恋愛
僕には、意外と思われるだろうが、恋仲の人がいる。同級生の、増田純香という女の子で、中学の最後の年からの付き合いだから、もうすぐ半年になると思う。僕とは対照的な性格をしていて、明るく、積極的な、誰からも好かれる人だ。黒髪の長いストレートで、顔はかわいらしく、目がくりくりと大きい。他に純香を好いている生徒もいるらしい。当然だ。
はっきり言うと、僕は、多分、純香が好きではないんだと思う。ただ、好いてくれるのは嬉しいし、断るのは申し訳なくて、ずっと微妙な距離感の関係を続けている。
「恋は盲目」という言葉があるだろう。言葉通り、恋をすると、ものがはっきり見えなくなる、というような意味だ。ここで言う〝もの〟というのは、常識や、理性といった、普段なら考えなくとも身についている性質の事だ。念のためことわっておくが、決して差別的な意味ではない。
「ねえ、今日、一緒に帰ろうよ。最近、全然会えてないじゃない」
学校ではいつも顔を見ているのだが、そういうことではないらしい。女心は、僕には理解できないらしい。
僕は、改めて、純香にとても好意――恋人に向けるべき感情を持っているとは言い難いだろうと確信する。何度、盲目になれたらと思ったか知れない。
しかし、やはり僕は、盲目にはなれない。いや、恐らくなりたくないと考えているのだ。街を行き交う恋人たちを見て思ったのだ。ああなると、もう、周りの事が、本当に見えなくなるのだと、末恐ろしさを感じた。僕はまだ、この第三者の眼を、捨てたくないのだ。
前に、純香と二人で、遊園地に行ったことがある。近場に小さめの遊園地があるのは知っていたが、行ったことが無いと伝えると、驚かれたが、笑って、今度一緒に行こうと、計画を立ててくれた。
純香は、いつも僕が行ったことの無いような、にぎやかな場所に連れて行ってくれる。計画を立てるのを、全て純香に押し付けてしまっていた。申し訳ないとは思っていたが、無知な僕が手伝ったところで、かえって迷惑になるのではないか。そう考えると、何もできなかった。
その時も、例にもれず、何時に、どこのバスに乗り、どのくらいで着くのか、全て純香に任せきりになってしまった。
「じゃあ、ここのバス停集合で大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
西野バスセンター、というバス停から、その遊園地、朝見が丘テーマパークへ、シャトルバスが出ているそうだ。時間は九時で、そこから一時間ほどで到着する。
「明信、お待たせ」
普段見る服装より、少しばかり華やかな恰好をした純香が、先についていた僕を見て手を振る。男子の中では平均よりも少し低い僕の身長より、純香は十センチほど低く、手を振る仕草が愛らしかった。毎度思うことなのだが、純香は何だって僕と一緒にいるのだろう? もっと良い人からも、きっと好かれるだろうに。
バスに乗り込み、僕ら二人は、中間の、左側の席に座った。窓側に純香が座る。
やがてバスは動き出し、車内は少し、静かになった。家族連れも少し見られたが、子供もおとなしくしている。僕と純香は、小さな声で、どこに行きたいか、昼に何を食べようか、話し合っていた。夢中になるうち、三十分以上が経過していた。
「私は、絶叫系に行きたいなー。ほら、見えてきたでしょう? あそこに見えている、大きなジェットコースターはどう? あ、お化け屋敷もいいでしょ」
意外だと思った。純香は、悪い言い方をすれば、あざといイメージがあって、お化けとか、絶叫系の乗り物は、怖いと言って行かないと思っていたのだ。やはり、僕には人付き合いの才能が無い。
「僕も、ジェットコースター好きだよ。最初から楽しみを終えてもつまらないから、まず、空中ブランコとか、下の方にあるアトラクションに行かない?」
そう言うと、純香は少し意外そうな顔をして僕に言う。
