来世にご期待下さい!〜前世の許嫁が今世では私に冷たい…と思っていたのに、実は溺愛されていました!?〜

「ずっと恋焦がれた女性を目の前にして、余裕なんてあるわけがないでしょう?」
「えっ……だ、だって、いつも」
「いつもは貴女にバレないように『余裕』ぶっているだけですよ。ほら」
「わっ!?」


 裕一郎は、それでも信じられないと言いたげな顔をする恋幸の体を持ち上げて横抱きの体勢にすると、片手を優しく掴んで自身の左胸に触れさせ口元に緩やかな弧を描く。


「私も、貴女と同じですよ」
「……ほんと、だ……」


 指先の感覚に集中しているのか、恋幸の目線は珍しく裕一郎の顔を逸れて彼の左胸に注がれていた。
 彼女は再度「本当だ」と呟いた直後、花が開くかのようにふわりと顔を(ほころ)ばせる。
「えへへ……よかった。倉本さんとお揃いで嬉しいです」


 ――……“それ”は、裕一郎の理性を溶かすためには十分すぎるものだった。


「……本当は、貴女に『夢の中で私はどんな言動をとっていたんですか?』と聞きたくてここに呼んだんです」
「え!?」
「ですが、それはまた気が向いた時に聞くことにします。小日向さん、」


 彼は一旦そこで言葉を切り、眼鏡の奥にある目を細めて右手の親指で恋幸の唇を優しくなぞる。


「私を避けてしまった、という貴女の罪悪感につけ込んでもいいですか?」
「……はい。大好きな倉本さんになら、何されてもいいです」
「……『殺し文句』なんて言葉じゃ足りませんね、それ」


 裕一郎が顔を近づけると、恋幸は誰に教わったわけでもないというのに(まぶた)を伏せて口を閉じた。
 ゆっくりと重なる唇の感触が心地良くて、時間が経つのを忘れてしまいそうになる。


「小日向さん、少し口を開けてください」
「は、」


 返事をするために開いたはずの口が、自分とは違う熱に(おか)される。
 彼の左胸に添えていた手で服をぎゅっと握り、恋幸は頭の隅で必死に息継ぎの仕方を思い出していた。
「っふ……っ、」
「ん……」


 静まり返った室内で、互いから発せられる水音だけがやけに大きく響く。
 舌を伝って混ざり合う熱に思考が(おか)され、恋幸は脳が痺れるような感覚に襲われていた。


「は、っふ……んんっ、」


 意識していなくても、少しだけ開いた唇の隙間から勝手に可笑(おか)しな声が漏れてしまう。

 だというのに……(まぶた)を薄く持ち上げれば、目の前にある裕一郎の整った顔は“こんな時”にも()いだ水面のように落ち着いた表情を浮かべており、急激に沸騰した羞恥心から恋幸は再びかたく目を閉じて彼に体を委ねた。
「……ん、っん……ふっ、」


 今――彼女は裕一郎の手で後頭部を固定されているわけでもなく、無理矢理に口内の愛撫(あいぶ)を受け入れなければならない理由は一つもない。

 それでも無意識下で「もっと」と求めて(みずか)ら顔を寄せてしまうのは、前世云々を後付けの言い訳にしてしまえるほどに『裕一郎(こいびと)』との深い繋がりを望む恋幸の心の現れだった。

 そして勿論“それ”は彼女の態度から裕一郎へ伝わっており、彼は深く口付けたまま目元に緩やかな弧を描く。


(なんだろ……なんか、変な感じがする)
 裕一郎が舌を絡めてくるだけでぞわぞわとしたものが肌を駆け抜け、下腹がずくりと(うず)いた。
 それはまるで、身体中の細胞から生毛の先に至るまでの全てが『彼』を求めているかのように感じてしまう。

 いや、


(裕一郎様……裕一郎様、大好き)


 その感覚は勘違いや錯覚などではなく、恋幸にとっては紛れもない真実であり、彼を想うだけで体が勝手に動いてしまった。

 はしたないかもしれないと憂う余裕すら無い彼女は、本能のままに両腕を伸ばして裕一郎の首に抱き着き、自らも恐る恐る舌先を動かしてみる。
「は……っ、ゆーいちろ、さま」
「……ふ、」


 彼はしばらくの間なすがままに恋幸の(つたな)い愛撫を受け入れてから、片手で頭を優しく撫でると惜しむようにゆっくりと顔を離した。

 互いの唇の間には銀の橋がかかり、裕一郎は彼女の唇についた(しずく)を親指の先で(ぬぐ)う。


「はぁっ、は……っ」
「大丈夫ですか?」
「ん、」


 必死に息継ぎをする恋幸が何度も頷けば、長い指が前髪をかき分けて彼女の(ひたい)に口付けが一つ落とされた。
「……調子に乗りました、すみません」
「……? どうして謝るんですか? 私、」


 珍しく困ったような顔をする裕一郎を(あお)ぎ見ながら、彼女は首をわずかに傾けて彼の服を指先で軽く摘む。


「私……もっと、触ってほしいって思っちゃいました」
「……」


 その言葉を聞いて、裕一郎の喉仏が大きく上下する。

 生唾を飲むとはまさにこの事である、と他人事のように考えながらなんとか理性を保っている彼を知ってか知らずか……恐らくは後者だが、色素の薄いブラウンの瞳に涙の膜を貼り、恋幸は再び口を開いた。
「倉本さん……私の罪悪感につけ込んでくれないんですか?」
「……はぁ……」


 裕一郎が顔をしかめて大きなため息をこぼすと、途端に恋幸の体は強ばり「すみません」と意味のない謝罪が口をついて出る。

 そんな彼女の様子を見て、裕一郎は大きな手で優しく頭を撫でたあと口の端をわずかに引いた。


「こちらこそ、勘違いさせてしまいすみません。貴女の言動で不快になったわけではありませんよ」
「ほ、本当ですか……?」
「本当です。愛らしいことを言われて、こんなに可愛らしい顔を見せられて……不快になる方が難しいくらいですよ」
「!?」