「ありがとうございました」

 お父さまは仕事があるからと退出して……
 私達だけになったところで、エストが頭を下げた。

「お二人のおかげで真実を知ることができました。重ねて、感謝を」
「い、いえ! 私はなにもしていません。全て、アリー姉さまのおかげですから」
「そんなことはありませんよ。この場にフィーがいてくれる、ということは、確かにプラスに働いたのですから」

 お父さまに愛人がいること。
 私はともかく、フィーには絶対に知られたくなかっただろう。

 私は生まれた時から公爵令嬢としての教育を受けているため、愛人や妾など、そういうものに対して理解がある。
 でも、フィーはどうだろうか?

 聞けば、貴族としての教育はあまり受けていなかったようで……
 そういうことに関する理解もないかもしれない。

 つまり、事実が暴露されると、お父さまはフィーに嫌われてしまうということ。
 血の繋がりはなくても、お父さまはフィーを愛している。
 そんなフィーに嫌われるということは、とても耐え難いはずで……

 なので、私の脅迫……もとい、取り引きを受けたのだろう。

「?」

 フィーはよくわかっていない様子で、コテンと小首を傾げた。

 キョトンとするところもかわいい。
 抱きしめたい、頬ずりしたい。
 一緒に寝たい。

 でも、エストの前なのでさすがに我慢する。

 エストがいなかったら?
 迷わず抱きしめていたと思う。

「私は大したことはしていませんから」
「いえ、クラウゼンさまのおかげです。本当にありがとうございました」

 再び頭を下げられた。

 困った。
 エストは一学年下なのだけど、飛び級をしているから、実際はもっと年下だ。
 そんな相手に何度も頭を下げられると、とても落ち着かない。

 考えて……
 そうだ、と思いついた。

「エスト君、少しいいですか?」
「はい?」
「こんな時になんですが、クラウゼンと呼ばれてしまうと、フィーもいるので少し混乱してしまうのですが……」
「あ……そうですね、すみません」
「なので、私のことはアリーシャと名前で呼んでくれませんか?」
「え、名前で……?」
「はい。そうしてほしい、と思っていましたので。それがお礼ということで、どうでしょうか?」
「そんな! 名前で呼ぶだけで済ませてしまうなんて、そんなことは……」
「私がそう望んでいるのですよ? ですから、お願いします」
「……わかりました」

 やっぱり、エストは賢い。
 下手に話をこじらせることなく、私が望んでいることを叶えようとしてくれる。

 普通の男なら、妙なプライドが邪魔をして、自分の思いを貫き通すはず。
 それをしないということは、やはり、彼もヒーローなのだろう。

「では、これからはアリーシャさまと呼ばせていただきます」
「はい、ありがとうございます」

 しっかりと頷いて、

「ふふ」

 ついでに、笑みもこぼれてしまう。

「どうして笑うんですか?」
「あ、いえ。すみません。他意はないのです。ただ……」
「ただ?」
「初めてエスト君に名前で呼ばれたな、と思いまして」
「……あ……」

 やらかした、というような顔に。

 色々とあって、私に悪印象を持っていたとはいえ、名前を一回も呼ばないのはなかなかに失礼なことだ。
 遅れてそのことを自覚したらしく、エストは苦い表情に。

 そして、すぐに頭を下げようとするが……
 別に謝罪が欲しいわけではないので止める。

 というか、私は特に気にしていない。
 あちらこちらのヒーローから嫌われているのが現状だ。
 それに比べて、エストの反応はまだかわいい方。

「私は気にしていませんよ」
「しかし……」
「それに、うれしいです」
「うれしい……ですか?」
「はい。エスト君とは、仲良くしたいと思っていましたから。だから、名前で呼んでもらえて、少し距離が近くなったような気がして……だから、うれしいです」

 本当に気にしていませんよ。
 そう表現するかのように、にっこりと笑う。

「……」

 なぜか、エストがぽかんとした。
 凛々しい顔だけを見ていたから、なかなか新鮮な反応だ。

「どうしたんですか?」
「あっ……い、いえ! なんでもありません」
「?」

 どうしたのだろう?

 エストの反応を不思議に思っていると、

「むぅ……アリー姉さまは、私のお姉さまですから!」

 フィーが妙な対抗心を燃やして、私にぎゅうっと抱きついてくるのだった。