「なんだ、明信、ジェットコースターとか怖がると思っていたよ。遊園地とか、慣れて無さそうで」
「子供のころ、一度、親戚のところに行った時に、いとこと行ったんだ。あの時のジェットコースター、とても楽しくて、また行ってみたいって、ずっと思っていたんだ」
純香は笑う。僕も笑う。共通点が見つかったから。
こんな些細なことで、共に笑い合えるのが、恋仲なのだとしたら、なんだ、案外悪いものではないのかもしれない。そう思い直すが、やはり、自分の中に、どこか迷いがあるのも分かるのだ。
「じゃあ、午前中は下層を制覇して、昼ごはん食べてから、上の、大きなアトラクションを制覇ね」
到着すると、純香は僕にそう確認し、僕の手を引いて、入場券を買いに向かう。一刻も早く中に入りたい様子だ。
入場し、目の前に広がっていた光景は、御伽草子に出てくるような、夢想的な光景だった。いくら行ったことがあると言っても、十年ほど前の事で、ほとんど覚えていなかった僕にとっては、新鮮味があった。
「じゃあまずは、あの船のやつ乗らない?」
「うん、行こう!」
それは、海賊船のような装飾の施された、二十人ほど乗れるくらいのアトラクションで、左右に揺れるから、方向が変化するときの、その落下運動を楽しむものらしい。
その後も、僕ら二人は、先刻言っていた空中ブランコ、というのに乗ったり、ゴーカートというミニカーの運転をしたり、回るコーヒーカップに乗ったり、本当に楽しい時間を過ごした。
下層を満喫し、僕らは食堂へと向かった。遊ぶのに夢中で時間の事を気にしていなかったから、昼時は過ぎ、食堂は空いていた。
「明信、何食べる?」
「うーん……僕はオムライスかな」
「へえ、オムライス好きなんだね。じゃあ、私もそれにしよ」
そうして二人とも、オムライスの食券を買って、カウンターへと持って行き、空いている席を探して座る。
「そういえば、私、普段オムライスにケチャップ付けないで食べるんだけど、明信は、付ける?」
「あ、僕も付けないよ! なんか、付けない方が、卵の味が分かって、美味しい気がするんだ」
こんなことで分かり合える人がいるとは、思ってもいなかったので、二人とも可笑しくなった。他にも共通点は無いものかと、好みなど、互いの事を、まるで自己紹介するかのように、詳しく探り合うのだ。
「好きな色は?」
「僕は水色」
「惜しい! 私は濃い青」
「じゃあ、好きな動物」
「私は犬」
「僕も犬!」
なんとも不毛な会話だが、僕には、それが嬉しくてならなかった。恥ずかしいことに、ここで初めて、純香という人間に、興味がわいたのだ。もっと、共通点を探したくて、躍起になっている自分に気づく。
しかしそこでもまた、別の自分が邪魔をする。そんなに夢中になってどうする、お前は、盲目になんてなれない、諦めろ、と僕に言い聞かせ、心の温もりを、一気に冷まそうとしてくる。
目の前で笑っている純香の笑顔が眩しくて、苦しかった。僕の笑顔は、引きつるようになってしまった。こんな顔、今の純香に見せる訳にはいかないのに、なぜだか、自然な笑顔ができない。
僕が頭を抱えていると、運の良いことに、僕らの食券の番号が呼ばれた。僕は純香に、純香の分も取ってくる、と言いながら、席を立ち、純香の顔から目を背けた。不自然ではなかっただろうか。
お膳を二つ持ちながら、ふと純香の方を見る。本当に、自然な笑みだ。一方僕は、先ほどの楽しげな会話を思い出すも、自然な笑みとは程遠い、ぎこちなく、汚い笑みしかできなくなってしまった。
このような時、仮面は、やはり便利だと思う。自分がどんな状態であっても、仮面を付ければ、相手からその真意を読み取られることが無ければ、同時に、相手を悲しませることも無い。
「お待たせ」
「ありがとう」
そういえば、純香は、仮面を持っているのだろうか。僕に向ける表情の一切が、仮面なのだとしたら?
いや、くだらない。そんなこと、有り得ない。
どうしてそう言えるのか?
