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転校生は早速人気者のようで休み時間ごとに彼の周りに人が集まる。
快活で、声も大きく張っていて、笑顔も爽やかだ。彼の周りに人が集まるせいで私が席に居づらい。そのため、私は昼休みごとに席を立った。
といってもどこにも居場所のない私はトイレに行くしかないのだが

「あれ、まーたトイレに逃げてんのかよ」

教室のドアの前でまりちゃんたちとすれ違いざまにそう言われて肩が震えた。
足が竦んで電源の切れたロボットのように動けなくなる。

今日一日、頑張れば明日は解放される。そう思っていたのに無理かもしれない。

もしも、私が強い人間だったならば。
嫌味を言われたら机に足をかけて思いっきり倒して―…
“お前なんか大っ嫌いだ”と大声で言うだろう。

私が、強い人間だったならば、の話だ。
それは空想で、妄想で、願望だ。

波多野君の周りには男女関係なく集まっている。
放課後のチャイムが鳴っても、彼の周りには明るい人たちが集まっている。その中にまりちゃんが口角を上げてかわいらしい声で話しかけている。今朝初めに隣の席だった子は、加藤静香さんというらしい。自己紹介を一人一人したから知った。

その子は金魚のフンのようにまりちゃんの後ろにひっついて歩いている。張り付いた笑顔を浮かべながら。

まりちゃんが波多野君に一緒に帰ろうと誘っていた。私はそれを目の端で捉えて、そのまま彼らの横を通り過ぎる。まりちゃんがかっこいいと言ったのだから数日以内で波多野君はまりちゃんと付き合うのだろう。
それは悪いことではない。なのに胸の奥がつっかえる。おはようとなんの偏見もなく躊躇もせずにそう言ってくれた彼の行為が嬉しかったからかもしれない。彼にとってはみんなと同じように接してくれただけなのに。

それと…彼の頭上に浮かぶ数字が気になってしょうがない。何か持病でもあるのだろうか、それとも。

私がしようとしてる自殺だろうか。

帰宅すると、さっそく母親がリビングから顔を出して二階へ行こうとする私に言った。

「ちょっと、みずき!帰ってきたらすぐに勉強しなさいよ」
「…わかってる」
「本当にもう…成績どんどん下がっていくじゃない。そもそもあなたをここまで…―」

家の中なのに、私はイヤホンを耳奥まで突っ込んで、階段を上がる。
うるさい、うるさい、うるさい。心の中でそう叫びながら階段を踏む。

お母さんは私を一流の大学へ入学させて、いい企業に就職することを望んでいる。

小さな頃から言われてきた。

最近はその“一流の大学”がT大になっているようで、週に二日の塾を三日に増やしてまで合格させたいようだ。

文系でも理系でも、どっちでもいいらしい。とにかくT大というブランドがいいのだ。
私にはそれが理解できない。私自身がそれを望んでいないのに、どうしてお母さんは勝手に決めて勝手に縛るのだろう。それとも、これが親の愛なのだろうか。私がダメな子供だから悪いのだろうか。

考えれば考えるほど、頭の中はごちゃごちゃになって呼吸が浅くなる。
自分の部屋に入って、カギを締める。

制服を脱ぎ捨て、部屋着に着替える。ようやくこれで緊張の糸が解ける。
ベッドにダイブして、目を閉じる。全身が強張っていたのに一気に睡魔が襲う。

家にも学校にも居場所がない私はどうしたらいいのだろう。私のような子は全国にたくさんいる気がする。

その子たちはいったいどうしているのだろう。私とは違って立ち向かっているのだろうか。そう考えると自分がいかに弱くて脆くて、臆病な人間なのだと再認識する。

しばらく目を閉じていると眠りについていた。

夢を見た。
私の手を取って、友達になろう、そう言ってくれる誰かが私の名前を呼ぶ。
それは夢だとわかっているのに、涙が出るほど嬉しい。


「ちょっと!みずき!」

どんどんとドアを叩く音で目を覚ました。すっかり夜になっていて、重たい瞼をこすって上半身を起こす。
お母さんが夕飯で来てるのに、何してるの!と怒鳴るような声でドアを挟んで叫んでいる。
たったドア一枚なのにこれがあるおかげで私は息を吸うことが出来る。
足をベッドから床へ移して、思った以上に冷たい床に一瞬背筋が伸びる。
重たい腰を上げ、ドアを開けた。

「なんで鍵かけてるの?!」

ひどく怒っている様子でいつも以上に顔色が赤い。無造作に一本に結ばれた髪は年々白髪が増えて、艶がなくなっている。くたびれたエプロンをつけて、仁王立ちで私を睨む。
お母さんは私が寝ていたことを怒っているようだ。
仕方がないじゃない、だって今日は新しいクラスになって新しい環境で一日を過ごしたのだから疲れる。

それを理解しているのか、していないのかは知らない。
だけど母親にとってそれは“どうでもいい”ことだ。
私の家はそこまで裕福じゃない。母親はパートを掛け持ちしていて、父親だって中小企業勤務で年々ボーナスも下がってきていると嘆いている。決して安くはない塾代を払ってくれていて、それなのに成績が上がらない。母親が怒るのは無理もない。怒られる度に、嫌味を言われる度に、反発心と同時に劣等感に苛まれる。

父親は普段帰りが遅いから、今日も母親と二人で食卓を囲む。
無言で夕食を食べる。咀嚼音だけが響く。

お母さんとお父さんは私が死んだらどう思うだろう。後悔するだろうか、それとも出来損ないの娘がいなくなってせいせいするだろうか。ちらっとお母さんに目を向ける。

「お母さん」

抑揚のない声で言う。何?と苛立ちを含んだ口調で返す母親に私は続けた。

「学校へ行きたくないって言ったらどうする」

お母さんの手が止まった。控え目に私は顔を上げるとしっかりと視線が絡む。
実はこのセリフは二度目だ。中学生の頃にも同じように質問したことがあった。
お母さんは、ふんと鼻を鳴らして

「何を馬鹿なことを言ってるの?」
「…どうして」
「勉強はどうなるの?いくら塾へ行っているとはいえ、ついていけなくなるじゃない。それに高い学費払って私立の学校へ行かせてるのよ?」

一度目の質問時と同じ回答をした。私は、そうだよねと呟いた。
どうして学校へ行きたくないの?とか、そういったことは聞いてこない。学校生活について訊かれたことはなかった。母親にとってそれはどうだっていいのだ。勉強さえしてくれたらどうだっていい。
沸々と熱いものがこみ上げてきて今にも喉の奥からそれが出てしまいそうになる。

“私の気持ちはどうだっていいの?”

言えない言葉はお味噌汁と一緒に食道を通って胃の中へ落ちる。

いじめられていることをお母さんは知らない。もし話したら、何て言うだろう。
行かなくてもいいよ、っていうのだろうか。
そこまで考えてやめた。

言うわけないじゃない。今と全く同じ言葉を言うはずだ。
夕食を食べ終え、お風呂にも入るとそのまま部屋にこもった。イヤホンをして、適当に音楽を流す。


いつの間にか眠りについて、朝が来る。
そうしたら…―
もう、私はこの世にいない。