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「どこ行くの、塾は?」
「休む、」

魂の抜けたような声でそう返すとスニーカーを履いて家を出る。
彼が亡くなって一週間がたった。
私はそれでも毎日公園に来ていた。


“約束”したのに、彼が来ない。

あの日、いくら待っても彼は現れることはなかった。
何度も電話したのに出ることもなくて、何通も送ったメッセージも既読になることはなかった。
彼はダンプカーにひかれてこの世を去った。
彼が亡くなった翌日、担任の先生から親に連絡があったようでそれを聞いた瞬間のことはあまり覚えていないがひどく取り乱してしまったようだ。

夕方まで公園のベンチに座って、日が沈みそうになったら帰るというのを繰り返していた。

まだ朝陽君が隣にいるような気がするのに、辺りを見渡すけどいない。
毎日声が枯れるほど泣いているのに、毎日涙が枯れるほど泣いているのに現実は変わらずに日々は過ぎていった。

「どうして、」

どうして彼は17歳で死んだのだろう。
運が悪かっただけなのだろうか。16という数字はやはり無関係だったのだろうか。
多くの疑問を残したまま、私は一歩も前へ進むことが出来なかった。
辛うじて彼の後を追わなかったのは、生きると約束してしまったからだ。

虚ろな目をしたまま家に帰ると、見知らぬ靴が玄関に丁寧に並べてあった。
来客かと思いそのまま二階へ行こうとするとリビングからお母さんが顔を出した。

「みずき!お客さん」
「お客?」

お母さんの背後から顔を出したのは、朝陽君のお母さんだった。

「みずきちゃん、どうも」

お母さんの目は真っ赤で、以前会った時よりもかなり痩せた印象を受けた。
その姿を見るだけで胸の奥が圧迫されるように痛む。
おどおどしながらリビングのソファに座る。
朝陽君のお母さんも私の正面に座りなおす。葬式にも行っていないのに、どうして私の家まで訪ねてきたのだろう。一度しか会っていない息子のクラスメイトに会いに来た理由がわからない。
朝陽君のお母さんは薄いピンク色のハンカチを握りしめたまま、口火を切った。

「朝陽と仲良くしてくれてありがとう」
「…いえ、こちらこそ…」
「これ、朝陽の部屋を掃除してたら出てきたの。あなたの名前が書かれてあるから渡した方がいいなって」
「え、」
「なんでこれを書いていたのかわからないけど、もしかしたら次に会うときに渡そうと思っていたの、かな、本当に…もう少しで誕生日だったのに…」

声を詰まらせて震える手で握りしめたハンカチで涙を拭っていた。
手渡されたのは、封筒だった。
ごくっと唾を呑んで、恐る恐るそれを手にした。


“みずきへ”

淡い水色の封筒に私の名前が丁寧に書かれていた。
堪えることが出来なくて、また涙が頬を濡らす。
見ると、それはちゃんと糊付けされていて彼の几帳面さが表れていた。

「よかったら、うちにお線香でもあげに来てね。朝陽はみずきちゃんのことが大好きだったみたいだから」

そう言って朝陽君のお母さんは立ち上がってリビングから去っていく。
封筒を握りしめたまま、瞑目する。お母さんは何も言わなかった。
私が朝陽君のことを好きだったことはおそらく今わかっただろう。でも、何も言わなかった。

二階へ行き、深呼吸をした。
ベッドの縁へ腰かけて糊付けされたそれをゆっくりはがす。

三枚にもわたる便箋を取り出し、私は読み始める。
綺麗な字だった。


みずきへ

まず、これを読んでいるときには俺は既にこの世にはいないと思う。

「えっ…―」

始まりの文章を読んで思わず声を出していた。
この世にいないことをわかっていた?そんなわけなどない。予知能力があったというのだろうか。
その瞬間、先ほどの朝陽君のお母さんの言葉が頭をよぎる。

『もう少しで誕生日だったのに』

あれは、彼の誕生日はまだ先だったことを意味している。
つまり、8月30日ではないということになる。どうして彼は嘘をついたのだろう。
そもそも私が彼に誕生日を初めて聞いたときはまだ、頭上に浮かぶ数字の話はしていない。
混乱する頭で必死に考えながら、私は手紙を読み進める。

