悪役令嬢の私ですが、メインヒロインの妹を溺愛します

「ジークさま!」

 私はあえて大きな声を出した。
 一つの目的は、周囲の人に気づいてもらうため。
 もう一つの目的は、襲撃者達に動揺を与えるため。

「ちっ、見られたか。なら……ぐっ!?」

 敵が複数人ということで苦戦していたジークだけど、隙を見逃すことなく、男の一人を打ち倒した。
 仲間がやられたことで、黒尽くめの男達がさらに動揺する。
 ジークはたたみかけるように前へ出て、二人目の男を倒す。

 ヒーローだけあって、さすがに強い。
 でも、安心はできない。
 こういう突発的なイベントは、大抵が主人公が不利になるものだ。

「フィー、校舎へ戻って先生達を呼んできてください!」
「は、はいっ」

 フィーの足音が遠ざかり、

「きゃっ!?」
「フィー!?」

 悲鳴が聞こえて、慌てて振り返ると、黒尽くめの男の腕の中でぐったりとするフィーの姿が。
 まだ他に仲間がいたなんて……!

「フィーを離しなさい!」
「お前も眠れ」
「あ……」

 黒尽くめの男からフィーを取り返そうとするものの、逆に拘束されてしまう。
 そのまま薬を嗅がされてしまい、私の意識は遠くなるのだった……



――――――――――



「……うぅ」

 目を覚ますと、そこは薄暗い部屋だった。
 灯りは一つだけ。
 窓はなし。
 頑丈そうな扉も一つだけで、鍵がかけられている様子。

「ここは……?」

 頭がぼんやりして、重い。
 えっと……なんで、こんなところに?
 記憶を掘り返して……

「フィー!?」

 黒尽くめの怪しい男達のことを思い出して、それから、フィーの姿を探す。
 妹は硬い床の上で寝ていた。

「フィー!? 大丈夫ですか!?」
「……すぅ」

 よかった、寝ているだけみたいだ。
 たぶん、薬の効果がまだ続いているのだろう。

 それにしても、ここはいったい?
 というか、なぜこんなことに?

「起きたんだね」
「あ……レストハイムさま」

 部屋の壁に寄りかかるようにして、端の方にジークがいた。
 黒尽くめの男達と殴り合いをしていたからか、顔が少し腫れている。

「ごめんね。僕のせいで、きみ達を巻き込んでしまったみたいだ。実は……」
「待ってください。その前に、えっと……」

 手当するための道具を探すものの、なにもない。
 前世ならともかく、公爵令嬢の今世では、薬を持ち歩くなんてしないもの。

「なにをしているの?」
「ごめんなさい。その傷を手当しようと思ったのですが、なにもなくて」
「……」

 なぜか、ジークがポカンとした顔に。
 それから、クククと楽しそうに笑う。

「まさか、こんな時にまで他人の心配をするなんて。きみは、噂通りに、女神のような性格をしているんだね」
「女神? なんですか、それは?」
「生徒達の間で噂になっているよ。優しく聡明で、妹をとても大事にしている姿は、まるで女神のようだ、ってね」

 なんでそんなことに?
 私は、悪役令嬢なのだけど……ん?
 なんで、そんな噂話をジークが知っているのだろうか。
 彼の本性を知っているため、そんなものに興味を持たないことを私は知っている。

「レストハイムさまは、なぜそのような噂を?」
「……少しだけきみに興味があって、調べてみたんだよ」

 そう言うジークは、複雑な表情をしていた。
 ツンデレが日頃辛く当たる幼馴染に恋してると気がついて、でもそれを認めたくないと、そんな顔をしている。
 なんていう例えだ。

 とりあえず、触れない方がいいだろう。
 彼の設定は知っていても、どんな反応を示すかなんてことはさすがにわからない。
 地雷のような反応に、わざわざ触れることはない。

「話を戻しますが、巻き込んでしまった、というのは?」
「きみ達は、僕を狙った連中を目撃してしまった。だから、口封じのために一緒に誘拐された……そんな感じなんだ」

 聞けば、王子達の間で派閥争いが起きているらしい。
 我こそが跡継ぎにふさわしいと、功績を立てて、王らしい振る舞いをして……
 裏では、犯罪行為を平然と繰り返して、相手を蹴落とそうとする。

 第一王子と第二王子は、そのような感じで、日々、派閥争いを繰り返しているのだとか。
 ジークは王になりたいと思っていないが、第一王子と第二王子がその言葉を簡単に信じることはない。
 なりたくないと言葉にしても、内心では別のことを考えているに違いない。
 そう決めつけて、そして……

 どちらの勢力か知らないが、ジークを排除することにした。
 ただ、さすがに命を奪うまでのことはできない。
 誘拐して、脅して、王位継承権を放棄する念書にサインさせる。

「……たぶん、連中が考えているのはこんなところだろうね?」
「まるで、見てきたかのように話すのですね?」
「見てきたからね」
「え?」
「きみが目を覚ます前に、連中と話をしたんだよ。そこで、念書を書くように脅された」
「そ、それで、どうしたんですか……?」
「まだなにも。考える時間が必要だろう、って言われて、今は放置されているよ」
「そうですか……よかったです」
「なんで、きみが安心するんだい?」

 ジークが不思議そうに言うのだけど、なぜ、それくらいわからないのだろう?

「レストハイムさまが望んでいないことだとしても、それは今だけのことかもしれません。この先、気持ちが変わることもあるでしょう? なら、選択肢は手元に残しておくべきです。だから、まだ放棄されていないことを安心したのです」
「いや、だから……なぜ、無関係のきみが僕の心配をするんだい?」
「無関係だと心配できないのですか? 無関係だろうと関係があろうと、目の前で大変なことになろうとしている人がいたら、心配してしまうものでしょう?」
「……」

 当たり前のことを言うのだけど、でも、それはジークにとって衝撃的なことだったらしく、目を丸くするのだった。
「どうしたのですか、困惑したような顔をして?」
「……」

 そう言うジークは、いつもの微笑みの仮面を脱ぎ捨てていた。
 代わりに、とても厳しい顔をする。
 悪人を断罪するかのような……
 汚いものを見るかのような、凍りついた視線を向けてくる。

「もういいよ」
「え? なんのことですか?」
「だから、そうやって善人のフリをするのは、もういいよ」

 え?
 善人のフリ?
 なんのことだろうと、思わず首を傾げてしまう。

 そんな私の仕草が気に入らないらしく、ジークが舌打ちをする。

「まだ、そうやってなんともないフリをして……」
「ですから、意味がわかりません。どういうことなのですか?」
「本音を出せばいいだろう!!!」

 ジークが怒声を響かせた。
 公爵令嬢ということもあり、ここまで強い怒りを真正面からぶつけられたことなんてない。
 思わず、ビクリと震えてしまう。

「僕のせいで、きみ達は巻き込まれたんだ! 妹もきみも、危険な目に遭った! 一歩間違えていたら怪我をしていただけじゃなくて、死んでいたかもしれない。それ以上に、ひどい目に遭っていたかもしれない! 全部、僕のせいだ!!!」
「……ジークさま……」
「それなのに、なんで、きみは僕を責めない!? 僕が王子だからか!? だから、怒りを我慢しているのか!? 遠慮なんてしないでいいさ。全部解き放ってしまえばいいさ。怒る権利が、きみにはあるのだから!!!」

