悪役令嬢の私ですが、メインヒロインの妹を溺愛します

「……っ!?」

 がばっと、勢いよく起きる。

 慌てて周囲を見ると……

「私の……部屋?」

 目が覚めると、私は自分の部屋で寝ていた。
 寝起きだけど、しかし、頭はハッキリとしている。

 アリエルと話をして……
 新たに、人生をやり直すことにして……
 そして、今度こそ破滅を回避する。

 記憶はしっかりと残っているのだけど……
 ただ、あまりにも現実離れした話だ。
 実は、原因不明の病に倒れたままで、たまたま目を覚ましただけ、という方がしっくりと来る。

「……いえ」

 現実離れしているというのなら、悪役令嬢に転生するのも現実離れしている。
 今更、そういう部分を疑っていたら意味がない。

「とはいえ、無事に戻れたのかどうか……よくわかりませんね」

 ひとまずベッドから降りて、メイドを呼び、着替えを手伝ってもらう。
 基本、ドレスで過ごすことが多いから、一人だと難しいのだ。

 それから頼んだ紅茶を飲み、心を落ち着ける。

「ふむ」

 確か、私が最後を迎えたのは秋だったはず。
 でも、今は寒くない。
 窓を開けてみると、ぽかぽか陽気が差し込んでくる。

 春……かな?

 だとしたら、アリエルの力で最初からやり直すことができたのだろう。

「ゼノスを探し出すか、ヒロインに昇格する……よし」

 どちらも困難だ。

 ゼノスを探し出すにしても、相手は神。
 どこに隠れているかわからないし、人の足で行けるところにいないかも。
 アリエルの話では、誰かに化けているかもしれないという可能性もあるらしいし……
 気合を入れてかからないと、達成は難しそうだ。

 ヒロインに昇格するというのも、やはり厳しい。
 前世を含めて、彼氏なんていたことはない。
 男友達も、アレックスとジークとネコが初めてだ。

 そんな私がヒーローと結ばれるなんて……

「……とんでもない無理ゲーのような気がしてきましたね」

 ベッドに入り、現実逃避をしてしまいたくなるほど、なかなかに状況は絶望的だ。

 でも、諦めるわけにはいかない。
 アリエルにも言ったが、私は、この世界でやり残したことがある。
 それを達成するまでは、死んでも死にきれない。

 その目的というのは……

「あ……はい?」

 ふと、扉をノックする音が響いた。
 返事をすると、メイドが姿を見せる。

「アリーシャお嬢さま。旦那さまと奥さまがお呼びです」
「父さまと母さまが?」

 父さまは公爵の仕事で毎日忙しく、母もそのサポートで忙しい。
 昼間から家にいることなんて滅多にない。

「……なら、これは」

 一つ、心当たりがある。
 多忙な父さまと母さまが家に戻り、長女の私を呼び出すような理由。
 それは……改めて、運命の始まりを告げるためだ。



――――――――――



「は、はじめまして! 私は、その、あの……シルフィーナと申します!」

 父さまと母さまに呼び出された先で、ガチガチに緊張した女の子に、そんな挨拶をされた。

「落ち着いて、よく聞いてほしい。この子は、実は……お前の妹なのだ」
「はい、それはもうよく知っていますとも! ようこそ、フィー!」
「ふぎゅ!?」

 私は満面の笑みで、大事な大事な妹を抱きしめた。

 体感時間では、フィーと離れてさほど経っていないのだけど……
 でも、一度死んだからなのか、無性に妹のことが懐かしい。

 フィーに対する愛で胸がいっぱいになる。
 こんな状態で、妹を抱きしめないなんてこと、できるだろうか?
 いや、できない。

 ならば、これは自然の摂理。
 世界の真理。

 というわけで、私は、思う存分にかわいい妹を抱きしめる。

「あ、あのっ、えと、あのあの……!?」

 慌てる妹、かわいい。

「あ、アリーシャ……? ど、どうしたんだい?」
「その……よくわからないのだけど、シルフィーナが苦しそうですから……」
「……あっ」

 しまった。
 ついつい妹の対する愛が爆発して、暴走してしまった。

 やり直した今、私とフィーは初対面。
 ならば、それらしい対応をしなければ。

「こほん……ごきげんよう。私が、今日からあなたの姉になる、アリーシャ・クラウゼンです。よろしくおねがいしますね」
「は、はい……」

 にっこりと笑うのだけど……
 いきなり抱きしめたことがまずかったらしく、フィーは怯える子猫のような目をしていた。

 やらかした……
 前回の私は、フィーとの初対面で失敗することはなくて……
 その後、わりとすぐに良い関係を築くことができたはずだ。

 しかし、今回の私は……

「あっ、ふぃ……シルフィーナ。おはようございます」
「お、おはようございます、お姉さま……!」
「よかったら、これから一緒にお茶でも……」
「も、申しわけありません! よ、用事がありまして……!」

