すごい執念だなと思ったわたしは、どうか早いところ列車が到着しますようにと心の中で祈った。

 結局列車は三十分以上遅れてやってきた。
 無事に列車に乗れたことに安心したわたしは、予習のためにスマホを取り出して地図アプリを立ち上げた。
 ミュンヘンで泊まるホステルの場所を確認しておくためだ。

「今日のホステルは駅近だから、迷うことは無さそう」
 一人頷いているうちにひとり言が漏れてしまった。
「そういえば、今日から二連泊ホステルだっけ」
 隣からため息交じりの駿人さんの声が聞こえてきた。

「嫌なら、おひとりで個室の高級ホテルにでも泊まればいいじゃないすか」
「それはしない。いろいろと心配だし」

 横並びで座った距離感にもほんの少しだけ慣れてしまった。移動中は基本的に隣同士。

 予算も無限というわけではないため、わたしはこの度の道中、一人部屋とドミトリーを交互にいれている。一人部屋でも安いプランがあればそちらを優先。ミュンヘンではあいにくとよいプランが埋まっていたため、人生初の相部屋、ドミトリーを選択した。

 これも一人旅の醍醐味かな、と思っているのだが、高給取りの駿人さんがわたしに付き合う必要はない。

「三十にもなってドミトリーは辛いですよね」
「言うね……」

「いえ、わたしよりも年寄な駿人さんを気遣っただけです」
「余計な気遣いをどうも」

 互いに笑っているのに、空気がぴりぴりし始める。

「どんな環境にも順応するバイタリティーくらい持っているから」
「へえ。そうですか」
 わたしは素っ気なく返した。

 * * *

 ミュンヘンはバイエルン州の州都で、ドイツ三番目の規模を誇る都市。
 もちろん中央駅も大きくて、いくつものホームが並んでいる。人の多さも、これまでの田舎町に比べると格段に多くて、大きなスーツケースを持ってわたわたしている横を、ビジネスマンらしき人が通っていく。

「サヤちゃん、こっち」
 駿人さんがわたしの腕に触れる。

「俺がきみのスーツケース運ぶから、サヤちゃんは俺の持って」

 駿人さんはさりげなくわたしの負担が軽くなる提案をして、実行に移してしまう。駿人さんもスーツケースを持ってきているけれど、わたしのよりも幾分コンパクトだ。

 彼は慣れた様子でホームを進んでいく。大きなターミナル駅ということもあって人も多い。この数日間、ドイツのメルヘンな風景に慣れた身に、異国のせわしさは少々辛い。

 駿人さんはわたしのスーツケースを持ちながら、なんなく駅の出口へたどり着き、あっという間にホステルへ到着した。

 敗北感がこの身を襲う。
 彼のあまりのスマートさに、果たしてこれはわたしの旅行なのかと自問してしまう。

 これが駿人さんじゃなければ、わたしも素直に頼りにしたかもしれない。
 けれど、相手は幼いころから知っている駿人さんで。彼の後姿を見ていると、体の内側から言葉にできない劣等感やらなんやらがじわりと浮き上がってきてしまうのだ。

 ホステルの受付でスタッフにチェックインをお願いしている間も、わたしはもやもやを抱えながら流暢なドイツ語を操る駿人さんを盗み見ていた。

 英語もぺらぺらだと聞いているのに、ドイツ語まで。すごいなあ、と思うのに、わたしとの差を見せつけられるようで心が重くなる。

「部屋にはもう案内できるって。男性フロアと女性フロアが分かれていて、別のスタッフが案内してくれるっていうから、待ち合わせ時間を決めようか」

 彼はそうやってさくさくと物事を決めていく。
 わたしは女性スタッフから四人部屋へ案内されて、二段ベッドの上を使わせてもらうことにした。渡されたシーツと枕カバーで寝具を整えて、スーツケースを部屋の隅に置いて一階へ降りた。

 ロビー隣の共用スペースに置かれた椅子に座った駿人さんはスマホに目線を落としている。

 なんとなく、わたしは彼を観察してしまう。
 やや伏し目がちな視線は真剣そのもの。休暇中なのに仕事のメールチェックでもしているのだろうか。

 こちらに気づきもしないくらいには集中をしていて、わたしははたと思いつく。

 このままそぉっと抜け出せば、念願の一人歩きが出来るかもしれない。
 だいたい、大して親しくもない男女が四六時中一緒に行動することの方がおかしい。

 というか、家族旅行だってそれなりに自由行動はあるってもの。
 よし。抜け出しちゃえ。わたしは駿人さんから視線を外してゆっくりと歩き出す。

「サヤちゃん」

 ホステルの正面玄関を今まさに潜り抜けようとしたところで、見つかってしまった。
 背後から聞こえるまぎれもない日本語に、わたしはそろりと後ろを振り返ったのだった。