悪役令嬢の私ですが、メインヒロインの妹を溺愛します

 原因不明の病。
 悲恋の物語などでよく出てくるものだ。

 ヒーロー、あるいはヒロインが病に倒れる。
 治療するために奮闘するものの、その努力虚しく愛する人は他界してしまう。
 そんな物語が多い。

 ただ、それはあくまでも物語の中の話だ。
 現実に原因不明の病が出てくることは、ほとんどない。

 なにしろ、この世界には魔法がある。
 私達はそれほどうまく扱えないのだけど……
 大人になれば、大半の人が習得することができて、奇跡を体現することができる。

 治癒魔法もあり、前世では致命傷という傷も治療することが可能だ。
 それは怪我だけではなくて、病気にも有効とされている。

 故に、この世界に不治の病は存在しない。
 原因不明の病も存在しない。

 まあ。
 絶対なんて言葉は実際は存在しないので、断定はできないのだけど。

「原因不明の病なんて、それは本当なのですか?」
「断定はできないのだけど……その可能性が高い」
「ジークのヤツ、わざわざ城から医者を呼び寄せてきたんだよ。しかも、王族専属の医者。そんな人がなにもわからない、って言うんだ。原因不明だろ?」
「アレックス、君はデリカシーというものにかけているね。確かにそれは事実だけど、もう少しいい方というものがあるだろう」
「アレックス!」
「うっ」

 ジークとフィーの二人に怒られて、アレックスは気まずそうな顔に。
 言葉のチョイスを間違えたと、反省している様子だ。

「……アリーシャ、悪い」
「いいえ、私は気にしていませんよ」

 本当に気にしていない。

 原因不明の病と言われても、正直、ピンと来ない。
 あまりにも現実感がないからだ。

「その方を疑うわけではないのですが、私は、本当に病に侵されているのですか? 過労などの可能性は?」
「それも、ないことはないのだけど、意識を失うほどのものは考えられないそうだ」
「三徹して働き続けてた、っていうなら話は別だけど、そういうわけじゃないだろ?」
「それもそうですね」

 過労で倒れるにしても、それ相応の原因がある。
 その原因にまったく心当たりがない以上、私は原因不明の病に侵されているのだろう。

「うーん」

 とはいえ、やはりピンと来ない。

 突然すぎるせいなのか。
 あるいは、体に不調がないからなのか。

 病と言われても、なかなか納得することができない。

「お医者さまは、なんて?」
「ひとまず、一週間は安静にするように……と。あと、毎日、診察をしたいらしい」
「一週間ですか」

 退屈な時間を過ごすことになりそうだ。
 原因不明の病に侵されたと聞いて抱いた感想は、そんなものだった。



――――――――――



 翌日の昼下がり。

「アリーシャ姉さま!」

 学院の制服姿のまま、フィーが私の部屋にやってきた。
 飛び込むような勢いで、いつものおとなしい様子はどこへやら。

「フィー? やけに早いですね」
「アリーシャ姉さまのことが心配で、走って帰ってきました!」

 小さな体を一生懸命に動かして、走るフィー。
 小動物みたいで、とてもかわいいだろう。
 想像してみたら鼻血が出そうになった。

 とはいえ、それは令嬢としてダメだろう。
 それに転んだら怪我をするかもしれない。

「フィー。私のことを心配してくれるのはうれしいですが、そういう無茶をしてはいけませんよ?」
「あぅ……す、すみません」

 たしなめられて、しょぼんとするフィー。
 反省できる子、偉い。

「アリーシャ姉さま、体の調子はどうですか? 大丈夫ですか?」
「はい、なんともありませんよ」
「本当に? 無理していませんか?」
「していませんよ」

 ずっとベッドの上にいて、おとなしくしている。
 そのおかげなのか、特に体調に変化はない。

「よかった……」

 フィーはとても安心した様子で、小さな吐息をこぼした。
 それから、両手をぐっとして、強く言う。

「アリーシャ姉さま、安心してくださいね! 絶対に、私が治療方法を見つけてみせますから!」
「ありがとう、フィー」

 かわいい妹が私のためにがんばってくれるのは、すごくうれしいのだけど……うーん、このままでいいのだろうか?
 みんなに心配をかけて、苦労をさせて、巻き込んでしまう。

 とはいえ、原因不明の病なんてものを相手にどうすればいいか、まったくわからない。
 難しい問題に、私は、フィーに気づかれないようにため息をこぼすのだった。
 かわいい妹にあれこれとしてもらうのは、とてもうれしい。
 大事に想ってくれていると実感できるからだ。

