約束通り、その夜、花梨からメッセージが届いた。

『やっぱり、従姉(いとこ)のお姉ちゃんの友達が見てたみたい』

 そのメッセージを、穴が空くほど見つめてしまう。
 噂の出処がハルキではなさそうだという理由を、花梨は間を置かずに送ってくれ、私は食い入るようにその文面を目で追った。

 花梨には、ふたつ年上の従姉がいるそうだ。彼女は私と同じ小学校に通っていたという。小学五年生の頃、花梨は、彼女と彼女の友人が話している場に居合わせたらしい。
 そのときには、従姉もその友人も中学校に進学していて、花梨は本当にたまたまその話を耳にしたそうだ。幽霊が見える、ふたつ年下の女子の話題――当時、花梨は私を知らなかったから、その話題の女子と私がまったく繋がらなかったという。
 偶然、男の子と一緒に話し込んでいるところを聞いて……といった話をしていたようだ。そしてその話を、従姉の友人は、彼女の小学生の妹にも教えたと。花梨いわく、従姉の友人は噂好きで有名な生徒で、従姉自身も少々迷惑そうにその話を聞いていたそうだ。

 彼女が話を伝えた「小学生の妹」が噂を広めた可能性はある。むしろ高いと言えるかもしれない。例えば、あの日「幽霊が見えるって本当?」と尋ねてきたクラスメイトがその妹だとしたらどうか。
 思えば、あの子は新しい話題や噂話をよく好んだ。彼女に姉がいたかはさすがに覚えていないが、花梨の話に登場した「妹」なる人物から聞いた話を、あの子が大きくした可能性もある。
 ……今となってはどんな仮説も仮説の域を出ない。当時のクラスメイト本人を探して確認したとして、相手がすでにこの件を忘れていることもあり得る。なにせ、相手にとってこの話題は、数ある噂話のうちのひとつでしかない。でも。

 頭が真っ白になる。

『俺じゃない』

 先日聞いたハルキのあの言葉は、嘘ではなかった。いつしか握り締めていたスマートフォンを放せないまま、私は三角座りの膝に頭を埋めた。
 どうして今まで一度も言ってくれなかったのか。内心でハルキをなじりそうになり、けれどすぐにその気持ち自体が的外れだと気づく。ハルキが弁解できなかったのは私のせいだ。私が拒絶したからだ。
 膝を丸め、私はしばらく呆然と座り続けていた。花梨から三通ほど続けてメッセージを受信したきり、その全部に既読がついていると分かっていて、うまく返事を打ち込めない。無理やり動かした指で「ありがとう」と送った。それから「少し整理してみるね」とも。それ以上なにかを伝えることはできそうになかった。

 深い溜息を落とした後、ぼんやりと考える。
 どうしてハルキは、今頃、当時の噂の出処について弁解を始めたのか。前触れらしい前触れが、なにかあっただろうか。唐突すぎる気がしてならない。
 ただ、ひとつだけ明確に分かっている。ハルキは、「自分は噂を流していない」と言いきった。その発言を無視して今まで通りに彼を責め続けることは――今までみたいに、当時の責任をすべてハルキに押しつけ続けることは、もうできない。

 私は、きちんと現実を見て、その上で前に進まなければならない。
 ハルキとのことも、最終的にはユウとのことも……今こそが、まさに足を踏み出すべき時なのかもしれなかった。


   *


 雨の予報は、他と比べて外れやすい気がする。
 普通は雨なんて降らないほうが喜ばれるとは思うが、私の場合は違う。とはいえ、近頃は心のどこかでほっとしてしまっている。最初からユウに会えないと諦められるほうが、期待して会えなかったときよりもショックが小さく済むからかもしれない。

 梅雨といっても、今年は常に降り続ける感じではない。だが、突発的に降ることももちろんある。どのみち傘は忘れられない時期だ。
 ハルキと最後に話した日の翌々日――木曜、朝。曇り空の中を、私は閉じた傘を片手に歩いていた。家の前の道にできた大きな水溜まりを、足元が濡れないよう用心深く避け、ふと顔を上げた。

「……あ」

 つい声が出てしまった。
 高校に進学してから一年あまり、登校の時間に一度も顔を合わせなかったハルキと、目が合った。

 私と同様に水溜まりを大きく避けているハルキも、驚いた顔で固まり、しかし彼はすぐに歩む方向に向き直った。
 無視されたかと思いきや、越えた水溜まりの先から、ハルキはなかなか前に進まない。私から声をかけるのも気が引ける。先日、自分が彼に対して取った露骨な態度の記憶も相まって、気まずい気分はどんどん嵩を増していく。
 こんなタイミングで、なにも高校生になってから初めて通学路で鉢合わせてしまわなくても――苦々しい気持ちを抱えて立ち往生していると、向こうから話しかけてきた。

「お前に会わないで済むように、わざと時間をずらしてた。朝も放課後も」

 ハルキの低い声は、湿気をふんだんに含んだ空気の中でもよく通った。
 前にも似たことを思った気がする。ぼんやりとそう考えながら、意を決し、私はハルキの側へ一歩足を踏み出した。

「……もうやめたの、それ?」
「そうだな。疲れた」

 すげえ早起きしてたし、と呟いたハルキは、それきり私に背を向ける。その広い背中が、先日も見た同じそれと重なり、私は息を呑んだ。
 ハルキの行動は当然のものだと――別れの言葉もなく去られることが、元を辿れば自分のせいなのだと、頭では分かっている。それなのに、あまりにそっけないのではとも思ってしまう。
 私は本当に身勝手な人間だ。心底うんざりした後、堪えきれず、去りゆく背中に呼びかけた。

「……ねえ」

 ハルキが怪訝そうに振り返る。
 途端に、なにを伝えればいいか分からなくなる。頭を抱えそうになったところをなんとか耐え、私は溜息を落としてから口を開いた。

「こないだは言いすぎた。ごめん」

 訝しそうにしていたハルキが、目を見開いた。

「え……いや、別に」

 そんなことを言われるとは、想像すらしていなかったらしい。露骨に狼狽えながらも、ハルキはしどろもどろに返してくる。
 私は私で、次になにを話せばいいか分からない。ハルキへの謝罪は、他の件についてもきちんと伝えなければならない。そうは思うけれど、今がその時だと踏み出す勇気はどうしても持てなかった。
 視界にハルキの目元が覗き込む。それが見えた瞬間、前回顔を突き合わせたとき、ハルキが目を赤く腫らしていたことを思い出した。

「あ、あの。アンタ、こないだなんで泣いてたの?」
「は?」
「ええと。目、赤くなってた……気がして」

 前触れもなにもない話題の変更に、ハルキはますます怪訝そうに眉を寄せた。
 ……居心地が悪い。落ちた沈黙は重く、私は顔をしかめた。本気で忘れているのか、私が急にそんな質問をしたことを不審に思っているのか、判断に迷う沈黙だ。
 無言に耐えきれなくなった私が、言いたくないなら別に言わなくていい、と雑に話を切ろうとした、そのときだった。

「……死んだじいちゃんの夢、見たんだ。あの日」