきやがる。
そんな酷い環境だったから、万年筆だなんて。
誕生日ってこんな思いやりがある品物をもらえるイベントだったんすね。
泣けてきました。
嬉しかったから、彼に一緒に帰ろうと言ったが、「まだ仕事が残っている」と断られた。
健気もんだ。
だが、しかし今日が俺の誕生日なのは仕方ないことだけど……。
俺だけがプレゼントをもらいぱなしってのも、なんか気になる。
「ミハイル、お前の誕生日っていつだ?」
やられたら、やり返す! 倍返しだ!
「オ、オレの……? し、知ってどうする気?」
頬を赤くして、もじもじする。
「そりゃ、もちろんダチの誕生日なんだから祝うに決まってんだろ」
「オレは12月の23日生まれだよ……」
耳元にかかった毛先を指で触って見せる。
照れているようだ。
「よし、認識した。じゃあミハイルは何が欲しいんだ?」
だってこいつの趣味ときたら、カワイイもんばっかだから、俺には分からん。
「え……タクトが選ぶものならなんでも……それにオレはタクトが、一緒に祝ってくれることが、一番のプレゼントだもん……」
なにいってんの、キミ。
「そうか。まあまだ半年もあるから。考えておくよ」
「うん☆ 約束だゾ! オレ、残りの仕事があるから、もうひと頑張りしてくるよ☆」
俺に背を向けると、レジへと走っていく。
その後ろ姿ときたら、ただの天使。
女の子のように両腕を左右に振り、桃のような小さな尻をプルプル震わせる。
「よし、俺も頑張るか」
ミハイルからもらった万年筆をギュッと掴む。
俺はタイピング派なのだが、この万年筆を持っていると、創作意欲が湧いて来るってもんだ。
確かな手ごたえを感じると、踵を返す。
※
帰宅するとセーラー服姿のかなでが抱きついてきた。
「おにーさまっ!」
無駄にデカい乳が俺を襲う。
プニプニした感覚がとてつもなく気色悪い。
自ずと呼吸ができなくなる。
「ふごごっ」
「お誕生日おめでとうございますわっ!」
こいつ、また乳が発育してないか。
中三でこのデカさとか、もう乳がんじゃね?
「いいから離せ!」
「あーん、おにーさまのいけず……」
「やかましい!」
人がせっかくミハイルのプレゼントを喜んでいたというのに……台無しだよ!
リビングに入ると、辺りは一変していた。
『HAPPY BIRTHDAY! TAKUTO』
という文字がデカデカと壁に貼られていた。
それに部屋中にリボンや造花で埋め尽くされている。
ただし、合い間合い間に裸体の美男子やランジェリーを着用した男の娘がパーティーに参加していた。
「はぁ……」
これだから、俺の誕生日パーティーは嫌なんだ。
ただの虐待。
かなでと母さんの趣味に付き合わせられているだけ。
主賓は俺じゃないんだよ。
こいつらはただ遊びたいだけ。
その証拠が眼前にある。
「タクくん、18歳おめでとう!」
そう言う母さんの手には、手作りのショートケーキが。
しかしだ。白い生クリームの上で、裸体の男同士でチャンバラごっこしているんだよなぁ。
こんな卑猥なケーキを作れるのって、母さんだけだと思う。
「はぁ……」
俺もそろそろ児童相談所に行くか。
※
宴もたけなわ、というか、乱痴気騒ぎがやっと治まる。
母さんがハイボール飲み過ぎて、裸で踊りだすし、妹のかなでも大音量でエロゲーをやりだす。
もう誕生日パーティーどころじゃない。
誰か、僕を助けて……。
そう思っていた瞬間だった。
スマホのベルが鳴る。
久しぶりに見る着信名だった。
その名も、「アンナ」
「もしもし?」
『あっ、タッくん☆ 今いいかな?』
「構わんぞ。ただ、ちょっとうるさいから外に出るわ」
だってバカ女たちがギャーギャーうるさいから。
「ヒャッハー! BL祭りじゃヒャッホー!」
と、裸のおばさん。
『ああんっ! おにーちゃん、ボクはおとこのこなのに……ああん!』
をガン見しているJC。
カオスすぎるので、外に出て話しますわ。
一階に降りて、裏口の玄関から外に出る。
気がつけば、空に月がのぼっていた。
もう夜も遅い。
スマホを持って、真島商店街に出た。
外の空気を吸いたいと言うのもあったけど、アンナの声を静かに聞きたかったから。
「もしもし、悪かったな」
『ううん。ひょっとして、お家でパーティーしてた? 電話してていいの?』
「問題ない。ありゃバカの末路だ……」
『バ、バカ?』
「こっちの話だ。気にするな。ところでどうしたんだ?」
『あ、あのね。今、アンナ真島駅にいるの』
「えっ!?」
驚いて、スマホを耳から離す。
時刻を確認すると、『11:20』
「アンナ! お前、今真島駅に来てんのかっ!?」
『うん、どうしても今日中に渡したいものがあって……』
「と、とりあえず、急いでそっちに向かうから、駅のコンビニにでも入って待ってろ!」
『え? 急がなくてもいいよ?』
「バカッ! 女の子がこんな時間に歩いてたら危ないだろっ!」
って言いながら、俺自身もアンナが男だってことに忘れてた。
俺はスマホで通話しながら、全速力で商店街を走り抜け、真島駅に3分もしないうちにたどり着く。
ピザの配達より早いね!
必死になって、アンナを探す。
コンビニの窓から手を振る一人の女の子がいた。
赤いチェックのワンピースに、リボンのついたローファーを履いている。
髪は後ろでハーフアップしていて、ワンピースと同じ柄のチェックの大きなリボンでまとめいていた。
俺が肩で息をしていると、慌ててコンビニから出てくるアンナ。
「タッくん……そんなに急がなくても良かったのに」
優しく微笑みかける。
気がつけば、俺の背中をさすってくれていた。
「だ、だって……女の子がこんな……深夜に危ないだろ……」
「ありがとう☆ 優しいね、タッくんは☆」
アンナの髪から甘いシャンプーの香りがした。
なんだか、ドキドキしてしまう。
息を整えると、彼女に問いかける。
「ところで、俺に渡したいものって?」
「ミーシャちゃんから聞いたんだけど、今日ってタッくんのお誕生日なんだよね?」
あの、自分から自分にものを伝えるってどうやってんの?