……分からない。
純香の表情を窺うのは、実に緊張するものだ。しかし、今、というか、いつ見ても、僕には笑顔に見える。
もしこれが、笑顔でなくて、「笑顔」という仮面だとしたら、僕にとって、これほど良いことは無いのだろう。今までのごっこ遊びも、全部、無駄なことだったのだ。つまり、僕が変に気を遣っていたのも、純香にとってはどうでも良くて、辺りに虫が飛んでいるような、その程度の事だったのだろう。僕は、そうだったなら、どれほど嬉しい事か。
しかし、笑われるだろうが、それが、なんだか寂しいと思う自分もいるのだ。今までの事が全て無駄だったとしたら、僕は嬉しい。それは、僕が純香を傷付けたと思っていたことも、全て無かったということだからだ。そこで寂しいと言う権利は僕に無いだろうが、どこか、寂しいのだ。
「美味しかったね」
「うん、とても」
昼ごはんの後は、午前中にいた場所より、少し高台になっているコーナーに行くことになっている。そこにあるのは、大型ジェットコースターや、観覧車、お化け屋敷など、遊園地と聞いて誰もが想像できるアトラクションだ。
僕らは、最初に話していた通り、ジェットコースターに乗ろうとしたが、昼食後いきなり激しい動きはどうかということで、お化け屋敷に行くことにした。
純香は、相変わらず怖がる素振りが無い。偏見と笑われるかもしれないが、純香のような女子というものは、お化けなど、一般的に恐ろしいとされているものを怖がるものではないのだろうか。
そのお化け屋敷は、自分の足で、歩いて進むものであった。純香と僕は、いくら怖くないと言っても、そこで大声で歌うような、無作法な人間ではない。いつもより少しばかり距離が近づき、手を握る。無口になって、手汗を意識していた時、どこかで空気の抜ける音が聞こえた。かなり大きく、僕らは二人とも肩をびくつかせていた。
その後も、何かのすすり泣くような声、天井からの生首、壁からの手など、初歩的な仕掛けにまんまと引っかかり、歩くのがいつもより早くなっているのを感じた。無事脱出したときには、二人、顔を見合わせて笑った。
「怖くないとか言っていたのに、すごい驚くじゃん」
「そりゃ、脅かしにきているんだから、驚かない方が悪いでしょ」
自分は、怖くない。お化けたちのために、わざと、驚いてやったんだと、もっともらしい顔で言う純香を見て、楽しかった、良い経験をしたものだと、余韻を感じていた。
さて、お次は待ちに待ったジェットコースター。少々人が並んでいたが、待つ時間もまた、このアトラクションの醍醐味の一つなのだろう。期待で胸を膨らませる。
ついに自分たちの番が回ってきて、ベルトをしっかり締め、レバーを下ろす。緊張感が心地良い。
「行ってらっしゃい!」
係員がそう言うと、ジェットコースターは、ゆっくりと前進し始める。
「いよいよだね」
隣の純香が、笑顔でこちらを見て微笑む。僕も笑おうと努めたが、上昇していくにつれ、恐怖心が出てしまい、顔は引きつっていたと思う。
頂上に到達、そこから一気に――――。
「楽しかった!」
足が未だにふらふらしている僕の横で、純香は満足げに笑った。あんな回転した後に、何故そんなにも元気でいられるのか、ぜひとも教えてもらいたいものだ。
膝に手を当て、肩で息をしている僕を見て、純香は呆れたように笑い、観覧車へと誘う。
まだ苦しさは抜けないが、お茶を飲んで大分楽になってきた。観覧車は思ったより混んでいて、中にはカップルも多いようだった。
「お次の方、どうぞ」
やっとまともに立てるようになった時、僕たちは呼ばれ、青色の観覧車に乗り込んだ。
「もう、弱っちいなー」
純香が僕に向かって言う。少しむっとして、弱くないよ、なんて返すが、見苦しい言い訳に過ぎない。
「まあまあ。それで、どうだった? 久しぶりの遊園地は、楽しかった?」
「うん、おかげさまで」
