「ご、ごめんなさい……」
三十分ほどして、フィーが落ち着いて……
冷静になると同時に顔を赤くして、ぺこりと頭を下げた。
妙な罪悪感は完全に消えていないみたいだけど……
それだけじゃなくて、羞恥の感情が伺える。
この歳で思い切り甘えたことを恥ずかしく思っているのだろう。
でも、そんなこと気にしないでほしい。
妹は姉に甘えるもの。
どんどん、もっともっと、とことん、究極的に甘えてほしい。
……私、欲望満載だな。
「ところで、私からもお願いがあるのですが」
「な、なんですか?」
「私はシルフィーナのことが好きですが、できるならシルフィーナも私のことを好きになってほしいです」
「ふぇ」
フィーの顔が赤くなる。
照れているのだろう。
かわいいやつめ。
「姉妹として家族として、仲良くなりたくて……そのための一歩として、愛称で呼んでもいいですか?」
「愛称……ですか」
「シルフィーナだから、フィー……なんてどうですか?」
「……フィー……」
考えるような顔になって……
次いで、花のように愛らしく笑う。
「その、あの……急にこんなことになって驚いていますけど、でも、うれしいです。その……フィーでお願いします」
「はい。これからもよろしくお願いしますね、フィー」
「は、はい」
ようやく、前回と同じ立場に戻ることができたけど……
それは、わりとどうでもいいことだった。
それよりも、大事な大事な妹に笑顔が戻った。
場に合わせるための仮初の笑顔ではなくて、心からの本物の笑顔。
そのことが一番うれしい。
「あ、あの」
どこか迷いを秘めた様子で、フィーがこちらを見た。
「はい?」
「えっと、その……」
「どうしたんですか?」
「……私も、アリーシャさまのことを愛称で呼んでも……い、いいですか?」
「え?」
フィーが、私のことを愛称で?
前回はなかったイベントだ。
そのせいで、ついつい驚いてしまったけど……
「ええ、もちろんですよ」
反対なんてするわけがない。
大賛成。
フィーに愛称で呼んでもらえる……あぁ、なんて素敵なことなのだろう。
うれしさのあまり、昇天してしまいそうになった。
わりと本気で。
「フィーは、私にどんな愛称をつけてくれるのですか?」
「あ……許可をもらうことだけを考えていて、愛称のことは忘れていました……」
「ふふ、ドジですね」
「うぅ……アリーシャさま、ちょっと意地悪です」
「かわいいから、ついつい、いじめたくなってしまうのです」
子供のような気分だ。
なだめるために、フィーをもう一度、抱きしめる。
「んー……」
真面目な妹は、どんな愛称がいいか考え始めた。
口元に指先をやり、視線をさまよわせつつ、考える。
「アリー姉さま……なんて、ど、どうでしょうか?」
「……」
「だ、ダメですか……?」
「はっ」
最愛の妹に愛称で呼ばれる。
素敵すぎることに、一瞬、意識が飛んでいた。
何事もないフリをして、フィーに笑いかける。
「とても素敵だと思います」
「本当ですか?」
「もちろんです、フィー」
「えっと、それじゃあ……これからは、アリー姉さまで……」
恥ずかしそうにしながらも、フィーはしっかりと言う。
いや、もうね……
天使か!
妹の愛らしさに悶え、心の中で叫んだ。
ただ、表面上はなにも変わらず、にこにこと笑っている。
愛情表現を全力でしてもいいのだけど……
同時に姉の威厳というものが失われてしまいそうなので、ほどほどがいい。
「あ、あと、もう一つお願いが……」
「今日のフィーは、たくさんお願いがあるのですね」
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。妹に頼られることは、姉としてうれしいですから」
「えっと……お茶をしませんか、アリー姉さま」
「はい、喜んで」
「フィー、一緒に学院に行きませんか? たまには歩いて」
「は、はい! 喜んで」
朝。
一緒に登校しようとフィーを誘うと、妹は花が咲いたような笑顔を浮かべて了承してくれた。
朝から天使。
こんな澄んだ笑顔を見ていると、心が洗われていくかのようだ。
「えっと……」
肩を並べて歩くと、フィーは落ち着きのない様子を見せた。
ちらちらとこちらを見て、しかし、すぐに視線を戻してしまう。
「フィー?」
「ふぁっ」
「どうしたのですか? なにやら、落ち着きがないように見えますが」
「す、すみません!」
「別に怒ってなんていませんよ。ただ、どうしたのかな、と思いまして」
「いえ、その……」
もじもじして……
ややあって、恥ずかしそうにしつつ言う。
「アリー姉さまが隣りにいると、なんていうか、一人じゃないと実感できて……うまく言葉にできないですけど、うれしいです」
かわいい。
今すぐ抱きしめて頬ずりをして匂いをかいで、もう一度抱きしめたい。
とはいえ、外でそんなことはできない。
ぐっと自制心を働かせて、なんとか我慢する。
「これからは、ずっと一緒ですよ?」
「はい!」
フィーの笑顔からは曇りが見えない。
よく晴れた天気のように、とても気持ちのいいものだ。
たぶん、心の影を取り除くことができたのだろう。
よかった。
大事な妹が落ち込んでいるところなんて、欠片も見たくない。
うまくいっているようで何より……
いや、ちょっと待て?