乖離した人格と精神の部屋みたいなとこで、ペチャクチャ話すの?
まあそれはさておき、話を合わせる。
「ああ、そうだが……」
さっきくれたじゃん。高い万年筆を。
ミハイルからだけどさ。
「アンナもね、プレゼントあげたかったけど、無職だから、お金ないの……」
ウソつけ! おまえ、さっきまでスーパーで働いてだろ!
「そ、そうか……まあ気を使わなくていいぞ?」
「そんなわけにはいかないよ☆ だって、タッくんとの初めてのお誕生日なんだから☆」
はにかんだ笑顔を見せる。
だが、久しぶりに見る彼女の姿には違和感を感じた。
化粧で隠しきれないほどの、大きなクマが瞼の下にあるからだ。
「アンナ、一生懸命考えて、プレゼントをこれにしたの☆」
俺に向かって大きな紙袋を差し出す。
「これを、俺にか?」
「うん、開けてみて☆」
紙袋から出てきたのは、丸い包み紙。
手に持ってみると、柔らかくて軽い。
なんだろうと思い、包装紙を丁寧に開いていく。
中には、紺色のボタンシャツとズボンが入っていた。
「ん? パジャマか」
「当たり☆」
広げて見ると、ただの寝巻きじゃないことに気がついた。
襟元と袖口にハートと星のプリントがいっぱい刺繡されている。
背中には
『TAKUTO FOREVER☆』
とある。
いや、俺まだ死んでないよ?
ズボンにも目をやる。
尻の割れ目の生地がピンク色になっていて、ハートの形。
ここにも文字があって、
『SWEET CUTIE』
と書いてあった。
これを着て寝ろと?
「あ、ありがとう。アンナ」
「気に入ってくれた?」
「ああ、すごく良くできているよ。ところで、これアンナが作ったのか?」
「うん☆ ミシンで作ったんだ☆」
そういうことか……。
慣れない仕事に、試験勉強、それに裁縫まで…。
俺のためなんかに、ここまで頑張るなんて。
それも知らずに、俺はのほほんと一週間を過ごしていた。
罪悪感が押し寄せてくる。
「本当にありがとな、アンナ。良かったら家に寄ってくか?」
「ううん、悪いけど帰るね。ほら、タッくんは今試験中でしょ。勉強の邪魔したら良くないから☆ また今度ね」
そう言うと、別れを惜しむこともせず、ささっと駅のエスカレーターを昇っていった。
俺はその姿を下から眺めていた。
あ、今日のパンツ。ピンクだ……。
これが、最高のプレゼントでした、と。
俺はかくして18歳を無事に迎えることができた。
ていうか、ミハイルとアンナに祝ってもらえてウルトラハッピー! な年だったぜ。
ちょっと今までの人生があまりにも孤独だったせいか、彼と彼女からもらったプレゼントを毎日眺めては、涙を流していた……。
アンナの作ってくれたパジャマを着て、胸ポケットにミハイルがくれた万年筆を入れ、執筆活動に勤しむ。
書ける書ける! スラスラと映像が文字に変換されていく。
ラブパワーだな。
ある日、博多社の担当編集、白金 日葵から電話がかかってきた。
電話に出ると、いつもふざけているロリババアがかなり慌てている。
『あ、DOセンセイ! 大変です!』
「どうした? お前の合法ロリ風俗店就職が決まったのか?」
『んなわけいでしょ!』
されたらいいのに。今よりだいぶ稼げるんじゃない。
「なんだよ。ちょうど筆がイイ感じで進んでいたのに……」
『ホントですか!? ならちょうどいいです!』
「なにがだよ?」
『今月号の‟ゲゲゲマガジン”で発表したセンセイの拙作‟気にヤン”が大反響で、発刊以来の重版決定となりました!』
拙作て自分で言うもんじゃないの……。
「重版?」
耳を疑う。
白金がとうとう頭がイカれちまったんだろって思った。
『なので、長編書いてください! 単行本発売決定で、すぐに8万文字必要です! 期限は2週間! では、おなーしゃす! ブチッ……』
「ちょ、ちょっと……」
一方的に切られてしまった。
それにしても、俺の作品が久しぶりに単行本化するのか。
書いたのがラブコメってのが、ちょっと癪だけど、まあ悪くない。
よし、書こう。
今の俺なら来週までに8万文字なんて、訳ないぜ。
なぜなら、アンナのパジャマとミハイルの万年筆があるからなっ!
タイピングしていく指の速さがグンと上がる。
その時だった。
自室の扉がバタンと、大きな音を立てて開く。
妹のかなでだ。
「ただいまですわっ!」
「おう、おかえり……」
俺は振り返りもせず、机の上でパソコンとにらめっこ。
自身に追い込みをかけているからだ。
「おにーさまったら、顔も見てくれないなんて……てか、そのパジャマ……ダセッですわ」
「……」
この時、俺は思った。かなで、いつかぶっ殺す。
~2週間後~
連日連夜、原稿に終われていた。
ちょくちょく白金とオンラインで打ち合わせ重ね、構成を見直したり、キャラをもっと深堀したりとまあ、作家らしい仕事をこなす。
その間、新聞配達も朝と夕方にやるから、仮眠を取る暇があまりない。
徹夜の日々であっという間に、原稿の期日になる。
もちろん、この天才作家のことだ。ちゃんと間に合わせたさ。
ネットで原稿を白金に送り、あとは全部出版社に丸投げ。
ふとカレンダーに目をやる。
「あ、今日はスクリーングだったか……」
原稿のことばかりで、すっかり忘れていた。
一ツ橋高校の二回目の期末試験。
寝不足だが、あんな幼稚なテスト余裕だな。
あくびをかきながら、リュックサックを持って家を出た。
小倉行きの電車に乗り、車内のロングシートに腰を下ろすと、すぐに夢の中に入る。
しばらくすると、どこかの駅に止まった。
振動で目を開く。すると、ミハイルが隣りに座っていた。
「ミハイル……」
ゆっくり身体を起そうとするが、白い手が俺の瞼を覆う。
「タクト、疲れてんでしょ? オレが起すから寝てて☆」
耳元でそう囁く。
その声はとても優しく、俺の疲れも吹っ飛んじまうぐらい愛らしい。
「た、頼む…」
「いいよ☆」
※
スマホの振動で目が覚める。
気がつくと、俺は身体を横にしていた。
枕にしてはやけに柔らかい。
なんだろうと思い、顔を下にずらす。
すると、ぷにぷにと何かが唇に当たる。
「キャッ!」
ミハイルの声?
