第1話「身体的パワハラ」
「いっち、いっち、いちにぃ!!」
そーれぃ!!
「いっち、いっち、いちにぃ!!」
そーれぃ!!
「どうしたのよ、バルクぅ! もうへばったの? アンタただでさえ成績悪いんだから、このくらいチャッチャとやんなさいよ」
夜の帳が迫る中、騎士装備一式を纏った一人の青年が全力疾走を命じられていた。
今日も今日とて騎士団の練兵場で罵声を浴びせられているのは騎士見習いの青年バルク。
そして、彼を乱暴な口調でバルクを罵るのは、長く伸びた金髪を背後に流した美しい女性───バルクの幼馴染にシャーリーンだった。
彼女は特注品の白銀に輝く胸甲を身に着け、貴族階級が許される赤いマントを羽織った騎士団長の格好をしており、真っ赤な顔をして走るバルクを、実に楽し気に見下ろしていた。
そう。
その恰好からも分かる通り、彼女は王都を守る騎士団長。
生まれつき、天に恵まれた才能の【剣神】の天職をもち、
更には、恵まれた容姿と訓練によって培われた優れた身体を誇っている。
それが彼女。
王都にその人ありと言われ、最年少にして最強と謳われる美貌の女騎士団長が、俺ことバルクの幼馴染シャーリン・アイシャスだ。
そして、あろうことか目の前を無理矢理に走らされている青年バルクとは、同じ里の出身であり、騎士団入隊も同期という───いわゆる幼馴染でもあった。
……しかし、それはそれ。これはこれ。
シャーリーンの騎士団長としての顔は、あくまでも表向きの顔であり、
その実は、こうして新人かつ幼馴染のバルクを公然と詰り、強権をもって訓練を強制する女が彼女のもう一つの顔だった。
「───ほらぁ! あと、十周ッッ!!」
「えぇぇ?! も、もう……無理だよッ」
息も絶え絶えになったバルクは、情けなくも同い年である彼女に懇願する。
もう勘弁してくれと、これ以上やったら死んでしまうと───。
「どうしたのぉ?! あはッ♪───まだたったの50周よ? それとも、口答えするきぃ?」
一周400mはあろうという練兵場のサーキットコースの中央で、それはもう~良く響くデッカイ声で、閲兵用のお立ち台の上でそうれそれは楽しそうにバルク罵倒している。
「ひぃ……ひぃ……! む……無理」
「何を言っているか分からないわぁ! 「ひぃひぃ」って、バルクぅ。アンタ馬? 馬なのね?!」
中止を懇願しようとするバルクの言葉尻を掴んで、猫がネズミを甚振る様に、ジワジワと執拗に罵声を浴びせるシャーリーンの顔は、やけに愉悦に歪んでいた。
チラリと見た感じでは、ニヤリと笑うその顔は被虐心に満ちており、美しい顔が実に醜悪に歪んでいる。
「ほぉら、御馬さん───」
お立ち台から降りたシャーリーンがニコニコと、乗馬鞭に持ち替えユラリユラリと歩きだす。
「ち、ちが──────!」
バルクは、幼馴染でもある女騎士───シャ-リーンの表情に慄き、首を振るも時遅し、
「あははははは! 馬が何か言っているねぇ? んふふ~そぉらどうしたの? 足が止まっているわよぉ。……さぁ、馬なら尻を出しなさい───足が止まった馬は、」
こうだ──────!!
「たっっっぷり、指導してあげなくちゃねッッ!」
ダァンッッ──────!!
シャ-リーンは、生まれつきの天才で、百年に一人と言われる特殊天職【剣神】だった。
そして、今こそ【剣神】が誇る固有スキル───『縮地』を発動させると、一瞬にしてバルクに肉薄すると、手にした乗馬鞭を振り上げる。
びゅん! と空を切る鞭の音に首を竦めるも、全力疾走からでは受け身もままならない!
「や、やめッ───!」
「やめなぁああい♪」
あはははははは!
高笑いと共に、シャ-リーンの乗馬鞭がバルクに振り下ろされる。
容赦のない一撃がバチィィイン! とバルクの首筋に振り下ろされ、肌が裂ける。
「ぎゃあ!!」
シャーリーンからの一撃は、それはそれは強烈。
受け身も取れないバルクは、もんどりうって倒れて激しい眷属音を立てて鎧ごと地面に打ち捨てられる。
「ほぉらぁ! どうしたの、早く、立ちなさい、よッ!」
ビシィ! バシィ! ビシィ!! バチィィイン!
倒れた拍子に、鎧が脱げ落ちバラバラになったのを幸いとばかりに、下穿きがむき出しになったバルクの尻を
何度も何度もしつように叩きつけるシャ-リーン。
「ぎゃあ! あぎぃ! ひぃ!! や、やめて!!」
鋭く肉を叩く鞭の擦過音が練兵場に響き渡り、バルクの悲鳴が断続的に混じる。
遠巻きにそれを眺めている騎士団の連中が、気の毒そうに囁き合っていた。
「またか?」
「あーあー……バルクの奴、ありゃ、しばらく立てねぇぞ」
「うわッ。ひっでぇ……」
ヒソヒソ。ヒソヒソ。
「今日は、いつにも増して酷いな」
「懲罰ランニングからの、鞭打ちか……。原因は何だ?」
「さぁ? いつもの指導だろ?」
ヒソヒソヒソ。
「入隊同期なんだろ? やりすぎじゃねぇの?」
「さぁ、元々バルクのやつは団長殿の『お願い』で入隊した縁故入隊だからな───色々あるんだろうさ」
「おぇ。……女のヒステリーはこわいね~」
騎士団の暇人が見守る中、どうやら日常茶飯事らしいソレはいつになっても止むことを知らない。
優に10分以上、鞭で打たれているバルクはビクビクと痙攣し、もはや息も絶え絶えだ。
ついには、跳罵に耐えかねた鞭がへし折れ、ようやくバルクに対する指導が終わりを迎えた。
「はぁはぁはぁ……うふふふふ。どうしたのバルク? 早く立ちなさいよ」
「う……。うぅ……」
ズボンの上からでもわかるほど腫れ上がった尻。
そして、避けた首筋───。傍目からも重傷一歩手前だ。
それに比して、うっとりと肌を上気させるのはシャーリーンだけ。
ボロボロのバルクも、気の毒そうに見守る騎士の連中もウンザリした顔だ。
だが、それでもバルクは立つ……。
この騎士団において最底辺に近い「騎士見習い」のバルクには、騎士団のトップたる───騎士団長のシャ-リーンに逆らうことなど許されるはずもないのだから。
「うぐ……くそぉ……」
まともに立てず、口もきけない程痛めつけられたバルク。
だが、今日ばかりはもう我慢できないとばかりに項垂れながらも真正面からシャ-リーンを睨む。
「何よ。その目は? 落ちこぼれのアンタを団長の私が自ら鍛えてあげてんのよ? 優しい幼馴染に感謝なさい」
「シャーリ───」
パァン!!
「団長!……って言いなさいよ──でしょ?」
神速で張り手を振り抜きシャーリーンは至近距離からバルクを睨む。
そんなキッツイ女でありながら、シャ-リーンの顔は不本意だが美しい。
だが、痛めつけられたバルクにはそれどころではない。
「………………………だ、団長」
「そ。それでいいの───じゃぁ、はい」
スーと、サーキットコースの先を指さすシャ-リーン。
意味が分からず首を傾げたバルクに、
バシィン!
「ぐはッ!!」
と、小馬鹿にするように頭を叩くと、ニコリとして言った。
「───あと、10周って言ったでしょ?」
ニッコリ。
まるで慈母のように美しく微笑むシャ-リーンの顔は、バルクにだけは悪魔のように映った。
これがバルクの日常……。
「わか……った」
頷くしか許されない状況において、酷く傷む体を引き摺るようにしてヨロヨロと……。
内に秘めた怒りの炎を目に湛えながら、騎士見習いのバルクは走る。
───優秀な幼馴染。
そして、何をやっても勝てず───まるで彼女のオマケのように扱われてきたバルク。
ずっと、ずっと我慢してきた。
言いたいこと、やり返したいこと、うんざりしていたことも───。
それでも故郷にいる間は仲良くやっていたのに……。
───権力を手にして彼女は変わってしまった。
何をやっても優秀な幼馴染と比べられる毎日。
それを詰っては罵詈雑言を浴びせる彼女に今の今まで我慢に我慢を重ねてきた。
心の深い場所にしっかりと鍵をして閉じ込めておいた、この思いッ!
だってここは騎士団だ。
───階級が物を言う組織で、そして、彼女は騎士団長。
トップの言うことは絶対なのだ。
───だから!!!
「そ。黙って私の指導に従えばいいのよ。今の訓練が終わったら、団長室に報告に来なさい───じゃあね♪ 落・ち・こ・ぼ・れ」
あーっはっはっはっはっは!!
ひとしきり高笑いすると、シャ-リーンは意気揚々と宿舎に引き上げていった。
暗くなりつつあるサーキットを一人トボトボと走るバルクを置いて……。
※ ※
「はぁはぁはぁ……おえ───」
おぇぇぇええ……!!!
