私が文芸部に入り、二週間が過ぎた。
 放課後、図書室に向かって廊下を歩いていると、
(あれ? 姫野さんと斎木君? 二人きり?)
 窓越しに、中庭のベンチに座る二人の姿が見えた。にわかに胸がざわざわし、私は中庭へと足を向けた。
 二人に気付かれないように、そっと近くまで行く。木の陰から耳を澄ませると、
「話ってなぁに?」
 姫野さんが斎木君に問いかける声が聞こえて来た。
「姫野、実は俺、お前のこと、好きなんだ。付き合って欲しい」
 真剣な斎木君の言葉を聞き、私はめまいがした。姫野さんは驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔になり、
「ありがとう。嬉しい。私で良ければ、付き合って下さい」
 ぺこりと頭を下げた。斎木君が、
「マジ? やった……!」
と、満面の笑顔を浮かべる。ナイフで突きさされたみたいに、私の胸がズキンと痛んだ。
「……っ」
 私は両手で口元を抑えた。そうしないと、泣き声を上げてしまいそうだった。
 踵を返し、足早に校舎へ戻る。
 私は呆然としたまま、廊下を歩いた。
 ショックで、足が重い。
 ふらふらしながらも、図書室へ行くと、いつもの席に梶君が座っていた。私の顔を見るなり、
「どうしたの? 蒼井さん!」
 と、驚いた表情を浮かべた。
「か、かじ、くん……私……」
 ポロリと涙が零れ、私はその場にしゃがみこんだ。梶君が立ち上がり、かがみ込んで私の肩に手を置いた。
「何かあったの?」
「わ、私、失恋、しちゃった……」
「もしかして、斎木に?」
 固い声で問いかけた梶君に向かって、黙って頷く。
 何も行動しないうちに、私の恋は終わってしまった。私がしていたことといえば、斎木君と私をモデルに、小説を書いていたことだけ。
(そんな風に誰にも見せない小説を書いていたところで、想いが通じるわけじゃないのに)
 私は泣きながらカバンを開けると、小説のノートを取り出した。紙に両手をかけて、下に引く。びりびりと、ページを破っていく。
 すると、梶君が、
「待てよ」
 と私の手を押さえた。
「破る必要はないだろ」
「こんな恥ずかしい小説、もういらない……!」
 涙と鼻水をすすり上げながら言ったら、梶君はゆっくりと頭を振った。
「恥ずかしい小説なんかじゃない。それは、蒼井さんの心がこもったものだ」
「……心?」
「誰かのことを、一生懸命、好きになったっていう、美しい気持ちが詰まったものだ。小説を書くのって、大変なことだよ。自分の心の中をさらけ出していくんだから。それでも、伝えたいことがあるから、書くんだ。書きたいという衝動が起こるから、やめられないんだ。蒼井さんも、そうじゃないの? 斎木を好きだと言う気持ちを、恋をするトキメキを、小説という形で表現したんだろ?」
 梶君の真剣なまなざしが、私の心の奥深くを見通しているかのよう。
 私は、
「……うん」
 小さく頷いた。
 最初は、自己満足のために書いていた小説だった。
 けれど、ラブレターを綴るように、物語を書くことは楽しくて。
 私は、確かに、梶君の言うような思いが、自分の中にあったことに気が付いた。
 梶君は、カバンの中からセロハンテープを取り出すと、私が破ってしまったページを、丁寧に繋ぎ合わせていった。梶君の作業を見ていると、私のささくれだった心も、修復されていくかのように感じた。
「できた」
 ノートを直した後、梶君は、満足したように微笑んだ。
「これで、元通り」
 差し出されたノートを受け取り、
「……ありがとう」
 おずおずとお礼を言う。
「蒼井さんの気持ちがこもったものなんだから、粗末に扱うなよ。それでさ、良かったら、俺にその小説、読ませてくれない?」
「えっ、それは、恥ずかしい……。見ないって約束じゃない」
「そういう約束だったけど、蒼井さんが綴る恋の行方を見届けたい。続きを書いてよ。完結させることに、意味がある」
 梶君にノートを直してもらったけれど、私はもうこの話の続きを書くことはないだろうと思っていた。
「完結させることに意味がある……」
 私は梶君の言葉を繰り返した。
 梶君が頷く。
「完結させたら、何かが変わる?」
「世界が変わる」
 梶君の自信満々の笑みは眩しくて、私は、
(ああ、梶君って、本当に小説を書くのが好きなんだ……)
 と、思った。