「うっ……ぐす……」

 突然、フィーが泣き始めた。
 サプライズパーティーがうれしくて……という様子ではない。

 悲しそうな、寂しそうな……
 そして、混乱している様子で、涙をこぼしていた。

「お、おい。シルフィーナ? どうしたんだよ、いったい」
「僕達は、なにか失礼をしたかな? それとも、体が痛いとかそういう問題が?」

 アレックスとジークが慌てている。
 父さまと母さまも慌てている。
 給仕のメイド達も、心配そうな顔をしている。

 みんな慌てていた。
 でも、一番慌てているのは……

「フィー!? どうしたのですか、大丈夫ですか? どこか痛いのですか? それとも、苦しいとか? 病気? 怪我? 治癒師を呼んできましょうか!?」

 私だった。
 すぐにフィーのところへ駆け寄り、小さな体のあちらこちらを確認する。
 両親やヒーロー達とは比べ物にならないくらいの慌てっぷりだ。

 でも、仕方ない。
 なにしろ、世界で一番かわいい妹が泣いているのだ。
 慌てない方がおかしい。
 むしろ、慌てて当たり前。
 よって、私は正しい。うん。

「ち、ちが……違う、んです……痛いとか苦しいとか、そ、そういうことじゃなくて……」

 フィーは泣きじゃくりながら、必死に言葉を紡ぐ。
 ひとまず、怪我や病気ではなさそうなので、ほっと安心した。

「どう……して?」
「どうして、というのは……どういう意味ですか?」
「どう、して……優しいの?」

 フィーは涙をいっぱいに溜めながら、混乱した様子で尋ねてきた。

 その姿は、どこか怯えているように見えた。
 未知の生物を前にして、どう接していいかわからないというような、そんな感じ。

 どんな言葉をかければいいのか?
 どんな行動をとればいいのか?

 なにもわからなくて、どうすればいいか知らなくて。
 ただただ、うろたえることしかできない。
 今のフィーは、迷子になって、母親を必死に探す子供のようだ。

「わ、私は……必要となんて、されていないのに、それなのに……うぐ……ど、どうして……こんなに、優しく……」
「っ」

 フィーの涙ながらの台詞に、私は思わず胸の辺りに手をやる。
 きゅう、っと心が痛む。

 この子は、どれだけの孤独を抱えてきたのだろう?
 自分はいらない子だと思いこんで、居場所がないと思いこんで……
 とんでもなく不安だったのだろう。
 寂しかったのだろう。

 だからもう、なにも信じることができない。
 単純な善意も、なにか裏があるのでは? と疑ってしまう。
 だって……自分が必要とされるなんて、求められるなんて、思ってもいないのだから。
 そんなことはありえないと、心の底から思いこんでしまっているのだから。

 いったい、どのような環境で育てば、ここまで心が歪んでしまうのか?
 フィーの実の両親に激しい怒りを覚えるものの、今は、彼らを糾弾する場ではない。
 大事な妹の心を救わないといけない。

「……ねえ、フィー」

 誰もが言葉を発することができない中、私は、そっと優しく語りかけた。
 フィーは、ビクリと震えつつ、小さな声で応える。

「は、はい」
「どうして、って言いましたよね? 私達がフィーに優しくするのに、なんで、って問いかけましたよね? そう思うのは、どうしてなんですか?」
「だ、だって……私は、い、いらない子で……望まれていない子で……この世界に生きている価値なんて、なにもなくて、いてもいなくても変わらなくて……だから、だから……」
「ばかっ!」

 どうしようもなく悲しい台詞を耳にして、私の中でなにかが弾けた。

 悲しくて悲しくて悲しくて……
 次いで、理不尽な運命に怒りが湧いてきた。
 乙女ゲームの世界だろうがなんだろうが、大事な妹にこんなに悲しい思いをさせるなんて。
 なんてひどい運命なのだろう。

 でも、そんなものに従うつもりはない。
 皆無だ。
 絶対に打ち破り、フィーの心の枷を取り払う。

 そんな決意と運命に対する怒りをこめて、ばか、と言い放つ私。

「どうして、そんなに悲しいことを言うのですか? どうして、そんなに寂しいことを言うのですか? もっと周りを見てください。フィーには、たくさんの人がいるでしょう?」
「で、でも私は……」
「自分に自信が持てないことは、仕方ないと思います。ですが、それを理由に、フィーを見てくれている人の善意や好意まで避けないでください。それでは、どちらも傷つくだけで、幸せになれません」
「アリーシャ……姉さま……」
「なんで? と問いかけましたね。私は、こう答えましょう。家族ですから、フィーを見ることは当たり前なのです。あなたは、私のかわいい妹。世界で一番大事な妹なのですから」
「あ……」
「でも、それだけではありません。なによりもまず最初に思うことは、家族とかそういう関係性の話ではなくて、もっともっと単純なことなのです。たった一つの、シンプルな答えなのです」
「そ、それは……?」

