体験練習会が開かれる体育館へ来てみると、僕と同じであろう新入生が数名ほどいた。体育館内には、カチャカチャという音が響いている。先輩が何か持っており、おそらくあれが鳴子というものなのだろう。
 しばらく辺りを見渡していると、新入生の体験の案内所なるものがあった。このまま黙って座って待つよりは、なにか気を紛らわしたい。特に用事もないが、案内のところに座っている先輩に声を掛けてみた。

「すみません、体験を希望するものなのですが」

「新入生!この名簿に名前書いて練習始まるまではそのあたりで待ってて!」

 僕は名簿に『三森双葉』と書き、その指示されたスペースへと視線を向ける。隣の人と話している人もいるが、体育座りで先輩の踊っている姿を眺めている人が大半だ。 隣の人から一人分のスペースを空けて座っていたので、僕もそれに倣って坐った。先輩方の方を見ると、こちらをチラチラと見て何やら話し込んでいる光景が見られる。僕たち新入生にとっても大事な機会だし、先輩方にとっても新しい仲間を獲得するための大事な機会なのだろう。体験会というのはいかに新入生の心を奪うのかが大事だと聞いたことがある。練習で心を掴まなければ、また違うサークルや部活動へと行ってしまうのは避けたいのだろう。
 先輩方は皆、小冊子にプリントされていた衣装を着ている。僕は無意識にサークルロードでの先輩を探していた。みんなが同じ衣装を着ているために、なかなか探し出すことが困難だ。

「ねぇ、あなた新入生?」

 前にいた先輩方の集団に目を向けていると、斜め前の方から細い声がした。

「そうだけど」

 声を掛けてくれたのは、ピンクのパーカーを羽織っているショートカットの女の子だった。咄嗟に話を掛けられたので、恥ずかしながら少し動揺してしまった。

「私も体験なの。名前はなんていうの?」

 彼女は少し腰を浮かして、僕の隣に体育座りをして話を続けた。

「三森双葉だよ。そんな君の名は?」

 女子と会話したことなど、これまでの人生で指で数えるほどしかないために、女子に対する免疫が少ないのが悔やまれる。おかげで会話がぎこちないし、名前の聞き方も変な聞き方になってしまった。

「私は佐藤美波よ。三森くんはよさこいに興味があって来たの?」

「ビラをみて少し来てみようかなって」

 本当はサークルロードでの先輩に会ってみたいというのが一番の理由なのだが、それは言わないでおこう。

「私は表紙に写っていた先輩が素敵だったから来てみたの!」

「確かにあの笑顔は惹かれるね」

「さっきからその先輩を探しているんだけど見つからないのよね」

 僕も見つけることはできていない。二人掛で探しても見つけられないということは、今日の体験会には来ていないのだろうか。

「それでは練習を始めまーす」

 前方から、野太い声が体育館に響いた。
 その合図の声を皮切りに、踊っていた先輩はステージ前に集まり始める。

「新入生もステージ前に来て下さい」

 僕たちは腰を上げ、緊張気味に先輩方の元へ足を運ぶ。先輩は楽しみといった感情を前面に出した表情をしており、まるで虎に睨まれた獲物の気持ちだ。その視線は僕たちの緊張具合を上昇させ、足の重さに負荷をかけていた。
 やっとの思いで辿り着くと、前に並ぶように指示された。後ろはステージ、前の三面は先輩方に囲まれており僕たちに逃げ道などない。これが現代版の四面楚歌というやつか。

「今日は十四人もの新入生が体験に来てくれました。一人一人に自己紹介してもらいたいところだけど、練習の時間も限られているので、先輩の方から積極的に声を掛けてあげてください」

 おそらく部長クラスの男子の先輩はそう言って、僕たちに掃けるように指示をした。どうして僕たちは前に立たされたのだろうか。
 ストレッチを終え、いざ実践の体験に入っていく。
 先輩方の手には鳴子があり、今からは鳴子を鳴らしてみようの会が開かれるみたいである。新入生と先輩で一つのグループを作って、それぞれで体験させていただけるようだ。

