悪役令嬢の私ですが、メインヒロインの妹を溺愛します

 次の休日。
 私は約束の時間よりも1時間ほど早く家を出た。

 ナナは恋愛に奥手で……
 それでいて、約束事はきっちりと守る人だ。

 初デート。
 相手は密かに想っていた大事な人。

 絶対に遅れてはいけない。
 それと、気持ちが焦り、時間まで待っていることができない。
 きっと、時間よりも早く待ち合わせ場所に……

「いましたね」

 待ち合わせ場所の公園に行くと、予想通り、ナナの姿があった。
 ソワソワと落ち着きのない様子でベンチに座っている。

 ちなみに、ユーリはいない。

 彼は約束の時間5分前に来るタイプだ。
 それ以上でもそれ以下でもない。

「おはようございます、ナナ」
「あっ、アリーシャさん!」

 私に気づいたナナが、慌てた様子で立ち上がる。

「どうして……? まだ、時間には早いのに」
「それを言うのなら、ナナもそうじゃないですか」
「私は、その……待ち焦がれてしまい、つい……」

 いじらしい。
 そして、愛らしい。
 フィーほどではないけれど、抱きしめたい、って思うかわいらしさだ。

 これならうまくいくだろう。
 普通の男性なら、ナナと一緒にいて好意を持たないわけがない。

 今日一日で恋愛感情にまでは発展しないだろうけれど……
 知り合いから気になる関係には進展すると思う。

 だから……
 おじゃま虫となりそうな私は消えなければならない。

「ごめんなさい」
「え? と、突然、どうしたんですか……?」
「急用ができてしまい、今日は参加できなくなりました」
「そ、そうなんですか……? ざ、残念です……せっかくの……」
「あら。私は参加できませんが、ナナはそのままクロムウェル先生と買い物をすればいいと思います」
「え?」
「二人で参考書を見て、それから、ついでにお食事などをしたらいいと思います。今日のお礼、と言えばクロムウェル先生も断らないでしょう」
「それじゃあ……あっ、まさか、そのために……」

 私のやろうとしていることに、ナナは気づいたらしい。

 目を丸くして驚いて……
 それから、ぺこりと頭を下げる。

「ありがとうございます……!」

 このチャンス、逃すつもりはないらしい。

 うん。
 そうやって、したたかでないとね。

「がんばってくださいね?」
「はい!」

 簡単な激励をして、私は公園を後にした。

「さて」

 これからどうしようか?

 ナナとユーリの様子を見守っても良いのだけど……
 それは、あまりに無粋というものだろう。

 うまくいくように応援したり、時にアドバイスもしたい。
 ただ、なんでもかんでもしていたら意味がない。
 ある程度のセッティングはするものの、そこから先は自分でがんばってもらわないと。

「散歩でもして、のんびりしましょうか?」
「なにしてんの?」
「ひゃっ!?」

 突然、背後から声がした。

「ゼノス!?」

 慌てて振り返ると、そこには、なにやら呆れた様子の邪神が。

「と、突然声をかけないでください。驚くじゃないですか」
「気配は察していましたよ、とか言うものじゃないの?」
「私は悪役令嬢であって、勇者とかそういうものじゃないんですから。気配なんてわかりませんよ」
「ふふ。まあ、あなたの反応が楽しかったから、よしとするわ」

 私はよしとしないのだけど?

「突然、なんですか? まさか、私を驚かすためだけに現れたのですか?」
「それもあるわ」
「あるんですね……」

 反射的にジト目を向けてしまうものの、ゼノスは涼しい顔だ。

 さすが邪神。
 人の敵意や悪意なんて慣れているのだろう。

「あなた、やる気はあるの?」
「なんのことですか?」
「本当に破滅を回避するつもりはあるの? 最近のあなたを見ていると、まったくやる気がないように見えるのだけど」
「あぁ」

 納得だ。
 確かに、ゼノスから見れば、私はやる気がないように見えるだろう。
 なにしろ、ヒーローの一人であるユーリを他の子とくっつけようとしているのだから。

「私は、あなたがもがいてあがいて、必死に助かろうとするところが見たいの。それなのに、諦めてしまっては困るわね。興ざめもいいところだわ」
「別に諦めたわけではありませんよ」
「ヒーローを攻略しないのに?」
「それは……」

