来世にご期待下さい!〜前世の許嫁が今世では私に冷たい…と思っていたのに、実は溺愛されていました!?〜

「また会えて嬉しいなぁ、って。思っただけです」
「!?」


 恋幸が満面の笑みを浮かべてそう返した瞬間、今まで全く変化を見せなかった彼の表情が初めて崩れる。
 目を丸くして驚く様はまさに「面食らった」という表現がぴったりだろう。

 しかしそれもほんの数秒の出来事で、恋幸が気づくよりも先に元の無表情へ戻ってしまった。


「……そうですか」
「はい! あっ、えっと……お仕事だったんですか?」
「ええ」
 小さく頷いた彼を見てようやくこの時間まで現れなかった理由を理解した恋幸だが、つい先程まで自分が落ち込みきっていたことなどすっかりどうでもよくなる。
 今現在、彼女の頭の中は「スーツがこの世で一番よく似合うなぁ」というハッピーな考えでいっぱいだからだ。

 しかし、


「……あっ、そういえば……!! あの、先日は突然……その、変なことを言ってすみませんでした……!!」


 不意に重大なことを思い出し、恋幸は座ったまま深く頭を下げる。

 けれど、返ってきたのは意外にも「謝る必要はありませんから、顔を上げてください」という言葉で、恋幸は安堵に胸を撫で下ろしつつ言われた通り彼に向き直った。
「うう……改めまして、すみませんでした……」
「いえ、お気になさらず。ちょうど、その件でお話したいことがあります」
「……え?」


 彼に再会できたことで脳内がお花畑になっていた恋幸はこの時「ということは、もしかして……?」と、淡い期待を抱いたのだが、


「結婚の申し出についてですが……」
「は、はい……っ!」
「丁重にお断りさせて頂きます」
「はいっ!!」


 現実はそう上手くいかないものである。
(……あれ?)


 丁重にお断りさせて頂きます……その言葉を、恋幸は頭の中で何度も繰り返す。

 さすがの彼女も、二つ返事で了承してもらえると思っていたわけではないのだ。
 初対面の女性に求婚されて何の迷いもなく「はい、喜んで」と答える男性など、怪しいにもほどがある。
 そんなことくらい、分かっていた。

 だが同時に、恋幸は心のどこかで期待していたのだ。
 生まれ変わった(かもしれない)彼も、出会ったあの瞬間――……同じ気持ちを抱いてくれたのではないだろうか? と。そんな風に、夢を見ていたのである。


(恥ずかしい……)
「本題についてお話したかった事は以上です」
「……あっ、は、はい。わかりました……えへへ、すみません」
「……」


 独りよがりな(いや)しい願望を押し付けようとしていた自分に気づいた途端、恋幸は『彼』の顔を見ることができなくなった。

 両手の拳を自身の太ももにのせ俯いたまま唇を引き結ぶ彼女の頭を、彼は静かに伸ばした片手で優しく撫でる。
 瞬間――恋幸は弾かれたように顔を上げて彼を見るが、その表情は一切変化しておらず、ただ空のように美しい瞳が眼鏡越しに彼女を映していた。


「……っ、あ……」
 今のは、どういう意味ですか? どうして、頭を撫でてくれたんですか?
 恋幸の心に湧き上がった疑問を全て見透かしたかのように、


「……落ち込んでいるように見えたので」


 彼は短くそう告げ、一度ぽんと軽く叩いてから手を離す。

 先ほどから、恋幸はどうすればいいのかわからずにいる。
 彼の行動や発言の原動力は全て本人の持つ『優しさ』から生まれたものでしかないのに、勘違いしてしまいそうになるからだ。


(今世の和臣様も、私のことが好き? なんて……そんなわけ、ないのに……)


 考えれば考えるほど、胸が苦しくて仕方なかった。
「……えへ、落ち込んでなんていませんよ! 反省していただけです!」
「そうですね。いささか失言や軽はずみな発言が多いように思いますので、存分に反省してください」
「!?」


 なにかがおかしいと、恋幸は浮かび上がった『違和感』に今さら気がつく。
 和臣の生まれ変わりであるはずの『彼』の表情、態度、発言……彼女に向けてくるものが、どれも全て冷たすぎる気がしたのだ。

 しかし、恋幸はその程度で「幻滅しました」だの「やっぱり前世の和臣様が好き!」だのと(なげ)いて(むせ)び泣くほど繊細な女ではなかった。
(こういう人、なんて言うんだっけ……あ、そうだ! クーデレ属性? 冷たい和臣様……も、萌える……これはこれでアリよりのアリ……!!)


 そう、生半可な気持ちと覚悟で和臣にガチ恋していない。特殊な訓練を受けた精鋭である。


「あっ、そうだ。その……あの、さっきみたいな事、」
「さっき?」
「あ、ああ……頭、を……撫で……あの、ああいう事。あんまり、女性相手にはしない方がいい、と、思います……あの、ほら! 私みたいに勘違いしちゃいますから! ね! な、なんちゃって!」
「……別に、勘違いされても問題ありませんがね。誰にでもあんな真似をするわけではありませんし」
「……え?」
 恋幸の問いかけに対して彼は何も答えずふいと目を逸らし、胸ポケットからカードケースのような物を取り出した。


「そういえば、自己紹介がまだでしたよね」
「……っ!! あっ!! 言われてみれば……!!」
「まずは互いを深く知るべきかと」
「は、はいっ! ごもっともです!!」


 慌てて彼女もポシェットに入れていた名刺ケースを手に取り、お互いに一枚ずつ中身を交換する。


「では、改めて……倉本裕一郎と申します」
「……くらもと、ゆういちろう……」


 恋幸は、明朝体で印刷された名刺の文字を人差し指で優しくなぞり、ふうと小さな息を吐く。