その日は部活がなかったので、一人で昇降口を出ると、今日も前庭で吹奏楽部の部員が個人練習をしていた。
 昇降口の階段の下にはクラリネットを吹く百瀬君がいて、私の姿に気が付くと、楽器から口を離した。
 目と目が合ったので、軽く会釈をする。
 すると、
「君、一組の子だろ?」
 百瀬君が話しかけて来た。
「そうだけど……」
「梶と仲いいの?」
 ふいに彼から梶君の名前が出てきて、私は、
「えっ?」
 と首を傾げた。
「まあ、それなりに。一緒の部活だし」
 今日は梶君と険悪だったので、「仲がいい」というのが悔しくて、曖昧に答える。すると百瀬君は、
「仲良くしてるなら、気を付けたほうがいいよ。あいつ、裏があるから」
 険のある声音でそう言った。
「裏……?」
 不穏な言葉に眉をひそめる。
「今は大人しそうにしてるけど、中学の時はそうじゃなかったから。腹の中も黒いし。心の中では、周囲の人間を馬鹿にして笑ってるような奴だ」
「……!」
 悪意に満ちた百瀬君の瞳を見て、息を飲む。
「梶君はそんな人じゃないよ!」
 気が付いたら、私は反論していた。
 私の大きな声に、百瀬君がびっくりした顔になる。
「梶君は、ちょっと意地悪なところもあるけど、いい人だよ。なんでそんなこと言うの?」
 自分で自分の声に驚いたので、私は、今度は努めて静かな口調で、百瀬君に言った。
 百瀬君が梶君のことを悪く言う理由が分からない。
 真剣に百瀬君を見つめると、彼は居心地悪そうな顔になり、ふいっと横を向いた。そのまま、クラリネットを手に取り、口を付ける。
 再び演奏を始めた彼は、もう私と話をする気がないようだ。
 私は、百瀬君を睨んだ後、肩を怒らせて歩きだした。
(何よ、何よ! 梶君が腹黒いなんて、どうしてひどいことを言うの?)
 梶君に対して怒っていた気持ちは、どこかへすっ飛んで行ってしまった。今は百瀬君への怒りの方が勝っている。
 けれどふと「百瀬君がそんなことを言うのは、中学校で何かあったからなのかな」と思った。
(梶君が本当は腹黒いなんて、そんなことないよね)
 失恋した私を励ましてくれた梶君が、誰かにそんな風に思われていることが悔しくて、私は唇を噛んだ。