 ユーリの攻略を諦めたのは確かなので、反論できない。

 ただ、破滅を受け入れたわけじゃない。
 破滅なんてまっぴらごめんだ。
 どうにかして回避したいという気持ちは今も変わらない。

 そのためには……

「……あ」

 ふと、閃いた。
「私は諦めてなんていませんよ」
「本当に?」
「ええ、もちろん」

 私は自信たっぷりに答えた。
 すると、ゼノスは怪訝そうな顔に。

 なにか策を残しているのか?
 それとも、ただのハッタリなのか?
 その判断がつかなくて、迷っている様子だ。

 安心してほしい、と言うのも変な話だけど……
 私は本当に諦めていない。
 そして、今後の方針も、今だけど思いついた。

 うまくいくかどうか、それは未知数だけど……
 成功すれば、確実に破滅を回避できるだろう。

 と、いうわけで。

「ところで、ゼノスは今、お時間はありますか?」
「はい?」
「ですから、お時間はありますか? 神様的な仕事が詰まっていて、余裕がない感じですか?」
「そんなことはないわ。私は邪神ではあるものの、優秀なの。突発的な事態に対処できるように、ある程度の余裕は常に持たせているわ」
「なら問題ありませんね」

 私はゼノスに手を差し出した。

「私と一緒に散歩をしませんか?」
「はぁ?」



――――――――――



「どうですか? この公園は自然が豊かで、とても綺麗でしょう。散歩をするにはピッタリの場所なのですよ。それと、恋人達の憩いの場としても有名ですね」
「……」
「あら、どうされたのですか? なにやら仏頂面をしていますが」
「あのね……」

 隣を歩くゼノスは、ピタリと足を止めた。
 そして私を睨みつける。

「なぜ、私が散歩に付き合わないといけないのかしら?」
「あら。私、散歩をしましょうと言ったはずですが? そして、あなたはついてきた。それは了承と捉えて問題ないのでは?」
「ぐっ」

 ゼノスが苦い顔に。

 たぶん……彼女は、本当に散歩をするとは思っていなかったのだろう。
 散歩というのは名目。
 私に別の目的があるに違いない、と深読みしていたのだろう。

 でも、残念。
 別の目的なんてない。
 強いて挙げるのならば、言葉通り、ゼノスと散歩をすることが目的だ。

「どうして私と散歩を?」
「秘密です」
「……素直にしゃべらないと消し飛ばすわよ?」

 ゼノスが真顔に。
 そして、右手によくわからない光が収束されていく。

 魔法?
 どちらにしてもやばい。

「ちょっと、ちょっと。いきなり癇癪起こさないでください。神様なのだから、もっと心に余裕を持ってくださいよ」
「あなたが苛立たせるのが悪いのよ」
「まったく……」

 子供みたいな神様だ。

「あなたを散歩にお誘いした目的は、大した理由はありません。単純に、仲良くなりたいと考えただけです」
「仲良く……?」
「あなたが言うように、現状、ヒーロー攻略はうまくいっていません」

 アレックスとジークからは疎まれ。
 ネコは未登場。
 エストとは友好的な関係を築けたと思うが、まだ友達の範囲内。
 ユーリは知り合いというくらい。

 エストとユーリに狙いを絞ればなんとかなるかもしれないが……
 ユーリはナナの想い人。
 他人の恋路を邪魔してまで攻略するつもりはない。

 私もユーリが好きなら、競ったかもしれないが……
 そうではなくて、ただの打算なのだから。

 ……っていうことを自覚したら、他のヒーローも攻略する気がなくなってしまった。
 打算で始める恋というのは、ちょっと避けたいところだ。
 一応、これでも乙女なので。

「と、いうわけで……しばらくは様子見をすることにしました」
「はぁ……」
「私が本気で誰かに惚れることがあれば、その時はがんばるつもりです。ただ、今はそういう気にはなれなくて……」

 打算で恋をしたり。
 誰かの恋路を邪魔したり。
 そういうことは避けたい。

 でも、このままだと破滅を迎える。
 死にたいわけではないので、それも避けたい。

「あれもこれも避けたい。わがままね」

 私の心を読んだ様子で、ゼノスが呆れた様子で言う。

「そうですね、私はわがままです」
「で、どうするつもり?」
「あなたを攻略することにしました」

 そう言って、私はゼノスを指差した。
「はぁ?」

 ゼノスは思い切り怪訝そうな顔に。
 明日の天気は槍ですよ、と言われたような感じだ。

 うん。
 でも気持ちはわかる。

 自分で言っておいてなんだけど、私は正気か? と、たまに自問自答してしまう。

「私を攻略する、って……どういうことかしら?」
「そのままの意味ですよ。あなたの好感度を上げようと思います」

 それが私が考えた、新しい選択肢だ。

 ヒーローを攻略しないとヒロインになれず、悪役令嬢の私は、いずれ破滅を迎えてしまう。
 だから、ヒーローを攻略してメインヒロインに昇格する。

 そういう考えのもと、行動していたのだけど……
 色々と限界と疑問を感じて、ストップ。

 なら、発想の転換だ。

 ゲーム通りに行動するのではなくて、チートツールを使う感じで、根っこの部分から前提を覆してしまえばいい。
 すなわち、この世界を管理する神様……ゲームマスターと仲良くなる。
 そうすることで優遇してもらう。