なにか大事なことを忘れているような?
「よう、シルフィーナ」
考え込んでいると、第三者の声が。
見ると、アレックスがいた。
「アレックス、おはよう」
「おう。シルフィーナが徒歩通学なんて珍しいな。どうしたんだ?」
「それは……アリー姉さまに誘われて」
「……アリー姉さま?」
アレックスがキョトンとした顔をして……
次いで、不審者を見るような目をこちらに向けてきた。
「あんたは……」
「あ、えと……こちら、アリーシャさま。私の新しいお姉さまなの」
「ふーん……ってことは、貴族か」
敵意たっぷりの目を向けられてしまう。
前回の記憶を引き継いでいるのは私だけ。
なので、貴族嫌いのアレックスが私を敵視するのは当たり前なのだけど……
前回はきちんと仲良くなれていただけに、いざ、こういう対応をされてしまうと寂しい。
そして、悲しい。
心にぐさりと矢のようなものが刺さる。
でも、それは表に出さず、笑顔で対応する。
「おはようございます。それと、はじめまして。フィー……シルフィーナの姉の、アリーシャ・クラウゼンと申します」
「姉、ねえ……」
うさんくさいものを見る目を向けられてしまう。
というか、挨拶はどうした。
貴族を嫌っているとはいえ、こちらが挨拶をしたのだから、それに応えるのが最低限の礼儀というものだ。
それをこなせないと、自分だけではなくて周りの人にも迷惑がかかる。
なぜ、そのことがわからないのか?
笑顔を浮かべているものの、内心でイラッとしてしまう。
アレックスが尖った性格をしているのは、ヒーローの個性をつけるためのものなのだろうが……
それにしても、尖りすぎではないだろうか?
このままだと、フィーを巻き込んで事件を起こしてしまいそうだ。
実際、ゲームの中では、アレックスの浅慮な行動が原因で、主人公を巻き込んで事件を起こしていた。
それがきっかけとなり、二人の仲は恋人に進展するのだけど……
しかし、そんなもの、避けられるのなら避けるに越したことはない。
よし。
今回もアレックスの教育を……いや、待て。
違うだろう。
今まで綺麗さっぱり忘れていたけど、今回の私の目的はヒーローと結ばれることだ。
アレックスも対象の一人。
そうなると、あまり無茶なことはしない方が……?
「えっと……よかったら、アレックスも一緒にいきませんか?」
「やめとく。俺は一人でいくよ、じゃあな」
「あ、はい……」
あれこれと迷っている間に、アレックスは一人で行動して、先に行ってしまった。
その背中からは、私に対する拒絶の色がハッキリと出ていた。
うーん。
結ばれるのではなかったとしても、アレックスとは、また気軽に話ができる仲になりたいのだけど……
それは、なかなか難しそうだ。
前途多難。
そんな言葉がぴたりとハマる状況に、私は思わずため息をこぼしてしまうのだった。
アレックスと良い関係を構築するのは、なかなか難しそうだ。
短時間で一気に……というのは、ほぼほぼ不可能。
時間をかけて、ゆっくりと距離を縮めるしかない。
そう判断した私は、ひとまず、アレックスの件は後回しにすることにした。
挨拶などをして。
機会があれば小話をして。
距離を詰める努力はするものの、無理はしない。
様子見だ。
今は、もう一人のヒーロー……ジークとコンタクトをとりたいと思う。
本当は、ヒーローはもう一人いるのだけど……
あいにく、ネコの転校イベントはまだ発生していない。
「そうなると、必然的にジークさまの様子を確かめておくことが大事になるのですが……ふぅ、あまり気乗りしませんね」
ジークは気難しい性格をしていて、基本的に他人に心を許していない。
前回は色々な偶然が重なり、いつの間にか友達になれていたのだけど……
その記憶を引き継いでいるのは私だけ。
なので今回は、アレックスと同じように他人からスタートしなければいけない。
「ジークさまは、見た目とは正反対に、とてもいい性格をされていますからね……どうやって距離を縮めたものか。下手をしたら、縮めるどころか遠ざかることも」
前回、友達になれたのは奇跡のようなものだ。
その原因をしっかりと理解していたのなら、なんとかなるのかもしれないのだけど……
さっぱりわからない。
フィーの代わりに事件に巻き込まれたからだろうか?
それとも、他に思い至らない要因が?