「上村って言います。二年生です。今日はよろしくぅ」

「三森って言います。よろしくお願いします」

「私は佐藤です。初めて鳴子に触るので緊張します」

 それぞれの自己紹介も終わり、先輩から鳴子を渡された。
 横の佐藤さんは、鳴子を眺めながら目を輝かせている。
 これが鳴子。持ち方すら分からない。

「これ鳴らしてみてもいいですか」

「お構いなく好きなように鳴らしてみようか」

 ......ガジャッガ

 鳴らしてはみたものの、思っていた音ではなく何やら乾いた音が鳴った。

 ......ガジャッガ

 横からも同じような音が聞こえてきた。佐藤さんも僕と同じような顔をしている。眉間にしわを寄せ、口の形がへの字に曲がっている。

「はっはっは!やっぱり新入生だね!」

 僕と佐藤さんの内心とは裏腹に、上村先輩の甲高い笑い声した。佐藤さんの方を見てみると、ムッとした表情をしているのが分かった。周りの鳴子の音に耳を傾けると、僕たちと同じような音も響いているし、理想的な音も響いている。

「できないのも無理はないよ。そんな簡単に扱えるなら苦労しないからね」

 座って僕たちの音を聞いていた上村先輩は立ち上がって、貸してと言わんばかりに僕の前に手を出した。

 ...カチャン

 先輩に渡してすぐ、なんとも心地の良い音が鼓膜を揺らした。
 僕たちのように片がそれぞれに着地するのではなく、三片が同時に着地することによって瞬間的な音の響きを実現できている。先ほどの僕や佐藤さんの鳴らした音とは違うことは明白だった。
 先輩の顔に視線を移すと、こちらを向いてどや顔をしていた。

「これが先輩の威厳ってやつよ」

「すごいです!どうやってやるんですか!」

 よほど衝撃的だったのだろう。佐藤さんはすごい勢いで喰いついている。
 僕もどうやって鳴らしているのかすごく気になる。僕も先輩に質問をしようと考えたが、未だに佐藤さんが攻め寄っているために、少し待機しておくことにした。
 しばらくすると、佐藤さんの前傾姿勢が解かれ、仰け反っていた先輩も姿勢も地面に垂直となったと思えば、今度は項垂れている。いかにも先輩は疲れたという表情をしている。これに関しては先輩に同情をしてしまう。
 先輩は視線を上げ、僕と目が合ったかと思えば、両手を上げてお手上げだよというポーズをして笑った。

「すごい勢いで迫られたよ...」

「女子って怖いですね」

「でもやる気があることはいいことだよ」

「新入生でやる気があるのってなかなかないものですか?」

 真剣な目をして、ひたすらと鳴子の練習をしている佐藤さんを眺めながら先輩に聞いた。

「みんなやる気はあるんだよ。でも、よさこいて聞いたことはあっても馴染みのないものでしょ?今みたいに初心者からすれば鳴子を鳴らすだけでも一苦労なんだよね。それを持って踊るってことを伝えると、自分にはできないって判断する新入生が毎年多いらしくてね」

 なるほどそういうことか。
 僕や佐藤さんは上手く鳴子を扱うことができなかった。上手く鳴らせるようになったとしても、それを踊りながら扱うことにランクアップするのだ。確かに、今の段階では想像することができない。

「でも佐藤さんは俺の声が届かないほどに鳴子に向き合っている。なかなかできるこ とではないと思うね」

 そう話す先輩の表情は生き生きとしていた。

「遅れてごめーん」

 僕と先輩の間に沈黙が流れているところに、女性の陳謝の声が聞こえた。
 声の先に視線を移すと、探し求めていた女性の姿が目に飛び込んできた。
 鳴子の練習に夢中だった佐藤さんも、その動きをやめて僕の方へ大きく開いた眼を向けている。
 こんな感覚は初めてだが、推しのアイドルに会うのと同じ感覚なのだろうか。

「はじめまして!三年生の春野瑞葵です!今日は遅れてごめんね!」

 横の佐藤さんは体の前で指を絡ませており、憧れの先輩を前にして緊張を隠せていないのが伝わってくる。

「さ、さ、さとうみ、さとうみなみです!」

 これは見てられない。

「三森双葉でしゅ」

そんな僕も恥ずかしさで逃走したい。

「あ!君のことは覚えてるよ!」

「え?」

 どうしてこんな僕のことなんか覚えているのだろうか。

「新歓のビラを渡したときだって、一つも表情を変えなかったから手ごたえ無しだって思ったんだよね。来てくれたのすごく嬉しい!」

 春野先輩は僕の顔を覗き込むように言った。僕は先輩の顔を直視することができずに、目線を上村先輩の方へ逸らした。上村先輩は変な笑みを浮かべている。こういうので女子に対する免疫の差が出る。