 その一方で、かわいい妹に心配をかけてしまうことは申しわけない。
 悲しい顔よりも笑顔が見たい。
 そう思うのは当たり前のことだろう。

「よし」

 いつまでも寝込んでなんていられない。
 原因不明の病だろうがなんだろうが、早く治してしまわないと。

 医師を頼りにしつつ……
 自分でも色々と調べてみることにしよう。

 案外、素人視線が問題解決に関係することがあるかもしれない。

「原因不明と言われると、大層な病に聞こえるのですが、それほど深刻な症状はないんですよね」

 目立った症状といえば、水の中にいるかのように体が動かしにくいこと。
 時々、息切れを起こしてしまうこと。
 あと、稀に意識を失ってしまうこと。

 ……こうして列挙してみると、わりと深刻な問題だった。

 ただ、まったく動けないわけじゃない。
 発作がいつも起きるわけではないので、それ以外の時は、ややしんどいが動くことはできる。

「よし、がんばりましょう」

 私は気合を入れて、ベッドから降りた。
 そして、屋敷内にある書庫へ。

 屋敷内に図書館と思えるくらいの本が収められている。
 本好きのお父さまが、あちらこちらから集めてきたものだ。

 まずは、書庫を調べてみることにしよう。
 灯台元暗し。
 意外とこういうところにヒントがあったりするものだ。

 私は書庫へ移動して、本が収められた棚を見て回る。

「ふむ……」

 病気の原理が記された本。
 治療法が記された本。
 色々な奇病について記された本。

 ひとまず、病気に関する本を手当たり次第に取り、それらを読書スペースで目を通していく。

 ……一時間後。

「簡単に行くとは思っていませんでしたが、まったくかすらないとは」

 主に原因不明の病について調べてみたのだけど、なにもわからない、ということがわかった。

 私の症状に当てはまる病気は載っていない。
 当たり前だけど、対処法も載っていない。

 そもそも……

 魔法があるこの世界で、治療不可の病気なんてほとんどない。
 故に、原因不明の病気もほとんどない。

「書庫を漁ったとしても、そもそもの知識が欠けている可能性が高いですね」

 書物は、知識や事象を記録しておくものだ。
 その前提となる事象が確認されていなければ、記されることはない。

「なかなか厄介ですね」

 すぐに解明できるとは思っていないが、手がかりの欠片くらいは手に入ると思っていたのだけど……
 うまくいかないものだ。

「ひとまず本を戻して、それから……っ!?」

 突然、ガツンと頭を殴られたかのような、ひどい頭痛に襲われた。
 立っていることができず、その場に膝をついてしまう。

 それだけじゃない。
 重力が増しているかのように体が重くなり、体を支えることができない。

 手足の自由もきかなくて……
 そのまま倒れてしまう。

「……アリーシャ姉さま、こちらにいると聞いて……アリーシャ姉さま!?」

 薄れゆく意識の中、フィーの悲鳴を聞いたような気がした。

 ごめんなさい、フィー。
 また、あなたを悲しませてしまった。
 やっぱり、私は悪役令嬢で、ダメな姉なのかもしれない。



――――――――――



 私は、三日ほど寝込んでしまったらしい。

 その間、意識はなくて……
 おまけに高熱も出ていたとか。

 なんとか意識は回復したものの、微熱は続いている。
 体もだるく、自力で歩けそうにない。

「アリーシャ姉さま、大丈夫ですか……?」
「大丈夫ですよ」

 本当は大丈夫ではないのだけど……
 かわいい妹を心配させたくなくて、無理に笑顔を浮かべてみせた。

「無理するなよ。アリーシャは、いつも無理してるから……そのせいかもしれないんだからな」

 アレックスも、とても心配そうにしてくれていた。
 フィーと同じく、毎日、お見舞いにやってきてくれている。
 ヒーローらしく友情に厚い。

「今日は、宮廷医師から薬を預かってきたよ。これを飲むといい」

 ジークも、毎日、私の様子を見に来てくれている。
 しかも、貴重な薬を毎回持参している。

 そこまでしてもらうと申しわけないのだけど……
 でも、彼の厚意を否定したくないので、素直に受け取っておいた。

「これ、学院のノート。勉強に遅れないように、後でちゃんと勉強してね? まあ、私の字はちょっとアレだから、大変かもだけど」

 ネコが笑う。
 ただ、無理をして笑っているように見えた。
 私に心配をさせまいとしているのだろう。

「なんで、こんな急に悪化するんだよ……くそ。ジークさま、アリーシャの病気は、まだなにもわからないのか?」
「すまない……色々な宮廷医師に診てもらい、意見を聞いているのだけど、まだなにも」
「アレックス、ジークさまに当たらないで……」
「そう、だな……悪い。ジークさまだって、辛いよな」
「そう言ってもらえると、助かるよ」

