悪役令嬢の私ですが、メインヒロインの妹を溺愛します

「……」
「……」

 短剣を手にするネコと視線を交わす。

 にらみ合う、というわけじゃない。
 いつものように、のんびりと話をするように、友達として見る。

「怖くないの?」
「もちろん、怖いに決まっているじゃないですか」

 前世でも短剣を突きつけられる経験なんてない。
 あとひと押しで私は死んでしまう。
 そう考えると、すごく怖い。

 だけど……

「ここで退いたら、ネコがいなくなってしまうような気がします。私には、その方が怖いです」
「なに、を……」

 ネコの瞳に迷いが生まれる。

 いや。
 最初から迷いはあったのだろう。
 それを巧妙に隠していただけ。

 私が予想外の反応をするものだから驚いて、ついつい隠していたものがあふれきた……というところかな?
 ネコはけっこうわかりやすいのだ。

 そんなネコだからこそ、私は好きになった。
 ゲームとか前世の記憶とか、そういうのは関係なく……
 友達になりたいと思った。

 だから、ここで退くわけにはいかない。

「私を殺すか。それとも、諦めて私の味方になるか。決めてくれませんか?」
「え? いや……え? 後者の選択肢はどういうこと……?」
「私の味方になるのならば、ネコを保護することを、クラウゼン家の名において約束しましょう」
「……」
「ネコは、好き好んで暗殺者をしているわけではないのでしょう? 今回のことも私怨などではなくて、命令されて仕方なく、という感じでしょうか」
「そんなこと……ないし」
「わかりますよ。こういう時のネコは、とてもわかりやすいのですから」

 短い付き合いだけど……
 でも、彼女のことはよく知っているつもりだ。

 前世の知識がある。
 それだけじゃなくて、一緒に過ごすことで色々な顔を見てきた。

 時間は関係ない。
 どれだけ密度の高い付き合いができたか、というところに問題は集約される。

「でも、私は……」

 ネコは、迷うように視線を揺らした。
 あとひと押し、というところかな?

 なんだかんだで、ネコは真面目な人なのだ。
 暗殺者なんて務まらない。
 人を殺すなんて無理。

 なら、私が守ってあげないと。

「ネコ」
「っ!?」

 私はネコを抱きしめた。

 そんなことをしたら短剣が突き刺さるのだけど……
 私の行動をいち早く察知したネコが短剣を引いて、難を逃れる。

 うん。
 ネコなら絶対にそうすると思っていた。

「な、なんて危ないことを……!」
「ふふ、どうしてネコが怒るのですか? 私を殺すのでは?」
「そ、それは……」
「ほら、ネコはそういう人です」
「……」

 反論できないという様子で、ネコは体の力を抜いた。
 その手から短剣が落ちて、カランという音が響く。

 それが彼女の意思だ。

「もうやめましょう?」
「でも……」
「私がなんとかしてみせます。いざとなれば、ジークさまも巻き込んでみせます。だから、暗殺者ではなくて、私の友達に戻ってください」
「……いいの、かな?」
「問題ありません」
「まだ仕事を成し遂げたことはないけど、でも、暗殺者であることは変わりないし……私が一緒にいたら、アリーシャに迷惑をかけちゃうかも……」
「そうですね。でも、友達なら問題ありません。友達のためなら、がんばることができますから。苦労もうれしいものですよ?」
「……アリーシャ……」

 そっと、ネコは私を抱き返してきた。
 そして小さくささやく。

「……ありがとう……」

 ネコの瞳から一粒の涙がこぼれた。

 たぶん、彼女は今まで泣くことを許されなかったのだろう。
 我慢して我慢して、耐えて耐えて……
 そして今、ようやく泣くことができた。

 これからたくさん、彼女の心につけられた枷を解いていきたいと思う。

「えっと……」

 ややあって、ネコは私から離れた。
 ちょっと気まずそうな顔をしている。

「私のために、っていうのはうれしいんだけど……ただ、一つ問題があって」
「問題ですか? 裏の組織のことなら……」
「あ、ううん。組織は関係ないの。私のことで秘密があって……」
「なんでしょう?」
「あー……」

 ものすごく迷い、時間を貯めて……

「実は私」
「はい」
「……男なんだよね」
「はい?」

 衝撃の事実を告げられた。
 ネコが男?
 それは、どういうこと?

「え?」

 どういうこと?