 怯えるうさぎのように、フィーは逃げ出してしまう。

「……」

 がくりと、その場で崩れ落ちる私。

「フィーが……かわいいフィーが、私を避けるなんて……うぅ、反抗期になってしまったのでしょうか?」

 いや、まあ。
 やり直したのだから、好感度もリセットされたことは理解している。

 ただ、それはそれ、これはこれ。
 かわいい妹に拒絶されてしまうと、どうしても凹んでしまう。

「ふむ」

 フィーのことは、しばらく時間を置いた方がいいかもしれない。

 それよりも、破滅回避を優先するべきか。
 ゼノスを探し出す。
 あるいは、ヒーローと仲良くなり、結ばれる。
 それが一番だろう。

「なんて……そんな結論に達することは、1パーセントもありません!」

 確かに、破滅は回避しなければいけない。
 そのために、私は過去に戻ってきた。

 しかし。
 しかし、だ。

 破滅を回避するために、かわいいかわいい妹の問題を後回しにするなんて、そんなこと、できるわけがない!
 全ての物事において、最優先されるべきはフィーのこと。
 妹のことだ。

 もう一度、破滅を迎えるとしても、私は妹を優先するだろう。
 そして、その選択に後悔することはないだろう。

 なぜ、そこまでできるのか?

 答えは簡単。
 私の妹が世界で一番かわいいからだ。

「というわけで……フィー、ではなくて、シルフィーナ」

 さっそくフィーの部屋を訪ねる。
 ついつい「フィー」と呼んでしまったのだけど、やり直したため、まだ愛称で呼ぶことは許可されていない。

 今のフィーなら、お願いすれば了承はしてくれるだろうけど……
 そうではなくて、自発的にお願いしてほしい。

「は、はい……?」

 おずおずという感じで、フィーが部屋から出てきた。
 小動物みたいな妹……これはこれでアリ!

 おっと、いけない。
 ひとまず欲望は押し隠して、にっこりと笑う。

「一緒にお茶でもどうですか?」
「え? えっと、その……べ、勉強をしないといけないので!」
「なら、私が見てあげましょうか?」
「ふぁっ!? え、えっとえと……ま、まずは一人でがんばるべきだと思うので!」
「……勉強の後は?」
「う、運動をしてみようと思います! で、では!」

 フィーは慌てた様子で部屋に戻ってしまう。

「……」

 一人、その場に残された私は灰になっていた。

「フィーが……私と距離を取ろうと……」

 子供にうざいと言われる父親は、このような気持ちなのだろうか?
 そんなことを考えてしまうくらい、ショックだった。

 なにがいけないのだろう?
 今日は、普通に接していたと思うから……

「最初に出会った時、抱きしめたことがいけない……?」

 あれは、ついつい感極まってやってしまったことなのだけど……
 悪意や敵意はまったくない。
 親愛のみだ。

 それなのに、怯えられてしまうなんて……

「この顔がいけないのでしょうか?」

 窓ガラスを見て、自分の顔を確認する。

 美人ではあると思うが、目は吊り目。
 全体的にシャープな印象で、きつい感じはする。

 こんな女性がいきなり抱きついてきたら?