「瑞葵さんもうすぐで演舞の時間ですよ」

「え、ほんとだ!準備しなきゃ!」

 そういって春野先輩は切り返して、ステージの方へ走っていった。

「元気な人だろう。ドジだしおっちょこちょいな人なんだよね」

 上村先輩にそのように紹介された。
 見た目は大和撫子のように穏やかな雰囲気。しかし、落ち着いた大人のオーラだと想像していたのだが、思っていた以上に気さくな感じの人だった。どこかしら佐藤さんと同じ雰囲気を感じる。後輩としては、話しかけやすい先輩というのはありがたいものだ。上村先輩もそうだが、春野先輩も話しかけやすそうな人で良かった。

「春野先輩も話しかけやすそうでよかったです」

「確かに、瑞葵さんは見た目と違って気さくな人だからなぁ」

「新歓のビラに載っていた人ですよね?」

「そうそう、瑞葵さんすごい映えるからね。満場一致で決まったよ」

 決まったシステムに関してはよく分からないが、満場一致ということは、それだけ人を魅了する踊りをすることができるという証だろう。

「なんだか雰囲気から踊りが上手なんだろうなって分かります」

 しばらく固まっていた佐藤さんが割り込んできた。その手には鳴子が握られており、親指と人差し指の関節辺りが赤くなっているのが分かる。

「すごいのは踊りだけじゃないぞ」

 上村先輩は右手の人差し指を立ててそう言った。佐藤さんは分かっていないようで、頭をかしげた。

「それでは新入生の皆さんはステージの前に集まってくださーい」

 先輩にもっと聞きたいことがあったのだが、残念なことにここでタイムアップだ。 先輩に鳴子を返して、佐藤さんと共にステージ前に腰を掛けた。

「本日は体験会に来ていただきありがとうございました。体験会の最後として、皆様 に僕らの演舞を見ていただきたいと思います!」

 これは楽しみ。
 あの少しお調子者の雰囲気がする上村先輩がどのような踊りをするのかも気になるし、なにより春野先輩の踊りを見れることが何よりも楽しみだ。

「どんな踊りなのか楽しみだね」

「こうして間近で見るのは初めてだからワクワクするよ」

「私も初め...」

『しゃああああああ』

 彼女の言葉を遮り、体育館に地鳴りのような響きが伝播した。
 それと同時に、赤い衣装を着た先輩方が僕たちの前でポジションをとっている。

「本日は体験会にお越しいただきありがとうございました。最後に僕たちのかっこいい姿をご覧ください。これから一緒に活動ができることを楽しみにしています」

 マイクを持った人の挨拶が終わると、前に堂々と構えていた先輩方は、足を中心に合わせて、目線を下に向けた。
 和太鼓の音が鳴り響き、一斉に天を仰ぐような振りから演舞が始まった。
 正直、それからの演舞はあまり覚えていない。
 最初は上村先輩を探そうとしていたが、あまりの演舞の迫力に心を奪われていた。踊り子の揃った振りはもちろん、大きな旗をも駆使した演出は素直にかっこいいとしか思わなかった。演舞に夢中になっていると、前の方から先輩方が僕たちの方へ向かってきた。僕は驚いて周りを見渡していたが、僕と佐藤さんの目の前にはいつの間にか春野先輩が来ており、ビラで見た先輩の表情そのままだった。新入生のみんなも驚いていたが、先輩方とハイタッチをしたりなどしていて、みんなが笑顔になる空間がそこにはあった。僕が見た動画のまんまだ。慌てて帰っていく先輩方の後ろ姿も微笑ましく、思わず佐藤さんと笑い合っていた。
 そんな時間も過ぎ去り、曲が一旦途切れた。先ほどまでのどんちゃん騒ぎとは打って変わって、落ち着いた曲調になった。いきなり肩を叩かれ、佐藤さんの指さす方向へ視線を移すと、ピラミッド型の陣形の一番前には春野先輩がいた。
 鳥肌が立った。