 ジークは怒っていた。
 でも……泣いているようにも見えた。

 ゲームの彼の設定は、人間不信だ。
 汚い人達と接し続けてきたせいで、誰も信じられなくなっていた。

 でも、こうしてリアルで接することで、わかったような気がする。
 ゲームの設定だけが全てじゃないのだ。

 ジークは人間不信であると同時に……
 大きな責任と罪の意識を感じ続けていたのだろう。

 ジークに近づく人、全てが打算で動いていたわけではないはず。
 中には、真の友達になりたいと思って声をかけた人もいるだろう。
 しかし、周囲の汚い大人達によって引き離されて……あるいは、傷つけられたのだろう。

 それを見たジークは、どう思っただろうか?
 どれだけ自分を責めただろうか?
 自分がいなければ……そう思わずにはいられなかっただろう。

「怒れよ! なじれよ! 僕のせいだって、断罪しろよ! そんな平然とした顔をしていないで、あの連中と同じように、本性を見せろよ!!!」

 それは魂の叫びだったと思う。
 汚い世界を見せつけられて、奪われて……しかし、なにもすることができず、一人になることしかできない。
 誰も巻き込まないように。

 それは、彼の優しさだ。
 人間不信だとかなんだ言っても、ジーク・レストハイムはとても優しい人なのだ。

「ジークさま」
「なっ……」

 気がつけば、私は彼を抱きしめていた。
 ジークの体は……小さく震えていた。

「私は、別になんとも思っていませんよ。このことをジークさまのせいだと怒るつもりはありませんし、責めるつもりもありません」
「そんなこと信じられるわけがないだろう! 僕の、僕のせいでこんなことになっているんだ! 心を隠さないで、本当のことを言えばいいだろう!」
「ですから、これが私の本心です」

 ジークが私達を故意に巻き込んだ、というのならば怒る。
 でも、そんなことはないのは、彼を見れば一目瞭然だ。
 こんなにも震えて、怯えている。

「ジークさまのせいだなんて、思っていません。悪いのは、このような事件を画策した者達です。あなたのせいだなんていうことは、決してありません」
「言葉でなら、いくらでも……」
「これが私の本心です!」

 ジークの言葉を遮り、強く言う。
 彼は驚いたような顔をして、こちらを見た。

「私は、勘違いしていました」
「勘違い……?」
「ジークさまは、人間不信で話ができない人なのだと。でも、そうではなかったのですね。人間不信ではなくて……とても優しい方です」
「え……?」
「汚い人を見てきたから、人間不信になっている。一部は、そうだと思います。でも、それが全てではなくて……自分と関われば事件に巻き込まれるかもしれない。大人の汚い政治に利用されるかもしれない。それを危惧して、人間不信のフリをして……いえ、自分自身すらも騙してそう思い込み、誰も近づけないようにした。表面上は仲良くしても、心に踏み入らせることはなかった。そうですね?」
「……知ったような口を」

 否定はしない。
 つまり、そういうことなのだろう。

「だから、どうした。僕は、僕は……」
「ありがとうございます」
「……なんで、礼を言うんだよ?」
「気にしていただけて、素直にうれしいので」

 私はにっこりと笑う。
 そうすることで、少しでもジークを落ち着かせてあげたかった。

「気にしないでください。責任を感じないでください。自分を責めないでください」
「……」
「バカな大人達がしでかしたことについて、ジークさまが責任を感じる必要なんて、欠片もないのですから」
「……」
「だから、今だけは、気を張らないで大丈夫です。私は、あなたの味方です。信じてください」
「……」

 ジークはなにも応えない。
 でも、私を振り払おうとせず、抱きしめられたままだ。

「……一つ、聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
「きみは、どうしてそんなにも強い?」
「強い……でしょうか?」
「強いさ。僕は……人間不信で、誰も信じられなくて、信じることができてなくて、ただ遠ざけることしかできなかった。それなのにきみは、こんな僕を諭してくれている。これ以上ないくらいに強いよ」
「過大評価だと思いますが……ありがとうございます。もしも、私が強く見えるのなら、それは……フィーの、妹のおかげですね」
「妹の……?」

 ジークが軽く動いて、寝たままのフィーに視線をやる。

「彼女が……きみの力になっているのかい?」
「はい、そうですね。最近、できたばかりの妹ですが、とてもかわいくて愛しくて、なんでもしてあげたいんです。そんな妹の前で……そして、私は姉なので、いつもがんばろうと思っています。そんなところが、ジークさまに評価されたのかもしれません」
「そうか……きみには、そういう人がいるんだね。正直、うらやましいよ」
「あら。ジークさまは諦めたように言いますが、それは早計では?」
「え?」
「今はいないとしても、いつか、親友ができるかもしれません。それこそ、明日にでも。全てを話すことができて、心の底から全部を託せるような、そんな友達ができるかもしれません。未来は無限ですよ?」
「でも、僕は……」
「んー……なら、親友ができるまでは、私がそのポジションにいます」
「え?」
「私で務まるのかどうか、それはとても分不相応で、足りないと思いますが……ジークさまの友達でありたいと思います」
「……」
「私を、ジークさまの友達にしていただけますか?」

 問いかけるものの、返事はない。
 ただ……
 その代わりというように、ジークは私の手を握る。
 強く、強く……ぎゅうっと握った。

「って……すみません。私、何度もレストハイムさまのことを名前で呼んでしまって」

 今更ながら、自分がやらかしていたことに気がついて、顔が青くなる。
 王子を名前で呼ぶなんて、不敬もいいところだ。

「……構わないよ」
「ですが……」
「構わないよ。だって……僕達は友達なのだろう?」
「あ……はいっ!」

 私は、にっこりと笑い……
 そしてまた、ジークも優しく笑うのだった。
 それはいつもの仮面ではなくて、心からの笑みに見えた。
「うぅ……アリーシャ姉さま……」
「フィー! フィー! しっかりして、フィー!!!」

 カタカタと震えるフィーをしっかりと抱きしめる。
 そして、何度も何度も彼女を大きな声で呼んだ。

「おい! お前達、なにを騒いでいる!?」

 ほどなくして見張りがやってきた。
 苛立った様子で、腰に下げた剣をいつでも抜けるようにしつつ、部屋に入る。

「さっきからうるさいぞ。口を塞がれたくないのなら、黙っていることだな」
「フィーの様子がおかしいんです! お願いします、どうか、お医者さまを!」
「なんだと? ちっ、せっかくの人質になにかあれば……いや、待て。王子はどこへ行った?」
「ここだよ」

