喧嘩をしたクラスメイトとは、翌日に仲直りした。
 自分の発言のなにがそこまで私を怒らせたのか、ひと晩中考えたらしい。言い方が悪かった、と頭を下げた彼女に、私も言葉が過ぎたと頭を下げ返し、以降は普段通りに接している。

 もしかしたら彼女は、私が、あるいは私の身近な人が、幽霊の見える体質だと勘づいたのかもしれない。
 相手がなにげなく切り出しただろう話題に、私は感情的な態度を取った。しかも「幽霊が見える」ということをあり得ないと語った相手に頭から突っかかってしまったわけで、それでは「見える人間を馬鹿にするな」と言っているようなものだ。
 和解して以来、彼女はその話題を一度もほじくり返してこない。向こうは単に気まずく思っているだけかもしれないけれど、ありがたい。小学生のときにハルキに打ち明けて失敗してしまった私に、この秘密を誰かと分け合えるだけの勇気はもうない。

 進級早々クラスメイトと口論をやらかすというトラブルを引き起こしたものの、その件についてはほとんど禍根を残さず、そのまま平穏に一週間が過ぎた。
 四月も間もなく下旬に差しかかる。暖かさを通り越し、日中には暑さを感じることさえあるくらいだ。
 今年の春は晴れの日が多く、なかなか雨が降らない上に、梅雨の季節はまだ先だ。あれから登下校のたびに例の児童公園の前を通っているけれど、やはり雨が降っていないからか、彼の姿を見かけることは一度もなかった。

 そして今日、白オバケとの遭遇から九日目。とうとう、午後から雨が降るという天気予報が流れた。
 どんよりとした曇り空を自室の窓から確認しながら、私は緊張に高鳴る胸を押さえる。あらかじめ心の準備ができるなら、それほど怖くない。いるかいないか、どんな奴が出てくるのか、事前になにも分からないからこそ不安になるのだ。

 いつも通り学校へ行き、授業を受ける。
 そして午後、昼休みに弁当を食べている途中から、ぽつぽつと雨が降り始めた。教室の窓から様子を確認した私は、思わずこくりと喉を鳴らしてしまった。
 平静を装って午後の授業を受け、それらもすべて終わり、帰りのホームルームが終わると同時に私はそそくさと帰り支度を始めた。

 今日の帰り道に、彼はいるだろうか。
 この十日ほど、彼に対する私の関心は、日を追うごとに膨らんでいる。彼に遭遇する可能性が最も高い場所がもし通学路でなかった場合、寄り道してでもそこへ足を向けたくなるくらいに。
 小さくひと息ついたそのとき、叶生、と背後から声がかかった。

「あ、花梨(かりん)
「お疲れー。ね、急なんだけど、帰りにどっか寄ってかない?」
「あ……ごめん。今日は用事があってさ」

 通学鞄を片手に声をかけてきたのは、岸田(きしだ) 花梨だ。
 花梨は中学時代からの同級生で、偶然同じ高校に進学した。一年のときにはクラスも一緒だった。今年はクラスが別になってしまったけれど、変わらず仲良くしている。
 部活も同じだ。書道部に所属している。とはいえ、部活がある日もない日も、ふたりで放課後を過ごすことが多い。自宅の方向も途中まで同じだから、大抵、下校も一緒だ。

「あーそっか、残念。明日は?」
「うん、明日は多分大丈夫」
「よし! じゃあ明日、寄り道してこ?」
「分かった。楽しみにしてる」

 誘いを断ることに罪悪感が芽生えたが、花梨は気にする様子もなく明日の誘いを切り出してきて、私はほっとする。
 進級直後、例のクラスメイトと口論になった現場に、花梨は居合わせていなかった。クラスが違うから仕方がないのに、花梨はそのことを私よりもずっと気にしていた。それ以降、下校したり寄り道したり、一緒に過ごす日が前以上に多くなっている。

「気をつけてね」
「うん。また明日ー」

 花梨に手を振り、私は彼女より先に教室を出た。
 中学生の頃、花梨と帰り道を歩いている途中、とても小さな幽霊と遭遇したことがあった。そのときは幽霊のほうがすぐに消え、特に強い恐怖や不安は覚えなかったから、その後もなにごともなかったかのように過ごした。
 幽霊が見えるという話を、私は花梨にさえ面と向かって伝えていない。雨の日が苦手だという話はしているけれど、それ以上を切り出す勇気はどうしても出てこない。

 小さく息をついた後、傘を手に、私は昇降口から一歩踏み出した。

 私が通う高校は住宅街の中にあり、学校を出てしばらくは歩道が整備されていない小道を歩かなければならない。大きな通りに出て、信号を渡り、橋を渡り、細い道に入り……そうして二、三分ほど進むと見えてくるのが例の児童公園だ。
 公園を囲む低い垣根が見え始め、無意識のうちに喉が鳴った。
 傘を差したまま出入り口に近づいていく。しかし、先週彼がうずくまっていた電柱の下に、今日はなにも見えなかった。

 今日はいないのか。ほっとしたような残念なような、複雑な気分になる。
 出入り口に立ち、ぐるりと周囲を見渡す。まさか日が落ちた後でなければ会えないのかと不安を覚えながらも、視線をあちこちに向けて白オバケを探し、そして。

 ――いた。
 奥側の東屋、四隅を囲む大きな柱のうちのひとつに、白い影が控えめに佇んでいる。

「あ、……っ」

 手を挙げて呼びかけようとして、すんでのところで踏み留まる。
 あの幽霊は、私以外の誰にも見えていないはずだ。下手に大声をあげれば、その瞬間、私は「ひとりで喋り出すおかしな女子高生」に認定されてしまう。
 雨の公園には、大人も子供もひとりも姿が見えないが、傍の道をいつ誰が通りすがるか分からない。怪しい行動はできるだけ避けなければ、と肝に銘じる。

 傘を持ち直し、ゆっくり東屋へ向かっていく。園内の土は泥濘(ぬかる)んでいて、水溜まりも多い。それらを避けながら、慎重に東屋まで進む。
 そうして辿り着いた東屋の前、四隅の柱のうち一本の傍。ベンチの端にぼんやりと佇むその影へ、私はそっと声をかけた。

「ええと……こんにちは」