こみ上げる吐き気に耐え切れず、サーキットの暗い地面に吐き戻すバルク。
あれから小一時間ほど、なんとか言われた通りに走り切ったバルクはようやく一息つくことができた。
荒い息を整えつつ、時間を確認する。
まだ兵舎の消灯時間には間に合う頃合いだった。
この時間ならシャ-リーンも起きているはずで、言われた通り報告に行くことも可能だろう。
「行きたくないな……」
どうせ、顔を見たなまた何か酷い口調で罵られるのは目に見えていた。
いつもの事とは言え、人間何度も殴られればいつかは骨だって折れる。
それは心だって同じだ。
今までは何とか堪えていた。
若くして騎士団長にまで上り詰めたシャーリーンも大変なんだろうな、と。
だから、ストレスの捌け口になるくらいなら、自分が少しくらい画面すればいいと───そう思っていた時期もあった。
だけど!!
度が過ぎるということがある。
シャーリーンは自分が少しでも気に入らないことがあるとバルクに当たり散らす。
それがいつものことなので、バルクもあまり気にせず謝っておいた。
そうすれば、シャーリ―ンは単純なので、すぐに機嫌が直る。
全然関係のない事でも、取り合えずバルクが謝っておけばそれで事足りた。
けれども、最近はその程度が過ぎる。
以前は……一緒に騎士団に入隊したころはもうちょっとマシだった。
たまにはやしい言葉をかけてくれたし、訓練についていけず、ドンドン出世していくシャーリーンにおいて至れるバルクを気にして慰めてくれることもあった。
だけど、今じゃ……。
騎士団長の仕事が忙しいのは分かるけど、ストレスが溜まるのは分かるけど……。
バルクだって人間だ。
罵られて嬉しいはずがない。
皆の前で恥をかかされて平気なわけがない。
何度も何度も幼馴染に叩かれて、腹が立たないわけがないッッ!
でも、それを指摘してもますますシャーリーンは憤るばかり。
一言いえば、百倍になって帰ってくる始末。
「ばか!」、「クズ!」、「間抜け!!」
「役立たずの幼馴染をお情けで騎士団に入隊させてやったのに!」、
「給料泥棒ッ! 一緒の職場にいるって考えるだけで虫唾が奔る!」、
「だけどね。幼馴染だから面倒見てあげる。か、勘違いしないでよ。アンタが惨めだからよッ!」
そんな言葉を日常的に吐き捨てられていては、平静を保っているのも困難だ。
いつしか、バルクは自分が本当にそんな人間なんじゃないかと、どこか自己嫌悪に陥る始末。
慰めてくれた幼馴染はもうどこにもおらず───いるのは日常的にバルクを肉体的にも、そして精神的にも追い詰めてくる、騎士団長のシャーリーンだけ……。
もう、バルクはボロボロだった。
言われことを言われただけやるだけの男。
シャーリーンの罵詈雑言に耐え、暴行から体を小さくするだけの情けない男……。
それが、シャーリンの幼馴染であり、彼女のストレスの捌け口になるしか能のない男バルクだ。
『───訓練が終わったら、団長室に報告に来なさい。じゃあね♪ 落・ち・こ・ぼ・れ』
ヘラヘラと笑うシャーリンの顔と言葉が脳裏に浮かび、ウウンザリしたかをしたバルク。
「はぁ……」
だが、放置していても余計に酷くなるだけ……。
仕方なく、トボトボと宿舎に向かって歩く青年バルクがただ一人───。
「行きたくないな……。もう、嫌だよ…………」
泣きそうになりながら耐えるバルク。
そして、バルクは胸に仕舞った書類をそっと握りしめた───。
第2話「精神的パワハラ」
「おそ~い……。いつまで待たせたら気が済むのかしらぁ? 私、アンタみたいな下っ端と違って仕事があるんだけど? ねぇ聞いてんの、給料泥棒さん??」
団長室前で腕を組んで待ち構えていたシャーリーン。
下手に消灯時間を過ぎて報告に行けば酷く指導されるのは目に見えていたので、出来るだけ急いできたつもりだが、彼女は気にくわなかったようだ。。
それでなくとも、最近は顔を見るだけで何かと罵倒されているというのに……。
とは言え、報告を怠るとそれはそれで酷い目にあうのは分かり切っていた。
「ご、ごめん……」
シャ-リーンは厳しい。
とくにバルクに対しては度を越して厳しい……。
幼い頃は同郷で、近所の子供として仲良く育った二人。
しかし、その中が良かったのもほんの数年前までのことだ。
教会のいう成人式を迎えたバルクとシャ-リーンは14歳の時、天職診断を受けた。
そこで、二人の天職が判明し、命運は分かれた。
シャ-リーンの天職は【剣神】───。
生まれながらにして剣に愛され、武の頂点を極める可能性を秘めた最強の剣士だった。
一方でバルクは…………。
「は? ゴメン?? アンタ誰にタメ口きいてんの? ねぇ?」
「ご、……申し訳ありません」
ペコォと頭を下げるバルクを見下ろすシャーリーン。
その顔はいつもの被虐に歪んでおり、
「あーそー? 謝ればそれでいいんだ? ふ~~ん。で?……何時間待たせる気ぃ? 犬でも、もう少し真面目に訓練するわよ。対してアンタはどうなの? ねぇ、上司をまたせるとか、何様のつもりなの?」
ふふん、と勝気な態度でバルクを見下ろすシャ-リーンは、なるほど最強なのだろう。
立ち昇るオーラからして一騎士見習いのバルトとは偉く違う。
【剣神】の天職に目を付けた王国に乞われ、騎士団に入隊したシャ-リーンはあっという間に頭角を現し、僅か一年で騎士団長の座に上り詰めてしまったという。
対して、シャーリーンに乞われて入隊したバルクはただの騎士見習い。
剣の才能もなく、授かった天職も騎士向きとは到底言えない。
「申し訳ありません……。二度と団長を待たせるようなことがない様に重々注意します」
下手に言い訳をしようものなら、百倍返しになって身に降りかかるのでバルクは大人しく頭を下げ続ける。
こうしておけばシャーリーンの顔を見なくて済むし……。
「───べ、別にアンタのことなんか待ってないんだからッ」
ツンと、そっぽを向いたシャ-リーンは、
「入りなさいよ」
ツィっと、顎をしゃくるとバルクに入室を促す。明かりの漏れる先は彼女の執務室なのだ。
(え…………か、勘弁してくれよ)
今日はいつになくしつこいシャーリーン。
謝ったのに、何度も何度も彼女の前で無様を晒そうとも、耐えていたのに───!
カツカツカツ! と快活な足音を立てるシャ-リーンと打って変わって、ノソノソと歩くバルクの足音の何と陰気なことか……。
バルクが後に続くことを微塵も疑わずに、シャ-リーンは執務椅子にドカッと座ると形のいい足を組んでふんぞり返る。
その前には机を挟んでバルクがオドオドと立っていた。
「さーて、何で呼ばれたかわかる?」
「えっと、……訓練終了の報告に───」
バァン!!
飛び起きたシャ-リーンが机を拳でブッ叩いた。
その音に驚いたバルクは見るからにビクリを震える。
「ふざけてるの? 何でアタシが、アンタみたいなチビで根暗で雑魚の騎士見習いの訓練報告を聞かなきゃならないのよ?」
いや……。さっき報告に来いって───。
と、口の中でモゴモゴと言うバルクだったが、鋼の自制心でそれを押しとどめる。
下手に反論しても、百倍どころか千倍に帰ってくるのは明白だ。
ビキスと顔に青筋を立てるシャ-リーン。
これが、故郷で仲良く遊んだ少女なのだろうか……。
一緒に騎士団に入隊するって報告したときはあんなに喜んでくれたのに、今ではこれだ───。
どうやら、騎士団での生活は彼女を一変させてしまったらしい。
責任のある立場。
一代限りとはいえ、貴族の末端に名を連ねる事。
そして、終わりのない仕事の日々───。
十代の少女の双肩にかかるにはあまりにも重すぎる責務……。
「はぁ……。アンタなんかと入隊したのは間違いだったわ」
机に乗り出したまま、盛大にため息をつくシャ-リーンは行儀悪く、背もたれに深く腰掛け白く綺麗な脚を机に投げ出した。
「すみません……」
今日何度目かになる謝罪。
もはや何に対して謝っているのかバルクにもわからないが、彼が頭を下げたその瞬間───!
「何でもかんでも、謝ればいいって思ってんじゃなわよッッ!」
積まれたいた羊皮紙の束をバーン! とバルクに向かって跳ねのける。
「ひッ!」
騎士団に入隊した当初は優しかったシャ-リーン。
だが、今ではこれだ!
最初はマンツーマンで、優しく指導。
次第に激しく口で罵るようになり───ついには手が出るように。
最近では、こうして力量の差をたてに彼女の指導はやがて暴力の域に達し───もはや、いまとなっては罵詈雑言からの、直接的な肉体に対する攻撃まで!