 完全に予想外のことを告げられて、私は思考が停止してしまうほど混乱してしまう。

 ネコが男なんて、そんなわけが……
 いやでも、この状況でそんな冗談を言うわけがない。

 それに、ゲームでは、ネコは二つの秘密を抱えていた。
 暗殺者ともう一つ。
 もう一つは知らなかったのだけど……
 実は男で、隠し攻略ヒーローでした、というのなら納得だ。

 でも、まさかネコが男なんて……

「それは、本当なのですか?」
「あはは、信じられないよね」
「ネコの言うことだから信じたいのですが……しかし、どこからどう見ても女性にしか見えないので……」
「そういう風に教育されてきたからね。女装して相手を油断させて、あるいはそういう場所に潜入して任務を果たす……っていう暗殺者なんだ、私は」
「むう」

 じっと見る。
 じーーーっと見る。

 でもやっぱり、男には見えない。
 とてもかわいい美少女だ。

「その髪は地毛ですか?」
「そうだよ。基本的に伸ばしているから」
「肌も綺麗ですね……」
「男でも綺麗な人はいるからね。きちんとケアをすれば、こうなるよ」
「……正直、信じられません。なにか証拠はないのですか?」
「証拠、と言われても……」

 ネコは困った顔になり……
 次いで、頬を染める。

 ネコが男性である証拠。
 それは……

「……」

 私も顔を熱くしてしまう。
 なにを考えたか、それは秘密だ。

「えっと……はい、わかりました。変に疑うことはやめにします」
「ありがとう、信じてくれて」
「ですが、どうして私にその秘密を? トラブルに発展する可能性もありますし、隠しておいた方がいいと思うのですが」
「そうなんだけどね。でも、これ以上、友達に隠し事はしたくなかったから」

 その言葉からは、ネコの誠意が伝わってくる。
 うん。
 ネコが男性であろうと女性であろうと、関係ない。
 私にとって、ネコは大事な友達だ。

「ひとまず、私の家に来ていただけますか? 私が持つ力は大したものはなく……父さまと母さまに相談しないといけません。安心してください。二人共、きっと力になってくれますから」
「うん……ありがとう、アリーシャ」

 アリーシャは優しく笑う。

 よかった。
 これでネコを助けることが……あれ?

 でも、よくよく考えると、メインヒロインであるフィーのイベントを奪ってしまったことになるのだろうか、これ?
 だとしたら、フィーが困ることに……

 いや、大丈夫。
 フィーが困るというのなら、全身全霊で私が力になる。守る。

 それに……
 ネコを放っておくことはできない。

「では……」

 一緒に家に帰りましょう。

 そう言いかけた時、ゾワリと冷たい感覚が背中を走る。
 その嫌な気配の矛先は……ネコだ。

「ネコっ!!!」
「え?」

 おもいきり地面を蹴り、キョトンとするネコを地面に押し倒した。
 それと同時に、背中に灼けるような感覚が。

「ぐぅ……!?」
「アリーシャ!?」

 ネコが悲鳴をあげる。
 それもそのはず。
 私の肩に短剣が突き刺さっていた。

 もちろん、ネコがやったものじゃない。
 これは……

「……外したか」

 どこからともなく黒尽くめの男性が現れた。
 その手には短剣を握りしめている。
 サイズが小さいところを見ると、投擲用なのだろう。

「アリーシャ、大丈夫!?」
「なんとか……」

 ウソだ。
 本当は泣きたいほどに痛い。

 でも、今は私のことはどうでもいい。

 この展開は知らないのだけど……
 でも、前世で触れたゲームや漫画のパターンからしたら、これは……

「口封じ、ですか?」
「ほう、よくわかったな」

 黒尽くめの男性が感心したように言う。

 やっぱりか。
 黒尽くめの男性は、ネコが所属しているという裏組織の者。
 ネコが組織に従うかどうか怪しんでいて、見張っていたのだろう。
 そして、裏切りを宣言したために粛清しようとした。

 そんな状況を理解したネコは、顔を青くする。

「そんな……私は、ずっと組織のためにがんばってきたのに……」
「その組織を捨てようとした罰だ」
「そ、それは……でも、こんなにも簡単に……」
「ネコ」

 ショックを受けるネコの手を握る。
 それから、痛みを我慢して笑いかける。

「あのような組織に裏切られたからといって、ショックを受ける必要はありませんよ。だって、もう関係ないのですから」
「……アリーシャ……」
「むしろ、ざまあみろ、と笑ってやりましょう」
「……あはは」