ダメ。
考えても答えが出てこない。
「とりあえず、あたって砕けてみましょう」
やるだけのことはやろう。
そう決めて、ジークのクラスへ向かう。
今は昼休み。
大体の学生は、食堂でごはんを食べているか、教室でお弁当を食べている。
ただ、ジークのクラスは別だった。
多くの女子生徒が集まり、きゃあきゃあと黄色い声を出している。
なんだろう?
不思議に思い、彼女達の視線を追いかけてみると……
「……」
一人、教室でお弁当を食べているジークの姿が。
窓際に座る彼は、温かい陽光を浴びていた。
その光が髪に反射して、キラキラと輝いているかのようだ。
それに加えて、同性でさえ見惚れるような美貌。
すらりと鍛え上げられた体。
そこにいるだけで絵になり……
なるほど。
彼女達はジークのファンで、こうして、絵になるところを見て騒いでいるのだろう。
ただ。少し失礼ではないだろうか?
動物園のパンダではないのだ。
遠巻きに眺められて、きゃあきゃあと騒がれていたら気に触るだろう。
事実、ジークはどんどん仏頂面になっていく。
不機嫌全開だ。
女子生徒達はそのことに気づいていない。
まったく……仕方ないですね。
ここは、私がなんとかするしかないようだ。
「あなたたち、今は……」
「いい加減にしてくれないか?」
女子生徒達を諌めようとしたところで、先にジークが動いた。
席を立ち、私を睨みつけて……
って、あれ?
危険を察知したのか、いつの間にか女子生徒達は消えていた。
残されたのは私だけ。
「今は食事中で、そんなにジロジロと見られていたら気が散って仕方がない」
「え? え?」
ジークが私を睨みつける。
さきほどまでの騒ぎ、全部、私のせいだと思われている?
「い、いえ、私は……」
「今日に限ったことじゃない。毎日毎日、こんな馬鹿騒ぎをして……君は恥ずかしいと思わないのか? 自分の行動を振り返ることはないのか?」
「ですから、今のは私ではなくて……」
「言い訳をするか。やれやれ……本当にくだらない」
今度は失望の目を向けられた。
あれ?
なぜか、全て私の責任になっていて……
そのせいで、初対面の印象が最悪に?
「君は……そうか、公爵令嬢のアリーシャ・クラウゼンだな? 社交界などで、何度か顔は見たことがある。両親は素晴らしい人だというのに、その娘である君は、この程度の女性だとは……噂通りにどうしようもない人のようだな」
むかっ。
私は、怒りがこみ上げてくるのを自覚した。
ケンカか?
ケンカを売っているのだろうか?
よろしい。
ならば戦争だ。
相手が王族でも関係ない。
むしろ、王族だからこそ、いきなり無礼な態度を取ることを注意して、諌めなければならない。
そう、これは正義。
私の行動は……
「あら?」
ふと、それに気づいた。
「ジー……レストハイムさま、今、なんと?」
「なに?」
「私の耳が確かなら、噂と聞こえたのですが」
「ああ、その通りだ。君に関する噂だよ」
私に関する噂?
なんだ、それは?
「己の行いに疑問を抱くことなく、常にわがままを口にして周囲を困らせる。耳障りのいい言葉のみを受け入れて、それ以外は聞くことはない」
「……」
「君がなんて言われているか知っているか? ……暴君さ」
「ふむ?」
解せない話だ。
確かに、私は悪役令嬢だ。
ゲームならば、暴君の名にふさわしい行動を取る。
しかし、それはフィーに対してのみ。
周囲に言葉の刃をぶつけることはない。
悪役令嬢ではあるが、世間知らずではないのだ。
世渡りの方法はきちんと理解しているため、普段は淑女らしい態度をとっている。
メインヒロインに対する嫌がらせは、こう……
裏でこそこそと、表沙汰にならないようにやっていたりする。
それなのに、暴君と噂されている?
そんなことをした記憶は一切ないのに?
「質問を重ねてすみませんが、その噂はどこで?」
「なぜそのようなことを答える必要が……」
「教えてください」
「うっ」
ぐいっと迫ると、ジークは一歩下がる。
ややあって、根負けした様子でため息をこぼす。
「どこで、というのは覚えていない。君が知らないだけで、そこら中で噂されている」
「そうですか……ふむ?」
少し考えて、
「私、用事を思い出したので失礼いたします」
「なに?」
「では、ごきげんよう」
「あっ、おい!?」
ジークが引き止めるような声を出すが、気にせず教室を後にした。
廊下を歩きながら考える。
私の悪い噂が流れている。
多くの人が知っているという。
しかし、その内容に私は心当たりはない。
だとしたら……
「誰かが、私のネガティブキャンペーンを行っている?」
――――――――――
授業が終わり、放課後が訪れる。
勉強が好きな人でも嫌いな人でも、自由にできる時間はうれしいものだ。
クラスメイト達は笑顔になり、放課後の予定を話し合う。
「……」
そんな中、私はしかめっ面をしていた。
あれからずっと、ネガティブキャンペーンを繰り広げている『敵』のことを考えていた。
誰なのか?
