来世にご期待下さい!〜前世の許嫁が今世では私に冷たい…と思っていたのに、実は溺愛されていました!?〜

「ああ、でも……一点だけ違うかもしれません」
「……?」


 何の事か聞く前に、彼の大きな手が恋幸の頬に添えられ空色の瞳が緩やかな弧を描いた。


「貴女から大義名分を得たので“そう”提案しただけで、本音は貴女を囲いたいだけなんですよ」
「!?」
「案外、私は独占欲が強い人間だったようです。……大人気(おとなげ)なくてすみません。わがままを言っている自覚はあるので、少しでも嫌だと感じたら遠慮なく断ってください」
 綺麗な眉を八の字にしてそんなセリフをこぼす裕一郎に対して、恋幸は口よりも先に体が動いてしまう。
 勢いよく立ち上がった彼女は両手を強く握りしめ、彼の顔をまっすぐ見据えたまま言い放った。


「い、嫌なわけありません!! すごく嬉しくてどうしたらいいかわからないくらいです!!」


 少しの間、裕一郎はあっけにとられたかのように目を丸くしていたが、すぐに「ふ」と小さな息を吐き両腕を広げる。


「……じゃあ、まず『ぎゅー』ってしましょうか」
「……!!」
 思わぬ提案に驚きはしたものの、恋幸はそそくさと座卓を回り込んで裕一郎の目の前に腰を下ろし、目を瞑って彼の腕の中に体を預けた。

 体育座りのままぽすりと収まる彼女を裕一郎は優しく抱きしめ、静かに目を伏せる。


「……いけませんね。貴女は読者皆の『日向ぼっこ先生』だというのに」
「いっ、今は……ただの、小日向恋幸です、ので……」
「……そうですね」


 今日は八重子さんが休みの日で良かったと、裕一郎は心の中でほんの少しだけそんなことを考えた。
 今はもう少しだけ、二人の体温を分かち合っていたい。
 同棲を提案されたその日の帰り道。
 裕一郎は「私からあんな事を言っておいてなんですが、今すぐこちらに転居する必要はありません。週に一度泊まりに来るだけでも構いませんので、少しずつ家に慣れてくれると幸いです」と限界まで恋幸を気遣ってくれたのだが、鼻先に人参をぶら下げられた馬よりも鼻息の荒い彼女が、


「そ、それじゃあ……毎週日曜日、来てもいいですか……?」


 などと、お(しと)やかになれるはずもなく。

 家に着くなり、恋幸は押し入れから引っ張り出したトランクケースと旅行用カバンに着替えとありったけの私物ほか、ノートパソコンを始めとした仕事道具を詰め込み、裕一郎との同棲ライフに思いを馳せながら眠りにつくのだった。




 そして、翌日。
 遠足を控えた小学生よりも気が早すぎる恋幸は朝5時半に目を覚まし、いつもはしない“朝シャン”を済ませ、15分かけて歯を磨くと、先日裕一郎とのデートで購入したレモン柄のワンピースに身を包む。


(裕一郎様……時間は気にせずいつでも好きな時に来てください、って言ってたなあ……)


 それにしても朝7時に押しかけるのは時間を気にしなさすぎだ。
 さすがの恋幸もそれだけは理解しており、自宅を出る予定の9時指定でタクシーを予約して、残りの約2時間はリビングで座禅(ざぜん)を組み心を落ち着かせる。

 ……ものの5分で足が痺れてしまい断念したのは言うまでもない。




 裕一郎宅に到着してタクシーから降りた恋幸が荷物を抱えたままインターホンを鳴らすと、少しして玄関の扉が開き驚いた様子の星川が顔を出す。


「まあ、まあ……! 小日向様、そのお荷物……!!」
「おっ、おはようございます! 今日から……あの、いつまでになるかわかりませんが! お世話になります!」
「ええ、話は裕一郎様に聞いております。……そうではなくて、連絡を頂ければ私がお迎えに行ったのに……!」


 星川は「重かったでしょう? ごめんなさいね」と眉を八の字にしたまま恋幸の旅行用カバンを両手で受け取り、再度謝罪を口にした。
「そ、そんな……! 星川さんは何も悪くないので謝らないでください……!!」
「ごめんなさい、ありがとうございます。……頼りないかもしれませんけど、裕一郎様が不在の間は小日向様を任せられている身ですから、何かあれば私に言ってくださいね」
(星川さんも優しい……大好き……)


 フローリングの廊下を傷つけてしまわないようキャリーケースを両腕に抱えて星川の後ろに続きながら、恋幸はジンと心に広がるあたたかさを噛み締める。


「小日向様のお部屋はこちらです」
「ありがとうござ……、……!!」
「……? どうかされましたか?」


 星川が案内してくれた部屋の(ふすま)をくぐってからハッとする恋幸。
 そう……何を隠そう彼女は、星川への感謝と愛情で頭がいっぱいになっていたため、ここまでどの道をどうやって歩いてきたか全く見ていなかったのだ。

 更に言うなら、恋幸はもともと方向感覚が(すぐ)れているわけでもない。


「……あの……お恥ずかしい話なのですが、その……ここまでどうやって来たかわからなくて、ですね……」
「ああ、そういうことでしたか……! ふふ。ここは裕一郎様の部屋のちょうど真反対になっていますから、もし迷った時は裕一郎様に聞けば大丈夫だと思いますよ。私がいる時には遠慮なく私を呼んでください、すぐに駆けつけますので」
「ほ、星川さん……」


 ときめいている場合ではないのだが、ひとまず難を逃れた(はずの)恋幸は部屋の隅にキャリーケースをおろし改めて星川に感謝の意を述べた。
「あっ! そういえば、ゆうっ……倉本様はどちらに?」
「裕一郎様はお仕事に行かれているので、早ければ8時。遅くなれば、11時を過ぎた頃に帰ってこられますよ」
「そうなんですね……」


 よくよく考えれば、恋幸は裕一郎が何曜日に出勤なのか・固定休があるのかなど、彼の仕事について一切知らない。
 今日だって「いつでも好きな時に来ていい」という言葉に甘えて家を飛び出してしまったが、星川が不在のケースを想定していなかった。

 出会った最初のころ裕一郎から注意を受けたというのに、“イイオンナ”になるどころかどこまでも軽率な自分自身の行動を(かえり)みて恋幸は肩を落とす。
 そんな彼女を見て少し勘違いしたらしい星川は、ずいと恋幸に身を寄せて内緒話でもするかのように片手を口に当て囁いた。