 ネコは笑い、

「うん、そうだね。本当にその通りだ。私は、ネコ。ネコ・ニルヴァレン。組織のおもちゃじゃない!」

 強く言い放ってみせた。
「自分の立場を忘れ、対象にほだされるか……やはりゴミはゴミだな。使い物にならん」
「ゴミは……」

 男の台詞に怒りが湧いてきた。

 怒りに任せて、私は肩に刺さるをナイフを引き抜いて……
 持ち主に向けて投げ返してやる。

「なっ!?」

 投げ返されるとは思ってなかったらしく、男は露骨に動揺した。

 慌てて身を捻り、回避。
 そして、こちらを睨みつけようとするのだけど……

「甘い!」
「ぐぁ!?」

 逃げるのではなくて、あえて体当たり。
 こちらも予想外だったらしく、男はバランスを崩した。

 惜しい。
 私の予定では、そのまま地面に押し倒すつもりだったのに。

 やっぱり、女の身で男性に力で勝つことは難しい。

「貴様ぁっ!!!」

 男が激高する。
 ギラギラとした目で私を睨みつけて、予備の短剣を抜いた。

 殺意なのだろうか?
 とても冷たく恐ろしいプレッシャーを感じる。

 正直、怖い。

 でも……
 もう終わりだ。

「私の友達に……」
「なっ!?」
「触るな!」

 そっと距離を詰めていたネコが、大きく拳を振りかぶり……
 勢いよく男を殴りつけた。

「がっ!?」

 嫌な感じの鈍い音がした。
 男は小さな悲鳴を上げて転がり……
 そのまま白目を剥いて気絶する。

 さすが、ネコ。
 見た目は可憐な美少女なのだけど、中身は男性。
 その話は本当らしく、一撃でのしてしまうなんて。

「さすがですね、ネコ」
「……」
「ネコ?」

 よく見ると、ネコは顔を青くして震えていた。
 今しがた、男を殴り飛ばした己の手を見つめている。

「どうしたのですか?」
「……初めて、この人に逆らったんだ」
「……」
「いつも言うとおりにしていて、なにをされても黙っていて、逆らうことはなくて……だから、こんな風に殴るなんて初めてのことで、私は……なんてことを……」
「ありがとうございます、ネコ」

 震えるネコを抱きしめた。
 その胸にある不安、恐怖を取り除くように。

 いいえ。
 分かち合うように、ぎゅっと抱きしめた。

「私はネコの不安はわかりません。怯えの原因となる恐怖もわかりません」
「……」
「ですが、そんなことは関係ありません。どうでもいいです」
「アリーシャ……?」
「私が一緒にいますからね」
「あ……」

 ネコの唇から小さな声がこぼれた。

 それはどういう意味があるのか?
 わからない。
 わからないけど……
 私の言葉はネコの心に届いていると信じて、想いを紡ぎ続ける。

「怖い時。不安に震えている時。眠れない時。私が一緒にいます」
「……」
「こうして、抱きしめてあげます。頭を撫でてもいいですし、手を握ってもいいです。他にしてほしいことが遠慮なく言ってください。ネコが落ち着くまで、なんでもしてあげますよ」
「どうして……」
「だって」

 私はにっこりと笑う。

「ネコは友達じゃないですか」
「……あ……」

 ネコは目を丸くした。

「さっき、言ってくれましたよね? 私の友達に触るな、って」
「それは、無我夢中で……」
「うれしかったです。やっぱり、ネコは私の友達なんだな……と」
「……」
「だから、こうすることは普通なのですよ。だって、友達なのですから」
「……アリーシャ……」

 そっと、ネコも私に手を伸ばした。

 抱き返すというよりは、子供が甘えるような感じだ。
 ちょっと力も弱い。

 でも、離してたまるかというように、深く手を伸ばしていて……
 うん。
 とても温かい。

 これがネコの想い。
 彼女の心の温度。

 これからも、ずっとずっと大事にしないといけない。

「あ……」

 ふと、周囲が騒がしいのに気がついた。
 どうやら騒ぎが露見したらしく、生徒や教師が慌てているのが見えた。
 助けを呼びに行く手間が省けたので良しとしよう。

「……ふう」
「アリーシャ!?」

 へたり込んでしまう私を見て、ネコが悲鳴に近い声をあげる。

「だ、大丈夫!? まさか怪我が……」
「いえ……怪我が痛いのは確かですが、でも、今すぐにどうこうということはないと思います。ただ……」
「ただ?」
「終わった、と思ったら腰が抜けてしまって」
「……腰が?」
「はい」
「……アリーシャなのに?」
「私でも腰を抜かすことくらいありますよ。これでも、年頃の乙女なのですよ?」

 短剣を突き立てられて、平然としていられるわけがない。
 我慢していたものの、内心は恐怖でいっぱいだ。

「……そっか」

 あはは、とネコは笑うのだった。
 その笑顔は綺麗に澄んでいて、彼女に取り付いていた暗い影は全て消えていた。
「アリーシャ姉さま、大丈夫ですか?」
「はい。もう問題ありませんよ」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
「無理をしていませんか? 我慢していませんか?」
「えっと……」

 あれから一週間。

 父さまが尽力してくれたおかげで、事件は無事に解決。
 ネコは裏組織に利用されていただけとして、執行猶予と保護観察はついてしまったものの、今までと大きく変わりのない生活に。

 私の怪我は、腕の良い治癒師に治してもらった。
 痛みも傷跡もない。

 なのだけど……

「うぅ……でもでも、やっぱり心配です。アリーシャ姉さまは、平気な顔をして無理をする方ですから」

 フィーは心配みたいで、朝からずっとおちつかない様子だ。

 うん。
 私の心配をしてくれるフィー、かわいい。
 やっぱり、彼女は天使なのだろう。
 ほら。
 目を閉じれば、妹の背中に翼が生えているのが見える。

「えっと……アリーシャ姉さま?」
「なんですか?」
「どうして、私は抱きしめられているのですか?」
「フィーが天使なので」

 しまった。
 気がついたら妹を抱きしめていた。

 でも、仕方ない。
 だって、かわいいんだもの。

「よっす」
「おはよう」

 登校途中、アレックスとジークと出会う。

 ちっ。
 私とフィーの大事な時間を邪魔するなんて。

 ついつい心の中で舌打ちをしてしまう。
 でも、表面は笑顔で。

「おはようございます、アレックス、ジークさま」
「おはよう、アレックス。ジークさま」

 四人で一緒に登校して……

「やっほー」

 少ししたところでネコが姿を見せた。
 いつもと変わらず、とても元気そうだ。
 私はうれしくなり、彼女……ではなくて、彼の元に駆け寄る。

「ネコ!」
「おはよう、アリーシャ」
「おはようございます。よかった、元気になったのですね」

 何度か顔は合わせていたのだけど……
 少し暗い顔をしていたため心配だった。

 でも、今はそんなことはない。
 とても明るい顔をしていて、前よりも元気に見える。

 それと、暗い影も消えていた。
 裏組織から抜けることができたからだろうか?

