考えれば考えるほど緊張してしまい湯船に浸かれなくなってしまった恋幸は、もう一度シャワーで体を洗い流してからお風呂場を出た。
(なんか……旅館に泊まりに来てる気分になっちゃうな……)
バスタオルで全身を拭き終えると、薄紅色の生地にウサギ柄がプリントされたパジャマへ着替え、持参したフェイスタオルを肩にかけて脱衣所を後にする。
入浴前に裕一郎が即席で書いてくれた地図を見ながらなんとか床の間へ戻り襖を開ければ、エアコンの暖かな空気が恋幸を迎え入れ、座卓に片肘をつきつまらなそうな顔でテレビを見ていた裕一郎の姿が目に入った。
「ああ、おかえりなさい」
「あっ、お、お風呂! ありがとうございました!」
彼は恋幸に気づくとテレビの電源を切り、姿勢を正して彼女に向き直る。
「いいお湯でした……!」
「そんなに改まらなくても……家の風呂なんて、どうせこれから何回も入るものなんですから」
「!?」
爆弾発言をしているという自覚があるのかないのか。
定かではないが、茹でダコのように赤くなる恋幸の顔を見て裕一郎は「のぼせましたか?」と首を傾げた。
「い、いえ……違います……」
「大丈夫ですか?」
「だいじょぶです……」
時刻は10時4分。ここからが、恋幸にとって最大の戦いである。
お風呂場で脱いだ服等をどうすればいいのか分からなかった恋幸は、「裕一郎様に聞くのはちょっと恥ずかしいし、星川さんに会ったら聞こう」と考えていったん自分用の部屋に持ち帰り、ドライヤーでしっかり髪を乾かしてから地図を頼りに裕一郎の部屋へ出陣。
そして、辿り着いた時点で痛いほどに高鳴る心臓を深呼吸で落ち着かせ、緊張からわずかに震える手で襖をスライドした。
「し、失礼します……!!」
目を瞑ったまま一歩前に出て後ろ手に襖を閉めると、エアコンの暖かな空気が恋幸の頬を撫でる。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、そこには布団の上に胡座をかいて座り真剣な顔でノートパソコンに何かを打ち込む裕一郎の姿があった。
彼は恋幸に気づくとその手を止め、「迷わなかったようで安心しました」と呟きノートパソコンを閉じて自身の枕元に置くと彼女に向き直る。
「んふーっ……んふーっ……」
「……? 大丈夫ですか?」
「だ、だいじょぶです……!」
全く“大丈夫”ではない恋幸が鼻息を荒くしながらぐるりと見渡した室内には、星川が用意したのかそれとも裕一郎がしてくれたのか……敷布団が2組、しっかり隣同士でセッティングされており彼女の心拍数は再び急上昇。
ロボットのごとくギクシャクした動きで裕一郎の隣にある布団へ向かう恋幸を見て、彼は座ったまま心配そうにその顔を覗き込んだ。
「……本当に大丈夫ですか? 星川さんから事情は聞いていますが、小日向さんがここで寝て私が貴女の部屋で眠ればいいだけの話なので、無理強いするつもりは」
「本当に大丈夫です!!」
あの極寒の地で裕一郎様に睡眠をとらせるわけにはいかない!
そんな強い意志を持つ彼女が食い気味に否定すれば、裕一郎はわずかな沈黙の後「そうですか、それなら良いのですが」と言って目を逸らす。
「んふーっ……んふーっ……」
「……電気、消しますね」
相変わらず鼻息の荒い恋幸が布団に入ったことを確認した裕一郎は眼鏡を外して折り畳み、それを枕元に置いてリモコンを手に取ると親指でピッとボタンを押した。
――……瞬間。真っ暗闇に包まれる室内と、
「ひっ……!!」
短く響く悲鳴。
「!?」
そして、裕一郎の腕に『誰か』がしがみつく。
「……小日向さん?」
「ご、ごめ、ごめんなさい……あの、すみません、電気……電気を、つけてほしくて……常夜灯でいいので、すみません……お願いします……」
かすかに震えながらそう訴えたのは恋幸で、裕一郎は初めて見た彼女のその様子に困惑しつつもリモコンを操作し、言われた通り常夜灯へ切り替え「これで大丈夫ですか?」と問いかけた。
すると、恋幸は「はい、大丈夫です。お手数をおかけしてすみません」と笑顔を見せると同時に裕一郎の腕から両手を離し、引力で引っ張られるかのような勢いで後ろへのけぞる。
なんとも奇っ怪な行動に裕一郎は思わず吹き出しそうになったものの、唇に力を込めてなんとか笑いを噛み殺した。
「すす、すみません……!! 私、倉本様の体に許可なく触れたりして……っ!!」
「いえ……小日向さんなら、わざわざ許可を取る必要はありませんが」
「なん……なっ……んん、なん……」
布団に寝転んだまま久しぶりにナンの話しかできなくなった彼女を見て、彼はほんの一瞬だけ懐かしさに襲われる。
「すみませんでした。暗闇が平気かどうか、先に聞くべきでしたね」
「……!! 倉本様のせいじゃありません!! 私が先に……先に、暗所恐怖症だって、言わなかったせいです……」
「……」