 声は上からした。

「なっ!?」

 両手足を器用に使い、天井の隅に張りついていたジークは、直上から奇襲をしかける。
 これにはさすがに対応できず、男は倒されてしまうのだった。

「レストハイムさま、す、すごいです……!」
「フィー!? よかった、元気になったのね!」
「え? あ、あの……アリーシャ姉さま?」
「なんですか?」
「あれは、見張りの注意を引くために病気のフリをしていただけで、本当に体調不良だったというわけでは……」
「……あっ、そうでしたね。フィーの演技がとても上手なので、ついつい本気になってしまいました」
「よ、喜んでいいのかな……?」
「くくくっ」

 私とフィーのやりとりを見て、ジークが楽しそうに笑っていた。

「あんなにも打ち合わせをしていたというのに、そのことをすぐに忘れるなんて……きみは、シスコンなんだね」
「シスコン上等です! そもそも、こんなにもかわいい妹がいれば、シスコンになってしまうのは当たり前のことだと思いますが?」

 フィーを抱きしめつつ、そんなことを言う。

「あう……かわいいとか、は、恥ずかしいです」
「事実だから、恥じらう必要なんてないのですよ」

 スリスリと頬ずりをする。
 フィーのほっぺはすべすべだ。
 いつまでもこうしていたい。

「あははっ」

 耐えられないという様子で、ジーク大笑いした。

「本当に、きみっていう人は……」
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないよ」

 軽く首を横に振り、会話を打ち切る。
 それから厳しい顔に。

「きみ達のことは、僕が絶対に守るよ。事件に巻き込んでしまった責任をとらないといけないし……それに、友達だからね」
「はい」
「あ、ありがとうございますっ」
「……」

 フィーがお礼を言い、そんな妹をジークが見つめる。

 なんだろう?
 今頃になって、私の妹のかわいさに気づいたのだろうか?
 フィーはあげないぞ。
 私とずっと一緒に……ああ、でも、メインヒロインだからそれは難しいのか。

「きみの名前も聞いてもいいかな?」
「は、はいっ。シルフィーナ・クラウゼンです」
「そっか……うん、よろしくね。シルフィーナ」
「は、はひっ」
「……むう」

 二人が仲良くするところを見て、バッドエンドが近づいているとか、そういう危機感を抱くことは一切なくて……
 私は、かわいい妹の心を掴もうとするジークに嫉妬したりするのだった。



――――――――――



 その後、ジークが次々と見張りを倒して、私達は脱出することができた。
 監禁されていた場所は、街外れにある小さな小屋の地下。
 こういう時のために、第一王子派、あるいは第二王子派が改造していたらしい。

 そして、私とフィーは、ジークと一緒に城へ。
 ここなら安全だと、ひとまず保護を受けることに。

 その間に、ジークによる告発が行われた。
 犯人は、第二王子派の過激な思想を持つ者。
 独断専行と自白しているが、それは怪しい。

 乙女ゲームにおける第一王子と第二王子は、攻略対象のヒーローではない。
 私と同じ、主人公とヒーローの幸せを邪魔する悪役なのだ。
 腹黒い彼らのことだ。
 すでに根回しをしていて、自分達が関わっていたという証拠を隠滅しているように思えた。

 とはいえ、今はどうすることもできない。
 ジークも、事件が公になった今、またすぐに動くことはないだろうと、安全を約束してくれた。

 そうして、私とフィーは、ようやく家に帰ることができたのだった。



――――――――――



「んー……」

 私はベッドに座り、手紙を眺めていた。
 差出人はジーク。
 城を出る前に、こっそりと渡されたものだ。

 いったい、なにが書かれているのだろうか?
 お前を断罪する! とか?

 たぶん、仲良くなることができたと思うから、それはないと思うのだけど……
 でも、油断はできない。
 緊張しつつ、手紙を開封する。

 手紙にはたった一言、こう書かれていた。

『ありがとう』

 私は目を丸くして、

「どういう意味なんでしょう?」

 ジークの考えていることがわからず、コテンと首を傾げるのだった。
「シルフィーナ、アリーシャ。おっす」

 朝。
 学舎に到着すると、アレックスと出会う。
 彼は太陽のように明るい笑顔を浮かべていて、それを私に対しても向けてくれている。

「おはよう、アレックス」
「おはようございます」

 フィーと一緒に挨拶を返しつつ、この様子なら告発イベントはまだ発生しないかな? と一安心する。

「なあ、アリーシャ」
「はい、なんですか?」
「あー……その、なんだ。またお菓子を作る予定はないのか?」
「え? どうしてですか?」
「いや、大した意味はないんだが。まあ、味見役くらいはしてやろうかな、って思ったんだよ」
「アレックス、もしかして、アリーシャ姉さまの作ったお菓子を食べたいの?」
「そ、そんなわけないだろっ。また気まぐれに作ってこられて、まずいものを食べさせられたらたまらないから、今のうちに練習をしとけ、っていう話だよ」
「まあ、失礼ですね。でも……そうですね。お菓子作りは楽しかったですし、また作ってみようかしら?」
「アリーシャ姉さま、その時は、私、お手伝いしますね!」
「はい、お願いしますね」

 すぐに手伝いを申し出てくれるフィー、マジ天使。

「じゃ、俺は毒見役だな」
「毒味という言い方、やめてください。まるで、失敗することが前提みたいではありませんか」
「なら、せいぜいがんばって、俺の期待を良い方向で裏切ってくれよ」

 アレックスがニヤリと笑う。

 最近は、こんな風に、軽口を叩いてくれるようになった。
 友達……と言えるか微妙なところではあるものの、そこそこ良好な関係を築けていると思う。
 好かれている自信はないが、嫌われていることもないだろう。

「おはよう、アリーシャ、シルフィーナ」

 アレックスと軽口を叩いていると、どこからともなくジークが現れた。
 いつも通りというか、微笑みの仮面を身に着けている。

 ただ……気の所為だろうか?
 今のジークは、素の表情を見せているような気がした。
 つまり、心の底から笑っている。

 フィーがいるからだろうか?
 メインヒロインの魅力に、早くもやられてしまったのだろうか?
 ダメ。
 フィーはまだ、私の妹。
 付き合うなんてこと、認めませんからね!