ということは、これは……。
太ももだ!
クンクン、思わず香りを堪能してしまう。
だって、こいつが悪いんだ。
毎回ショーパンなんて履いてやがるから、細くて白い太ももが露わになっちまうだろ。誰でも匂ったり、その感触を確かめたりしたいのが、人間!
自身の唇で太ももの柔らかさを確認しつつ、鼻で石鹸の甘い香りを楽しむ。
徹夜した甲斐があったてもんだ。
癒されるぅ~
「ちょっ……タクト! なにふざけてんの! もう赤井駅だよ!」
自分で膝枕させておいて、頭を叩いてきた。
まったく困ったツンデレのダチだな。
「すまん。ここ連日徹夜していててな……寝入ってしまったようだ」
しれっと言い訳をしておく。
「そっか……タクトも試験勉強?」
話しながら、車内から出てホームに降りる。
赤井駅を出ても、話は続く。
「俺は、試験勉強じゃなくて執筆の方だ」
「え、新作を書いてんの?」
「以前にアンナを……モデルにしたラブコメの短編があってな。それが人気らしくて、いきなり単行本化だそうだ」
クソがっ! なんで俺が書いた処女作『ヤクザの華』は売れないんだよ!
俺の思惑とは裏腹に、ミハイルは瞳をキラキラと輝かせる。
「スゴイじゃん! おめでとう、タクト☆」
ニカッと白い歯を見せて、微笑む。
「う、うむ……。今回の作品に関しては、ミハイルにその、感謝してる」
「オレに?」
「ああ。アンナという取材対象を紹介してくれてな」
一応、礼はしておく。
って、目の前にいるやつなんだけど。
「そ、そんな……まだ本も発売されてないのに。気が早いよ……」
言いながら、顔を赤くしてモジモジしだす。
「でも、オレからアンナにちゃんと伝えておくよ」
伝えるもなにも、今面と向かって俺があなたに言ったじゃない。
なにこの、面倒くさいやりとり?
一ツ橋高校に着くまで、ミハイルは終始、頬を赤くしていた。
どうやら自分のように喜んでくれているらしい。
ま、そりゃそうだよな。
小説ていうか、ただの日記みたいなもんだ。
言わば、合作だ。
俺とミハイル、アンナの……。
一ツ橋高校の玄関に着くと、俺とミハイルは今日の予定表を手に取る。
今回のスクリーングは、前回のようにペーパーテストと体育の実技があるだけだ。
この前、宗像先生に言われた通り、運動会で借りパクした三ツ橋高校の体操服を持参している。
罪深い学生だよな、俺たちって。
前に三ツ橋の生徒の福間 相馬が言ってたが、「一ツ橋は三ツ橋の恥さらし」ってのを最近、よく痛感する。
まあ元凶は全部、宗像先生なんだけどね……。
ミハイルが上靴に履き替えながら、こう言う。
「タクトッ! オレ、今日ちゃんとブルマ履いてきたから、楽しみにしてろよ☆」
ファッ!?
「えっ……」
言われて、彼の下半身を見るが、いつも通りのショーパンにしか見えない。
「あ、ズボンの中に履いてるんだ☆ ねーちゃんが小学校の時はそうしてたって言ってたからさ☆」
「ええ……」
困惑する俺氏。
やってること、マジで女子なんだけど。
どうせ同じ更衣室で着替えるのだから、生着替えを見せろよ。
もったいぶりやがって……。
だが、パンツじゃないから恥ずかしくないもんっ! て、いくらでも眺めても良いという結論に至るな。
うむ。確かに体育は楽しみにしてるよ、ミハイルくん。
※
階段をあがり、事務所を抜けて曲がるとすぐに1-1の教室がある。
と言っても、これは全日制のクラスだから、俺たち通信制は基本バラバラのホームルームなんだけどね。
教室の扉の前に一人の男が立っていた。
あまり見たことのない生徒だ。
廊下から教室の中をチラチラ見ては、サッと頭を隠し、また中を覗く。とても挙動不審だ。
カメラでパシャパシャと誰かを撮っている。息を荒くして。
変態だ……。
よし、通報しよう。
そう思った時だった。
ミハイルが、なにを思ったのか、その男に声をかける。
「あーっ! お前はトマトじゃん!」
「えっ?」
振り返る豚が一匹。
「あ、これは良いところに、DO先生がいた! そして、いつぞやのミハイルくんも」
ニコッと笑ってみせるが、とても気持ちの悪い青年だ。
こいつが20代前半とか、しんどい。
びしゃびしゃに濡れたTシャツからは、黒い乳首が透けて見える。胸毛もおまけつき。
額には、萌え絵のバンダナを巻いていた。
俺の公認イラストレーター、トマトさんだ。
「トマトさん? なんでここにいるんですか?」
不法侵入だろ。
「あ、いや……これは取材ですよ。決してJKを盗撮してたわけでは……」
しどろもどろになっている。
ますます怪しい。
「取材?」
「ええ、白金さんに以前、提案されたじゃないですか。可愛い女の子の絵を上手く描けるため、一ツ橋高校へ取材にいけって……」
「ああ。そう言えば、あのバカそんなこと言ってましたね。でも、トマトさんはまだ編入できないでしょ? 少なとも秋期からじゃないと」
俺たちが今受けているスクリーングが夏期。春から夏まで。
その次が秋期で、秋から次の年度末まで。
「それならば、大丈夫です。白金さんが一ツ橋高校に許可をとってもらって、今日は一日体験入学ということになってます」
「なるほど……」
「ハハハ、トマトはじゃあオレとタクトの後輩になるんだな☆」
いや、そうかもしれないけど、年上だから敬ってあげてね。
「良きの良きですよ、ミハイル先輩。実は取材の予定が早められたのは、DO先生の短編が人気爆発して、単行本の表紙と挿絵のために、モデルさんを撮りに来たんです」
「そういうことだったんですか。俺の作品のために申し訳ないっす」
「いえいえ、僕みたいな童貞が生のJKを見れる機会は、そうそうないですからねぇ~」
キモッ。
てか、相手に許可取ってないで、取材とか犯罪だろ……。
責めて教室に入って、生徒と話したりすればいいじゃないか。
「モデルってまさか……タクトの小説のヒロイン?」
上目遣いで頬を赤らめる当のご本人。
「そうですよ。僕は基本男キャラしか描けないので……設定では、ヒロインは、ヤンキーでデートする時だけ、主人公好みになる美人さんだとか?」
目の前で褒めちぎられる。もちろん、ミハイルの顔はどんどん真っ赤になる。
爆発しそうだ。
「うう……そう、なんだ……主人公好みの美人かぁ」
照れてやがる。
そうこうしていると、背後から足音が近づいて来る。
「おはにょ~♪」
「よう、ミハイルにタクオじゃねーか」
赤髪のギャル、花鶴 ここあと、老け顔のハゲ、千鳥 力だ。
相変わらず、花鶴はパンツが丸見えの超絶ミニスカを履いている。
もちろん、千鳥もいつもと変わらず、ピカピカのハゲチュウだ。
「おう、お前ら。今日は早いな」
いつも重役出勤で、授業終わりに出席カードを教師からパクるバカ共だ。
試験だからか?
