梶君が誘ってくれたのは『文学マーケット』というイベントだった。プロ・アマ、ジャンル問わずに、様々な文学作品が集まる展示会なのだそうだ。私たちが文化祭で作ったような同人誌を、個人で販売するらしい。
 イベントは盛況で、私も何冊かの本を買い、大いに楽しんで満足しながら会場を出た時、アクシデントが起こった。混み合う階段で人波に押され、足を滑らせた私を庇い、代わりに落ちてしまった梶君が怪我をしたのだ。
 彼はその時は「大丈夫だ」と言っていたけれど、翌日、登校をすると、梶君の右手には、ぐるぐると包帯が巻かれていた。
「梶君! どうしたの、その手!」
「昨日、階段から落ちた時、体を支えて捻挫したみたいだ」
 梶君は、何でもないことのように、さらっと説明をした。
「えっ! 捻挫!」
 私はオロオロとして、
「手を怪我していて、不自由ない? 私、何か手伝えることない?」
 と問いかけた。
 梶君は、私の顔を見上げると、
「実は、困っていることが一つある」
 と言った。
「何でも言って」
「キーボードが打てない」
「もしかして、小説が書けない……?」
「うん。原稿の締め切り、来週なんだ」
「ええっ!」
「編集さんに頼んで締め切りを伸ばしてもらおうかと思ってるんだけど、迷惑かけるのが申し訳なくて」
 溜め息をついた梶君を見て、私はとっさに、
「じゃあ、私が梶君の代わりに打つ!」
 と言っていた。
「俺の代わりに?」
「ええと、口述筆記っていうやつ? 梶君が喋ってくれた内容を、私が打ち込んでいけばいいんだよ」
「口述筆記か……」
 梶君は少し考え込んだ後、
「じゃあ、お願いしてもいい?」
 と、小首を傾げた。
「もちろん!」
「明日の放課後、俺の家に来られる?」
「行くよ。どこにでも行く」
 こくこくと何度も縦に頷くと、梶君は、
「ありがとう」
 と微笑んだ。