 ……と、いうことを考えたのだ。

 相手を利用することに変わりはないのだけど……
 まあ、そこはそれ。
 邪神なのだから、そこまで気を使う必要はない。

「……とまあ、そのようなことを考えたのです。我ながらナイスアイディアだと思いますが、いかがでしょう?」
「あなたねえ……」

 思い切り深いため息をつかれてしまう。

「よりにもよって、邪神である私を攻略しようとか、頭がおかしいでしょ?」
「現時点でベストだと思いますが?」
「……」
「……」

 しばらくの間、視線を交わす。
 そして……

「くはっ」

 たまらないといった感じで、ゼノスが笑う。

「あは、あははは! ダメ、なにそれ。笑わせないで、お腹痛い、呼吸できない。死んじゃうわ、あはははっ」

 大爆笑だ。
 そこまで面白いことを言っただろうか?

 相変わらず、この邪神がなにを考えているかわからない。

「ひー、ダメ、死んじゃう。笑いすぎて死んじゃう。なにこの子、頭おかしすぎる。バカよ、バカ。稀代のバカよ」
「そこまで言いますか……」
「言うわよ。今まで、私に命乞いをしてきた人間は星の数ほどいたけど、私を攻略しようなんて考えたヤツは一人もいなかったもの」

 私を奇人変人みたいに言わないでほしい。

「十分に変人よ」
「むう」

 納得いかない。

「でも、人間が私を攻略できるとでも?」
「やってみないとわかりませんよ」
「へえ、言うわね」

 ニィっと、ゼノスは肉食獣のような目をする。
 細く、鋭く。
 殺意さえ乗っていた。

 しまった、怒らせたか?

 ただ、次の瞬間には再び笑顔に戻る。

「まあ、そういうことなら、この散歩ももう少し付き合ってあげるわ」
「ありがとうございます」

 うまく乗せることができたらしい。

 相手は邪神。
 私の目的は、すぐに露見すると思っていた。

 その時、うまくゼノスが乗ってきてくれるか否か。
 そこはわりと賭けだったのだけど……
 どうやら、私は賭けに勝ったみたいだ。

 とはいえ、安心していられない。
 まだスタート地点に立ったばかり。
 ここからが本番だ。

「では、散歩の続きに行きましょうか」

 さあ……これからどうなるか?

 うまくゼノスを攻略できるか? 
 それとも失敗して、破滅を迎えるか?

 答えは……
 神のみぞ知る、というところか。
 ゼノスを攻略するに辺り、必要なものは彼女の情報だ。

 どんな食べ物が好きなのか?
 犬派なのか猫派なのか?
 嫌いなものは?

 そういった好みを把握することが大事だ。

 仮に、ゼノスが野菜嫌いだったとして……
 野菜がメインの料理店に連れて行ったらマイナスになってしまう。

 そういう事態を避けるために、彼女の趣味趣向を知っておきたいのだけど……

「ところで、ゼノスはなにか趣味はありますか?」
「ふふ、どうかしら」

 散歩の途中、何気なく尋ねてみるものの、笑顔であしらわれてしまう。

 彼女は私の意図を察しているのだろう。
 その上で、簡単には攻略させてやらないと、とぼけているのだろう。

 なんて嫌な性格。
 少しくらいヒントをあげてもいいのに。

 さすが邪神。

「そうですね……では、釣りをしましょうか」
「は?」
「釣りですよ、釣り。もしかして、ご存知ありません?」
「いえ、知っているけど……普通、公爵令嬢が釣りをする?」
「趣味は人それぞれなので」

 そんな話をしつつ、公園の奥にある釣り堀へ。

 竿と餌をレンタル。
 その際、いくらかの店員がざわついていた。
 たぶん、私の素性を知っている人がいたのだろう。

 でも気にしない。
 今は、ゼノスを攻略することだけを考える。

 ゼノスと一緒に釣り堀へ移動して、並んで竿を振る。

「……」
「……」

 じっと前を見ているせいか、自然と無言になってしまう。

 でも、これでよし。
 ゼノスと仲良くおしゃべりするところなんで、今はまだ、まったく想像できない。

 だから、まずは肩を並べることに慣れることにした。
 多少、強引な方法ではあるものの、こうすれば無言で一緒にいても問題はない。
 のんびり、ゆっくりと長い時間を過ごすことができる、というわけだ。