そして、公衆の面前と公然と罵り、嘲り、仕事を馬鹿にする。
「アンタねぇ。昼間言った書類整理───これどうなってんのよ?!」
積まれていた書類を次々に払いのけ、まるでゴミでも投げるように、バシバシとバルクにぶつけるシャ-リーン。
「ど、どうって……?」
意味が分からない。
言われた通りに番号順に並べ、決済しやすいように机に束ねておいたのだが───……。
「はぁ? これを見て何も思わないの? 番号───!! 降順じゃなくて、普通ならさぁ~……昇順に並べない?」
え?
いや……。そんなこと───。
「なによ? あと、これ!!」
インク壺を手に取るとバルクに向かって中身ごと投げつける。
分厚いガラスでできたそれはバルクに当たり、鈍い音を立てて中身をぶちまけた。
「いづッ!」
ベチャリとインクが顔にかかり視界が濁る。
「これ!! 色が薄いッ! 全然インクの配合が違うじゃない?! そんなこともわからないの?」
そんなことって───。
「あとは、これぇぇえ!!」
クリップボードに挟まれた書類を手に、シャ-リーンはツカツカと歩み寄ると、それをバルクの頭にゴンゴン! と叩きつけながら言う。
「アンタ、アホなの? これは、稟議書よ? まずは、小隊長───」
ゴンゴンゴンっ!!
たいして力を入れているわけでもないが、薄っぺらい板でできたクリップボードは間抜けな音を立ててバルクの上で跳ねている。
「次に、中隊長───あと順番に廻して最後にアタシの所にくるの?」
ゴン、ゴン、ゴぉンッ!
リズムをつけるように叩かれていると、どうしようもなく惨めな気分になり、そして怒りすら沸いてきた。
だがシャーリーンはそれに気付くこともなく、
「全部やり直し───」
ゴンゴン…………バァン!!
一際大きな音を立て、バルクの頭の上を跳ねたクリップボードが部屋の中を舞う。
バィン、バィン……───カラカラカラ~。
綺麗に跳ねたクリップボードは、挟まれた書類をそのままに床を回転しながら転がって行き、零れたインクだまりに突っ込んで汚れて止まった……。
あれだが、書類として二度と使えないだろう。つまり、作り直しだ。……バルクではなく、一番最初に稟議書をあげた小隊長が、だ。
「あ? 何よ。その目……文句あるの?」
文句……?
文句だって?
「あ、」
「あああ゛ん?! ねぇ「あ、」って何よ、「あ!」ってさぁぁ! ねぇ。言って見なさいよ」
腕を組んでバルクを見下ろすシャ-リーン。
「あ……あれは第2小隊長が───つくったんだ……!」
俺が作ったわけじゃない。
バルクはそう言いたかった。
「は? それが何?」
それが何?!
それが何だって?!
「お……俺にもう一度、小隊長に頭を下げて作り直してくれ───って、言えってゆーのかよ!」
その手間と、恥ずかしさをシャ-リーンは知らない。
団長の怒られて書類が汚れたのでもう一度書き直してくれ……? そんなこと言えるわけないだろうが!!
───ビキスっ!!
そんな音がするほどにシャ-リーンの顔に青筋が浮かび上がるのが見えた。
バルクの反論などシャ-リーンは聞いちゃいない。聞くわけがない───このパワハラ野郎は!!
「っざけんじゃないわよ!! アンタのミスのせいで、アタシがどんだけ面倒被ると思ってんのよ!」
ガタァァァアン……!!
シャ-リーンはわざと音が響くほどに机を蹴飛ばすと、ヨタリを付けながらバルクに迫る。
「おぉん? 仕事も大してできねぇくせに、デカい口利くじゃないのよ? お゛?!」
そして、肩でドンッと、バルクの胸を軽く押す。
「───ねぇ? アンタさぁ。入隊してからこっち、なんか一個でも騎士団に貢献したことあるの? ねぇ? ねぇねぇ!」
ドンッ! さらに一回、
「アンタの同期はとっくに分隊長くらいやってんのよ。ねぇ? なんか、アンタってさ~。ここで何か役に立ってんの?」
「ねぇ?」ドン、ドン、ドン!! と、連続してバルクを小突くシャ-リーン。
「そのくせ、毎日、毎日、毎日、定時で書類仕事終わって、言われなかったら自主トレもやんないで、部屋でゴロゴロして───」
ドン、ドン、ドン!
う……ぐ……!
「ねぇ? そんなんで、なんで給料もらってんの? ってゆーかさぁ…………?」
ドンッッッ!!──────ぐぐ……!
胸倉をつかむシャ-リーンに間近からにらまれるバルク。
そして、
「──────アンタさぁ、何で生きてんの?」
プチっ…………。
その瞬間、何かがキレた。
それはもうプッツンと──────。
次の瞬間には、バルクは懐に手を突っ込んで、いつもいつもコイツをこの目の前のクソアマに叩きつけてやろう認めておいたそれをとりだした。
バッシィィィイイン!!
「キャッ!」
そして、突然の行動に受け身も取れなかったシャーリーン。
存外可愛らしい悲鳴あげた彼女に向け、バルクはそいつを突きつけた───!!
第3話「辞表を叩きつける。文字通りに」
「な、なによこれ?──────……え?」
シャーリーンに突きつけられたのは一枚の書状。
安っぽい封筒に包まれたソレには神が一枚だけ入っているらしい。
そして、封筒には一言。
『辞表』
「…………ちょ、ま。ま、マジ?!」
さすがに驚いたシャーリーンは茫然としてバルクの顔をみた。
しかし、バルクは軽く下を向いて表情を見せない。
薄暗い部屋のため、光源から離れたバルクの表情が読み取れないのだ。
それを幸いにバルクは畳みかける。
「マジだ。……見ればわかるだろ?」
「そ、」
バルクはずっと前からこれを準備していた。
いつでも出せるように、常に懐に……。
そのため、『辞表』はヨレヨレになり、一部には汗と涙が染みついている。
だが、それだけに───バルクの葛藤と忍耐が込められているのだ。
それをおして図ったシャーリーンは、慌てて取り繕うとしていた。
「こ、こんなの受け取れないわッ! そ、そうよ! 今は勤務時間外よ! 認めないんだからッ!」
自分もバルクをこんな時間に呼びだしておいて結構な言い草だ。それに気付いているんだかいないんだが、中身を見ることなくバルクにつき返そうとする。これを受理してしまえば、バルクは正式に騎士団を退職する。
つまり、シャーリーンから離れることができるのだ。
「もう決めたんだ……。受け取らないなら、朝一番で総務課に提出しておくよ」
「ちょ!!」
いつかこんな日が来ると思っていた。
シャーリーンに乞われ、仕方なく入隊した騎士団。バルクには何の未練もなかった。
そして、最後までシャーリーンが抵抗するのもバルクには読めていた。
なんたって幼馴染だからな……。
良くも悪くも彼女の行動は予想がつく。家族を除いて人生で一番知っている人物───シャーリーン。
だから、いつか───いや。今日という日のためにシュミレートしていたのだ。
「じょ、冗談……だよね? きゅ、急にどうしたのよ?! ねぇ」
………………はぁ?!