「すっかり元気になったみたいですね」
「アリーシャのおかげだよ、ありがとう」
「私はなにもしていませんが……」
「あれだけのことをしておいて、なにも、って言えるところはまあ、なんていうか……あはは、アリーシャらしいなあ」

 なぜか笑われてしまう。
 私、なにかおかしなことを言っただろうか?

「ネコさん、元気になったんですね」
「風邪を引いたんだって? 大丈夫か?」
「お見舞いに行こうと思ったのだけど、なかなかタイミングが合わず……申しわけない」

 遅れてやってきたフィー達が、笑顔であれこれと声をかける。

 フィー達は、ネコの詳しい事情は知らない。
 全部バレると、とても面倒なことになることが予想できたので、その辺りはごまかしておいた。
 真相を知っているのは、私と父さまと母さま。
 それと、一部の高官のみだ。

「ありがと、心配してくれて。でも、もう大丈夫。アリーシャのおかげで、すっかり元気になったから」
「? どうして、アリーシャ姉さまのおかげなんですか?」
「んー……とてもよくしてくれたから、かな」
「?」

 なんのことだろう?
 そんな感じで、フィーは小首を傾げた。

 不思議そうにするフィーもかわいい。
 抱きしめたい。
 あと、なでなでしたい。

「ねえ、アリーシャ」
「はい、なんですか?」

 ネコは、少しの間、じっとこちらを見つめて……
 やがて、笑顔で手を差し出してきた。

 よくわからないのだけど、その手を握る。

「私、まだなにも言ってないんだけど……それなのに握手しちゃうんだ」
「ネコの手を取らないなんてこと、ありえませんから」
「ふふ、ありがとう」

 ネコは微笑む。
 男性とは思えない柔らかい笑みだ。

「この握手は、これからも親友としてよろしく、っていうこと」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「それと……」

 そっと、ネコは私の耳元に唇を寄せた。
 私にだけ聞こえる声でささやく。

「私、ネコのことが気に入っちゃった」
「え?」
「いつか、もっと仲良くなりたいな」
「え、えっと……」

 その声は、とても綺麗というか、胸に響くようなハスキーボイスで……
 私は、ついつい胸をドキドキさせてしまうのだった。
 ネコという親友ができて、私の生活は少し変わった。

 今までよりも少し華やかに。
 そして、楽しい時間を過ごせるようになった。

 順調に破滅エンドが遠ざかっているのかもしれない。
 それは良いことなのだけど……

「……ふぅ」

 うまくいく私とは正反対に、最近、アレックスの様子がおかしい。

 あまり元気がない。
 そして、今のように悩ましげなため息をこぼすことが多い。

 なにかあったのだろうか?



――――――――――



「アレックス、ですか?」

 帰宅後。
 フィーの部屋を訪ねて、アレックスのことを聞いてみた。

 私にとって、もっとも優先されるべきことはフィーだ。
 アレックスの元気がないと、フィーが気にしてしまうかもしれない。
 果てに、気にかけるあまり、私ではなくてアレックスばかりをかまってしまうかもしれない。

 それはダメ。
 なので、そうなる前に少し探りを入れてみることにした。

「最近、彼の様子がおかしいような気がするのですが」
「言われてみると……」

 フィーも心当たりがあるみたいだ。

「フィーは、なにか知りませんか?」
「えっと……」

 顎に指先を当てて、考える仕草を取る。
 そんなところもかわいい。

 うちの妹は、なにをしてもかわいい。
 天使か?
 いや、女神?

「アリーシャ姉さま?」
「いえ、なんでもありません」

 かわいい妹に見惚れ、ちょっと我を失っていたみたいだ。

「心当たりなのかどうか、よくわからないのですが……」
「なんでもいいから教えてくれませんか?」
「はい。実は……」



――――――――――



 翌日の放課後。
 私はアレックスと一緒に屋上へ移動した。

「なんだよ、こんなところに連れてきて。はっ!? もしかして……カツアゲか!?」
「なぜ、私がそのようなことをしなければいけないのですか」

 やれやれとため息をこぼす。

 どうも、アレックスは粗暴というか……
 ちょっと視野が偏っている。
 もう少し、品というものを身に着けてほしい。

 まあ。
 私も令嬢になったばかりのようなものなので、あまり強くは言えないのだけど。

「アレックス……あなた、お見合いをするそうですね?」
「っ!?」

 どこでそれを!? というような顔をしてアレックスが驚いた。
 ややあって、小さく舌打ちする。

「シルフィーナのやつか」
「フィーを責めないでください。私が強引に聞き出したので」
「ったく、それが公爵令嬢のすることかよ」
「すみません。最近、アレックスの様子がおかしく、気になったもので」
「……俺、そんなに様子がおかしかったか?」
「ええ、とても」