「……訳がわからなくて、怖いですね。はい」

 やらかしてしまった。
 がくりと、その場で膝をついてしまう。

「このままでは、フィーと仲良くなることができない……アリーシャ姉さまと、笑いかけてもらうことができない……まずい、非常にまずいですね」

 破滅がどうでもよくなるくらい、まずい。

 ただ、本気でどうでもいいというわけじゃない。
 なにも対策をしなければ、私は、また世界の強制力とやらに殺されるだろう。

 また原因不明の病にかかるか……
 あるいは、悪役令嬢らしく断罪されるだろう。

「うぅ、おかしいですね……」

 やり直し。
 二周目と言えば、強くてニューゲーム。
 チートが当たり前なのだけど、ぜんぜんチート要素がない。

 むしろ、難易度がアップしているような気がした。
 前回がノーマルなら、今回はハードだ。
 ノーマルでクリアーできなかったのに、ハードに挑んでどうする。

「とはいえ、愚痴をこぼしていても仕方ないですし……どうにかするしかないですね」

 破滅の回避と、フィーと仲良くなること。
 どうにかして、この二つを両立させていこう。
 人間、第一印象というものはとても大事だ。

 良い印象を抱けば、その相手に好感を持ち……
 悪い印象を抱けば、その相手のことを嫌い、または苦手になる。

 この第一印象というものは、なかなかに覆しにくい。
 刷り込みという言葉があるように……
 無意識下で第一印象が働いてしまい、その方向に感情が流されていく。

 なので、無意識下の印象を丸ごと塗り替えるような、強烈なインパクトがなければうまくいかないだろう。

 ……というようなことを、学院の中庭で考える。

 今は昼休み。
 食堂でごはんを食べた後、考え事をするため、一人、中庭で過ごしていた。

「フィーの私に対する印象は……たぶん、訳のわからない怖い人、ですよね?」

 訳がわからないだけで、恐ろしいとか危険そうとか、そういう印象はないと思う。
 いきなり抱きしめたせいで、なにこの人!? と思われているくらいなはず。

 つまり、頭が危ない人認定。

「……うぅ、泣けてしまいます」

 かわいいかわいい妹に、おかしい人認定されている姉。
 もはや乾いた笑いさえ出てこない。

「フィーのことを一番になんとかしたいところですが……とはいえ、破滅もなんとかしなければいけませんね」

 フィーを優先するあまり、ヒーローの攻略を疎かにすれば、破滅が待ち受けている。
 そうなると、結局、かわいい妹と離れ離れにならないといけない。

 それはイヤだ。

「ひとまず、ヒーローの様子を見に行きましょう」

 煮詰まっている時は、別の行動をして気晴らしをした方がいい。

 そう考えた私は、ヒーローが今どうしているか、確認してみることに。
 校舎へ戻り、一つ下の学年が並ぶ棟へ。

 ひとまず、アレックスの様子を確認してみよう。
 前回、最初に知り合いになったヒーローだから、彼がどうしているのか気になる。

「あら?」

 なにやら一年の教室が騒がしい。
 どうしたのだろう?

 不思議に思い、そちらへ足を向ける。

「そういえば、こちらはフィーの教室だったような……?」

 もしかして、前回のようにフィーがいじめられている?
 いや、しかし、あれはまだ少し先のような……

「ふざけるなっ!」

 考えていると、強い声が聞こえてきた。
 これは……アレックス?

 様子を見てみると、やはりアレックスがいた。
 それと、フィー。
 アレックスに背中に守られていて……
 そのアレックスは、数人の女子生徒達を鋭い目で睨んでいた。

「お前ら、シルフィーナになにをしているんだ!」
「……アレックス……」
「な、なによ、平民風情が私達に逆らうつもり?」
「確かに俺は平民だけど……でも、間違っていることを指摘するのに、平民も貴族も関係あるものか! そんなだから、お前達は……!」
「まあ、なんて生意気な……」
「後悔しても知らないですわよ?」
「ふんっ。ここで、シルフィーナがいじめられていることを見捨てる方が、俺はものすごく後悔するね」
「うっ……」

 アレックスは欠片も怯むことなく、女子生徒達を糾弾してみせた。
 力強く、素直にかっこいいと思う。

 その勢いに飲まれた様子で、女子生徒達は言葉に詰まる。

「お、覚えていなさい!」

 お決まりの台詞を口にして、女子生徒達は逃げ出した。
 お約束すぎて、形式美すら感じられる。

「大丈夫か、シルフィーナ?」
「う、うん……ありがとう、アレックス。えへへ」
「なんで笑うんだよ?」
「やっぱり、アレックスは頼りになるな、って」
「そ、そんなことは……」

 うれしそうに笑うフィーと、照れるアレックス。
 微笑ましい光景なのだけど……

「……そうか」

 既視感のある光景だと思っていたのだけど、今、思い出した。

 これは、ゲーム内にあるシナリオのワンシーンだ。
 いじめられている主人公を、ヒーローが助ける。

 前回は、私が割り込んだため、アレックスの救出イベントは起きなかったが……
 今回は早くにイベントが発生したため、私が割り込むことはなくて、従来通りにアレックスがフィーを助けたようだ。