その目的は?
しかし、答えはでない。
当たり前だけど、情報が少なすぎる。
犯人を突き止めるには、もっとたくさんの時間をかけなければいけないのだけど……
なぜだろう?
あまり時間をかけてはいけないと、そんなことを思う。
「あ、あの……」
「……」
「アリー姉さま……?」
「はっ!?」
天使のような声を耳にして我に返る。
すぐ近くにフィーがいた。
鞄を手にしていて、少しおどおどした感じてこちらを見ている。
子猫みたいでかわいい。
「すみません、考え事をしていました。いつの間に?」
「ついさきほどです」
「どうしたのですか?」
「えっと、その……アリー姉さまと一緒に帰りたいな、と思って」
「もちろん!」
かわいい妹からの誘いを断るなんて、ありえるだろうか?
いや、ない。
断じてない。
全ての物事は、妹より優先されることはない。
「行きましょうか」
「はい!」
実際……
考えに行き詰まっていたので、ありがたい話だ。
フィーと一緒なら、この陰鬱とした気分も吹き飛ぶだろう。
他愛のない話をしつつ、下駄箱へ。
この、のんびりとした時間が幸せだ。
そして靴を履き替えようとして……
「あら?」
はらりと、手紙が落ちた。
「これは……」
床に落ちた手紙を拾う。
宛名、差出人は書いていないが、私のもので間違いないだろう。
「アリー姉さま、もしかしてそれは恋文ですか!?」
フィーの目がキラキラと輝いていた。
そういう話が好きな年頃なのだろう。
ただ、私はフィーほど無邪気に喜ぶことができない。
というのも、この手紙からはよくないものを感じる。
オカルトじみた話になるかもしれないが……
でも、嫌な予感がするのだ。
「……」
見なかったことにしたいけど、そういうわけにはいかないか。
意を決して手紙を開ける。
『アレックス・ランベルト。ジーク・レストハイム。この二人に近づくな。警告を無視するのならば、不幸が訪れるだろう』
手紙の内容なそんなものだった。
わりとありきたりな脅迫文だ。
手書きなところを見ると、深く考えることなく実行したのだろう。
筆跡鑑定が存在したら、どうするつもりだったのだろうか?
すぐに犯人がバレてしまうのだけど。
「でも……」
謎だ。
どうして、こんな脅迫文をよこされたのだろう?
前回はともかく、今回は、アレックスとジークと仲良くなれていない。
むしろ、関係は悪化中。
好感度はマイナスだ。
普通に考えて、二人に接近する機会はない。
それなのに、こんな脅迫文が届くなんて……うん、意味がわからない。
「アリー姉さま、どのような手紙だったんですか?」
「……どうも宛先を間違えているみたいですね」
「そうですか……恋文と思い、わくわくしたのに」
「恋文だとしたら、私はその殿方を気に入り、お付き合いするかもしれませんね。そうなると、こうしてフィーと一緒に帰ることはできなくなりますね」
「えっ……」
ちょっとした冗談で言ってみたのだけど、フィーは、絶望的な表情になる。
今にも泣き出してしまいそうだ。
予想外の反応だけど……
それだけ私と一緒にいたいと思ってくれている?
「ふふ、冗談ですよ。そのようなことはありません」
「も、もう……アリー姉さま、意地悪です」
「すみません。お詫びに、なんでも一つ、言うことを聞きますよ」
「本当ですか……?」
「はい」
「……なら、手を繋いで帰りたいです」
「喜んで」
フィーのわがままというよりは、私に対するご褒美だ。
にこにこ笑顔、心はるんるん。
フィーと一緒に楽しく帰宅した。
――――――――――
「……という感じで、なにもかも忘れてしまえばよかったのですが、そういうわけにもいきませんね」
夜。
自室で、私に関する噂と手紙について考える。
「噂を流している者と手紙の差出人……普通に考えて、犯人は同一人物ですよね?」
その犯人はわからないが、私に悪意を持つ者がいる。
そして、私がアレックスとジークに近づくことを好まない。
「ふむ」
犯人は……アレックスとジークに好意を持つ者だろうか?
私を二人に近づく悪い虫と判断して、過激な方法で排除しようとした。
そう考えると辻褄が合う。
現状、二人と大した接点を持たない私が、なぜ悪い虫認定されたのか?
いきなり過激な方法を選択した理由は?
などなど、いくつか謎は残るものの、おおよその推論を立てることはできた。
ならば、これからどうするか?