「それにしても、ジークさまと朝に会うなんて奇遇ですね」
「……ジーク?」

 なにが引っかかったのか、アレックスが眉をひそめた。

「偶然じゃないよ。僕は、二人を……正確に言うと、アリーシャを待っていたんだ」
「私ですか? どうして、また?」
「大したことじゃないんだけどね。途中まで、一緒できないかな、と思って」
「ですが、教室まで五分とかかりませんけど」
「それでもいいんだよ」
「はあ……」

 ジークはなにを考えているのだろうか?
 人間不信のせいで、ぼっち気味だったから……
 私という友達ができて、うれしいのかもしれない。

 それなら、友達として一緒にいてあげるべきだろう。
 友達は友達を放っておかないものだ、うん。

「なあ、ちょっといいか?」
「うん?」

 不機嫌そうな顔をして、アレックスが会話に割り込んできた。

「あんた、王子さまだよな? 第三王子のジーク・レストハイム」
「そうだけど……きみは誰かな? 知り合いでもないのに、いきなり名前を呼び捨てにするなんて失礼じゃないと思わない?」
「俺は、アレックス・ランベルトだ。シルフィーナの幼馴染で、アリーシャの友達だよ」
「へぇ、友達……」
「ああ、そうさ。友達だぜ」

 なぜか、二人は共に不敵な笑みを浮かべた。
 バチバチと睨み合い、火花を散らす。

 この二人、なんで争っているのだろう?
 フィーの前だから、良いところを見せたいのだろうか?
 自分の方が、男としての格は上なんだぜ、みたいな。

「奇遇だね。僕もアリーシャとは友達なんだ」
「なんだと?」
「そうだよね? アリーシャ」
「え? はい、もちろんです」
「ぐっ……俺も友達だよな!?」
「はい、そうですね」
「むっ」

 再び、二人の間で火花が散る。

 だから、さきほどからなにを争っているのだろうか?
 フィーの前だから、良いところを見せたいのだろうか?
 わかる。
 私の妹はメインヒロインというだけじゃなくて、天使のようにかわいいから。
 男としてアピールしたくなることは当たり前だろう。

 でも、いくらフィーがメインヒロインとはいえ、嫁に出すなんてダメだ。
 私の妹として、ずっと一緒に……

 って、それはそれでまずいのだろうか?
 ある意味で、メインヒロインとヒーローの恋路を邪魔していることになる。
 そうなると、バッドエンドに繋がってしまうかもしれない。

 うーん。
 私としては、ずっとずっとフィーと一緒にいたいので、その辺りがどうなるのか、機会があれば確認した方がいい。

「って、こんなことしてる場合じゃないんだよ」

 ふと、アレックスが我に返った様子でこちらを見る。
 そして、小声で言う。

「……後で、少し時間をくれないか?」
「……構いませんが、なにか話でも?」
「……けっこう大事な話なんだ。頼む」
「……わかりました。では、休み時間に中庭で」

 そんな約束をして、私はフィーと一緒に校舎内に移動した。



――――――――――



 そして、休み時間。
 約束した中庭へ行くと、すでにアレックスの姿が。

「おまたせしました」
「悪いな、呼び出したりして」
「それで、大事な話というのは?」
「それなんだけど……」

 アレックスが気まずそうな顔になる。
 そんなにも話しにくいことなのだろうか?

 もしかして……フィーと付き合っています、とか!?
 あるいは、フィーをお嫁さんにください、とか!?

 そんな!
 フィーがアレックスルートに突入したら、私は、どこで妹とイチャイチャすればいいの!?
 バッドエンドになることの心配よりも、そっちの方が重要だ。

「フィーは渡しませんよ!」
「シルフィーナ? なに言ってるんだ?」

 あれ? 違う?

「いや、まあ、シルフィーナに関係することだが……すまん! 金を貸してくれないか!?」
「お金……ですか?」

 予想外のお願いをされて、ついついぽかんとしてしまう。

 アレックスは教会の子。
 確かに、お金はないかもしれないが……
 だからといって、幼馴染の姉にお金の無心をするなんてことは似合わない。

 そうしなければならない、よほどの理由があるのだろうか?

「いくらぐらいですか?」
「なんとも言えないが、そんなに高い金額にはならないと思う」

 アレックスが提示した金額は、言葉通り、高い金額ではなかった。
 家を買えるほどの金額を勝手に動かすようなことをしたら、さすがに怒られてしまうが、それくらいならば問題はない。

 ただ、なにに使うのか?
 それをはっきりさせないことには、お金を貸すようなことはしない。
 友達だからこそ、お金のやりとりはしっかりしないといけないのだ。
 決して、悪役令嬢だから意地悪をしているのではない。

「それくらいなら、私の裁量でどうにでもなりますが、目的を教えてくれませんか?」
「あー……なんていうか、その」

 なぜかアレックスの顔が赤くなる。
 照れているみたいだけど、どうして?

「……なんだよ」
「すみません、よく聞こえませんでした」
「だから……誕生日、なんだよ」
「誕生日?」
「もうすぐ、シルフィーナの誕生日なんだ! だから、プレゼントを買ってやりたいんだよ!」
「っ!!!?!?!?!?」

 アレックスの言葉に、私は強い衝撃を受けました。
 ともすれば気絶していたのではないかと思うほどの、強烈な精神的ショック。

 そんな、まさか、こんなことが……

 私は、がしっ、とアレックスの両肩を掴みつつ、間近で問い詰めます。

「フィーの誕生日が近いのですか!?」
「お、おいっ、アリーシャは別の意味で近い!?」
「いいから答えてください! もうすぐフィーの誕生日なのですか!?」
「そうだよ、三日後だ」
「そ、そんな……」

 まさか、三日後にフィーの誕生日があるなんて。
 国の建国記念日に匹敵……いや、それ以上に重大なことを見逃していたなんて。

 ショックのあまり、全身から力が抜けて、がくりと両手と膝を地面についてしまう。

「うぅ……私は、フィーの姉失格です……」
「まさか……アリーシャは、フィーの誕生日を知らなかったのか? 姉なのに?」
「うぐっ」

 アレックスの言葉が矢のように私の心に突き刺さります。

 たぶん、彼は悪意はないのでしょうが……
 それだけに事実が強調されて、余計に辛いです。

「私は……姉、失格です。大事な妹の誕生日を知らないなんて、そんな愚かなことを……ごめんなさい、フィー。姉は、どうしようもなく愚かな存在でした……やはり、私は悪役令嬢なのですね」
「お、おい。そんなに気にするなよ、落ち込みすぎだろ」
「ですが私は、大事な妹の誕生日を知りませんでした……大事なのに、それなのに……やはり、姉失格です……」
「最近、姉妹になったばかりなんだろ? なら、知らなくても無理はないさ。俺だって、シルフィーナと知り合ってから、三年後くらいに知ったくらいだからな」
「……アレックス……」
「っていうか、アリーシャが姉失格なんてことないだろ。絶対にねえよ。悔しいが……アリーシャは、誰よりもシルフィーナのことをわかっているように見えるし、これ以上ないくらいに立派に姉をしているよ」

 もしかして、私を励ましてくれている?
 まさか、悪役令嬢の私がヒーローに助けられる日が来るなんて。

 その事実がおかしくて、少し元気が戻ってきた。
 立ち上がり、頭を下げる。

「ありがとうございます。アレックスのおかげで、落ち着くことができました」
「あ、ああ。それは……うん、よかったな」

 なぜか、アレックスの顔が赤くなる。

 ひねくれている彼のことだ。
 先ほどは、フィーにプレゼントを買うということを恥ずかしく思い、照れていたのだろう。
 でも、今度は、なぜ照れているのだろうか?
 そんな要素はないはずなのだけど……うーん?