「正しい歴史……というべきなのでしょうか? その通りに進んでいる」

 ヒーローと結ばれたとしたら、ヒロインであるフィーは幸せになることができる。
 妹の幸せは私の幸せ。
 それは望むべきことなのだけど……

 しかし、私もヒーローと結ばれなければならない。
 それができなければ破滅。

「私とフィーの間で、利害の対立が起きているような気が……これも世界の強制力? だとしたら……」

 私は悪役令嬢らしくフィーと対立するようになり、最後は粛清される……?
 帰宅して、自室へ。
 着替える気力もなくて、学院の制服のままベッドに転がる。

「うぅ……」

 私は落ち込んでいた。

 世界の強制力なのか。
 それとも、単純にタイミングが悪いのか。

 フィーと仲良くなることができず……
 ヒーローと顔見知りになることすらできていない。

 ダメダメだ。
 せっかくやり直すことができたのに、なに一つうまくいっていない。

 凹む。

 このままだと破滅を迎えてしまう……ことは、ぶっちゃけ、あまり気にしていない。
 人間、死ぬ時は死ぬ。
 そこを気にしすぎていたらなにもできない。

 それはまあ、破滅を避けられるのなら避けたい。
 ただ、それ以上に妹と優しいヒーロー達のことが気になる。

 前回はまともにお別れをすることができず、ただ悲しみだけを残してしまった。
 そんな事態は避けたい。
 だから、破滅を回避する。

「とはいえ……」

 現状、なにも前進できていない。
 むしろ、後退すらしつつある。

「うーん」

 さて、どうしたものか?
 現状のままだと、破滅は避けられない。

 ただ、特にフィーやヒーロー達と仲良くなっていない。
 それなら残される人のことを気にすることなく、旅立つことができるのでは?

 なら、このままなにもしないという選択肢も……

「って、それはありえないですね」

 なにもしなければ、なにも問題ならない。
 確かにその通りだけど、それでは生きていないのと同じ。
 生きながら死んでいるのと変わらない。

 そんな生き方はまっぴらだ。

 私は、私らしく。
 悪役令嬢らしく、わがままに生きてみせよう。

「さて、落ち込んでいても仕方ないですね」

 気持ちの切り替え、完了。
 私服に着替えて部屋を出る。

 目的地は、もちろん妹の部屋だ。

「シルフィーナ、いますか?」

 扉をノックして、待つこと少し。

「は、はい……?」

 そっと扉が開いて、フィーが顔を出した。

 まだ私に慣れてくれていないらしく、おっかなびっくりという様子だ。
 小動物みたいでかわいい。

「な、なんでしょうか……?」
「今、大丈夫ですか? よかったら、一緒にお茶をしませんか?」
「えっと……」

 困った、という感じでフィーの目が泳ぐ。

 どうにかして断ろうと考えているみたいだけど……
 それはダメ。

「さあ、いきましょう」
「え? え?」

 フィーの手を掴み、そのまま部屋の外に連れ出した。

「あ、あのっ、アリーシャさま!? 私は、そのっ……」
「もう準備をするようにお願いしていますからね。あまり待たせてしまうと、せっかくのおいしいお茶が冷めてしまいますよ」
「あ……は、はい」

 フィーは諦めた様子で、小さく頷いた。

 おとなしいフィーに強引に迫れば、余計に嫌われてしまう可能性がある。
 ただ、ゆっくりと距離を詰めようとしても、なかなかうまくいかないことはここ数日で証明済みだ。

 ならばもう、私らしく強引に行くことにしよう。
 フィーが歩み寄ってくれるのを待たない。
 こちらからグイグイと突き進む。

 うん。
 それこそが私らしさというものだろう。

 迷惑?
 フィーが怯える?

 最終的に仲良くなれれば問題なし。
 後々で、あの時は、という感じで笑い話になればいいのだ。

「というわけで、今日は離しませんよ?」
「ど、どういうことですかぁ……!?」
「ふふ」
 私の名前は、シルフィーナ・クラウゼン。

 少し前までは違う名字だったのだけど……
 ちょっとした事情があって、姓がクラウゼンになった。

 いきなり公爵令嬢になって……
 いきなり大きな屋敷で暮らすことになって……
 いきなり姉ができて……

 私の日常は目まぐるしく変わる。

「はぁ……なんで、こんなことになったんだろう?」

 新しい生活は戸惑いの連続。
 なかなか慣れることができなくて、ちょっと疲れてしまう。

 そんな中、一番気になっているのは……

「アリーシャさま……か」

 新しくできた私の姉。
 とても綺麗な人で、同性の私もついつい見惚れてしまいそうになる。

 ただ……

 よくわからない人だ。
 初対面の時、いきなり抱きしめられた。
 なんで?

「……ちょっと怖いかも」

 なにを考えているのだろう?
 それがわからない人は苦手だ。

 どうすれば不快に思われないか。
 どうすれば嫌われないで済むか。

 自分が取るべき行動が見えてこないので、どうしていいかわからなくなってしまう。
 結果、アリーシャさまを避けてしまうことに。

「うぅ、怒っていないといいのだけど……」

 何度かお茶の誘いを受けて、しかし、全部断ってしまった。

 今日もそうだ。
 断ろうとして……
 でも、それに焦れたのか強引に連れ出されてしまった。

 あれは怒っていた証ではないか?
 にこにこと笑っていたものの、それは仮面で、内心ではイライラしていたのではないか?

