来世にご期待下さい!〜前世の許嫁が今世では私に冷たい…と思っていたのに、実は溺愛されていました!?〜

 どうやら裕一郎はわざと“そう”しているらしく、口を離して(ひたい)同士をくっつけると「可愛いですね」と呟いてもう一度キスをする。


「ふ……っ、くらもと、さま」
「うん?」
「いったん息継ぎしてもいいですか」


 頓珍漢(とんちんかん)な問いに彼は3秒ほど動きを止めた後、息を吐くように笑って顔を離し恋幸を抱きしめた。


「すみません。貴女から求めてもらえたのが嬉しくて、調子に乗りました」
「と、とんでもないです……! ありがとうございました!」
「こちらこそ」


 彼女が大きく息を吸っている間、裕一郎はその背中をとんとんと優しく叩く。
 そして呼吸が整ったタイミングで体を離し、恋幸の顔をまっすぐ見据えて口を開いた。


「私からも一つ、質問して構いませんか?」
「もちろんです! なんでもどうぞ!!」
「気になっていたのですが、小日向さんはなぜ私を『倉本様』と呼ぶんですか?」
「えっ」


 十中八九彼が言いたいのは敬称についてだろうが、ずっと指摘されなかったため何も問題がないと思っていた部分に今になって触れられ、どう答えるべきか迷ってしまう。
 彼女が『倉本様』と呼ぶ理由はただ一つ、


「その……前世でも、『様』を付けて呼んでいた、ので……」


 この雰囲気で和臣(かずあき)の話題を出すことは躊躇(ためら)われたが、どちらにしろ裕一郎に対して嘘をつくことができない恋幸は正直に原因を打ち明けた。
 気を悪くさせてしまわないだろうかと(うれ)う彼女をよそに、彼は意外にもあっさりと話を飲み込んで「なるほど」と頷く。


「私達は“恋仲”なんですから、『様』なんて付ける必要はありませんよ」
「で、では失礼して……! 倉本!」
「急に失礼すぎるでしょう」


 ごもっともである。


「あっ、えっと……く、倉本、さん?」
「はい、よくできました」
(んん~! 褒めてくれた……! 大好き!)


 まだ寝たくないと思いながらも、二人は布団に入って「おやすみなさい」の挨拶を交わし瞼を閉じた。
 ――……触れ合った唇が、まだ熱くて仕方がない。
 その日の夜はお互いに悶々(もんもん)としたものを抱えたまま眠りにつき、あっという間に朝が来る。

 裕一郎が起床したのは午前6時。彼はまず上半身を起こして眼鏡をかけ、隣で眠る恋幸に目線をやった。
 まだ夢の中にいる彼女は規則正しい寝息を立てつつどこか幸せそうに頬を緩めており、その姿を見て裕一郎はわずかに口元を(やわ)らげる。


「……可愛いな……」


 そんな独り言をこぼしながら彼は長い指で恋幸の前髪をかき分けた後、一度頭を撫でて「さて」と気持ちを切り替え布団から抜け出した。
 寝ている間に乱れていた自身の着流しを整え、枕と敷布団を(たた)んで押入れに仕舞う。部屋から出る直前に振り返って再度恋幸の寝顔に目線を投げると、後ろ髪を引かれる思いで『花』の元へ向かった。


「……もうそろそろ八重子(やえこ)さんが来る頃かな」




 約3時間後の午前9時。目を覚ました恋幸が隣を確認すると、そこにはすでに裕一郎の姿は無い。
 半分眠ったままのぼんやりとした頭で彼の行方を考えつつ、いったんスマートフォンで時間を確認してからようやく「仕事に行ったんだ」と理解した。


「よい、しょ……!」


 やっとの思いで敷布団を片付けて記憶を頼りに床の間へ辿(たど)り着けば、先に来ていた星川が彼女に気づいて笑顔を向ける。


「あら、小日向様おはようございます」
「あっ、おはようございます!」
「ふふ、可愛い寝癖がついてますよ」
「えっ!? お恥ずかしい……!」
 恋幸が洗面所で寝癖と悪戦苦闘(あくせんくとう)している間に、星川はあらかじめ作っておいた二人分の朝食をレンジで温めて座卓の上に並べた。
 そして戻ってきた彼女とそれを食べ終えた後、流し場で手分けして食器の後片付けをする。


「私の仕事なのに、小日向様に手伝わせてしまってすみません」
「とんでもないです……! これくらいいくらでもやるので任せてください!」


 恋幸の言葉に星川は少し笑いを漏らしたが、すぐに「でも申し訳ないわ」と眉を八の字にして二度目の謝罪を口にした。
 そんな彼女に目線をやりながら、恋幸はずっと気になっていた『話題』を思い切って口から落とす。
「あの、星川さん。前に、『裕一郎様がエアコンを買った』って言ってましたけど、」
「ああ、そうそう! ちょうど今日、業者の方が取り付けに来てくださるので、小日向様の部屋も暖かくなりますよ!」
「やったー! あっ、そうではなくてですね! その、代金をお返ししたくて……お値段とかご存知かな、って」


 話を聞いた星川は手元に目線を落としたまま食器についた泡を洗い流し、蛇口(じゃぐち)のハンドルを前に倒してお湯を止めてから首を左右に振った。


「もちろん知ってます。けど、教えた上に小日向様から徴収(ちょうしゅう)したとあれば、裕一郎様に叱られてしまいます」
「え? でも、」
「それに、きっと裕一郎様も代金を返してほしいだなんて思っていないわ。貰えるものは貰って、甘えておけばいいんですよ」
「……」
 そうは言っても、新しいエアコン代と設置費用を考えれば決して安くはないだろう。
 しかしここで星川を責めたり詰め寄ることはお門違いであると理解していた恋幸は、モヤモヤとした感情を抱えたまま午後を迎え、ドラム式洗濯機の使い方を(おそ)わるのであった。





「エアコン代?」


 午後8時過ぎに帰宅した裕一郎と入れ違いになる形で星川は帰ってしまったが、彼女の作ってくれた夕飯を二人で完食して一緒に食器を片付け終えたタイミングで“例”の話を切り出す。

 裕一郎は床の間の座布団に腰を下ろし、顎に片手を当てて何か考えるような素振りを見せたが、真隣に座った恋幸の顔を真っ直ぐその瞳に映し、相変わらずの無表情で少し首を(かたむ)けた。
「いりませんよ」
「い、いらなくないです! 返します!」
「……貴女は律儀(りちぎ)ですね」


 大きな手で頭を撫でられて恋幸は一瞬「裕一郎様だいすき」の感情に脳みそを(おか)されてしまったが、今回はほんの数秒で我に返り彼の手首をそっと掴む。


「ごっ、誤魔化されませんよ!」
「可愛がっているつもりだったのですが」
(んんっ……好き……)


 完全敗北の瞬間であった。


「どちらにしろ、ここに住むという提案もエアコンの手配も私が勝手にした事ですし、貰っておいてください」