 即答すると、アレックスは微妙な顔に。
 どうやら、様子がおかしいことを自覚していなかったようだ。

 これは重症だ。
 自分で自分の異変を察知することができない。
 こんなレベルに陥ることは、なかなかないだろう。

「なにを悩んでいるのか教えていただけませんか?」
「それは……」
「もしかしたら、解決できるかもしれません。そうでなくても、誰かに話すことで気持ちが楽になることもあります」
「……わかった」

 少しの迷いの後、アレックスはぽつりぽつりと事情と悩みを話し始めた。

 アレックスは平民で、天涯孤独の身。
 今は教会に身を寄せて、家としているが……
 父親から見合いを持ちかけられたらしい。

 アレックスの父親は、とある貴族。
 メイドに手を出して、その結果、アレックスが生まれ……
 しかし、二人はそのまま捨てられた。

 そんなアレックスに、今更、どうして見合い話を持ちかけてきたのか?
 答えは単純。
 政略結婚だ。

 前世の世界では、そんなものは時代錯誤と笑うのだけど……
 この世界では当たり前のように起きていること。

 アレックスは容姿が優れている。
 そこに目をつけた父親が見合い話をまとめて、さらなる権力を手に入れようと画策したらしい。

 当然、アレックスはそんなことは知るか! と話を蹴ろうとしたのだけど……
 父親は、代わりに教会の援助を持ちかけてきた。

 教会はたくさんの孤児を引き取っている。
 国からの補助金は出ているものの、それだけでは厳しい状態だ。
 父親はそこにつけ込み、アレックスを好き勝手にしようとしている。

「……まったく」

 話を聞いてみると、思っていた以上に厄介な状況になっていた。
 これでは、アレックスが悩むのは当然だ。

「俺は……」
「ストップ」

 アレックスがなにか言おうとするが、止める。
 そして、先に言ってやる。

「あなたはバカですか?」
「なっ!?」

 突然バカと言われ、アレックスが驚いた。
 そんな彼に、さらに言葉を重ねる。

「ばーかばーか」
「な、なんだと!?」

 アレックスが怒るのだけど……
 でも、私の方が怒っていた。

「どうして、そのような話を一人で抱え込んでいたのですか? どうして、私やフィーに話してくれなかったのですか?」
「そんなこと、話せるわけないだろう……」
「なぜ? 友達なのに?」
「それは……」

 私が怒っている理由は単純。
 私達は友達なのに、なにも話してくれなかったからだ。

 アレックスは、私達のことを気にしているのだろう。
 迷惑をかけられない、巻き込みたくない。
 なんだかんだで優しい彼のことだから、そんなことを考えているに違いない。

 でも、それは無駄に考えすぎているというものだ。

「友達からこそ、話せないんだよ……俺の問題なのに、迷惑なんてかけられないだろ」
「ばーかばーか」
「なっ、また言いやがったな!?」
「何度でも言いますよ」

 まったく……どうしてこう、頭が固いのか。
 いや。
 頭が固いというよりは、プライドが高い。

 誰かに頼ることは恥じゃない。
 迷惑をかけることを気にしているようだけど、でも、それは言い訳だ。

 本当に困っているのなら、黙っている余裕なんてない。
 なりふり構わず助けを求めるはず。
 それができないということは、プライドが邪魔をしているからに他ならない。

「いいですか、アレックス」
「お、おう……」

 私の圧に押されるかのように、アレックスはおとなしくなる。

「隠し事をすることは問題ありません。どれだけ親しくても、隠しておきたいことの一つや二つ、ありますからね」
「そ、そうだよ。だから俺は……」
「ですが、悩み事を隠しておくのはダメです」
「うっ……」

 睨みつけられて、アレックスが怯む。

「水くさい、の一言に尽きます。もちろん、意味はわかりますね?」
「……」
「そういう時は友達を頼ってください、一人で抱え込まないでください」
「でも、俺は……」
「先日のフィーの誕生日。あなたは、どう思いましたか?」
「あ……」

 フィーは悩みを抱えていて、でも、それを誰にも打ち明けられずにいた。

 その時のことを思い出したのだろう。
 アレックスは、なんともいえない微妙な顔に。

「友達が苦しんでいるのに、なにもできない。それはとても辛いことです。そんな想いを友達に押し付けるようなことはしないでください」
「……はぁ」

 ややあって、アレックスはため息をこぼした。
 色々な感情が込められた、複雑なため息だ。

 ただ、その顔はどこかスッキリとしていた。

「そうだな、そうだよな……悪い、俺が間違っていた」

 素直に謝り、そして頭を下げる。

 アレックスはプライドが高いけれど……
 でも、こうして素直に謝ることができる。
 それは彼の美徳だろう。

 私はにっこりと笑う。

「はい、許しましょう」
「あー……ったく、ホント、アリーシャには敵わないな」
「ふふ。私の方が年上ですからね」
「それだけじゃない気もするが……まあ、今はいいか」