じっくりと考える。
今のところ、ターゲットは私一人。
それなら問題はない。
妙な嫉妬を抱く女子生徒の一人や二人、なんとかしてみせよう。
しかし、矛先が私以外に向いたら?
フィーも狙われるようになったら?
それだけは絶対に避けないといけない。
フィーが狙われることなく、しっかりとターゲットを私に固定。
そのまま事件を解決するための方法は……
「……これでいきましょう」
とある策を思いついたのだった。
「おはようございます」
私はにっこりと笑い、挨拶をした。
自分で言うのもなんだけど、極上のスマイルだ。
値段をつけてもいい。
そんな笑みを向けている相手は、
「……なんだよ」
アレックスだ。
私の悪い噂は彼のところに着実に伝わっているらしく、敵対心たっぷりだ。
ここは学院の入り口。
人目があるため無視はしないものの、露骨にうんざりとした表情を浮かべていた。
「俺になにか用事か?」
「いえ、特に用はありません。姿を拝見したので、ご挨拶を」
「そんなもの、いらないんだが」
「あら。同じ学院に通う者、挨拶をするのは当然のことだと思いますが」
「……勝手にしろ」
俺は挨拶なんてしないからな。
そう態度で語るように、アレックスは背中を見せて立ち去る。
うん、最初はこんなところだろう。
彼の態度を気にすることなく、私は次の目的地へ。
――――――――――
「おはようございます」
「……」
ジークが通りかかりそうな場所で待ち伏せして、挨拶をするのだけど、見事に無視された。
「おはようございます」
「……」
二度、挨拶をするも、やはり無視されてしまう。
気づいていないということはないだろう。
だとしたら、彼はどれだけ鈍感なのか。
「おはようございます」
「……はぁ」
三度、挨拶をすると、ようやくジークが反応してくれた。
挨拶は返してくれないものの、こちらを見てくれる。
「なにか用事が?」
「いいえ。ただ、レストハイムさまを見かけたので、挨拶を」
「白々しい……どう見ても待ち伏せをしていたじゃないか」
「それは、なぜか私のことを嫌っているみたいなので、関係修復を図りたいと思いまして」
「必要性を感じないな。君のような悪女と仲良くなりたいなどと、思ったことは一度もない」
「そうおっしゃらず」
「しつこい」
「わかりました。では、今日はここまでで。あまりしつこくして嫌われてしまったら意味がないので」
「今日は?」
「では……レストハイムさま、また明日」
一礼して、その場を立ち去る。
――――――――――
私の未来がかかっているのだけど……
それを除いたとしても、アレックスやジークとは、また仲良くなりたい。
前回と同じように友達になりたい。
だから、ここで退くという選択はない。
謎の脅迫に負けるわけにはいかない。
なので、脅迫を無視して、ひたすらに構うことにした。
私が勝手をしているだけなので、フィーに害が及ぶことはない。
それに、私が目立つことで、脅迫犯の意識をこちらに集中させることができる。
あと、アレックスもジークもバカではない。
というか、とても賢い。
きちんと話をすれば、流言などに惑わされることなく、心をひらいてくれるはずだ。
つまり……
「今は、脅迫文なんて無視して、ひたすらに二人に接近する。それがベストですね」
そんな答えを導き出す私。
うん、完璧。
……なんて思っていた時期がありました。
「ふむ」
脅迫文が届いて……
構うことなく、アレックスとジークに接近して……
早一週間が経とうとしていた。
アレックスとジークの問題は、わりと良い方向に進んでいた。
徹底的に構っていたら、根負けしたのか、少しずつではあるが話をしてくれるように。
そして、私に関する悪い噂に疑問を持ち始めていた。
良い傾向だ。
一方で、悪いことも起きていた。
「わぁ……すごい手紙ですね」
「……そうですね」
朝。
登校すると、私の下駄箱いっぱいに手紙が詰め込まれていた。
開封しなくてもわかる。
全部、脅迫文だ。
たぶん、刃なども仕込まれているだろう。
私が無関心を装っているせいか、相手もどんどん過激になっているみたいだ。
私にヘイトが集中している分は問題ないのだけど……
このままだと、相手はなりふり構わず、私の周囲に手を出す可能性がある。
「さて、どうしたものでしょうか?」
これ以上、脅迫犯を放置したらどうなるかわからない。
下手をしたらフィーに害が及んでしまう。
それだけは絶対にダメだ。
できることなら、穏便に片付けたかったのだけど……
こうなった以上、のんびりしていられない。
私は大胆に行動する決意をした。
――――――――――
脅迫犯が私の悪い噂を流すのなら、それを利用させてもらうことにした。
幸い、私は公爵令嬢だ。
それなりの人脈がある。
色々な人に協力してもらい、噂に手を加えた。
この噂はところどころが事実と異なり、意図的に流されたもの。
悪意を持つ黒幕がいる。
黒幕はとんでもないことを企んでいて、このまま放置したらとんでもないことになる。
……というような感じで、噂の内容を少しずつ少しずつ、陰謀論にシフトさせていったのだ。
結果、生徒達は疑心暗鬼に。
私が悪いのか?