「まあな、俺もここあも単位は欲しいし。てか、後ろのおっさん誰?」
千鳥がビシッと指をさす。
年上だってわかってんのに、失礼だとは思わないの?
「あ、あの……ぼ、僕は……」
指を突きつられて、固まるトマトさん。
どうやら、ヤンキーで柄の悪い千鳥にビビっているようだ。
確かに、こいつらは見た目こそ、悪ぶってはいるが、根は良いヤツというか、ただのバカだから。
怖がるような人間ではない。
ここは、俺がフォローしておくか。
「トマトさん。こいつは俺の同級生で千鳥っていうんです。見た目はこんなんすけど、別に悪いヤツじゃないですよ」
俺がそう言うと、千鳥が背中をバシバシと叩いて来る。
「んだよっ! そんな紹介あっか、タクオのダチか。なら、俺のダチだな」
いや、なんでそうなるの?
「おい、トマト? 大丈夫か? なぁ、タクト。トマトの様子がおかしいぞ」
ミハイルが俺の袖をクイッと掴む。
「ん?」
振り返ると、彼の言う通り、トマトさんは顔を真っ青にして、震えている。
膝をがくがく揺らせて、目を見開き、あるところを凝視していた。
その視線を追うと、二つの長い脚。
というか、パンツ。
花鶴 ここあのだ。
「どしたん? おっさん、なんかウケるっしょ。あーしの顔に何かついてるん?」
いや、顔見てないよ。あなたの股間見てるだけ。
「ハァハァ……」
息を荒くし、ギャルのパンティーを眺める。
「ちょっと、トマトさん?」
試しに俺が彼の肩を揺らすが、反応はない。
返ってきたのは、べっちゃりと生暖かい汗だけ……。
きっつ。
「き、決めたぞ!」
急に大声で叫ぶトマトさん。
その野太い声が、廊下に響き渡る。
大量の唾を床に吐き出して……。
「あ、あの……あなたのお名前を聞かせてくださいっ!」
飛び掛かるように花鶴との距離を詰める。
彼女の胸の前で、拳を作り、鼻息を漏らす。
その姿は、発情したオス豚である。
「え? あーしのこと? 花鶴 ここあだけど。おっさんは?」
「ぼ、僕は、筑前 聖書です! 聖書って言ってください!」
「ウケる~ なにその名前、じゃあ今度からバイブって呼んであげるっしょ♪」
「それでいいです! 嬉しいです!」
よくねぇ! 神に謝れ!
ていうか、聖書ってペンネームじゃないの? トマトが本名の方が良かったかも……。
「ところで、ここあさん。僕の絵のモデルになってくれませんか? あなたが、DO先生の小説に出てくるヒロインにぴったりです!」
「あぁっ!?」
思わずブチギレてしまった。
こんなどビッチと、あの天使アンナを一緒にしてほしくない。
「DO先生って……オタッキーのことっしょ? ダチなんだから、もちろんオッケーっしょ♪」
「や、ヤタッーーー!」
ウソォ……嫌だわ。
俺の単行本の表紙が、アンナが、こんなビッチに変換されるなんて……。
ふと、気になって隣りのミハイルに目をやる。
「……グスンッ」
「泣いてんのか? ミハイル……」
「違うもん! 泣いてなんかないもんっ!」
て言いながら、鼻をすすってやがる。
かわいそうに……。
トマトさんは、あまりに不審者ぽかったので、俺が教室に入るよう促した。
最初こそビクついていたが、『気にヤン』のヒロインモデルになってしまった花鶴 ここあとぺちゃくちゃ話していた。
だが、彼の視線はずっと、花鶴の胸元とパンツの二点であって、顔はあまり見てない。
何枚か写真撮影を頼んでいて、それに快く応じる花鶴。
なんとも異様な光景だった。
ミハイルは、モデルがよりにもよって、ギャルの花鶴になったことにショックを受けてしまい、半泣き状態で落ち込んでいた。
「グスンッ……なんでここあなんだよぉ」
机に顔を埋めてしまい、いつもの彼らしくない。
だが、確かに俺たちが培ってきたものが、全て打ち砕かれたような悲しみを感じる。
原作には、俺とミハイル、それにアンナが主要人物として、描かれているが、他にもサブヒロインとして、北神 ほのかや赤坂 ひなたも採用している。あと自称芸能人の長浜 あすかも。
モブキャラとして、花鶴と千鳥を使ったが、そんなに重要なキャラではない。
むしろヒロインを立てるための盛り上げ役にしかすぎなかったのに……。
俺も心で涙を流していた。
「よーし、今日も楽しい楽しいホームルームのはじまりだぞ~」
この低い声は、安定の痴女教師、宗像先生だ。
編み上げのコルセットに、テカテカのレザーのショートパンツ。
おまけに、これまたレザー製のニーハイブーツ。
もうこうなると、大人向けのSM嬢にしか見えない。
「な、なんだ。あのエッチぃお人はっ!?」
目移りするトマトさん、いや筑前 聖書くん。(25歳)
「おお、お前が日葵から紹介された筑前か。今日はしっかり本校を体験していけよっ!」
「はいっ! 素晴らしい学校だ……これなら、DO先生のモデルには困らないなぁ」
机の下でグッと拳をつくるトマトさん。
えぇ……まさか宗像先生まで、モデル候補になってんの?