「急に? 冗談…………」
バルクは薄暗い照明のもと、そっと胸元を開く。
そこには赤黒く血が滲んだ痣がたくさん…………。
「これが冗談? これが急なのかい───シャーリーン?」
「あ……ぅ。だ、だって───そ、そうね! ご、ゴメンなさい」
バルクの態度に急に慌てだしたシャーリーンが、ペコリと頭を下げる。
さすがにバルクの態度に不穏なものを感じたらしい。
ほとんど喧嘩したことはないが、やはりお互い知り過ぎている。それが故に、シャーリーンもバルクの本気を感じ取ったらしい。
だから、謝る。
素直に謝る──────。
だって、今まではそれで許されて来たから───バルクが許してきたから……。
「シャーリーン……」
バルクが優しく声をかけると、途端にパッ! と顔を明るく輝かせてバルクを見つめるシャーリーン。
その可愛らしい表情とちょっとした甘えた表情にバルクは絆されてきた。
いや……騙されてきたのだろう。
そう、いつもならバルクはここで許しているし、彼自身も喧嘩や争いを望まなかったから「俺も悪かったよ」と謝っていたはずだ。
そう、いつもなら───。
だが、もうわかっている。
彼女のこの態度も、こうした仕草も──────また次の日からはケロっとしてバルクを暴力と言葉で追い詰めてくるのだろうと……。分かり過ぎるくらいに分かっている。
だから、もう終わりだ。
終わりにしよう。シャーリーン。
生まれ育った故郷。
仲良く遊んだ二人の家。
初めて手にした【天職】と互いの祝福。
もし、大人になってもまだ二人がすき合っていたら結婚しようと誓った満点の空───。
あぁ、そうとも俺たちは幼馴染だった。
だっただんだ。
「ば、バルク…………?」
だけどな、
懇願されて入隊した騎士団。
厳しい訓練とドンドン出世していくシャーリーン。
互いにすれ違い、距離を置こうとした。
だけど、シャーリンはバルクを離さず、シゴキ、鍛え、殴り、罵倒し、大勢の人の前で笑いものにし、
そして、何度も何度も罵詈雑言を浴びせ、
細かいどうでもいい指示をしたかと思えば、今度は何日も仕事を与えず放置し、そして、給料泥棒と罵る。
だけど、バルクだって人間だ。
どうしようもなく人間だ。
だから、
「もう、終わりなんだ───」
「え…………うそ、だよね?」
綺麗な瞳を何度も瞬き、信じられない言葉を聞いたとばかりにバルクを見つめるシャーリーン。
どうも、バルクの言っていることの意味が分からないらしい。
そんなことはあり得ないと、そう思っているのだ。
「さようなら、シャーリーン」
「うそ……。嘘よ───」
嘘なものか。
「み、認めない……! 認めないわよッ! 私はアナタの上司なの!」
思った通り、突如態度を急変させたシャーリーン。
さっきまで殊勝な態度で謝っていたのはどこ吹く風。
空いた手でバルクの胸倉を掴むと、
「こっち見なさいよ! そうよ。私の目を見なさい!! いい? 分かってんの? アンタはクズ。クズで出来損なの。私がいないと仕事もないし、ただの役立たずなの!! その、バルクが……。何に役にも立たないバルクが!! バルクのくせに私から離れようっての?! こんないい仕事をッ、騎士団の仕事を紹介してあげた私から──────離れるっていうの?!」
「……そうだ」
そうだ。……もう決めたんだ。
今となっては、それが早いか遅いかだけのこと───。
その辞表を書いた時に、とっくにバルクの心は決まっている。
今日の今という瞬間はタダのタイミングでしかない。
もう、バルクはとっくの昔にその決意を固めていたのだ。
「う、嘘……! 嘘よッ! わ、わわわ、私は完璧なのに……! 私は剣神なのよ?! 騎士団最強なのに!! ば、バルクのことだって、こんなに気にして心配して、真っ直ぐに見ているのに!!」
「そうか」
どこまでも冷たい態度のバルクにシャーリーンが激高する。
「あ、ああああ、アンタみたいなクズの幼馴染に捨てられるなんて!! そんなの認めないッッッ!」
───絶対に認めないんだからぁぁぁ!!
バルクの胸倉を服ごと握りつぶさんと搾り、
さらには、ミシミシと力を籠めて辞表を握りつぶさんとするシャーリーン。
「あ、アンタは知らないのよ。世の中、甘くないわよ? 何のとりえもないバルクなんてねぇ、この国で生きていけると思ってんの? ほら、故郷に帰ったって仕事なんてないわよ? どうする気? オバさんと、妹に食わせてもらう気ぃぃ?
顔を引き攣らせて「キャハハハハ」とせせら笑うシャーリーン。
これが、あの幼馴染だ……。
「今さら脛かじりぃ……? キャハハ、アンタなんか一人じゃ生きていけない! どから、ほら───私が面倒見てあげるって言ってんのよ!? い、いいい、今なら許してあげるわよ。ほ、ほら、ちょっと頭下げるだけでいいのよ? ね? ね? ほら、」
───ねッッ!!!
頭を下げようよ、バルク? ねッ!!
ニコォと引き攣った笑いが痛々しいシャーリーン。
それはそれは、バルクが頭を下げると信じて疑わないシャーリーン。
本当に本当に、今、この瞬間にも、バルクが頭を下げると──────。
……下げてくれと、懇願するくせに強要する愚かな幼馴染。
バカで、
可愛くて、
傲慢で、
最強で、
愛しくて、
掛け替えがなくて──────……。
大好きだけど──────。だったけど……。
…………パワハラをされている側の気持ちを一ミリも理解していない、救いようのない幼馴染。
「シャーリーン」
「な、なに!?」
パァと顔を輝かせるシャーリーン。
それに答えるようにバルクは笑う。
ニコッ……。
「バル───」
「───中を読んでよ」
へ?
「それが俺の気持ちだよ───」
バルクに言われて、思わず『辞表』の中を取り出したシャーリーンは書かれている文言を読んだ。
一言一句間違いなく。
綺麗に、キチンと、矯めつ眇めつ───読んだ。
声に出して読んだ。
「………………『よーく見ろ』って?──────え??」
意味が分からず、チラリと手紙ごしにバルクを見たシャーリーン。
紙の向こうでバルクが拳を握りしめ──────……。
「え? これが辞表……あはは、こんなの受理できるわけが……、って、何してんの」
「その言葉通りだよ。よーく見とけ」
ミシミシミシ……!!
バルク──────振りかぶってぇぇぇぇえ……。
すぅぅ……。
「いい気になってんじゃねぇよ、このクソアマがぁぁぁああああ!!」
よーーーーーーーーく見ろぉぉぉぉおお!!
こ・れ・が、
俺・の、
「───気持ちだぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
受け取れぇぇぇぇえええええええ!!
ぶぁぁぁあああきぃぃぃぃいいいいッッッっん!!!
辞表ごしに、「よーく見ろ」の文言をぶち破ってバルクの「想い」に「思い」を込めた「重い」パンチが炸裂したぁぁぁあああ!!
へぶぅわぁぁああああ!?
「ブ───ぁルくぅうう……!?」
あぼろべらぼらべぇぇぇえええええええ……!!
メリメリメリメリメリぃぃいい!!!
「ひでぶぅぅうううううううう────────」
バルクの拳が『辞表』ごとシャーリーンの顔面に命中し、メリメリメリとめり込んでいく!!
この感触と言ったらぁぁぁあ!!
「おらぁぁぁあ!!」
「あぁぁっぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」
バルクが叫ぶ!!
腰の入ったパンチ!
訓練されたパンチ!!
恨みつらみが籠ったパンチ!!
パンチパンチパンチパンチ!!
俺のパンチががががぁぁぁぁああああああああ!!!
「あーーーーーーべーーーーーーしーーーーーーー!!」
身体が浮き上がり、バルクの全身が虹色の輝き、そして、幼馴染のシャーリーンの顔面を抉りながら室内をぶっ飛んでいく!!
ここにきて、バルクの【天職】が開放!!
天職【一発屋】の固有スキル───『オーラナックル』がシャーリーンをぶっ飛ばす!!
そして、止まらない──────!
スキル『オーラナックル』の、バルクの生命力と引き換えに本気で本物の怒りを感じた時のみ発動する最強最後の一発限りの拳が、虹色の輝いてシャ-リーンの顔面にぃぃぃいいい!!
「へぶわぁぁぁああああああああああ!!」
シャーリーンの叫びが宿舎に轟き輝く!
───ドッカーーーーーーーーーン!!
と、団長室の壁をぶち破って外へ外へ───その前に、騎士たちの室内をドンドンぶち破っていく!!
「えべらべろぼろろろぉぉぉぉおおお?」
ゴン、ゴン、ゴンっ!!
部屋中の家具を薙ぎ倒し、ヘッドを吹っ飛ばし、騎士たちを巻き込みつつ、壁を突き破って───更にさらにぶっ飛んでいく二人!!
一方は顔面に拳を突き刺しながら、
一方は顔面に拳を受けて陥没さながら、
「思い知れぇぇっぇええええええ!!」
これが俺の怒りじゃぁぁぁああ!!
「はぶぁぁぁぁあああああああ?!」
鼻血を吹き出し、シャーリ―ンの顔面は「*」と言った感じで陥没ッ!
メリメリメリ…………!!
陥没パンチ!!!
そして、騎士たちが休んでいる部屋を次々に「大」の穴をあけて、あけて、あけて……!!
「団長?!」
「バルク?!」
「シャーリーン様?!」
「新人?!」
ドォォッカカァァァアアアアア!!!
遂に宿舎の壁を全部ぶち抜いて、サーキットに到達ッッ!!
「ふっとべやぁぁぁああああ!!」
ガリガリガリガリ!! とサーキットコースでシャ-リーンの頭を擦りつけながらアッパーカット気味にカチ上げると、
「うらぁぁぁああああ!!」
「げっぽぉぉおおおお?!」
ブンッッ!!
と思いっきり振りかぶって衝撃を空に───そして、シャ-リーンごと吹き飛ばす!!
最強の拳、『オーラナックル』が十全に発動し、シャ-リーンを空の彼方まで──────!!
「ばる、くぅ……?」
ふっとばしてやったぜぇぇえええ!!!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあああああああああ!!」
そして、月夜に吼える!!
パワハラ野郎を滅せんとばかりに吼える!!
「ひでぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
満点の夜空に、シャーリーンの鼻血が舞い飛び、最強の剣神が吹っ飛んでいく!!
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーすっきりじゃぁぁぁぁあああああ!!」
何が幼馴染じゃぁぁぁああああ!!!
このパワハラ野郎がぁぁぁああああ!!!
ブンブンブン……! と回転しながら空を飛んでいくシャーリーンを満足げに見送り、
「それが俺の辞表だ」
ペッ。
恨みつらみを拳に乗せ、
文字通り、辞表を叩きつけたバルクは、それはそれはいい笑顔をしていたとか──────。
「いっち、いっち、いちにぃ!!」
そーれぃ!!