「それは良かった」
心から無邪気に楽しんだのは、本当に久しぶりだった。
それから数分、僕らは黙って外を見ていた。自分の住む街が見下ろせるのは、なんだか不思議な感覚だった。住んでいる近くには、展望台も、山すらないから、自分の街がこんなに綺麗なことに、気づけなかった。
最上点まで上がったかという頃、僕は純香に、聞いてみたくなった。
「純香、何故、僕と付き合うんだ? 楽しいのか?」
時々街で見かけるカップルは、妙なのだ。互いに目を見合わせていても、見ているのは、恋という沼に身を浸す自分自身で、相手の事など、見えていない。そんな二人が、互いに、好きだの愛しているだのと、御託を並べている。例えるならば、二人とも、方向では相手を見ていても、その目にかけているのは鏡の眼鏡で、実際に見ているのは、自分自身なのだ。
僕は、純香がそんな奴だとは到底思えないが、僕が恋愛に疎い所為か、つい疑いの目で見てしまう。
僕の言葉を聞いた純香は、驚いたように固まり、そして、少し、悲しそうな目をして、僕を見つめる。僕の言葉選びが悪かった。
「いや、決して、僕が純香といるのがつまらないと言っている訳ではないんだ。ただ、純香は、こんな僕といて、本当に楽しいのかなって、思って……」
こんな時、何と言えばいいのか、誰かに教えてもらいたい。自分の言葉では、うまく表現できない。
「私はね、明信に何かをしてもらおうとか、そんな期待を持って一緒にいるんじゃないよ。ただ、昼食の時とか、たくさん、おしゃべりできるだけで、それだけでいいと思っているの。明信は、それじゃあ、不満?」
僕を見つめる純香の目は、今までに見たことの無いほど、不安感に満ちていた。こんな目をさせる自分が許せないが、聞いておかないと、駄目な気がしていたのだ。
「僕は、純香に、何もしてやれないどころか、純香の事を疑ってしまって、それで……良く分からないんだ。僕は、純香に会うたび、恋愛とは何か、そんなくだらない事ばかり考えてしまって、どうしても、今この瞬間に夢中になる、なんてこと、できないんだ」
自分が何を言っているのか、途中から本当に分からなかった。口が勝手に動き、止まらない。
「そんなこと、いつまでも続くわけじゃないのにと思って、ふと、我に返るような感覚がして、楽しい時間も、自分で壊してしまう。純香はこんな僕と、一緒にいてくれているのに、僕は、純香を、悲しませることしか、できないんだと思う。純香には、僕よりも良い、一緒にいて楽しい人がいるんじゃないか?」
懺悔するように、純香に全てを言ってしまった僕は、純香の顔を見ることはできなかった。なんとも自分勝手だが、この瞬間、僕は、純香の気持ちを、仇で返してしまったのだ。
「そんなことないよ。今日も、楽しかったって、言ってくれたでしょう。私はそれだけで、満足なんだよ」
いつもの調子でそう言う純香だが、どこか寂しそうな雰囲気があった。口調で分かる。
ここで僕の病気が発生する。実に残酷な時を選んで、悪魔が僕に言うのだ。全て、「恋愛」という惨めな感情が生み出した、恐ろしい仮面なのだと。純香も、自分しか見えていない、怪物なのだと。
「純香、君は……」
これ以上はいけない。
慌てて視線を外へ向けるが、もう、会話は続けられなかった。そのまま、二人は黙って観覧車を降りて、バス停へと向かう。
帰りは、純香が、何かを話しかけてくれていたが、僕は心ここにあらずという感じで、すぐに会話は途絶えた。純香は、僕を心配するような目になったり、寂しがる目になったり、様々な仮面で、僕を覗き込む。
僕は自分自身の気持ちの、何が本物なのか、分からなくて、今までに片付けてしまったものを全て引き出し、必死になって探すのだ。純香を信じる自分、純香を疑う自分、そのどちらが本物なのか、もう分からない。