 みんなの間の空気がおかしい。
 私のせいで、少しギスギスしてしまっているみたいだ。

 ケンカなんてしてほしくない。
 今までみたいに仲良くしてほしい。

「……どうして」

 こんなことになってしまったのだろう?
 さらに一週間が経った。

 私の病は治ることはなくて……
 むしろ悪化していた。

 まともに体を動かすことができなくて、常にベッドの上。
 高熱が出て引いてくれず、いつも頭がぼーっとしていた。
 そして、時々、意識を失う。

 ただ、それらの症状は軽い。
 なんてことはない、前兆のようなものと、私はそう考えていた。

「……こぼれ落ちていく」

 ぼーっとする意識の中、ぼんやりと考える。

 発病して……
 それから、体の中にある「なにか」がなくなっていくのを感じた。

 それはとても大事なもの。
 なくしてしまうなんて、とんでもないことだ。

 手放したくないのだけど、でも、どうすることもできない。
 水を手の平ですくうようなものだ。

 最初はうまくいくのだけど、でも、次第に隙間から水が流れ落ちて……
 最後は空っぽに。

 そんな感じで、私の中からなにかが流れ落ちていくのを感じた。
 それはたぶん……
 命の煌きだ。

「アリーシャ姉さま……うぅ、なにかしてほしいことはありますか? なんでも言ってください! 私、なんでも……うく、なんでもしますから!」

 フィーが泣いていた。
 そんな顔をしてほしくないのに、それなのに私のせいで……

「おいっ、しっかりしろよ! こんなところで……そんなのは、絶対にダメだからな! 俺は認めないからなっ」

 アレックスも、半分くらい泣いていた。
 強気な性格だから、本人は認めないだろうけど……
 でも、とても悲しそうな顔をして、涙を浮かべていた。

 貴重な顔を見ることができた。
 あとでからかってみよう。

「アリーシャ……また、元気なところを見せてほしい。僕に笑ってくれると、そう約束をしてくれないだろうか?」

 さすがというべきなのか、ジークは涙を我慢していた。

 でも、くしゃりと表情は歪んでいる。
 あと一つ、なにかあれば、すぐに涙腺が決壊してしまいそうな雰囲気だ。

「アリーシャ……なんで、こんな……私、これからアリーシャの親友として……色々なことをして、ずっと……!」

 ネコは我慢できず、もう泣いていた。
 せっかくの綺麗な顔が、涙がくしゃくしゃだ。
 できることなら、その涙を拭いたいのだけど、もう体が動かない。

「み……んな……」

 四人の後ろに、お父さまとお母さまがいた。

 お父さまは優しく、そしてとても強い人だ。
 決して動揺を表に出すことはなくて、数々の難しい仕事を成功に導いてきた。
 交渉においては負け知らず。

 そんなお父さまが、露骨に感情を見せていた。
 悲しみ一色に顔を染めて、とても悔しそうにしている。

 お母さまは涙を流しつつ、そんなお父さまに寄りかかっていた。
 一人で立つことができないのだろう。
 それくらいの悲しみと衝撃を受けているのだろう。

 申しわけないと思う一方で……
 そうなってしまうほどの愛情を注いでいてくれたことを知り、うれしく思う。

 そして……

 そんなみんなの様子を見て、私は、ふと理解した。

(ああ、そうか……私、ここで死ぬのか)

 そう考えることが当たり前のように。
 すぅっと、死の予感が舞い降りた。

 それは勘違いではなくて、絶対。
 私の生は、ここで終わる。

(前世で死んで、ゲームの悪役令嬢に転生して、破滅を避けようとがんばって……)

 けっこう、うまくやれていたと思う。
 フィーとヒーローの恋愛フラグをいくつか叩き潰してしまった感はあるが……
 ただ、結果オーライ。
 みんな笑顔で、仲良くなることができた。

 これなら破滅を避けることができる。
 それどころか、かわいい妹と仲良く暮らせるという、幸せな未来が待っている。

(そう思っていたのに……結局、破滅か)

 しかも死因は、原因不明の病。
 ここまで死に絡まれているとなると、神様のいたずらを疑う。

 私、神様に嫌われるようなことをしただろうか?
 それとも、死神に好かれているのだろうか?

 どちらにしても、破滅を回避することができなかった。
 悪役令嬢に転生したため、方法は異なるとしても、こうなる運命だったのだろう。

(あはは……なんか、ここまでひどい結末になると、逆に笑えてきますね)

 いったい、私がなにをしたのやら。
 悪役令嬢に転生することが罪なのか?
 だとしたら、悪役令嬢なんかに転生させないでほしいのだけど。

(もしも、死後の世界があって、そこで神様に会えるとしたら……)

 一発、ぶん殴ってやろう。
 気がつけば見知らぬ場所にいた。

 雲の上……なのだろうか?
 足元は白いもやで覆われていて、ふわふわとした感触が伝わってくる。

 周囲も白。
 そして、なにもない。

 なにもないのだけど、でも、暗くなることはなくて明るい。
 どういう原理なのだろう?

「やっほー」

 絶世の美女がいた。
 傾国の美女というのがいたら、こんな人なのだろうと、そう思うような人。

 長い髪は宝石のように輝いている。
 肌は白く、陶器のよう。
 手足は長く、凹凸もハッキリとしているなど、スタイル抜群だ。
 同性の私からしても、見惚れてしまうほどの美を持つ女性だった。

 でも、やたらとフランクな態度だ。
 そのギャップのせいで、妙な脱力感を覚えてしまう。

「はぁ……こんにちは」
「お、いいねいいねー。普通、こんな状況に放り出されたら、混乱してしばらくはまともな話ができないんだけどね。でも、君はしっかりと挨拶をすることができた。いいねいいねー。挨拶は会話の基本だからね。とても大事だよ、うん」
「えっと……なにを言いたいのかわかりませんし、そもそも、あなたはどちらさまなのでしょう? ……と、そんなことを尋ねる私は、やはり普通ですか?」
「そんな一言を付け足すところは普通じゃないけどね。あはは、やっぱり君はおもしろい」

 よくわからないけど、気に入られたみたいだ。
 でも、あまりうれしくないのはなぜだろう?

 というか……
 この人を見ていると、なぜかイライラしてしまう。
 いじめっ子を前にしたような感じだ。

 はて?
 私とこの人は相性が悪いのだろうか?

「ようこそ、アリーシャ・クラウゼン」
「私の名前を……」
「もちろん、知っているさ。君のその前の生……静岡静留、という名前もね」
「……」

 アリーシャに転生する前の私も知っている。
 やはりというか、この人、普通の人間ではないようだ。

「自己紹介をしようか。私は、アリエル。君達、人間が言うところの神様というヤツさ」
「……なるほど」

 納得した。
 なので……

「うわっ」

 生きている頃に宣言した通り、殴ろうとしたのだけど、避けられてしまう。

「いきなりなにするのさ、危ないなー」
「私に理不尽な運命を課しているような気がしたので、その仕返しをしておこうと」
「うーん、そう言われると否定できないなー」
「ということは、本当に、あなたが私の運命をいじっていたのですか……?」
「正解♪」