「いっち、いっち、いちにぃ!!」
そーれぃ!!
「どうしたのよ、バルクぅ! もうへばったの? アンタただでさえ成績悪いんだから、このくらいチャッチャとやんなさいよ」
夜の帳が迫る中、騎士装備一式を纏った一人の青年が全力疾走を命じられていた。
今日も今日とて騎士団の練兵場で罵声を浴びせられているのは騎士見習いの青年バルク。
そして、彼を乱暴な口調でバルクを罵るのは、長く伸びた金髪を背後に流した美しい女性───バルクの幼馴染にシャーリーンだった。
彼女は特注品の白銀に輝く胸甲を身に着け、貴族階級が許される赤いマントを羽織った騎士団長の格好をしており、真っ赤な顔をして走るバルクを、実に楽し気に見下ろしていた。
そう。
その恰好からも分かる通り、彼女は王都を守る騎士団長。
生まれつき、天に恵まれた才能の【剣神】の天職をもち、
更には、恵まれた容姿と訓練によって培われた優れた身体を誇っている。
それが彼女。
王都にその人ありと言われ、最年少にして最強と謳われる美貌の女騎士団長が、俺ことバルクの幼馴染シャーリン・アイシャスだ。
そして、あろうことか目の前を無理矢理に走らされている青年バルクとは、同じ里の出身であり、騎士団入隊も同期という───いわゆる幼馴染でもあった。
……しかし、それはそれ。これはこれ。
シャーリーンの騎士団長としての顔は、あくまでも表向きの顔であり、
その実は、こうして新人かつ幼馴染のバルクを公然と詰り、強権をもって訓練を強制する女が彼女のもう一つの顔だった。
「───ほらぁ! あと、十周ッッ!!」
「えぇぇ?! も、もう……無理だよッ」
息も絶え絶えになったバルクは、情けなくも同い年である彼女に懇願する。
もう勘弁してくれと、これ以上やったら死んでしまうと───。
「どうしたのぉ?! あはッ♪───まだたったの50周よ? それとも、口答えするきぃ?」
一周400mはあろうという練兵場のサーキットコースの中央で、それはもう~良く響くデッカイ声で、閲兵用のお立ち台の上でそうれそれは楽しそうにバルク罵倒している。
「ひぃ……ひぃ……! む……無理」
「何を言っているか分からないわぁ! 「ひぃひぃ」って、バルクぅ。アンタ馬? 馬なのね?!」
中止を懇願しようとするバルクの言葉尻を掴んで、猫がネズミを甚振る様に、ジワジワと執拗に罵声を浴びせるシャーリーンの顔は、やけに愉悦に歪んでいた。
チラリと見た感じでは、ニヤリと笑うその顔は被虐心に満ちており、美しい顔が実に醜悪に歪んでいる。
「ほぉら、御馬さん───」
お立ち台から降りたシャーリーンがニコニコと、乗馬鞭に持ち替えユラリユラリと歩きだす。
「ち、ちが──────!」
バルクは、幼馴染でもある女騎士───シャ-リーンの表情に慄き、首を振るも時遅し、
「あははははは! 馬が何か言っているねぇ? んふふ~そぉらどうしたの? 足が止まっているわよぉ。……さぁ、馬なら尻を出しなさい───足が止まった馬は、」
こうだ──────!!
「たっっっぷり、指導してあげなくちゃねッッ!」
ダァンッッ──────!!
シャ-リーンは、生まれつきの天才で、百年に一人と言われる特殊天職【剣神】だった。
そして、今こそ【剣神】が誇る固有スキル───『縮地』を発動させると、一瞬にしてバルクに肉薄すると、手にした乗馬鞭を振り上げる。
びゅん! と空を切る鞭の音に首を竦めるも、全力疾走からでは受け身もままならない!
「や、やめッ───!」
「やめなぁああい♪」
あはははははは!
高笑いと共に、シャ-リーンの乗馬鞭がバルクに振り下ろされる。
容赦のない一撃がバチィィイン! とバルクの首筋に振り下ろされ、肌が裂ける。
「ぎゃあ!!」
シャーリーンからの一撃は、それはそれは強烈。
受け身も取れないバルクは、もんどりうって倒れて激しい眷属音を立てて鎧ごと地面に打ち捨てられる。
「ほぉらぁ! どうしたの、早く、立ちなさい、よッ!」
ビシィ! バシィ! ビシィ!! バチィィイン!
倒れた拍子に、鎧が脱げ落ちバラバラになったのを幸いとばかりに、下穿きがむき出しになったバルクの尻を
何度も何度もしつように叩きつけるシャ-リーン。
「ぎゃあ! あぎぃ! ひぃ!! や、やめて!!」
鋭く肉を叩く鞭の擦過音が練兵場に響き渡り、バルクの悲鳴が断続的に混じる。
遠巻きにそれを眺めている騎士団の連中が、気の毒そうに囁き合っていた。
「またか?」
「あーあー……バルクの奴、ありゃ、しばらく立てねぇぞ」
「うわッ。ひっでぇ……」
ヒソヒソ。ヒソヒソ。
「今日は、いつにも増して酷いな」
「懲罰ランニングからの、鞭打ちか……。原因は何だ?」
「さぁ? いつもの指導だろ?」
ヒソヒソヒソ。
「入隊同期なんだろ? やりすぎじゃねぇの?」
「さぁ、元々バルクのやつは団長殿の『お願い』で入隊した縁故入隊だからな───色々あるんだろうさ」
「おぇ。……女のヒステリーはこわいね~」
騎士団の暇人が見守る中、どうやら日常茶飯事らしいソレはいつになっても止むことを知らない。
優に10分以上、鞭で打たれているバルクはビクビクと痙攣し、もはや息も絶え絶えだ。
ついには、跳罵に耐えかねた鞭がへし折れ、ようやくバルクに対する指導が終わりを迎えた。
「はぁはぁはぁ……うふふふふ。どうしたのバルク? 早く立ちなさいよ」
「う……。うぅ……」
ズボンの上からでもわかるほど腫れ上がった尻。
そして、避けた首筋───。傍目からも重傷一歩手前だ。
それに比して、うっとりと肌を上気させるのはシャーリーンだけ。
ボロボロのバルクも、気の毒そうに見守る騎士の連中もウンザリした顔だ。
だが、それでもバルクは立つ……。
この騎士団において最底辺に近い「騎士見習い」のバルクには、騎士団のトップたる───騎士団長のシャ-リーンに逆らうことなど許されるはずもないのだから。
「うぐ……くそぉ……」
まともに立てず、口もきけない程痛めつけられたバルク。
だが、今日ばかりはもう我慢できないとばかりに項垂れながらも真正面からシャ-リーンを睨む。
「何よ。その目は? 落ちこぼれのアンタを団長の私が自ら鍛えてあげてんのよ? 優しい幼馴染に感謝なさい」
「シャーリ───」
パァン!!
「団長!……って言いなさいよ──でしょ?」
神速で張り手を振り抜きシャーリーンは至近距離からバルクを睨む。
そんなキッツイ女でありながら、シャ-リーンの顔は不本意だが美しい。
だが、痛めつけられたバルクにはそれどころではない。
「………………………だ、団長」
「そ。それでいいの───じゃぁ、はい」
スーと、サーキットコースの先を指さすシャ-リーン。
意味が分からず首を傾げたバルクに、
バシィン!
「ぐはッ!!」
と、小馬鹿にするように頭を叩くと、ニコリとして言った。
「───あと、10周って言ったでしょ?」
ニッコリ。
まるで慈母のように美しく微笑むシャ-リーンの顔は、バルクにだけは悪魔のように映った。
これがバルクの日常……。
「わか……った」
頷くしか許されない状況において、酷く傷む体を引き摺るようにしてヨロヨロと……。
内に秘めた怒りの炎を目に湛えながら、騎士見習いのバルクは走る。
───優秀な幼馴染。
そして、何をやっても勝てず───まるで彼女のオマケのように扱われてきたバルク。
ずっと、ずっと我慢してきた。
言いたいこと、やり返したいこと、うんざりしていたことも───。
それでも故郷にいる間は仲良くやっていたのに……。
───権力を手にして彼女は変わってしまった。
何をやっても優秀な幼馴染と比べられる毎日。
それを詰っては罵詈雑言を浴びせる彼女に今の今まで我慢に我慢を重ねてきた。
心の深い場所にしっかりと鍵をして閉じ込めておいた、この思いッ!
だってここは騎士団だ。
───階級が物を言う組織で、そして、彼女は騎士団長。
トップの言うことは絶対なのだ。
───だから!!!
「そ。黙って私の指導に従えばいいのよ。今の訓練が終わったら、団長室に報告に来なさい───じゃあね♪ 落・ち・こ・ぼ・れ」
あーっはっはっはっはっは!!
ひとしきり高笑いすると、シャ-リーンは意気揚々と宿舎に引き上げていった。
暗くなりつつあるサーキットを一人トボトボと走るバルクを置いて……。
※ ※
「はぁはぁはぁ……おえ───」
おぇぇぇええ……!!!