「……ねえ」

 釣りを始めて五分。
 ふと、ゼノスが口を開いた。

「なんですか?」
「ぜんぜん釣れないんだけど?」
「まだ始めて五分じゃないですか。そんなにすぐには釣れませんよ」
「つまらないわ」

 そう言って、ゼノスが釣りを投げ出そうとするのだけど……

「あら。神様とあろうものが、もう降参するのですか?」
「……なんですって?」
「神様なのに釣りもできないのですね……くす」

 思い切り挑発してやると、

「誰もやめたなんて言ってないでしょう。釣りなんて簡単よ、すぐに釣ってみせるわ。みせるとも、ええ」

 再び竿を持つゼノス。
 ちょろい。

「今、笑った?」
「いえ、気の所為では」

 さすが神様。
 勘は鋭い。

「……ヒマね」
「私は、そうでもありませんよ」
「なんでよ? あなたも釣れてないじゃない」
「ゼノスと一緒ですからね。一緒に同じことをしている……それだけでも、けっこう楽しいものですよ」
「……そ」

 呆れられたかな?
 でも、再び投げ出そうとしないところを見ると、なんだかんだで楽しんでくれているのかもしれない。

 まあ……

 色々と打算が働いているのだけど、これはこれで楽しい時間だ。
 のんびり釣りを楽しむことにしよう。

「……ところで、どうして釣りなのかしら?」
「そうですね……」

 計算しての行動なのだけど、それは口にしない方がいいような気がした。

 あと、他にも一応理由はある。

「単純に、好きなんですよ」
 釣りは好きだ。

 今世ではあまりする機会がないのだけど……
 前世では、よく釣りをしていた。

 釣り堀や川。
 時に海まで行って、釣り糸を垂らしていたものだ。

 魚を釣る楽しみもあるのだけど……
 それ以上に、のんびり過ごすことができたのが、良かったのだと思う。

 のんびり過ごすことができる、っていうのは、なかなか貴重な時間だと思う。
 贅沢な趣味だと思う。
 だから好きなのだ。

「好きなものを好きに楽しむ……ただ、それだけのことですね」
「ふーん」
「できれば、好きな趣味を共有したい、っていう思いはありますけどね。でも、無理強いはしませんよ」

 押しつけられた趣味なんて、まったく楽しめないからね。
 やっぱり趣味は好きであるべきだ。

「あいにく、私は釣りは好きになれそうにないわ」
「それは残念ですね」
「ま……あなたと一緒にいると、色々とあって面白いから、そこはいいけどね」
「ありがとうございます」

 一歩前進、かな?



――――――――――



 その後も、一緒に昼を食べて。
 午後は店を見て回り。
 ゼノスと楽しい? デートをして過ごした。

 なんだかんだで、律儀に付き合ってくれるゼノスは、実は良い人なのではないか?
 いや。
 人じゃなくて神か。

 そして、日が暮れ始め……
 空の彼方に太陽が沈んでいき、赤い夕焼けが頭上を覆う。

「今日はこの辺にしておきましょうか」
「まったく……今日一日、たっぷり連れ回してくれたわね」
「ですが、イヤではなかったのでしょう?」
「……どうして、そういう結論になるのかしら?」
「だって、イヤならイヤと言って、すぐに消えたでしょう?」
「……」
「あなたはそういう性格です。短い付き合いですが、それくらいは理解しているつもりですよ」
「むぐ」
「で……それをしなかったということは、大なり小なり楽しんでいた、ということ。私の回答になにか間違いは?」
「……知らないわよ」

 ツンデレかな?