 やはり殴っておきたい。
 そう思えるくらい、今の神様はとても苛立つ顔をしていた。

 とはいえ、それをしていたら話が進まない。
 死んだ私の魂? を呼び寄せるくらいなのだから、大事な話があるのだろう。

「どうして、私の前に姿を表したのですか?」
「謝罪と救済を」
「ふむ」

 意味深な内容ではあるが、ひとまず、話くらいは聞いていいだろう。
 本物の神様だとしたら、それくらいの価値はあるはず。

「まずは謝罪を。静岡静留として生きてきた君を、アリーシャ・クラウゼンに転生させたのは私だよ。そういう意味では、私が君の運命をいじっていたことになるね」
「あなたが……ただ、謝罪するほどのことなのですか? ゲームの世界とはいえ、また人間に生まれ変わることができたのは、とてつもない幸運だと思うのですが」

 世界の生物の数を考えると、人間に生まれ変わらない確率の方が圧倒的に高い。
 ダンゴムシに生まれ変わっていたかもしれない。

 そのことを考えると、悪役令嬢とはいえ、人間に生まれ変わらせてくれたことは感謝することだと思う。

「まあ、そうなんだけどね。でも、私としては、君を普通の世界の普通の女の子に転生させるつもりだったんだ。それなのに、乙女ゲームの悪役令嬢なんてものに転生させてしまった。君も知っての通り、悪役令嬢は、どうあがいても破滅しか待ち受けていないからね。希望を持たせて、でもやっぱり殺す……なんて、悪趣味な真似は私はしないよ。だからこその謝罪さ」
「それはつまり……悪役令嬢に転生した時点で、私の短命は決まっていたと?」
「そうだね。君があれこれしたから、運命は多少前後したけど、基本的に短命であることは間違いないよ。これは、ゲームと同じさ」
「ふむ」

 だから、私は原因不明の病にかかったのか。
 そして、そのまま命を落とした。

 世界の強制力というか、そういうものが働いて、私に悪役令嬢としての最後の務めを果たさせようとしたのだろう。
 その結果が、アレだ。

「私は、本来は普通の女の子に転生するはずだった……と?」
「そうだね」
「なぜ、そんなことが可能だったのですか? 私の前世……静岡静留は、よくできた人間ではなくて、それほどの徳は積んでいなかったと思うのですが」
「そんなことはないさ。確かに、君は普通に生きて普通に死んだ。でも、たくさんの人を笑顔にしてきた。それは、なかなかできることじゃないさ」

 そんなことを言われても実感がない。
 みんなに笑顔であってほしいと、そう思っていたけれど……

 それは、あくまでも私のため。
 だって、その方が楽しいから。

「ただまあ、ちょっとしたトラブルがあってね。君は、乙女ゲームの悪役令嬢なんてものに転生してしまった。そして、例外なく、悪役令嬢として破滅を迎えることになった。そのことについては申しわけなく思っているから、救済をしたいんだよ」
「救済……ですか」
「うん。今度こそ、君を普通の世界の普通の女の子に転生させようと思う。記憶は、引き継いでも引き継がなくても、どちらでもいいよ。君の自由だ。あ、でもチートはないよ? 転生先は、一度目の人生と同じ地球の日本だからね」
「日本に……」
「そこで三度目の人生を楽しむといい。一度目や二度目の人生と同じにならないように、加護を授けるから、今度は短命にはならないはずさ。まあ、100歳を超える長寿になるとは言えないけどね。それなりに人生を謳歌できるはずさ」

 神様はにっこりと笑う。
 聖母の笑みという言葉がふさわしい、とても優しい顔だ。

「……」

 このまま神様に身を委ねれば、私は第三の人生を楽しむことができる。
 そこでは、普通の女の子として生きることができる。
 悪役令嬢として、理不尽な目に遭うことはない。

 それは、とても素晴らしいことなのだけど……
 でも、それを素直に受け入れることはできなかった。

「待ってください」
「うん? どうしたんだい?」
「普通の世界ではなくて、また、乙女ゲームの世界に転生することは可能ですか?」
「えっ」

 神様が目を丸くした。

 それはそうだ。
 ひどい目に遭ったというのに、また同じ世界に戻りたいなんて……
 普通はそうは思わないだろう。

「どうして、そんなことを?」
「私は、まだあの世界でやり残したことがありますから」

 突然すぎて、みんなとちゃんとお別れをしていない。

 それに、フィーのことが気になる。
 私が死んだことで、フィーは、また家族を失ってしまった。
 そのことが心の傷になっていたら?
 できることなら、どうにかしたい。

 死んだとしても、私は、フィーの姉なのだ。

「君は変わっているねえ」

 神様が苦笑した。
 それから、表情を一転させて真面目な顔に。

「可能といえば可能だけど、イレギュラーなケースだからね。普通の転生じゃなくて、最初からやり直すことになるよ?」
「最初というと……アリーシャの中で、前世の記憶が蘇った時ですか?」
「そう、そこからだね」
「なるほど」

 フィーとそれなりに仲良くなれたと思うのだけど、それはリセット。
 ゼロからの関係になる。

 フィーだけじゃない。
 アレックス、ジーク、ネコ……みんなともゼロから始めることになる。

 二度目の転生をして再会したら、他人を見る目を向けられるのだろう。
 それは、想像するだけで辛いが……

「それはそれで、やりがいがあるというものです!」
「ただ、気をつけてほしい」

 アリエルは真面目な顔になり、固い声で言う。

「悪役令嬢というものは、基本的に破滅が決まっている。君は、あれこれと動いていたものの、結局、謎の病死を遂げてしまった。破滅が決定していることは、その身で体験しただろう?」
「あれは、なんなのですか? 世界の強制力とか、そういうものですか?」
「まあ、そんな感じかな」