しんどいよ。
「えー、本日は前回と同じく期末試験だ。午前は筆記試験、午後は武道館で体育の実技試験を行う。以前、伝えた通り、ちゃんと体操服とブルマは持ってきたか?」
「「「はーい」」」
バカそうにみんなで答えやがる。
てか、最初から体操服を入学時に販売しておけば、三ツ橋高校からパクることもないのに……。
「なんとっ! 絶滅危惧種の聖杯、ブルマがこの高校にあるとはっ! ますます入学せねば、なりませんね、DO先生」
親指を立てる豚ことトマトさん。
あんた、なにしに来たんだよ……。
※
一時限目の試験は、数学。
今回もきっと女子が優遇されるのだろうなと、俺は半ばあきらめていた。
ミハイルがあんなに頑張っていたのに、また女子たちは教師から助言というか、回答を隣りから優しく教えてもらうのだろう。
俺は落ち込んでいたミハイルに声をかける。
「なあ、ミハイル。また試験勉強してきたんだろ?」
「あ、うん。あんまり自信はないけど……タクトのレポートがあったから、たぶん大丈夫☆」
少しだけ笑顔が戻る。
「そうだな、俺たちならきっと大丈夫だ」
「うん☆」
よし、元気がでてきたようだ。
これで少しは安心できる。
トマトさんは、別に試験を受けるわけではないのだが、「ここあさんと離れたくない」という理由から、宗像先生に許可をもらい、机に座ることを許された。
その間、ずっと、花鶴の机にびったり自身の机をくっつけて。
スマホで横顔をバシャバシャと連写していた。
よっぽど、彼女が気にいったらしい。
「ここあさん! こっち向いてください! しゅ、取材に必要なんです!」
「ハハハッ、ちょー必死でウケるんだけどぉ~」
俺は全然ウケない~
ガラッと教室の扉が開く。
あまり見たことのない先生だった。
身長が高くてガタイもいい中年の男性。
見るからに体育会系といった感じ。
眉間に皺を寄せていて、その顔つきといったら、仁王像のような迫力がある。
こりゃ厳しそうな先生だ。
「はい、じゃあテストを配るから、時間になったら一斉に始めるように! それから、私は他の先生とは違うからな! ビシバシ行くぞ!」
その言葉一つ一つに、先生から熱意を感じる。
きっとこの人なら、女子を優遇せず、平等にみんなを見てくれるかもな……。
俺は少し期待していた。
試験がはじまり、俺はまた余裕で空欄を全て埋めてしまう。たった10分で。
なぜかって、問題が小学校の低学年レベルだから……。
暗記するまでもないし、暗算するまでもない。
自然にスラスラと書けちゃう。
なんだったら、小説より早く書き終えちゃった。
右隣を見ると、やはりミハイルは苦戦しているようだった。
「えっと……うーん、これはなんだったけ? タクトが書いてたレポートは……」
がんばれ、ミハイル!
そう思った瞬間だった。
先ほどの教師が、ミハイルの机の前に立ち止まる。
そして、彼の答案用紙をじっと見つめ、険しい顔でこう怒鳴った。
「きみっ!」
俺はミハイルがなにか悪い事でもしたのかと思ったが、見当違いだった。
「え、なんすか?」
「ここ、問題間違ってるよぉ~ これはね、Aが正解なの。ダメだよ、きみみたいな可愛い子が問題をねぇ。間違えるなんて、先生、胸が痛いじゃない~」
俺は思わず、机から転げ落ちるところだった。
強い口調で怒鳴っかった思ったら、急に優しい口調で話し出す。
しかも、ミハイルの肩に手をやって……。
セクハラだっ! 俺のダチになにしやがる!
「え……なんで答えを教えてくれるんすか? 今日は試験でしょ?」
ミハイルの必殺技、上目遣いで当の教師を目で殺しにかかる。
すると、先生は嬉しそうに笑う。
「やだぁ~ 先生はね、きみたちがなるべっく単位を取れるように、力を貸しているだけよ? 不正行為とかじゃないから、心配しないでね。あ、こっちも間違えてるよ?」
妙に身体をくねくねと動かして気持ちが悪いったら、ありゃしない。
しかも、ボディタッチが激しくて、ミハイルの小さな背中を撫でまくる。
クソがっ!
っと思っているのも束の間、今度は矛先がこっちに向けられる。
「ちょっと、きみっ!」
「え、俺のことですか?」
まさか、こっちに来るとは思わなかった。
「そう、あ・な・た・よ……」
なんでウインクしてくんの?
キモいんだけど。
「全問正解じゃない~ すっごいのねぇ~ あなたの頭ってナニで出来てるの? こんなテスト見たことないわ~」
そう褒められながら、頭を撫で回す。
鳥肌がたった……。
この先生、ヤベェ!
俺の元から立ち去ったが、その後も女子は全員無視し、男子ばかりに声をかける。
左隣りにいた北神 ほのかは、今回自力で試験を受けることになってしまい、顔を曇らせていた。
「わかんない~」
うーむ、これはこれで性差別なのでは?
オネェ教師は、その後も次々の若い男子たちに答えを教えては、身体を必要以上に撫でまわす。
最後に、彼が目をつけたのは、千鳥 力だった。
「わっかんねぇ~」
問題用紙とにらめっこしている千鳥に、救いの神が現れる。
そっと優しく彼の肩に触れると、こう耳元で囁く。
「あらぁ、きみってば悪い子ねぇ……こんなにも問題を間違えちゃってぇ。先生、燃えてきたわ」
「え、なんすか?」
真っ青になる千鳥くん。
「今からたっぷり優しく教えて、あ・げ・る」
そして、ツルピカに輝くスキンヘッドに口づけ。
「ひ、ひぇ!」
脅える伝説のヤンキーの一人。
「たくましい胸板ねぇ、きみの場合、知識が全部、ここにいっちゃってんのかなぁ?」
そう言って、オネェ教師は千鳥くんの乳首を指で、いじりまくる……。
「うぐっ!」
なにかを必死に耐える千鳥くん。
「よし、全部書けたぞ☆」
何か知らんが、ミハイルに有利な展開なので、これで良し!
その後も、今日のテストはオネェ先生が担当していて、男子が圧倒的に優遇された。
女子は蚊帳の外。
やったぜ!