それとも、他に黒幕がいるのか?
けっこうな勢いで混乱した。
そうやって学院を混乱させることが目的だ。
生徒達はまともな判断ができなくなり、噂に踊らされる。
さあ、踊るがいい!
私の手の平の上で……って、違う。
ついつい思考が暴走してしまった。
とにかく。
なにが言いたいのかというと……
このような状況に陥らせることで、犯人をさらに焦らせることが目的だ。
人間、焦るとまともにものを考えることが難しくなる。
冷静でいるつもりでも、どこかで簡単なミスをしてしまう。
だから、犯人はミスをした。
『アリーシャ・クラウゼンは黒幕の正体を知っている。それを公表、そして断罪する計画がある』
そんな噂をまぎれこませた。
わりと唐突な話だ。
なんだろう? と思う人が大半だろうが……
しかし、犯人からしてみたら決して放置できない内容だ。
この噂を聞いたのなら、絶対に動くはず。
そして……現に動いた。
「ふう」
目隠しをされているため、視界は真っ暗。
おまけに両手足を縛られているため、もぞもぞと動くことしかできない。
カタカタと揺れているところから、馬車の中だろうか?
「思っていた通り、誘拐してくれましたね」
焦った黒幕は、私となんとかしようと、直接手を出してくるはず。
そこで正体を確かめて、確保すればいい。
つまりところ、私は、私自身をエサにしたのだ。
こんな状態ではあるものの、私はさほど心配も不安にもなっていない。
黒幕が手を出してくると予想しているのだ。
その対策をしていないわけがない。
私の位置を知らせる魔道具を、信頼のできる相手に渡している。
ほどなくして異変に気づいて助けに来てくれるだろう。
私の役目は、それまで時間を稼ぐこと。
そして、黒幕の正体と目的を確かめることだ。
「さて、どうなることか」
ここがゲームをベースとした世界ならば、お約束の展開は当たり前のようにあるはずだ。
つまり、犯人が自分の犯行を自慢してべらべらと喋るために、わざわざ私の前に姿を見せる。
その時が勝負だ。
「それにしても……」
いったい、誰が犯人なのか?
それだけがわからない。
ガコン。
鈍い音がして馬車が止まる。
目的地に到着したのだろう。
「立て」
男の声がして、私を立たせ、歩かせる。
この男が犯人というわけではなくて、ただ雇われているだけだろう。
黒幕は別にいる。
「ここで待て」
部屋に通されたのだろうか?
目隠しをされているせいで、よくわからない。
ひとまず、おとなしく待つことにした。
同時に、どのような状況であれ、反撃する、あるいは逃げるだけの策をいくつか考えておく。
そうしていると、扉の開く音が。
いよいよ黒幕のお出ましだ。
「ふふっ、うまく捕まえることができたみたいね……そこのあなた」
「はい」
合図で私の目隠しが取られ、黒幕の姿が……
「……どちらさま?」
黒幕は、まったく、これっぽっちも、かけらも記憶にない、見たことのない女性だった。
「いらっしゃい」
女性はにっこりと笑い、優雅に一礼をした。
気品のある仕草で、貴族に属する者であることは間違いないだろう。
「もう下がっていいわ」
「しかし……」
「聞こえなかったの?」
「……なにかあればすぐにお呼びください」
私を捕まえたと思われる男は、警戒感を残しつつも、女性の命令に従い部屋を出た。
そこで気付く。
この部屋……やたらと豪華だ。
広いだけではなくて、たくさんの調度品、美術品があふれている。
値が張りそうな品ばかりなのだけど、調和というものがない。
とりあえず、値段の高いものを順に買いあさり、並べてみせた。
そんな感じの趣味の悪い部屋だ。
「趣味が悪いでしょう?」
私の心を読んだかのように、女性が笑いながら言う。
「お父さま、お母さま、お兄さま、お姉さま……この家の人間が買ったものよ。もちろん、美術眼なんていうものはなし。高い=素晴らしい品、と信じて疑わない、愚か者の集まりね。だから、こんなにもつまらない部屋になってしまう」
「はぁ……」
「話が逸れたわね。たまには愚痴をこぼしたくて、つい」
気さくな感じで話しかけてくれるのだけど……
しかし、私は、この女性に気を許すことができない。
むしろ、最大限に警戒をしていた。
なぜかわからない。
でも、この女性は敵だと、本能が訴えてくるのだ。
「まずは、自己紹介をしましょうか」
女性はスカートの裾を軽くつまみ、優雅に一礼する。
「私の名前は、ゼノス・ラウンドフォール。ラウンドフォール伯爵家の次女よ」
「っ……!? その名前は……」
「ふふ」
私が驚くのを見て、ゼノスは楽しそうに笑う。
「その反応、やっぱり、アリエルと顔を合わせているのね? そこで、私について聞いた……そうなのでしょう?」
「……ええ、その通りです」
全て見抜かれているようだ。