 まあいいか。
 それよりも今は、フィーの誕生日のことを考えなければいけない。

「アリーシャが知らないっていうことは、両親も知らないのか?」
「その可能性は高いですね。父さまも母さまも、フィーを大事にしていますが、共に忙しい方。引き取ったばかりということもあり、失念しているのでしょう」
「ったく、これだから貴族は」
「安心してください。私が知った以上、このままにしておくつもりはありません。さっそく、パーティーの準備をしましょう」
「パーティー?」
「パーティーの来賓の選別に、案内状の作成。一流のシェフを集めて、料理も考えてもらわないと。それから、イベントも開催したいですね。舞台に立つ歌姫などのスケジュールは、今から押さえることは……」
「待て待て待て」

 フィーの誕生日パーティーについてあれこれと考えていると、アレックスが急にストップを出してきた。
 どうしたのだろう?

「いきなり、そんな大規模なパーティーを開こうとするな」
「なにを言っているのですか? フィーは、公爵令嬢なのですよ? これくらいのことをして当たり前なのですよ」
「そうかもしれないが……今回はやめておいた方がいい。シルフィーナも、まだ貴族っていう環境に慣れたわけじゃないだろ? それなのに大規模なパーティーなんて開催されたら、ショックでどうにかなるかもしれないぞ」
「それは……」
「大規模なパーティーは、来年、開催すればいい。今年は、身内だけのパーティーにした方が無難だ。その方が、シルフィーナも喜ぶ」
「むう」
「どうしたんだよ、むくれて」
「だって、私よりもアレックスの方がフィーについて詳しいみたいで、悔しいです。私は、フィーの姉なのに」
「なら、これから詳しくなればいいだろ。それこそ姉なんだから、色々と機会はあるはずだ」
「……アレックスは、優しいですね。ありがとうございます」

 私がにっこりと笑うと、

「や、優しくなんてねえよ。これくらい……まあ、普通だ。気にするな」

 やや早口に、アレックスはそう言うのだった。
 照れているのだろうか?

 いや、そんなことはないか。
 フィーならともかく、悪役令嬢の私に照れる理由がない。

「わかりました。フィーの負担になってしまっては意味がないので、今年は身内だけのパーティーにしましょう」
「ああ、そうした方がいい」
「私と父さまと母さまとアレックス。あと……ジークさまも、呼べば来てくださるかしら? フィーの交友関係はよくわからないから、今度、さりげなく聞き出すとして……
「……なあ」
「はい?」
「俺も参加者に入っているのか?」
「もちろんですよ」
「だが……俺は、平民だぞ? 孤児だから、ある意味で平民以下だな。そんなヤツを招いたりしたら、クラウゼン家の名前に傷がつくんじゃあ……」
「そのようなことで傷つくくらいならば、いくらでも傷つきましょう」
「っ」
「フィーの大事な幼馴染を招くことができない誕生日パーティーなんて、意味がありません。私は、どのようなことをしても、アレックスを招待しますよ」
「……ったく、かなわないな。そうだったな。アリーシャはそういうヤツだ」
「どういう方ですか?」
「秘密だ」

 いたずらっぽく笑いつつ、アレックスはそう言うのだった。
 よくわからないけれど、バカにされているとかそういう雰囲気はないので、特に追求しないでおいた。

「アレックスも、パーティーの準備を手伝ってくれませんか?」
「ああ、もちろんだ。あと、最初の金の件だが……」
「はい。もちろん、貸しますよ。あ、そうだ。今日の放課後、フィーのプレゼントを一緒に買いに行きませんか? 幼馴染であるアレックスの意見を参考にしたいので」
「わかった。なら俺は、姉であるアリーシャの意見を参考にさせてもらうよ」
「約束ですね」

 こうして私は、放課後、アレックスと一緒に買い物をする約束をしたのだった。
「……なんで、こんなことになっているんだ?」

 放課後。
 一緒に街を歩いていると、アレックスが不機嫌そうに言う。

「なんのことですか?」
「買い物に付き合う約束はしたが……でも、コイツがいるなんて聞いてないぞ?」

 アレックスが睨みつける先に、ジークの姿が。
 彼は睨みつけられているのだけど、気にすることなく、涼しい顔をしていた。

「シルフィーナは僕の友達でもあるからね。誕生日とあれば、もちろん、祝うよ」

 さも当然のように、ジークは言う。

 うんうん、わかっているね。
 かわいいフィーのプレゼントを選ぶというのだから、直接、自分の目で確認することは当たり前のことだ。
 だから、一緒に買い物へ出るのは当然のこと。

 ……なのだけど、アレックスは不満そうだ。
 ジークは王族なので、そのことに不満を抱いているのだろうか?

「では、行きましょう」

 二人の仲は悪そうだけど、心配はしていない。
 彼らヒーローは、最終的に、どのルートでも悪役令嬢を断罪するために一致団結して、かけがえのない友達になる。
 今は衝突していたとしても、やがて仲良くなるだろう。
 だから心配不要。

 それよりも今は、フィーのプレゼントを選ぶことの方が大事だ。
 かわいいかわいい妹が心から喜んでくれるような、そんなプレゼントを選ばなければ。

 歩くこと少し、商店が並ぶ通りに到着した。
 金細工からぬいぐるみまで、色々な店がある。
 放課後とはいえ、これだけたくさんの店を全て見ることはできない。
 かといって、どの店に良いプレゼントがあるかわからない。

「なあ、アリーシャ。そこのぬいぐるみ店に入ってみようぜ」
「アリーシャ。そこのアクセサリーショップに入らない?」

 アレックスとジークの意見がバラバラに。

「おいおい、あんたの目は節穴か? ぬいぐるみの方がいいだろうが」
「きみの目こそ節穴かな? 女の子は、アクセサリーの方が喜ぶよ。ぬいぐるみが悪いとは言わないけど、子供の趣味じゃないかな」
「あんだと?」
「なにか?」

 にらみ合う二人。
 このヒーロー達、本当に後々で和解するのだろうか?
 協力するのだろうか?
 今の二人を見ていると、少し不安になる。

 でもやっぱり、今はフィーのプレゼントを優先しないと!