 アレックスは苦笑して……
 次いで、真面目な顔を作り、こちらをじっと見つめてくる。

「俺は、あんな男に道具として使われたくない」

 あんな男、というのは父親のことだろう。
 自分と母を捨てたことに対する嫌悪が表情に浮かんでいた。

「ただ、俺を助けてくれた教会に恩返しもしたい」
「……教会の運営は、それほどまでに厳しいのですか?」
「わりとキツイな」

 アレックスの話によると……

 毎月、赤字が出てしまっているらしい。
 その原因は、養う孤児が増えたからだろう、と考えている。

 だからといって、孤児を放り出すわけにはいかない。

 いざという時のために蓄えてきた財産を使い、なんとかしのいでいるが……
 それも限界。
 そう遠くないうちに、教会の財政は完全に破綻してしまうだろう。

 そうなれば終わり。
 教会は解体。
 孤児達は行き場を失い、元の浮浪児に戻ってしまうだろう。

「俺はいいんだ。それなりの歳だから、力仕事でもすればいい。でも、子供連中はそんなことはできない」
「そうですね、とても難しいでしょう」
「俺にとって、教会は家で……あいつらは家族のようなものなんだ。どうにかして守ってやりたい」

 「だから」と間を挟み、アレックスは頭を下げる。

「力を貸してください!」
「はい、もちろん」

 私は笑顔で頷いた。
 アレックスは、教会を盾に父親の道具にされようとしている。

 見合いと言われているが、それは建前。
 アレックスの父親はそのまま話を進めて、一気に婚約まで持っていくつもりなのだろう。

 しかし、アレックスはそれを良しとしない。
 母と自分を捨てた父親の道具になるなんて、まっぴらごめんだ。

 というわけで、なにか対策を考えなければいけない。

「……というのが現状です」
「アレックス、そんなことになっていたなんて……うぅ、水くさいです。もっと前に、私に相談してほしかったです」

 話を聞いたフィーは、拗ねつつ涙ぐむという、器用なことをしてみせた。
 そんな表情もかわいい。

「ふむ。キミは、なかなか厄介な状況に陥っているね」

 ジークは顎に手をやり、考える仕草を取る。

「ところで……話をするのはいいんだけど、なんで私の部屋?」

 会議の場所は、ネコの家……彼女の部屋だ。
 それが不満らしく、ネコはジト目だった。

「仕方ないではありませんか。ジークさまの家は王城なので、気軽に押しかけるわけにはいきません。私の家も、同じ意味で目立ってしまいます。教会はアレックスの父親にみはられているかもしれません」
「で、消去法で私の家になったわけ? まあ、いいんだけど……」

 こっそりとネコが耳打ちしてくる。

「……アリーシャは、私が男だっていうこと、忘れた?」
「……え?」
「……みんなが来るっていうから、慌てて女の子らしい部屋に戻したんだけど」
「……おつかれさまです」
「……絶対に忘れていたよね? ねえ、そうだよね?」

 忘れてはいません。
 ただ、ちょっとの間、思い出せなかっただけです。

「さて、さっそく会議を開きましょう」
「ごまかした……」

 ネコが恨みがましい目を向けてくるが、気づかないフリをした。
 時に鈍感になることが大事な処世術なのだ。

「アレックスのお見合いを阻止する……というか、父親に都合よく利用されないための方法を。それと、もう一つ。教会の問題を解決する方法を一緒に考えましょう」

 アレックスの父親をなんとかするのはもちろん……
 教会の問題も解決しないといけない。
 そうでなければ、アレックスに安息は訪れない。

「みんな……面倒事に巻き込んで、悪い。ただ、俺は一人じゃどうしようもなくて……どうか、力と知恵を貸してほしい。頼む!」
「今更だよ。アレックスは、大事な友達なんだから!」
「水くさいね、キミは。僕に任せてください」
「なにができるかわからないけど、やれることはなんでもやるわ!」

 みんな、笑顔でジークを受け入れた。
 うん。
 とても頼りになるメンバーだ。

 ただ……
 フィーが、アレックスのことを大事な友達と言ったことが気になる。

 私よりも大事なのだろうか?
 だとしたら許せないのだけど……

「アリーシャ姉さま? どうしたんですか、難しい顔をしていますが……」
「いいえ、なんでもありません。それよりも、少し考えたのですが」

 最初に相談を受けたので、考える時間はみんなより多い。
 私なりの策を口にする。

「アレックスの父親に関する問題ですが……とある策を考えました」
「すごいです。アリーシャ姉さま、もう考えついていたんですね」
「私は少し時間があったので」
「それは、どういうものなのかな?」