 アリエル曰く……

 あの世界は乙女ゲームを元に作られている。
 故に、ヒロインは幸せになる。
 故に、悪役令嬢は破滅する。
 それは絶対。

 水が高いところから低いところへ流れるように。
 鳥が空を飛ぶように。
 絶対の真理だ。
 なにかしたとしても、それに抗う術はない。

 ……ということらしい。

「転生させておきながら破滅しかないなんて……ずいぶんと身勝手ですね」
「だから、そこについてはホント悪いと思っているんだよ? 私も、そんなつもりはなくてねー。ちょっと、困ったヤツが介入してきたんだよ?」
「困ったヤツ?」
「そう。私と同じ神で、そいつのせいで君は悪役令嬢なんてものに転生したんだ」
「つまり、もう一人の神さまが元凶?」
「そいつの名前は、ゼノス」

 ゼノス。
 それは、私の敵なのだろうか?

「あの世界でやり直すのなら、君が取るべき行動は二つ」
「二つ?」
「まずは、ゼノスを探し出すことだ。そして、世界に対する干渉をやめさせる」

 ふむ?
 いまいち話が見えてこない。

 こちらの困惑を察した様子で、アリエルが続けて説明をする。

「世界の強制力は確かにあって、それで君は二度目の死を迎えた。でも、考えてみてくれ。死ぬとしても、本来はもう少し先のはずだろう?」
「確かに……」

 悪役令嬢としての破滅は、学院の卒業と同時だ。
 そこから転落して、断罪されて……という流れだった。

 それなのに、いきなりの病死。

「予定が変更されたのは、ゼノスが世界の強制力に干渉したからさ。君を厄介に思ったんだろうね。もしかしたら、運命が覆されるかもしれない。それはつまらない、予定通りに破滅してほしい。だから、運命に干渉した、というわけさ」
「……話を聞くと、とんでもなく迷惑な神さまですね」
「実際、迷惑なんだよ。彼のせいで、君は悪役令嬢なんてものに転生したからね」
「その神さまのせいで? しかし、どうして悪役令嬢に転生を?」

 そのようなことをするメリットがわからない。

 すると、アリエルは心底うんざりという感じで、ため息をこぼす。

「娯楽なんだ」
「娯楽?」
「そう。ゼノスにとって、君を悪役令嬢に転生させたのは娯楽でしかないんだ。ゲームの世界に転生。でも、悪役令嬢。どうしよう? って慌てるところを見て、楽しむような性格破綻者なんだよ、彼は」
「……その方、本当に神さまなんですか? 悪魔ではないのですか?」
「一応、神だよ。邪神、って呼ばれているけどね」
「あぁ……納得です」

 要するに、ゲームの魔王と同じような立ち位置なのだろう。
 それなら、今アリエルが言ったようなことも平気でやってしまうのだろう。

 なんて厄介な人に目をつけられたのだろう。
 げんなりする。

 あ。
 人じゃなくて神さまか。

「ゼノスは、君の行動を観察するために近くにいるはずだ。隠れているかもしれないし、誰かに化けているかもしれない。どうにかこうにか見つけ出してくれ。そうすれば、後はボクがなんとかしよう」
「できるのですか?」
「できるさ。同じ神だから、争うととことんめんどくさいことになるからね。快楽主義者のあいつは、そういうめんどうは嫌うはず。手を引くと思うよ」
「意外と頼りになるのですね」
「え? 意外? あれ?」

 だって、仕方ないでしょう?
 第一印象は、とても軽薄な女の子、なのだから。

 神さまと言われても、未だに、数割は信じられない。

「もう一つは、ヒーローと結ばれることだ」
「それは……恋人になれと?」
「その上かな。夫婦になってほしい。夫婦が無理なら、せめて純血を捧げてほしい」
「……それはまた、ずいぶんと話が飛びましたね」
「ゲームだと、エンディングでは、だいたいそういう関係になっているだろう? つまり、そういうことさ」
「どういうことですか」

 わからないので、きちんと説明してほしい。
 神さまだからなのか、わりと話の進め方が勝手だ。

「君が破滅してしまうのは、悪役令嬢だからだ。悪役令嬢であるうちは、なにをしても破滅してしまう。だから、悪役令嬢でなくなることが大事だ」
「……なるほど。つまり、ヒーローと結ばれることで、ヒロインに昇格してしまえ……と?」

 ゲームでも、ない話じゃない。
 続編などが出た場合……
 前作では脇役や敵だったキャラクターがヒロインに昇格することは、たまにある。

「そうなれば、君は悪役令嬢ではなくてヒロインとなる。理不尽な破滅を回避することができる」
「ふむ」

 話をまとめると……

 どこかにいるであろう、ゼノスという神さまを探し出す。
 あるいは、ヒーローと結ばれてヒロインに昇格する。

 そのどちらかを達成しない限り、やり直したとしても、私は破滅を迎えてしまうわけか。

「……わかりました。どちらを選ぶか、それはまだなんともいえませんが……今度こそ、破滅を回避してみたいと思います」
「うんうん、その意気だよ。がんばれー!」

 アリエルが応援してくれる。
 そういう気軽なところが神さまらしくない。
「……っ!?」

 がばっと、勢いよく起きる。

 慌てて周囲を見ると……

「私の……部屋?」

 目が覚めると、私は自分の部屋で寝ていた。
 寝起きだけど、しかし、頭はハッキリとしている。

 アリエルと話をして……
 新たに、人生をやり直すことにして……
 そして、今度こそ破滅を回避する。

 記憶はしっかりと残っているのだけど……
 ただ、あまりにも現実離れした話だ。
 実は、原因不明の病に倒れたままで、たまたま目を覚ましただけ、という方がしっくりと来る。