「とりあえず、二つ共、見て回りましょう」
「まあ……」
「アリーシャがそう言うのなら」

 二人共、納得してくれたようなので、まずはぬいぐるみ店へ。

 広い店内に、猫、犬、亀、鳥……などなど、様々なぬいぐるみが陳列されていた。
 大中小のサイズに分かれていて、それぞれ値段も異なる。
 二体セットで一つという、珍しいぬいぐるみもあった。

「色々な種類がありますね。こんなお店なら、フィーが喜んでくれるようなぬいぐるみもあると思います」
「だろ?」
「くっ……」

 アレックスが得意そうな顔になり、ジークが悔しそうな顔に。
 本当にこの二人、対照的だ。

「少し見て回りましょうか」

 店内を歩いて商品を見る。
 フィーにプレゼントするとしたら、どのぬいぐるみがいいだろう?
 子供っぽいかもしれないけど、でも、時折幼い仕草を見せるなど、反則級のかわいさを見せている。
 そんなフィーなら、ぬいぐるみも喜んでくれるかもしれない。

「なあ、アリーシャ。俺達で、最高のプレゼントを探そうぜ」
「そうですね」
「ぐっ」
「でも……せっかくだから、アクセサリーショップも見ておきたいですね。せっかく、ジークさまが選んでくれたのだから」
「ぐっ」
「ふふん」

 悔しそうな顔になるアレックス。
 得意げに笑うジーク。
 そんな二人と一緒に、一度ぬいぐるみ店を後にして、それからアクセサリーショップへ。

 こちらは、ぬいぐるみ店に比べると少し狭い。
 でも、取り扱っている商品がアクセサリーなのでスペースをとらないため、特に問題はないようだ。
 ブレスレット、ネックレス、指輪、イヤリング……たくさんの商品が陳列されている。

「色々あって迷いますね……ジークさまは、どれがいいと思いますか?」
「そうだね。僕なら、このネックレスがいいんじゃないかと思うよ。シルフィーナによく似合うと思わない?」
「あぁ、なるほど。確かに。フィーによく似合いそうですね。ありがとうございます、ジークさま。とても参考になりました」
「ううん、どういたしまして。アリーシャの役に立てたのなら、よかったよ」
「ぐぐぐ」

 ジークがニヤリと笑い、それを見てアレックスが歯がゆそうな顔になる。
 さきほどと立場が逆転しているのだけど……
 それにしてもこの二人。
 さきほどから、なぜ対立しているのだろうか?

 フィーのプレゼントを選ぶのは自分だ、と張り合っているのだろうか?
 さすが、フィー。
 メインヒロインだけあって、争わせてしまうほどに、ヒーロー達の心を虜にしているのだろう。

 姉として鼻が高い。
 でもやっぱり、お嫁には出したくないから、その対策も今度考えておかないと。
 フィーは、私と一緒に、ずっと仲良くイチャイチャして過ごすのだから。

「でも……うーん、迷いますね」

 ぬいぐるみか、アクセサリーか。
 どちらもとても良いものだけに、なかなか決断ができない。

 いっそのこと、二つともプレゼントしてしまおうか?
 それくらいのお金はあるのだけど……
 いや、でもそうしたら、フィーは遠慮して困ってしまうような気がする。
 あの子、妙なところで一歩引いているというか、わがままを言ってくれないのだ。
 妹なのだから、多少のわがままは、むしろ歓迎するのだけど。

「ふむ?」

 考えてみると、おかしなことに気がついた。

 フィーはわがままを言わない。
 それどころか、自己主張をすることすらない。

 例えば、夕飯はなにが食べたい? と聞いても、自分の主張を口にしない。
 私の好きなものとか、なんでも大丈夫ですとか……決して自分の望みを答えない。
 夕飯のリクエストに限らず、他の場面でも、同じく自己主張をしていない。

 遠慮している?
 そういう性格だから?

 でも、それだけではないような気がした。
 そんな言葉で片付けてはいけないような、なにか、が隠されているような気がして、落ち着かなくなる。

「なあ、アリーシャ。もう一度、ぬいぐるみ店に行ってみないか?」
「ぬいぐるみよりも、アクサセリーの方がいいよ。ここで決めてしまおう」
「……ごめんなさい、二人共。私、急用を思い出したので、ここで帰りますね」
「「えっ」」

 フィーのことが気になって気になって仕方なくなった私は、急いで家に帰ることにした。
 家に帰ると、メイドが出迎えてくれる。

「おかえりなさいませ、お嬢さま」
「ただいま戻りました。フィーは、どこにいますか?」
「申しわけありません。私は把握しておらず……ひとまず、部屋に行ってみてはいかがでしょうか?」
「そうですね、そうします」

 フィーの部屋の前に移動して、扉をノックする。

「フィー、私です。いますか?」

 返事は……ない。

 家にいないのだろうか?
 それとも、寝ているとか?

「……私は姉なので、妹の部屋に入るのは普通のことですよね」

 よくわからない言い訳を口にしつつ、扉を押してみる。
 鍵はかかっておらず、簡単に開いた。

「フィー?」

 フィーはいない。
 寝ているわけではなくて、まだ帰ってきていないみたいだ。
 フィーの寝顔を見ることができず、少し残念。

「あら?」

 机の上にとあるものを見つけた。
 日記だ。
 長い間使っているらしく、けっこうくたびれていた。

「……フィーの日記……」

 なにが書いてあるのだろう?
 私のことばかり書いている、とか。
 姉さま大好き、とか。

「……ふへ」

 おっと、いけないいけない。
 公爵令嬢にあるましき笑みをこぼしてしまった。

「とはいえ、気になりますね」

 私が引っかかっている、なにか、を知ることができるかもしれません。
 もちろん、妹とはいえ、日記を勝手に盗み見ることはいけないことなのですが……
 もしかしたら、フィーの考えていることがわかるかもしれない。
 そう思うと、迷ってしまいます。

「……ごめんなさい、フィー」

 申しわけないと思いつつも、私は日記を手に取り、静かにページを開いた。



――――――――――



 もうすぐ私の誕生日。
 そのことを考えると、とても憂鬱になる。

 誕生日は、その人が生まれたことを祝う日。
 でも、私の生まれを祝ってくれる人なんていない。
 両親も友達も誰も祝ってくれない。
 私が生まれたことを喜んでいる人なんて誰もいない。

 ……誰もいない。

 誕生日が来る度に、私は悩まされる。
 どうして、私は生まれてきたのだろう?
 両親に必要とされていない私が、誰にも必要とされていない私が……
 なんのために、今、生きているのだろう?

 生きる意味がわからない。

 幸いというか、今の生活はとても良い。
 アリーシャ姉さまはとても優しい。
 公爵夫妻も良くしてくれている。
 アレックスも仲良くしてくれているし、最近では、ジークさまとも話をするようになった。
 以前に比べて、賑やかな時間を過ごすことができている。

 でも……それがどうしたというのか?
 いくら楽しい時間を過ごしていたとしても、私は、その幸せを甘受していいような人間じゃない。

 なにもない、空っぽの存在なのだ。
 自分が生まれてきた意味がわからなくて、いつもずっと迷子になっていて……
 みんなが、アリーシャ姉さまが優しくしてくれるのに、なにかあるのではないか? と疑ってしまうような、どうしようもない存在だ。

 でも、仕方ないじゃないか。
 私は、本当になにも持っていないのだから。
 心も魂も、なにもかも空っぽなのだから。
 両親に愛されることなく生まれてきたのだから。

 なんで……私は、なにもないのだろう?



――――――――――



 日記はそこで終わっていた。

「……フィー……」

 こみ上げてくるものが押さえられなくて、私はぽろぽろと涙をこぼしてしまう。
 片手で目元を押さえるものの、それでも止まらない。

「私は……姉、失格です……」

 今の今まで、こんなにもフィーが苦しんでいることに気づくことができなかったなんて。
 こんなにも悩んでいるというのに、なにもしてあげられなかったなんて。

 自分で自分を殴りたい気分だ。
 情けなくて、悔しくて、悲しくて……
 そして、ただただ、やりきれなくて。

「ごめんなさい……ごめんなさい、フィー……」

 涙が止まらない。
 悲しみがあふれる。

 でも……そんなことをしている場合ではない。
 しっかりしろ、私!