 なんて。

 悪いことを考えると、どんどんマイナス方面に思考が傾いてしまう。

「これじゃあダメなのに……」

 早く新しい家に慣れないといけない。
 いい子にして、うけいれてもらわないといけない。

 がんばらないと。

「うん。そのためにいい子でいないと……って、いけないいけない。こんな口調じゃダメだよね。ううん、ダメですよね」

 今の私は、公爵令嬢だ。
 それにふさわしい言動を身に着けなければいけない。

 だから、今までのような軽い口調は捨てて……
 アリーシャさまのような丁寧な話し方を覚えないといけない。

 そうやって、仮面をかぶらないといけない。

「せめて、ここでは……」

 私の居場所がほしい。

「……もう、一人はいや……」

 誰かに愛されたい。
 それが贅沢だというのなら、せめて、誰かに隣にいてほしい。
 私がこの世界で一人ぼっちじゃないことを教えてほしい。

 わかっている。

 こんな考え、最低だ。
 誰かに手を差し伸べてもらうことだけを期待してて、自分から動こうとしない。
 怖いからと、なにもしようとしない。

 そのくせ求める理想は高く、無条件で与えてくれることを望んでいる。
 なんてわがままなのだろう。
 恥知らずといってもいいかもしれない。

「……でも、仕方ないじゃない」

 私は弱い人間だ。
 なにかがんばろうとしても、でも、どうしようもないことが多い。
 結局、失敗してしまうことばかりだ。

 自分に嫌気が差すのだけど、でも、どうすることもできない。

「私……ここにいてもいいのかな?」

 私は、今日何度目になるかわからないため息をこぼそうとして……

「もちろんです!」
「えっ」

 突然、アリーシャさまの声が響いた。
 フィーは我慢強くて、そして優しい子だ。

 新しい環境に慣れようと、必死でがんばり、辛いことがあってもそれを顔に出すことはない。
 そのせいで心がすり減っていっても、我慢してしまう。

 言い訳になってしまうのだけど……
 そんな性格をしているから、前回、フィーが抱えている心の問題になかなか気づくことができなかった。
 そのせいで、長い間、つらい思いをさせてしまった。

 反省。

 だから、今回はとっとと解決することにした。

「あ、アリーシャさま、どうして……?」

 突然現れた私に、フィーはすごく動揺していた。
 独り言を聞かれてしまったのではないか? と不安に思っているのだろう。

 バッチリ聞いていた。
 ごめんなさい。

「ふぃ……シルフィーナ」
「は、はいっ」
「あなたは一人ではありません」
「えっ」
「私がいます」

 フィーがメインヒロインとか。
 仲良くすることで、ヒーローの攻略に有利になるとか。

 そういうことは、なんかもう、どうでもよくなっていた。
 頭の中から抜け落ちていた。

 単純に……
 目の前で、心の中で寂しそうに泣いている妹を放っておけない。
 それだけで、私は衝動的にフィーを抱きしめた。

「……あっ……」
「この前は、突然、抱きしめたりしてごめんなさい。怖がらせてしまったみたいですね」
「え、と……今も、こうして……」
「はい、抱きしめていますね」
「……」
「怖いですか?」
「い、いえ」

 戸惑いを見せつつも、フィーは否定した。

 私を怒らせないように、言葉を考えている……という様子はない。
 ウソが苦手な子だから、嫌がっていないということはわかる。

 よかった。
 これで再び怖がられたら、ショックで立ち直れないところだった。

「フィーは一人ではありません、私がいます。私達は姉妹ですよ?」
「ですが、それは……」
「クラウゼン家に引き取られたことを気にしているのですか? それとも、まだ数日しか過ごしていないことを? あるいは、私という人間がよくわからないから?」
「……」
「全部、という顔をしていますね」
「す、すみませんっ」
「いいんですよ、それは当然のことですから」

 二周目の私と違い、フィーはなにも記憶がない。
 戸惑いを覚えて、距離をとってしまうのは当然のこと。
 そこを責めるバカなことはしない。

「フィーの戸惑いと迷いは、否定しません。繰り返しになりますが、それは仕方ないことです」
「はい……」
「ただ、私は違いますよ」
「え?」
「私は、こうして抱きしめたくなるくらい、あなたのことが好きです。シルフィーナ・クラウゼンのことを、かわいいかわいい妹だと思っています」
「それは……でも、どうして……?」
「簡単な話ですよ」

 フィーを離して、少しだけ距離を取る。
 そして、にっこりと笑いつつ、言う。

「誰かを好きになるのに、理由なんて必要ですか?」
「……あ……」

 フィーがぽかんとした顔に。

 そんな妹に、私はさらに言葉を重ねる。

「私は、あなたのことが好きですよ。大事な妹だと思っています」
「そんな……でも……」
「本当ですよ?」
「どうして……私、なんて……」
「こら。そういう台詞は禁止です。あなたが自分のことを卑下してしまうのは、私が止められるものではありませんが……しかし、私の想いまで否定するようなことを口にしてはいけません。それは、失礼というものですよ」
「ご、ごめんなさい……」
「はい、謝罪を受け取りました」
「……」
「……」