「あなた今、失礼なことを考えなかった?」
「いいえ」

 にっこりと否定する。

 そんな私の笑顔に見惚れたらしい。
 ゼノスはじっとこちらを見て、頬を染める。
 その瞳には甘い感情が浮かんでいて……

「勝手な妄想を繰り広げないでくれる?」
「失礼しました」

 ジト目を向けられたので、適当な妄想は終わりにしておいた。

 まあ。
 妄想というか、こうなってほしいという期待なのだけど。

 あんな状態になれば、ゼノスを攻略したも同然。
 晴れて私は破滅を回避できるというわけだ。

「……とはいえ」

 自分のために誰かを攻略する。
 そこにあるのは打算のみ。

 なんていうか……

「今の私、とても悪役令嬢らしいですね」

 やれやれと自嘲のため息をこぼすのだった。
「アリーシャさま、おはようございます」
「おはようございます、エスト」

 朝。
 登校中にエストと出会い、笑顔で挨拶を交わす。

 他のヒーロー達とは、マイナス状態になっているのだけど……
 エストとは良い感じの関係を築くことができていた。

 彼を攻略するのもありかもしれない、なんて思うのだけど……
 ただ、打算で恋愛をするというのは、どうにもこうにも向いていない。

 打算で恋愛をしても長続きせず、途中で冷めてしまいそうだ。
 そうなったら、待っているのは愛のない恋愛生活。
 辛い。

 それ以前に、エストに失礼すぎる。

 だから、ゼノスを攻略することにしたのだけど……

「……逃げられましたね」

 あの日以来、ゼノスは私の前に姿を見せていない。

 私に攻略されそうなので逃げているのか。
 私を追い込むために姿を消しているのか。

 どちらかなのかわからないが、まずい状況だ。

 どうにかしてあの邪神を引っ張り出して、攻略しないといけない。
 さて、どうしたものか?

「アリーシャさま?」

 気がつけば、エストがこちらの顔をじっと見ていた。

「あ……すみません。少し考え事をしていました」
「難しい顔をされていましたが、なにか悩みごとですか?」
「いえ、そういうわけではありませんよ」

 エストは優しい。
 私が悩んでいると知れば、協力を申し出てくれるだろう。

 それは、正直すごく助かるのだけど……
 今はエストとどう向き合えばいいのかわからないので、ひとまずは保留だ。

「ところで、シルフィーナさまは?」
「フィーですか……」

 最愛の妹のことを思い返して、声が沈んでしまう。

「風邪を引いてしまったみたいで……」
「そうだったんですか……早く良くなるといいですね」
「ありがとうございます」

 早くゼノスを攻略しないといけないのだけど……
 妹が風邪を引いたとなれば、話は別だ。

 一分一秒でも早くフィーの風邪を治すために、姉としてできることをしないと。

「少し聞きたいのですが……エストは、風邪に効くものを知っていませんか?」
「そうですね……いくらか薬草は知っていますが、それはたぶん、すでに使っていると思うので……ハーブティーとお菓子などはどうでしょうか?」
「ハーブティーとお菓子?」
「どちらも、体の免疫力を上げる薬草が使われているものなんです。薬ではないので、すぐに風邪が治るわけではないのですが、失った体力を補充できると思います。あと、飲みやすくて食べやすいので、風邪を引いた時にはぴったりかと」
「それはいいですね。どちらで売っているのか、教えていただけませんか?」
「そ、それなら、今日の放課後、案内します!」
「いいのですか?」
「はい、もちろん!」

 食い気味に了承された。

 はて?
 店の場所を教えてもらうだけで十分なのに、わざわざ案内してくれるなんて……

 なるほど。
 さては……先日のお礼をしたい、というわけだな?
 そのために、どうしても案内をしたいのだろう。

 うんうん。
 エストはとても律儀な子だ。
 こんな子に好かれる女性は幸せものだろうな。

「では、放課後、お願いします」
「はい!」



――――――――――



「あ、アリーシャさま!」

 教室を出たところで、エストの姿が。

 あれ?
 彼は学年が違うから、こんなところにいるわけがないのに。

「エスト、どうしてここに?」
「えっと、早くアリーシャさまに……い、いえ! お待たせするわけにはいかないと
思い」
「そうですか。気遣い、ありがとうございます」
「いえ! で、では行きましょう」
「はい」

 妙に緊張しているみたいだけど、なんでだろう?

「……」

 違う学年の教室が並ぶ階に来ているから、緊張しているのだろうか?

