「自分の立場を忘れ、対象にほだされるか……やはりゴミはゴミだな。使い物にならん」
「ゴミは……」

 男の台詞に怒りが湧いてきた。

 怒りに任せて、私は肩に刺さるをナイフを引き抜いて……
 持ち主に向けて投げ返してやる。

「なっ!?」

 投げ返されるとは思ってなかったらしく、男は露骨に動揺した。

 慌てて身を捻り、回避。
 そして、こちらを睨みつけようとするのだけど……

「甘い!」
「ぐぁ!?」

 逃げるのではなくて、あえて体当たり。
 こちらも予想外だったらしく、男はバランスを崩した。

 惜しい。
 私の予定では、そのまま地面に押し倒すつもりだったのに。

 やっぱり、女の身で男性に力で勝つことは難しい。

「貴様ぁっ!!!」

 男が激高する。
 ギラギラとした目で私を睨みつけて、予備の短剣を抜いた。

 殺意なのだろうか?
 とても冷たく恐ろしいプレッシャーを感じる。

 正直、怖い。

 でも……
 もう終わりだ。

「私の友達に……」
「なっ!?」
「触るな!」

 そっと距離を詰めていたネコが、大きく拳を振りかぶり……
 勢いよく男を殴りつけた。

「がっ!?」

 嫌な感じの鈍い音がした。
 男は小さな悲鳴を上げて転がり……
 そのまま白目を剥いて気絶する。

 さすが、ネコ。
 見た目は可憐な美少女なのだけど、中身は男性。
 その話は本当らしく、一撃でのしてしまうなんて。

「さすがですね、ネコ」
「……」
「ネコ?」

 よく見ると、ネコは顔を青くして震えていた。
 今しがた、男を殴り飛ばした己の手を見つめている。

「どうしたのですか?」
「……初めて、この人に逆らったんだ」
「……」
「いつも言うとおりにしていて、なにをされても黙っていて、逆らうことはなくて……だから、こんな風に殴るなんて初めてのことで、私は……なんてことを……」
「ありがとうございます、ネコ」

 震えるネコを抱きしめた。
 その胸にある不安、恐怖を取り除くように。

 いいえ。
 分かち合うように、ぎゅっと抱きしめた。

「私はネコの不安はわかりません。怯えの原因となる恐怖もわかりません」
「……」
「ですが、そんなことは関係ありません。どうでもいいです」
「アリーシャ……?」
「私が一緒にいますからね」
「あ……」

 ネコの唇から小さな声がこぼれた。

 それはどういう意味があるのか?
 わからない。
 わからないけど……
 私の言葉はネコの心に届いていると信じて、想いを紡ぎ続ける。

「怖い時。不安に震えている時。眠れない時。私が一緒にいます」
「……」
「こうして、抱きしめてあげます。頭を撫でてもいいですし、手を握ってもいいです。他にしてほしいことが遠慮なく言ってください。ネコが落ち着くまで、なんでもしてあげますよ」
「どうして……」
「だって」

 私はにっこりと笑う。

「ネコは友達じゃないですか」
「……あ……」

 ネコは目を丸くした。

「さっき、言ってくれましたよね? 私の友達に触るな、って」
「それは、無我夢中で……」
「うれしかったです。やっぱり、ネコは私の友達なんだな……と」
「……」
「だから、こうすることは普通なのですよ。だって、友達なのですから」
「……アリーシャ……」

 そっと、ネコも私に手を伸ばした。

 抱き返すというよりは、子供が甘えるような感じだ。
 ちょっと力も弱い。

 でも、離してたまるかというように、深く手を伸ばしていて……
 うん。
 とても温かい。

 これがネコの想い。
 彼女の心の温度。

 これからも、ずっとずっと大事にしないといけない。

「あ……」

 ふと、周囲が騒がしいのに気がついた。
 どうやら騒ぎが露見したらしく、生徒や教師が慌てているのが見えた。
 助けを呼びに行く手間が省けたので良しとしよう。

「……ふう」
「アリーシャ!?」

 へたり込んでしまう私を見て、ネコが悲鳴に近い声をあげる。

「だ、大丈夫!? まさか怪我が……」
「いえ……怪我が痛いのは確かですが、でも、今すぐにどうこうということはないと思います。ただ……」
「ただ?」
「終わった、と思ったら腰が抜けてしまって」
「……腰が?」
「はい」
「……アリーシャなのに?」
「私でも腰を抜かすことくらいありますよ。これでも、年頃の乙女なのですよ?」

 短剣を突き立てられて、平然としていられるわけがない。
 我慢していたものの、内心は恐怖でいっぱいだ。

「……そっか」

 あはは、とネコは笑うのだった。
 その笑顔は綺麗に澄んでいて、彼女に取り付いていた暗い影は全て消えていた。