こみ上げる吐き気に耐え切れず、サーキットの暗い地面に吐き戻すバルク。
あれから小一時間ほど、なんとか言われた通りに走り切ったバルクはようやく一息つくことができた。
荒い息を整えつつ、時間を確認する。
まだ兵舎の消灯時間には間に合う頃合いだった。
この時間ならシャ-リーンも起きているはずで、言われた通り報告に行くことも可能だろう。
「行きたくないな……」
どうせ、顔を見たなまた何か酷い口調で罵られるのは目に見えていた。
いつもの事とは言え、人間何度も殴られればいつかは骨だって折れる。
それは心だって同じだ。
今までは何とか堪えていた。
若くして騎士団長にまで上り詰めたシャーリーンも大変なんだろうな、と。
だから、ストレスの捌け口になるくらいなら、自分が少しくらい画面すればいいと───そう思っていた時期もあった。
だけど!!
度が過ぎるということがある。
シャーリーンは自分が少しでも気に入らないことがあるとバルクに当たり散らす。
それがいつものことなので、バルクもあまり気にせず謝っておいた。
そうすれば、シャーリ―ンは単純なので、すぐに機嫌が直る。
全然関係のない事でも、取り合えずバルクが謝っておけばそれで事足りた。
けれども、最近はその程度が過ぎる。
以前は……一緒に騎士団に入隊したころはもうちょっとマシだった。
たまにはやしい言葉をかけてくれたし、訓練についていけず、ドンドン出世していくシャーリーンにおいて至れるバルクを気にして慰めてくれることもあった。
だけど、今じゃ……。
騎士団長の仕事が忙しいのは分かるけど、ストレスが溜まるのは分かるけど……。
バルクだって人間だ。
罵られて嬉しいはずがない。
皆の前で恥をかかされて平気なわけがない。
何度も何度も幼馴染に叩かれて、腹が立たないわけがないッッ!
でも、それを指摘してもますますシャーリーンは憤るばかり。
一言いえば、百倍になって帰ってくる始末。
「ばか!」、「クズ!」、「間抜け!!」
「役立たずの幼馴染をお情けで騎士団に入隊させてやったのに!」、
「給料泥棒ッ! 一緒の職場にいるって考えるだけで虫唾が奔る!」、
「だけどね。幼馴染だから面倒見てあげる。か、勘違いしないでよ。アンタが惨めだからよッ!」
そんな言葉を日常的に吐き捨てられていては、平静を保っているのも困難だ。
いつしか、バルクは自分が本当にそんな人間なんじゃないかと、どこか自己嫌悪に陥る始末。
慰めてくれた幼馴染はもうどこにもおらず───いるのは日常的にバルクを肉体的にも、そして精神的にも追い詰めてくる、騎士団長のシャーリーンだけ……。
もう、バルクはボロボロだった。
言われことを言われただけやるだけの男。
シャーリーンの罵詈雑言に耐え、暴行から体を小さくするだけの情けない男……。
それが、シャーリンの幼馴染であり、彼女のストレスの捌け口になるしか能のない男バルクだ。
『───訓練が終わったら、団長室に報告に来なさい。じゃあね♪ 落・ち・こ・ぼ・れ』
ヘラヘラと笑うシャーリンの顔と言葉が脳裏に浮かび、ウウンザリしたかをしたバルク。
「はぁ……」
だが、放置していても余計に酷くなるだけ……。
仕方なく、トボトボと宿舎に向かって歩く青年バルクがただ一人───。
「行きたくないな……。もう、嫌だよ…………」
泣きそうになりながら耐えるバルク。
そして、バルクは胸に仕舞った書類をそっと握りしめた───。
第2話「精神的パワハラ」
「おそ~い……。いつまで待たせたら気が済むのかしらぁ? 私、アンタみたいな下っ端と違って仕事があるんだけど? ねぇ聞いてんの、給料泥棒さん??」
団長室前で腕を組んで待ち構えていたシャーリーン。
下手に消灯時間を過ぎて報告に行けば酷く指導されるのは目に見えていたので、出来るだけ急いできたつもりだが、彼女は気にくわなかったようだ。。
それでなくとも、最近は顔を見るだけで何かと罵倒されているというのに……。
とは言え、報告を怠るとそれはそれで酷い目にあうのは分かり切っていた。
「ご、ごめん……」
シャ-リーンは厳しい。
とくにバルクに対しては度を越して厳しい……。
幼い頃は同郷で、近所の子供として仲良く育った二人。
しかし、その中が良かったのもほんの数年前までのことだ。
教会のいう成人式を迎えたバルクとシャ-リーンは14歳の時、天職診断を受けた。
そこで、二人の天職が判明し、命運は分かれた。
シャ-リーンの天職は【剣神】───。
生まれながらにして剣に愛され、武の頂点を極める可能性を秘めた最強の剣士だった。
一方でバルクは…………。
「は? ゴメン?? アンタ誰にタメ口きいてんの? ねぇ?」
「ご、……申し訳ありません」
ペコォと頭を下げるバルクを見下ろすシャーリーン。
その顔はいつもの被虐に歪んでおり、
「あーそー? 謝ればそれでいいんだ? ふ~~ん。で?……何時間待たせる気ぃ? 犬でも、もう少し真面目に訓練するわよ。対してアンタはどうなの? ねぇ、上司をまたせるとか、何様のつもりなの?」
ふふん、と勝気な態度でバルクを見下ろすシャ-リーンは、なるほど最強なのだろう。
立ち昇るオーラからして一騎士見習いのバルトとは偉く違う。
【剣神】の天職に目を付けた王国に乞われ、騎士団に入隊したシャ-リーンはあっという間に頭角を現し、僅か一年で騎士団長の座に上り詰めてしまったという。
対して、シャーリーンに乞われて入隊したバルクはただの騎士見習い。
剣の才能もなく、授かった天職も騎士向きとは到底言えない。
「申し訳ありません……。二度と団長を待たせるようなことがない様に重々注意します」
下手に言い訳をしようものなら、百倍返しになって身に降りかかるのでバルクは大人しく頭を下げ続ける。
こうしておけばシャーリーンの顔を見なくて済むし……。
「───べ、別にアンタのことなんか待ってないんだからッ」
ツンと、そっぽを向いたシャ-リーンは、
「入りなさいよ」
ツィっと、顎をしゃくるとバルクに入室を促す。明かりの漏れる先は彼女の執務室なのだ。
(え…………か、勘弁してくれよ)
今日はいつになくしつこいシャーリーン。
謝ったのに、何度も何度も彼女の前で無様を晒そうとも、耐えていたのに───!
カツカツカツ! と快活な足音を立てるシャ-リーンと打って変わって、ノソノソと歩くバルクの足音の何と陰気なことか……。
バルクが後に続くことを微塵も疑わずに、シャ-リーンは執務椅子にドカッと座ると形のいい足を組んでふんぞり返る。
その前には机を挟んでバルクがオドオドと立っていた。
「さーて、何で呼ばれたかわかる?」
「えっと、……訓練終了の報告に───」
バァン!!
飛び起きたシャ-リーンが机を拳でブッ叩いた。
その音に驚いたバルクは見るからにビクリを震える。
「ふざけてるの? 何でアタシが、アンタみたいなチビで根暗で雑魚の騎士見習いの訓練報告を聞かなきゃならないのよ?」
いや……。さっき報告に来いって───。
と、口の中でモゴモゴと言うバルクだったが、鋼の自制心でそれを押しとどめる。
下手に反論しても、百倍どころか千倍に帰ってくるのは明白だ。
ビキスと顔に青筋を立てるシャ-リーン。
これが、故郷で仲良く遊んだ少女なのだろうか……。
一緒に騎士団に入隊するって報告したときはあんなに喜んでくれたのに、今ではこれだ───。
どうやら、騎士団での生活は彼女を一変させてしまったらしい。
責任のある立場。
一代限りとはいえ、貴族の末端に名を連ねる事。
そして、終わりのない仕事の日々───。
十代の少女の双肩にかかるにはあまりにも重すぎる責務……。
「はぁ……。アンタなんかと入隊したのは間違いだったわ」
机に乗り出したまま、盛大にため息をつくシャ-リーンは行儀悪く、背もたれに深く腰掛け白く綺麗な脚を机に投げ出した。
「すみません……」
今日何度目かになる謝罪。
もはや何に対して謝っているのかバルクにもわからないが、彼が頭を下げたその瞬間───!
「何でもかんでも、謝ればいいって思ってんじゃなわよッッ!」
積まれたいた羊皮紙の束をバーン! とバルクに向かって跳ねのける。
「ひッ!」
騎士団に入隊した当初は優しかったシャ-リーン。
だが、今ではこれだ!
最初はマンツーマンで、優しく指導。
次第に激しく口で罵るようになり───ついには手が出るように。
最近では、こうして力量の差をたてに彼女の指導はやがて暴力の域に達し───もはや、いまとなっては罵詈雑言からの、直接的な肉体に対する攻撃まで!