 なるほど。うんうん。
 エストは飛び級をするほど頭が良くて、大人っぽいところがあるのだけど……
 子供らしいところもあるじゃないか。
「このお店です」

 エストに案内されて、端の方にある小さな店にやってきた。

 店の広さは、一般的な家と変わらない。
 その中に棚などを設置しているから、狭く感じてしまう。

 棚にはたくさんの薬品とポーションが並んでいた。
 目薬、鼻薬、頭痛薬……よりどりみどりだ。
 店は小さいけれど、品揃えはとても豊富なようだった。

 風邪薬らしくものも発見したのだけど……
 どれが良い薬なのか、私には判断がつかない。

「エスト、これらの中で、一番良い風邪薬はどれでしょう?」
「その前に、シルフィーナさまの風邪の症状はどのようなものですか?」
「えっと……」

 まずは、発熱。
 それと、咳と喉の痛み。
 他に異常はなかったはず。

 それらのことを伝えると、エストは少し考えて、一つの風邪薬を手に取る。

「でしたら、これとこれが良いと思います。前者は、主に熱をおさえる効果があります。熱が高い時は、こちらを処方するといいはず。咳や喉の痛みが酷い場合は、後者を飲むといいと思います」
「なるほど、症状によって使い分けるのですね。その発想はありませんでした。ありがとうございます、エスト」
「い、いえ!」

 感謝の意味を込めてにっこりと笑うと、なぜかエストが赤くなる。

 はて?
 もしかして……

「エスト、そのままじっとしていてくださいね」
「えっ!?」

 そっと顔を近づけて……
 そのまま額と額を合わせる。

「っっっ!!!?!?!?!?」
「じっとしててください」

 ちょっと熱いかな?
 風邪かどうかわからないけど、エストは無理をしていたのかもしれない。

 それなのに私の買い物に付き合ってくれるなんて……
 この子、天使か?

「あわわわっ」
「あら? さらに熱く……エスト、やっぱり風邪を引いているのでは?」
「い、いいい、いえっ! だ、大丈夫です!!!」

 ものすごい勢いでエストが離れてしまう。

「ですが、熱っぽい感じがして……」
「本当に大丈夫です! 本当に!」
「そう、ですか?」

 確かに、とても元気だ。
 風邪を引いているようには見えない。

 でも、それだとしたら、なぜ顔を赤くしていたのだろう?
 うーん、謎だ。

「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
「そうですか……そこまで言うのなら」

 様子がおかしいのだけど、ひとまず納得することにした。

 あまり追求しても、うざがられてしまうかもしれないし……
 様子見にしよう。
 どう見ても体調が悪化したのなら、その時は強引にいく、ということで。

「少し待っていてくださいね。今、会計をしてくるので」
「は、はい」

 まだ顔が赤いエストを置いて、ぐるりと大きな棚を回り、奥のカウンターへ。
 そこで会計を済ませようとするのだけど……

「あ」
「え?」

 アレックスがいた。

 こちらを見て呆けた表情になり……
 すぐ我に返った様子で、キッと睨んでくる。

「なんで、お前がこんなところにいるんだ?」
「薬を買いに来ただけですよ」
「本当か? なにか悪いことを企んでいるんじゃないだろうな?」
「薬屋に来て、どのような悪巧みをしろと……?」
「そ、それは……」

 私を敵視するのは仕方ないと思うが、手当たり次第に噛みつかないでほしい。

 はぁ……
 前回の人生で仲良くしていた頃が懐かしい。
 またああしたいものの、今回は難しそうだ。

 ふと、アレックスが私の手元……薬を見て怪訝そうな顔に。

「なんだよ? お前も風邪を引いたのか?」
「いいえ、私は風邪なんて引いていませんよ。これは、フィーのために買ったものです」
「シルフィーナの?」
「はい。処方されているものだけではなかなか良くならないので、こうして」
「……そっか」

 アレックスは早とちりを自覚したらしい。
 バツの悪そうな顔になって……

「……悪かった」

 視線をそらしつつも、そう言った。
「え?」

 思わぬ謝罪を受けて、ついつい呆けてしまう。
 私、なぜ謝罪をされているのだろう?

 そんな私を気にすることなく、アレックスは言葉を続ける。

「その薬……シルフィーナのために買ったんだろ? それなのに、悪巧みをしてるとか邪推して……悪かったよ」

 あらまあ。
 なんて素直。
 できることなら、普段からこうして素直であってほしい。

 というか、素直すぎないか?

「失礼ですが……いつもならそのように謝罪はしないと思うのですが、どうして、今日に限って私のやろうとしていることを信じて、認めてくれたのですか?」
「あー、それは……」

 疑問を重ねてみると、アレックスは更に気まずそうな顔に。
 その表情に、以前まであった、私への悪感情はない。

「……よ」
「え?」
「……そっちも悪かったよ」

 重ねて謝罪をされた。

 はて?
 なんのことだろう。

 私の疑問を察した様子で、アレックスは気まずそうにしつつ、説明をする。

「あんたが嫌なヤツっていう噂がいっぱいで、俺、それに流されてて……でも、間違いだったよ。シルフィーナのことをちゃんと考えている、良い姉だったんだな。悪い噂も、なんか、適当なものばかりみたいだし……悪かった」