無事にというか、今回は男子が優遇されて筆記試験は終了。
お昼ごはんの時間になった。
千鳥や花鶴は弁当を持ってきていないので、学校近くの飲食店までバイクに乗って向かうらしい。
それを走って追っかける一匹の豚じゃなかったトマトさん。
文字通り、花鶴の尻をエサにしてブヒブヒ言いながら、喜んでいた。
教室に残った男子は俺とミハイルのみ。
他には北神 ほのかなどの大人しい女子たちが弁当を各々机の上に取り出す。
もちろん、俺もミハイルも弁当のフタを開ける。
「いただきますっ」
手を合わせて、お百姓様に感謝する。
そこを白い華奢な細い手が止めに入った。
ミハイルだ。
「ちょっと待って!」
頬を膨らませて、睨んでいる。
「どうした?」
「お弁当、交換する約束じゃん!」
「え……」
「前はしただろ。オレ、タクトのためにちゃんと弁当作ったんだから! こう・かん!」
子供のようにすねる。
交換ていうか、ほぼ強要だよね。
お目当ては俺のたまご焼きだろう、どうせ。
「わかったわかった、ほれ……」
言われて仕方なく互いの弁当を交換する。
ミハイルが用意してくれた弁当を手に持つと、ずっしりと重みを感じる。
「な、なにが入ってんだ……」
恐る恐る弁当箱のフタを開いてみると、そこには色とりどりの旨そうなおかずがぎっしり。
巨大なハートの形をしたハンバーグ、星の形をしたポテト、スパゲッティ、タコさんウインナー、そして白飯が詰められていたのだが、桜でんぶで文字が書かれており……。
『せかいで一人だけのダチへ☆』
なにこれ……。
俺って、生涯でミハイルしかダチを作っちゃいけないってこと?
ふと、隣りを見れば、俺が焼いたたまご焼きを嬉しそうに頬張るミハイルが。
「んぐっ……んぐっ……ぷっはぁ……はぁ、おいし☆」
相変わらずのエロい咀嚼音だ。
ま、いっかととりあえず、俺も彼の作った愛妻弁当ならぬマブダチ弁当を頂くのであった。
※
昼食を終え、午後の体育まで少し時間が余った。
俺とミハイルが、何気ない話で時間を潰していると、急に教室の扉が勢いよく開いた。
弁当を持参してくる連中は俺たち以外、みんな大人しい。
だから、全員ビクっとした。
「おぉ? なんだっ、こんだけかよぉ」
目に入ったのはその奇抜なファッションだった。
レザーベストを素肌に着て、両腕には龍と虎のタトゥー。
それから髑髏の刺繍が入ったハーフパンツにサンダル。
頭はストライプ状に刈りあげた坊主。
酷くやつれていて、目の下には大きなクマ。
ギラギラした目つきで、見るからにヤバそうな人間だと、俺でもわかる。
こいつはきっと薬中だ……。
いかん、ミハイルを守らないと!
「ちっ、これじゃ。あんまり売れないねぇなぁ……」
やはりシャブを売る気だな。
俺は机の上で小さく拳を作った。
「ねぇ、琢人くん」
ほのかが俺に耳打ちする。
「どうした、ほのか……あいつを知っているのか?」
「噂だけど……なんか最近まで留置場に入っていた夜臼先輩じゃないかな」
なん、だと!?
「つまり犯罪を犯して、お巡りさんのお世話になっていたというのか?」
一ツ橋高校は確かにヤンキーみたいな連中が多いが、ここまでヤバい人、しかもムショあがりのヤツなんて聞いたことない。
「あくまでも噂だけどね。『夜臼先輩だけはヤバい』って千鳥くんも言ってたよ」
「あの千鳥がビビるような相手か?」
「うん……目を合わせないほうがいいかも」
「そうだな」
俺とほのかは、互いに頷きあい、夜臼先輩から視線をそらす。
「お~い、てめぇら。俺りゃあよ、夜臼 太一ってもんだけどよぉ……」
自己紹介を始めたよ……早く教室から出ていけ。
「へぇ、太一ってんだ。オレはミハイル。よろしくな☆」
机の上で、顎に手をつきながら、フランクに話しかけるミハイルちゃん。
怖いもの知らずだな。
「おう、ミハイルってのか……へへん、良い態度じゃねーか」
不敵な笑みを浮かべる夜臼先輩。
「ちょっ! ミハイル、やめとけ!」
俺は必死に彼をとめようとするが、当の本人は「なんのこと?」と言って悪びれることもしない。
むしろ夜臼先輩に興味津々のようだ。
「こらぁ! てめぇ……なにコソコソ喋ってやがんだ、オイッ!」
そう言って俺を睨めつける。
気がつけば、舌をなめまわしながら、こっちにグイグイ近寄ってきた。
「お、俺のことですか?」
恐怖から背筋がピンとなる。
ヤベェよ、薬中とか急に包丁とか出してくるんじゃないか?
死にたくない。
「おめぇ……名前なんてーんだよ?」
喋りたくねぇ。
俺が躊躇していると、隣りにいたミハイルが勝手に紹介し始めた。
「太一、こいつはオレのマブダチでタクトっていうんだよ☆」
こんな時でさえ、ミハイルは満面の笑顔で応対。
「へぇ……琢人っていうのか。教えてくれてありがとよ、ミハイル」
「別にいーって、太一もこの学校の生徒なんだろ? 気にすんなよ」
だからなんでそんなに社交的なの?
怖くないの?
どう見ても、年上に見えるよ。
怖くなって、ほのかの方を見たが、彼女は他人のふりをしていた。
「なぁ、琢人。おめぇよ、いいもん買わねーか?」
キタキタ! これ、絶対白い粉のやつだ。
「な、な、なにを買うんですか……」
生きた心地がしない。
「何をって、おめぇ、野暮なこと聞くんじゃねーよ。そいつを一回でも味わってみろ。もう病みつきだ。そのせいで、俺りゃあよ、この前サツにパクられちまって大変だったぜ。ま、蘭ちゃんがサツにかけあってくれたから、早めにシャバに出れたけどよ」
超ヤバいやつじゃん。しかもよく見ると、夜臼先輩の首筋や腕には、紫色の小さなアザみたいプツプツが、そこらじゅうにある。
重症のジャンキー野郎だ……。
生唾を飲み込む。
「ら、蘭ちゃんって……宗像先生と年が近いんすか?」
恐る恐る聞いてみた。
「バカ野郎、俺りゃあ、もう今年で36だぞ。蘭ちゃんの方が年下だよ。いい女だよな、あの先生」
めっちゃ笑ってる。
下から見てるせいか、超悪い顔に見える。
ヤベッ、宗像先生がヤラれちゃうかも……。
「そうだったんすね……」
「まあな、つまらねー話だよ。俺りゃあこの商売でしか生きていけないんだからさ。しみったれた話は終わりにしてよ、今日は極上のブツを手に入れたんだ……なあ、琢人。おめぇになら、初回のみタダで味わせてやるぜ? ヘヘヘッ……ま、蘭ちゃんには内緒でよ」
俺をシャブ中にする気か!
