来世にご期待下さい!〜前世の許嫁が今世では私に冷たい…と思っていたのに、実は溺愛されていました!?〜

「どうしました? ほら……息はしてください、日向ぼっこ先生」
「っそ、あの、」
「うん? なんですか?」


 密着しているせいで、裕一郎が低く言葉を落とすたび吐息が少しだけ恋幸の耳たぶを撫でていく。
 何か返事をしようと脳を働かせても、耳の奥まで響く心臓の音が思考回路の邪魔をした。

 まだ3月だというのに、頬が熱くて仕方ない。


「わた、し、あの……く、倉本様に、」
「はい。私に?」
 裕一郎は自身の肩にのせられた恋幸の頭を優しく撫で、空いている方の手で彼女の輪郭をなぞる。
 そのまま彼の長い指が恋幸の顎を持ち上げれば強制的に目線が交わり、動揺からその瞳がわずかに揺らいだ。

 どちらかが少しでも体を動かせば、唇同士が簡単に触れてしまいそうなほど至近距離に迫る、裕一郎の整った顔。


「くらも、と、さま……」
「……小日向さん、」
 低く名前を呼ばれ、キスされるのだろうかと考えた恋幸がぎゅっと目を瞑った――……瞬間。
 小さな笑い声が彼女の鼓膜を揺らし、何か暖かくて柔らかいものが額に触れる。


「……しゃっくり、止まりましたね」
「へ……? あっ、は、はい……」
「良かったですね」


 無表情でそうこぼし体を離す裕一郎を見て初めてからかわれたのだと理解したものの、恋幸は今だに高鳴る鼓動のせいで彼を怒れずにいるのだった。
 恋幸の心臓が落ち着いてきた頃。

 彼女はタンブラーを手にとって中身のメロンソーダを飲み込んだあと、大きく息を吐いていったん脳みそを冷やしピンと背筋を伸ばす。
 一方で、向かい側に座る裕一郎はまるで何事もなかったかのような涼しい表情でテイクアウトしたコーヒーを口に運んでいた。


「では、これよりっ! 自分は! 本題に入りたいと思いますっ!!」
「……自衛官のようですね」


 びしりと音が鳴りそうな勢いで片手をこめかみ辺りにつけ手のひらを(さら)す恋幸の様子は、まさに裕一郎の言う通り自衛官候補生の“それ”によく似ている。
 彼の冷静なツッコミに対し、恋幸はハッとした表情でスマートフォンの画面を確認してから自信満々に再び姿勢を正した。


「いちさん、まるなな!! これより会議を始めますっ!!」
「ああ、もう13時ですか。早いですね」


 蛇足(だそく)だが、『いちさんまるなな』とは現在時刻の13時7分を指している。
 恋幸のくだらな……少々幼稚なごっこ遊びに文句一つ言わない裕一郎からはどこか深い愛情に似た雰囲気が漂っていることなど、当の本人はまだ気づいていないのだろう。
「ええっと、その……詳しくは、倉本様が(おっしゃ)った通り守秘義務があって明かせないんですけど、」
「はい」
「その、協力してほしい事がありまして……」


 自身の人差し指同士をくるくると絡ませて伏し目がちに裕一郎を見やる恋幸。
 彼はそんな彼女に話の先を急かすわけでもなく、首を傾げてただ静かに次の言葉を待っていた。


「……その、」
「はい」
「えっと……く、倉本様に……『大人の恋愛』を、教えてほしくて、ですね……えへ……」
「……」
 場の空気が凍りついてしまわないよう恋幸は無理やりに笑顔を浮かべて言葉を放ったのだが、そんな努力も虚しく裕一郎は目を丸めたまま動きを止めており、静寂が二人の間を支配する。

 (みずか)ら“助けてほしい”と(すが)った手前、今さら「なんちゃって! 変なこと言ってごめんなさい! 他の人に聞いてみますね!」と取り消すわけにもいかず、恋幸はあまりの気まずさに胃がはち切れてしまいそうな思いだった。


「そ、その……ほら、あの……社会人って、同棲とか当たり前じゃないですか! 私そんな経験がないので、あの、大人はどんな風に愛を育んでいくのかな~? とか、知りたくてですね!」
「……」
「ほ、ほら! 特に、恋愛を知らないキャリアウーマンと御曹司の恋愛とか? 大人の男性がどんな感じでアプローチするのかな? とか!」


 なんとか空気を誤魔化そうとした結果、余計なことを次から次へ口走ってしまい恋幸は心の中で「詳細を喋ってしまう前に誰か止めて」と(むせ)び泣く。


「えへ、あの、大人の恋愛は体の相性を知るところからって言いますけど本当なんですかね? なんて、」
「小日向さん」
「……っ!!」


 心地よい低音が名前をなぞった瞬間、恋幸の声帯はようやく震えることをやめて、やっと唇を引き結べた。
 少しの間を置いて裕一郎の瞳が彼女を捕らえ、おもむろに伸ばされた大きな手がそっと顎を持ち上げる。

 そのまま、彼は親指で恋幸の唇をなぞりつつ口を開いた。


「それ、意味がわかって言っているんですか?」
「い、み……?」
「……あまり大人をからかうと、本気にしてしまいますよ?」


 どういうこと?
 そう問うために恋幸が唇を持ち上げたタイミングで、聞き覚えのない着信音が室内に鳴り響く。