「……いえ」

 現実離れしているというのなら、悪役令嬢に転生するのも現実離れしている。
 今更、そういう部分を疑っていたら意味がない。

「とはいえ、無事に戻れたのかどうか……よくわかりませんね」

 ひとまずベッドから降りて、メイドを呼び、着替えを手伝ってもらう。
 基本、ドレスで過ごすことが多いから、一人だと難しいのだ。

 それから頼んだ紅茶を飲み、心を落ち着ける。

「ふむ」

 確か、私が最後を迎えたのは秋だったはず。
 でも、今は寒くない。
 窓を開けてみると、ぽかぽか陽気が差し込んでくる。

 春……かな?

 だとしたら、アリエルの力で最初からやり直すことができたのだろう。

「ゼノスを探し出すか、ヒロインに昇格する……よし」

 どちらも困難だ。

 ゼノスを探し出すにしても、相手は神。
 どこに隠れているかわからないし、人の足で行けるところにいないかも。
 アリエルの話では、誰かに化けているかもしれないという可能性もあるらしいし……
 気合を入れてかからないと、達成は難しそうだ。

 ヒロインに昇格するというのも、やはり厳しい。
 前世を含めて、彼氏なんていたことはない。
 男友達も、アレックスとジークとネコが初めてだ。

 そんな私がヒーローと結ばれるなんて……

「……とんでもない無理ゲーのような気がしてきましたね」

 ベッドに入り、現実逃避をしてしまいたくなるほど、なかなかに状況は絶望的だ。

 でも、諦めるわけにはいかない。
 アリエルにも言ったが、私は、この世界でやり残したことがある。
 それを達成するまでは、死んでも死にきれない。

 その目的というのは……

「あ……はい?」

 ふと、扉をノックする音が響いた。
 返事をすると、メイドが姿を見せる。

「アリーシャお嬢さま。旦那さまと奥さまがお呼びです」
「父さまと母さまが?」

 父さまは公爵の仕事で毎日忙しく、母もそのサポートで忙しい。
 昼間から家にいることなんて滅多にない。

「……なら、これは」

 一つ、心当たりがある。
 多忙な父さまと母さまが家に戻り、長女の私を呼び出すような理由。
 それは……改めて、運命の始まりを告げるためだ。



――――――――――



「は、はじめまして! 私は、その、あの……シルフィーナと申します!」

 父さまと母さまに呼び出された先で、ガチガチに緊張した女の子に、そんな挨拶をされた。

「落ち着いて、よく聞いてほしい。この子は、実は……お前の妹なのだ」
「はい、それはもうよく知っていますとも! ようこそ、フィー!」
「ふぎゅ!?」

 私は満面の笑みで、大事な大事な妹を抱きしめた。

 体感時間では、フィーと離れてさほど経っていないのだけど……
 でも、一度死んだからなのか、無性に妹のことが懐かしい。

 フィーに対する愛で胸がいっぱいになる。
 こんな状態で、妹を抱きしめないなんてこと、できるだろうか?
 いや、できない。

 ならば、これは自然の摂理。
 世界の真理。

 というわけで、私は、思う存分にかわいい妹を抱きしめる。

「あ、あのっ、えと、あのあの……!?」

 慌てる妹、かわいい。

「あ、アリーシャ……? ど、どうしたんだい?」
「その……よくわからないのだけど、シルフィーナが苦しそうですから……」
「……あっ」

 しまった。
 ついつい妹の対する愛が爆発して、暴走してしまった。

 やり直した今、私とフィーは初対面。
 ならば、それらしい対応をしなければ。

「こほん……ごきげんよう。私が、今日からあなたの姉になる、アリーシャ・クラウゼンです。よろしくおねがいしますね」
「は、はい……」

 にっこりと笑うのだけど……
 いきなり抱きしめたことがまずかったらしく、フィーは怯える子猫のような目をしていた。

 やらかした……
 前回の私は、フィーとの初対面で失敗することはなくて……
 その後、わりとすぐに良い関係を築くことができたはずだ。

 しかし、今回の私は……

「あっ、ふぃ……シルフィーナ。おはようございます」
「お、おはようございます、お姉さま……!」
「よかったら、これから一緒にお茶でも……」
「も、申しわけありません! よ、用事がありまして……!」

 怯えるうさぎのように、フィーは逃げ出してしまう。

「……」

 がくりと、その場で崩れ落ちる私。

「フィーが……かわいいフィーが、私を避けるなんて……うぅ、反抗期になってしまったのでしょうか?」

 いや、まあ。
 やり直したのだから、好感度もリセットされたことは理解している。

 ただ、それはそれ、これはこれ。
 かわいい妹に拒絶されてしまうと、どうしても凹んでしまう。

「ふむ」

 フィーのことは、しばらく時間を置いた方がいいかもしれない。

 それよりも、破滅回避を優先するべきか。
 ゼノスを探し出す。
 あるいは、ヒーローと仲良くなり、結ばれる。
 それが一番だろう。

「なんて……そんな結論に達することは、1パーセントもありません!」

 確かに、破滅は回避しなければいけない。
 そのために、私は過去に戻ってきた。

 しかし。
 しかし、だ。

 破滅を回避するために、かわいいかわいい妹の問題を後回しにするなんて、そんなこと、できるわけがない!
 全ての物事において、最優先されるべきはフィーのこと。
 妹のことだ。

 もう一度、破滅を迎えるとしても、私は妹を優先するだろう。
 そして、その選択に後悔することはないだろう。

 なぜ、そこまでできるのか?