そして、公衆の面前と公然と罵り、嘲り、仕事を馬鹿にする。
「アンタねぇ。昼間言った書類整理───これどうなってんのよ?!」
積まれていた書類を次々に払いのけ、まるでゴミでも投げるように、バシバシとバルクにぶつけるシャ-リーン。
「ど、どうって……?」
意味が分からない。
言われた通りに番号順に並べ、決済しやすいように机に束ねておいたのだが───……。
「はぁ? これを見て何も思わないの? 番号───!! 降順じゃなくて、普通ならさぁ~……昇順に並べない?」
え?
いや……。そんなこと───。
「なによ? あと、これ!!」
インク壺を手に取るとバルクに向かって中身ごと投げつける。
分厚いガラスでできたそれはバルクに当たり、鈍い音を立てて中身をぶちまけた。
「いづッ!」
ベチャリとインクが顔にかかり視界が濁る。
「これ!! 色が薄いッ! 全然インクの配合が違うじゃない?! そんなこともわからないの?」
そんなことって───。
「あとは、これぇぇえ!!」
クリップボードに挟まれた書類を手に、シャ-リーンはツカツカと歩み寄ると、それをバルクの頭にゴンゴン! と叩きつけながら言う。
「アンタ、アホなの? これは、稟議書よ? まずは、小隊長───」
ゴンゴンゴンっ!!
たいして力を入れているわけでもないが、薄っぺらい板でできたクリップボードは間抜けな音を立ててバルクの上で跳ねている。
「次に、中隊長───あと順番に廻して最後にアタシの所にくるの?」
ゴン、ゴン、ゴぉンッ!
リズムをつけるように叩かれていると、どうしようもなく惨めな気分になり、そして怒りすら沸いてきた。
だがシャーリーンはそれに気付くこともなく、
「全部やり直し───」
ゴンゴン…………バァン!!
一際大きな音を立て、バルクの頭の上を跳ねたクリップボードが部屋の中を舞う。
バィン、バィン……───カラカラカラ~。
綺麗に跳ねたクリップボードは、挟まれた書類をそのままに床を回転しながら転がって行き、零れたインクだまりに突っ込んで汚れて止まった……。
あれだが、書類として二度と使えないだろう。つまり、作り直しだ。……バルクではなく、一番最初に稟議書をあげた小隊長が、だ。
「あ? 何よ。その目……文句あるの?」
文句……?
文句だって?
「あ、」
「あああ゛ん?! ねぇ「あ、」って何よ、「あ!」ってさぁぁ! ねぇ。言って見なさいよ」
腕を組んでバルクを見下ろすシャ-リーン。
「あ……あれは第2小隊長が───つくったんだ……!」
俺が作ったわけじゃない。
バルクはそう言いたかった。
「は? それが何?」
それが何?!
それが何だって?!
「お……俺にもう一度、小隊長に頭を下げて作り直してくれ───って、言えってゆーのかよ!」
その手間と、恥ずかしさをシャ-リーンは知らない。
団長の怒られて書類が汚れたのでもう一度書き直してくれ……? そんなこと言えるわけないだろうが!!
───ビキスっ!!
そんな音がするほどにシャ-リーンの顔に青筋が浮かび上がるのが見えた。
バルクの反論などシャ-リーンは聞いちゃいない。聞くわけがない───このパワハラ野郎は!!
「っざけんじゃないわよ!! アンタのミスのせいで、アタシがどんだけ面倒被ると思ってんのよ!」
ガタァァァアン……!!
シャ-リーンはわざと音が響くほどに机を蹴飛ばすと、ヨタリを付けながらバルクに迫る。
「おぉん? 仕事も大してできねぇくせに、デカい口利くじゃないのよ? お゛?!」
そして、肩でドンッと、バルクの胸を軽く押す。
「───ねぇ? アンタさぁ。入隊してからこっち、なんか一個でも騎士団に貢献したことあるの? ねぇ? ねぇねぇ!」
ドンッ! さらに一回、
「アンタの同期はとっくに分隊長くらいやってんのよ。ねぇ? なんか、アンタってさ~。ここで何か役に立ってんの?」
「ねぇ?」ドン、ドン、ドン!! と、連続してバルクを小突くシャ-リーン。
「そのくせ、毎日、毎日、毎日、定時で書類仕事終わって、言われなかったら自主トレもやんないで、部屋でゴロゴロして───」
ドン、ドン、ドン!
う……ぐ……!
「ねぇ? そんなんで、なんで給料もらってんの? ってゆーかさぁ…………?」
ドンッッッ!!──────ぐぐ……!
胸倉をつかむシャ-リーンに間近からにらまれるバルク。
そして、
「──────アンタさぁ、何で生きてんの?」
プチっ…………。
その瞬間、何かがキレた。
それはもうプッツンと──────。
次の瞬間には、バルクは懐に手を突っ込んで、いつもいつもコイツをこの目の前のクソアマに叩きつけてやろう認めておいたそれをとりだした。
バッシィィィイイン!!
「キャッ!」
そして、突然の行動に受け身も取れなかったシャーリーン。
存外可愛らしい悲鳴あげた彼女に向け、バルクはそいつを突きつけた───!!
第3話「辞表を叩きつける。文字通りに」
「な、なによこれ?──────……え?」
シャーリーンに突きつけられたのは一枚の書状。
安っぽい封筒に包まれたソレには神が一枚だけ入っているらしい。
そして、封筒には一言。
『辞表』
「…………ちょ、ま。ま、マジ?!」
さすがに驚いたシャーリーンは茫然としてバルクの顔をみた。
しかし、バルクは軽く下を向いて表情を見せない。
薄暗い部屋のため、光源から離れたバルクの表情が読み取れないのだ。
それを幸いにバルクは畳みかける。
「マジだ。……見ればわかるだろ?」
「そ、」
バルクはずっと前からこれを準備していた。
いつでも出せるように、常に懐に……。
そのため、『辞表』はヨレヨレになり、一部には汗と涙が染みついている。
だが、それだけに───バルクの葛藤と忍耐が込められているのだ。
それをおして図ったシャーリーンは、慌てて取り繕うとしていた。
「こ、こんなの受け取れないわッ! そ、そうよ! 今は勤務時間外よ! 認めないんだからッ!」
自分もバルクをこんな時間に呼びだしておいて結構な言い草だ。それに気付いているんだかいないんだが、中身を見ることなくバルクにつき返そうとする。これを受理してしまえば、バルクは正式に騎士団を退職する。
つまり、シャーリーンから離れることができるのだ。
「もう決めたんだ……。受け取らないなら、朝一番で総務課に提出しておくよ」
「ちょ!!」
いつかこんな日が来ると思っていた。
シャーリーンに乞われ、仕方なく入隊した騎士団。バルクには何の未練もなかった。
そして、最後までシャーリーンが抵抗するのもバルクには読めていた。
なんたって幼馴染だからな……。
良くも悪くも彼女の行動は予想がつく。家族を除いて人生で一番知っている人物───シャーリーン。
だから、いつか───いや。今日という日のためにシュミレートしていたのだ。
「じょ、冗談……だよね? きゅ、急にどうしたのよ?! ねぇ」
………………はぁ?!