僕には、意外と思われるだろうが、恋仲の人がいる。同級生の、増田純香という女の子で、中学の最後の年からの付き合いだから、もうすぐ半年になると思う。僕とは対照的な性格をしていて、明るく、積極的な、誰からも好かれる人だ。黒髪の長いストレートで、顔はかわいらしく、目がくりくりと大きい。他に純香を好いている生徒もいるらしい。当然だ。
はっきり言うと、僕は、多分、純香が好きではないんだと思う。ただ、好いてくれるのは嬉しいし、断るのは申し訳なくて、ずっと微妙な距離感の関係を続けている。
「恋は盲目」という言葉があるだろう。言葉通り、恋をすると、ものがはっきり見えなくなる、というような意味だ。ここで言う〝もの〟というのは、常識や、理性といった、普段なら考えなくとも身についている性質の事だ。念のためことわっておくが、決して差別的な意味ではない。
「ねえ、今日、一緒に帰ろうよ。最近、全然会えてないじゃない」
学校ではいつも顔を見ているのだが、そういうことではないらしい。女心は、僕には理解できないらしい。
僕は、改めて、純香にとても好意――恋人に向けるべき感情を持っているとは言い難いだろうと確信する。何度、盲目になれたらと思ったか知れない。
しかし、やはり僕は、盲目にはなれない。いや、恐らくなりたくないと考えているのだ。街を行き交う恋人たちを見て思ったのだ。ああなると、もう、周りの事が、本当に見えなくなるのだと、末恐ろしさを感じた。僕はまだ、この第三者の眼を、捨てたくないのだ。
前に、純香と二人で、遊園地に行ったことがある。近場に小さめの遊園地があるのは知っていたが、行ったことが無いと伝えると、驚かれたが、笑って、今度一緒に行こうと、計画を立ててくれた。
純香は、いつも僕が行ったことの無いような、にぎやかな場所に連れて行ってくれる。計画を立てるのを、全て純香に押し付けてしまっていた。申し訳ないとは思っていたが、無知な僕が手伝ったところで、かえって迷惑になるのではないか。そう考えると、何もできなかった。
その時も、例にもれず、何時に、どこのバスに乗り、どのくらいで着くのか、全て純香に任せきりになってしまった。
「じゃあ、ここのバス停集合で大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
西野バスセンター、というバス停から、その遊園地、朝見が丘テーマパークへ、シャトルバスが出ているそうだ。時間は九時で、そこから一時間ほどで到着する。
「明信、お待たせ」
普段見る服装より、少しばかり華やかな恰好をした純香が、先についていた僕を見て手を振る。男子の中では平均よりも少し低い僕の身長より、純香は十センチほど低く、手を振る仕草が愛らしかった。毎度思うことなのだが、純香は何だって僕と一緒にいるのだろう? もっと良い人からも、きっと好かれるだろうに。
バスに乗り込み、僕ら二人は、中間の、左側の席に座った。窓側に純香が座る。
やがてバスは動き出し、車内は少し、静かになった。家族連れも少し見られたが、子供もおとなしくしている。僕と純香は、小さな声で、どこに行きたいか、昼に何を食べようか、話し合っていた。夢中になるうち、三十分以上が経過していた。
「私は、絶叫系に行きたいなー。ほら、見えてきたでしょう? あそこに見えている、大きなジェットコースターはどう? あ、お化け屋敷もいいでしょ」
意外だと思った。純香は、悪い言い方をすれば、あざといイメージがあって、お化けとか、絶叫系の乗り物は、怖いと言って行かないと思っていたのだ。やはり、僕には人付き合いの才能が無い。
「僕も、ジェットコースター好きだよ。最初から楽しみを終えてもつまらないから、まず、空中ブランコとか、下の方にあるアトラクションに行かない?」
そう言うと、純香は少し意外そうな顔をして僕に言う。
「なんだ、明信、ジェットコースターとか怖がると思っていたよ。遊園地とか、慣れて無さそうで」