 そう言って、アレックスは頭を下げた。

 その行動は意外だけど……
 ただ、どこかでこうなればいいな、とは思っていた。

 それは楽観的な希望ではなくて……
 とある作戦がうまくいけばいいな、というヤツ。

 ゼノスを攻略しようと決めたものの、保険は必要だ。
 節操なさすぎるのだけど……
 やっぱりヒーローの方がうまくいきそうだ、ということもあるかもしれない。

 ……いや。
 ほんとに節操ないな、私。
 八方美人も良いところだ。

 それについて悩まないではないのだけど……
 まあ、悪役令嬢なのだから気にしないでおこう。
 と、開き直ることにした。

 話を戻そう。

 保険のため、現時点でヒーローのマイナスの好感度をなんとかする必要があった。
 そのためにスマホを利用することにした。

 ネットに接続できないけれど……
 写真や動画の撮影。
 ボイスレコーダーに、様々なアプリ。
 この世界にとって、完全なオーバーテクノロジー。

 そんなスマホを駆使すれば、私にかけられたあらぬ疑いを晴らすことは簡単だ。
 スマホを使った情報をあちらこちらに流して、私の黒い噂を払拭してやればいい。
 まあ、即効性は期待できないから、以前から、コツコツと作業をしていたのだけど……
 それがうまい具合に、今になって効果が出てきたようだ。

「いえ、私は気にしていないので」
「本当か……?」
「はい。本当に気にしていません」
「あー……でも、俺の気が済まない。本当に悪かった! だから、なんていうか……シルフィーナの姉ならちゃんと仲良くしておきたいし、あー……俺になにかできることはないか!?」
「え? それはどういう意味ですか?」
「なんかこう、謝罪っていうか、なにかあんたのためにしたいんだよ。それで、せめてもの罰としたいというか……そんな感じだ」

 つまり、罰をくれ、ってことか。
 そうでもしないとアレックスは、自分を許すことができないのだろう。

 不器用な人だ。
 でも、そんなところが愛しく思う。

「そうですね。それでは……」
「なんでも言ってくれ。なんでもする」
「では、私と友達になっていただけませんか?」
「は?」

 アレックスの目が丸くなる。
 なにを言っているんだ? という感じだ。

 気にせず、笑顔で話を続ける。

「あなたとは仲良くなりたいと思っていたので……誤解が解けたのなら、仲良くしていただけるとうれしいです」
「それは、俺がシルフィーナの幼馴染だからか?」
「はい、そうですね」
「……正直な人だな、あんた」

 アレックスが苦笑した。

 よかった。
 ここで、シルフィーナは関係ない、というようなことを言っていたら、彼の不信感を買っていただろう。

「ホント、噂ってアテにならないな……こうして話してみると、あんた、普通に良いヤツだし。はぁ……それなのに、今まで俺はなにをしていたのか」
「アリーシャ、でお願いします」
「うん?」
「できれば、私のことは、アリーシャと名前で呼んでください」
「いいのか?」
「はい、アレックス」

 私から先に名前を呼んでみた。

 すると、アレックスは目を丸くして、

「くっ、ははは!」

 楽しそうに笑う。

「あんた、本当に面白いな……いや」

 アレックスは、にかっと、気持ちのいい笑みを見せる。

「アリーシャは面白いな」
「ありがとうございます」

 私達は握手を交わして……
 そして、友達になった。

 遅すぎるスタートだけど、ようやくアレックスの好感度をプラスマイナスゼロに戻すことができた。
 やれやれ、先は長い。
 その後、アレックスと別れて……
 エストと一緒に店を出て……