『...すごいのは踊りだけじゃないぞ』

 はじめは上村先輩が何を言っているのか、全くの素人である僕には分からなかった。
  しかし、今なら分かる気がする。
 でも、言葉にはすることはできない。
 先輩に自然と目が向いてしまう。
 それは先輩が一番前で踊っているから?
 そんな簡単な理由でないことは明白だ。
 彼女が透視図法の消失点なのかと錯覚してしまいそうだ。
 さっきまで煌めくような笑顔を見せていたのに、今では儚い、少しでも触れると壊れてしまいそうな表情をしている。
 踊りが上手なのかどうかは正直分からない。 
 だけど先輩には人を魅了する可憐さがある。
 そんな彼女に心を奪われていると、ゆるやかな曲調は終わり、テンポも上がり演舞はクライマックスへと近づいていた。ここでも先輩はトップを張っており、ひたすらに楽しいと感じさせるように表情をしている。周りの新入生も、テンポに合わせて手拍子をしている。僕もそれに倣って手拍子を始めると、たまたま上村先輩を見つけることができた。新入生は先輩の名前を叫んでいるため、僕も勇気を出して上村先輩の名前を叫んでみると、先輩はこっちに視線を映して目を合わせてくれた。演舞が始まる前までの先輩とはまるで別人だった。
 演舞の勢いは留まることを知らずに、最大限のクレシェンドで地鳴りのように盛り上がっている。後ろの力強い大旗の振り上げと共に演舞は終了し、新入生からの惜しみない拍手が体育館を包み込んでいた。



「春野先輩ってどういう人なんですか?」

「双葉の方から先輩に関する質問があるとは珍しいこともあるもんだな」

「真面目に聞いているんですけど」

 先日の体験会から数日が経ち、今日は三回目の体験会に来ていた。
 三回目の参加ともなると、それなりに先輩方の顔も覚えられるようになっており、名前まではまだ分からないが、同級生の顔も何となく覚えられるようになっていた。体験会に来ると、必ず上村先輩と同じ練習グループになるため、いつの間にか先輩からは下の名前で呼ばれるようになっていた。
 もちろん佐藤さんも体験会には参加しており、いつの間にかラインを交換するまでには仲良くなっていた。そんな彼女は同期の友達もできたみたいで、僕ではなく、そちらさんと話す機会が増えていた。ただし、練習の時のグループは一緒であるため、体験会の時はこうして同じ時間を過ごしている。決して彼氏と彼女というような特別な関係ではないため悪しからず。
 しかし、三回目の参加というのに春野先輩が練習に来たのは最初だけであり、前回は姿を現すことはなかった。

「瑞葵さんかぁ、なんて言えばいいのか分からないなぁ」

「意外と気さくで踊りが上手いだけの只者ではないことは分かったんですけど、どこ か謎めいているというか」

「言わんとせんことは分かるけど」

「分かるんですね」

 先輩は腕を組んで考える素振りを見せている。実際にう~んと呟いているのがおもしろい。

「瑞葵さんねぇ、一言で言うと花みたいな存在かなぁ」

「花?」

「うん。一面に花畑が広がっているとすると、それらの花のうちの一つってところかなぁ」

「うーん、いまいちピンとはきてないです」

「一つ一つの花はちっぽけな存在かもしれないけど、確かにそこに花は咲いている... といったところか?」

 何故か上村先輩も語尾が高くなっていた。
 その説明を聞いても腑に落ちなかったが、先輩がここまで真剣に答えてくれるとは思ってもみなかったので、これ以上は聞かないことにした。

 ...華のような存在。

 これ以上、深く考えることはやめよう。実際に春野先輩と話してみることが一番だし、今は鳴子の練習に勤しむこととしよう。前回の練習でも、鳴子が上手く響く感覚というものを掴むことができなかった。この間にも、佐藤さんは同じグループの新海さんと鳴子の練習をしている。はじめこそは聞くに堪えない雑音だったのだが、着々と上手く鳴る確率を増やしていた。僕も負けてはいられない。センスだとどうにもカバーするのは難しいが、練習すればできるようになるもので負けるというのは負けず嫌いの性格が出てしまう。

「おつかれさまです」

 先輩から鳴子を借りようとしたとき、背後から何やら声がした。振り返ると、髪を金色に染めているイケメンが立っていた。

「はじめまして」

「よさこい部はここすか?」

 これはあれだ。チャラい系の男子だ。言葉から察するに新入生だろう。

「ここだけど、僕は新入生だからこっちが先輩だよ」

 あまり関わりたくないという本能が働いてしまい、上村先輩の背中を押し出してしまった。

「おー、新入生?俺は二年生の上村な。体験ならここのグループに入ってよ」

「俺は坂口です。よろしくお願いします」

「早速だけど、坂口くんはよさこいの経験ある?」

「いえ、よさこいはないですけど、八歳からロックダンスをやっていました」

「踊ることに関しては経験者ってことだね!これはなかなかの有望株だ」

 先輩と話している感じでは、普通の真面目な後輩だ。なのに、この近づきにくい雰囲気を感じ取ってしまうのはなぜだろうか。これはチャラい人への免疫の低さが関わっているのだろうか。