 ちょっとした間。

「怒らないのですか……?」
「どうして?」
「私、失敗したのに……してはいけないことをしたのに……」
「そんなこと気にしませんよ。失敗なんて、誰もがすること。それに、何度でも言いますが、私はシルフィーナのことが好きですから。かわいいと思っていますから。多少のことくらいは、許してしまいます」
「私は……」

 フィーは悩むように、考えるように視線を落とした。
 少しだけ待ち、それから優しく声をかける。

「なので、あなたを一人になんてしません。これからずっと、傍にいます」
「ずっと……ですか?」
「はい、ずっとです」
「それは……本当に?」
「もちろんです。約束します」
「……」

 フィーは泣きそうな顔になって……
 それを隠すかのように、こちらに抱きついてきた。

「わっ」
「うぅ……」

 小さな肩が震えている。

 どれだけの寂しさを抱えてきたのか?
 どれだけの孤独に傷ついてきたのか?
 そのことを思うと、とても胸が痛い。

 だからこそ、今できることとして、これ以上の孤独は与えてなんかやらない。
 幸せな記憶で埋め尽くしてやりたいと思う。

「……お願いをしてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「……このまま、ぎゅってしてほしいです」
「こうですか?」

 フィーが望むまま、ぎゅうっと抱きしめた。
 そうすると、彼女もさらに強く私に抱きついてきた。

「……アリーシャさま」
「はい」
「……うれしいです」
「はい」
「ぐす……私、これまでもこれからも、ずっと一人だと思っていて……でも、それは違っていて……本当に、うれしいです……」
「はい」

 フィーは涙混じりに、心の内を語り……
 私は、そんな妹の頭を何度も何度も撫でていた。
「ご、ごめんなさい……」

 三十分ほどして、フィーが落ち着いて……
 冷静になると同時に顔を赤くして、ぺこりと頭を下げた。

 妙な罪悪感は完全に消えていないみたいだけど……
 それだけじゃなくて、羞恥の感情が伺える。
 この歳で思い切り甘えたことを恥ずかしく思っているのだろう。

 でも、そんなこと気にしないでほしい。
 妹は姉に甘えるもの。
 どんどん、もっともっと、とことん、究極的に甘えてほしい。

 ……私、欲望満載だな。

「ところで、私からもお願いがあるのですが」
「な、なんですか?」
「私はシルフィーナのことが好きですが、できるならシルフィーナも私のことを好きになってほしいです」
「ふぇ」

 フィーの顔が赤くなる。
 照れているのだろう。

 かわいいやつめ。

「姉妹として家族として、仲良くなりたくて……そのための一歩として、愛称で呼んでもいいですか?」
「愛称……ですか」
「シルフィーナだから、フィー……なんてどうですか?」
「……フィー……」

 考えるような顔になって……
 次いで、花のように愛らしく笑う。

「その、あの……急にこんなことになって驚いていますけど、でも、うれしいです。その……フィーでお願いします」
「はい。これからもよろしくお願いしますね、フィー」
「は、はい」

 ようやく、前回と同じ立場に戻ることができたけど……
 それは、わりとどうでもいいことだった。

 それよりも、大事な大事な妹に笑顔が戻った。
 場に合わせるための仮初の笑顔ではなくて、心からの本物の笑顔。
 そのことが一番うれしい。

「あ、あの」

 どこか迷いを秘めた様子で、フィーがこちらを見た。

「はい?」
「えっと、その……」
「どうしたんですか?」
「……私も、アリーシャさまのことを愛称で呼んでも……い、いいですか?」
「え?」

 フィーが、私のことを愛称で?

 前回はなかったイベントだ。
 そのせいで、ついつい驚いてしまったけど……

「ええ、もちろんですよ」

 反対なんてするわけがない。
 大賛成。

 フィーに愛称で呼んでもらえる……あぁ、なんて素敵なことなのだろう。
 うれしさのあまり、昇天してしまいそうになった。
 わりと本気で。

「フィーは、私にどんな愛称をつけてくれるのですか?」
「あ……許可をもらうことだけを考えていて、愛称のことは忘れていました……」
「ふふ、ドジですね」
「うぅ……アリーシャさま、ちょっと意地悪です」
「かわいいから、ついつい、いじめたくなってしまうのです」

 子供のような気分だ。

 なだめるために、フィーをもう一度、抱きしめる。

「んー……」

 真面目な妹は、どんな愛称がいいか考え始めた。
 口元に指先をやり、視線をさまよわせつつ、考える。

「アリー姉さま……なんて、ど、どうでしょうか?」
「……」
「だ、ダメですか……?」
「はっ」

 最愛の妹に愛称で呼ばれる。
 素敵すぎることに、一瞬、意識が飛んでいた。

 何事もないフリをして、フィーに笑いかける。

「とても素敵だと思います」
「本当ですか?」
「もちろんです、フィー」
「えっと、それじゃあ……これからは、アリー姉さまで……」

 恥ずかしそうにしながらも、フィーはしっかりと言う。

 いや、もうね……
 天使か!