「子供のころ、一度、親戚のところに行った時に、いとこと行ったんだ。あの時のジェットコースター、とても楽しくて、また行ってみたいって、ずっと思っていたんだ」
純香は笑う。僕も笑う。共通点が見つかったから。
こんな些細なことで、共に笑い合えるのが、恋仲なのだとしたら、なんだ、案外悪いものではないのかもしれない。そう思い直すが、やはり、自分の中に、どこか迷いがあるのも分かるのだ。
「じゃあ、午前中は下層を制覇して、昼ごはん食べてから、上の、大きなアトラクションを制覇ね」
到着すると、純香は僕にそう確認し、僕の手を引いて、入場券を買いに向かう。一刻も早く中に入りたい様子だ。
入場し、目の前に広がっていた光景は、御伽草子に出てくるような、夢想的な光景だった。いくら行ったことがあると言っても、十年ほど前の事で、ほとんど覚えていなかった僕にとっては、新鮮味があった。
「じゃあまずは、あの船のやつ乗らない?」
「うん、行こう!」
それは、海賊船のような装飾の施された、二十人ほど乗れるくらいのアトラクションで、左右に揺れるから、方向が変化するときの、その落下運動を楽しむものらしい。
その後も、僕ら二人は、先刻言っていた空中ブランコ、というのに乗ったり、ゴーカートというミニカーの運転をしたり、回るコーヒーカップに乗ったり、本当に楽しい時間を過ごした。
下層を満喫し、僕らは食堂へと向かった。遊ぶのに夢中で時間の事を気にしていなかったから、昼時は過ぎ、食堂は空いていた。
「明信、何食べる?」
「うーん……僕はオムライスかな」
「へえ、オムライス好きなんだね。じゃあ、私もそれにしよ」
そうして二人とも、オムライスの食券を買って、カウンターへと持って行き、空いている席を探して座る。
「そういえば、私、普段オムライスにケチャップ付けないで食べるんだけど、明信は、付ける?」
「あ、僕も付けないよ! なんか、付けない方が、卵の味が分かって、美味しい気がするんだ」
こんなことで分かり合える人がいるとは、思ってもいなかったので、二人とも可笑しくなった。他にも共通点は無いものかと、好みなど、互いの事を、まるで自己紹介するかのように、詳しく探り合うのだ。
「好きな色は?」
「僕は水色」
「惜しい! 私は濃い青」
「じゃあ、好きな動物」
「私は犬」
「僕も犬!」
なんとも不毛な会話だが、僕には、それが嬉しくてならなかった。恥ずかしいことに、ここで初めて、純香という人間に、興味がわいたのだ。もっと、共通点を探したくて、躍起になっている自分に気づく。
しかしそこでもまた、別の自分が邪魔をする。そんなに夢中になってどうする、お前は、盲目になんてなれない、諦めろ、と僕に言い聞かせ、心の温もりを、一気に冷まそうとしてくる。
目の前で笑っている純香の笑顔が眩しくて、苦しかった。僕の笑顔は、引きつるようになってしまった。こんな顔、今の純香に見せる訳にはいかないのに、なぜだか、自然な笑顔ができない。
僕が頭を抱えていると、運の良いことに、僕らの食券の番号が呼ばれた。僕は純香に、純香の分も取ってくる、と言いながら、席を立ち、純香の顔から目を背けた。不自然ではなかっただろうか。
お膳を二つ持ちながら、ふと純香の方を見る。本当に、自然な笑みだ。一方僕は、先ほどの楽しげな会話を思い出すも、自然な笑みとは程遠い、ぎこちなく、汚い笑みしかできなくなってしまった。
このような時、仮面は、やはり便利だと思う。自分がどんな状態であっても、仮面を付ければ、相手からその真意を読み取られることが無ければ、同時に、相手を悲しませることも無い。
「お待たせ」
「ありがとう」
そういえば、純香は、仮面を持っているのだろうか。僕に向ける表情の一切が、仮面なのだとしたら?
いや、くだらない。そんなこと、有り得ない。
どうしてそう言えるのか?
