名札を確認して入ると、そこは4人部屋だった。
突き当たり、窓際に陽奈子はいた。
未使用のベッドがふたつ、使われた形跡のある斜向いの人はちょうど外出中だった。

「陽奈子、来たよ」

震えそうになる声を抑えて、声をかける。
振り返った陽奈子は、いつも通りの明るい笑顔で迎えてくれる。
本当にいつも通りの、けれど、その瞳に今は不思議に強い光がある。
カーテンを閉めて空間を仕切ると、椅子を勧められたので腰掛けた。

「仕事お疲れ様。ごめんね、わざわざ来てもらって」
「ありがとう。別になんてことないよ」

拗ねたようにため息をついて、陽奈子は核心に触れる。

「ごめんね、学くん。さくらんぼ狩り行けなくなっちゃった」

面会の時間は決まっているし、仕事帰りの僕に気を使ってくれているのだろうと推測する。
そんなことを考えられる冷静さがあるようで、実はそうではない。これは現実逃避だ。聞き入れたくない事実を頭が拒否している。

「胃癌、だったって。でもね、ごめんけど、別れてほしいなんて思ってないから。……絶対に負けないから、だから、一緒に闘ってください」

青天の霹靂とは、こういう事なのかと僕はその時思っていた。

「昨日検査結果がわかってね。ずっと胃が痛かった原因、コレだったぁ」

笑いながらあくまでも軽く話す陽奈子の、その奥にどれだけの葛藤を抱えているのかわからない。

「すごく、すごく負担かけると思う。普通だったら別れてって言うかもしれない。それが優しさとか、愛とか言うのかもしれない。でも私はっ」

語気が強くなり、堪えきれなくなった涙が雫になる。

「……私は、生きることを諦めない。負けないから、そこに、学くんが居てほしい」
「当たり前だろ」

間髪入れずに口から飛び出した。
そんなの、当たり前だろう。一緒に生きていきたいと思ってるんだよ、僕だって。
想像よりもずっと、自分で思っているよりもずっと僕の気持ちは強固なものだったようだ。 

「癌は、今は治る病気だって言われてるんだろ?この先の長い人生、一緒にいるのなら病気の1つ2つお互いに経験もするさ。大丈夫、陽奈子はちゃんと治療することを考えて。そばにいるから」
「うん、うん。ありがとう」

安心したように涙を零す。
外は雨。夕暮れを映すことなく日は落ちて、闇の中で降り続いている。
泣き止んだ頃を見計らい、頭を撫でると笑顔が戻った。その唇にキスを落とすと、らしくないなと笑い合い、病室を出る。
その足で、僕は芦原家へと向かった。