 妹の愛らしさに悶え、心の中で叫んだ。

 ただ、表面上はなにも変わらず、にこにこと笑っている。
 愛情表現を全力でしてもいいのだけど……
 同時に姉の威厳というものが失われてしまいそうなので、ほどほどがいい。

「あ、あと、もう一つお願いが……」
「今日のフィーは、たくさんお願いがあるのですね」
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。妹に頼られることは、姉としてうれしいですから」
「えっと……お茶をしませんか、アリー姉さま」
「はい、喜んで」
「フィー、一緒に学院に行きませんか? たまには歩いて」
「は、はい! 喜んで」

 朝。
 一緒に登校しようとフィーを誘うと、妹は花が咲いたような笑顔を浮かべて了承してくれた。

 朝から天使。
 こんな澄んだ笑顔を見ていると、心が洗われていくかのようだ。

「えっと……」

 肩を並べて歩くと、フィーは落ち着きのない様子を見せた。
 ちらちらとこちらを見て、しかし、すぐに視線を戻してしまう。

「フィー?」
「ふぁっ」
「どうしたのですか? なにやら、落ち着きがないように見えますが」
「す、すみません!」
「別に怒ってなんていませんよ。ただ、どうしたのかな、と思いまして」
「いえ、その……」

 もじもじして……
 ややあって、恥ずかしそうにしつつ言う。

「アリー姉さまが隣りにいると、なんていうか、一人じゃないと実感できて……うまく言葉にできないですけど、うれしいです」

 かわいい。
 今すぐ抱きしめて頬ずりをして匂いをかいで、もう一度抱きしめたい。

 とはいえ、外でそんなことはできない。
 ぐっと自制心を働かせて、なんとか我慢する。

「これからは、ずっと一緒ですよ?」
「はい!」

 フィーの笑顔からは曇りが見えない。
 よく晴れた天気のように、とても気持ちのいいものだ。

 たぶん、心の影を取り除くことができたのだろう。
 よかった。
 大事な妹が落ち込んでいるところなんて、欠片も見たくない。

 うまくいっているようで何より……
 いや、ちょっと待て?
 なにか大事なことを忘れているような?

「よう、シルフィーナ」

 考え込んでいると、第三者の声が。
 見ると、アレックスがいた。

「アレックス、おはよう」
「おう。シルフィーナが徒歩通学なんて珍しいな。どうしたんだ?」
「それは……アリー姉さまに誘われて」
「……アリー姉さま?」

 アレックスがキョトンとした顔をして……
 次いで、不審者を見るような目をこちらに向けてきた。

「あんたは……」
「あ、えと……こちら、アリーシャさま。私の新しいお姉さまなの」
「ふーん……ってことは、貴族か」

 敵意たっぷりの目を向けられてしまう。

 前回の記憶を引き継いでいるのは私だけ。
 なので、貴族嫌いのアレックスが私を敵視するのは当たり前なのだけど……

 前回はきちんと仲良くなれていただけに、いざ、こういう対応をされてしまうと寂しい。
 そして、悲しい。
 心にぐさりと矢のようなものが刺さる。
 でも、それは表に出さず、笑顔で対応する。

「おはようございます。それと、はじめまして。フィー……シルフィーナの姉の、アリーシャ・クラウゼンと申します」
「姉、ねえ……」

 うさんくさいものを見る目を向けられてしまう。

 というか、挨拶はどうした。
 貴族を嫌っているとはいえ、こちらが挨拶をしたのだから、それに応えるのが最低限の礼儀というものだ。
 それをこなせないと、自分だけではなくて周りの人にも迷惑がかかる。
 なぜ、そのことがわからないのか?

 笑顔を浮かべているものの、内心でイラッとしてしまう。

 アレックスが尖った性格をしているのは、ヒーローの個性をつけるためのものなのだろうが……
 それにしても、尖りすぎではないだろうか?
 このままだと、フィーを巻き込んで事件を起こしてしまいそうだ。

 実際、ゲームの中では、アレックスの浅慮な行動が原因で、主人公を巻き込んで事件を起こしていた。
 それがきっかけとなり、二人の仲は恋人に進展するのだけど……
 しかし、そんなもの、避けられるのなら避けるに越したことはない。

 よし。
 今回もアレックスの教育を……いや、待て。

 違うだろう。
 今まで綺麗さっぱり忘れていたけど、今回の私の目的はヒーローと結ばれることだ。
 アレックスも対象の一人。

 そうなると、あまり無茶なことはしない方が……?