……分からない。
純香の表情を窺うのは、実に緊張するものだ。しかし、今、というか、いつ見ても、僕には笑顔に見える。
もしこれが、笑顔でなくて、「笑顔」という仮面だとしたら、僕にとって、これほど良いことは無いのだろう。今までのごっこ遊びも、全部、無駄なことだったのだ。つまり、僕が変に気を遣っていたのも、純香にとってはどうでも良くて、辺りに虫が飛んでいるような、その程度の事だったのだろう。僕は、そうだったなら、どれほど嬉しい事か。
しかし、笑われるだろうが、それが、なんだか寂しいと思う自分もいるのだ。今までの事が全て無駄だったとしたら、僕は嬉しい。それは、僕が純香を傷付けたと思っていたことも、全て無かったということだからだ。そこで寂しいと言う権利は僕に無いだろうが、どこか、寂しいのだ。
「美味しかったね」
「うん、とても」
昼ごはんの後は、午前中にいた場所より、少し高台になっているコーナーに行くことになっている。そこにあるのは、大型ジェットコースターや、観覧車、お化け屋敷など、遊園地と聞いて誰もが想像できるアトラクションだ。
僕らは、最初に話していた通り、ジェットコースターに乗ろうとしたが、昼食後いきなり激しい動きはどうかということで、お化け屋敷に行くことにした。
純香は、相変わらず怖がる素振りが無い。偏見と笑われるかもしれないが、純香のような女子というものは、お化けなど、一般的に恐ろしいとされているものを怖がるものではないのだろうか。
そのお化け屋敷は、自分の足で、歩いて進むものであった。純香と僕は、いくら怖くないと言っても、そこで大声で歌うような、無作法な人間ではない。いつもより少しばかり距離が近づき、手を握る。無口になって、手汗を意識していた時、どこかで空気の抜ける音が聞こえた。かなり大きく、僕らは二人とも肩をびくつかせていた。
その後も、何かのすすり泣くような声、天井からの生首、壁からの手など、初歩的な仕掛けにまんまと引っかかり、歩くのがいつもより早くなっているのを感じた。無事脱出したときには、二人、顔を見合わせて笑った。
「怖くないとか言っていたのに、すごい驚くじゃん」
「そりゃ、脅かしにきているんだから、驚かない方が悪いでしょ」
自分は、怖くない。お化けたちのために、わざと、驚いてやったんだと、もっともらしい顔で言う純香を見て、楽しかった、良い経験をしたものだと、余韻を感じていた。
さて、お次は待ちに待ったジェットコースター。少々人が並んでいたが、待つ時間もまた、このアトラクションの醍醐味の一つなのだろう。期待で胸を膨らませる。
ついに自分たちの番が回ってきて、ベルトをしっかり締め、レバーを下ろす。緊張感が心地良い。
「行ってらっしゃい!」
係員がそう言うと、ジェットコースターは、ゆっくりと前進し始める。
「いよいよだね」
隣の純香が、笑顔でこちらを見て微笑む。僕も笑おうと努めたが、上昇していくにつれ、恐怖心が出てしまい、顔は引きつっていたと思う。
頂上に到達、そこから一気に――――。
「楽しかった!」
足が未だにふらふらしている僕の横で、純香は満足げに笑った。あんな回転した後に、何故そんなにも元気でいられるのか、ぜひとも教えてもらいたいものだ。
膝に手を当て、肩で息をしている僕を見て、純香は呆れたように笑い、観覧車へと誘う。
まだ苦しさは抜けないが、お茶を飲んで大分楽になってきた。観覧車は思ったより混んでいて、中にはカップルも多いようだった。
「お次の方、どうぞ」
やっとまともに立てるようになった時、僕たちは呼ばれ、青色の観覧車に乗り込んだ。
「もう、弱っちいなー」
純香が僕に向かって言う。少しむっとして、弱くないよ、なんて返すが、見苦しい言い訳に過ぎない。
「まあまあ。それで、どうだった? 久しぶりの遊園地は、楽しかった?」