ウソをついても仕方ない……というか、話を進めづらいだけ。
そう判断した私は、素直に彼女の言葉を認めた。
「あなたは、アリエルが言うゼノスなのですか?」
「ええ、そうよ。アリエルと対を成す、もう一人の神。って、自分で神を名乗るとか、傍から見ると痛いわね。ああ、そうそう」
ゼノスがパチンと指を鳴らした。
すると、私の手足を拘束する縄が勝手にほどける。
さらに、ティーカップとポットがふわふわと宙を浮いてやってくる。
透明人間がいるかのように、勝手に紅茶が淹れられた。
「長くなりそうだもの。座って話をしましょう?」
「……これは、お招きに預かった、ということなのですか?」
「そうよ。少し乱暴な手段になってしまったのは謝罪するわ。でも、あなたがいけないのよ? 私が仕掛けた罠を、これ以上ないほど乱暴な方法で解決しようとするのだから」
私が考えていることも、全部、お見通しというわけか。
なるほど。
神というだけあって、頭の回転も早いようだ。
とにかく、こちらも情報が欲しい。
素直にゼノスの誘いを受けて、対面に座る。
「いただきます」
紅茶を飲む。
「あら? 素直に飲むのね。こういう場合、毒を疑わないかしら」
「ここで毒殺するようなメリットなんて、あなたにはないでしょう?」
「賢いのね。気に入ったわ」
「どうも」
試されていたような気はするが……
ひとまず、ゼノスの機嫌を損ねずに済んだようだ。
「それで、なぜ私と話を?」
「あなたに興味があるの」
「私に?」
「そう。転生者だから、ちょっと気になって意地悪をしてみたら……あなた、その逆境を利用してヒーロー達と仲良くなったでしょう? 敵対するはずのメインヒロインの心を掴んだでしょう?」
「……」
「そんなこと、普通、できるものじゃない。うん、とても素敵ね」
本気で言っているようだけど……
「私に興味があるのなら、なぜ、前回、私の命を奪ったのですか?」
「あれは世界の強制力が強いせいでもあるのだけど……基本、私は意地悪なのよ。不幸に落ちるはずの人間が幸せになる。なら、そこで今度こそ不幸に落としたらどうなるか? それを見てみたかったの」
「悪趣味ですね」
「ええ、そうよ。だって、私はそういう神だもの。アリエルの対極にいるのだから」
まったく反省していない。
ホント、アリエルが言っていたように厄介な神だ。
「でも……あなたは、再びこの世界に戻ってきた。そして、ヒーロー達には邪険にされているものの、妹の心は以前以上に掴んでいる。おもしろい。うん、とてもおもしろいわ」
ゼノスの目はキラキラと輝いていた。
「それならば、私も、自分の役割をまっとうしないといけないわ。嫌がらせをして、本来の悪役令嬢が辿るように、バッドエンドを迎えさせなければならない。そう思って……」
「私の悪評を流した?」
「正解」
たぶん、私の顔はひきつっていたと思う。
アリエルが言っていたけれど、なんて性格の悪い。
こんな女性……というか神さまに目をつけられてしまうなんて、とても厄介だ。
こんなことなら、アリエルの善意に乗り、元の世界に転生していた方が……
なんてことは欠片も思わない。
確かに面倒だ。
厄介だ。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
とてもシンプルに言うと、ゼノスは私にケンカを売ってきた。
突然、頬をひっぱたいてきたようなもの。
それなのに逃げ出すなんてありえない。
やっつけることができるか、それはわからないけど……
相手が神さまだとしても、いつでもどこでも思い通りにいかないということを教えてやろう。
私は、やられっぱなしの女ではないのだ。
「ふふ、そう睨まないで」
私の敵意を感じ取っているだろうが、ゼノスは余裕の笑みを崩さない。
「今日は、あなたに良い話を持ってきたの」
「聞きましょう」
「あら」
素直な態度を見せてやると、ゼノスは驚いたような顔に。
「てっきり、怒ると思っていたわ。バカにするな、とか、ふざけるな、とか」
「そういう気持ちは確かにありますが、まずは話を聞く方が先決と判断しました」
黒幕がわざわざ姿を見せた。
その意味を考えないといけない。
バカにするためにやってきたわけではない。
あざ笑いに来たわけではない。
己の正体を暴露しているのだ。
つまらない用事ではなくて……
ゼノスにとって、大事な話があると考えるのが普通だ。
「合格よ。ここで短気を起こすようなら殺していたのだけど、あなたなら、話をする価値があるわ」
「それはどうも」
まったく褒められている気がしない。
「それで、話というのは?」
「せっかちな子ね」
「雑談を望んでいるわけではないでしょう?」
「その通りね。なら、ストレートに言わせてもらうのだけど……私の仲間にならない?」
仲間?