「新入生同士、坂口くんに双葉が鳴子の鳴らし方を教えるというのはどうだ?」

 ここは先輩に任せて、僕は鳴子の練習をしようと、少し距離をとろうとしたとき、先輩の口からとんでもない発言が飛び出してきた。
 坂口くんに背を向けるように、後ろから先輩の左肩を掴んで振り返らせた。

「先輩、何を言っているんですか?」

「いや、なんだろう、そうすれば坂口くんも鳴子のことが知れるし、双葉だって鳴子の基本を押さえられているのか分かるだろう?」

「それは名案だとは思いますけど、少し苦手なタイプといいますか...」

「見た目は厳ついけど、話してみると良いやつだぞ」

「それは先輩だからですよ」

「おいおい、先入観で物事を判断するのはよくないぞ」

「いやでも...」

 これに関してはぐうの音も出ない。
 これ以上、新入生を待たせるわけにはいかない。僕が鳴子についてレクチャーをすることにしよう。いや、どうして僕が新入生の世話役になっているんだ。

「この双葉くんが鳴子の鳴らし方を教えてくれるそうなのでよろしく!」

 その言葉だけを残して、佐藤さんと新海さんの元へ行ってしまった。ここまでの『立つ鳥跡を濁さず』は見たことがない。
 一つ深呼吸をして、坂口くんの方へ体を向ける。

「僕は三森双葉。まだ3回しか体験してないけど、よろしくね」

「おう、よろしくな」

上村先輩、助けてください



 坂口くんは口を開くことなく、僕の横で黙々と手首の反復運動をしている。
 できたという歓喜もなく、できないという弱音も何も話さない。
 鳴子の基本的な鳴らし方は教えたが、教えてる間も彼は頷くだけであり、一回も僕と目を合わせようとはしてくれなかった。
  鳴子の数が足りないため、僕は無心で彼の鳴子の音を聞いていた。僕と同じく初心者ということもあり、やはり動きはどこかぎこちない。いきなり鳴子を上手く扱えてしまうと僕の面目が立たなかったため、そういったところでは安堵を覚える。はたから見ると、僕レベルの面目なんてあってないようなものかもしれないが。
 しかし、ダンス経験者ということもあり、手首の動きは滑らかなのが分かる。鳴子を上手く響かせるには、手の動きだけでなく、手首のスナップや腕のしなりなど、色々な条件が必要となる。それらの動き一つ一つが秀逸であったとしても、うまく合わさらなければきれいな音は響かない。ダンスをしていると、そういった動きは体に染みついているかもしれないので、思ったよりも成長スピードは速いかもしれない。

「三森はよさこいの経験はあるの?」

 こちらに目線を向けることなく、唐突に聞いてきた。

「いや、初心者だけど」

「そうなんだ。ダンスは?」

「ダンスとかそういった踊る系もやったことはないよ」

 そんなことを聞いて何が面白いのか、坂口くんは僕と目を合わせることなく、淡々と聞いてきた。まるで、手首の反復運動のついでのような感覚だ。
 彼からの緊急質問コーナーはこれで終了し、再度、僕との間で沈黙が蔓延る。
 最初はチャラい印象を受けたが、ひたすらに鳴子と向き合っている姿を見ると、意外と良いやつなのかとも考えてしまう。高校までの経験から、どうも最初の印象から 関わりたいかどうかを判断してしまう。しかし、先ほど上村先輩から言われたことは理にかなっている。大学生にもなって、人を先入観で判断するのは良くない。

「初めての鳴子はどう?」

 僕は勇気を出して緊急質問コーナーを開催した。ただの雑談だけど。

「思ったよりも難しいかも」

「僕もまだ上手く扱えないんだよねぇ」

「だろうね」

 これは遠回しにディスられたと捉えていいのか。

「でも、手首の動きがしなやかで羨ましいよ」

 僕は深く考えることはやめて、不自然にならないように質問を続けた。

「ダンスにおいて、ウェーブは基本だからね。ひたすら練習させられたよ」

「...うぇーぶ?」

「うん、ウェーブ」

「あ、ウェーブね!」

 本当は分かっていないが、分かった振りをしてしまった。
 波?ダンスの専門用語?