 それからエストとも別れて、家に帰る。

 思わぬところでアレックスの好感度を上げることができたのは、良い収穫だった。
 本来なら笑顔で喜ぶところなのだけど……

「フィーは大丈夫でしょうか……?」

 今の私の頭は、風邪を引いたフィーのことでいっぱいだった。

 一刻も早く薬を届けよう。
 そして、寝るまで看病をしよう。

 屋敷の廊下をスタスタと歩いて、一直線に妹の部屋へ。

「フィー、具合はどう……です、か……?」
「む?」

 ベッドの上で体を起こしているフィー。
 そんな妹と話をしているのは、ジーク・レストハイムだった。

「レストハイムさま……? どうして、こちらに……」
「君は……そうか。君は、シルフィーナの姉だったか」

 そう言うジークの顔には、私に対する嫌悪感がハッキリと刻まれていた。

 アレックスと同じように、デレてくれていたら楽だったのだけど……
 そうそう、簡単に行くことはないようだ。

「レストハイムさまは、どうされたのですか?」

 私は笑顔で問いかける。
 向こうが私を嫌っていても、あくまでも、仲良くしましょう? というスタンスを貫かないと。
 でないと、本当に手遅れになってしまう。

「アリー姉さま、ジークさまは私のお見舞いに来てくれたんです……こほ、こほ」
「シルフィーナ、無理をして喋ることはない。寝ていた方がいいよ」
「大丈夫です。咳はちょっと出ますけど、今は気分がとてもいいので」
「そっか。それならいいけど、あまり僕に心配をかけないでくれ」
「はい、すみません」

 ……なんだろう、この甘い空気は?

 フィーは、いつからジークのことを名前で呼ぶように?
 ジークも、いつからフィーのことを名前で呼ぶように?

 そして、この二人の間に流れる甘い空気。
 もしかして、二人はすでにそういう関係に……!?

 ヒーローとヒロインなのだから、そうなっていてもおかしくないのだけど……
 いやいやいや。
 でも、やっぱりダメ!
 フィーは、私の妹。
 世界で一番愛している妹。
 姉の許可なく付き合うなんて許しません!

「いつもありがとうございます、ジークさま」
「いいさ。友達の心配をするのは当たり前のことだろう?」
「えへへ」

 友達、という単語に反応して、フィーがうれしそうな顔に。
 そこに恋慕の念は見られない。

 ふむ。

 まだ恋人関係に発展しているわけではなさそうだ。
 友達のちょい上、親友の手前の手前、というくらいかな?

 どこでイベントをこなしたのかわからないが……
 二人は順調に仲を深めているらしい。

 フィーに恋人ができるなんて、とても気に入らないのだけど……
 でも、それで妹が幸せになるのなら、涙を飲んで我慢しなければいけないのだろう。

「フィーは、いつの間にレスとハイムさまと仲良くなっていたのですか?」
「えっと、実は……」

 フィー曰く……

 街で暴漢に襲われそうになったところをジークに助けられたらしい。
 そこから交流が始まり、友達になって……
 今に至る。

 どうやら、私の知らないところでジークと出会うイベントが発生していたみたいだ。
 ゲーム本来の流れになっている。

「そうだったのですか……妹を助けてくださり、誠にありがとうございます。深く感謝いたします」
「いや、それは構わないのだけど……」

 なぜかジークが驚いた顔に。

「どうされたのですか?」
「いや……まさか、君に頭を下げられるなんて思ってもいなかったからね。噂では、頭を下げることはできず、人を顎で使ってばかりとのことだったから」
「そんなことはありませんっ!!!」

 また私の悪評か……と諦めていたら、フィーが大きな声をあげた。
 風邪を引いていて辛いはずなのに、必死な顔をして言う。

「アリー姉さまがそんなことをするはずありません! 全部、根も葉もない噂です! アリー姉さまは優しくて頼りになって、いつも甘えさせてくれてなでなでしてくれて、優しくて、大好きなお姉さまです!!!」
「「……」」

 突然の告白に、私とジークはぽかんとしてしまう。

「フィー?」
「……あっ」

 考えてしたことではないらしく、フィーは恥ずかしそうに顔を赤くした。

 でも、だからこそ……
 今の台詞は心の底から出てきたものなのだろう。

 つまり、まごうことなき本音。
 フィーは、私のことが大好き。
 大好き……大好き……大好き……愛している……

「フィー!」
「ふやっ!?」

 感極まり、ついついフィーを思い切り抱きしめてしまう。
 それから頭をなでて、頬をすりすりして、もう一度頭を撫でた。

「あ、アリー姉さま!?」
「……こほん」

 我に返り、フィーから離れた。

「私も、フィーのことが大好きですよ?」
「あ……はい! アリー姉さま」

 フィーがにっこりと、花が咲いたような笑顔を見せる。

 かわいい。
 本当にかわいい。
 私の妹、天使すぎる。

「……ぷっ」

 ふと、耐えられないという感じでジークが笑う。

「あはははっ」
「どうされたのですか?」
「いや……まさか、あの悪名高いアリーシャ・クラウゼンが、このようなシスコンだったなんて」
「当たり前です! このようなかわいい妹がいるのだから、その虜になるのは当然でしょう」
「くはっ、あははは! まさか、開き直るなんて……ははは、ダメだ、本当におかしい」

 涙すら浮かべて、ジークが笑う。

 はて?
 そんなにおかしいことを言っただろうか?