それはどういうことだろう?
「私のこと、アリエルからどれくらい聞いている?」
「娯楽で私を殺すような神さまだと」
「そうね」
否定も言い訳もせず、ゼノスは素直に頷いてみせた。
まったく悪びれていない。
本当、アリエルが言っていたように困った神さまだ。
「神さまなんてものをやっていると、けっこう退屈な時期があるの。不老不死で、なんでもできる。退屈しのぎっていうのが、一番の問題なのよ」
「そのために、私に色々とちょっかいをかけた?」
「正解。あなたはとても良い退屈しのぎだったわ。悪役令嬢に転生したのに、めげることなくまっすぐ歩いて、メインヒロインのような立場になってしまうんだもの。見てるだけで飽きなかったわね」
「そのまま見ていてほしかったのですが」
「そうしてもよかったのだけど、ちょっとしたいたずら心が湧いてね。ここで突然死んだら、あなたはどんな反応をするだろう? 泣くだろうか? 絶望するだろうか? それとも、屈することはないか?」
思わず、深いため息がこぼれてしまう。
ホント、迷惑な神さまだ。
自分の欲求を満たすために、人一人の命に干渉してしまうなんて。
邪神に認定しても問題ないのでは?
「で……あなたとなら、もっと退屈を潰せるような気がしたの。どう? 私と一緒に、おもしろおかしく生きてみない?」
「私は、誰かをどうこうするなんて力は持っていないのですが」
「メインヒロインやヒーローを誘惑することができるでしょう?」
誘惑とは失礼な。
そもそも、ヒーロー達はともかく、フィーに対しては愛しかない。
「あなたは、あなたの好きにしていいわ。ヒーロー達との恋愛を楽しんでもいいし、メインヒロインとのんびり過ごしてもいい。ただ、時々、私のために世界を引っ掻き回してもらうだけ」
「……」
「そうすれば、たくさんおいしい思いをさせてあげる。なんなら、私の使徒として、不老にしてあげる。一緒におもしろおかしく生きてみない?」
不老という言葉は魅力的だ。
人はいつか絶対に死ぬ。
故に、程度の差はあれ、不老に憧れない者なんてほとんどいないだろう。
でも……
「お断りします」
「へぇ……それはなぜ?」
「あなたのことが嫌いなので」
怪しいとか信用できないとか。
こんな神さまと手を組んだら破滅が待っていそうとか。
色々と理由はあるものの……
究極的に、その一言に尽きる。
誰が好き好んで、私を一度殺した相手の仲間にならないといけないのか?
あと、ゼノスは無理だ。
生理的に無理だ。
こいつは敵だと、本能が訴えている。
今はなんとか自制しているものの、ちょっとした弾みで紅茶をぶっかけてしまいたくなる。
「ふふ」
ゼノスは機嫌を悪くするどころか、よりうれしそうに笑う。
「やっぱり、あなたはとてもおもしろいわ。普通の人間なら、迷うことなく私の手を取るのに、あなたははねのけた。ふふ、とても観察しがいがあるわ」
「どうも」
「安心して。私の誘いを断ったからといって、前回のようにあなたを殺すことはしない。今回は、ほどほどの干渉で済ませるわ」
「ほどほど……ね」
つまり、これからも嫌がらせは続くということだ。
そんなことを、目の前で、笑顔で言ってのけるゼノスは、頭がおかしいのではないかと思う。
さすが邪神だ。
「そういうことなら、勝負をしませんか?」
「勝負?」
「私が悪役令嬢としての運命に打ち勝ち、生き残ることができた時は、私の勝ち。逆に、世界の強制力とやらに負けて、悪役令嬢として最後を迎えたのなら、あなたの勝ち。勝者は敗者になんでも一つ、命令できる……どうですか?」
「……」
ゼノスは目を丸くして、
「あはっ、あははははは!!!」
爆笑した。
「私、これでも何万年と神をやっているんだけど、人間に賭けを持ち込まれたことなんて、一度もないんだけど。あはははっ、本当に面白いわ。ますます気に入った。絶対に、あなたを私のものにしたくなったわ」
「その台詞、勝負を受けるということで?」
「ええ、いいわ」
よし。
ひとまず、この場で考えられる限りの最善の手を取ることができた。
「あなたと一緒に遊べるのを楽しみにしているわ」
「私は、ゼノスが泣いてごめんなさい、というところを楽しみしています」
私は悪役令嬢らしく笑い、そう言い放つのだった。