「……よし」

 リカバリー、完了。
 後悔することは必要かもしれないけど、立ち止まることは求められていない。
 私はフィーの姉なのだから、やるべきことをやらないと。

「こんな悲しくて寂しい日記、もう二度と書かせませんからね」

 私だけじゃなくて、フィーのバッドエンドも回避してみせる。
 私は強い決意を胸に、部屋の外に出た。

 それと……
 勝手に日記を見てごめんなさいと、心の中で謝っておいた。
 フィーの心を癒やすためには、どうすればいいか?
 望まれた存在であることを知ってもらうためには、どうすればいいか?

 やはり、鍵は誕生日だろう。
 おもいきり、心の底から祝福して……
 そうすることで、フィーに自身の在り方というものを、しっかりと捉えてほしい。

 ただ、普通の誕生日パーティーを開いても、あまり意味はないだろう。
 あの日記を見る限り、かなり重傷だ。
 誕生日パーティーを開いても、義理だから、なんて思われかねない。

 私達が本気であることを知ってもらわないといけない。
 伝えないといけない。

「やはり、サプライズでしょうか? その方が驚きも喜びも増すでしょうし……ですが、隠し通すことはなかなかに困難ですね。隠そうとして、よそよそしくして、それでフィーを傷つけてしまっては本末転倒ですし」

 私は一人、部屋でフィーの誕生日パーティーについて考えていた。
 シンプルなものから凝ったものまで、十数パターンを考える。

 しかし、なかなか「これだ!」というアイディアが思い浮かばない。
 どうすれば、フィーの心を揺さぶることができるのだろうか?

「こんな時、自分が悪役令嬢なのが悔しいですね……ヒーローならば、きっと、完璧に解決してしまうはずなのに」

 この時だけ……
 私を悪役令嬢に転生させた神さまを少しだけ恨んだ。

「プレゼントの内容にこだわるべき? でも、どのようなものにしたら……」
「お嬢さま」

 コンコンと扉がノックされて、メイドの声が聞こえてきた。

「どうぞ」
「失礼いたします。お客さまがお見えになっております」
「客?」
「アレックスさまとジークさまです」

 あ、と思った。
 そういえば、途中で二人を放り出していた。
 気になって追いかけてきた、というところだろう。

 でも、ちょうどいい。
 フィーの考えていること、全部を打ち明けるわけにはいかないけど……
 誕生日のことプレゼントのこと、二人にも意見を聞きたい。

「この部屋に通してください」
「かしこまりました」

 メイドは一礼して、部屋を後にした。
 待つこと五分ほど、アレックスとジークがやってきた。

「ったく……いきなりどこかに行ったかと思えば、家に帰っているなんて。俺達がどれだけ慌てたことか」
「ごめんなさい。どうにしても気になることがあったんです」
「その問題は解決したのか?」
「いえ……問題の内容を正確に把握することはできましたが、解決方法に頭を悩ませているところですね」
「それは、シルフィーナのことか?」

 さすが幼馴染、鋭い。

「よかったら、僕達にも事情を教えてくれないかな? なにかしら、役に立てるかもしれない」
「はい。ちょうど、思考に行き詰まりまして……力を貸していただけると幸いです」

 そして私は、詳細は伏せつつ、フィーが心の奥底で寂しさを抱えていることを打ち明けた。
 誕生日でどうにかしたいと思っているものの、なかなか思いつかないことも話した。

「シルフィーナのヤツ……そんなことに」
「なかなか難しい問題だね。心っていうものは、ここをこうしたら解決するとか、数学のように明確な答えはないからね」

 事の重大さを理解した様子で、二人の顔も暗いものに。

「私なりに色々と考えたのですが、プレゼントにこだわりたいと思うのです」
「それはどういう?」
「プレゼントは、送る人の気持ちが詰まっているじゃないですか? だから、とても良いプレゼントを選び、それをフィーに贈ることで、こちらの気持ちをわかってもらう……それが一番だと思うのです」
「なるほどね……うん、悪くないアイディアだと思うよ」
「ただ問題は、なにを贈るか、ってことだろ?」
「はい……色々と考えたのですが、なかなか思い浮かばなくて」

 私の言葉を受けて、アレックスとジークもプレゼントについて考える。
 先ほど、店を見て回った時とは違い、ずっと真剣に頭を悩ませる。
 それでも良いアイディアが出てこなくて、三人揃って、難しい顔をするだけで時間が流れてしまう。

「これがいい、というのはわからないけど、やっぱり記憶に残るようなものがいいんじゃないかな?」

 ややあって、ジークがそんなことを言い出した。

「彼女が途方もない寂しさを抱えているというのなら、それを上回るような強い希望が必要だ。そうなると、やはり、大きなインパクトを与えられるプレゼントがいいだろうね」
「それは、つまり……お金に糸目をつけない、とか?」
「そうだね。あえて高額なプレゼントを選び、こちらの本気度を伝えるというのもアリかな?」
「シルフィーナの場合、逆に萎縮するだろ」
「幼馴染のきみがそう言うのなら、そうなんだろうね。なら、金額は気にすることなく、インパクトを与えることができるものを一番の基準にするのはどうだろう?」
「そうですね……アリかもしれません」

 でも、どうすればインパクトを与えられるのか?
 高額なものでは意味がない。
 かといって、そこらにありふれているものでは新鮮さは皆無で、やはり意味がないだろう。

「アレックスは、フィーの好きなものとか知りませんか?」
「そうだな……ちと幼いところがあるからな。昼に行った、ぬいぐるみとか好きだと思う。そういうかわいいものが好きなんだ、アイツは」
「なるほど」

 特大のぬいぐるみでもプレゼントしようか?
 いや。
 インパクトはあるかもしれないが、心に響くかと言われたら、そうでもないような気がする。

 彼女の心に訴えかけなければいけないのだ。
 それにふさわしいものを選ばなければいけない。

「他に、フィーが好きなものはありませんか? なんでもいいです」
「んー……今も言ったが、かわいいものならなんでも好きだな。けっこう、少女趣味なんだ、アイツは。あとは、勉強道具とかも好きだな」
「勉強道具? 女の子らしからぬものを好むんだね」
「しっかり勉強したい、っていう真面目タイプだからな。あとは、ものじゃないが綺麗な景色とか。そうそう、花も好きだな。あとは、甘いものだな。クッキーが一番の好物だ」
「クッキー……ですか?」
「ああ。なんでも、小さい頃に作ってもらったことがあるらしい。その時の話は、俺も詳しくは知らないんだけどな」
「……それは、そうなると……」

