ふわふわでもこもこは正義だ。

 だから、ペルシャ猫のようなふさふさした毛を持つ猫は、もはや神に等しい存在である。
 私はそう確信する。

 神様はいるらしい。
 そして願いを叶えてくれるらしい。

 ただ、願いを叶えるならこんなにピンポイントではなく、もう少し広い範囲で叶えてほしいものだ。

 神様は無慈悲だ。

 確かに私は先週、鏡を見ながら「一回でいいから猫耳を生やしたいなあ」と言った。でもそれはコスプレであり、とてもファンタジーめいた願望であり、言ってもみればパソコンで合成したり猫耳のカチューシャをつけるだけでも十分に代用が可能な願いだ。
 
 「叶えてしんぜよう」という声を聞いた気はしたけれど、テレビから聞こえてきたものだと思った。ちょうどその時、私はアニメを観ていたから。

 そして次の日、私の頭の上には猫耳が生えていた・・・。

 当たり前だけれど、私はただの一瞬もテンションは上がらなかった。一瞬もだ。夢だと思って一応もう一度寝たけれど、やっぱり猫耳は消えていないし、わずかな望みをかけて引っ張ってみたけど、とっても痛かった。猫耳はとても大切で敏感な器官なのだということがよく分かった。ただ、人間なので何か聞く時は人間の耳で聞く。この猫耳は、ただ敏感なだけで何も役に立たない。

 もうひとつ、とても嫌なことがある。

 最初に言った通り、ふわふわでもこもこは正義だ。だからペルシャ猫みたいな猫耳だったら、一瞬だけでも私は天にも昇る気持ちになれたかもしれない。

 問題は、この猫耳の種類は「スフィンクス」だということだ。

 スフィンクスといえば「毛のない猫」として有名だ。実際のところはすごく短い毛が生えてるんだけれど、まあ「毛がない猫」で正解なくらい短い毛だ。
 特徴としては活発で人懐こい種類ではあるが、毛がないため暑さや寒さに弱く、またこまめに体を拭いてあげなくてはいけない。ちなみに私は陰キャで、スフィンクスの耳が生えたところで陽気にはなっていない。

 とにかく、今私の頭に生えている、なんだか色々むき出しな猫耳をむき出させない為に帽子を手放せないでいる。不便である。

 もうひとつ、私の願いは「一回でいいから」である。「一日でいいから」だったらもう消えているだろうけれど、「一回でいいから」の場合、その期間が問題になる。たとえばこの猫耳が今後消えないものだとしても、「一回」には間違いない。私は一生この姿なのかと思うと、地獄に落ちたような気分だ。

 猫耳が生えたら天にも昇る気持ちかもしれないと思っていたけれど、もし天に昇れるなら、とりあえず神様をぶん殴りたい。神様はきっと天にいるだろうから。