「今は少し気分が楽だよ」
ぐにゃぐにゃり、と動く人の影を目で追って曖昧に笑ったら、そのひとが僕を見て泣きながら微笑んだ。その手に掲げた包丁が恐ろしく、僕は机を押し除けて窓から飛び降りようとする。「リツくんやめて」そう母が叫ぶから、僕はその声に振り向くと顔がブラックホールになった化け物が僕を羽交い締めにしていた。
助けて、きみ、きみよ。
そんな日、現実は怖いので歌を歌って目を閉じる。虚空を舐めるのは楽だけど到底、本物には似つかわしくないね。
家族が僕を大切にしていたのと同じように、僕は僕の言葉を大切にしていたし、壊れかけのきみを助けたつもりでいたよ。ねえきみよ。その曖昧な導火線の上でレプリカを舐めている程度じゃ到底本当には辿り着けない。
僕は僕が生まれ落ちてきてしまったことを後悔している。早かったとも思う。世界が僕を評価しないのはそういう理屈で、だからきっと死ぬ間際に人は僕の方に気が付き、それは今なお名を馳せる偉人や画家の二番煎じだ。二番煎じ、そうか、僕は敷かれたレールの上を歩いている。
きみ、きみよ。ねえ、ここにいるかい。
壊れかけのきみに勇気をかけて話しかけたとて、人気者の君に僕は大衆の一部としてしか映らない。僕の時間を殺して手掛けた時間分、きみをくれやしないか。言葉はそこまで来ているのに掴めない。それは形がないからだ。愚か者。僕は人間に生まれた日を今日まで後悔したことはない。
「リツ、リツくん」
お薬飲んで、ご飯を食べて。寝て。起きて。生きて、お願い、お願いよ。
母さん、僕はもう疲れたよ。