「うん、おかげさまで」
「それは良かった」
心から無邪気に楽しんだのは、本当に久しぶりだった。
それから数分、僕らは黙って外を見ていた。自分の住む街が見下ろせるのは、なんだか不思議な感覚だった。住んでいる近くには、展望台も、山すらないから、自分の街がこんなに綺麗なことに、気づけなかった。
最上点まで上がったかという頃、僕は純香に、聞いてみたくなった。
「純香、何故、僕と付き合うんだ? 楽しいのか?」
時々街で見かけるカップルは、妙なのだ。互いに目を見合わせていても、見ているのは、恋という沼に身を浸す自分自身で、相手の事など、見えていない。そんな二人が、互いに、好きだの愛しているだのと、御託を並べている。例えるならば、二人とも、方向では相手を見ていても、その目にかけているのは鏡の眼鏡で、実際に見ているのは、自分自身なのだ。
僕は、純香がそんな奴だとは到底思えないが、僕が恋愛に疎い所為か、つい疑いの目で見てしまう。
僕の言葉を聞いた純香は、驚いたように固まり、そして、少し、悲しそうな目をして、僕を見つめる。僕の言葉選びが悪かった。
「いや、決して、僕が純香といるのがつまらないと言っている訳ではないんだ。ただ、純香は、こんな僕といて、本当に楽しいのかなって、思って……」
こんな時、何と言えばいいのか、誰かに教えてもらいたい。自分の言葉では、うまく表現できない。
「私はね、明信に何かをしてもらおうとか、そんな期待を持って一緒にいるんじゃないよ。ただ、昼食の時とか、たくさん、おしゃべりできるだけで、それだけでいいと思っているの。明信は、それじゃあ、不満?」
僕を見つめる純香の目は、今までに見たことの無いほど、不安感に満ちていた。こんな目をさせる自分が許せないが、聞いておかないと、駄目な気がしていたのだ。
「僕は、純香に、何もしてやれないどころか、純香の事を疑ってしまって、それで……良く分からないんだ。僕は、純香に会うたび、恋愛とは何か、そんなくだらない事ばかり考えてしまって、どうしても、今この瞬間に夢中になる、なんてこと、できないんだ」
自分が何を言っているのか、途中から本当に分からなかった。口が勝手に動き、止まらない。
「そんなこと、いつまでも続くわけじゃないのにと思って、ふと、我に返るような感覚がして、楽しい時間も、自分で壊してしまう。純香はこんな僕と、一緒にいてくれているのに、僕は、純香を、悲しませることしか、できないんだと思う。純香には、僕よりも良い、一緒にいて楽しい人がいるんじゃないか?」
懺悔するように、純香に全てを言ってしまった僕は、純香の顔を見ることはできなかった。なんとも自分勝手だが、この瞬間、僕は、純香の気持ちを、仇で返してしまったのだ。
「そんなことないよ。今日も、楽しかったって、言ってくれたでしょう。私はそれだけで、満足なんだよ」
いつもの調子でそう言う純香だが、どこか寂しそうな雰囲気があった。口調で分かる。
ここで僕の病気が発生する。実に残酷な時を選んで、悪魔が僕に言うのだ。全て、「恋愛」という惨めな感情が生み出した、恐ろしい仮面なのだと。純香も、自分しか見えていない、怪物なのだと。
「純香、君は……」
これ以上はいけない。
慌てて視線を外へ向けるが、もう、会話は続けられなかった。そのまま、二人は黙って観覧車を降りて、バス停へと向かう。
帰りは、純香が、何かを話しかけてくれていたが、僕は心ここにあらずという感じで、すぐに会話は途絶えた。純香は、僕を心配するような目になったり、寂しがる目になったり、様々な仮面で、僕を覗き込む。
僕は自分自身の気持ちの、何が本物なのか、分からなくて、今までに片付けてしまったものを全て引き出し、必死になって探すのだ。純香を信じる自分、純香を疑う自分、そのどちらが本物なのか、もう分からない。