 答えは簡単。
 私の妹が世界で一番かわいいからだ。

「というわけで……フィー、ではなくて、シルフィーナ」

 さっそくフィーの部屋を訪ねる。
 ついつい「フィー」と呼んでしまったのだけど、やり直したため、まだ愛称で呼ぶことは許可されていない。

 今のフィーなら、お願いすれば了承はしてくれるだろうけど……
 そうではなくて、自発的にお願いしてほしい。

「は、はい……?」

 おずおずという感じで、フィーが部屋から出てきた。
 小動物みたいな妹……これはこれでアリ!

 おっと、いけない。
 ひとまず欲望は押し隠して、にっこりと笑う。

「一緒にお茶でもどうですか?」
「え? えっと、その……べ、勉強をしないといけないので!」
「なら、私が見てあげましょうか?」
「ふぁっ!? え、えっとえと……ま、まずは一人でがんばるべきだと思うので!」
「……勉強の後は?」
「う、運動をしてみようと思います! で、では!」

 フィーは慌てた様子で部屋に戻ってしまう。

「……」

 一人、その場に残された私は灰になっていた。

「フィーが……私と距離を取ろうと……」

 子供にうざいと言われる父親は、このような気持ちなのだろうか?
 そんなことを考えてしまうくらい、ショックだった。

 なにがいけないのだろう?
 今日は、普通に接していたと思うから……

「最初に出会った時、抱きしめたことがいけない……?」

 あれは、ついつい感極まってやってしまったことなのだけど……
 悪意や敵意はまったくない。
 親愛のみだ。

 それなのに、怯えられてしまうなんて……

「この顔がいけないのでしょうか?」

 窓ガラスを見て、自分の顔を確認する。

 美人ではあると思うが、目は吊り目。
 全体的にシャープな印象で、きつい感じはする。

 こんな女性がいきなり抱きついてきたら?

「……訳がわからなくて、怖いですね。はい」

 やらかしてしまった。
 がくりと、その場で膝をついてしまう。

「このままでは、フィーと仲良くなることができない……アリーシャ姉さまと、笑いかけてもらうことができない……まずい、非常にまずいですね」

 破滅がどうでもよくなるくらい、まずい。

 ただ、本気でどうでもいいというわけじゃない。
 なにも対策をしなければ、私は、また世界の強制力とやらに殺されるだろう。

 また原因不明の病にかかるか……
 あるいは、悪役令嬢らしく断罪されるだろう。

「うぅ、おかしいですね……」

 やり直し。
 二周目と言えば、強くてニューゲーム。
 チートが当たり前なのだけど、ぜんぜんチート要素がない。

 むしろ、難易度がアップしているような気がした。
 前回がノーマルなら、今回はハードだ。
 ノーマルでクリアーできなかったのに、ハードに挑んでどうする。

「とはいえ、愚痴をこぼしていても仕方ないですし……どうにかするしかないですね」

 破滅の回避と、フィーと仲良くなること。
 どうにかして、この二つを両立させていこう。
 人間、第一印象というものはとても大事だ。

 良い印象を抱けば、その相手に好感を持ち……
 悪い印象を抱けば、その相手のことを嫌い、または苦手になる。

 この第一印象というものは、なかなかに覆しにくい。
 刷り込みという言葉があるように……
 無意識下で第一印象が働いてしまい、その方向に感情が流されていく。

 なので、無意識下の印象を丸ごと塗り替えるような、強烈なインパクトがなければうまくいかないだろう。

 ……というようなことを、学院の中庭で考える。

 今は昼休み。
 食堂でごはんを食べた後、考え事をするため、一人、中庭で過ごしていた。

「フィーの私に対する印象は……たぶん、訳のわからない怖い人、ですよね?」

 訳がわからないだけで、恐ろしいとか危険そうとか、そういう印象はないと思う。
 いきなり抱きしめたせいで、なにこの人!? と思われているくらいなはず。

 つまり、頭が危ない人認定。

「……うぅ、泣けてしまいます」

 かわいいかわいい妹に、おかしい人認定されている姉。
 もはや乾いた笑いさえ出てこない。

「フィーのことを一番になんとかしたいところですが……とはいえ、破滅もなんとかしなければいけませんね」

 フィーを優先するあまり、ヒーローの攻略を疎かにすれば、破滅が待ち受けている。
 そうなると、結局、かわいい妹と離れ離れにならないといけない。

 それはイヤだ。

「ひとまず、ヒーローの様子を見に行きましょう」

 煮詰まっている時は、別の行動をして気晴らしをした方がいい。

 そう考えた私は、ヒーローが今どうしているか、確認してみることに。
 校舎へ戻り、一つ下の学年が並ぶ棟へ。

 ひとまず、アレックスの様子を確認してみよう。
 前回、最初に知り合いになったヒーローだから、彼がどうしているのか気になる。

「あら?」

 なにやら一年の教室が騒がしい。
 どうしたのだろう?

 不思議に思い、そちらへ足を向ける。

「そういえば、こちらはフィーの教室だったような……?」

 もしかして、前回のようにフィーがいじめられている?
 いや、しかし、あれはまだ少し先のような……

「ふざけるなっ!」

 考えていると、強い声が聞こえてきた。
 これは……アレックス?