 恐る恐る問いかけてくるフィー。
 そんな妹を、優しく抱きしめる。

「フィーが好きだから、ですよ」
「……あっ……」

 私の想いを伝えるように、フィーを抱きしめる手に力を込める。
 でも、妹は逃げようとしない。
 むしろ、私の想いを必死で受け止めようとして、そのままじっとしていた。

「あなたが好きだから。大事に想っているから。ただ、それだけのことなんです。そんな、単純な感情の結果なんです」
「で、でも私は、望まれていない子で……」
「誰がそんなことを決めたんですか? 私は、フィーを望んでいますよ。あなたは、私のかわいい妹。フィーがいない生活なんて、もう考えられません。ずっとずっと、傍に射てくれないと困ります。これ以上ないくらいに、シルフィーナ・クラウゼンという女の子を望んでいます」
「あ……う……」

 再び、フィーの目に涙が溜まる。
 それを指先でそっと拭いつつ、私のプレゼントを差し出す。

「ハッピーバースデー、フィー。これは、私からのプレゼントですよ」
「こ、これは……」

 プレゼントの中身は……クッキーだ。
 アレックスとジークに手伝ってもらい、なんとか完成にこぎつけた。

「私が……前に、アリーシャ姉さまと一緒に作った……」
「はい、そうですね。それと……フィーの思い出のクッキーなんですよね? 家族と一緒に作ったという」
「それ、は……」
「悲しい寂しい思い出は、このクッキーで上書きします。これからは、クッキーを見ても微妙な思い出を掘り返す必要はありません。私のことを……新しい家族のことを思い返してください」
「うぅ……」

 フィーは、びくびくとしつつも、クッキーを受け取る。
 そのままじっと見つめて……
 しかし、食べる勇気がない様子で、手が止まる。

「シルフィーナ!」

 アレックスの大きな声が響いた。

「俺も、お前が必要だからな! 俺はお前の幼馴染で、友達で……俺だって、ずっと一緒にいたいと思っているんだ。だから、そんな寂しいこと言わないでくれよ!」
「……アレックス……」
「僕も、きみがいないと困るかな。アリーシャと違って、きみはきみで、とても興味深いと思うし……やや照れるけど、友達だと思っているよ。望まれていないとか、そんなことはない。たくさんの人に望まれていると思う」
「……ジークさま……」

 二人の台詞に、フィーの目に再び涙が溜まる。

「シルフィーナ」

 父さまの穏やかな声が響いた。

「きみは、大事な娘だ。時間は関係ない」
「ええ、旦那さまの通りです。私達は、望んであなたを迎え入れたのですよ」
「……お父さま……お母さま……」

 父さま母さまだけではなくて、給仕のメイドからも声が飛んできた。
 とても大事な主、尽くしたいと思う相手……などなど。

 ここにいる皆が、フィーのことを肯定していた。
 彼女の存在を望んでいた。

 そんな皆の声に、心に気づかないような妹じゃない。
 フィーは、なんだかんだで、とてもしっかりとしていて……そして、優しい子なのだ。

「フィー」
「……アリーシャ姉さま……」
「あなたは、望まれていない子などではありません。ここにいる皆は、あなたを望んでいる。そして私も……誰よりも、かわいい妹に傍にいてほしいと願っています」
「うっ、うぅ……」
「だから、これからも一緒にいてくれますか? 私の妹で、い続けてくれますか?」
「は……はいっ……はい、はい、はい……ずっと、アリーシャ姉さまの妹です!」
「よかった」

 私はにっこりと笑い、フォーの頬をそっと撫でる。

 それから、クッキーが入った袋を、改めてフィーのところへ。

「今回は、けっこう自信があるんです。食べてみてくれませんか?」
「は、はい」

 フィーは、袋を開いてクッキーを手に取る。
 少しの間、じっと見つめて……

「あむっ」

 小さな口をいっぱいに開いて、ぱくりと食べた。

「……おいしい……」
「本当に? よかった。アレックスやジークが慌てているから、もしかしたら失敗したのではないかと、少し不安だったの」
「そりゃあ、あんな調理過程を見せられたらな……」
「慌てるのも仕方がないよね……」

 二人はどこか遠い目をしていた。
 失礼な。

「本当に……うく……おいしい、です」

 フィーが再び涙を流す。
 でも、それは悲しさや寂しさから来るものではなくて、

「ありがとう、ございます……アリーシャ姉さま。私、うれしいです……!」

 喜びからくるもので、フィーは泣きながらも、とびっきりの笑顔を見せていた。