「……思い出した」

 ある日、私……公爵令嬢の長女、アリーシャ・クラウゼンは前世の記憶を思い出した。
 前世の私は、日本の女子高生。
 ゲームが趣味という以外、特筆することのない平凡な女の子だ。

 ある日、事故に遭ってしまい……
 そして、アリーシャ・クラウゼンに転生をすることに。

「待って、待って、待って……えぇ? 本当にちょっと待って。この記憶は確かなものなのかしら?」

 読んでいた本をテーブルの上に置いて、立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き回る。
 貴族令嬢としてのマナーを忘れるほどに落ち着きがないのだけど、それも仕方ない。
 前世の記憶が確かならば、ここは……乙女ゲームの世界なのだから。

「乙女ゲームの世界に転生? いえ、まさかそんな……でも、この状況は……」

 ゲームで見たことのある景色。
 ゲームで聞いたことのある名前。
 そして、この世界の歴史や文化は、乙女ゲームと酷似……いや、まったく同じだった。

「まさか、と思うのだけど……でも、こうなると疑いようがないわね。私は、乙女ゲームの世界に転生してしまったみたい。でも、だとしたら……」

 非常にまずい。

 繰り返しになるのだけど、私の名前は、アリーシャ・クラウゼン。
 そして、乙女ゲームに出てくる悪役令嬢の名前も、アリーシャ・クラウゼン。

 お願いだから杞憂であってほしい。 
 そう祈りながら、私は姿見の前に立つ。

 歳は十五。
 光を束ねたような金色の髪は長く、腰の辺りまで届いている。

 自分で言うのもなんだけど、美人だと思う。
 ただ、吊り目のせいで勝ち気な印象が強く、どことなく人の言うことを聞かない暴れ馬を連想させた。

 ちなみに、スタイルは……わりとダメダメだ。
 良くいえばスマート。
 悪くいうなら凹凸がない。
 そんな体型。
 泣けてくる。

「これは……紛れもなく、悪役令嬢のアリーシャね」

 あまり認めたくないのだけど……
 私は、乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまったみたいだ。

 だとすると、とてもまずい。
 古今東西、悪役令嬢の最後は破滅か追放か断罪と決まっている。
 かくいうアリーシャ・クラウゼンも、最後は断罪されてしまう。
 その日は……

「今日はいつ!?」

 私は慌ててカレンダーを見た。
 今は……春だ。

「よかった……」

 春ならば、ゲームは始まったばかりで、エンディングには程遠い。
 転生して、前世の記憶を取り戻して早々に破滅を迎える……なんていう、最悪の事態は避けられたみたいだ。

「あ……はい?」

 安堵したところで、扉をノックする音が響いた。
 返事をすると、メイドが姿を見せる。

「アリーシャお嬢さま。旦那さまと奥さまがお呼びです」
「父さまと母さまが?」

 父さまは公爵の仕事で毎日忙しく、母もそのサポートで忙しい。
 昼間から家にいることなんて滅多にない。

「……まさか」

 一つ、心当たりがある。
 多忙な父さまと母さまが家に戻り、長女の私を呼び出すような理由。
 それは……運命の始まりを告げるためだ。



――――――――――



「は、はじめまして! 私は、その、あの……シルフィーナと申します!」

 父さまと母さまに呼び出された先で、ガチガチに緊張した女の子に、そんな挨拶をされた。

 歳は、信じられないことに、私の一つ下……十五らしい。
 そう思えないほどに、顔は幼い。

 顔は整っているのだけど、美人というよりは美少女。
 綺麗というよりはかわいい。
 そんな子だ。

 私と同じ金色の髪。
 ただ、軽くウェーブがかかっている。
 姉妹というのも納得だ。

「父さま、母さま。これはいったい……?」

 ゲームをやっていたため、この後の展開は知っているのだけど、それでも、あえて尋ねた。
 もしかしたら、違う展開になるかもしれない。
 そんな淡い期待を込めるのだけど……期待はすぐに裏切られる。

「落ち着いて、よく聞いてほしい。この子は、実は……お前の妹なのだ」
「妹……ですか」
「驚かせてしまったわね、ごめんなさい。でも、本当のことなのよ」
「えっと……そうですね、はい。突然のことに驚いてはいますが、その話は疑っていません。私とよく似ていますし、それになんていうか、血の繋がりを感じますから。でも、なんていいますか、同じではないといいますか……うーん?」

 チラリとシルフィーナを見ると、こちらの視線に気がついて、彼女はペコペコと頭を下げた。
 今、どうして頭を下げたのかな?
 特に謝るようなことなんてないのだけど……
 やっぱり彼女は、ゲームの設定通り、とても臆病で人見知りをするのかもしれない。
 だから、この状況に、ひたすらに恐縮しているのだろう。

「妹というのは、どういうことなのですか?」
「うむ。私に弟がいるのは知っているだろう? 実は、シルフィーナは弟の娘なのだ。だから、正確に言うのならば従姉妹ということになる」
「なるほど。もしかして、父さまが不貞を働いたのでは? と疑ってしまいました」
「安心してください、アリーシャ。そのようなことになれば、わたくしは、旦那さまを絶対に許していないでしょう。ええ、絶対に」

 母さま、ニコニコしながら言わないで。
 正直、怖い。
 父さまも恐れ、冷や汗を流していた。

「少し込み入った事情があってな。シルフィーナは、私達が引き取ることにした。故に、今日から家族となる。そして……アリーシャ。お前の妹になる」
「その事情というのは?」
「……すまないな。それを話すことはできん」

 父さまは苦い顔をしていて、私に事情を話せないことを心苦しく思っている様子だ。

 実のところ……
 シルフィーナの事情は、ゲームをプレイしていた私も知らない。
 完全クリアーしたわけじゃないから、ところどころで情報が欠落しているのよね。
 主人公には隠された秘密があるけれど、全てのルートをクリアーすることで、初めて真実を知ることができる、というゲーム設計だったのだ。

「……わかりました。事情は聞きません」
「すまないな」
「いえ。それよりも……そうですか、私に妹が」

 シルフィーナ・クラウゼン。
 突然できた、私の妹。
 そして……このゲームの世界における、メインヒロインだ。

 私がプレイしていた乙女ゲームのあらすじは、簡単に言うとこんなところ。
 ある日、アリーシャ・クラウゼンに妹ができる。
 妹は皆から愛されて、アリーシャ・クラウゼンの想い人からも好かれるように。

 そのことを忌々しく思ったアリーシャ・クラウゼンは、妹を疎み、妬み、嫌い、ありとあらゆる嫌がらせをするように。
 次第に嫌がらせのレベルを超えて、犯罪に。

 そして……
 最終的にそれらの罪が公のものとなり、アリーシャ・クラウゼンは破滅を迎える。
 それはもう盛大に、ざまぁ展開となる。

「……まいりましたね」

 どうやら、今日はゲームスタートらしい。
 この日、私と妹の運命が動き出す。

 そして……

 私は破滅を。
 妹は幸せを。
 それぞれの結末を迎える。
 でも、そんなバッドエンド認められるわけがない。
 これが運命だというのなら、どこまでも、徹底的に抗ってみせよう。

 この世界に転生したことは、神さまの思惑があってのことなのか。
 それとも、ただの気まぐれなのか。

 それはわからない。
 わからないけど、おとなしく運命に従うなんて思わないでほしい。
 私は、私の道をいく。

「なにもかも、全部、はねのけてみせます!」

 私は決意を固めて、運命に抗う闘志を燃やすのだった。