 様子を見てみると、やはりアレックスがいた。
 それと、フィー。
 アレックスに背中に守られていて……
 そのアレックスは、数人の女子生徒達を鋭い目で睨んでいた。

「お前ら、シルフィーナになにをしているんだ!」
「……アレックス……」
「な、なによ、平民風情が私達に逆らうつもり?」
「確かに俺は平民だけど……でも、間違っていることを指摘するのに、平民も貴族も関係あるものか! そんなだから、お前達は……!」
「まあ、なんて生意気な……」
「後悔しても知らないですわよ?」
「ふんっ。ここで、シルフィーナがいじめられていることを見捨てる方が、俺はものすごく後悔するね」
「うっ……」

 アレックスは欠片も怯むことなく、女子生徒達を糾弾してみせた。
 力強く、素直にかっこいいと思う。

 その勢いに飲まれた様子で、女子生徒達は言葉に詰まる。

「お、覚えていなさい!」

 お決まりの台詞を口にして、女子生徒達は逃げ出した。
 お約束すぎて、形式美すら感じられる。

「大丈夫か、シルフィーナ?」
「う、うん……ありがとう、アレックス。えへへ」
「なんで笑うんだよ?」
「やっぱり、アレックスは頼りになるな、って」
「そ、そんなことは……」

 うれしそうに笑うフィーと、照れるアレックス。
 微笑ましい光景なのだけど……

「……そうか」

 既視感のある光景だと思っていたのだけど、今、思い出した。

 これは、ゲーム内にあるシナリオのワンシーンだ。
 いじめられている主人公を、ヒーローが助ける。

 前回は、私が割り込んだため、アレックスの救出イベントは起きなかったが……
 今回は早くにイベントが発生したため、私が割り込むことはなくて、従来通りにアレックスがフィーを助けたようだ。

「正しい歴史……というべきなのでしょうか? その通りに進んでいる」

 ヒーローと結ばれたとしたら、ヒロインであるフィーは幸せになることができる。
 妹の幸せは私の幸せ。
 それは望むべきことなのだけど……

 しかし、私もヒーローと結ばれなければならない。
 それができなければ破滅。

「私とフィーの間で、利害の対立が起きているような気が……これも世界の強制力? だとしたら……」

 私は悪役令嬢らしくフィーと対立するようになり、最後は粛清される……?
 帰宅して、自室へ。
 着替える気力もなくて、学院の制服のままベッドに転がる。

「うぅ……」

 私は落ち込んでいた。

 世界の強制力なのか。
 それとも、単純にタイミングが悪いのか。

 フィーと仲良くなることができず……
 ヒーローと顔見知りになることすらできていない。

 ダメダメだ。
 せっかくやり直すことができたのに、なに一つうまくいっていない。

 凹む。

 このままだと破滅を迎えてしまう……ことは、ぶっちゃけ、あまり気にしていない。
 人間、死ぬ時は死ぬ。
 そこを気にしすぎていたらなにもできない。

 それはまあ、破滅を避けられるのなら避けたい。
 ただ、それ以上に妹と優しいヒーロー達のことが気になる。

 前回はまともにお別れをすることができず、ただ悲しみだけを残してしまった。
 そんな事態は避けたい。
 だから、破滅を回避する。

「とはいえ……」

 現状、なにも前進できていない。
 むしろ、後退すらしつつある。

「うーん」

 さて、どうしたものか?
 現状のままだと、破滅は避けられない。

 ただ、特にフィーやヒーロー達と仲良くなっていない。
 それなら残される人のことを気にすることなく、旅立つことができるのでは?

 なら、このままなにもしないという選択肢も……

「って、それはありえないですね」

 なにもしなければ、なにも問題ならない。
 確かにその通りだけど、それでは生きていないのと同じ。
 生きながら死んでいるのと変わらない。

 そんな生き方はまっぴらだ。

 私は、私らしく。
 悪役令嬢らしく、わがままに生きてみせよう。

「さて、落ち込んでいても仕方ないですね」

 気持ちの切り替え、完了。
 私服に着替えて部屋を出る。

 目的地は、もちろん妹の部屋だ。

「シルフィーナ、いますか?」

 扉をノックして、待つこと少し。

「は、はい……?」

 そっと扉が開いて、フィーが顔を出した。

 まだ私に慣れてくれていないらしく、おっかなびっくりという様子だ。
 小動物みたいでかわいい。

「な、なんでしょうか……?」
「今、大丈夫ですか? よかったら、一緒にお茶をしませんか?」
「えっと……」

 困った、という感じでフィーの目が泳ぐ。

 どうにかして断ろうと考えているみたいだけど……
 それはダメ。

「さあ、いきましょう」
「え? え?」

 フィーの手を掴み、そのまま部屋の外に連れ出した。

「あ、あのっ、アリーシャさま!? 私は、そのっ……」
「もう準備をするようにお願いしていますからね。あまり待たせてしまうと、せっかくのおいしいお茶が冷めてしまいますよ」
「あ……は、はい」

 フィーは諦めた様子で、小さく頷いた。

 おとなしいフィーに強引に迫れば、余計に嫌われてしまう可能性がある。
 ただ、ゆっくりと距離を詰めようとしても、なかなかうまくいかないことはここ数日で証明済みだ。

 ならばもう、私らしく強引に行くことにしよう。
 フィーが歩み寄ってくれるのを待たない。
 こちらからグイグイと突き進む。

 うん。
 それこそが私らしさというものだろう。

 迷惑?
 フィーが怯える?

 最終的に仲良くなれれば問題なし。
 後々で、あの時は、という感じで笑い話になればいいのだ。

「というわけで、今日は離しませんよ?」
「ど、どういうことですかぁ……!?」
「ふふ」