嫌だ、それだけは断固として断る!
そんなアングラ取材は、某闇金マンガで勉強しているので、間に合ってます。
「いや、いらないっす……」
震えた声でそう言うと、夜臼先輩は顔を真っ赤にして激怒した。
「んだと! 琢人、てめぇ……俺りゃあの好意を受け取れねーってか? 今回だけ、タダにしてやるってのによ!」
「……」
なにも言い返せなかった。怖すぎて。
「タクトが嫌がってんじゃん。もうやめてやれよ、太一」
怖がる素振りも見せず、逆に腰に手をやって怒ってみせるミハイル。
「だってよ、琢人が俺りゃあのアイスを食わないっていうからよぉ……」
アイスだと? やはり覚醒剤じゃないか!
噂では、売人たちはシャブをアイスと言う聞く……。
「え、アイス? 美味しそう!」
乗っかるミハイル。
意味をわかってないんだ。
「おっ! ミハイルは食ってくれるのか? 俺りゃあの極上アイス。天国にブッ飛んじまうぜ?」
「食べる食べる☆ デザートに美味しそう!」
違う意味の天国だって!
「おい、ミハイルやめとけ。夜臼先輩の言っているアイスは、お前の知っているアイスじゃないんだ」
「え? なんのこと?」
首をかしげるミハイル。
そうこうしていると、夜臼先輩がどこからか、大きな肩掛けボックスを持ってきた。
「もう持ってきちまったよぉ、遅かったな琢人。残念だが、ミハイルにはこのブツの良さがわかるのさ。同じヤンキーだからなぁ、クッククク……」
こんの野郎。俺のマブダチを闇落ちさせる気だな。
「ほれ、ミハイル。これが俺りゃあの自信作だっ!」
ボックスを机の上にドシンッ! と乗せた。
そして、ゆっくりと蓋が開かれる……。
中から禍々しい白の煙が漏れ出た。
「さあ好きなのを選びな……」
くっ! もう手遅れなのか。
俺は悔しさから瞼を閉じる。
ミハイルを守れなかったたことが辛くて……。
「うわぁ☆ 美味しそう! じゃあ、オレこのチョコアイスが良い!」
えっ?
「いい目してんじゃねーか。俺りゃあが作った自信作だからよぉ。トッピングするか?」
「うん☆ じゃあバナナとナッツをお願い☆ ホントにタダでいいの?」
「おおよ、今日だけだからなぁ。ヒヒヒッ、このことは蘭ちゃんには内緒な」
俺は机から転び落ちて、床に頭を強くぶつけた。
モノホンのアイスだったんか……。
「なんだ? 琢人も食いたくなったか? しょうがねーヤツだ。今日だけだぞ? 他の子たちも今日だけサービスしてやる。俺りゃあのアイスはオーガニックで身体にいいし、トッピングも豊富だぜぇ、ヒッヒヒ……」
それを聞いて今まで脅えていたクラス中の女子たちが、夜臼先輩の元にむらがる。
「ヒッヒヒ、これだからアイスの売人はやめられねぇーな。琢人、お前はなんのアイスが良いんだよ?」
「じゃあ……バニラで……」
あとで話を聞くと、夜臼先輩は校舎で無断でアイスを販売していた為、三ツ橋高校に通報されて捕まったらしい。
妻子持ちの善良な福岡市民でした。
午後のチャイムが鳴り、俺とミハイルは武道館に向かった。
地下にある更衣室に入ると、ロッカーにリュックサックをなおす。
俺はリュックの中から以前三ツ橋から拝借した体操服を取り出した。
元々、俺は中学生時代の体操服を持っていたから、正直いらなかったんだけどなぁ……。
なんとなく、罪悪感を感じながら、着替える。
ふと、隣りを見るとミハイルがショートパンツのボタンを外そうとしていた。
思わず生唾を飲み込む。
「よいっしょっと……」
チャックを下ろすと、紺色のブルマが垣間見える。
裾をすぅーっとゆっくり太ももまで脱ぐ。
すると、白く美しい細い脚が露わになり、ブルマが股間にぴったりとが食い込んでいるのがわかる。
ぷりんとした丸くて小さな桃のような可愛らしいお尻。
犯罪級な可愛さとエロさを兼ね備えているぞ! こいつっ!