“いきなりこんな話をしても、混乱させるだけだけどみずきに人の死期がわかる力があるように俺にもある能力があるんだ。”
背後から思いっきり何かで後頭部を殴られたような衝撃が襲う。

手が小刻みに震えだした。
視界にかかる靄が少しずつ鮮明になっていくように、絡まった糸が解けていくように、今までの違和感の謎が解けていく。

“それは、時間を戻せる力だよ。俺はみずきに二度、出会ってる。
信じられないでしょ?みずきは7月の下旬、バーベキューに誘った日に自殺しているんだ。正確に言うと、時間を巻き戻す前の俺とみずきは付き合ってなかったし、バーベキューもしていない。でも一緒に勉強したりする仲だった。「またね」って言った次の日、みずきは死ぬことを選んだ”

涙は止まっていた。
あまりにも衝撃的な内容に思考が追いついていかない。
彼は私と二度出会っている?そして時間を戻す前、私は自殺をしている。

“後悔していた。仲良くなっていたと思っていたし、何より俺はみずきのことが好きだったのに気持ちを伝えることもないまま、みずきを助けられなかった。
何度も何度も自分を責めたし、辛かった。だから時間を戻したんだ。でもそれには“寿命”を代償にする必要がある。一度時間を戻すごとに30年の寿命が削られる。一度目に出会ったみずきが最期、死ぬ前に俺に死期がわかることを伝えてくれていたんだよ。そして俺の頭上には46という数字が浮かんでいることも教えてくれた。だから悩んだけど、どうしてもみずきを救いたかった。そして、もう一度生きてほしかった、生きるという選択をしてほしかった。
これを知ったらみずきは絶望して自分を責めると思うんだ。今、これを読んでそう思ってない?でも違うことを知っていてほしい。俺が死ぬかもしれないと思った時救いたいと思ったでしょう?その方法を探したよね。同じだよ。それにね、俺は後悔してないよ。だって二度もみずきに出会うことが出来て、しかも二度目は両想いになれた。本当に幸せだったよ。もしあのまま時間を巻き戻す選択をしなかったら、後悔していたと思う。俺は、後悔しない選択をした。みずきはもう十分強くなったよ。大丈夫、何か辛いことがあったら、苦しいことがあったら、大丈夫って自分に言い聞かせてみて。それでもだめな時は、俺を思い出して。俺はずっとみずきの味方だよ。バーベキューも海も楽しかった。クッキーも凄く美味しかった。本当にありがとう。
それから、最後、書き忘れていた。俺の誕生日は8/31だよ。嘘ついてごめん。会うたびにクマがひどくなるみずきが心配で最後に嘘ついた。あと、公園も行けなくてごめん。謝ってばかりだね。でも、みずきはちゃんと自分の足で自分の人生を生きるんだ。
ありがとう。好きだよ。
朝陽”

こんなことを他の誰かに話しても信じないだろう。でも私は信じる。だってそうじゃないと今までの違和感の謎が解けないから。

「…っ…ぅ、」

ぐちゃぐちゃに顔を泣きはらしながらも必死に顔を上げた。
電車に飛び込もうとした日、彼に助けられてつれられた喫茶店は、引っ越してきたばかりの彼が詳しいのはおかしい。
それだけじゃない、まりちゃんが絵具を私の机の中にいれた事件も彼は何も言わずにまりちゃんの机をひっくり返した。あれだって、本当は彼女がやっていたことを知っていたから出来たのだろう。
私の心が読めるのだろうかと疑ってしまうほどに彼の言動は不思議だった。
チーズケーキが好きなことももしかしたら一度目の出会いで知ったのかもしれない。
そして7月下旬にどうしてもバーベキューがしたいといった普段の彼とは違う行動にも納得がいく。日付が変わるまで電話をしたのも、きっと…私が一度は死んでいたからだ。

せぐりあげて泣く私の視界は既に涙のせいで何も見えない。


朝陽君、私、ちゃんと生きるよ。
もう二度と死のうとしない。あなたがくれた命を粗末にしない。
頑張ってみるね。でももし辛くなったり苦しくなったら立ち止まって朝陽君のことを考えるよ。

瞼を閉じる。
瞼の裏側には彼の優しい笑顔と、
大丈夫、きっと、大丈夫
そういう彼の声が聞こえた気がした。