 ジークの問いかけに、私は考えていることを言葉にして並べていく。

「アレックス」
「うん?」
「私と婚約いたしましょう」
「ごはっ!?」

 アレックスが吹き出して、

「「「えぇーーーっ!!!?」」」

 他のみんなが大きな声をあげて驚いた。

「ど、どういうことですか!? どうして、アリーシャ姉さまとアレックスが婚約を……」

 中でも、フィーが一番慌てていた。
 アレックスを盗られる、と思っているのか……それとも、私を盗られると思っているのか。

 後者だったらうれしい。
 後者であれ。

「落ち着いてください。婚約といっても、本気で結婚しようと考えているわけではありません」
「どういうことなんだ? 俺らにもわかるように説明してくれ」
「はい。要するに……」

 アレックスの父親は、さらなる権力拡大を求めて、息子を使い政略結婚を企んでいる。
 過去に捨てた息子を利用するというのは、まったく褒められた話ではないのだけど……
 残念なことに、法に触れてはいない。

 正攻法で彼をどうこうすることは難しい。
 できたとしても、時間がかかる。

 なので、まずは時間を稼ぐ。
 そのための方法が、私と婚約することだ。

 アレックスの父親が求めているのは権力なので、公爵令嬢である私と婚約するのなら大歓迎だろう。
 繋がりができるということを示しておけば、まず反対はされないはず。

 そしやって婚約をして……しかし、結婚はしない。
 あれこれと理由をつけて時期を延ばす。
 その間に、アレックスの父親を叩き落とす準備をする。

 それが私の考えた策だ。
「なるほど……それ、悪くないかもしれないな」

 最初に賛成したのはジークだ。
 うまくいくと考えているのか、表情は明るい。

 ただ……うーん?
 希望を見出したというよりは、なんかうれしそうなのだけど……なんでだろう?

「悪くはないかもしれないけど、でも……」

 対象的に、ジークの顔は微妙だ。

 苦虫を噛み潰しているというか、つまらなそうにしているというか。
 不満そうに見えるのだけど、その理由がわからない。

 ……まあいいか。

 今は、アレックスの問題を解決するのが一番。
 細かいことは放置しておこう。

「ただ、一つ問題がありまして……」
「アレックスが利用されてしまうという問題はなくならない。根本的な対処が必要だけど、でも、今はどうすればいいかわからない……ということですか?」
「はい、その通りです。さすがですね、フィー」
「えへへ」

 私の考えを代弁するかのように、フィーが言う。

 妹、賢い。
 なでなですると、うれしそうに目を細くした。

 猫か。
 いや、猫以上にかわいいけど。

「とはいえ、一つ、案があります」
「そうなのかい?」
「はい」

 実はこの展開、ゲームにあったりする。
 アレックスルートの中盤でやってくる事件だ。

 ゲームでは、恋人のフリをメインヒロインが演じて……
 それがきっかけとなり、二人は互いに想いを自覚する……という流れだ。

 おのれ。
 ゲームとはいえ、フィーと恋人のフリをするなんて。
 許せん。

 って、話が逸れた。

 そんな展開があるため、今回の策を思いついた。
 そして、追加の策もバッチリだ。

「ジークさま、お願いがあるのですが……」
「うん? なにかな?」
「アレックスの父親について、探りを入れてくれませんか?」
「探りと言われても……どういうことに関することなのか、もう少し具体的な指定をしてほしいのだけど」

 ちらりと、アレックスを見る。
 彼の父親の恥を晒してしまうことになるのだけど……

 でも、今までの反応から察するに、父親のことはなんとも思っていないだろう。
 恥を知れば怒りを覚えるかもしれないが、悲しみを抱くことはないはず。

 そう判断して、具体的な話をする。

「彼は色々な不正を働いていると思われます」
「ふむ」
「具体的な内容は……今は伏せておきますが、それらが明らかになれば、今の地位を保つことは難しいでしょう。むしろ、それだけではなくて投獄されるかと」

 フィーの手前、具体的な話をすることは避けた。

 だって、そうだろう?
 違法な薬物の取り引きに、奴隷の売買。
 女性に対する暴行に、果ては殺人。

 アレックスの父親は、引き返すことができないところまで足を突っ込んでいるはずだ。
 そんな話、かわいい妹の前ですることなんてできない。

 私の言いたいことを大体察したらしく、ジークは難しい顔に。
 王子だけあって、さすがに頭の回転が速い。

「アリーシャの言うことが本当なら、彼を潰すことができるね。ただ、証拠は?」
「ありません」
「おいおい……」

 だって、仕方ないでしょう?
 前世の知識なんて言うわけにはいかない。

「そもそも、そんな話、どうして知っているんだい?」
「それは秘密です」
「……根拠不明の話を信じろと?」
「信じていただけませんか?」

 ややあって、

「……やれやれ」

 ジークは苦笑した。

「無茶な話をしてくれるね」
「ジークさまだからこそ、です」
「僕が甘いのか、それとも、アリーシャがすごいのか……なかなか判断に迷ってしまうね」
「結論は?」
「いいよ」

