来世にご期待下さい!〜前世の許嫁が今世では私に冷たい…と思っていたのに、実は溺愛されていました!?〜

 そして優しく撫で始めたものだから、恋幸の思考はフリーズ不可避。何が起きたかありのままに話すことすらままならなかった。


「……失礼。ペットに似ていたものですから、つい」


 彼はそう言って手を離すが、恋幸の心は今の一瞬で『ペット』というワードに奪われてしまい、らんらんと目を輝かせて裕一郎の顔を見上げる。


「ペット、飼ってるんですか!?」
「……ええ、まあ」
「いつからですか!? 種類は!? お名前は!?」
「うちに迎えたのは3年ほど前で……ああ、いえ。それはまた機会があればお話するとして……今日の要件はなんですか?」


 彼が目線を向けると、恋幸は途端に唇をきゅっと閉じて再び俯いてしまった。

 次の言葉を待つ裕一郎がお冷を持ち上げた時、氷のぶつかり合う音に紛れて鼓膜をノックする小さな声。


「……た、……に、……かけ……て、」
「……?」


 首を傾げる彼の瞳に、真っ赤な顔で言葉を紡ぐ恋幸の姿が映った。
 色素の薄いブラウンのビー玉には涙が滲み、いわゆる『上目遣い』の効果を体験した裕一郎は心の中で(なるほど?)と呟く。
「……あ、明日……どこかに、い、一緒に……お出かけ、したく、て……で、でも! 明日も平日だから倉本様にはお仕事がある事にさっき気づいたので、また別の機会に誘」
「構いませんよ」
「……えっ?」
「明日ですよね? 問題ありません。待ち合わせ時間と場所の希望はありますか?」
(ほゃ……)


 いえそんな! 仕事ですよね!? また都合の良い日があれば教えてください!!

 建前だけのそんな言葉は、裕一郎の整った顔を見ていると消え失せてしまう恋幸であった。


「えきまえ……じゅういちじ……おねがいします……」
「どうしました? 何だか知能レベルが下がっていませんか?」
「だいじょぶです……」
 翌日、午前8時29分32秒。裕一郎との待ち合わせ時間まで、残り――……2時間30分28秒。
 恋幸は昨日、自身が犯した“罪”の重大さに帰宅してから気が付いたのである。





(はぁー! 今日の裕一郎様もかっこよかったなー! 明日も会えるなんてハッピー! どんな服着よ、う……ハッ!?)





 それからは寝落ちする瞬間までずっと「裕一郎様、どんな服を着るんだろう……」「出かける時も常にスーツ派だったりするのかな……」などなど、『彼』が身につける布の種類で頭がいっぱいだった。
 そして、目が覚めてからは「裕一郎様が私服だった時、正気で受け止めきれるかな……」という特殊な不安に襲われている。


(私はどんな反応をするのが正解なんだろう……)


 などと頭を悩ませつつ顔を洗っても、とうぜん鏡の中の自分は何も答えない。


(そうだ、あまりにも麗しすぎた時の対策にサングラス持っていこう……)


 いったい何対策かよくわからないが、恋幸の身に付けたワンピースがインターネットでポチったばかりのajes femmeの新作だということだけは確かだ。
(……第一声、なんて声をかけたら魅力的なレディに見えるかな……)


 時刻は10時29分58秒。いざ、出陣……!!





 ……してから、約15分後のことだった。
 待ち合わせ場所の駅前に到着してから、恋幸はさらに重大な要件を思い出し足を止める。

 大半を裕一郎に占領された脳みその空き容量2%で薄々「何か忘れている気がするな」と心の中にモヤモヤが漂ってはいたのだが、その『何か』をようやく思い出したのである。
(新刊の告知、忘れてた!)


 もっと早く思い出すべきだろう作家としてのプライドはどこへやったのか、と編集の清水は彼女に問いたい。


『皆様のおかげで新刊が出せます!!「未来まで愛して、旦那様!」4巻は5月15日に発売予定です!!』


 原稿の提出が締切に間に合えば。
 いや、彼女はこういう時だけは異常に“強い”のでそこは心配ご無用だ。

 恋幸はTbutterに呟き終わったスマートフォンをポケットへしまい、きょろきょろと見渡して裕一郎の姿を探す。
(裕一郎様、裕一郎……)


 そして目にする。


「あっ……!! くら、も……」


 スマートフォンの画面を見つめて、口元に緩やかな弧を描く裕一郎の姿を。


(わら、って……)


 通常であれば「一人で携帯の画面を見てニヤニヤするなんて」と引いてしまう場面であるが、相手は“あの”裕一郎である。

 彼の表情は滅多に変化を見せない。
 それを画面越しで容易に“変えてしまえる”相手など、想像に(かた)くなかった。
(……そうだ、当たり前だ。こんなに素敵なんだから、恋人がいないわけない)


 そういった関係の存在を忘れていたのか、考えないようにしていたのか。恋幸は自分自身でもどちらなのかわからない。

 ただ……思い上がっていたのだ。
 自分は前世の彼と愛し合っていたのだから、今世でもきっと特別な存在だと思ってくれているだろう。そんな風に、勘違いしていた。


(……そんなわけ、なかったのに)
「小日向さん? どうしてこんな所に突っ立っているんです?」
「!!」