「俺を出し抜こうなんて百年早いから」
「……小うるさい男はモテませんよ」

「心配されなくても、それなりにモテてきたから」
「ああそうですか。わたしだって、彼氏の一人や二人いましたしね!」

 悔しくてどうでもいい情報を自分から話してしまう。ここ、張り合うところだっけ。
 とはいえ、身内に夫を斡旋してもらわなくても間に合っていますアピールをするに越したことは無い。

「……ふうん」

 すたすたと歩くその先に見えるのはバイエルン王家ヴィッテルスバッハ家の本宮殿であるレジデンツ。やはり王道の観光名所は外せない。

 明日はフュッセンに向けて出発するため、ミュンヘン観光は実質半日のみ。
 わたしたちは大勢の観光客に混じってチケットを購入。二人で一緒に豪華絢爛な宮殿内部を歩いていく。

 内装はどこもかしこもきらっきらで、これぞまさしくヨーロッパの宮殿というイメージそのまま。

 こういうとき、隣に顔見知りがいるとついすごいね~」とか「こんな豪華なところで暮らすってすごいね」などと言ってしまい、わたしはその都度反省した。

 何を二人で楽しんでいます的な感じに持っていっているのだ、自分。
 しかも駿人さんも「金持ちの度合いが違うよな」とか返してくるから、うっかりわたしも話を続けたくなってしまう。

 いやいや、駄目でしょう。なに和気あいあいをしちゃっているの。
 わたしは気を引き締めた。

 ヨーロッパに来たのは大学の卒業旅行以来。あのときはパリだった。ベルサイユ宮殿もきらっきらで、感動したけれど、あれからずいぶんと時間が経っている。

 久しぶりの宮殿見学は気分をあげてくれる。
 宝物館に展示されている宝物たちは歴代の王が作らせた目もくらむような精緻な細工の物ばかり。

 こんなの、わたしだったら怖くて頭に乗せられない。だって、落としたらめちゃくちゃ怒られそうだし。
 なんて感想を頭の中に浮かべながら、こっそり駿人さんを窺うと彼は真剣な顔で王冠を眺めている。

 案外に真剣に見学をしているらしい。じっと説明書きを黙読していると思しき、その顔を見ていると、この王冠いくらくらいするんだろうとか考えている自分が俗物すぎて反省してしまう。

 レジデンツ見学は思いのほか時間がかかってしまった。このあとは徒歩でマリエン広場へ向かう予定。

 ミュンヘンの中心的広場で、ネオゴシック様式の新市庁舎はガイドブックにも大きく紹介されている。
 天気も良く、マリエン広場までの道は賑やかで、わたしは通り沿いの店に目を奪われていた。

「――ちゃん」
「えっ」

 マリエン広場までの道は車両通行のない歩行者専用で、わたしは物珍しくて通り沿いの店を眺めながら歩いていた。

「サヤちゃん、さっきからぼーっとしすぎ。手、繋ぐ?」

 駿人さんが少しだけ呆れた声を作って、それからにやにやと片手を出し出してきた。
 わたしはむっとして首を横に向ける。

「いりません」
 一体彼の中でわたしはいくつという設定なのか。

「そういえば、新市庁舎のからくり時計、次は夕方か」

 駿人さんが呟き声が遠ざかる。わたしの興味が彼から薄れていたからだ。
 今日は天気も良くて、車を気にする必要もない歩行者専用道路。通りにはカフェのテラス席が並んでいて、多くの人で賑わっている。

 アイスクリームの露店なんかも出ているし、日本にも進出しているインテリアショップを発見すると、つい中を覗きたくなってしまう。

 そうやって、気もそぞろにのんびり歩いていたのがよくなかったらしい。

「あれ。駿人さんは……?」

 気が付くと彼の姿が視界から消えていた。
 慌ててあたりを見渡しても、日本人らしき男性の姿を見つけることが出来ない。

「ま、まあ。新市庁舎までは一本道だし。途中で会うよね、きっと」

 わたしは自分に言い聞かせる。
 一応、わたしだって二十五歳のいい大人。地図だって持っているし、財布もスマホもある。

 うん。大丈夫。わたしは少しだけ早くなった心臓を宥めて一呼吸したのち、歩き出した。

 当然のことながら周りを行き交う人々は見知らぬ人ばかり。わたしのほうがこの国では外国人。そんなわかりきった事実が胸の中に浮かび上がると、背後からじわりと心細さが迫ってきて、わたしは一層早歩きになった。

 ほどなくしてたどり着いたマリエン広場でわたしはきょろきょろとあたりを見渡した。せっかくの壮麗な新市庁舎も中心に立つマリア像も目に入って来ない。

 ミュンヘンの人気観光スポットということもあって、平日にも関わらず人が多い。
 この人込みでは駿人さんを見つけるのも至難の業。実は意地を張って、彼の電話番号を登録していない。

 とそこまで考えたわたしは、スマホのメールアプリを立ち上げた。ドイツ行きを決めたあと、彼との連絡手段はもっぱらフリーメールだった。

 もしかしたらこっちに連絡が来ているかもしれない。わたしはスマホを取り出して操作を始めた。