 少し意外だ。
 迷うと言っておきながら、わりとあっさりと了承してくれた。

「いいのですか?」
「もちろん」
「私が言うのもなんですが、私がウソをついていたら大変なことになりますよ?」
「アリーシャは、そのようなウソをつく人ではないよ。そのことは、よく知っているつもりだ」

 つまり、私を信じている……ということか。

 悪役令嬢なのに、そんなことを言われるとは思ってなかった。
 正直なところ、少しうれしい。

「では、お願いします」
「ああ、任せてくれ」

 私とジークは笑みを交わして、

「……」

 その一方で、アレックスがどこかつまらなそうな顔をしていた。
 実は、アレックスには私という恋人がいる。
 正式に婚約はしていないものの、将来、一緒になりたいと願っている。

 そう伝えれば、アレックスの父親は、今進めている見合いを喜んで撤回するだろう。

 ただ、すぐに話を進めるのは愚策だ。
 私とアレックスが本当に付き合っているかのように、仲が良いところを見せないといけない。
 まずは、本当に付き合っているように見させるため、それらしい練習をしなければいけない。

 ……と、いうわけで。
 今日は、アレックスとデートをしてみることにした。

「おはようございます、アレックス」
「お、おう」

 街の噴水の前で待ち合わせをするのだけど……

「はぁあああ」
「な、なんでいきなりため息なんだよ?」
「ため息の一つや二つ、つきたくもなります。なんですか、今の挨拶は? そして、なんですか、その服は?」

 練習という名目ではあるものの、今日はデートだ。
 それなのに、最初の挨拶が「お、おう」はありえない。

 それと、アレックスの服。
 パーティーではないのだから、礼装をまとえとは言わないのだけど……
 だからといって、いつもの私服というのはありえない。
 とっておきの服を着てくるものではないか?

 まあ、百歩譲って服がそのままというのは許せる。
 だがしかし、髪を整えることもないのはどうだろう?
 寝起きのまま放置しているのか、ところどころ髪が跳ねている。

 型に縛られず、粗野なところもアレックスの一つの魅力ではあるものの……
 でも、これはダメだ。

「挨拶がなっていません。それと、服がないとしても、その中で努力する姿勢を見せてください。少なくとも、寝癖くらいは直せるはずです」
「お、おぉ……悪い」
「まったく。女性と出かけるのですから、もう少し気遣いをしてください」
「悪かったよ。でも俺、今までデートなんてしたことないからさ。言い訳になるんだけど、どうしていいかわからないんだよ」
「あら、そうなのですか? アレックスならば、彼女の一人や二人、いると思いましたが」
「いるわけないだろ。俺は……平民だからな」

 そう言うアレックスの顔には陰りが。

 アレックスの言いたいことは、わからないでもない。
 この国は比較的穏やかなのだけど……
 それでも、貴族と平民の間に溝はある。

 差別が行われることがあり……
 時に、目を背けたくなるような、どうしようもない事件が起きることもある。

 それはわかる。
 理解できる。

 でも……

「アレックスは、もっと前を見ていてほしいです」
「え?」
「あなたの言うことはわかるのですが、しかし、アレックスは強い人です。そのような方が下を向いてしまうところは、なかなかに耐えられないものがあります。前を向いてください」
「アリーシャ、お前……」

 アレックスは目を大きくした。

 ともすれば、今の私の台詞は彼をバカにするもの。

 世のことは考えなくていい。
 そんなものは気にしないで、己の好きなようにしてほしい。

 そう言ったのだけど……
 言い換えれば、自由奔放なバカであれ、というものだ。
 普通の人ならば、バカにされたと思い、怒るだろう。

 でも、アレックスならば……

「……はは」

 アレックスは小さく笑った。

「この世界で、身分の差を気にするな、って言うのか? 俺は俺で、余計なことを考えなくていい、って?」
「はい」
「それは、つまり……俺らしくあることを貫いてみせろ、っていうことだよな」

 よかった。
 アレックスは、私の言いたいことを正確に理解してくれたみたいだ。

 貴族だとしても、平民だとしても。
 身分の差はあれ、結局のところ、一人の人間だ。
 本質的なところはなにも変わらない。

 そこをきちんと理解すれば、この先、なにが起きても問題はないだろう。
 周囲に流されることなく、己を貫くことができる。
 それは、この世界において、とんでもなく大きな『武器』となるだろう。

「……なあ、アリーシャ」
「はい」
「ありがとな」

 ちょっと照れた様子で、アレックスは軽く視線を逸らしつつ、そう言った。
 その頬は赤い。

「ふふ、どういたしまして」
「なんで笑うんだよ?」
「最初、あれだけ私につっかかってきたアレックスが、こんな風にお礼を言うなんて、思ってもいませんでしたので」
「あれは……!? あー……くそ。アリーシャって、意外と性格悪いな」
「あら、今、気がつきました? だって私、悪役令嬢ですから」
「あくやく……?」
「なんでもありません」

 微笑み、ごまかしておいた。

「よし。それじゃあ、デートに行って、恋人らしい練習をするか!」
「元気が出たのはなによりですが……まずは、寝癖くらいは直してくださいね?」
「う……す、すまん」