「鳴子の練習のところ悪いんだけど、坂口くんのウェーブが見てみたいんだけど」

これは我ながら上手な誘い文句だ。

「いいよ」

 彼は僕に鳴子を渡し、体の関節を全て失ったのか、全身をくねくねし始めた。

「これでおっけ?」

「う、うん。ありがとう、すごいね」

「これくらいなら、すぐにできるようになると思うし、よさこいでも必要な動きだからできるようにならないとね」

 頭を岩で殴られたような衝撃だった。僕にも関節を失くせというのか。

「鳴子の方はできるようになりそう?」

 ウェーブが何たるものかを知ることができた以上、話題をよさこいに移したかった。

「これならもちょっと練習すればできるようになるかも」

 ポテンシャルの違いにショックを受けて、返す言葉が見つからなかった。
 天は二物を与えないというけど、イケメンで踊りが上手だという二物を兼ね備えた人がここにいます。

「練習を終わるのでステージに集まって下さーい」

 ありがたいタイミングで、練習の最後の集合の合図が放たれた。早くこの場から離れたい思いから、そそくさとステージ前に向かう。

「新入生の皆さんにお知らせです」

 毎回、練習の最初と最後に、連絡事項を伝えてくれていた男子の先輩の正体は、「山田先輩」であることを上村先輩に教えてもらった。部のお偉いさんであることは予想していたが、なにやらよさこい部の部長であるみたいである。
 今までの参加した2回の体験会の最後の集まりのときには、目立った連絡事項などはなく、また次の体験会も来てくださいということだけを伝えられた。
 しかし、今回は違うようだ。山田先輩は冷静を保っているつもりだろうが、その顔には少なからずの笑みが含まれていることは分かる。それに、連絡を伝えることをもったいぶっているようだが、何を伝えられるのだろうか。先輩も含めて、そこにいる人が皆、息をのんで山田先輩の言葉に注目していた。

「新入生のデビューするお祭りが決定しましたぁぁ!」

 山田先輩の言っていることを認識するよりも先に、先輩方の方から歓声が沸き上がった。
 僕は前の方に座っていたので、他の新入生がどんな表情をしているのか分からなかった。少し首をひねって振り返ると、僕と同じように全部を捉え切れていないようで、首を捻っている新入生の姿も見受けられた。

「デビュー、つまり初めてお祭りのステージに立つということだね」

 そんな僕らの表情を見かねて、先輩は補足の説明をしてくれた。

 ...デビュー。
 
 なんとも良い響きではないか。
 よさこいの体験に来たのは、サークルロードでの春野先輩の笑顔に魅力を感じたからである。しかし、実際のところ、入学式の後に、踊っている動画を見たときの、観客の皆様とハイタッチしているシーンを見て、よさこいに対する興味は増大したのも事実だ。
 これまでは、勉強だけが取り柄で、他人と関わる機会などはなく、心の底から笑ったことなんてなかった。しかし、動画を見たり、体験会で先輩方の演舞を感じることで、ここなら新しい自分を見つけることができるのではないかと思うようになっていた。
 デビューはそんな新しい自分を見つけるための出発点だ。

  ...自分も先輩方と同じステージに立つことができる。

 そう考えるだけでも、これまでにないスピードで心臓が鼓動し始めている。

「そしてここからが例年と違う重要なポイントです」

 山田先輩は、場の興奮を抑えるために、手を二回たたいて、静かにする合図を出した。その合図に従うように、ざわついていた雰囲気は即座に静寂へと変わった。僕の胸の鼓動は収まる気配がないが。

「例年と同じお祭りで新入生のデビューを飾るわけでありますが、開催の日時が例年に比べて二週間、早くなりました」

 歓喜のような声ではなく、どことなく困惑も含まれている声が沸いた。これは、新入生というよりかは、先輩方の方が困惑の色が濃いようにも感じた。
 あとから聞いた話なのだが、例年通りの日程であっても、新入生が鳴子を鳴らせるようになったり、一曲通して踊れるようになったり、全体で合わせられるようになっ たりするだけでも一苦労なのだとか。それを、例年よりも二週間もの期間、前倒しするというのは、先輩にとっては重要な案件なのだろう。もちろん、新入生である僕たちも不安を拭えないわけであるが。

「動揺する気持ちもわかるけど、先輩が全力でサポートするので、新入生の皆さんはなんでも質問に来て下さい!練習日じゃない日でも体育館は使えるので、先輩に練習のお誘いでもしてください!」

 その言葉を最後に解散となった。
 デビューには心が躍っているが、未だに鳴子を上手く鳴らすことさえできていない状況を顧みると、素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。