長徳4年(西暦998年)秦道満は、若狭の海岸線を歩いていた。この時代、若狭の国は御食国と呼ばれている。塩やアワビ、海草などの海産物を宮廷に納める役割を担う土地だった。海産物は食糧になるだけではなく、神事の際に貢がれる神饌として用いられることもあった。だが、京の都を遠く離れて、わざわざ若狭に来ているのは宮廷の用のためではなかった。ある海産物が捕れたと、土地の漁師から連絡があったからだ。
道満は漁師の家を訪れた。
「これはこれは道満様、わざわざ若狭にまでお運びいただき、ありがとうございます」
「捕れたのか?」
挨拶もそこそこに道満は漁師に首尾を聞いた。
「たぶん・・・なにしろ見たこともない魚でしたから」
「どこにある?」
「それが・・・」
漁師が言いよどんだ。
「どうした?何があった」
「申し訳ありません。実は、とり逃がしてしまいました」
漁師は道満に睨みつけられ、首をすくめた。
「でも、わずかですが身肉は手に入れました」
「話を聞こう」
上がりかまちに腰を下ろす。
「そんなところにお座りにならず、どうぞ中へ入ってくださいまし」
「いや、ここでいい。それよりも委細を話してくれ」
「へい」
漁師がことの顛末を話しだした。
「あれは・・・魚ではありませんでした。道満様のおっしゃっていた人魚だと思います」
「尾びれから上が人の体だったのだな」
「はい、若い女でした。上半身が裸で、二十歳になってはいないと思います。ですが腰から下は銀色に耀く鱗に覆われた尾鰭でした」
「どうやって捕った?」
「最初は大きな魚かと思い、咄嗟に銛を放ったのです。それが・・・たぐりよせたら人魚だったというわけで」
「それで?」
「船にあげる前にそいつが自分の手で銛を引き抜いて逃げちまったんでさあ。ただ、そのとき腰に深々と刺さっていた銛に人魚の身肉が残っていたという次第で」
「どこにある?」
「塩につけこんであります」
「見せてくれ」
漁師は小さな壷を取り出し、中の塩をかきわけ、手のひらぐらいの大きさの切り身を取り出した。人魚の肉の色は近江の鯉の身に似ていた。
「きれいに洗って塩をしました。ですが、捕れたばかりの頃と身質がまったくかわっていないようです」
「おまえ、これを口に入れたか」
「めっそうもない。それにこう言っちゃあなんですが、気持ち悪くて食べる気にはなりませんや」
道満は漁師の家を訪れた。
「これはこれは道満様、わざわざ若狭にまでお運びいただき、ありがとうございます」
「捕れたのか?」
挨拶もそこそこに道満は漁師に首尾を聞いた。
「たぶん・・・なにしろ見たこともない魚でしたから」
「どこにある?」
「それが・・・」
漁師が言いよどんだ。
「どうした?何があった」
「申し訳ありません。実は、とり逃がしてしまいました」
漁師は道満に睨みつけられ、首をすくめた。
「でも、わずかですが身肉は手に入れました」
「話を聞こう」
上がりかまちに腰を下ろす。
「そんなところにお座りにならず、どうぞ中へ入ってくださいまし」
「いや、ここでいい。それよりも委細を話してくれ」
「へい」
漁師がことの顛末を話しだした。
「あれは・・・魚ではありませんでした。道満様のおっしゃっていた人魚だと思います」
「尾びれから上が人の体だったのだな」
「はい、若い女でした。上半身が裸で、二十歳になってはいないと思います。ですが腰から下は銀色に耀く鱗に覆われた尾鰭でした」
「どうやって捕った?」
「最初は大きな魚かと思い、咄嗟に銛を放ったのです。それが・・・たぐりよせたら人魚だったというわけで」
「それで?」
「船にあげる前にそいつが自分の手で銛を引き抜いて逃げちまったんでさあ。ただ、そのとき腰に深々と刺さっていた銛に人魚の身肉が残っていたという次第で」
「どこにある?」
「塩につけこんであります」
「見せてくれ」
漁師は小さな壷を取り出し、中の塩をかきわけ、手のひらぐらいの大きさの切り身を取り出した。人魚の肉の色は近江の鯉の身に似ていた。
「きれいに洗って塩をしました。ですが、捕れたばかりの頃と身質がまったくかわっていないようです」
「おまえ、これを口に入れたか」
「めっそうもない。それにこう言っちゃあなんですが、気持ち悪くて食べる気にはなりませんや」