「えっと……よかったら、アレックスも一緒にいきませんか?」
「やめとく。俺は一人でいくよ、じゃあな」
「あ、はい……」

 あれこれと迷っている間に、アレックスは一人で行動して、先に行ってしまった。
 その背中からは、私に対する拒絶の色がハッキリと出ていた。

 うーん。

 結ばれるのではなかったとしても、アレックスとは、また気軽に話ができる仲になりたいのだけど……
 それは、なかなか難しそうだ。

 前途多難。
 そんな言葉がぴたりとハマる状況に、私は思わずため息をこぼしてしまうのだった。
 アレックスと良い関係を構築するのは、なかなか難しそうだ。
 短時間で一気に……というのは、ほぼほぼ不可能。
 時間をかけて、ゆっくりと距離を縮めるしかない。

 そう判断した私は、ひとまず、アレックスの件は後回しにすることにした。

 挨拶などをして。
 機会があれば小話をして。

 距離を詰める努力はするものの、無理はしない。
 様子見だ。

 今は、もう一人のヒーロー……ジークとコンタクトをとりたいと思う。
 本当は、ヒーローはもう一人いるのだけど……
 あいにく、ネコの転校イベントはまだ発生していない。

「そうなると、必然的にジークさまの様子を確かめておくことが大事になるのですが……ふぅ、あまり気乗りしませんね」

 ジークは気難しい性格をしていて、基本的に他人に心を許していない。

 前回は色々な偶然が重なり、いつの間にか友達になれていたのだけど……
 その記憶を引き継いでいるのは私だけ。
 なので今回は、アレックスと同じように他人からスタートしなければいけない。

「ジークさまは、見た目とは正反対に、とてもいい性格をされていますからね……どうやって距離を縮めたものか。下手をしたら、縮めるどころか遠ざかることも」

 前回、友達になれたのは奇跡のようなものだ。

 その原因をしっかりと理解していたのなら、なんとかなるのかもしれないのだけど……
 さっぱりわからない。

 フィーの代わりに事件に巻き込まれたからだろうか?
 それとも、他に思い至らない要因が?

 ダメ。
 考えても答えが出てこない。

「とりあえず、あたって砕けてみましょう」

 やるだけのことはやろう。
 そう決めて、ジークのクラスへ向かう。

 今は昼休み。
 大体の学生は、食堂でごはんを食べているか、教室でお弁当を食べている。
 ただ、ジークのクラスは別だった。
 多くの女子生徒が集まり、きゃあきゃあと黄色い声を出している。

 なんだろう?
 不思議に思い、彼女達の視線を追いかけてみると……

「……」

 一人、教室でお弁当を食べているジークの姿が。

 窓際に座る彼は、温かい陽光を浴びていた。
 その光が髪に反射して、キラキラと輝いているかのようだ。

 それに加えて、同性でさえ見惚れるような美貌。
 すらりと鍛え上げられた体。

 そこにいるだけで絵になり……
 なるほど。
 彼女達はジークのファンで、こうして、絵になるところを見て騒いでいるのだろう。

 ただ。少し失礼ではないだろうか?
 動物園のパンダではないのだ。
 遠巻きに眺められて、きゃあきゃあと騒がれていたら気に触るだろう。

 事実、ジークはどんどん仏頂面になっていく。
 不機嫌全開だ。
 女子生徒達はそのことに気づいていない。

 まったく……仕方ないですね。
 ここは、私がなんとかするしかないようだ。

「あなたたち、今は……」
「いい加減にしてくれないか?」

 女子生徒達を諌めようとしたところで、先にジークが動いた。
 席を立ち、私を睨みつけて……

 って、あれ?
 危険を察知したのか、いつの間にか女子生徒達は消えていた。
 残されたのは私だけ。

「今は食事中で、そんなにジロジロと見られていたら気が散って仕方がない」
「え? え?」

 ジークが私を睨みつける。
 さきほどまでの騒ぎ、全部、私のせいだと思われている?

「い、いえ、私は……」
「今日に限ったことじゃない。毎日毎日、こんな馬鹿騒ぎをして……君は恥ずかしいと思わないのか? 自分の行動を振り返ることはないのか?」
「ですから、今のは私ではなくて……」
「言い訳をするか。やれやれ……本当にくだらない」

 今度は失望の目を向けられた。

 あれ?
 なぜか、全て私の責任になっていて……
 そのせいで、初対面の印象が最悪に?

「君は……そうか、公爵令嬢のアリーシャ・クラウゼンだな? 社交界などで、何度か顔は見たことがある。両親は素晴らしい人だというのに、その娘である君は、この程度の女性だとは……噂通りにどうしようもない人のようだな」

 むかっ。

 私は、怒りがこみ上げてくるのを自覚した。