「ふぅ……ねぇ、タクト! どうどう? タクトってこのブルマってやつが大好きなんだろ?」
目をキラキラと輝かせて、下から俺の顔を覗き込む。
だが、言っていることは俺が変態としか受け取れない……。
「あ、ああ……似合っていると思うぞ……」
いかんいかん、ミハイルモードの時は防御力がゼロに等しいというか、男として振舞っているから、対応に困る。
「そっか☆ ならいいや☆ でも、このブルマってすごく履き心地がいいんだぁ☆ お尻のところがキュッてしていて、動きやすいし……家用にもう一枚買おうかな?」
そう言って、俺に尻を突き出して見せる。
り、理性がブッ飛びそうだ……。
このままじゃ、ミハイルのブルマ尻に触れてしまいそうになる。
それだけはダメだ、琢人よ。彼はダチだ。決して俺は彼の『タチ』ではない。
「おっほん、まあ動きやすいことに越したことはないな……とりあえず、武道館に行こう」
咳払いして、話題を変えようとするが、俺の心臓はバクバクだ。
なんだったら、俺の股間琢人が爆発して、ミハイルを『ネコ』化させ、あわよくば更衣室でニャンニャンしてしまいそうだ。
「そだな☆ 早く行こうぜ☆」
「う、うむ……」
君と二人きりだと、まだ見ぬ境界線を飛び越えてしまいそうだから、早く行こう……。
※
体操服に着替えた俺たちは、武道館に向かう。
すると、何人かの生徒が言い合いになっていた。
よく見れば、一ツ橋の生徒だけではなく、全日制コースの三ツ橋の生徒が混じっている。
「だからよぉ、今日は俺りゃあたちの体育だってつんだろが!」
ブチギレている人がひとり、先ほどまでアイスを売っていた優しいおじさん、夜臼先輩だ。
両腕のタトゥーこそ目立っているが、しっかり体操服を着用し、頭には赤白帽まで被っている善良な生徒。
いや、下手する大人の映画に出演しているエキストラみたい……。
それに対応しているのは、バスケットのユニフォームを来た若い青年たち。
「僕たちだってちゃんと許可得てますよ! 急遽、対抗戦が決まったんだから仕方ないですよ。そもそも、この武道館は僕たち、三ツ橋高校の利用が優先だって知らないんすか?」
丁寧な口調で答えてはいるが、相手も夜臼先輩の見た目に負けじと応戦している。
「あぁ? てんめぇ……俺りゃあだって学費払ってんだ! てめぇらにガタガタ言われる筋合いはねーぞ、オラァ!」
相手を睨んで凄む夜臼先輩。
見た目だけは確かに怖い。
でも中身は、ただのアイスクリームおじさんって、俺はもう知っているから怖くない。
「そうですけど……僕たちだって全国戦が控えているんです。部活だって本気っすよ!」
「んなら、あれか? てめぇは一ツ橋のガキどもが体育できなくて、泣いてもいいのか?」
「え……」
俺もポカーンとしてしまった。
別に体育できないからって、ガキじゃないから泣くことはない。
だが、夜臼先輩はヒートアップしていく。
「てめぇらはいいよな。屋根のある武道館で試合できるからよ……今、何月だと思ってんだ、ゴラァ!」
「え、6月っすね……」
「だよな! するてぇっとよ……もう夏だよなぁ! 日差しが強くて、紫外線でお肌が焼けたり、シミとかできたら、ガキどもがかわいそうだって思わないのか! あぁん?」
「そ、それは、普通なのでは……」
「バカ野郎! お日様なめんじゃねぇ!」
なにを怒っているんだ、このおっさんは……。
しばらく言い合いになっていると、人だかりが出来上がる。
三ツ橋高校の生徒や関係者、それに他校から来たバスケ部の選手たち。
対して、我が一ツ橋高校の面々もぞろぞろと集まりだす。
騒ぎを聞きつけてか、宗像先生が現れた。
「なーにを騒いでおるか!」
体操服とブルマ姿で仁王立ち。
上半身の体操服は多分中学生時代のものだから、バストのサイズがあってない。
パツパツになっていて、胸の形が良く見える。
下半身のブルマはもちろん、はみパンしていた。
ウオェッ!
「おお、蘭ちゃん先生……」
「なんだ、夜臼じゃないか。やっとシャバに出れたんだな」
ニコッと笑って見せる宗像先生。
「へぇ。これも蘭ちゃん先生がサツにかけあってくれたおかげっすよ、ヘヘヘッ」
笑い方がヤバい。薬中の目に見える。
まあ俺は夜臼先輩の正体を知っているから、なんとも思わないんだけど。
知らない人たちからはかなり誤解されそうな会話だ。
「そうかそうか、よかったな。夜臼も奥さんや子供もいるんだから。もうあの白くて冷たいヤツはもう無断で売るなよ?」
言い方よ、そこはちゃんとアイスクリームにせえや。
「ヘヘヘッ。なかなかやめれなくていけねぇや。そうだ、蘭ちゃん先生。これ、前に頼まれてたヤツっす。使ったら感想聞かせてくださいや」
夜臼先輩はズボンのポケットから小さなパケ袋を取り出した。
中には白い粉が見える。
「おお、こりゃあ夜が楽しみだなぁ……夜臼、また頼むよ。この前のブツも中々良かったぞ。まるで天国のような快感だったな」
「さすが、蘭ちゃん先生だ。疲れがブッ飛ぶでしょ、ヘヘヘッ……」
いつの間にか、辺りは静まり返っていた。
宗像先生と夜臼先輩のやり取りを見ていて、顔を真っ青にして震えている。
「やべぇよ。一ツ橋ってマジもんの人がいたんだ……」
「ヤンキーが多いとは聞いていたけど、前科もんとか、同じ学園のやつとは思えないぜ」
「俺たち殺されるんじゃないか!?」
いやいや、気持ちはわかるけど、そこまで酷くないから。
大丈夫だって、みんな同じ学園のお友達だろ? 仲良くしようぜ!
バスケ部員は怖がっているようで、膝をガクガクさせながら、夜臼先輩に話しかける。
「あのぅ……僕たち、外で試合しましょうか?」
「バカ野郎! さっきも言っただろが! お日様なめんじゃねー! てめぇも肌が焼けてボロボロになっちまうぞ!」
夜臼先輩の怒りの沸点がわからない。
「まあまあ、夜臼。確かにお前の言い分もわかるが、今日は我が校が引くとしよう」
宗像先生が割って入る。
「ですが、蘭ちゃん先生! ガキどもがお日様にヤラれちまうのは、俺りゃあ、黙って見てらんねぇんだよ!」
黙って見ていて大丈夫です。
「夜臼。お前はそんなんだから、アラフォーのくせして、未だに売人なんだ……。頭を使え。前に作ったリキッドタイプがあるだろ?」
ニヤッと怪しく笑ってみせる宗像先生。
その一言で、なにかを理解したのか、夜臼先輩が口角をあげる。
「ヘヘヘッ、蘭ちゃん先生も人が悪いぜ……例のブツか。じゃあ今からガキどもにブチこんでやりますぜ。あれさえあれば、丸一日、いや徹夜で体育しても、疲れることはねーっすからね」
※
その後、夜臼先輩は俺たちに小さなボトルを配り、肌につけるよう説明した。
「こいつはよ、赤ちゃんの肌でも使えるような極上のブツだ。高級品だから、落としたら許さねぇからな!」
要はただの日焼け止めである。
夜臼先輩の気づかいにより、俺たち一ツ橋高校は武道館をあきらめて、テニスコートに向かうのであった。
俺は宗像先生がもらったパケ袋が気になったので、移動中に夜臼先輩に声をかける。
「先輩、宗像先生に渡したあの袋って中身なんですか?」
「ヘヘヘッ、琢人。てめぇもアレをキメたいのか……ありゃあな、肩こりや腰痛に効く入浴剤よ……。わざわざ下呂《げろ》まで仕入れにいったのさ」
この人、めっちゃ人相悪いけど、中身すごく優しいおじさんだなぁ……。