「急に? 冗談…………」
バルクは薄暗い照明のもと、そっと胸元を開く。
そこには赤黒く血が滲んだ痣がたくさん…………。
「これが冗談? これが急なのかい───シャーリーン?」
「あ……ぅ。だ、だって───そ、そうね! ご、ゴメンなさい」
バルクの態度に急に慌てだしたシャーリーンが、ペコリと頭を下げる。
さすがにバルクの態度に不穏なものを感じたらしい。
ほとんど喧嘩したことはないが、やはりお互い知り過ぎている。それが故に、シャーリーンもバルクの本気を感じ取ったらしい。
だから、謝る。
素直に謝る──────。
だって、今まではそれで許されて来たから───バルクが許してきたから……。
「シャーリーン……」
バルクが優しく声をかけると、途端にパッ! と顔を明るく輝かせてバルクを見つめるシャーリーン。
その可愛らしい表情とちょっとした甘えた表情にバルクは絆されてきた。
いや……騙されてきたのだろう。
そう、いつもならバルクはここで許しているし、彼自身も喧嘩や争いを望まなかったから「俺も悪かったよ」と謝っていたはずだ。
そう、いつもなら───。
だが、もうわかっている。
彼女のこの態度も、こうした仕草も──────また次の日からはケロっとしてバルクを暴力と言葉で追い詰めてくるのだろうと……。分かり過ぎるくらいに分かっている。
だから、もう終わりだ。
終わりにしよう。シャーリーン。
生まれ育った故郷。
仲良く遊んだ二人の家。
初めて手にした【天職】と互いの祝福。
もし、大人になってもまだ二人がすき合っていたら結婚しようと誓った満点の空───。
あぁ、そうとも俺たちは幼馴染だった。
だっただんだ。
「ば、バルク…………?」
だけどな、
懇願されて入隊した騎士団。
厳しい訓練とドンドン出世していくシャーリーン。
互いにすれ違い、距離を置こうとした。
だけど、シャーリンはバルクを離さず、シゴキ、鍛え、殴り、罵倒し、大勢の人の前で笑いものにし、
そして、何度も何度も罵詈雑言を浴びせ、
細かいどうでもいい指示をしたかと思えば、今度は何日も仕事を与えず放置し、そして、給料泥棒と罵る。
だけど、バルクだって人間だ。
どうしようもなく人間だ。
だから、
「もう、終わりなんだ───」
「え…………うそ、だよね?」
綺麗な瞳を何度も瞬き、信じられない言葉を聞いたとばかりにバルクを見つめるシャーリーン。
どうも、バルクの言っていることの意味が分からないらしい。
そんなことはあり得ないと、そう思っているのだ。
「さようなら、シャーリーン」
「うそ……。嘘よ───」
嘘なものか。
「み、認めない……! 認めないわよッ! 私はアナタの上司なの!」
思った通り、突如態度を急変させたシャーリーン。
さっきまで殊勝な態度で謝っていたのはどこ吹く風。
空いた手でバルクの胸倉を掴むと、
「こっち見なさいよ! そうよ。私の目を見なさい!! いい? 分かってんの? アンタはクズ。クズで出来損なの。私がいないと仕事もないし、ただの役立たずなの!! その、バルクが……。何に役にも立たないバルクが!! バルクのくせに私から離れようっての?! こんないい仕事をッ、騎士団の仕事を紹介してあげた私から──────離れるっていうの?!」
「……そうだ」
そうだ。……もう決めたんだ。
今となっては、それが早いか遅いかだけのこと───。
その辞表を書いた時に、とっくにバルクの心は決まっている。
今日の今という瞬間はタダのタイミングでしかない。
もう、バルクはとっくの昔にその決意を固めていたのだ。
「う、嘘……! 嘘よッ! わ、わわわ、私は完璧なのに……! 私は剣神なのよ?! 騎士団最強なのに!! ば、バルクのことだって、こんなに気にして心配して、真っ直ぐに見ているのに!!」
「そうか」
どこまでも冷たい態度のバルクにシャーリーンが激高する。
「あ、ああああ、アンタみたいなクズの幼馴染に捨てられるなんて!! そんなの認めないッッッ!」
───絶対に認めないんだからぁぁぁ!!
バルクの胸倉を服ごと握りつぶさんと搾り、
さらには、ミシミシと力を籠めて辞表を握りつぶさんとするシャーリーン。
「あ、アンタは知らないのよ。世の中、甘くないわよ? 何のとりえもないバルクなんてねぇ、この国で生きていけると思ってんの? ほら、故郷に帰ったって仕事なんてないわよ? どうする気? オバさんと、妹に食わせてもらう気ぃぃ?
顔を引き攣らせて「キャハハハハ」とせせら笑うシャーリーン。
これが、あの幼馴染だ……。
「今さら脛かじりぃ……? キャハハ、アンタなんか一人じゃ生きていけない! どから、ほら───私が面倒見てあげるって言ってんのよ!? い、いいい、今なら許してあげるわよ。ほ、ほら、ちょっと頭下げるだけでいいのよ? ね? ね? ほら、」
───ねッッ!!!
頭を下げようよ、バルク? ねッ!!
ニコォと引き攣った笑いが痛々しいシャーリーン。
それはそれは、バルクが頭を下げると信じて疑わないシャーリーン。
本当に本当に、今、この瞬間にも、バルクが頭を下げると──────。
……下げてくれと、懇願するくせに強要する愚かな幼馴染。
バカで、
可愛くて、
傲慢で、
最強で、
愛しくて、
掛け替えがなくて──────……。
大好きだけど──────。だったけど……。
…………パワハラをされている側の気持ちを一ミリも理解していない、救いようのない幼馴染。
「シャーリーン」
「な、なに!?」
パァと顔を輝かせるシャーリーン。
それに答えるようにバルクは笑う。
ニコッ……。
「バル───」
「───中を読んでよ」
へ?
「それが俺の気持ちだよ───」
バルクに言われて、思わず『辞表』の中を取り出したシャーリーンは書かれている文言を読んだ。
一言一句間違いなく。
綺麗に、キチンと、矯めつ眇めつ───読んだ。
声に出して読んだ。
「………………『よーく見ろ』って?──────え??」
意味が分からず、チラリと手紙ごしにバルクを見たシャーリーン。
紙の向こうでバルクが拳を握りしめ──────……。
「え? これが辞表……あはは、こんなの受理できるわけが……、って、何してんの」
「その言葉通りだよ。よーく見とけ」
ミシミシミシ……!!
バルク──────振りかぶってぇぇぇぇえ……。
すぅぅ……。
「いい気になってんじゃねぇよ、このクソアマがぁぁぁああああ!!」
よーーーーーーーーく見ろぉぉぉぉおお!!
こ・れ・が、
俺・の、
「───気持ちだぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
受け取れぇぇぇぇえええええええ!!
ぶぁぁぁあああきぃぃぃぃいいいいッッッっん!!!
辞表ごしに、「よーく見ろ」の文言をぶち破ってバルクの「想い」に「思い」を込めた「重い」パンチが炸裂したぁぁぁあああ!!
へぶぅわぁぁああああ!?
「ブ───ぁルくぅうう……!?」
あぼろべらぼらべぇぇぇえええええええ……!!
メリメリメリメリメリぃぃいい!!!
「ひでぶぅぅうううううううう────────」
バルクの拳が『辞表』ごとシャーリーンの顔面に命中し、メリメリメリとめり込んでいく!!
この感触と言ったらぁぁぁあ!!
「おらぁぁぁあ!!」
「あぁぁっぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」
バルクが叫ぶ!!
腰の入ったパンチ!
訓練されたパンチ!!
恨みつらみが籠ったパンチ!!
パンチパンチパンチパンチ!!
俺のパンチががががぁぁぁぁああああああああ!!!
「あーーーーーーべーーーーーーしーーーーーーー!!」
身体が浮き上がり、バルクの全身が虹色の輝き、そして、幼馴染のシャーリーンの顔面を抉りながら室内をぶっ飛んでいく!!
ここにきて、バルクの【天職】が開放!!
天職【一発屋】の固有スキル───『オーラナックル』がシャーリーンをぶっ飛ばす!!
そして、止まらない──────!
スキル『オーラナックル』の、バルクの生命力と引き換えに本気で本物の怒りを感じた時のみ発動する最強最後の一発限りの拳が、虹色の輝いてシャ-リーンの顔面にぃぃぃいいい!!
「へぶわぁぁぁああああああああああ!!」
シャーリーンの叫びが宿舎に轟き輝く!
───ドッカーーーーーーーーーン!!
と、団長室の壁をぶち破って外へ外へ───その前に、騎士たちの室内をドンドンぶち破っていく!!
「えべらべろぼろろろぉぉぉぉおおお?」
ゴン、ゴン、ゴンっ!!
部屋中の家具を薙ぎ倒し、ヘッドを吹っ飛ばし、騎士たちを巻き込みつつ、壁を突き破って───更にさらにぶっ飛んでいく二人!!
一方は顔面に拳を突き刺しながら、
一方は顔面に拳を受けて陥没さながら、
「思い知れぇぇっぇええええええ!!」
これが俺の怒りじゃぁぁぁああ!!
「はぶぁぁぁぁあああああああ?!」
鼻血を吹き出し、シャーリ―ンの顔面は「*」と言った感じで陥没ッ!
メリメリメリ…………!!
陥没パンチ!!!
そして、騎士たちが休んでいる部屋を次々に「大」の穴をあけて、あけて、あけて……!!
「団長?!」
「バルク?!」
「シャーリーン様?!」
「新人?!」
ドォォッカカァァァアアアアア!!!
遂に宿舎の壁を全部ぶち抜いて、サーキットに到達ッッ!!
「ふっとべやぁぁぁああああ!!」
ガリガリガリガリ!! とサーキットコースでシャ-リーンの頭を擦りつけながらアッパーカット気味にカチ上げると、
「うらぁぁぁああああ!!」
「げっぽぉぉおおおお?!」
ブンッッ!!
と思いっきり振りかぶって衝撃を空に───そして、シャ-リーンごと吹き飛ばす!!
最強の拳、『オーラナックル』が十全に発動し、シャ-リーンを空の彼方まで──────!!
「ばる、くぅ……?」
ふっとばしてやったぜぇぇえええ!!!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあああああああああ!!」
そして、月夜に吼える!!
パワハラ野郎を滅せんとばかりに吼える!!
「ひでぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
満点の夜空に、シャーリーンの鼻血が舞い飛び、最強の剣神が吹っ飛んでいく!!
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーすっきりじゃぁぁぁぁあああああ!!」
何が幼馴染じゃぁぁぁああああ!!!
このパワハラ野郎がぁぁぁああああ!!!
ブンブンブン……! と回転しながら空を飛んでいくシャーリーンを満足げに見送り、
「それが俺の辞表だ」
ペッ。
恨みつらみを拳に乗せ、
文字通り、辞表を叩きつけたバルクは、それはそれはいい笑顔をしていたとか──────。