 かわいいものが好き。
 花が好き。
 甘いものが好き。
 小さい頃に作ってもらったことがある。

「……」

 アレックスから聞いた話が、頭の中でパズルのように組み立てられていく。

 そして、一つの答えを導き出した。

「そっか、これなら……」
「なにか思いついたのかい?」
「はい。一つ、良いアイディアを思いつきました」
「僕にできることは?」
「あります。あと、アレックスにも手伝ってほしいことがあります」
「俺に? もちろん、できることがあるならなんでもやるが……無茶なことじゃないだろうな?」
「なんですか、その目は。まるで私が、日頃、無茶をしているようではありませんか」

 アレックスとジークが、しているだろう、というような顔になる。
 どうして、ジークまで?
 解せぬ。

「とにかく、お願いします。フィーのために、がんばらないといけないんです!」
 父さまと母さまにフィーの誕生日のことを伝えると、盛大に祝わなければと、私と同じような反応をした。
 純粋に娘の誕生日を祝いたいという気持ち。
 あと、公爵令嬢として、誕生日は華やかに祝わなければ、貴族としての品格が疑われるという理由もあった。

 どちらにしても、アレックスの忠告通り、派手なパーティーはやめておいた方がいいと、父さまと母さまを説得した。
 そして、身内だけが参加するパーティーに。

 参加者は、私、父さま、母さま、アレックス、ジーク。
 公爵家としてはどうかと思うけど、一家族として見るなら特に問題はないだろう。

 そして、誕生日パーティーはサプライズで行うことにした。
 その方が驚きも喜びも大きいだろうし、なによりも、それが定番だから。
 そんな私の主張が受け入れられて、サプライズパーティーとなった。

 ただ一つ、誤算があった。
 それは、私がフィーを、パーティー会場である我が家へ連れて帰るということ。

「……」
「どうしたんですか、アリーシャ姉さま?」

 放課後。
 今日は気分転換に歩いて帰ろう、という私の主張をなんの疑いもなく受け入れたフィーは、こちらを見て不思議そうな顔をした。

「なんだか、今日は朝から様子がおかしいような気がするんですけど……」
「いえ……なんでもありませんよ」
「本当ですか? もしかして、体調が悪いんじゃあ」
「私なら元気ですよ。少し考え事をしているだけですから」
「そうですか? ならいいんですけど……もしもなにかあれば、私に言ってくださいね。なにができるかわかりませんけど、アリーシャ姉さまのため、一生懸命がんばりますから」

 妹がかわいすぎて、サプライズを黙っていることが辛い。
 今すぐに全部話してしまいそうになる。
 それくらいにかわいい。

「ところで、今日は、どうして徒歩で?」
「疲れましたか?」
「いえ、そんなことはありません。ただ、いつもは、『フィーになにかあったらどうするの』と、アリーシャ姉さまはちょっと過保護なくらいだったので……馬車を使わないのが、不思議に思いました」

 鋭い。
 私が馬車の使用を停止したことに、疑問を抱いているらしい。

 それは、フィーなら当たり前のことだ。
 学舎の成績は普通ではあるが、フィーはメインヒロインなのだ。
 時に、その聡明な頭脳を活かして事件を解決して、ヒーロー達を感心させることができる。
 そんなフィーなので、私の行動の不自然さに気づいて当然だろう。

「えっと……」
「アリーシャ姉さま?」
「……たまには、フィーと一緒に、こうして歩いてみるのも悪くないと思ったのです」
「散歩、みたいなものですか?」
「そうですね。姉妹で一緒にのんびり散歩するのも、悪くないと思いませんか?」
「はい、そうですね。私も、アリーシャ姉さまと一緒に散歩したいです」

 なんて健気なことを言ってくれるのだろう。
 思わず抱きしめて、頬をすりすりして、それからもう一度抱きしめてしまいたくなる。

 とりあえず、ごまかすことができたみたいだ。
 散歩をしたいというのは本音。
 嘘をつくさいは、ある程度の真実を紛れ込まれるといいと聞いたことがあるが、その通りみたいだ。

「ねえ、フィー」
「はい、なんですか?」
「あなたがウチに来て、少しの時間が経ったけれど、なにか困っていることはありませんか?」

 せっかくの二人きりの時間。
 姉妹仲を深めることに利用したくもあったが、やはり、フィーの問題を優先しなければ。
 そう考えた私は、まずは、軽く探りを入れてみることにした。

「困っていること、ですか」
「なにかありませんか?」
「えっと……特にないです。アリーシャ姉さまも、お父さまもお母さまも、とてもよくしてくれていますから」
「そう、ですか」

 よくしているだけではダメなのだ。
 それでは、フィーの心の隙間を埋めることはできない。

 ただ、やはりというか、そのことを素直に言ってくれることはない。
 フィーはいつも通りの顔をして、なんでもないように言う。

 確かに、私達は出会ったばかりで間もないのだけど……
 それでも、私はフィーの姉なのだ。
 辛いことがあるのなら頼ってほしい。
 寂しいことがあるのなら隣に来てほしい。

 それだけのことをしてほしいと願うものの、フィーは遠慮してしまう。
 それは、まだ彼女の心を完全に開くことができていない証拠だ。
 情けない姉だ。
 悪役令嬢とか迫りくるバッドエンドとか、そういうことばかり気にしていたから、肝心なところで大事なことに気づけない。

 自分で自分がイヤになる。

「アリーシャ姉さま?」

 フィーが心配そうな顔になる。
 いけない。
 心の色が表情に出てしまったみたいだ。
 私はすぐに気持ちを切り替えて、笑顔を浮かべる。

「はい?」
「えっと……あれ? 気の所為だったのかな」
「どうしたんですか?」
「いえ、なんでもありません。ただ……」
「ただ?」
「アリーシャ姉さまは、なにか困っていることはありませんか? その……私にできることあれば、なんでも言ってくださいね」

 妹は天使の生まれ変わりではないだろうか?
 彼女の健気な言葉に、私は、本気でそんなことを考えるのだった。

「……ねえ、フィー」
「はい?」
「手を繋ぎましょうか」

 この日のために、色々と準備をしてきた。
 フィーの心を動かすための策も考えてきた。

 でも、それらが全てうまくいくかどうか、それはわからない。
 ひょっとしたら、失敗してしまうかもしれない。

 だから……
 できる限りのことはやっておこうと、フィーに手を伸ばした。

 手を繋ぐことで、私の温もりを分けてあげたい。
 あなたはここにいる。
 一人じゃない。
 そう伝えてあげたい。

「えっと……」

 フィーは、やや戸惑った様子で、私の顔と手を交互に見た。
 照れているというよりは、怯えているという感じだ。

 この子は、誰かと親しくなることを恐れている。
 自分にそれだけの価値があるかわからないと、怯えている。
 その心を少しでも和らげてあげたくて、

「ほら、いきますよ」
「あっ」

 フィーの返事を聞かず、強引に手を繋いだ。

 驚きの声。
 でも、ややあって……

「……アリーシャ姉さまの手、温かいです」

 どこかうれしそうな感じで、そう、ぽつりとつぶやくのだった。